原爆と原発の共通性を無視してきた日本原水爆被害者団体協議会の立場

 

  原爆と原発に共通する核問題に「核であることの違い」はなにもない,ところが原発のほうは「原子力の平和利用」だから,これにはとくに反対はしないと広言した,世にも不思議な日本被団協の基本姿勢では核を永久になくせない。「原爆だめ」と世界に叫ぶ人びとがなぜ,当然に「原発ダメ」といわないのか?

 

 ◆基本的な疑問◆ 「私たちは沈黙しない 世界最初の核被害 闘った米『2世』」『毎日新聞』2025年8月9日朝刊3面という記事の内容は,あくまで原爆にだけ関係した報道であったが,原発にはなにも関係ないなどといえるか?

 

 a) 核兵器として殺戮・破壊のために使用される核と,核発電として産業・民生に使用される核には,なんら基本の相違はない。こういった理解を踏まえてまず,つぎにかかげる記事を読んでほしい。

 

 この「私たちは沈黙しない 世界最初の核被害 闘った米『2世』」『毎日新聞』2025年8月9日朝刊3面の記事がとりあげた「核」の問題と,日本で8月の6日と9日にちなんで毎年,記憶に呼び戻される「核」の問題とのあいだに,根源的な相違性はない。むしろ,本来よりまったく同質の問題であった。

 

 

 

 この記事のなかで横書きに書かれている2行の白抜きの「見出しの文句:この内容」は,日本でも実際に起きていた。アメリカでは軍事用ゆえにこの記事のごとき問題が残された。日本では原子力エネルギーをえるために,かつてウラン鉱石採掘をしてきた地域では,民生用であったその作業の結果として核被害が起きていた。

 

  核被害が発生する舞台は軍事目的と民生目的を問わない。ここでは,もともと,こういう事情も絡んでいた事実も指摘しておく。世界で2050回以上おこなわれた核実験は,すべて先住民族の土地でおこなわれてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたといえます。

 

     広島・長崎を起点とすれば,65年間,核の被害を先住民族に押しつけ,核をもつ国が豊かになり,いまや私たちは,原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。

 

     それらすべては,先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって,それを使うことで回っています。つまり,先住民に被害を与えつづけている,私たちはいまや加害者の側に立っているということです。

 

    註記)「【資料】ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている-『被爆65周年原水爆禁止世界大会記録集』より抜粋・再編集」『原水禁』2011年6月10日,http://gensuikin.peace-forum.com/news/110610date.html

 

 原発は “Atoms for peace” として利用される「核のこと」だと説明されてきた。だが,それ以前に同時に, “Atoms for war” も意識しておかねばならず,こちらがなんといっても,原子力に関しては当初より意図された目的であった。この「事実」を,無視したり忘れたりしたら,「核の問題」を基本から理解することは,まず無理である

 

 b)「核」の問題のその根本からは,2つの大きな幹が出ていた。「原爆」と「原発」である。だからここではとりあえず,「原発」関連と「原爆」関連とからする議論を,それぞれ聞いてみよう。

 

 民生用の原発が大事故を起こした爆発の原因は核であったが,これに対して核兵器も「核」そのものも破壊力使用が問題となる。要は,このふたつの「核」の問題そのものは,「原爆」と「原発」のあいだに特別に垣根を設ける理由をなにも示しておらず,当たりまえにその原子力エネルギーとしての共通する特性を示唆していた。

 

 もっとも,「原爆」のほうは破壊目的のための核利用であるから,それなりにごく分かりやすい理屈(戦争目的)を控えさせている。それに対して,「原発」のほうは電力生産のための施設・装置であるから,爆発事故--過酷な重大で深刻な事故--を起こしたとなれば,その規模の程度や態様そのものからして,そもそも「原爆」の使用時とは顕著な差異を現出させる。

 

 c) とはいえ,基本の原理としては,一瞬に「核の爆発」をさせて兵器に利用する原爆と,割合と短時間にだが,確実に徐々に「原子炉内から熔融を発生させる事故」を起こす原発との違いは,具体的にいうと,「瞬間」(原爆の投下時に爆発)に対して,「数時間」で(通常の原発は熔融を起こし,徐々に自己破壊していく事故)といったふうな,違いとなって現象する。

 

 原発事故が発生したのちに炉心溶融が始まるまでの時間は,一般的に数十分から数時間程度とされている。PWR(加圧水型軽水炉)の場合は,炉心溶融開始までの時間は約19~22分と説明されているが,BWR(沸騰水型軽水炉)の場合も,いくらか遅めになることはあっても,何時間ももたないで熔融する。

