小泉純一郎首相は2004年1月1日,東京・九段北の靖国神社に参拝した。 小泉首相は就任以来毎年1回の参拝をつづけており,1月参拝は2年連続だが,2003年の1月14日からさらに前倒しした。今年はイラクへの自衛隊派遣を控えるなどの事情から,元日に参拝を繰りあげたとみられる。 小泉首相は1月1日午前,皇居で新年祝賀の儀に出席したのち,同11時29分に靖国神社に到着,羽織・袴姿で本殿で参拝した。 「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳。 参拝形式について靖国神社は「これまでと同じ」(広報課)としており,神道形式の「二礼二拍手一礼」でなく,従来と同様に一礼するかたちだったとみられる。玉ぐし料の代わりに私費で献花料を納めた。 小泉首相は参拝後,記者団に元日参拝について「初詣という言葉があるでしょ。日本の伝統じゃないですかね」と述べた。 また,中国などの反応については「その国の歴史や伝統,習慣を尊重することに対してはとやかくいわないと思いますよ」と参拝に理解をえられるとの考えをしめしたが,中国や韓国は「第2次世界大戦のA級戦犯が合祀されている」と過去の参拝を批判しており,今回も反発が予想され,今後の外交日程に影響する可能性もある。 首相はまた,今年の靖国神社参拝はこの1回かぎりとの考えをしめした。 小泉首相の靖国参拝はもともと「8・15参拝」をめぐり注目されたが,2001年に8月13日に参拝してからは年々繰りあげた。 2002年4月21日,2003年1月14日と年々早まっていた。首相の1月参拝は1984年,1985年の中曽根康弘首相(当時)の例もある。 [毎日新聞1月1日] ( 2004-01-01-14:21 ) http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20040101k0000e010016001c.html
ただの1市民ならばともかく,日本国総理大臣が1月1日に戦争神社である靖国神社に参拝する行為を初詣と称するのは,とんでもない「異常な神経」のいいぐさである。 小泉は,自民党総裁で自分が選ばれたとき支持してくれた軍恩連盟 (軍人恩給連盟) には,絶対逆らえない事情がある。これが,今回いまさらのように問題の靖国神社にいき,参拝した理由である。 総理総裁になってから毎年まちがいなく1回,軍恩連盟に対する忠義立てをしなければならない小泉純一郎もたいへんである。その覚悟をもってすれば,とっくの昔より,東アジア諸国からの批判など折りこみ済みだったことになる。 小泉にとって幸いなのは,軍恩連盟に淵源する制約のことが,マスコミ報道でほとんど指摘されないことである。したがって,靖国神社に初詣などと呑気なことをいってその本心を隠し,自身にまとわりつく逃げられない事情をごまかしてきた。 小泉純一郎の靖国神社参拝問題については,本ホームページ:各頁が詳細に批判してきたところである。 参拝の形式を神道形式の「二礼二拍手一礼」でなく,従来と同様に一礼するかたち」と報道しても(→第3者には確認できないことだが),小泉にとっての「参拝という行為そのものの必要性」にかかわる本質に触れない内容では,隔靴掻痒の報道だという感を否めない。 小泉は,自身の靖国参拝を「その国の歴史や伝統,習慣を尊重することに対してはとやかくいわないと思いますよ」と,独自に解釈しているが,こういう答えは問題の核心をはぐらかした詭弁である。 靖国神社=戦争神社の「歴史や伝統,習慣を尊重すること」が小泉にとっての自由であって,外国からとやかくいわれる筋合いがないものだというならば,大東亜戦争敗戦まで日本は,中国や韓国を侵略したことも植民地にしたこともないというにひとしい暴論を,堂々と開陳したことになる。 また当然のこと,これまで日本政府が公式に認めてきた「過去の戦争」に関する見解:「侵略行為があった点」も全面的に否定することになる。
中国の王 毅外務次官は2004年1月1日,同国外務省に原田親仁駐中国臨時代理大使(公使)をよび,小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対し「強い憤りを表明し,強く非難する」と抗議の申し入れをしたと,北京の日本大使館が明らかにした。 次官は,靖国神社を「中国とアジア人民の鮮血で両手を血まみれにしたA級戦犯が祭られている」と指摘し,首相の靖国参拝を「背信行為」としたうえで,「中国の人民はけっしてうけいれることができない」と強調した。 胡 錦涛指導部が対日関係重視の姿勢をしめす一方,中国国内では2003年,黒竜江省チチハル市で起きた旧日本軍遺棄化学兵器による毒ガス流出事故などをきっかけに対日感情が一段と悪化した。 小泉首相のたび重なる靖国参拝がこうした流れに拍車を掛けるのは必至で,日中間の首脳相互訪問の再開も,さらに遠のくのは確実である。 王 毅次官は,「侵略の歴史を反省するとしている約束は破られ,中日関係の政治的基礎がさらに傷つけられた」と小泉首相を批判した。今後は「中国とアジアの人民の正義の声」に真剣に耳を傾け,実際の行動で日中関係の改善にとりくむよう首相に求めた。(北京共同) [毎日新聞1月1日] ( 2004-01-01-20:57 ) http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20040102k0000m010023000c.html
【筆者のコメント2】 小泉が靖国に初詣にいっただけだといいわけしても,かつて出征する日本軍兵士たちは,靖国神社〔あるいは地元の各護国神社〕に参拝してから各戦地へいき,中国では,「三光」と称される悪行(殺しつくし・焼きつくし・奪いつくす暴虐)を彼らが犯してきたことは,歴史上の事実である。 1945年8月まで中国やアジアなどの戦地や植民支配地にいた日本軍が,どのくらい暴虐のかぎりをつくしてきたか,ここではくわしく触れられない。いずれにせよ,実際に「中国とアジア人民の鮮血で直接両手を血まみれにした」にしたのは,A級戦犯ではなく,庶民出身の彼ら:一般の兵士たちであった。 したがって,朝日新聞社のコラムニスト早野 透がいうみたく,「中国,韓国だって1銭5厘の赤紙で徴兵された兵士を悼むのを怒るはずがない。A級戦犯へのわだかまりが晴れないからなのである」とか(『朝日新聞』2004年1月6日朝刊「ポリティカ にっぽん」),「中国や韓国が首相の靖国参拝を非難するのは,A級戦犯が祀られているからだ」とかいうふうに解説するのは(『朝日新聞』2004年1月4日朝刊「社説」),完全にまちがっている。 それは,核心の問題点をはずした〈ピンぼけ〉の説明である。 どの国の,であっても,死んだ〔殺された〕兵士たちを悼むことに誰も反対しない。 しかし,早野も指摘するように,「日本の若き兵士が死んだ,殺されたというからには,相手がわも死んだり殺されたりしているのが戦争である。〈兵隊と良民の区別はつかぬ。おかしな者はみな殺せ〉」(前掲「ポリティカ にっぽん」)と命じられ,相手国の民間人:市民‐農民に対しても直接,銃を向けて撃ったり剣を突いたりして殺してきたのが一般の兵士である。 それゆえ,戦前の靖国神社が軍国主義を象徴する国の施設だったことを踏まえて,「戦後,靖国神社は宗教法人として再出発したが,A級戦犯まで合祀したのは勇み足だった」というのは(『朝日新聞』2004年1月8日朝刊「声」),一般兵士の犯罪行為(命じられて犯した「国際法違反の虐殺行為」)を無条件に免罪するものである。 相手がわ=「殺されるがわ」の視点を欠いたら,問題の核心がみえるはずもない。 