その後の 石原 慎太郎 君 −2001年4月以降−
『その後の石原慎太郎君−2001年4月以降−』と題名を付けた本項は最初に,2001年4月24日おこなわれた自民党総裁選の結果,第20代総裁に小泉純一郎がえらばれたことに触れたい。2001年4月26日,小泉純一郎は国会で首相指名をうけ,第1次小泉内閣を発足させる。 田中真紀子から変人・奇人よばわりされた小泉純一郎は,その真紀子議員の強力な支援をうけて,自民党総裁戦に勝ちぬくことができた。一方で田中議員も「女変人」と称されている。 今回の自民党総裁選は,自民党内の最大派閥「橋本派」を,森〔喜朗〕派閥代表の小泉が打ちやぶったのであるが,これは注目すべき現象である。 派閥の論理がすべてを牛耳っていた日本における与党圏内=政治上の行動様式や倫理感覚もおおきく様がわりしたように映るが,この変化の兆候は,村落共同体的な政治結合体〈自民党〉の,最近における危機的状況を反映したものといえる。 小泉純一郎の自民党総裁→総理大臣就任が気になっている男の1人,それが石原慎太郎である。この4月で東京都知事就任3年めにはいったが,周囲の〈石原宰相〉期待論を心地よい気分で聞いてきたご当人にとって,変人奇人の小泉純一郎が首相になってしまっては,自分の存在がうすれていくようにも感じられるからである。 このところ,マスコミ・言論界では石原慎太郎を日本の首相にかつぎあげるのもいいじゃないか,という調子のものがかなりみられる。だが,こんな男を一国の宰相にしたら,それでなくともおかしてなっているこの国の政治・経済・社会などにさらに混乱をきたし,世界中に多大な迷惑をかけるだけでなく,とりかえしのつかない事態を巻きおこす可能性も否定できない。 もっとも,前段の指摘は,石原慎太郎が本当にそれだけの実力の持ち主であったならば,という仮定での話である。 1)「ガキ大将」−−いくら比喩だとはいっても,東京都の行政を担当する最高責任者が「自分をガキ大将」に譬えるのは,尋常ではない(『朝日新聞』2001年4月12日朝刊「2年の航跡−検証・石原都政−下」参照)。 2)「メディアは私の代理人」−−2000年4月「三国人」差別発言のさい,マスコミ・言論界だけでなく,在日外国人などからも批判をうけた石原は,そのように「差別的発言」だと報道した新聞記者が悪いと開きなおった。 自分の思いどおりに報道しなかった記者の責任で,石原があたかも差別の発言をしたかのようにうけとられる報道となった,といきり立って当該の記者を非難した。 「メディアは私:石原慎太郎の代理人。いい代理人と悪い代理人といるけど(笑)」(『朝日新聞』2001年4月21日朝刊)。 3)「石原に舐められたマスコミ関係者」−−石原都知事がいままでの首長とはすこし異なり,大衆迎合的な演技に長けているからといって,マスコミまで石原に迎合的に接することはないはずである。 4) 2001年6月3日午前10時台の某民放テレビ局は,石原慎太郎東京都知事と田中康夫長野県知事との交流模様を特番的に報道した。そのなかで,両人が会談する会場に取材で居合わせた記者団に退室してもらうさい,石原知事の記者たちに放ったもののいいかたが,とくにひどく悪かった。 要は,いきなり「出ていけ(出ろ)!」というふうに,どなっていた。 都知事のその乱暴な口のいいかた,そして,退室させられた記者たちがだまってそれにしたがう状況〔力関係〕をみせられて,これは,一方が完全に他方を舐めきった構図だと感じた。 だいたい,いうほうもいうほうであり,いわれるほうもいわれるほうである。 「そんな失礼なものいいかたをするな!」と,一言でも都知事の悪舌を諫める意見を吐ける石原番記者は,もういないかのようである。 なによりも,石原自身が大問題である。