 

 補記)以上の記述は,あえて「溶融」ではなく「熔融」を使用し,表現している。

 

 d) したがって,「原爆の使用」と「原発の利用」とは,実際に爆発を起こす方法じたいに関して,「瞬時に爆発させるのが本来の基本性能である原爆」と「1時間も経たずに熔融事故を起こす原発」との相違は,いちおうは明確に区別されるべき特徴となりうる。ところが,原発が大事故を起こしたときは当然,爆発する。1986年4月26日,旧ソ連邦のチェルノブイリ原発事故が大事故を起こし,当該の4号機は,一瞬にして大爆発した。

 

 以上,本ブログ筆者は「原爆≧原発」と,あえて図式的にわかりやすく表現したゆえんの問題点を,説明したつもりである。

 

   『毎日新聞』2025年8月6日夕刊1面は,「広島原爆の日」から「80年 核廃絶 総意に」という大きな活字の見出しを出していた。の意図したい気持ちは理解できなくはないけれども,「原発も事故を起こせば,即『原爆』になる事実」,いわば「蝉脱〔ゼンだつ〕する」さいに突発するほかない「非常かつ異様な危険性」が,まともに十全に配慮されていない。

 

 つまり,原発の大事故は「東電福島第1原発事故」の場合,4号機もその大破壊する寸前までいった時点においては,東日本全体が放射性物質によって広域に大汚染してしまう状況が発生しそうだ,という予想をせざるをえなくなってしまい,そうとうにまでせっぱつまったところで実は,まったくに不幸中の幸いとなる事態が偶然にも判明した。

  

 a) 事故発生時未稼働であったその4号機の核燃料は,使用済み核燃料プールに移動させ保管していた状態にあった。ところが,東日本大震災に付随して到来した大津波が襲来した当初,東電福島第1原発のこの4号機は,その使用済み核燃料を一時的に保管しておく「そのプールの水が抜けた状態になっていた」という,たいそう悲観的な状況が発生していた。

 

 ところが,どういうわけか偶然にも,その上方の位置にある装置のなかにたまたま溜めてあった大量の水が,大地震時の揺れに影響され,そのプールに落下・流入するという事態が生じたので,まことに運がよかったのだが,なんとかことなきをえた。要するに,この4号機は,定期検査中であって,しかも「発生した水素爆発」で損傷を受けたけれども,使用済み核燃料は冷却用に十分な水を湛えるプールに保管されていた状態が保持でき,大きな損傷は免れた。

 

 もしも,4号機の核燃料が原子炉内から核燃料プールに移動され一時保管されていた時,こちらの冷却用の水が全部漏れた状態のまま時間が経過していったら,これはもう大惨事になったはずである。そうなったら,東日本全体が高濃度の放射性物質汚染に見舞われるという「戦慄すべき東日本」の状態になることは必至であった。けれども,当時のそのなりゆきは,それこそこの国全体が「九死に一生をえた」がごとき僥倖を与えられたのである。

 

 b)「3・11」当時,日本国首相であった菅 直人は,『東電福島原発事故総理大臣として考えたこと』幻冬舎,2012年10月のなかで,こう回想する。

 

 4号炉の使用済み核燃料の水が残っていたのも幸運のひとつだ。定期点検作業の遅れで事故発生当時,原子炉本体が水が満たされており,この水がなんらかの理由でプールに流れこんだことによるとされている。

 

 註記)菅 直人『東電福島原発事故総理大臣として考えたこと』119頁。 

     

 当時,自己の直後に上空から観察したところ,水が抜けているはずだと恐れていた,その使用済み核燃料を一時保管しておくためのプールが,なんと水を湛えていた。思いがけなかった状況が,本当に本当の僥倖が当時の混乱した状況のなかで思いかけずに発生していた。この種の事実が,いまとなって忘れられてはいけない。

 

 補記)「福島第1原発の事故から日本を救ったのは菅 直人元総理ですよね?」と語り出したある人はが,本当に沈没しそうになっていた「3・11」直後における日本全体の原子力村的な腰抜けぶりを,当時における菅の言動にかぎっては,つぎのように褒めていた。

 

     当時1号炉と2号炉の状態が本当に危なくなった時に東電本社は,原発の社員の全員退避を本気で検討してたそうですが,そうなると最悪福島から半径5000kmに放射能が飛散して人が住めなく可能性があるので,菅 直人元総理は東電本社まで乗りこみ,