いま,ベトナムに留学している日本の若者が「日本人であることは,戦前の植民地支配とアジア侵略の十字架を背負って生きることのように感じる」といったことは(『朝日新聞』2004年1月7日朝刊「声」),あの戦争の責任をA級戦犯にだけ転嫁させる誤りに気づいた者のことばだけに,非常な重みがある。 A級戦犯とは,日帝アジア侵略史を象徴する代表的な諸人物を指すのであって,A級戦犯が靖国神社に合祀されているか否かと問うのは,ことばのアヤみたいな,つまり本質をはずしたやりとりといえる。 ◎ 日本の一般庶民が,新年の多幸・開運などを願いに近くの神社にお参り:初詣にいくことと, ◎ かつて中国の戦地において,一般人民を銃剣で突き殺したり,焼き殺したり,あるいは,女性たちを強姦のうえ殺したりした無数の旧日本軍兵士たちを『英霊』として祀っている靖国神社に〔各地の靖国神社もふくめ〕,日本の首相が初詣にいくこととでは, その有する意味が全然ちがうのである。 アジア諸国とその人々は,初詣と称して靖国神社へ参拝にいった「日本の首相の宗教的行為」を許さないのである。 靖国神社は非常に多くの『英霊』を合祀している。それは明治以来,旧日本帝国がアジア諸国を侵略する戦争をしていく過程で犠牲になった兵士たちを,国家がいちいち神さまあつかいするかたちで慰霊しながら合祀してきたそれである。 それだけではない。肝心なのは,1945年までの侵略戦争において,日本臣民とくに,青年男子たちを兵隊に駆り立てるだけでなく,彼らが喜んで出征していくように「精神的に強制するための宗教装置」が靖国神社だったことである。戦争神社たるゆえんである。 靖国神社の,いわば都道府県分社が護国神社であるが,これについて若干関説しておきたい。
そこにみてとれる「昭和天皇(裕仁)‐平成天皇(明仁)と護国神社との深い関係」は,明々白々である。 とりわけ問題なのは,国費〔国税・血税)を遣い,日本各地の護国神社に対して「幣帛料」「幣饌料」を「下賜」「御奉納」しつづけている《日本の天皇》の姿がみられることである。 −−田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波書店,2002年)は,現行の日本国憲法施行以来,昭和天皇が一宗教法人となった靖国神社に6回参拝をしてきた事実に言及する。 1969年10月,靖国神社創立百年にさいして参拝して以後,6年間昭和天皇は靖国にいっていない。それまでの参拝はいずれも「私的」とされてきた。 それは,憲法が規定する天皇の国事行為には当然,靖国参拝はふくまれず,また憲法を拡大解釈して広げられてきた象徴天皇の「公的行為」に神社参拝をふくめるのは,政教分離原則の見地から不可能だったからである。 1975年9〜10月に訪米した昭和天皇の靖国参拝を宮内庁が公式に公表したのは,その参拝のわずか2日まえの11月19日だった。新聞で明日「参拝」と報じられた。 それは,反対運動が広がることを予測した政府がわの判断と思われる。しかし,日本遺族会などへの内示は,公表より早く「1週間まえ」だった。 同年11月21日,強い異論を押しきるようにして裕仁天皇は靖国神社を参拝した。この天皇の参拝も,それが注目されたときから「公的」にならざるをえないのである。 しかし,戦後7回めの靖国参拝が天皇の最後の靖国神社参拝になるとは,昭和天皇自身も,そして政府も予想していなかったと思われる。恐らく,靖国神社さえも予想していなかったと思われる。 1978年10月17日,靖国神社の例大祭前日,「靖国神社にA級戦犯合祀/東條元首相ら14人,ひそかに殉難者として」という見出しである新聞が報じたのは,1979年4月19日であった(田中,前掲書,147-154頁参照)。
−−前述からもわかるように,昭和:裕仁天皇は敗戦後も,靖国神社〔ここへの参拝は,上枠内に記述された理由によって途中で中断するが〕をはじめ,全国各地の護国神社をこまめに参拝してきており,この習慣は息子の平成:明仁天皇に代替わりしても,なにもかわるところなく継続されている。 ここで再び,小泉純一郎が自民党の強力な支持団体のひとつである日本遺族会に対して,そしてとくに,軍恩連盟 〔軍恩連盟全国連合会〕 への厚い配慮をするために毎年,靖国神社に参拝にいかねばならない事由にもどり,記述をすすめよう。 つぎにとりだす話題は,軍恩連盟と自民党との親密な関係の一例を紹介したものである。これは,参議院選で落選した自民党のある前議員が,次回選挙での当選を期して書いたものである。
この鈴木まさたかなる自民党関係者はきっと,靖国神社や地元の護国神社には「足を向けて寝られない」ような生活態度でなければならないだろう。 それよりもなによりも,なにかの節目にかこつけては,靖国神社はじめ各地の護国神社への参拝をたび重ねてきた「2代にわたる天皇」が存在してきている。 「私的」といおうが「公的」といおうが「公的」であらざるをえない彼らの靖国神社参拝は,いちおう平和憲法下にあるこの国:日本においてであってもなお,軍国主義精神を国民的次元で発揚するかのような宗教的行為:靖国(軍神)参拝を性懲りもなくつづけてきている。 ここではっきり断わっておくべきは,彼らのそうした近代軍事国家宗教的行為としての靖国(軍神)参拝は,明治時代以前にはほとんどなかったことである。靖国神社・護国神社じたいは,明治以来の日本帝国主義による造成物である。 靖国神社は,1879〔明治12〕年,旧招魂社を昇格させ,幕末以来「尊皇攘夷」のために戦って倒れた志士の功績を顕彰するために建てられた。 制度的にはほかの諸神社が内務省の所管とされたのに対して,靖国神社は最初から軍部の所管とされたのが特徴的である。その祭神が戦争あるたびごとに戦没者を合祀するという,日本の神社信仰の伝統にはまったくみられない異質なものである。 明治以後の国家神道は,天皇制と軍国主義をささえるものである(藤谷俊雄『国家神道と天皇問題』部落問題研究所,1989年,36頁)。 それゆえ,靖国神社・護国神社を称して「日本古来の伝統的宗教にもとづく宗教施設」だとする大ウソ,すなわち「誤導的な解釈」が幅を利かしてきたが,これは完全に否定されねばならない。 −−明治24〔1891〕年,日本の神道の核心を,アジア一般におこなわれる「神道ハ祭天ノ古俗」と指摘した帝国大学文科大学教授久米邦武は,神道家たちのツブテの嵐のような非難・攻撃をうけ,事後,帝大の「非職」,そして「依願免官」とされた。いわゆる「久米事件」である。 久米のアカデミズム追放は,皇室への不敬,「国体」毀損,安寧秩序を乱すという非難のもとにおこなわれた。それは「教育勅語」が出されて2年後,日清戦争開始の2年前,近代天皇制がその確立のための神道を体制イデオロギーとして色あげしつつあったときだったのである(田中 彰『明治維新と西洋文明』岩波書店,2003年,14頁,163頁)。 日本帝国主義を創生,発展させるうえで靖国神社・護国神社〔など〕を利用しなければならなかった為政者や「国家」神道の関係者は,つぎのような〈ごまかし〉を強弁しなければならなかったからである。 つまり,「靖国神社・護国神社」は「古来からの伝統をうけついでいる」と。しかし,事実はまったく異なっていた。実は,明治以降,旧日帝による国家的宗教政策にのっとって人為的に登場させられたのが「国家神道:靖国・護国神社への信仰」であった。 しかも,帝国主義時代用に全面的に衣替えさせ,新しく出現させたのが「アジア侵略用の国教」=「靖国神社・護国神社」の宗教心だったことである。 また付言するなら,平成天皇の配偶者はキリスト教の「幼児洗礼」をうけていた人物である。だが,皇室に嫁いでから強制的に神道徒に改宗させられた。