“noblesse oblege〔ノブレス・オブリージ:高い身分のともなう義務〕”とは無縁の,そのような調子に乗りすぎた悪ガキ的な態度は,彼一流の親分ぶった気取りでのつもりなのだろうが〔もっともそれが本性かもしれないが〕,まことに俗悪であり,かつ品格を欠いた非常に恥ずかしい言動である。 以上にかいまみた「石原の記者団に対する態度」は実は,「彼を都知事に選んだ人々に対する態度そのものである」ことも留意したい。 −−この段落は2001年8月関係の話である。 マスコミ関係者に対する横柄というか権柄ずくの石原慎太郎の態度をみせつけられたある東京都民は,新聞の投書欄にこういう意見を寄せた。
−−つぎの段落は2001年9月関係の話である。
もとにもどり,つづけて,つぎのことを述べたい。 「社会の木鐸」を任じなければならない報道関係が,石原慎太郎ていどのデマゴーグの本質を分析したり批判したりするのは,たやすいことである。それにもかかわらず,なんともたわいない,腰抜けの人士しか日本のマスコミ・言論界にはいないのか。 第1次世界大戦後のドイツに,ヒトラー率いるナチスが台頭してきた過程に似ている様子がないでもないが,1990年代以降いっこうに冴えない経済状況をつづけている日本社会にとって,ミニ・ミニ版ヒトラー」に相当する石原慎太郎を一国の指導者にかつぎあげるような世論づくりに加担することは,やめるべきである。百害あって一利なし。 それにこの男,非常に飽きっぽい。調子よくいっているとき〔いまがまさにそれ〕はよろしいが,いったん不調になると肝心の仕事を放擲しかねない。すでに指摘したごとく,国会議員時代25年間で,この人いったい,どんな仕事・貢献を日本全体にしたというのであろうか。とりたてて挙げるべき業績はない。 途中で空中分解した「青嵐会」の会員ではあったが……。 石原はそのへんの事情を「僕は愛想が尽きて自民党を辞めた」と説明していた(前掲『朝日新聞』2001年4月12日朝刊「2年の航跡 下」参照)。これは,自己にまつわる過去の不首尾:不出来を都合よく合理化したいいわけである。 ガキ大将の都知事になれてから,その過去=「国会議員時代」の不如意だった記憶を払拭したいがためか,はでにパーフォーマンスしようとするこの人物を「お値打ち以上に買いかぶる」のほどほどにしたい。 2001年4月26日に発足した小泉純一郎を総理大臣とする,「自‐公‐保」内閣に外務大臣として入閣した田中真紀子は,自民党総裁選で小泉を応援する最中に「小渕前首相お陀仏発言」をし,若干の物議をかもした(本項は,『朝日新聞』2001年4月26日朝刊「声」欄参照)。 真紀子議員のその発言はたしかにふまじめといえる面があるが,深い悪意が感じられない。ところが,もう1人の石原慎太郎は『文藝春秋』で,みのがしがたい一文を寄せている。 1960年10月12日の,浅沼稲次郎元社会党委員長が右翼少年に刺殺された事件について,安保反対・反米の言動を批判したのはよいとして,「こんな軽率浅はかな政治家はそのうち天誅が下るのではないかと密かに思っていたら,はたせるかなああしたことにあいなった」と書いている。 反対派とはいえ,野党の党首,国会議員が「ああしたこと」つまりテロの狂刃に倒れたのを,天が下した罰だと容認,共感しているのである。 次期〈宰相〉候補を自認,意欲しているらしい石原慎太郎は,このところ,世の中が自分に寄せている期待の高まりに自信満々のようすである。 しかし,日本に住む人間であれば誰でも警戒しなければならないのは,以上のような発言にも端的に表れているように,自身の意見や立場に和しない他者を「テロ」の犠牲にすることを当然視し,推奨するかのごとき発言を,平然とできる思考回路である。 