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 石原慎太郎都知事の「DNA」発言

         −差別主義者の面目−



 最初に『朝日新聞』2001年9月7日夕刊「単眼 複眼」欄に掲載さ
れた記事を紹介する。そのタイトルは「石原慎太郎都知事のDNA
発言」である。


 ■  石原慎太郎都知事のDNA発言

               【1】 

 石原慎太郎東京都知事のつかう「DNA」ということばが気になる。

 毎日新聞のインタビュー記事(8月12日付)では,靖国神社を小泉
純一郎首相が参拝するのは当然だと述べつつ,靖国参拝は「日本人の
精神性,文化のコアにあるDNAに触れてくる問題だ」と語っている。

 そのくだりを,以下に直 接引用しておこう。  

 
 もっと大事なことでアドバイスはしてますけど。そういう問題じゃないんじゃないの。日本人の精神性,文化のコアにあるDNAに触れてくる問題なんでね。彼がそういう行動 (参拝)で表現しようと思っているのを,誰が阻害できるんですか。
                   

 石原が民族や国民を語るさいにDNAをもちだすのは珍しいことで
はない。2000年12月に出た田原総一朗との対談本『勝つ日本』でも,
「日本人は英知に満ちた民族なのです。しかも早くから教育の水準は
世界屈指だから,その英知がDNAにプリントされてきている」と語
っている。

 無邪気な比喩的用法と読めなくはないが,うけ流しにくい事情もあ
る。

               【2】 

 産経新聞の一面に2001年5月8日「日本よ/内なる防衛を」と題す
る石原の文章が載った。警視庁科学捜査研究所を視察した体験を,つ
ぎのように紹介している。

  ある事件の被害者は「みるも無残に顔の皮をすべて剥がれて誰とも
つかぬ死体」になっていた。捜査の過程でこの被害者と加害者が外国
人,恐らく,中国人ということは推測がついていたという。日本人な
ら,こうした手口の犯行はしないものだからだとの理由で。捜査関係
者の推測どおり,中国人犯罪者同士の報復事件だった……。

 そして石原は「こうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延
することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れがなしと
はしまい」としるした。

               【3】 

 数こそすくないものの,この文章への批判はつづいている。

 週刊金曜日〔5月25日号〕では,ジャーナリストのT・ラズロが,
DNA発言は「許されてはならない意識的な人種差別行為のお手本
だと批判した。

 特定の民族を敵視させたり,恐怖や嫌悪の感情を高めさせたりしか
ねない言論が,公的な場で現役知事の口から語られてしまうこの国の
実態は深刻だ。


 ■ 日本政治家のお家芸:人種差別発言の多発

               【1】 

 日本の政治家で,石原慎太郎の兄貴分に当たる中曽根康弘元首相,
そして,大蔵・外務・厚生などを歴任した渡辺美智雄〔故人〕が,ア
メリカ人とくに,黒人およびヒスパニック系の人々を引きあいに出し
て,彼方の人種・民族は劣っており,それに比べて日本人・日本民族
は優れているという発言を放ったことがある。もちろんそのときは,
世界中から批判を浴びた。このことは,筆者の記憶にまだのこる。  

 
 政治家が優越意識にもとづいて,他国や他民族を傷つける発言をつぎからつぎにして,非難にさらされたのは,バブルが弾けて日本の長い停滞がはじまった1990年代の初めであった。

 情報革命がはじまり,グローバリゼーションが大波のように高まりはじめた時期に,日本が後れをとる現象が露呈したのであったのかもしれない。
       

 英 正道『君は自分の国をつくれるか 憲法前文試案』小学館,2001年,128頁。

 今回の石原「DNA」発言は,純粋の日本人とはなにか,日本民族
の定義はなにかなどについてまったくおぼつかない科学的状況を,平
然と無視するものである。いかなる科学的根拠もないにもかかわらず,
日本人・日本民族の絶対的な卓越性を,他民族が日本国内でおこなっ
た犯罪行為の特質にいきなり,からめて発言する〈決めつけかた〉は,
まさにデマゴーグのやりかたそのものである。

 中国人・中国民族はこういうものであり,日本人・日本民族はそう
ではないといういいまわしは,人間間や民族内における個性やそのバ
ラツキを認めない,いわゆる紋切型の偏見・差別にもとづく人間観・
民族観である。

               【2】 

 そもそも,石原が都知事になってはじめに放った人種的・民族的な
偏見・差別の発言は,在日韓国・朝鮮人に対する「第三国人」よばわ
りであった。

 在日し永住してきている特定の民族集団,それもそうとうに日本人
化(?)した彼らに対して,敗戦後の日本社会に一時的に発生した社
会病理現象にかかわって,しかも,同じような病理集団はむしろ,日
本人がわのほうに多かったことは棚に上げて,朝鮮人はすべて悪い奴
らだということを,レッテル貼り的に強調する表現が「第三国人」で
あった。

 くわえてさらに,「第三国人」ということばを,在日韓国・朝鮮人
をしめす符牒としてでなく,主に新来の中国人,それも凶悪犯罪者で
ある外国人=中国人を意味させるものとしてつかったと,石原自身は
のちに批判をうけたさい弁明していた。

 そうなると,「第三国人」という悪いイメージをもったことばが,
半世紀以上も経ってからわざわざ,石原によって拡大再生産されたこ
とになる。偏見に満ち,差別のこもったコトバを,なぜ,この時期に
故意に流布させたのか。石原の軽率な言動は,日本社会におおきな害
悪をたれ流したのである。彼の精神構造には,意識的と無意識的とに
かかわらず,たちの悪い意図が宿っている。

               【3】 

 石原都知事は,「第三国人」ということばの歴史的な意味を重々理
解していながら,しかも,公の場でつかえば差別的言辞になることも
承知のうえで,そのことば:「第三国人」を放っていた。

 もっともこの人は,自分の書いた文学書のなかで「第三国人」をつ
かってきており,〈文学的な感覚〉と〈政治家の感性〉とを弁別でき
ないまま,都知事になっても,両者をごたまぜにした口吻でものをい
ってきた。その軽佻浮薄たるや,この文学者の言動様式がいかに慎み
に欠き,かつ幼稚・短慮であったかを端的に教えてくれる。


 ■ 無教養・無知識・無学識に立脚する偏見と差別の意識

               【1】 

 このホームページは,ほかのページで石原慎太郎がヒトラーと多少
似ている事実を分析した。

 ヒトラーが人種・民族差別主義者であり,ユダヤ民族などを大量に
虐殺してきた歴史の背景には,その原因になによりも,他者蔑視・劣
等視と,自民族に対する優越観・選民視があった。

 石原慎太郎はいくらなんでも,そのていどの歴史・人文科学的な知
識はもちあわせているものと考えたい。それでも,如上に紹介したよ
うな,偏見・差別に満ちた発言を,公的な場で恥じらいもなく堂々と
披瀝するという現象を許しているだけでなく,そうした言動にろくに
批判もできない日本社会は,いま異常な事態にある。

 それだけではない。りっぱな新聞紙や論壇誌が,そうした石原慎太
郎の発言を,雑誌が売れる=大衆にうけるからという理由・事情で,
なんのためらいもなく掲載しつづけている。社会の木鐸がその本来の
役割をマヒさせている。このことに無頓着なのである。この点も筆者
は,べつのページで指摘している。

               【2】 

 石原慎太郎の論法は,かつて欧米諸国がわに顕著であった,またい
までも彼らの精神の奥底では完全に払拭できていない,黄色人種・黒
色人種に対する偏見・差別の観念・精神を,いわば裏がえしにしたも
の,つまりその日本版:慎ちゃん流のジャバニーズ・バージョンであ
る。