この国の宗教事情においては,クリスチャンの首相でさえ(大平正芳内閣;1978年12月から1980年6月)靖国神社に参拝にいくのであるから,むべなるかなである。 この国では「政教分離」の実質がない。 文部科学省は「国を愛する子ども」を育てる教育基本方針を打ち出しているが,この方向性が人々の「思想や良心の自由」を蚕食することはまちがいない。またさらに,そのさきに待ちうけているものは,「象徴天皇」であっても国の代表的存在である人物〈天皇〉を敬えという時代錯誤の精神醸成である。 なぜ,そういう方向がいけないのか? 民主主義の根本精神に照らせば,同じ人間なのに特定の人物を「特別に敬え」などというふうに教育し,ましてや強制する方向をとることは,民主主義の破壊行為にほかならないからである。 いまや,日本における民主主義の状態が真正面より問われる事態が目前に近づいてきたのである。 またぞろ「不敬罪」なんぞをもちだすつもりか? 文部科学省が教育の場にとりいれようと意図している神話は,記・紀神話のなかでもとくに,天皇中心の思想の露骨な建国神話である(直木孝次郎『神話と歴史』吉川弘文館,昭和46年,137頁)。 −−天皇家に関して〈敬語〉を使って書かれている著作,高橋 紘『象徴天皇と皇室−あるべき天皇像とは−』(小学館,2000年)は,こう論述している。 敗戦の年,1945年は11月19日と20日の両日,靖国神社で臨時招魂祭がおこなわれ,昭和天皇は20日に参拝した。 昭和天皇は,1975年秋の「終戦30年」のふくめ戦後は計8回靖国に参拝したが,それ以降はとだえている。平成天皇の靖国参拝はない。 敗戦後,靖国は政治に巻きこまれ,政教分離の観点から訴訟も出されている。国家のために生命を捧げた人々を慰霊するのが,なぜ悪いのか。 靖国の社頭で再会しようと,海や空,あるいは海外で散った若い生命を惜しむ気持は,誰もが共通のものだが,靖国の「英霊」に対して国民全体で考えてみる必要があろう。 天皇が参拝できないのは,靖国神社が政治問題化し近隣諸国から批判があるからである(高橋,前掲書,199-201頁参照)。 海外からの批判があるというが,それでは,日本国内からの靖国批判がないかといえば,そうではない。靖国神社の問題や矛盾に気づき悩んできた日本国民がおり,そして,靖国批判を口にし反対の立場をとる人々もいる。 したがって,高橋 紘のように国外からの批判がなければ天皇制に問題がない,というような口吻で表わすのでは問題がありすぎる。高橋にも誤導的な見解・記述がある。日本人識者の限界がみえる。 高橋 紘は,靖国神社には朝鮮出身者〔現在の韓国籍・「朝鮮」籍をもった人々のこと〕の〈英霊〉も1万1千柱が合祀されている(高橋,同書,200頁)というが,それをとりのぞけ・かえせといって,激怒している韓国人・朝鮮人もいる事実に触れないのは,靖国に関する一面的な解説である。 日本人でも,靖国に自分の肉親・家族が〈英霊〉として合祀されることを好まずとりのぞいてくれと要望してきた,キリスト教徒・仏教徒の人々もいる。 ◎ 山中 恒『すっきりわかる靖国神社』(小学館,2003年)は,靖国神社〔護国神社など〕の本質を,こう解説する。 −−大東亜戦争〔太平洋戦争〕は,開戦から1年で形勢が逆転し,しだいに敗戦色が濃くなる。八紘一宇の顕現が実現不可能だとわかると,「国体を護るため」に玉砕戦法をとらせるようになった。まさに身命を投げ打たせ玉砕させたので,戦死者が激増した。 そこで靖国の神を,皇室および「国体」を護る天佑神助の神にした。戦前の日本は,国民のための国家ではなく,天皇の国家であった。天照大神が現世に天皇として現われて日本を統治する,これが日本の国体(国柄)とされた。その「国体」を護りつづけることを「国体護持」といった。 総力戦態勢下では,すべての国民は,靖国の神と同じように天皇と国家のために戦わねばならなくなった。靖国精神をもって,戦争を勝ちぬけと国民を追いたて,戦争協力をさせた。 靖国神社は単に戦没者を祀るだけでなく,国民の戦意を高揚し,戦争に協力させるための軍事施設としておおきな役割をはたしたのである。 皇室および国家のために戦うこと,侵略戦争を美化する役割をはたした「靖国の神」は,敗戦後の民主主義国家「日本」では,不自然で矛盾した存在になってしまった。かといっていまさらべつの心霊と入れ替えることもできない。 敗戦後GHQは,靖国神社と国家と軍部のむすびつきを断った。 1946年,国防館を靖国会館と改称,国防館や遊就館の業務を停止させ,国防館や遊就館の展示品は靖国会館へうつした。遊就館は占領軍に接収され,富国生命保険相互会社の社屋に貸しだされた。 1980年,富国生命が立ちのくと遊就館再開の機運が高まり,1988年7月遊就館が再開された。再開に当たり,戦後世代が靖国神社の祭神の遺品・遺書などをとおして,これら殉国の英霊が国を守るために,どのような働きをしたかを肌身で感じとり,学習できる場とすることが重要視された。 結局,敗戦40年にして,靖国神社は戦前の姿をほぼ復活させたといえる。旧陸・海軍省に代わって一宗教法人が業務を担当している点がちがうだけであり,今日でも旧陸・海軍と国民をむすびつける軍事施設にかわりないと考えるべきである。 したがって,今日の宗教法人靖国神社は,依然として大日本帝国の英霊を崇敬させるための軍事施設の雰囲気を感じさせる。そのための戦没者に追悼を捧げ,慰霊の祈りを捧げるための施設,平和のために祈りを捧げる場所としてふさわしくないと考える人はたくさんいる(山中,前掲書,112-113頁)。 −−以上,山中 恒『すっきりわかる靖国神社』の参照でも理解できるのは,こういうことである。 ●−1 靖国神社は戦前の姿:戦争神社(war shrine)の本質をほぼ復活させたこと。 ●−2 海外からの批判だけが靖国に対する批判としてあるのではないこと。 ●−3 この靖国神社があるかぎり,またこの神社を軍神を祀る祭殿として否定しない皇室・国家政府がつづくかぎり,この国における民主主義は発育不全のまま半永久的に止めおかれるにちがいないだろうこと。 ●−4 ましてや,この靖国神社に一国の首相が参拝にいくという行為は,日本の民主主義を真向より否認するものであること。 靖国は,平和のために祈りを捧げる場所としてまったくふさわしくないのに,小泉は「平和を祈念するため」そこへいくという,とんでもないお門違いをしている。気でも狂ったのか,といいたくもなる。 ●−5 それでもいまなお,この首相:小泉純一郎を戴く自民党を中心とする政権を退陣させえない「日本の国民」は,その意識水準の実体においては「戦前時点のもの」,すなわち「陛下の臣民」のそれでしかないこと。そこでは,民主主義と自由はなきものにひとしいこと。 ●−6 日本国首相が靖国神社を「初詣」といって参拝するのだから,かつて日本帝国主義の侵略をうけ,多大な被害とこうむった東アジア諸国であっても,まあ「大目にみてくれる」だろうなどと思っては,絶対いけないこと。 ●−7 日本国民は,小泉首相の4回めにもなった靖国参拝をもっと深刻かつ適確にとらえ,その行為を批判しておかなければならないこと。 そのようにできないのであれば,今後において,敗戦後占領軍の支配下,自分たちに「押しつけられた」というところの「戦後民主主義の基盤」すら破壊されかねないこと。 −−以上に書きつらねた諸事,よくよく覚悟しておくべきである。