異見の持ち主に平気で暴力をふるったり,生命を奪うことさえ当たりまえだとするこの人物:石原慎太郎〔こんな軽率浅はかな政治家〕はまさに,民主主義の破壊者,宿敵である。 石原慎太郎を熱心に支持した〔する〕人々に対してでも,いったん緩急のさいはただちに,その刃が返され向けられてくることを警告しておく。 この人の人生観:価値観は単純明快である。自分の気に食わない奴には,どんな仕打ちをくわえてもかまわぬ。すなわち,その人々に天誅が下るのを待つだけでなく,自分が成敗してもよいのだと考えている。それはまったく,暴力的な精神構造=テロの自認であり公認である。 最近,石原慎太郎みずから執筆する書物だけでなく,石原をヨイショする刊行物が多く公表されている。石原慎太郎の次男坊,石原良純は俳優タレントであるが,『石原家の人びと』(新潮社)を公刊している。 さて,同書を新聞書評欄で批評したノンフィクション作家吉田 司は,石原慎太郎という人間が前段で指摘したような資質,いいかえるなら,「手前勝手と独断的偏見・差別観に満ちあふれた人格を根っこにもつこと」を批判する。以下にそれを引用しよう(『朝日新聞』2001年4月22日朝刊)。 「逗子の海を一望する大邸宅に,裕次郎が〈日本に2台しかない〉 ベンツや,ピカピカのリンカーンに乗って遊びにくる。慎太郎は葉山マリーンからコンテッサV世号に乗って太平洋の国際ヨットレースに飛び出してゆく。庶民の暮らしからかけはなれたゴージャスな暮らしだが,子どもたちは慎太郎の〈スパルタ教育〉のもとでむしろ,声をひそめて育ったという」。 「戦前家父長的な〈強い父親〉を演じる慎太郎のまえでは,単なる“良いとこのボンボン”で暮らせなかった4人の子どもの,〈苦労させられました……〉というグチとボヤキのオンパレードが面白い」。 「そしてそれはそのまま,ひきこもりや家庭内暴力を続出させる現在の私たち《母子家庭》型社会=〈弱い父親〉像に与える,明快で,揶揄的な,警告のメッセージとなっている」。 「かくて慎太郎の高笑いばかり聞こえる1冊だが,しかしそうした強い父親像にたてつく,1人の“反逆児”も生まなかった石原家の従順な家風も考えものだ。だって筆者はもう39歳の大人だよ」。 「それが,サザエさんの『磯野家とウチは似ている……,昭和の家族だ』などと眠たい結論を書く。三国人発言や自衛隊パレードの先頭に立つ『磯野波平』なんて,現実にいるわけねえだろ,そんなやつ」。 −−吉田 司はそのように,石原家と磯野家〔石原慎太郎の家族像と日本に住む平均的家族像 (!?)〕とのあいだには,越えようにも越えられないおおきな,高い障壁があることを指摘する。庶民の生活感覚に無縁な人間たちが石原慎太郎およびその一家である。 「石原慎太郎」が家父長制家族型として専制的に取りしきってきた「石原家」を,庶民的かつ平凡でもある「磯野波平と磯野家」になぞらえるやりかたは,誤導的もはなはだしい。比喩としてもとんでもなく,真っ赤な嘘に類する修辞である。
読者のみなさん,ここまでいえばわかっていただけると思う。 もしも,石原慎太郎が日本の首相になったりしたら,国際・外交面において悶着や紛争を頻繁に惹起させるだけでなく,国内・行政面においては,国民や住民に対して独裁的,家父長的:専制的な圧政を敷こうとする。このことは,火をみるよりも明らかな点である。 前段の予測は,都庁の行政で実績を挙げているかのようにみえる彼の政治手法=手腕の振るいかたを観察すれば,一目瞭然である。 民主主義の手続によってえらばれた者だからといって,こんな人間に民主主義の基本・根幹を蹂躙させてはならない。われわれは,民主制下の愚者になってはならない。庶民の無意識的な怠惰が,独裁者に跳梁跋扈させるすきまを提供する。 そのすきまができたあかつきには,日本社会は,独裁者の思うつぼにはまる状況が生じる危険すらある。