 石原のもののいいかたでいけば,欧米白人種たちから「日本人は刀
で人を刺して殺すことが多い野蛮な黄色人種・民族だ」と,差別的な
決めつけでいわれても,なんら反論できない。

 なぜかって? 石原慎太郎にいわせると,それはね,「日本人の精
神性,文化のコアにあるDNAに触れてくる問題なんでね!」

 なによりも,日本社会のなかでは,「顔の皮を剥ぐ」たぐいの無残
・残虐な犯罪は,過去において一度もなかった,皆無だったと確言で
きるか。日本にはこの国なりにまた残虐な犯罪史があり,最近は,中
国流儀の凶悪な犯罪もくわわったということである。石原のいいかた
を聞いていると,日本社会においては日本人・日本民族による凶悪犯
罪がなかったかのようである。


 ■ 事実の認識とは無縁の扇動的な発言

               【1】 

 たしかに,外国人による凶悪犯罪は,絶対数でみればいままでより
〔20年まえに比較して〕日本社会で増加している。だが,日本にきた
外国人たちの犯す犯罪,とくに凶悪なそれ〔殺人・強盗・放火など〕
は,日本人の犯罪〔病理〕集団との連繋があることに留意すべきであ
る。

 つまり,裏で外国人犯罪の手引きしたり,犯行に役立つ情報を提供
したり,あるいは,外国人といっしょに組んで犯罪行為に走る日本人
が増えているのである。

 21世紀にはいって日本経済は不景気をつづけ,そのため社会治安状
況も悪化せざるをえない時代である。犯罪も増加しているが,外国人
の犯罪がなくなれば,それですべての犯罪がなくなるというものでは
ない。

 日本人による各種犯罪が依然主要な勢力であって,そこに外国人犯
罪もくわわって,全体的に犯罪総数が増加している。警察庁の発行す
る『警察白書』をよく読めば,そのことはよく理解できる。白書の見
出しに踊っている「外国人犯罪の急激な増加」などという文句に惑わ
されてはならない。  


 日本人が仲間にいない窃盗団はどうしようもない。情報もはいらないし,行動半径も伸びない。それに,盗むものも現金だけで,通帳やカードはつかいこなせない。いまは,どのグループもほとんど通帳やカードをメインに狙っている……。だから,日本人のいないグループはどんどん淘汰されている。

 その彼らの弱点を補強する役割をにないはじめたのが,中国人犯罪者に協力するようになった日本人の存在だ。このことは,中国人犯罪者の行動半径を押しひろげ,犯罪を助長する。

 中国人犯罪 者の大胆さに地の利を備えた日本人の“目”がくわわり,それが島国を縦断しながら,いく先々の安寧を打ちやぶってきたことが事件から読みとれるのだ。これが,一般の日本人にとって脅威でないはずがない。

 日本人のもつ弱さとは,とくに取締りの現場に漂う「戦後問題」という漠たる引け目である。そして,もうひとつが日本人1人ひとりのカネのために平気で売るモラルハザードである。日本人の戸籍やパスポートを買う者がいれば,それを売る日本人も当然いる。

 儲け話をもちかけると,喜んで協力してくれる日本人が大半。バブルの狂乱を経て,ぜいたくを身に付けた日本人はカネに弱い。密航ビジネスに関しては,その需要はむしろ中国人より金欠の日本人に強いのである。

 犯罪者がとくに多くこの日本に集まり,犯罪ばかり目立つようになってしまったことには理由があるのではないか。その背景が,日本人の想像力の貧しさと外国に対する理解の欠如にあるように思えてならない。つまり,最近の問題は,一面では日本人みずからの“甘さ”が招いた〈人災〉だと考えるべきである。
 

 富坂 聰『潜入−在日中国人の犯罪−』文藝春秋,平成 13年5月,181頁,170頁,156頁,121頁,88頁,74-75頁。

 中国人犯罪者たちのターゲットは,明らかに同胞から日本人へとむかっている。

 現実はすでに,中国人の犯罪者たちから日本人が小遣いを稼ぐ構図ができあがりつつある。多くのピッキングや強盗事件では,日本人が見張りや運転手としてかかわり,デパートや高級レストランの従業員は顧客の個人情報を流したり,もっと積極的にスキミングとよばれるカード情報を盗んだりといった協力をする者までいる。

 最近では,客足の伸びない地方の旅館やホテルが,中国人の観光旅行客の需要をあてこんで,組織的に密入国に協力するといった動きもみられ,地方の都市に突然中国人が 急増する現象に,これまで,あまり外国人と馴染みのない地方の人々が面食らったとの話も聞く。すこしでも客を増やしたい業者の弱みを,みごとにピンポイントで狙っている。

 日本人は中国人よりも簡単に金で同胞を売る。最初,中国人は,日本人のことをもっとモラルの高い人々だと考えていた。だけど,その思いこみが実はまちがいだと気づいている。犯罪はぐっとやりやすくなった。
  

 富坂 聰「在日中国人凶悪犯罪白書」『文藝春秋』2001年10月,213頁,215頁。

               【2】 

 富坂の著作が指摘するのは,日本人・日本社会と中国人犯罪者との
連携関係である。この事実は,新来中国人の犯罪を外国人だけの問題
だと片づけるならば,事態の核心をはずした認識であることを意味す
る。問題は,日本社会の構造全体のもっと奥深くまで浸透している。

 犯罪現象としてめだつ,はでな犯行を大胆にする外国人=中国人憎
しではあるまいが,ともかく,外国人=中国人の犯罪がかくべつ問題
だといって,こちらの表面的にめだつことになった動向ばかりを大声
で非難するのが,石原流特有のデマ的発言である。

 石原の発言は,結果面における現象的出来事,しかもその表層しか
みえない作家都知事による定番の,偏見・差別観の発露である。彼は
けっして,問題の本質をよく観察,把握したうえで〈デマ〉を飛ばし
ているのではない。元来〈デマ〉なるものは,そんなものであろう。
問題の本質がみえている人間ならば,そのようなデマは飛ばせない。

 そうしたまちがった認識次元で,外国人犯罪の増加傾向を煽動的に
指摘する著作もある。たとえば,瀬戸弘幸著『外国人犯罪』(セント
ラル出版,平成12年6月)が,その類の図書である。

 同書の奥付は,この著者に『ヒトラー思想のススメ』という著作が
あるとしるしている。推してしるべし,というところである。


 ■ 偏見・差別の理不尽さ

               【1】
 
 なによりも「犯罪はDNAによるものだ」というふうに,犯罪の原
因を遺伝子情報のせいにするような非科学的な,倒錯した「論理にも
屁理屈にもなりえない暴論」は,まさしく,異人種・他民族を差別す
る行為をやみくもに合理化し正当化する考えかたであって,とうてい
許容しがたいものである。

 冒頭の指摘にあったごとく,そのような発言をする東京都知事を戴
いている都民,いや日本に住むすべての人々は,事態をいっそう深刻
にうけとめなければならない。

 石原慎太郎をこのまま都知事の椅子に座らせておいたならば,近い
うち,この人物に原因する重大な国際的トラブルが発生することを覚
悟しておくべきである。

 石原慎太郎による今回の発言:「日本人の精神性,文化のコアにあ
るDNAに触れてくる問題」に対して,筆者はいくつかの疑念を,つ
ぎに提起する。

 1) 日本人でも靖国神社とは縁のない人たちが大勢いるが,この人
たちは,「日本人の精神性,文化のコアにあるDNA」を欠如するこ
とになるが,それでなにか重大な問題でもあるのか。