 

     「撤退なんて絶対にありえないぞ,撤退なんてしたら100%東電は潰れる! お前らが逃げようと思っても一生絶対に逃げられないからな!」と,弱腰の経営陣を恫喝し,危険で入れない場所の作業は,東電の60歳以上の社長や会長や経営陣と菅 直人元総理本人が,作業に当たって死ねば良いと啖呵を切りました。

 

     これがなければ,いまでも日本の東北と関東は人が住めない状態だった可能性も十分にあることと,日本が事態を収集できないから,米軍の管理下に置くことをアメリカ政府と在日米軍は検討していたそうです。

 

     あの時の菅 直人総理の行動は当時叩かれてましたが,結局,菅 直人元総理の東電経営陣に対する恫喝と,経営陣が死地にいくなら自分もいっしょに,死地で作業員としてもっとも線量が高い場所での長時間作業をおこなうという発言が,やっと東電本社を動かし日本を救ったということです。

 

    註記)『YAHOO!JAPAN 知恵袋』2023年3月25日 9:41,https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13277515603

  

 このように,いったん大事故を起こせば,とてつもない原発災害を惹起させるのが「原発」である。

 

 補注)なお,菅 直人の,当時におけるそうした行動に対しては毀誉褒貶がたいそうゆきかっていた。だが,それならば仮に,安倍晋三だったらどうなったかを想像してみればよい。おそらく,ただ腰を抜かすだけで,動けなくなっていたと推理しておく。

 

 c) 『日本経済新聞』2025年8月7日夕刊1面下に配置されているコラム欄「あすへの話題」は,「3人称のオッペンハイマー」と題する寄稿を掲載していた。

 

 日本原水爆被害者団体協議会の立場からだと,原爆の被爆者の話題がもっぱらになっているが,原発事故の被災者の話題と無縁ではありえまい。これは事実に関する話であって,想像の世界での想定話ではない。

 

 前段,東電福島第1原発事故によって発生した放射性物質汚染の拡散は,たまたま4号機が前段に説明した経緯をもって,この4号機も他機(全3基)の影響を受けてしまい,誘爆を起こしてはいたものの,使用済みであっても高度に放射性物質を含有する核燃料じたいが,冷却水の欠落のために熔融するという,もっとも憂慮すべき事態には至らなかった。

 

 なんといってもそれゆえ,2011年3月中旬段階で本当に,この日本は以後,国家として半身不随の状態に追いこまれる窮状を,逃れることができていた「事実経過」を忘れてはいけない。

 

 d) ところで,『毎日新聞』2025年8月7日夕刊の3面「写真特集」(この写真そのものは紹介しないが)に着けられた見出しが「長崎を永遠に最後の被爆地に」であった。

 

 しかし,現時点になっても,東電福島第1原発事故の被曝地として,いまだに高度に放射性物質に汚染されたままの「帰還困難地域」に相当する場所は,現在の長崎(そしてむろん広島)にはない。ここでは,80年の時間差があるのだから「単純な比較はするな」などといわれる以前に,その単純なるがゆえの〈質的相似性〉こそ,ここでの議論となれば注目されて当然である。

 

 片や,原爆投下によって生じた放射性物質の汚染状況,片や,原発事故によって生じた放射性物質の汚染状況。それらは,結果論でいえば,原因の違いなど問題外であった「同質の事態:核災害」を出現させた。

 

 e) 2025年8月7日に,6日の広島「原爆の日」を報道した『日本経済新聞』朝刊は核の「廃絶〔を〕社会の総意に」(39面)といい,また『毎日新聞』の同日朝刊はやはり「原爆の日」として,「核廃絶『市民の総意』に」と訴える見出しを出していた。しかも「各国の軍備増強に懸念」するという趣旨の記事でもあった。

 

 さて,原爆の核廃絶は,広島市や長崎市で被爆した人びとにだけかかわる問題ではなかった。同時にまた,原発の大事故で被曝した人びとの問題でもあったゆえ,両者を切り離して考えることはできるはずがない。

 

 核心の問題は,核爆弾であるか核発電であるかのその基底の共通項にのみある。双方の理化学的な技術原理は基本で同一である。ただ,兵器として超高性能の爆弾として使うか,それとも電力を獲得するために「核反応をゆっくり,緩慢に進行させて熱を取り出すか」の,いってみれば,ここでの関心で判断する場合ならば,その差は単なる「2次的な段差」に過ぎない。