それでは,とりかえしのつかない不幸・混迷・騒乱を招来する。そうなればさらにまた,独裁者はそういう事態を悪用することを狙うにちがいない。 民主主義の確立と運営には,困難な要素が多い。この日本を石原慎太郎に任せれば,いまよりすこしはましな国にしてくれるかもしれない,などと淡い期待を抱くのは禁物である。こんなにわがままで,ファッショ的な独善者に政権を握らせたら,この国は破壊的に悪くなること必至である。 −−それにしても最近のマスコミ・言論界は,石原慎太郎の言動をきちんと批判できていない。へっぴり腰の報道・言説が多い。「社会の木鐸」たる斯業界が,みせかけの石原慎太郎人気に便乗するような報道姿勢では,このさきも思いやられる。 なにゆえ,石原慎太郎みたいに子どもっぽく,幼児性次元にとどまっている政治家を,真正面より的確に批評できないのか不思議である。 「日本は民主主義の国ではいちばん大事なジャーナリズムが甘いし,ぬるい。だからこうなる」(『論座』2001年7月号,〔大橋巨泉〕180頁)。 今回新しく誕生した小泉内閣は,石原慎太郎の長男坊で国会議員の石原伸晃を行革担当相に任命,入閣させた。息子が大臣になったというので,父親の慎太郎は手放しでの喜びようだった。みずからを「親馬鹿」と形容〔自称〕しつつ,ぜひこの政権が長続きしてほしいと,のたもうた。 石原慎太郎の言動を観察してきたが,だいぶ調子に乗りすぎている印象を避けえない。さきほど「石原慎太郎の高笑い」なる表現も出てていたけれども,日本の中央政治・地方行政において,石原家の家族たちがおおきな影響を〔多少〕発揮できる態勢となって鼻高々なのが,その家長=慎太郎である。 しかし,本当は,この御仁の品格・品性は民主主義の基本精神と無縁であった。浅沼稲次郎の刺殺事件を正当化する屁理屈や,民主主義など平然と踏みにじる姿勢・行動は,徹底的に指弾されなければならない。 1945年4月12日,アメリカのルーズベルト大統領が死んだ。たとえ交戦中の敵国首脳であっても,死んだとなれば形式的にでも哀悼の意を表するのが,最低限守るべき外交辞令である。当時〔昭和20年〕の日本の政府や報道機関は,ルーズベルトの死をどのように報じたか。 それにくらべて,浅沼稲次郎元社会党委員長のテロによる惨殺をあたかも,当然・必然の出来事といってのける石原慎太郎の神経は尋常ではない。それはまさに,テロリストの心情がいわしめた正直で残虐な発言である。 筆者はこう再言しておく。……そんな人物を日本の首相にしてごらんなさい。まずもって日本国民じたいの上に「どんな災厄が降りかかる」こととなるかわかりませんよ。 太平洋〔大東亜〕戦争中,日本の宰相だった東條英機は,軍の憲兵隊を手足につかって人々を過酷に弾圧した。もちろん,人を死に追いやる行為も平気でたくさんした。 いま,石原慎太郎という都知事は,ことばの暴力を駆使しつつ,自分の意にそぐわない人々を実際に排斥,抑圧している。在日外国人はとくにその現実に敏感であり,事態を深刻にうけとめている。 東京都の防災訓練に自衛隊を動員させ,得意になって装甲車にまたがる彼の姿をみて,小児性を感得したり,その粗暴・野卑な人格に眉をひそめたりするだけで済むわけがないのである。 前段の最後で触れた2000年9月東京都が実施の「都市直下型の大地震を想定した総合防災訓練」〈ビックレスキュー東京2000〉を,石原慎太郎は,田原総一朗との共著『勝つ日本』(文藝春秋,2000年12月)のなかで,こう回想,力説している。 「政府,警察・消防など国の関係機関は当然として,陸上,海上,航空の3軍が初めて訓練に参加し……,自衛隊は総勢7千百人,大勢の市民をふくめて全参加者は2万5千人という史上初めての画期的な防災訓練でした。