韓国の外交通商省は2004年1月1日,小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「わが国民の感情を再び傷つけたことに憂慮と憤怒を禁じえない」と批判し,「これ以上参拝しないことを強く求める」とする報道官声明を発表した。 通信社の聯合ニュースによると,韓国政府が小泉首相の参拝中止を直接的表現で要求したのは,はじめてである。 韓国メディアも同ニュースが「奇襲参拝」と速報した。KBSテレビも「A級戦犯を美化する」と批判的に報じた。 盧武鉉大統領が「未来志向の対日関係」を訴えているだけに強い対抗措置に出る可能性はすくないが,良好に進展する日韓関係に水を差すとの憂慮が出ている。 声明は,靖国神社を「過去の植民地支配と侵略でわが国民に被害と苦痛を与えた戦争犯罪者の位はいがある」と指摘し,参拝は「理解できない」と強調した。 「隣国との友好関係を発展させるなら,過去の歴史を直視し,隣国の立場と国民感情を尊重すべきだ」と訴えた。 韓国では最近,自民党幹部による「創氏改名は朝鮮人が名字をくれといったのがはじまり」との発言や,石原慎太郎東京都知事の「日韓併合は朝鮮人の総意」との趣旨の発言など,植民地時代に関する日本がわの「妄言」続発への不満も根強い。 知日派の韓国政府関係者は「自由貿易協定(FTA)交渉開始や羽田−金浦間の航空便就航など韓日関係が良好なだけに,小泉首相の靖国参拝や政治家の無配慮な発言への失望は深い」と批判した。 (ソウル共同) [毎日新聞1月1日] ( 2004-01-01-22:31 ) http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20040102k0000m010022001c.html
@ 小泉純一郎首相が靖国に祀られる「英霊」たちのために「初詣!」にいったのは,さきにも指摘したように,いまの「自分の首相の地位」を維持していくうえで絶対必要な順守事項,つまり,彼が首相になるに当たって強力な支持を与えてくれた「軍恩連盟〔→自民党員の票〕」への操(みさお)を証しし,守るためのものにすぎない。 まず,その基本面をしかと理解しておくべきである。 自民党総裁・内閣総理小泉純一郎に対する抵抗勢力の〈反攻〉も功を奏してきたがゆえに,最近はその抵抗も穏やかになっている。その点では逆に,純一郎が死に体同然になってきたという現実もある。 その結果,小泉「支持」ないしは「無視」の気分,いいかえれば,抵抗勢力のがわには安堵の雰囲気も流れはじめ,こいつに,もうすこし首相をやらせてもいいかという空気も漂っている。 A 日本首相の靖国参拝に対する中国や韓国の批判や非難は実は,小泉にとって「カエルの面にションベン」である。近隣諸国のそうした批判や非難が自分の地位:首相という立場を揺らがす直接の要因になることはまずない,という一定の考えを小泉は確信しているはずである。 小泉が日本の首相になってはじめて靖国神社に参拝にいったとき吐いた文句:「熟慮に熟慮を重ねて……」の真意はなにか。 小泉首相は,2001年の自民党総裁選で「8・15」の靖国参拝を公約して注目されたが,2001年は8月13日,2002年は4月21日,2003年は1月14日,そして2004年は1月1日に参拝した。 小泉にとっては,自分を自民党総裁にしてくれた支持集団〔軍恩連盟など自民党総裁選用の票〕のことが,いちばん大事なのであった。絶えず念頭におかねばならないその票〔とこれをささえる組織〕にどう対処していくかを,ずいぶん苦しんで考えぬいたあげくそのように表現を残して,靖国に参拝したのである。 したがって,小泉純一郎という日本の首相は,東アジア近隣諸国がどう文句をいって批判しようとも,そんなことは気にしていない。もともと,そういう考え:政治思想〔があればの話だが〕や行動信条の持ち主なのである。 寺島実郎『脅威のアメリカ 希望のアメリカ−この国とどう向きあうか−』(岩波書店,2003年11月)は,こう主張していた。 「過去の清算」問題については,空虚なことばだけの謝罪外交を脱し,未来への責任として地域社会の脅威とならない決意を鮮明にし,理解をえることである。日本自身が「力の論理」への誘惑を退け,「平和主義」の理念の確認と実践によって「歴史問題の清算」の柱とすべきである。 ところが,小泉純一郎が毎年靖国に参拝してきた政治家としての行為は,なにを意味するのか。 日本政府がこれまで,東アジア諸国に対して口先だけではいってきた「謝罪外交」における「過去の清算」や「歴史問題の清算」は,弊履のごとくあつかわれたことが証明されたのである。それだけでない。日本政府筋のどこをみても「未来への責任〔の柱〕」など存在しない。 B ところが,日本政府の代表者である小泉純一郎首相がアメリカ政府に対して向ける顔のほうは,卑屈もきわまったものである。「アメリカ・ブッシュのポチ」といわれたこともある。 アメリカにいわれたことに関しては「金にせよ,人にせよ,操にせよ」なんでも,それこそいいなりに出し,協力してきた。いや,いわれた以上にたっぷり,惜しまずサービスする精神もしめしてきた。そのわりに,東アジア諸国に対する態度は,あいかわらず横柄であり傲慢でもある。 いつまでもそのような外交姿勢では,寺島の言及した前述の「過去の清算」や「歴史問題の清算」の実現はとうてい無理である。敗戦後半世紀以上も経過した時点にいるにもかかわらず,日本はまだ,相手国(被侵略国)の古傷を引っかきまわすだけでなく,その傷口に塩を擦りこむがごとき愚かな言動をやっている。 そんな低次元で愚かな対アジア近隣外交しかできないようでは,アメリカ一国帝国主義に対抗するかたちで,東アジアにおける政治同盟‐経済連携の体制を構築することは不可能である。 C 再度転じていえば,アジア諸国に対する日本の政治姿勢と好対照なのが,アメリカに対するそれである。日本はアメリカにいいように振りまわされている。そのみっともなさ:主体性のなさは本当にひどく,本当に恥ずかしいかぎりである。 イラク戦争開始にさいして,カナダ,フランス,ロシアなどがアメリカにしめした対応を,よく観察しておくべきである。その3国はいずれもイラクへの軍隊派兵をせず,アメリカとの関係悪化の覚悟のうえで,一定の距離をとって対応した。とくに,アメリカとは一番長い国境線をもって接し,非常に深い関係をもつ隣国:カナダの態度が参考になる。 さきの寺島実郎は,こういっている。 「手を汚さない平和はない。日本は同盟責任をこれまではたしてこなかった」といわれるが,しかし,冷静に考えれば,その指摘はとんでもない自虐趣味ともいえる事実誤認である。 なぜなら,同盟責任の遂行ということであれば,日本はなにもしないどころか,半世紀以上もアメリカ軍に基地を提供し,冷戦後の10年間だけでも総額6兆円ものアメリカ軍駐留経費を負担している。 また,アメリカに協力することと国際協調とが必らずしも両義語ではないことは明らかである」(寺島実郎『脅威のアメリカ 希望のアメリカ−この国とどう向きあうか−』岩波書店,2003年11月,154頁)。 前駐レバノン特命全権大使天木直人は,2003年8月に外務省を実質的に解任された外交官であるが,その直後に『さらば外務省−私は小泉首相と売国官僚を許さない−』(講談社,2003年10月)を上梓し,前段で寺島実郎が指摘した点を同じように主張している。 1991年の湾岸戦争のさい130億ドルもの戦費を負担しながら,自衛隊の派遣をみおくり,多国籍軍に対する直接的支援をおこなえなかった日本政府は,敗北感に打ちひしがれた。以来,その二の舞だけは避けたいという意識が,トラウマのように外務官僚の頭に巣くっていた。 だが,その130億ドルの膨大な財政支援は実は,アメリカにとってイラク攻撃を可能にするおおきな貢献であった。このことは,アメリカ自身が議会証言で認めている。 ところが,日本の外務省は,その事実を国民に紹介しようとせず,「こんどこそ,目にみえる支援を迅速に決定しなければならない」と強調するばかりである。 