● 拉致ヒステリーと「国民国家」日本 ●
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● 日本人は小心だから,なかなか思いきって現実を改革する決断ができない。 小
沢 一 郎(『文藝春秋』1999年9月号より) ● 現在は民主党に籍をうつしたが,古巣の自民党では幹事長も務めたことのある小沢一郎国会議員は,本ページでこれから論述する「北朝鮮による拉致問題」の展開‐発展ぶり:〈ヒステリー症状〉を,1999年秋に予見していたことになる。 ご覧のとおりである。−−2002年秋問題の発生時から2003年をとおして,ずいぶん長いあいだ,マスコミ論調が加熱しつづけ,雑誌の見出しには「ただちに北朝鮮を叩け」が盛んに躍っていた。 同じような「歴史の繰りかえし」ばかりでよいのか? |
=主 な 内 容= |
※ 北朝鮮拉致被害者の家族・支援団体などによるファッショ的言論統制 |
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和田春樹「『拉致』された国論を脱して」 |
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Steven
K. Vogel“拉致問題を外交に「拉致」させるな” |
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拉致ヒステリー,「拉致」されたメディア
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拉致問題を熱心に支援する西村眞悟のテロリスト的素性 |
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拉致被害者問題:その後の動向〔
2003年12月下旬 〕
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(1)まず,岩波書店発行の■月刊雑誌『世界』の存在を指摘する。 (2)つぎに,この日本で2002年秋よりかまびすしくとりざたされている「拉致問題の完全なる解決なくして,北朝鮮との国交正常化は断固拒否すべきである」と要求してやまない,■つぎの3組織があることを紹介する。 @「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」:代表 横田 滋 A「北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会」:会長 土屋敬之 B「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」:会長 佐藤勝巳 そして,これら3つの組織の立場からみて雑誌『世界』は,とんでもない〈国賊・非国民〉的な時論を展開するものと,うけとめられている。 だが,雑誌『世界』とは正反対に,拉致被害者の問題を無条件,一方的・全面的に応援する諸雑誌もある。実際ではこちらの雑誌のほうが,はるかに多い発行部数を誇っているはずである。 たとえば,『正論』(産経新聞社発行)や『諸君!』(文藝春秋社発行)は,体制保守・右翼・国粋派・零細小市民派の立場・思想御用の,「煽動的な論説」を掲載することで有名である。 (3)さらに,ソ連‐ロシア史研究者の前東京大学法学部教授■和田春樹は,東北アジアの政治・外交史も研究の領域にとりあげる研究者であり,北朝鮮問題もその一環として議論の対象にしてきている。 前掲,北朝鮮による拉致被害者の家族とこれを支援する個人および組織〔@ A B〕は,この和田春樹をあたかも仇敵であるかのように攻撃している。自分たち組織の運動目標・志向は絶対に正しく,これを阻害する知識人の1人が和田春樹だという規定が,明らかなかたちで下されている。
最初に,インターネットで「和田春樹」を検索してみると,1ページめにいきなり『「救う会」全国協議会ニュース』なるものが現われる。 その発行者は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」であり,事務局長の荒木和博が編集・担当するそれである。そのページの題名は「1月28日,和田春樹氏・『世界』に抗議する声明を発表」とある。 さらには,こういうことも書かれている(注記;以下,文章をわかりやすくするため若干語句を補っている)。 「本日おこなわれた救う会全国協議会幹事会で,和田春樹氏と雑誌『世界』に対して抗議する声明を発表することが決まりました」。 「和田春樹氏と雑誌『世界』の北朝鮮拉致被害者救出運動に対する妨害行為に断固抗議する」。 「なお,和田論文に対しては『現代コリア』1・2月合併号に荒木,『諸君!』4月号に佐藤勝巳全国協議会会長,『草思』4月号に荒木の反論がそれぞれ掲載される予定です」。 以上の声明に関しては, 西村眞悟(前自由党・現民主党国会議員)の主張も載せられている。その一部を紹介する。 −−日朝国交促進国民協会(会長・村山富市元総理)の事務局長を務める和田春樹東大名誉教授は,雑誌『世界』2001年1月号ならびに2月号に「『日本人拉致疑惑』を検証する」と題する論文を寄稿した。 