この訓練のAAR(アフター・アクション・レコード)つまり総括を徹底しておこない,必らず次回につなげたい,私は日本はこういう特殊な軍事的能力をもったほうがいいと思う。そうすれば,対外的にも信頼される。日本にこれを頼めばパーフェクトな作業をしてくれるということを,国連軍のなかでしめしておくことはきわめて効果的です。強烈な抑止力,圧倒的な組織力を発揮すれば,すばらしい国だ,尊敬に値する国,となる」(同書,216-217頁)。 このものいいはまるで,一国軍隊の最高司令官のそれである。他頁でも筆者がくわしく指摘したように,災害訓練時において人命救助作業に最大の効果を挙げて活動する組織は,軍隊ではなく消防など特殊任務のレスキュー部隊である。この事実は,1995年に発生した淡路‐神戸地区の大地震のさいにも証明されている。
あとでわかったことだが,阪神・淡路大震災では,生き埋めになった人の約6割が民間人によって救出された。警察・消防・自衛隊などによる救助は約2割にすぎなかった。ボランティア活動の重要性を物語る数字である。 それがどうだろうか,石原慎太郎という人物の口から出てくるコトバは,自分が日本国全軍の総司令官でもなったかのように勇ましく,戦意昂揚的な気分を横溢させたものである。 石原の本心では,災害発生時にその被害者になった人々の生命や財産の保護よりも,当該地域における治安維持の問題が最優先に位置づけられている。 いわく「史上初めての画期的な防災訓練」! いわく「特殊な軍事的能力」「強烈な抑止力,圧倒的な組織力」! 石原のこうした発言は,内外諸国に日本軍〔自衛隊〕の武力を誇示して「《日本という国》をナメルんじゃないぞ!」,とでもいいたげである。 自衛隊はいつから,都知事の指揮下にはいった〔そんなことはけっしてありえないが〕〔1日だけそのつもりになった〕というのか? 石原慎太郎という一知事〔煽動家:超極小版アドルフ・ヒトラー〕はなぜか,東京都主催になる防災訓練に出動した自衛隊という軍隊を,ほんの一時だったが,他国に対する軍事的示威・威圧のための手段・道具に利用した〔つもり〕なのである。 要するにそれでは,都民〔市民〕のための防災訓練ではなく,慎太郎君のための軍事教練であったことになる。防災訓練が彼の自己満足・見栄・カッコづけのために実施され,そして勝手にその意味が軍事教練に転化されたのである。 ともかくご当人は,防災訓練を軍事演習に読みかえ〔すりかえ〕,これに事後の論評なども独自にくわえつつ回顧する表情は,しごくご満悦の体である。 だが,その出しにつかわれた東京都民はいい面の皮である。災害時に被害者を救助することなんかそっちのけであり,どうだ日本の軍隊〔自衛隊〕もなかなかのもんだろうと,おおむこうにうならせたい慎太郎の気持ばかり先走した「独りよがり」がめだつのである。 「石原慎太郎が奇妙なのは『都政』で『国政』をやろうとしていることだ。というよりは,たぶん彼の『政治』のなかにはそもそも『国政』しか存在しないのであって,都民の日々の暮らしについての想像力はまったく欠如している」(大塚英志『戦後民主主義のリハビリテーション』角川書店,平成13年,516頁)。 結局,この人,公務員として職務専念の義務〔都知事としてなすべき「パーフェクトな作業」をする努力〕に反しているのではないか? 都知事本来の役割・任務を忘却し,某国の偉大な大統領(『一日首相!』)を気どっていて,いったいなんの意味があるのか。そういう単純で素朴な疑問が生じる。 念のために断わっておきたいが,地球上で最近おきた天変地異,大災害の発生時においては,内外国の多種多様な組織がその被災国・地域に対してただちに,しかも競って救助・援助に駆けつけてくれるのが通例である。 それなのにもしかすると,如上のような石原知事をいただく東京都は,大災害にみまわれ被災地になったとき「他国の救助隊はくるな,援助もいらない。