一方,防衛庁といえば,出番を広げて将来的には「防衛省」に格上げされたいとの思いを抱えてはいるが,危険地帯に自衛隊を派遣して死傷者の1人でも出ればたいへんなことになると,逡巡する気持も強かった(天木,前掲書,78頁)。 もうすこし,天木直人『さらば外務省』に聞いておこう。 沖縄をはじめとした在日米軍基地は,安保条約があるかぎり永久に存続させなければならないのか。思いやり予算というかたちで,日本の国民にさえ与えられていない厚遇を,今後もアメリカ兵士に与えつづけていく必要があるのか。そういった基本的な疑問を,原点にかえって考えてみたいのである(同書,223頁)。 その後の国際情勢の変化とアメリカの世界戦略の変化により,憲法第9条の拡大解釈は歯止めなくすすみ,もはや憲法第9条は完全に形骸化してしまった。このような状態を放置しておくことは,法治国家としての日本をモラルハザードに追いこむばかりか,アメリカの軍事戦略に沿った日米同盟体制のはてしなき傾斜を,黙ってみすごすことになる(同書,227頁)。 D 2004年になりもうすぐ日本はイラクに自衛隊を派兵する。イラクに出兵した自衛隊員から事故死者〔戦死者と表現できない〕が出たら,この人びとを靖国に勝手に合祀するはずである。 自衛隊員=軍人は,戦地‐紛争の地に派遣されれば,そこで生命を落とす可能性を覚悟しておかねばならない。この事態は,軍人の職務であるから当然起こりうることである。 ◎ 兵士は消耗品である。 戦地‐紛争の地に派遣された軍人については通常,一定の確率で死者が出ることは計算済みである。この計算をおこなっているのは,もちろん政府高官や軍部のお偉方である。 命令だから〔辞職するのでないかぎり〕これに服従するほかないとはいえ,戦地や紛争の地に喜び勇んでいく自衛隊員=兵士は,そんなに多数はいないと思う。できれば,安全な任務だけにしてほしいはずである。しかし,日本の自衛隊はこのたびともかく,死という出来事と無関係でありえない「本格的な海外派兵の任務」に就くことになった。 E 今回,イラクに派兵される自衛隊員は,不幸にも死んだら総額1億円の弔慰金が支給されると決まっている。 10名死んだら〔殺されたら〕10億円,100名死んだら〔殺されたら〕100億円がその遺族たちに支払われることになる。もちろん,その原資は税金である。 はたして,そうなったとき残された家族は,どういう気持でその金をうけとるのか。 太平洋戦争まで国家に徴兵された日本帝国臣民〔朝鮮人や台湾人もふくむ〕についてだが,当時戦線などで生命を落とした軍人たちは,前段のようなきわめて高額な水準に相当する経済的補償はうけとれなかった。 かつて,兵隊の生命は「1銭五厘」だった。まったくの死に損だった。庶民のホンネにおいては,戦死を望んだ者などいなかった。タテマエでは「天皇陛下のため死ぬ!」といわねばならなかった。 旧日本軍では,兵隊1名の生命なんぞ,天皇の軍隊に調達された軍馬1頭はおろか,天皇家の紋章のついた小銃1丁よりもはるかに「軽い:安い」ものだった。 『軍人勅諭』〔明治15年1月4日に頒布された勅諭〕は,天皇〔太平洋戦争当時はヒロヒト天皇に対する〕「義は山嶽よりも重く,死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と,日本の兵士に諭していた。 要するに,国家のためであるなら自分の生命に執着するな,国のためには喜んでおまえの生命を捧げよ,という強制的な諭しなのであった。 F 太平洋戦争〔大東亜戦争〕関係で日本は,212万1千名もの戦死・戦病死=戦没・死没者を出した。 今回のイラク派兵で自衛隊員に死亡者が出たら,国家がその死を弔慰するため出費する金額が1億円であった。そこで,時間を太平洋戦争の時代にもどし,現在価値で1億円に相当する当時の金額を算出してみると,だいたい40万円くらいになろうか。 太平洋戦争当時,政府が戦死者〔戦没者:死没者〕に対して,いちいち,そんなにも高額な経済的補償を与えたら,それでなくとも戦争のため国家財政は無理を重ねていた時期ゆえ,とてもじゃないがもたなかっただろう。 日本は日中戦争開始以後,戦時体制期〔本格的に戦争をする時期〕に入ったが,各年度における日本の国家予算は,こうであった。
40万円 × 212. 1万名 = 8,484億円 上表のなかで一番多かった政府予算歳入額は,1945〔昭和20〕年の23,487百万円であった。この234億余円の予算に対する8,484億円という金額の桁ちがいのおおきさに注目したい。それほど無茶・無謀な全面戦争(総力戦)だったといえる。 しかし,「死は鴻毛よりも軽しと」いう天皇陛下の思し召しは,戦後に連合軍の占領支配下を解かれてから「軍人恩給」を支給されるようになるまで,その真義を本当に発揮しつづけてきたのである。 G もちろん,日本政府はイラクに派兵した自衛隊員に死者が出ることを望むわけはないだろう。だが,現にすでに,イラクに派兵されている各国兵士たちのみならず,報道関係者・民間事業関係者にも多数の犠牲者:死者が出ている。 日本の自衛隊がイラクに派兵しても,死者を絶対に出さないで済むという保証はない。日本政府は恐らく,数名くらいの犠牲者が出ることは覚悟しているかもしれない。そのくらいに「ごく少数の犠牲者」の予想だから,弔慰金1億円という経済的補償が早めに決めることができたとも思われる。ただし,10名単位で死者が出たら,小泉政権は即座に崩壊するかもしれない。 派兵する自衛隊員の人数が100名単位だからまだしも,話を一気に飛躍させ本格的な戦争事態に対処するための派兵規模になったばあい,太平洋戦争に関する先述の話題〔弔慰金の金額の問題〕ではないけれども,とてもじゃないが弔慰金1億円などという話にはなりえなかったはずである。 実際の話,もっと安くしておかないと,まずいからである。そうすると現行の千万円か,せいぜい数千万円が妥当な金額か,などと下司の勘繰りみたいな想像もしてみたくなる。 H 朝日新聞コラムニスト船橋洋一は,こう語っている。
一方においては,名誉の問題はさておき賞恤(しょうじゅつ)金の金額をより多めに手当しておき,「自衛隊員=国民」の感情を配慮しようとする国の立場がある。他方においては,もしも生命を落としたさい,賞恤金の金額より名誉の問題を気にする自衛隊員もいる。 もっとも,賞恤金の金額が従前〔現行〕のように低額(千万円)だとしたら,名誉の問題と比較しつつもそのどちらをさきの問題と考えるべきか,自衛隊員はよけい悩むことになるにちがいない。 「国家のための死」であるから,それに対する社会‐政治的な意義づけは,経済‐金銭的な補償水準とのかねあいもあって,議論が沸騰する論点である。 もっとも,既述のように,現行〔正確には従前〕千万円だった「公務死に対する遺族への弔慰金」が最高9千万円に引き上げられ,この金額に内閣総理府から千万円が上乗せされ,合計で1億円になった。関係する議論は,こうした経緯があったから,「死」に対する精神的意義づけのほうに円滑に移動できたともいえる。 もしも,「公務死に対する遺族への弔慰金」が最高千万円〔従前の現状〕のままだったら,それこそ,イラクに派兵された自衛隊員が戦死したりしたら「犬死に」だという文句・不満も出る。 タレントおすぎが執筆するコラムは,こう批判している。