 

 f) 「核の廃絶」を唱えるさいに,被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は原発に関して,アメリカ合衆国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が,1953年12月8日に「平和利用(平和のための原子力利用)」をニューヨークの国際連合総会でおこなった演説で提唱した事実に,注意を怠ってはなるまい。

 

 要は,原子力に対する考え方の問題となっていた。核の平和利用といったところで,当時における冷戦の真っ只中で核兵器開発を続けるために,平和利用を理由に原子力研究を正当化する目的があった,と説明されてもいる。

 

 それゆえ,日本原水爆被害者団体協議会の幹部たちがあらためて説明したように,平和利用目的である原発に関しては「その意図じたいについて,自会側からは特別に発言することはない,異議を申し立てることはない」という「基本理念とその姿勢」は,これ完全なる過ちであった。

 

 そうした「過ち」を基本とする「原発観」を21世紀のいままで,2011年3月11日には日本も原発の過酷事故を起こしてしまった「負の実績」があってもなのだが,被団協が原子力村体制に向かい,格別にはなんら注文(異論の意見や反対の立場)をつけないという発想は,根本から間違えている。

 

 繰り返すが,要するに「原爆≧原発」であった。この基本点をどういう理由があるのか,全然理解できない理解が,「原爆 ≠ 原発」という立場を,日本原水爆被害者団体協議会は,いままで堅持してきた。

 

 g) 「80回目広島原爆の日」に,広島市長松井一実は,「平和求め声紡ぐ」とか「被爆の実相を世界へ」という主旨の,あいさつをしていた。

 

 しかし,東電福島第1原発事故によって発生し,放散された放射性物質汚染によって,実はヒロシマやナガサキの市民たち被爆者たちと,基本的には核災害を同じく受けたかっこうとなり,その被曝者にされた人たち,あるいはそのせいで生活の場を奪われた人びとは,ともに核災害(核兵器と核発電)の被害者(犠牲者)なのである。

 

 にもかかわらず,日本原水爆被害者団体協議会は,東電福島第1原発事故によって発生した放射性物質汚染関連の被災者たちを,自分たちとはひとまず完全に別者だと,ずっと,いいつづけてきたことになる。そのようにしか解釈できない。

 

 以上のように説明に意味される理不尽あるいは不当性は,明々白々ではないか? この程度の理屈を,いままでないがしろにしてきたというか,無縁であったという事実に,もとから気づいていなかったような日本原水爆被害者団体協議会は,ノーベル平和賞を授賞されたところで,その意義は半減していた。

 

 h) 『毎日新聞』2025年8月6日夕刊の社会(7面)には「被曝80年痛み今も『つらい一生』家族3人奪われ」という見出しの記事が掲載されていたが,一方で,東電福島第1原発事故によって,それに似た被害を受けた人びとがいないわけではあるまい。こちらでも,「被爆」の次元にだけ留まってはいられない「被曝」の問題の有機的な混融が,理性的な認識として要請されていた。つまりは,歴史の時間を前後して,その種になる意味あいが汲みとられていて当然ではないか,ということになる。

 

 「原発の問題要因」のほうは,置いてけぼりでいいのか?

 

 結局,『毎日新聞』2025年8月6日朝刊9面は「〈きょう原爆の日〉核廃絶 行動の時」だと強調していた。けれども,その10面「オピニオン」「〈論点〉では「核使用のリスク高まる世界」に対して,「被爆者の訴えが抑止に」という意見を開陳した川野徳幸広島大学平和センター教授の考えを紹介していた。

 

 そうだとなれば,原発による「核汚染がリスクであり,現実に高進中である」この地球環境汚染が,さらに深まらないように努力することも,より切実な問題であった。世界にある核弾頭(推定1万2241発)が問題になるが,それとともに世界中にある原発の存在も,たいそうな危険要因ではなかったか? 

 

 原発事故としてレベル7の大事故が再び起きることなど「絶対にない」と断言できる者は,いない。今後,30年の間に南海トラフ地震が発生する確率は80%だという予測は,原発を全国に多数基抱えている日本にとっては,末恐ろしい現況ではないのか?

 

 i) 小括 「ノーモア 核の炎」(『毎日新聞』2025年8月10日朝刊1面冒頭記事の見出し)と強説するのであれば,なぜ,「ノーモア 原子炉の炎」といわないのか? まことに不可解でかつ摩訶不思議な,日本の原爆「被害国」における報道体制が,今日もまたつづくこの国であった。