治安維持にこの自衛隊を動員するだけだ」という都市となるのか。 ……ソンナ バカナ コトガ アッテ イイノカ……。 小泉純一郎が自民党総裁=日本の首相になった。これで石原慎太郎の出番はすこし遠のいたかもしれない。 小泉総理大臣の登場がまだ予測できない段階で発行された雑誌『論座』2001年5月号は,「総力特集:石原慎太郎研究」を編んでいた。 『論座』の巻頭におかれた寄稿は,石川 好の「『戦後という時代』の言霊」である。石川はそのなかで,こう述べている。
「新しい戦いの時代」とはなにを意味するか,ここではあえて論じない。 そのなかで石原は,「ヒトラーになりたいね,なれたら。(笑い)」と語っていた。このホームページがすでに指摘したように,彼がヒトラーのようになれるのは〈ミニミニ限定版〉での話である。しかも,それには,もうなっている。しかし,それ以上になれる人物でもない。 『論座』2001年5月号のその対談のなかで石原はさらに,「関東軍のあのばか参謀みたいに高ぶっちゃ元も子もなくなりかねない」といってのける(30頁)。しかし,同誌の他所でべつの対談をしたある人は,「同じ石原ですけど,ずっと石原莞爾をやってきたんですが……」といって(65頁),石原慎太郎を石原莞爾に譬えているような口つきであった。 「満州事変」を計画し,惹起させたのが石原莞爾である。だが,この旧日本陸軍高級参謀と石原慎太郎をくらべようとすることじたい,買いかぶりもいいところである。 石原莞爾が慎太郎がいうように「ばか参謀」だとしたら,石原都知事は,通常のばか:アホの水準にもはるかに達しない〈塵(ちり)・芥(あくた)〉のひとクズでしかない。そもそも,両名は比較の対象にならない。 石原莞爾は,アジアを侵略するための軍事学的な思想・哲学をもっていたが,石原慎太郎は「いまひとつアジアとのつながりがみえてこない。アジアの異文化にも関心や理解をしめそうとする志向はほとんどないように思える」(同誌,青木 保稿,75頁)。 石原慎太郎による例の「三国人」差別発言は,そうした彼の精神や感性へ通底していくものである。アメリカ文化に対する劣等感と反発心のないまぜになった複雑な心境にどっぷり漬かる石原にとって,アジアに目をむけるだけの心の余裕は,まったくないのである。68歳の彼にいまより,アジア重視の姿勢になれといっても,どうして無理難題である。 石原慎太郎を〈ミニ・ミニ版ヒトラー〉になぞらえた筆者は,この人物を買いかぶらないように,警告しているにすぎない。 ジョージ・オーウェルのSF小説『1984年』(新庄哲夫訳,早川書房,昭和47〔1972〕年発行)は,全体主義体制が極限にまでいった世界を描いた。同書は,ヒトラーとスターリンの恐怖政治を混ぜあわせたかたちで,想像できる最悪の政治を描いてみせた。 その体制では,歴史の捏造が重要である。「過去を支配するものが未来を支配する。現在を支配するものが過去を支配する」。つまり支配者が過去を書きかえ,個人の記憶まで支配しようとする。くりかえされるスローガンは,こうであった。 「戦争は平和 自由は隷属 無知は力」 いまは2001年である。全体主義体制とコンピュータ社会……,ひょっとしたら,現実が虚構を追いぬきつつあるのではないか。 ナチスの指導者だった人のことば「ふつうの人は誰も戦争を望みはしない」を思いうかべる。「しかし,政策を決めるのは指導者だ」といって,いかにふつうの人々を戦争に巻きこむか,を語る。 「自分たちが攻撃されていると告げる」 以上,極端な例である。しかし,扇動のコツである(以上『朝日新聞』2001年5月2日・4日朝刊「天声人語」参照)。 「不法に入国し滞在している〔第〕三国人が凶悪犯罪を多く犯し,日本国=東京都が危険だとアジった」石原慎太郎のデマ発信方法は,以上に指摘された〈ナチスの指導者だった人間:ヒトラー〉のやりかたに似ている。 