 2) 「日本人の精神性,文化のコアにあるDNAに触れてくる問題」
は,普遍的でも絶対的でも固定的でもない,日本文化・伝統上のひと
つの問題にすぎない。それなのに,なにか歴史的に確固たる根拠があ
って,日本人の精神的文化の核心にそれが厳在するかのように表現し
ている。

 だが,それを科学的に証明することは可能か。都知事たる者が公に
披露する見解は,政治的・外交的な含意の点はさておき,極力まとも
な根拠や理由による裏づけが必要といえる。一知半解の思いつき的な
〔デタラメ〕発言は,控えるべきである。

 3) また石原は,「日本が失いつつあるもの」が「日本人の精神性,
文化のコアにあるDNAに触れてくる問題」であるかのように答えて
いたが〔冒頭インタビュー記事の中身〕,うしないつつあるDNA
「うしなってはいけない」ものと決めることのできる理由は,いった
いどのへんにあるのか,あるとすればそれはなんのためなのか,これ
はきちんと説明しておかねばならない点である。

 石原いわく,「人知を超えた合理性で割り切れないものに対する敬
意を欠いてしまった」日本人・日本民族に,いまさらなにを期待し,
またあらためて,なにを教説しようとするのか。

 人間1人ひとりが「どのような価値観をもつ」かは,その人ごとに
異なってよいものである。だから,石原のようにこの国:「日本人の
精神性,文化のコアにあるDNA」を,強制的に移植手術させるかの
ような,全体主義・絶対主義の思想は,根本的に許容できない。

               【2】 

 ここに,鈴木善次『日本の優生学−その思想と運動の軌跡−』(三
共出版,1983年)という書物がある。戦前の日本で,関連する学会が
くり出した見解のなかに,こういう文章がある。

 「優良なる素質を有する人口の増加を企図すること,是れ実に人種
衛生の究境の目的である」。

 石原がDNA:遺伝子問題をもち出して他国の異人種他民族をみる
目線は,どこにあるのか。

 それはまず,日本人が「優良なる素質を有する」民族であるのに,
新来中国人の侵入のためにそれが変質〔劣化?〕することををせまら
れている。いいかえれば,「日本人の精神性,文化のコアにあるDN
A」が崩壊の瀬戸際にある,と認識するところにむけられている。

 ここまで議論をして判明することは,石原「DNA」論は,日本民
族=「単一純粋民族」論の「情報化時代における〈新版〉」に相当す
ることである。したがって,発想の陳腐さにおいて両論は,甲乙つけ
がたいし,また面白みも欠いている。

 しかしそれにしても,石原のいうことは,基本的におかしい。

 彼は,日本文化の伝統だとか歴史は,雑種文化融合的に統合された
うえにできあがったものだという点を,自著のなかでも的確に記述し
ている。したがって,その雑種文化融合的な揺さぶりが再び,現代日
本の社会に現象・生起してきたことに異様なまで危機感を抱く理由が,
そもそも理解しがたいものである。

               【3】 

 最後に触れておきたいのは,政治面はさておき,経済面・文化面に
おいて在日韓国・朝鮮人がはたしてきたDNA情報〔という「もの」
があればの話だが〕は,石原慎太郎流の人種・民族観において,いか
に評価され位置づけられるのか,ということである。

 「日本人の精神性,文化のコアにあるDNA(!)に触れてくる問
題」におおきく貢献し,その変化・発展にすくなくない寄与を現在も
なしつつある在日する韓国・朝鮮人の存在を,石原はどのようにみて
いるか。歴史的なことばであった「第三国人」を,現在にもちだす神
経が,どだいおかしかったといえる。

 石原は,自分の祖先の血にインド人系がはいっていることを話して
いた。いまさら,外国の「地の血」がこの国にはいってきてはいけな
いとでもいうのか。とんでもない矛盾を平気で口にするのが,この人
の一大特性である。

               【4】 

 −−農村地帯だけでなく,配偶者〔とはいっても嫁〕不足のためア
ジア系の女性をめとった日本人男性が多くいる。国際交流の盛んな昨
今であるから,男女を問わず国際結婚〔この表現は日本語に独特のも
のである〕も増えている。当然のこと,そうした夫婦のあいだに生ま
れた子どもたち,いわゆるハーフ,ダブルもこれからの日本社会では
どんどん増えていく。

 最近における日本人の国際結婚率は,5%に近づきつつある。

 だからというべきか石原は,「日本人の精神性,文化のコアにある
DNA」を,ぜひ護りたいとでも主張するのだろうか。だが,この主
張は,石原自身の血筋を振りかえってみるとき,みごとに破綻,自家
撞着するほかない。また,歴史の現実のなかにおきてきた日本社会の
実態変化に即してみても,石原「DNA」論は,でっち上げ,架空の
議論でしかないことがわかる。

 石原のDNA「論」は,自分のイデオロギーを他人に押し売りする
ためのご都合主義的立論であって,そしてまた,無教養な素人談義の
域を出ない性質の主張でもある。


 「国際結婚」の今昔など

               【1】 

 ここで,国際結婚の話が出たついでに,戦前における国際結婚の1
形態であった「内鮮通婚」にふれておきたい。いうまでもなく,石原
DNA「論」に深く関連する歴史的な問題である。

 「内鮮」とは「日本」と「朝鮮」のことであり,日本人と朝鮮人の
婚姻を意味した。つづく段落で出てくることばだが,八紘一宇・一視
同仁の思想・理念をとなえた帝国主義日本の植民地政策が,日本人と
朝鮮人の通婚を奨励したのである。

 しかし,実際のところ,日本の敗戦などの経過もあって,とくに朝
鮮人を配偶者にえた日本人妻は,その後非常な苦労をなめさせられる
ことになった。

 最近における国際結婚はその件数を増やしている。

 厚生労働省は2001年9月現在で,1998年までの統計しか公表してい
ないが,1998年における日本「国籍」人の国際結婚率は,3.8% であ
る。筆者が,2001年には国際結婚率が5%に近づいていると推断した
のは,その後も,日本人の国際結婚が増加する傾向にあるからである。

 厚生労働省の統計資料が物語るのは,こういう点である。

 1980〔昭和55〕年ころより,国際結婚はその件数が急に上向きとな
った。バブル経済の破綻した1990年以降はなだらかになったものの,
増加傾向にかわりはなく,なお上昇しつつある。

               【2】 

 竹下修子『国際結婚の社会学』(学文社,2000年)は,1965年に
4,156件であった国際結婚数が 1998年に2万9,636件へと33年間で,
7.1倍になっており,しかも,1998年のそれが,  

 夫:日本人 × 妻:外国人の結婚は,20.8 倍
 妻:日本人 × 夫:外国人の結婚は, 2.4 倍

という対照的な倍率での増加であることを指摘する。

 そして竹下は,こう述べる。「日本人という単位」は,日本という
「国家」に属して「日本国籍」を有した者と解することができる。単
一民族国家であるという意識の強い日本において,「日本人」は肌や
髪の毛の色などの外見が同じで,日本語をつかい,同じ文化的背景を
もつ者と考えられているようである。

 つまり「日本人」と「外国人」とのあいだには,明らかに〈境界線〉
が存在している。しかしながら,今後さらなる情報化・国際化によっ
て,その境界線が塗りかえられていき,「内婚の規範性」が弱体化し
ていく可能性がある。

 石原慎太郎はだからこそ,「日本人の精神性,文化のコアにあるD
NA」を守護しなければならないとでもいいたいのだろう。だが,こ
の考えかたは,歴史の潮流のなかに自然につくられていく傾向を,個
人的にはどうしても認めなくないとする気分を,正直に告白するもの
といえる。