I 現実的に考えてみればよい。千万円と引き替えに自分の生命を納得して捧げる人間などめったにいない。1億円の単位になれば,すこし感じかたもかわってくる。一般に,生命保険の契約金額を参考にすればわかりやすい。 しかし,話は生命保険の問題ではない。問題は,ほぼ戦場に似た状況に直面しなければならない兵士たちに関する〈生命の値段〉の話なのである。 彼らの死に対して1億円が給付されても,国家の使命で派遣された兵士のことであるゆえ,それ以上にくわえてなにか,国家的な視座にもとづく精神的な補償も与えられなければならない。「無駄死に」でも「犬死に」でもないことを,国家が精神的に証明するためにもそうした面での待遇が必要である。 旧日本軍関係の戦没者に関しては,東アジア諸国から政府閣僚などの靖国神社参拝に対する批判をうけて,かつて帝国主義の兵士になり戦没した人たちをめぐって,それでは「犬死に」あつかいと同じだという反発をみせてきた。 もっとも,旧日本軍兵士が敵地=侵略の地でなにをやってきたかは棚上げしての,そのような反応である点が問題であった。靖国参拝の問題の焦点もそこにあった。靖国神社の宗教的性格は特別‐特殊である。war shrine ! 戦後「軍人恩給」が支給されるようになったものの,旧日本軍の兵士たちの生命の値段はまさに「鴻毛の軽さ」だったから,せめてその後においてその経済的な補償だけはしておく,という意味合いがあった。もちろん,自民党など執権党の利害・政略のためにも実施されてきたものであるが……。 仮りに,イラクに派兵されて死んだ自衛隊員の家族が1億円をもらい,靖国神社に彼の「英霊」が合祀されることに待遇をうければ,その死は納得してもらえるだろうという「計算」なのである。 なかんずく,靖国に祀られた自衛隊員の魂は,宗教的な意味で本当に慰霊されたことになるのか? これが重大な論点である。 J この国:日本は,アメリカの尻尾につかまるほかない政治的な関係におかれてきた。それゆえ,その一国帝国主義路線に振りまわされつつ,かつ盲従させられてもきた。 日本が今後もアメリカ軍事帝国主義路線のいいなりに動き,両国の軍事同盟関係をいままで以上に深化させることになるのか,それとも,近隣諸国との新しい関係を自主的に切りひらくことができるのか,東アジア地域の各国は注視している。
日本はすでに「少子‐高齢化」社会に突入している。 イラク派兵のつぎに予想しておくべき事態は,与党の自民党〔と公明党〕が民主党との連携で憲法を改正し,徴兵制を導入していくかもしれないことである。それによってこの日本もようやく,いわゆる「ふつうの国」になれるという認識がある。 2003年秋に自由党を解散させ民主党入りした小沢一郎も,「ふつうの国:日本」を提唱してきた政治家であった。だが,イラク派兵を実行した小泉純一郎の政治感覚とは多少異なり,今回のようなイラクへの派兵のしかたには必ずしも賛成していない。 それはともかく,戦争‐紛争の地へ派遣された自衛隊員に死者が出ることになったさい,彼らは国家の任務遂行において生命を落としたのだから,『国にとっては「名誉」だとか「栄誉」だとかいって称賛する必要性』が,どうしても生まれてくるのであった。 その必要性をうけて,具体的に定置させ,意義づける国家宗教的機関の役目をはたすのが靖国神社である。 K 戦前‐戦時期に靖国神社がもっていた役割を復活させようとする反動は,いままでなんども出てきた。しかし,現状では靖国神社の役割は,中途半端なかたちでしか発揮させえていない。 靖国神社はあくまで,1宗教法人にすぎない。前段の反動,すなわち靖国神社国営化法案は,現代社会における民主主義を破壊し,また「政教分離」の原則をなきものにしようとする動向であった。 そうした反動勢力の1角を形成する有力団体のひとつが,小泉が首相に選ばれるさい強力に支援してくれた「軍恩連盟」であった。 ここに,この国の首相が靖国を「参拝」するに当たっての根本問題が出てきたのである。小泉には靖国にいかねばならない,やむにやまれぬ事情が控えていたのである。 つまり,小泉が毎年,日本国首相として靖国神社に参拝することは,東アジア諸国の批判‐非難などとるに足らないことなのである。ただし,近隣外交におよぼすマイナスの影響は甚大である。 江戸時代は鎖国時代だといわれるが,徳川幕府は実質的に朝鮮とは正式に外交関係があった。 21世紀の現代にあって,近隣諸国との有効親善に対してあえて,毒をふくむトゲを刺すような行為をやめられない,この日本という国の将来が心配である。 その意味では,自民党が靖国神社に対して基本的に抱いている宗教的な価値観をしれば,公明党が与党に与している現状は摩訶不思議である。 小泉純一郎には,自分個人の首相任期を長持ちさせたいとする深慮遠謀以外に,なにかとくべつに政略的展望があるのか。こんな人間に,日本国内外に山積する諸課題に関する政治指導を任せていてよいのか。 「結 論」…… 今回,イラク派兵と重なる時期を迎えて,小泉首相は「4回めの靖国神社参拝」を強行した。もはや,日本国憲法第9条は実質的に死んだも同然である。 現状日本のそうした政治思想的環境のなかで,しかも,いまだ現憲法を改正しないまま「ふつうの国」になりたいとする「日本国の願望」とは,いったいどういうものなのか。執権党の自民党はそれを明らかにしえないでいるし,野党の民主党もなにを考えているのかまだハッキリしていない。 この国:日本は,東アジア地域経済はもちろん世界経済全体のなかで,まだまだ「経済大国の位置」を維持しつづけるにちがいない。そうならばそうで,その身丈にふさわしい国際政治上の指導力も発揮できるよう努力しなければならない。 そうであってほしいのだけれども,ここまで2年と8カ月を勤めてきたこの国の首相は,自分の地位保持に汲々としているだけである。とくに,そのために靖国神社に参拝することだけに熱心である。小泉純一郎がそんな演技‐役まわりを毎年つづけているようでは,この国に明るい未来を望むことは無理である。
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小泉純一郎首相の年頭記者会見での
【毎日新聞の報道】 あまり騒ぎ立てるようなことは望まなかった。お正月ということで,参拝するにはいい時期ではないかと思って参拝した。それぞれの国が歴史や伝統,慣習,文化をもっている。戦没者に対する考えかた,神社にお参りする意義など,日本には独自の文化がある,外国にはないかもしれない。これからも率直に理解を求める努力が必要だと思っている。日韓両国の交流はこれまでどおり拡大したい。 [毎日新聞1月5日] ( 2004-01-05-11:56 ) http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20040105k0000e010032000c.html 【朝日新聞の報道】 元日の靖国神社参拝については「過去の戦没者に感謝を捧げるとともに二度と戦争を起こしてはいけないと参拝した。お正月で参拝にはいい時期と思った」と説明。中国,韓国の反発については「日本は戦没者に対する考えかた,神社にお参りする意義,独自の文化がある。こういうことに率直に理解を求める努力が必要だ。日中,日韓関係は大事なパートナー。今後の交流進展はいろんな分野で拡大を進めたい」と語った。 http://www.asahi.com/politics/update/0105/002.html 【筆者のコメント:4】 すでに十分な批判を与えてきたつもりなので,ここでは若干を論及するだけにとどめておくことにする。 ▼ 日本には「神社にお参りする意義,独自の文化がある。こういうことに率直に理解を求める努力が必要だ」といういいぶんは,自分の心情〔実は大事な事情を隠したそれなのだが〕を一方的に述べているにすぎない。ともかく「日本の独自の文化を認めろ」とだけ主張する。 