だから,たとえば,平和主義〔→在日外国人の権利や生活をかばったりする日本人の立場〕が愛国的でないと非難されるようなときには,よくよく気をつけたほうがいい。 しかし,いまのところ,ヒトラーの「偉大な(!)業績」に匹敵する行動ができるような人材ではなく,また,それだけの資質が備わっているようにもみえないのが,石原慎太郎である。 石原がヒトラーほどの人物であったら,これまですでに,もっと性悪な行政をやってきたにちがいないからである。四半世紀も国家議員を勤めたわりには〔それだけ税金で禄を食みながら〕,とりたててこれといった成果も挙げていないの。それとも,国会議員時代の借りを都議知事時代に一挙に返したい,とでも考えているのか。 外国人であれ日本人であれ,石原のもののいいかたに関して一番警戒しなければならないのは,こういう点である。 「ほかの人々の存在を否定する言論は,物理的暴力よりも時に激しい暴力となる」(『朝日新聞』2001年4月30日朝刊「この時代にA」)。 石原慎太郎は,2001年5月28日新潟県刈羽村の住民投票でプルサーマル計画への反対が過半数となったことについて,「一部の反体制の人たちがたきつけて,日本をぶちこわしちゃおうということだ」と批判した。さらに「東京湾に造ったっていいくらい日本の原発は安全だ」と話した(『毎日新聞』2001年5月29日報道記事,同社HPより引照)。 慎太郎はまず,「民主主義」においては必らず,反対する人々,いいかえれば〈反体制の人たち〉が存在していいことを認めていない。つぎに,「日本の原発は安全だ」という,いまでは科学的にみて〈つたない神話=迷信〉をぶちあげている。 この人,やっぱり,このていどの低い教養・悪い知識の持ち主だったのか?
異なる意見・立場をもったり立ったりする人々の存在じたいを許さない感性は,独裁者的資質を鮮明にしている。 住民投票を実施した刈羽村住民を無条件にけしからぬと単純に断罪した今回の石原発言は,村民たちにはたいへん失礼なものであり,彼に特有の傲岸・独善もきわまったといえる。 「原発〔日本の〕は安全だ」というごとき完璧な観念論的独断は,「外国の原発は安全ではないのだ」という,これもまさに勝手な思いこみと一対のものである。いまどきこんな幼稚な誤解を披露できる人もめずらしい。 すでに有効性を完全にうしなった〈日本原発=安全神話〉を性懲りもなく,そして頑迷にも声高にとなえる石原君って,この日本ではもう用済みだなという印象をもった。 以上の言動に関して,慎太郎君の民主主義的感覚を問うてみるなら,もちろん,ゼロ! またもや,石原慎太郎流「ほかの人々の存在を否定する言論」を,最近作の田原総一朗共著『勝つ日本』(文藝春秋,2000年12月)のなかにみつけた。以下に紹介する。 旧社会党のことを「55年体制が確立してからは,野党第1党の徒らに社会主義を標榜しつづけたバカとしかいいようのない社会党」(同書, 21頁),と一刀両断。 −−では,ご自分の所属していた自民党は,いかほどご立派か? 「戦後の〈進歩的文化人〉に対して好意的な解釈をするべきなのかと思うようになった。アホみたいな大江健三郎でも向坂逸郎でも,大内兵衛でも,芯のところではナショナリストだったのではないか」(同書,35頁)と,ノーベル文学賞作家大江健三郎への嫉妬心もあってかボロクソに「アホ」よばわり。 −−ノーベル賞とは無縁の,くわえて学もない石原君らしい発言である。下劣きわまりないこういう発言を頻発する元作家は,都知事就任後満2年を迎えるころ,つぎの題名の著作を公表している。 『いま 魂の教育』光文社,2001年3月30日発行。 