 話は男と女〔男と男,女と女でも同じだが〕に関するものである。
竹下にいわせれば,「教育的・職業的同類婚の傾向がみられるのは,
学校や職場で過ごす時間が一日の大半を占めているため,将来の配偶
者と近接する頻度が多いから」,という事情がある。

 つまるところ,国際交流のすすんでいる日本社会では,外国人たち
と付き合う機会が増え,必然的に結婚にまでいたるケースも増えると
いうことである。この男女間の現象は,ごく自然ななりゆきである。

 以上,日本における国際結婚社会学のテーマを議論してみた。

               【3】 

 そこで思うに,唐突に「靖国参拝はDNAにかかわる問題だ」など
と,しったかぶりだけの非学術的な解説をのたまう石原慎太郎都知事
の,知覚神経あるいは宗教感覚が疑われる。

 なぜかというと,石原慎太郎流「優生学」的思想によれば,とくに
日本人の男性・女性とアジア系男性・女性との通婚は,日本人・日本
民族のDNA情報を根本的に変質させるものであり,歓迎できないこ
ととあいなるからである。
 
 けれども,そういう国際結婚の問題と靖国神社参拝の問題をむすび
つけるのは,途方もない牽強付会である。石原君の話を聞いていると,
そのような無理にこじつけた話を創作し,脱線した議論も展開しない
と,なにも議論がすすまないのだろう。

 ましてや,日本で生活する国際結婚した夫婦が靖国に参拝にいくか
どうか,こういう問題に対して,石原が容喙する余地などない。そん
なこと,どうでもいいじゃない。その人たちに任せておけば!


 ■ 戦前の民族理論学における偏見・差別

 
 敗戦後も活躍した社会学者小山栄三は,昭和16年8月に『民族と人
口の理論』(羽田書店)を公刊している。

 本書『民族と人口の理論』は,八紘一宇の思想をかかげ,一視同仁
の理念をとなえて植民地各国を支配した,帝国日本の本当の目的がど
こにあったかを論述する著作である。

 以下,該当の箇所,第4章「現下に於ける民族人口政策と体位向上
問題」第3節「戦争と人口政策」から,何カ所か引用する。

 1) 戦争経済体制下における民族人口不足の問題

 日本「民族人口の質を低下せしむる原因が外から来る。民族の混淆
現象がこれである。民族の滅亡……は民族結合の脆弱化,国家解体的
要素の増加,国家,社会,文化の均衡を攪乱する異質要素の混入およ
びそれによる社会構成の変化の発生にある」。

 「日本民族の大陸発展は必然的に異質民族との接触を伴ひ,混血現
象を附伴せしめる」。

 日本「内地自体に於いても戦時生産拡充のための労働力不足を補ふ
応急措置として,比較的下層な階級に属する朝鮮人の集団的内地移住
の簡素化は,その旱害とまった朝鮮人の内地流入を促し,その数百万
と概算される。日本の民族的・文化的純粋性を失ふことなくして彼等
を如何に同化せしめ得るか」。

 「日本人口の質的低下を防止するための国家的経綸が先づ樹立され
てゐなければならない。かゝる人口の質的低下が国防力,社会政策,
経済政策,保安,風紀に及ぼす影響を予め測定して,それに対応する
政策を今講じて置かなければ日本人口の民族生物学的没落の危機は早
晩せまって来るであらう」。

 「支那事変は事変の当初に予想せられた如き即決に了らず遂に持久
戦に移った」。

 「戦争の形態が持久戦となり,全体戦へと発展し,戦線も支那全土
から更に南洋に及ぶ広大な地域に拡大した今日,戦争の必要とする兵
員と労働力を充分に供給するための労働配置や,産業構成の再編成を
可能ならしめる最後の単位は実に民族人口の質量である」。

 2) 戦争遂行力と民族人口生産性の問題

 「人口の問題解決の重要にして緊急を要するのは,当面の単なる戦
時労働力の不足や兵員の充実といふやうな単なる人口資源の応急的な
課題の解決ではなくして,今後廿年以後,即ち将来の日本の国家的運
命を担ふ国民の消長に関する重大な問題だからである。如何にして人
口の現象を防止し,出産率を昂め得るか,これへの対策及び方法の問
題に関する解答の科学的指針が樹立されなくてはならない」。

 「いふまでもなく国家間の相剋において最後の勝利を規定する条件
が三つある。一つは民族人口の質量の問題であり,二は国家精神の問
題であり,三は労働力の組織の問題である」。

 「戦争にとって不可欠のものは最後に人間であり,人間の労働力で
ある。資材が重要であると云っても決して労働力の位置を資材がとっ
て代り,労働力即ち人間なしに済ませることは出来ない」。


 −−以上,1) 2) に対する筆者の論評をくわえておきたい。

 ◆ 「日鮮同祖論」的な融合体制の歴史

               【1】 

 1)は,戦時期までの日本帝国が戦争遂行体制のため極端な人員不足,
いいかえれば兵員の絶対的不足をきたし,太平洋戦争後期には朝鮮人
を兵士のみならず軍属にまで大量に動員した。それより早くからすで
に,朝鮮半島全体が日本の兵站基地とされ,物的資源はむろん,人的
資源も徹底的に動員されつくした。従軍慰安婦〔日本軍の性的奴隷〕
への女性駆りだしは,その戦争政策がきわまった最悪の動員形態であ
る。

 戦争中の日本は百万単位で軍隊を編成しなければならず,朝鮮人の
若者も志願兵を中心に日本軍に大勢送りこまねばならないほど,人員
不足に悩んだ。敗戦時,日本国外にいた軍人は,約360万人であった。
また1945年における日本人の平均寿命は,男 23.9歳,女 37.5歳であ
った。

 したがって,小山栄三の民族人口維持・発展理論に関する基本的要
請であった,「戦争の必要とする兵員と労働力を充分に供給するため
の労働配置や,産業構成の再編成を可能ならしめる最後の単位は実に
民族人口の質量」は,戦争の進行とともに確実に破綻しつつあった。

 しかも,小山「民族と人口の理論」は,「民族の混淆現象が,民族
の滅亡,民族結合の脆弱化,国家解体的要素の増加,国家,社会,文
化の均衡を攪乱する異質要素の混入,社会構成の変化の発生」を極度
に嫌っていたが,敗戦後日本の社会構造は,民族の混淆現象をバネに
しながらむしろ,発展してきたことを忘れてはならない。

               【2】 

 昭和20年代の日本社会に居残り,生きていかざるをえなくなった約
60万人の朝鮮人〔くわえて,その10分の1ほどの中国・台湾人〕たち
は,戦中までこの社会に巣くってきた偏見と差別に直面して生活して
いかざるをえなかった。

 当時,日本の民族的・文化的純粋性を失わずに「彼等」をいかに同
化させるか,日本人口の質的低下を防止するための〈国家的経綸〉が
再興されねばならなかった。そのために採られた方途は,在日する韓
国・朝鮮人に固有の民族性・文化伝統・歴史的遺産をいっさい認めな
い抑圧・同化政策であった。

 戦後,男ひでりとなった日本社会の実状であったから,日本人女性
が朝鮮人を配偶者にえらぶ事例も多く生じた。それで,日本民族が人
口構成上,脆弱化したとか滅亡の危機に瀕したという話は聞かない。

 むしろ,日本社会に新しい活力と躍動感を与える〈混淆〉現象だっ
たと評価できる。敗戦した日本国の占領軍コンプレックスを解消して
くれたのは,大相撲出身の朝鮮人レスラー,力道山の空手チョップで
あった。
 

