★ 拙論による藻利重隆理論・学説に対する批判を
めぐる応答-歴史的記録に留める- ★
拙著『経営学発達史-理論と思想-』(学文社,1990年)の第7章「規範学派の形成(2)」は,
つぎのように記述していた。
筆者論著による批判に対しては,これを「黙殺する」旨を返事を私信でもらった。斯学界の権威的
地位に鎮座する「藻利経営学」の言辞とも思えないが,批判者に対する彼のそうした応答は,藻利学
説の「虚構性」を端的に物語るものである。
斯学内外に対する理論上の学際的交流・対話をこばむ学説に,学問を語る資格はない。なにも筆者
が力んでいわなくとも,いうべき人はいっている。藻利学説「経営二重構造論」は「学問の名に値し
ない」,と(渡瀬 浩『経営社会学』丸善,昭和45年,217頁)。
ここまで自説が指弾されても,自己の地位の安泰にかまけて,批判者に一言も反批判をかえさない
態度は,ある意味においては,学問の発展に反動的な役目をはたしかねないものである(以上は,裴
『経営学発達史』231-232頁)。
前段の記述は1990年に公刊した著書のなかでのものであった。こういう学問的・理論的な断定をあ
えて放った背景には,以下に説明する事情・経緯が控えていた。
本ホームページの ◆ 2015年11月より 新規公開論稿 ◆ は,“藻利経営学”に関する論稿3編を,
「藻利重隆『経営二重構造論』に関連する論稿」として,かかげている。これら論稿はもちろん藻利
重隆には進呈してあった。
1981年12月,藻利重隆から返事をもらえた。それはハガキでの書状であり,簡単な礼文が書かれて
いた。私信とはいえ,学問上のやりとりであったゆえ,著書なかで紹介しておいた。いま,2015年12
月の時点から振りかってみるに,その後早,34年が経過した。藻利が投函してくれたそのはがきには
「黙殺させて頂きます」という一句が書いてあった。
黙殺したかったのであれば,完全に黙過しておくためにも,いっさい返答はする必要がなかったと
思われる。しかし,そこまで徹することにはせず,あえて最低限の誠意はみせてくれ,そのようにわ
ざわざ『黙殺する旨』を伝えてくれていた。
“藻利経営学”とまで呼称(尊称)された「偉大な経営理論」を構築した藻利重隆であった。だが,
渡瀬 浩はなぜ,前記のようにこの「藻利学説・理論」を「学問の名に値しない」とまで裁断するこ
とにしたのか? 渡瀬にもう一度,聞いておく。
「われわれは経営の二重構造が真の意味の理論的分析に値するためには,2つの部分構造の『非対
等性』を理論的に体系化しなければならない」。「単なる二重性の指摘や,対等性の主張は,そこに
若干の整序がみられるとしても,結局は常識にすぎぬもの,少なくとも学問の名に値しないと批判し
てきた」(渡瀬『経営の社会理論』217頁)。
この根幹からの批判点について渡瀬は,他著『権力統制と合意形成-組織の一般理論-』(同文舘,
昭和56年)のなかでも反復していた。藻利「経営二重構造論」のように,その「調和とか相即を説く
均衡論は」「学問の名に値するものとはいえない」。というのは,それが「学問的レベルのものであ
る,ためには明確な統一原理がなければなら」ず,そもそも「経営は種々の状況に応じて巧みにその
間のバランスをとっているはずである」からだと,渡瀬は再度,批判していた(同書,330頁)。
むろん,藻利重隆の経営学説・理論には経営目的論もあり経営共同体論も控えている。ところが,
それでも渡瀬から引導を渡されたことになる〈根本からの批判〉を甘受せざるえない「もとからの
《発想上の限界》」を,藻利経営学は本質的に内包させていた。
藻利経営学の基本的な問題性,その時代的制約的な発想はナチス流「経営生物学」にあった。この
経営理論的・社会思想的な発想源泉(つまり「明確な統一原理」)が断ち切れず,捨てきれなかった
藻利流になる学説形成は,しょせん「時代の重荷」を背負っていた。
それでいて,敗戦後の時代はその荷を背負ってなどいないかのように振るまいつつ,だから,ナチ
ス流の理論構想を基本構想においてはなんら変化させずに,あたかも着せ替え人形に似せた姿(実体)
をもって延命させていた。それでも藻利「経営二重構造論」はともかく,敗戦後においては学界で高
い名声を獲得し,維持できてもいた。
しかしながら,藻利経営学は結局,その〈虚空の理論〉をみずから放棄できなかった。この不幸な
時代に生まれざるをえなかった理論が,一橋大学商学部教員の理論的な提唱であったせいなのか,敗
戦後の経営学界においては,たいそうりっぱな学説だと誤認されつづけてきた。
藻利学説・理論に対する批判的分析は,渡瀬 浩の社会学的な批判の視角からしても基本な要件を
充足させられている。しかし,経営思想史的な視座からもこの藻利経営学を解剖することになれば,
この経営学の提唱がいかほど無意識的にもまた意識的にも,旧ドイツの第三帝国と密着した相互関係
のもとに生誕させられていたか,この〈歴史の事実:理論的な本質〉が判明する。
これ以上の分析に関しては,拙著のうちとくに戦争の時代における問題点の批判的考察に関しては,
『日本経営思想史-戦時体制期の経営学-』(マルジュ社,1983年,125-139頁)に任せるが,本
ホームページに公表した論稿は,その後に拙著『経営学発達史』1990年(学位論文)の公刊に至るま
でのあいだ,藻利経営学を根本から思想史的に吟味していく作業工程において産出された諸稿である。
※ 2015年12月5日 記 ※