むしろ《魂の教育》がいま,一番必要・切実なのは,この本の著者=石原慎太郎君自身ではないのか? 最近,石原が出版した個人作的な自著は,一橋の後輩たちのおかげをこうむっている〔いいかえると実質,ゴーストライター的助力者がいて出版が実現できている〕ばあいが,ほとんどである。都知事の彼 に落ちついて筆をとるヒマなどはない。 石原君が他者をひどくこき下ろしていうときは,相手の実力・力量もたいそう認めるからだと解釈しておけばよい。ちなみに,前述の向坂逸郎は元九州大学経済学部教授,大内兵衛は元東京大学経済学部教授。いずれも,筋金入りのマルキスト経済学者だった。 石原都知事は,6月11日からガラパゴス諸島に11日間出張する。この出張は,なにを目的・課題にしたものだろうか。批判が提起されている(『日本経済新聞』2001年6月1日「大機小機」欄参照)。 月刊総合雑誌『噂の眞相』2001年6月号は,「読者の場」欄に投稿された,つぎのような一文を掲載している。
石原慎太郎知事の登場を,つぎのように位置づけてその意味を読みとろうとする論評もある。
文中「アノミー」とは,フランス社会学から出てきたコトバであるが,ごく簡潔にいうと「社会的規範・行動の混沌・無規制状態」を意味する。だが,昨今における日本の状態が,社会学的意味合いだけで把握,表現しきれるかおぼつかないところもある。 最近における日本社会に対する的確な分析・認識は,経済的不振・政治的行きづまり・文化的頽廃など,多面的な側面からの立体的・総合的な理解・研究がなされ,はじめて可能となるものである。 アノミーなるコトバにふくまれる実体・実質は多様・多元であるはずである。 上記枠内の,このコトバに関する指摘・説明にすなおにしたがい,日本社会の実情を,「公と私と」の「二項対立関係として単純に」とらえるならば,石原慎太郎の主張をそのまま認定する解釈・路線となりかねない余地→含意も生じる。 石原慎太郎は,国家という《公》をもちだし,これに自分=を重ねる。その門前にあっては,個人という存在→《私》=市民的存在をまともに認めない。石原慎太郎のそうした倒錯した狂乱的なイデオロギーは,徹底的に批判されねばならない。 石原慎太郎は,けっして怪傑でも義士でも英雄でもなく,外面的に大衆迎合的アジテーター,内面的に単純なナルシスト,そしてまちがいなく,自惚れの強いエゴイストである〔この事実については,本ホームページの他所が十分に論じている〕。 後者の個性は,石原個人内の問題で収めておけばひとまずはよい。だが,前者の要因がまったくもって,はた迷惑である。それどころか,日本社会にとってのみならず,アジア諸国にとっても有害毒の散布を意味する。 小泉純一郎首相が石原慎太郎都知事と近しい関係にある事実は,新聞報道からもうかがいしることができる。中曽根康弘元首相はかつて,靖国神社への参拝〔1985年8月15日〕をめぐり,中国など近隣諸国から強い批判をうけたことも想起したい。 石原は,小泉新首相の登壇によって,日本の宰相になれるみこみが当分立ち消えになった。とはいえ,小泉の行政方針にエールを送っている〔色目をつかっている〕。 日本の民主主義の状態・水準を決めるものは,一票を有する一般大衆の意識・覚醒の程度・性質である。
石原都知事でも「泣く子と公明党には勝てない」そうである(『朝日新聞』2001年6月9日夕刊)。 東京都に公明党支持者は多い。 なお,筆者はこのページ内でなんども,石原慎太郎を〈ミニ・ミニ版ヒトラー〉になぞらえた。その原版であるアドルフ・ヒトラーのファシズム,非民主主義的な性格を説明するリンクを設けたので,興味ある方は, などを〔さらにつづくリンク集も〕みてほしい。 つぎに引照する2つの文章は,石原慎太郎という人物〔と思想〕の危うさを警告している。
【最新記述,2001年6月30日】 |