この論文は,拉致問題について書かれたものの一部を意図的に拡大解釈し,独断と偏見によって,拉致があたかも陰謀の結果であるかのようにでっち上げたものであり,とうてい許されるものではない。 とくに和田氏は関係者にいっさい取材をしていない。取材をすればただちに氷解する疑問をまったく関係者に質すことなく,みずからの憶測だけで原 敕晁さん以外に拉致は存在しないと意図的に描きあげている。 『世界』の岡本 厚編集長は,1月号編集後記で「日本は,みずからが提示した『日本人拉致疑惑』にみずから縛られ,交渉の自由をうしなっているように思える。この問題の構造を解くことは,焦眉の課題となってきた。本誌は,本号和田論文を皮切りに,この問題の構造を連続して追求していく。抜けない『棘』にしてはならない」と書いている。 和田氏の論文や編集後記に書かれた『世界』の方針は,意図的な拉致問題の隠蔽をめざすものであり,さらに責任は重大である。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~nisichan/101/772247314453125.html
西村眞悟はともかく,自分たちに直接取材しないことを理由に,和田春樹の論説は「一部を意図的に拡大解釈し,独断と偏見によって,拉致があたかも陰謀の結果であるかのようにでっち上げたものである」と断定・指弾していた。 さて, @ 横田 滋代表「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」, の3組織「会」はその後,自分たちの意にそわないマスコミ・報道機関のニュースが絶対流れないように,政府関係者も巻きこんで必死になって圧殺工作をしている。 要は,自分たちに対する反対論・批判論の存在は,絶対許容しないという態度・姿勢である。北朝鮮拉致被害者とその家族およびその支援団体(組織)は,「絶対神」に対する信仰心に近いものをもって,「自分たちの被害者の立場=神聖性」を誇っているような状況である。 なによりも,上記3組織「会」が「自分たちの意にそわないニュース報道をするマスコミ・報道機関」を締めだすことにおいて成功している現状は,日本における「報道の自由を圧殺する行為である」だけでなく,「民主主義の根幹さえ揺るがすような専横=自己の立場の絶対的正当化」である。 最近まで,日本のマスコミ・報道機関に対して上記3組織「会」が,a) どのように報道管制を強いてきたか,くわえて,b) 調子に乗りすぎて,いってはいけないことを口走り,さらに,c) やってはいけないこと〔テロ行為の犯罪〕をやったか,などについてはのちにくわしく触れる。 つぎの図解は,日本経済新聞2004年4月3日に掲載された「日本政府・自民党と北朝鮮の相関図」である。 右下隅に配置されている「拉致被害者〈・家族会,・救う会〉」は,二重線で「安倍晋三自民党幹事長―平沼拉致議連会長」につなげられているが,これまでの経過・事情を観察するかぎり正確には,「日本政府」の枠組のなかに入れて配置したほうが,より適切とみられる。
● 和田春樹「『拉致』された国論を脱して」● 和田によるこの論説をめぐっては,さきまわりして,その後にかかわる新聞報道を紹介しておく。
2003年12月には,6者会談の第2回会議が開かれるという現下の国際的条件のもとで,対北朝鮮経済制裁を日本は一国でおこなえるのか。そして,それを実施したら,北朝鮮が屈服するのだろうか。東北アジア地域の6カ国の一角をなし,地域の平和と安定のために貢献すべき責任ある国家のまじめな議論としては,とても思えない話である(和田,前掲稿,249頁)。 2002年秋以来,内閣官房副官房長官として〔2003年9月より自民党幹事長〕,拉致問題を主幹してきた安倍晋三がとりまとめ推進してきた日本政府の方針は,すでに1年間なんの成果もあげていない。 安倍は「北朝鮮には食べるものも石油もないが,日本にはある。冬を越せない北朝鮮はかならず日本に屈服する」と,2002年秋にマスコミに語っていた。 だが,その冬はとうに過ぎ,2度めの冬がこようとしている。事態はいっこうにかわらず,いかなる前進もない。 万人が「拉致問題の解決」を語るが,その解決がどういうことをさし,どういう方法で達成されるのかについて,突っこんだ議論はいっさいない。 “挙国一致”の国論ができているというありさまである。 政党のみならず,新聞もテレビもひとつの論調であって,その以外の主張を出すことができない状態である。 この事態を批判しているのは,外国のメディアだけであるかのようにみえる。 カリフォルニア大学スティーブン・ヴォーゲル准教授の文章に,「拉致問題に外交を『拉致』させるな」という題名をつけて載せたのは,『ニューズウィーク日本語版』2003年7月23日号であった。 同誌は,2003年10月22日号でも,「拉致ヒステリーの落とし穴」という記者の大論文を載せ,「被害者の帰国から1年,拉致問題の解決だけにこだわりつづける姿勢が外交を歪ませている」と書いた。 これは,国内の新聞雑誌の論調とは,きわだって異なるものであった。 「挙国一致の精神態度」で,政治家と国民がともにしばられて身動きがとれない。