1945年まで日本帝国主義が「神社という日本独自の宗教施設」に象徴される軍国主義体制をもって,つまり,軍事力を背景に東アジア諸国に対しておよぼしてきた「他国文化に対する神社文化的な暴力:侵略行為」は,どこまでも「率直な批判」をうけ,議論されて当たりまえである。 小泉の態度は,相互の対話を拒否するだけでなく,真正面より問題にとりくまずに逃げまわっている。 「靖国神社という戦争神社」をまえにして,「過去の戦没者に感謝を捧げるとともに二度と戦争を起こしてはいけないと参拝した」というこの講釈は,滅相もないまやかしを破廉恥に語ったものである。「靖国神社という戦争神社」は,日本の青年男子に対して戦争にいくことをはげまし,死んだら《英霊》にしてあげるから後顧の憂いなく戦場に出征せよ,と国家宗教的に納得を強制したのである。 靖国神社を参拝する行為は,1945年以前の日本帝国主義そのものを正当化し合理化する行為である。小泉の狡猾さは,「逃げ口上」でしかない「噴飯ものの主張」をもっともらしく語るところに滲みでている。 この男は恐らく,中国や韓国の人びとと靖国問題をめぐり,対等に討論することはできない。ひたすら没論理的に「理解してくれ」というばかりで,それ以上の宗教‐文化哲学を,政治家として語るところがないからである。 中国‐韓国がわの知識人・研究者はさておき,日本がわにはその領域の専門家がたくさんいるはずなのに,小泉の靖国参拝を根源的に説明し批判する論者がいないのは,まったく情けないことである。 中国や韓国から政治的な批判が出るまえに,日本のがわからなぜ,きちんとした靖国参拝問題に対する本質を突いた的確な理論分析がおこなわれ,まっとうな批判が出てこないのか。 天皇‐天皇制と靖国神社にかかわる議論‐批判には,禁忌でもあるのか? 要は,小泉純一郎にとっては,靖国参拝が「あまり騒ぎ立てるようなこと」になってはまずいのである。ただし,靖国を参拝したことの意味(戦争神社への参拝という点)は,支持者(軍恩連盟や日本遺族会など)のみなさんはわかってくれていますね,といいたいのである。 だから,突っこんだ「話」はさせないでくれ,というのが本音なのである。というのも,突っこんだ「話」となったら,自分を総裁‐総理にしてくれた自民党員など支持者の支持をうしないかねない材料が出てくる可能性もあるからである。 だから,なんども繰りかえして,日本の「神社の意義,独自の文化」を強調すること以上は,なにもいうことができないのである。この神社文化の問題を掘り下げて議論することにこそ,まさしく核心があるのに,である。
2004年1月3日の『朝日新聞』朝刊「天声人語」は,日本の伝統だといいながら靖国神社へ「初詣」〔=初参り〕した小泉首相の行動に対して,「一般の人々の初詣といっしょにはできない。イラクへの自衛隊派遣を決断した新年のメッセージだ」という解釈をくわえた。 かつては,アジア各地など海外に百万人単位もの派兵をおこない,侵略戦争を大々的に推進してきた日本国(当時の大日本帝国)である。もしかすると,靖国参拝にいった小泉首相は,イラクに派遣される自衛隊員(日本軍人)のため〈弾除け:安全祈願〉でもしたのか? あの「15年戦争の時代における旧日本帝国軍隊」と,今回における「イラクへ派遣する日本の自衛隊」とでは,だいぶ事情や性質,規模がちがっている。したがって,わざわざ靖国参拝にいき自衛隊員のために安全祈願をする必要はない。 もっとも,イラクに派遣した自衛隊員に死者が出たりしたら自分の地位が危うくなりかねない,だからそのための〈安全祈願〉をしたというのであれば,小泉首相の意図というか気持もすこしはわからぬわけではない。 思うに,「公人たる首相」が「私的な資格:紋付袴の日本的な正装」であっても,靖国神社に〈自衛隊の安全祈願〉をしにいったとするならば,「政教不一致」というか「祭政不一致」の原則に抵触することになる。いつから神道が日本の国教になったのか? 戦前体制と基本的になにが異なるのか? 靖国神社が戦争神社であることは,昔もいまもかわらない。 その神社の本質は,兵隊〔自衛隊員〕に死者が出ることを〈当然の予定,必然の前提,必須の条件〉に踏まえたところ,「異様‐異常な宗教施設」なのである。そんな場所であるにもかかわらず,日本の首相が「初詣:初参りの〈安全祈願〉」にいった。 日本の首相が靖国神社へいって,イラクへ派兵する自衛隊員たちの〈安全祈願〉をしたぶんには,1945年8月まで,旧大日本帝国によって戦場に送りこまれ,死にたくもないのに殺されてきた246万6千余名もの〈英霊〉たちが怒り‐嘆くだけでなく,この時期「靖国」に参拝しにきた日本国の首相を,恨み‐呪うのがオチではないのか。 もちろん,そこに本当に〈英霊〉がいるとしたならばの話だが,「もうこれ以上,死者を出すな!」と叫んでいるにちがいない。 イラクに派兵された自衛隊員が死んだばあい〈英霊〉あつかいされ,靖国神社〔あるいは地元の護国神社〕に納められることになるのか。現在のところまでそういう待遇があった事実は,日本社会の表に出すかたちで広報されていないようである。だが,自衛隊の業務で死亡した隊員たちはいままで,実際においてそういうあつかいをうけてきている。 2004年1月5日に出た新聞に書かれたつぎの記事が,筆者の目を惹いた。
今回イラクに派遣された自衛隊員は,棺桶に入れられて1億円をもらい日本に帰国するよりも,6か月間現地での任務を無事にこなし日本に帰れる,つまり,通常の給料にくわえるに「特別手当を〔日額3万円×日数だから〕540万円もらえた」ほうが,どのくらいいいか……。 国家財政は「火の車」だというのに,国の名誉‐尊厳だとか軍人への敬意‐栄誉だとかよくいうよ! 「死」とは関係のないエライさんたちが……。イラク派兵のまえにやるべき内政問題が山積状態だというのに……。 ●「生命あっての物種」だよね。 ●「死んで花実は咲かぬ」というじゃないの。 安全地帯にいる政府高官たちにはわからぬ気持である。 防衛庁長官石破 茂は「自衛隊のイラク派遣によってイラクの人びとを幸せにする」といっている。これがイラクを人道的に援助する仕事なのだ,ともいっている。 石破による以下の訓示を聞いて,その意味がすこしでも理解できる人がいたら,ぜひ教えてほしいものである。
たわけたことをいうでない。イラクの人びとの多数は〔とくに比較的治安のよい地域ではなおさら〕,銃をかついだ兵隊を歓迎しないといっている。人の道もわからぬ人間に「軍隊を派遣して人を幸せにする」などというべき資格はない。語るに落ちた話。 −−自衛隊は軍隊である。本務は戦争にある。そこをなんと,「戦争にいくわけではない」とのたまうのだから,どうしても上述のように,禅問答にもならない摩訶不思議なご託宣が披露される。 −−「高い能力(軍事力:戦闘力)をもつのは自衛隊であり」,アメリカの侵略・攻撃によって現在「ひどく低い生活環境を強いられているイラクの人々」をその力によって助けるのだ,というのなら話はわかりやすい。 だが,「われわれ=自衛隊の体験をつうじてえたことをともにわかちあい」「1人でも多くの人々に幸せを与える」などといわれても,いったいなにをいいたいのか皆目理解できない。 自衛隊が派遣されるイラクのサマワにはすでにオランダ軍が進駐している。進駐して以後このオランダ軍は「体験をつうじてともに」「1人でも多くの人々に幸せを与える」ことを成就できているのか? 否である。 これまでの新聞報道で理解できるのは,イラクのサマワの住民たちは,「経済大国」日本の自衛隊がくることによって,失業率7割の現地に新しい「雇用の機会」が生まれるのではないか,などと勝手に期待している節もある。