 ◆ 民族人口論が対峙する現代日本社会

               【1】 

 ある民族・人種がとくに優れており,他の民族・人種が反対に劣っ
ていると決めつける観点は,異人種差別・他民族蔑視の典型である。
小山が「比較的下層な階級に属する朝鮮人の集団」と表現したものは,
経済的要素からする分類の方法にしたがったものである。それゆえ,
この経済的な基準をただちに人種や民族の特性に結合して,優劣論を
展開するのは,筋ちがいの論旨である。

 当時,人種だとか民族の範疇でみたばあい,日本人より朝鮮人のほ
うが平均身長が高かったが,これは小山「民族と人口の理論」で論断
すると,どのような関係に読みとればよいのか。身長の高低で民族や
人種の優劣を比較することに問題があるように,たまたま経済的に貧
しい人々が多い人種や民族を,自分たちより劣っているかのように決
定的に固着させるみかたが,もとより非学問的・反科学的である。

               【2】 

 2)の出産率の低下傾向は,最近の日本では著しくすすんでおり,そ
れこそ国家存亡の危機だと観察されるほどである。2050年ころまでに
は,日本の人口は一気に減少しだし,1億人をはるかに下まわってい
く予想である。ドイツやフランスなどは,アフリカ系やアジア系,そ
してスラブ系の人種・民族を国内にかかえて今後,立国を維持してい
かねばならないことを覚悟している。

 日本も近いうちにはじまる急激な人口減少に歯止めをかけるために
は,出産率〔出生率〕を上昇させうるような人口政策を急遽立ててお
く必要がある。ところが,現在のところ政府は,本格的な対策を立て
ようとする意欲どころか,その気配すら感じられない。

 この国は目先の利害ばかりに気をとられ,政治・経済の改革を先送
りしてきたそのツケが,いま一度に伸しかかっている状態である。

 なによりも「労働力すなわち人間なしに済ませることはできない」
のが,人間社会,いうなれば産業社会の実体であるからには,人間の
数そのものが減少しつづける日本社会の幸先はけっして明るくない。
今後,人的資源の供給・確保をいかにして図るか,重大な課題となっ
ている。

 小山は,まず民族人口の質量の問題,つぎに国家精神の問題,最後
労働力の組織の問題という3点を挙げていた。近いうちに,労働力の
質量を根底でささえている人口絶対数が減少しはじめる時代を迎える。
この傾向を食いとめることができなければ,あるいは適切な対処策を
講じることがなければ,国家精神も組織の問題も土台から成立しえな
くなる。

               【3】 

 さて,石原が必死になって,「日本人の精神性,文化のコアにある
DNAに触れる問題」を訴えるのは,民族人口の質量が顕著に減退し
つつある日本の現状を憂い,労働力の組織の問題もその出力が低調に
なることを恐れるからだ,というふうに観察できる。

 小山栄三は,「日本人口の民族生物学的没落の危機は早晩せまって
来る」と警告したが,この現象はすでに戦時中に一度おきており,経
験済みである。いまさら,日本民族の没落を叫ぶ必要があるほど事態
が深刻とは思えない。日本の歴史をかりに2千7百年近くあると想定
しても,そうした日本〔?〕人口の民族生物学的没落の危機は,すで
に何度かこの国を見舞っている。

 筆者は,1945年までもそうであった事実だが,21世紀の日本社会は
さらに国際化がすすみ,とくに人的交流面が活発になればなるほど,
日本人の精神・文化に内在するといわれる「DNAに触れる問題」
比重は,よりちいさくなるほかないものと観察する。

 むしろ,地球上で人々の行き来がこれだけ盛んとなった時代になっ
ているからには,みずからすすんで,日本のアイデンティティを新し
く創造する努力が期待されている,と考える。
 

 ◆ 靖国参拝問題とは無関係のDNA:遺伝情報「論」

               【1】 

 そのさい,過去の「DNAに触れる問題」にいつまでも拘泥するの
は,愚の骨頂である。靖国参拝の問題に「DNAに触れる問題」を 固
着させるのは,歴史の発展に棹さす愚劣な妄信である。ましてや,靖
国参拝にかかわる宗教・信仰の問題をもって,信条・思想の自由を縛
ろうとするのは,完全に倒錯した考えである。

 したがって,日本人なら靖国参拝は当たりまえだろう,というよう
な心情論だけを強弁するような人物は,もはや,この地球の地面のう
えで生きていく資格がない。

               【2】 

 あらためて,いっておく。DNAという情報内容は,変化し発展す
るものであり,同時にまた,劣化し衰退するものでもある。このDN
そのものをとらえて,オレのは優秀,オマエのは劣悪などと,予断
をもって判別する論理がまさしく,特定の人間・人種・民族をなんの
理由も根拠もなく差別し,貶めるものである。

 個々の人間,それぞれの人種,あるいは特定の民族によって,DN
Aの組成が異なり,特徴をもつことは,誰の責任でもないし,神様が
司った命運である。

 石原慎太郎はその意味で,正真正銘のレイシスト:人間〔人種・民
族〕差別主義者であり,自分という人間以外,すべての人間を蔑視し
てやまない精神構造の持ち主だといってよい。

 ここまでの記述をまとめると,石原慎太郎は人類の敵,人間の悪徳
を最大限に具現した人物である,と断定できる。


 ■ 世界のなかでの日本の座標軸

               【1】 

 日本はやはり島国の「DNA」をもっていると記述した,英 正道
『君は自分の国をつくれるか 憲法前文試案』(小学館,2001年)は,
この遺伝情報の同じコトバに言及しても,石原とは全然異なって,逆
方向に論旨を提示する。

 1) 日本は単一民族ではない

 日本人は混合民族である。有史以前からこの日本列島には海外から
の人の流入がつづいている。アジア大陸の東のゆきづまりに位置する
地勢から,渡来した人たちはこの地にとどまった。

 日本は,長い鎖国時代もあり,人を海外に送りだすというよりも,
うけいれる国であった。また,相当数の移民をアメリカや中南米諸国
に送りだすようになったのは,交通手段が発達した20世紀にはいって
からである。

 日本人の混合民族性は,南方系,中国沿岸部系,朝鮮系,先住の民
族であるアイヌ民族などさまざまな人々が,長い歴史のなかで混ざり
あって形成されたものである。

 日本社会のなかで最大の民族集団は,70万以上に上ぼる韓国・朝鮮
人の存在である。しかし,そのほとんどがアジア系の諸民族の流入だ
ったことと,流入が古くから断続的におこっているために,日本人は
同質の民族と思っているだけである。

 多くの外来民族があったなによりの証拠は,日本人の顔には非常に
多様性があることである。

 2) 血統の固執には限界

 21世紀の日本は人種的にも文化的にもいっそうの多様性をもつよう
になるだろう。いまのような少子化がつづけば,いずれ日本社会は労
働力不足に見舞われることは必至である。日本が今後どのような入国
政策・帰化政策をとるかは現時点では予測できない。

 しかし,日本に魅力がある経済機構が存在し,かつ労働力が不足す
れば,合法的かつ不合法的であるかのちがいはあるが,外国からの人
の日本への流入は避けがたい。

 国籍付与について日本は血統主義を採っているが,今後は出生地主
義をどこまでとりいれるかがおおきな問題である。血統への固執は,
今後日本社会にいろいろな矛盾を生みだすだろう。

 3) 血による入国差別は問題

 1990年改正「出入国管理及び難民認定法」は,日本の労働力不足を
おぎなうための特別措置として,かつて移民として海外にわたった日
本国民の子孫に「定住」という特別在留資格を認めた。「日本人の血
がはいった」これらの定住者には,3年間の滞在期間が認められてい
るが,実際に日本人と結婚して実質的に永住する者がすくなくない。