このまま事態が推移していくとすれば,自衛隊が現地にいっても,すでにいるオランダ軍とたいしてかわらない軍隊になるかもしれない。自衛隊も軍隊であるかぎり,民生に直接奉仕する役目をはたすことはできない。それは「軍本来の目的」からおおきくへだたる役目だからである。 たとえば,イラク現地の住民が水の入手に苦労している。だから,浄水‐給水施設をもちこみ助けるのだと,日本の防衛庁は派遣する自衛隊の任務を説明している。 だが,いままでの新聞報道をみるかぎり,軍事用であるその浄水‐給水用の設備がどの程度の性能をもち,具体的にどのくらいの給水能力があるのかまったくわかっていない。そもそも,その設備は,何台(何機)がもちこまれるのか。 われわれ日本国の構成員:納税者には,そんな初歩的なことさえまだしらされていない。われわれが最近まで,テレビ報道をとおして頻繁にみさせられてきた「その設備の給水実演のもよう」は,報道関係に公開された〈1台〉の給水装置による「稼働状況シーン」の映像である。 だいたい,イラクにもちこむ予定のその浄水‐給水用の設備は,軍事用につくられたものである。常識的に考えると,それはまず派遣される自衛隊用に給水し,余力があればイラク現地の人々に提供する関係になる。 自衛隊員より現地の人々に対して,優先的に給水するつもりがまちがいなくあるのか? そういうふうにすることが可能か? また,浄水し給水するというが,いったいどこからどのようにその源水を確保するのか。このことに誰も言及しないし,報道にも出てこない事情である。
本当は世界で最大‐最悪のテロ国家であるアメリカなんぞの尻馬に乗っかり,イラクに派兵することがそんなに国際協調の発揮・同盟関係〔にあるアメリカ国〕の尊重,自国〔である日本〕の名誉になるというのか。 全国中にこんなにも米軍基地だらけの国が,よそのどの国にあるというのか。これでもう,十分すぎるくらい十分にアメリカの軍事的な手助けをしてきているのが,日本という国ではないのか。 ASEAN諸国の一員,インドネシアのあるジャーナリストは,「日本は,ささいなことで傷つかないともかぎらない。そんな危惧を抱いた」と批判している(『朝日新聞』2003年12月29日「朝日新聞アジアネットワーク」参照)。 この批判は,軍事面においてアメリカ一辺倒の協力をする日本に関したものではなく,経済面においてアジア全域に対して日本がはたせる貢献に関したものである。 「脱亜(アメリカ:亜米利加の亜か?)入欧」の国:日本の本性は,いまだに変化をみせえないでいる。
日本では「改憲の動き=軍国主義の復活」という構図ができあがり,それがアジア諸国の反撥を招くということが繰りかえされてきた。この不毛な状況に終止符を打って,世界に向けて堂々とみずからの安全保障政策を語れる日がくるのだろうか。 そのカギは,天皇陛下およびその名のもとに無謀な戦争をつづけた軍国主義の戦争責任の明確化と,日本国民に向かっての謝罪にある(同書,229頁)。 昭和天皇と平成天皇は,A級戦犯が合祀されてからの靖国神社にいけなくなった。それでも小泉純一郎は,自分の「地位大事」ばかり考え,毎年靖国参拝にいっている。これは,アジア諸国とのあいだにいらぬ政治外交上の摩擦をつくりだす行為にしかならない。 天木直人は,ヒロヒト天皇の名によった「無謀な戦争」と「軍国主義の戦争責任を明確」にし,かつ「日本国民に向かっての謝罪」が,いまなお必要だといっていた。ただし天木は,そうした関連性のなかに厳在してきた「靖国神社=戦争神社」の意味に触れるところがない。 この日本という国は,1945年8月時点までさかのぼってやりなおすくらいの気持をもたねばならない。そうだとすれば,平成天皇はともかくとして,日本の首相が靖国に参拝にいくなどという「憲法違反である祭政一致の宗教的行為」は,即刻やめなければならない。 要は,日本の首相が参拝にいく「靖国神社=戦争神社」の存在じたいに不可避の重大問題があることに気づかねばならない。 −−『朝日新聞』2004年1月8日朝刊「社説」は,「昭和天皇もいまの天皇陛下も,A級戦犯が合祀されて以来,靖国神社を訪れたことはない」と説明し,戦後史における天皇のその対応を,なにか評価でもするかのような言及をしている。 だが,それは,過大な評価,買いかぶりである。 敗戦後,一度中断が入ったものの,昭和天皇は日本全国各地を「巡幸」し,大東亜戦争で310万人もの犠牲者を出した日本民族=「臣民」たちが,おメデタイことに,自分をそれほど恨んでいない状況を察知し,A級戦犯に自身の大罪を転嫁させてくれたマッカーサー元帥の英断に深く感謝したのであった。 昭和天皇が戦後も,靖国神社に参拝にいっていたことの意味は,つぎの2点にある。 1) 国民〔かつての臣民〕たちに対する〔「現人神」から「象徴天皇」にかわってしまったものの〕「自分の権威的な地位」を,あらためて認めさせ,より堅固なものにしておくこと。 2) 同時に,過去の戦争で犠牲になった人びとに対する弔意〔遺憾の意〕を表わしておいたほうが,その「自分の権威的な地位」を確固たらしめるうえで,より得策と考えていたこと。 ところが,GHQの占領支配を解かれ日本が独立したのち,昭和天皇にとって「目の上のタンコブ」として遺ったものがあった。そのひとつが「マッカーサー元帥への借り」であり,もうひとつがA級戦犯として絞首刑にされたかつての「忠臣たちが靖国神社に合祀された」ことであった。 ヒロヒト天皇は,1975年秋にアメリカを訪問したが,すでに故人となっていたマッカーサーの墓地は訪れず,外務省の係官に花輪を送らせただけである。そして,1978年以降は,A級戦犯が合祀された靖国神社には参拝にいけなくなった。 −−つまり,昭和天皇にとって非常に目障りだった《戦後的風景》は,つぎのふたつのものであった。 ★1 戦争犯罪人として裁判にかけられたかつて自分の忠臣だった『A級戦犯』7名は,絞首刑をもって処断されていたのだが,その後,靖国神社などの意向によって彼らがそこへ合祀されたこと。 ★2 自分の臣下だった者たちをA級戦犯に決め,裁判し,処刑した,逆にみれば,自分を助命してくれ,天皇の地位が継続されるようにとりはからってくれた『マッカーサー元帥』の記憶が強く残されたこと。 昭和天皇は生きているあいだ,後者★2の記憶を抹消できるわけもなかったから,前者★1とのあいだにおいて「自意識に葛藤」が生じてしまい,事後,靖国に参拝にいけなくなった。 こういうことである。 前者★1:「A級戦犯が合祀された」靖国に参拝にいくことは,後者★2の事実:「マッカーサーにより助命され延命することができた自分とその地位」を如実に思いおこさせるだけでなく,なによりも,本来「自分が背負うべきだった戦争責任の根源」に「頭を垂れる」という,ヒロヒトにはとうてい耐えがたい関係性も意味する。 明治以降の諸天皇が靖国に参拝にいって拝礼する行為は,実は「臣民たちも皇祖皇宗に対してこのようにせよ! 皇国のために生命を捧げることを惜しむな!」という模範を勅令したものであり,けっして「臣民出身の英霊」を天皇自身が本気で崇敬するものではない。 「天皇陛下のために死ね!」といわれてきたけれども,「天皇陛下が臣民のために生命を投げだす」なんぞということは,絶対にありえなかった話である。このことを考えれば,前段の説明は十分納得のいくものである。 いずれにせよ,靖国神社への「A級戦犯合祀」を契機に生じたのは,そうした形式関係〔当代天皇が臣下=靖国の英霊を崇敬する形式〕のなかに,まちがいなく,しこまれていたはずの実質関係〔英霊といえどもやはり天皇の臣下でしかない実質〕が否定されるような事態である。 1978年以降,天皇が靖国にいけなくなったゆえんである。
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