 日本人の血がわずかでもはいっていれば,日本文化とまったく無縁
でも入国を許す反面,日本に根を下ろした外国人に永住,同化の機会
を与えないというのは,あまりにも不合理である。とくに,血によっ
て異なるとりあつかいをするのは,明らかに人種にもとづく政策であ
り,許容されうべきものではない。

               【2】

 以上,英 正道『君は自分の国をつくれるか 憲法前文試案』の論
及は,石原慎太郎の「DNA」論がいかに現実的根拠を欠いたもので
あるかを説明している。血のつながりが媒介になれば,なんでも身内
という意識・判断がおかしい。

 一般に国際感覚と表現されるものは,国際的な人と人との交流の場
をとおして,〈血〉だとか〈地〉だとかいう契機をはるかに超越して
生まれ,どんどんつくられていくのである。

 ナチスドイツのヒトラーがやったことに,こういうことがある。ド
イツの優秀なゲルマン民族を優生学的に維持,発展させるために,つ
ぎのような事件をおこした。

 すなわち,第2次大戦中,戦局がまだドイツに優勢であったころ,
占領地域それもとくにドイツからみて東方地域で,戦争のために親を
うしなった子どもたちのなかから,金髪・碧眼で眉目秀麗,身心とも
に健康,体格のりっぱな者だけをえらんでドイツ国内につれ帰り,ド
イツ人の各家庭に養子に預け育ててきた。

 ドイツ戦敗のあと,そうした子どもたちを母国に帰還させようと図
ったが,当然,いろいろな困難を生じさせる結末となった。

 ドイツナチスはゲルマン民族の人種的優秀性を,石原流の話しかた
でいえば,「DNA」のご都合主義的な密輸入をおこなったことにな
る。この行為は,遺伝情報のすりかえ的な捏造であった。

 ドイツナチズムにおける民族論に関しては,科学性・学問性に種々
の問題=欺瞞があることは言及するまでもない。

 結局,日本人や日本民族の問題に「DNA」だからという用語をも
ちだすにしても,英 正道と石原慎太郎とでは雲泥の差がある。

               【3】

 もうひとつここで,引照しておきたい文献がある。梁 禮先・矢野
一彌『満州鎮魂−引き揚げからみる戦中・戦後−』(インパクト出版,
2001年)は,こういう。

 「国民優生法までつくり,『国民資質の向上』を図っていた日本政
府にとって,『中国残留婦人』や『中国残留孤児』の存在は,好まざ
る存在であった」。

 日本人・日本民族にとって大切だとされた「DNA」を 血統的・遺
伝的に所有・保持していた人々が,日本の敗戦を機にいとも簡単に,
侵略した異国の地におきざりにされた。

 旧日本帝国という国家とその為政者は,その「DNA」の優生学的
な優秀性・卓越性・重要性を声高にとなえてきた。

 だからかつて,残留婦人・孤児を大勢発生させることになった中国
東北地域に傀儡国家《満州国》をつくってからは,指導民族の地位に
立つべき日本人をたくさん送りこんだのである。

 けれども,その勇ましい標語とはうらはらに,状況の変化によって
急に都合をかえる国家の態度は,自国民といえでも簡単に棄民すると
いう残酷さをしめした。これは,支配者に特有の身勝手さからおきた
惨事である。

 さて,敗戦後だいぶ時が経過したが「DNA」のつながりを大事に
されて,なんとか日本に引き揚げてきた日本人中国残留者たちは,日
本に「帰国する」直前までは完全に中国人=中国の伝統・文化になじ
んできた人々である。

 したがって,日本に帰国後生活をはじめた彼らにとって,この国の
伝統・文化・風習などは,ほとんどはじめて対面するものばかりであ
った。それゆえ彼らは,「自分たちの歴史=いままで」と「日本帰国
後のこれから」とを,どのように折りあわせて生きていくかという難
題に遭遇することになった。

 中国から帰国した残留者日本人〔たち〕の,その後における生活実
態を観察〔追跡調査〕すればわかるように,彼らに固有であった日本
人・日本民族としての「DNA」は,石原の口からいわれるほどには
配慮も尊重もされていない。

 ましてや,彼らの配偶者や子孫に「他国」の「DNA」 がかかわり,
混合〔混血〕したなれば,彼らをみる眼もかわってくるらしいのであ
る。

 「満州国」という傀儡国家のなかでこそ尊重された日本人・日本民
族の「DNA」は,この国の侵略性と不可分であって,生物遺伝学的
にもとくべつな意味合いをもたされていた。

 靖国神社に参拝すべきことは,日本人・日本民族の「DNA」に触
れる日本人の「精神性,文化のコアにある問題」だという,わかった
ようでまったくわからぬ〈生半可なイデオロギー〉を開陳したのが,
石原慎太郎である。この思念には彼一流の「稚気と狂気」が発現して
いる。

               【4】 

 靖国神社は「戦争神社」である。この“ war shrine ”は,旧日本
帝国の侵略路線のために役立つ軍人を,宗教精神的に育成させること
をねらった施設であった。だから,こういう批判が出てくる。  


 大勢の日本人が,日本国の勝利のために異国の地満州で犠牲になった。その犠牲は現在日本でどのように生かされているだ ろうか。

 一般の日本人を切り捨てて,逃げた軍人は,シベリアなどで抑留中に死んだり,避難のさいの行方不明などもふくめて,戦没者として国の報償をうけている。

 しかし,一般の日本人男性などは,自分の妻子を切りすてながらも,遊撃隊になって終戦後もなお戦い,大勢が死んだ。また,その戦いを有利にみちびくため命惜しまず死 んでいった婦人たちや,殺された子どもたちなどに,国の補償はなにもない。

 それだけでなく,その屍すら,異国の地に捨てられたまま,山野にいまも風とともにさまよっているにちがいない。

 日本の人々に,このままでいいのか,と心から聞きたい。
 

  梁 禮先・矢野一彌『満州鎮魂』インパクト出版,2001年,111頁。

 上記枠組の後半部分に論及されている人々=日本人たちは,靖国神
社に合祀されていない。この事実に示唆される靖国神社の性格に,日
本人・日本民族の「DNA」云々をいって関連づける石原慎太郎の発
想は,異常をとおりこして狂気の次元にまでかぎりなく接近するもの
である。

 すなわち,靖国参拝にさいして問題となる日本人・日本民族の「
NA」は,「日本人の精神性,文化のコアにあるDNAに触れてくる
問題」だけでよく,戦争神社の本質に都合の悪いDNA」は,捨て
おかれてかまわない,というのである。

               【5】 

 前掲,梁 禮先・矢野一彌『満州鎮魂』は,敗戦直後の日本でおき
たある出来事を,こう言及していた。

 日本は,1940年に国民優生法をつくっている。第1条には,

 「本法は悪質なる遺伝性の素質を有する者の増加を防遏すると共に
健全なる素質を有する者の増加を図り以て国民素質の向上を期するこ
とを目的とす」とある。

 敗戦後,中国・満州・朝鮮方面から引揚げてきた民間人,とくに命
からがら日本に帰国してきた女性たちのなかで,引揚げと同時に堕胎
手術をうけた者が多数出た。

 それは,「戦後の物資も人手も足りないこの時期に,これほど徹底
して,中国人やソ連兵の子どもを宿して引揚げてくる女性たちに堕胎
手術をほどこそうとした背景には,異民族の血を恐れ,排除しようと
する国家的な意思が感じられてならない」。

 −−このページの冒頭でふれた点,石原慎太郎の「日本人の精神性,
文化のコアにあるDNAに触れてくる問題」という発想は,そうした
国家的な意思を反映したものである。

 前述に参照した社会学者,小山栄三『民族と人口の理論』昭和16年
も,こういっていたではないか。

  ★「戦争遂 行力と民族人口生産性の問題」は,

  ・ひとつは,民族人口の 質量の問題であり,

  ・ふたつは,国家精神の問題であり,

  ・みっつは,労働力の組 織の問題である。

 しかし,時代の流れは現 に,おおきくさまがわりしている。


 ■ 本ページの 結 論

 1) 石原慎太郎「DNA」固執論は,自身の血統的出自に鑑みても
自家撞着である。

 2) 戦争神社=靖国神社参拝に,「DNA」はなにも関係がない。

 3) 石原の遺伝情報学に関する知識は,実質なにもなく,生かじり
のいい加減な,常識にも達しない断片,かつ茫漠なものである。


 ■ 9月における石原慎太郎発言を評する

 石原慎太郎は,2001年9月にはいってさらに,つぎのような発言を
放っている。  

 
 ワシントンで石原都知事が痛烈批判:「中国,唯一の帝国主義

  【ワシントン清宮克良】   訪米中の石原慎太郎・東京都知事は10日,ワシントン市内で講演し,「現在の中国は軍事力を背景にした唯一の帝国主義だ」と痛烈な中国批判をおこなった。

 知事は「尖閣諸島を中国が領有すればアジアは壊滅的な状況になる」として,東シナ海などで日本は独自防衛力を高めるべきだと主張し,米国には日米安保条約にもとづく協力を求めた。

 石原知事は米経済の一極支配構造について「日本は米国の金融奴隷じゃない」と非難し,米国も批判した。
 

 『毎日新聞』2001年9月11日夕刊。

 この石原発言に対して, 中国がわ当局は,以下のようにあしらって
いた。 


 都知事の「帝国主義発言」:中国「論評に値しない」 

 【北京・浦松丈二】 中国外務省の朱邦造報道局長は11日,石原慎太郎・東京都知事がワシントンで「中国は軍事力を背景にした唯一の帝国主義だ」と発言したことについて,

 「彼の反中国的な立場は一貫しており,絶えずでたらめな発言をしている。論評に値しない」とコメントした。 

 朱局長は外国人記者の質問に答えて「中国は平和と発展のために努力しており,彼の主張は事実と一致しない」と反論した。 
 

 『毎日新聞』2001年9月12日朝刊。
 
 2001年9月11日〔現地時間〕朝9時ごろ,アメリカのニューヨーク
・マンハッタン島南部に建っている世界貿易センタービル2棟に,イ
スラム原理主義者の仕業と推測されるハイジャック旅客機2機の突入
事件などがおきた。このテロリズムによる犠牲者数は5千人以上とみ
られ,大惨事となった。

 その後の報道によれば,今回テロ事件の犠牲者数総計は6807人であ
る。しかし,ニューヨークの現場から遺体が回収されたのは 241人で,
不明者が6333人。不明者が急増したのは「各国政府から不明者の通報
がまとまって寄せられたため」と市長は説明した。死者 241人のうち
身元が判明したのは 170人で,負傷者は6291人にのぼった。

 さらに,その後判明した今回テロ事件による行方不明者数は,6347
人が5960人に下方修正されている。減少した人数は,外国からの問い
あわせにさいして生じた名簿の重複分である。

 同上の行方不明者は,9月30日:5219人,10月3日:4986人,10日
:4815人〔同日で死亡確認者は 422人〕と減少した。いずれも主に,
重複した人数が判明したことによる変化である。

 11月22日の新聞報道は,世界貿易センタービルなどに対する同時多
発テロの犠牲者は,ペンシルベニアに墜落した旅客機の死者44名と合
わせ,5千数百人といわれてきたが,これがすくなくとも4千百人台
まで落ちることになる,といっていた。

 11月24日の新聞報道は,世界貿易センタービルなどに対する同時多
発テロの犠牲者の人数を,3682人まで下方修正した。これで,国防総
省の死者189人,ペンシルベニアに墜落した旅客機の死者44名をふくめ
て,犠牲者の総数は,3915人に修正された。

 なお,同上の数字はさらに下方修正される可能性もある。ニューヨ
ーク・タイムズ紙やAP通信は,世界貿易センタービルでの死者・行
方不明者は,2700〜2950人と独自集計している。さらに,ニューヨー
ク市長のジュリアーニ氏も,その数が減る可能性があると語っている。

 2002年5月末になって,破壊された世界貿易センタービルのあと片
づけが終了した。まだ1700人以上の人々の遺体確認できていない。

 2002年8月15日,ニューヨーク市当局は,世界貿易センタービルに
旅客機が激突したテロ事件の犠牲者名簿から,4人の名前を削除した
ことを明らかにした。これにより,犠牲者数は計2819人となった。

 −−アメリカ滞在中にちょうど,この事件に遭遇した石原は,以下
のように述べた。 


 あれは戦争。報復は当然」:石原都知事

 ワシントンを訪れていた東京都の石原慎太郎知事は14日夜に帰国し,成田空港内で記者会見した。

 米滞在中におきた同時多発テロ事件に関し,米国の報復については「当然」とし,「まったくかかわりのない民間人が数千人も死んで,これを戦争とうけとらないほうが よっぽどぼけている。国民の代表の国会議員の99%が報復すべきだといっており,アメリカ人の気質を考えたら,殴られたら殴りかえすでしょう」と語った。

 また「事件の直後に,ホワイトハウスの要人は避難していた。機動的な危機管理体制は,都を預かる人間として勉強になった」と述べ,「日本の法律はすべて古い。治安問 題がおき,都が被害をうけてからでは遅い」と有事に対応できる日本の法整備を訴えた。 
 

 『朝日新聞』2001年9月15日朝刊。




               【1】

 「殴られたら殴りかえせ」という理屈は,いちおう,「目には目を
・歯には歯を」というハンムラビ法典の考えを,石原も採ることを意
味する。

 イスラム原理主義支持者による今回の同時多発テロ事件は,5千人
以上の犠牲者を出している。そのなかには恐らく,イスラム教徒もふ
くまれている。このことを考えても,「殴られたら殴りかえせ」とい
うけんか腰の姿勢をもってしては,問題の根本的な解決はとうてい不
可能である。

 冷戦時代終結後のアメリカは,世界のなかで一大強国となっており,
地球全体を警備し治安維持する警察本部のつもりでいる。ブッシュ大
統領は,善と悪,自由と束縛,文明と非文明,キリスト教とイスラム
教の対立であるかのように煽りかねない口調で,犯行者を非難してい
る。

 一方,アメリカ軍などの報復攻撃の目標となりそうなアフガニスタ
ン在住のイスラム勢力は,自分たちの戦いを「聖戦:ジハード」と称
している。

               【2】

 −−テロ対策・有事対応に対する日本政府の準備体制は,「もぬけ
の殻」的な実体である。憲法上の制約から日本は,今回アメリカが戦
争行為とかわらぬ軍事的報復をおこなうに当たって,すでに施行され
ているガイドライン法があっても,アメリカ軍の行動を直接に助ける
わけにいかない。

 プーチンさん指導する〈新生国家ロシア〉は,アフガニスタン(後
述)を大の苦手とする。ということで早めに,テロリストの征伐はア
メリカさんの実力=軍事力で十分可能だなどとお世辞をいって,ブッ
シュ大統領の手助けはせず,「テロリズム非難」のリップサービスだ
けでお茶をにごしている。

 湾岸戦争のときのように,日本は金だけ出すことになるのか。それ
とも,海上自衛隊の軍艦〔自衛艦!〕や陸上自衛隊の将兵〔自衛官!〕
を,どこかに派遣・派兵するのか。ガイドライン法における周辺地域
の解釈が問題となる。

 アメリカ議会はすでに,犯人とみられるイスラム原理主義者と,彼
らをかくまっている国家〔アフガニスタンを現在実効支配しているタ
リバン〕に対して報復攻撃をかけるために,日本円にして6兆円に相
当する特別予算を確保し,また湾岸戦争以来となる予備役兵動員を5
万人にかけた。

               【3】

 石原は,「日本の法律はすべて古い。治安問題がおき,都が被害を
うけてからでは遅い」という。だが,今回テロの被害都市の首長であ
るニューヨーク市長のジュリアーニ氏(共和党)は必ずしも,石原都
知事のような発想・言動と同じでない。

 もちろん。今回のテロ事件発生のあと,州兵が出動している。日本
のばあいだとしたら,自衛隊が当然出てくるし,そのまえに警察庁の
機動隊の出動もあるだろう。

 石原はさらに,「事件の直後に,ホワイトハウスの要人は避難して
いた。機動的な危機管理体制は,都を預かる人間として勉強になった」
といっている。

 だが,都庁最高責任者の地位とアメリカ大統領のそれとが,どうし
て〔いつも〕いきなり融合し,同一化してしまうのか不思議である。
危機管理体制の構築問題とは異質の論点が,そこでは混同されている。

 この人はまちがいなく,東京都知事イコール日本国総理大臣と錯覚
している。

 もちろん,大都市東京のことであるから,大災害時の治安対策は非
常に重要である。しかし,なによりも第1に優先されるべき任務は,
人命救助であり,消防庁を中心とするレスキュー部隊の活躍が期待さ
れる。

 不幸にも大東京やその近辺に大災害がおきたとき,日本という国全
体の保全のために指揮をとるのは,内閣総理大臣の〔現在であれば〕
小泉首相であって,石原都知事ではない。そのさいむろん,国と都の
協力・調整・連係は,必須条件である。

               【4】

 石原君,あいかわらず勇ましいことばかりブチ上げるのはいいのだ
が,2001年6月26日に1年が経過した三宅島噴火災害の関連では,全
島の人々が東京都などに避難している最中,7月になってわかったこ
とがある。

 それは,島民が避難しているあいだに,「民家や商店計29軒が何者
かに侵入され,現金や物品合わせて約 220万円相当が盗まれていたこ
と」が,7月13日に判明したことである。これは,島民が「避難中の
どさくさに紛れた犯行か,島に渡ってきた者による犯行の可能性もあ
る」と指摘されている。

 そこで,石原知事にいいたい。

 自然災害のせいで全島民が避難中の三宅島,こういう無人孤島状態
の場所にわざわざ出没したコソ泥〔空き巣・窃盗〕の被害を,予知も
予防もできないどころか,その犯人の検挙すらおぼつかない状況であ
る。自分が管轄する地域の足元に発生するそうした現実的な課題にい
かに対処するか,むしろ,こちらのほうが先決ではないのか。

 そういえば,三宅島が噴火しているときに,小笠原にいってスキュ
ーバーダイビングしていたのは, 誰でしたっけ。

 そうでありながら,東京都に大災害発生時には「治安問題がおき,
被害をうけてからでは〔対策が〕遅い」から,「有事に対応できる日
本の法整備を訴えた」などという。そのまえに,都知事としてやるべ
きことがたくさんあるのではないか。

 さて,みなさん,どう思います?


 ■ 新しい差別のことばとしての“DNA”

               【1】

 2001年9月11日, イスラム原理主義者たちによる同時多発テロで,
世界貿易センタービルが崩壊するという悲惨な事件が発生したが,こ
の光景をみたパレスティナの子どもたちが喜ぶニュース映像を引きあ
いに出して,アメリカのある大学内のクラス討論会では,こういう意
見=極論が聞かれたという(『朝日新聞』2001年9月26日朝刊,竹信
三恵子「記者は考える:多様性に敏感な目養うとき」)

 「こんな人々は遺伝子から改造すべきだ」

 この意見は,人種上の差別や民族的な偏見にかかわっていままで,
多くの人々が意識的に努力を重ねつつ,営々と積みあげてきた「表現
方法の洗練化作業」を無に帰すものである。

 人間やその人格性,人種や民族といわれるものの個性・特徴,国家
や体制の問題などを,やみくもに「遺伝子:DNAというもの」と結
着させる独断は,根拠のない紋切り型であり,完全にまちがった思考
の方法である。

               【2】

 2000年4月,石原慎太郎が故意に悪意をこめてつかった「〔第〕三
国人」というコトバも,そうした紋切り型的な差別・偏見用語の典型
的用法の実例であった。もう一度このことを,想起しておきたい。

 なんでもないふつうのコトバが,特定の意味,それも他者をみくだ
したり,おとしめたりするために使われるようになるのは,どうして
か。

 それは,誰でもその心の奥底に秘めている無邪気だが邪悪な精神が,
自己抑制されずむきだしになったとき,浮上してくるものである。

 したがって,ふだんより意識的に十分注意していなければ,他者を
さいなめ傷つけることになるコトバが,誰の口からでも簡単に飛び出
してくる可能性があることに,敏感であってほしいものである。

              【3】

 フランス極右政党の党首ルペンは,人種差別的な移民政策,国籍法
の改正をとなえるが,
その手本は日本である。そのルペンも「民族的
DNA」をもちだして人種差別的な発言はしない。

 「石原新党」の旗揚げが以前より噂されているが,なぜか
極右の冠
はつかない。海外の極右には敏感でも,自己の政治体質には鈍感な日
本のメディア。なぜ,ルペンは極右で東京都知事は極右ではないのか
(『朝日新聞』2002年7月26日夕刊,亀和田武(作 家)「マガジン
ウオッチ,私も知りたい〈極右〉の線引き」)


 2002年7月,朝日新聞社の世論調査で,「日本の首相として誰が好
ましいか」という設問に対して,以前であれば人気の高かった前外務
大臣の田中真紀子と入れかわったのが,石原慎太郎東京都知事である。
第1位は現首相小泉純一郎,そして石原慎太郎が第2位。

 本当の気持では,大衆・庶民を小馬鹿にし,徹底的に愚民視する性
根の持ち主が「石原慎太郎」なのである。この卑劣・矮小なる人物の
「本質」がみぬけない「この国に蔓延する〈ミーハー的な
慎太郎支持
の精神構造
〉」の「革命的改変」が要求されている。

 石原慎太郎が日本の宰相になってごらんなさい。きっとこの日本を
おおきくかえてくれるはずである。ただし,大衆・庶民が痛い目に遭
わされることは,絶対に保証できる。これまで都知事としてのこして
きた行政の実績を観察すれば,一目瞭然である。

 石原慎太郎はけっして,大衆・庶民の味方でも応援団でもない。そ
の逆であって,「お山の大将」的に大衆・庶民を睥睨しているだけの
人物である。

              【4】

 戦前の日本が太平洋〔大東亜〕戦争に突入したときの首相は東條英
機だった。この男は能吏だが,愚物の側面も備えていた。石原慎太郎
は豪腕に映る男だが,わがままな暴君の才知に長けているだけの人間
である。

 日本の政界は深刻な人材不足である。とくに自民党がそうである。
一度,政権交替をさせ,民主党に政権をとらせたらどうであろうか。
結党時から民主党に居すわる旧政党の残滓みたいな連中はさておき,
なかには清新な人材が控えているようにみえないこともないのだが…
…。

 一国の宰相をみれば,その国における民主主義の状態がわかるとよ
くいわれるが,石原慎太郎君じゃねー。まあ,なんといわれるか?