べつの道をとれば,解決へはるかに早く前進していたかもしれないのに,現在の方針で1年やってきた,いかなる前進もなく,このままでは『ニューズウィーク』の論文の結語のいうように,「来年もまた,なんの前進もないまま10月15日を迎えることになりかねない」のである。 完全に袋小路に入りこんでいるこの状態をつくっている社会の雰囲気・国論は,どうしてできているのか(和田,前掲稿,250頁)。 −−アメリカの週刊誌に「拉致ヒステリー」とまでいわれてしまった日本の国論の状態は,さまざまな要素からできあがった。 a) いうまでもなく,拉致疑惑が拉致事件となって衝撃的結果をうけ,北朝鮮に対する怒りの感情が日本国民に広がった。13人拉致,うち8人は死亡といわれた家族の衝撃と絶望は,あまりにおおきかった。それを目の当たりにして,国民の感情は高まった。これは自然の反応である。 しかし,それだけなら,責任ある政治家や識者の声が苦痛をなだめ,怒りを克服しながら理性的な外交への道へすすむことは可能であった。 b) そこに,右翼的ジャーナリズムがむすびついた。以前から北朝鮮を非難し,日朝国交正常化交渉に反対していた『週刊文春』をはじめとする週刊誌,文藝春秋社の『諸君!』,右傾新聞〔産経新聞〕社の『正論』など一部の月刊誌,それに産経新聞は,従来以上にはげしく外務省,首相官邸,「親北朝鮮派」を攻撃し,反北朝鮮のキャンペーンをくりひろげた。このキャンペーンがこんどは,国民の感情とむすびついたのである。 c) その動きを主動したのは,佐藤勝巳を中心とする「救う会」全国協議会や平澤勝栄に代表される拉致議連である。このふたつの団体〔組織〕は,日朝首脳会談,日朝平壌宣言にショックをうけ,対北朝鮮政策の主導権をとりもどそうとした。 8人の死亡通告は検証されていない,死亡とされた人は生きていると主張して,首脳会談を準備した外務省の田中 均アジア大洋州局長(当時)を攻撃した。 ふたつの団体は,家族会とのむすびつきを利用して,最強の圧力団体にのし上がり,日本政府・外務省・国会各政党・マスメディアに強い影響力をもつにいたった。 d) 一般のマスメディアは,従来,拉致疑惑問題に半信半疑であったため,疑惑が真実であったことで衝撃をうけ,自分たちの拉致報道が不熱心であったと非難されたのに頭を下げ,「救う会」全国協議会の報道規制にしたがって,自主的な立場をなくしていった。 その点ではとくにNHKのニュース,民放のワイドショーが帰国被害者,被害者家族の映像を放映することを優先し,ついに民放ワイドショーは,北朝鮮の暴露報道に専念した(以下の記述はさらに,和田の論説「『拉致』された国論を脱して」250頁以降を参照)。 −−以上のような要素の相乗作用によって生みだされた「通念の柱」の核心〔以下の【1】【2】【3】〕は,こうであった。 【1】まず最初に,日朝間では拉致問題がすべてであり,植民地支配の清算などということは問題にならない,という考えかたである。 日本が加害者であった過去は忘れられるか,正当化され,日本はただ被害者としてのみ,北朝鮮に対することになった。 つまり,拉致問題と植民地支配をくらべれば,拉致のほうがはるかに悪辣な,犯罪的なものだという考えである。 日朝首脳会談以後のマスメディアの報道で特徴的なことは,日朝関係の歴史の説明が姿を消したことである。 「救う会」全国協議会会長の佐藤勝巳は,1993年に細川護煕主張の発言に反対して生まれた「日本は侵略国ではない」国民委員会の代表発起人となっている。 2002年3月に出した著書,佐藤『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』のなかで,「われわれは過去にまちがいを犯している」と述べたとして,北東アジア課長時代の田中 均をまっさきに批判している。 同上全国協議会初代事務局長で,現在は特定失踪者問題調査会代表の荒木和博は,日本の植民地になって幸福だったという,韓国人 金 完燮の著書『親日派のための弁明』の訳者である。 安倍晋三は1995年,戦後50年国会決議を阻止するための自民党の「終戦50年国会議員連盟」の事務局次長であった。その会長は奥野誠亮,事務局長は板垣 正〔板垣征四郎の子息〕である。 この議連は,かつての戦争は「日本の自存自衛とアジアの平和解放」のための戦争であり,いかなる反省も謝罪も許さないと主張した。 安倍晋三は,戦後50年国会決議に反対して,採決の本会議を欠席した。
だから,日朝平壌宣言に反対し,植民地支配の清算については考えることなく,拉致問題がすべてであるという主張を不断に押しだしている。 「拉致問題しか眼中にないという態度」は,植民地支配肯定論・正当化論にかぎりなく接近する。これは,日本政府が戦後50年を契機に到達したコンセンサスを否定する反動であり,国際的にうけいれられない議論である。 −−(筆者注記) 日朝平壌宣言をむすんだ2002年9月17日小泉純一郎首相の北朝鮮訪問には,安倍晋三も同行していた。そのときみせた彼ら〔中川昭一も同行した〕の渋い表情,いやいやながらも憎っくき金 正日「本人」を直接みたくてきただけだ,という顔つきが印象的であった。 【2】つぎに,日朝国交正常化をいうのは,利権がらみか,北朝鮮に踊らされている人々であり,日朝正常化など必要ない,という考えである。 日朝国交の早期実現という合意にもとづいて,懸案であった拉致問題と工作船問題について謝罪し,二度と繰りかえさないとの態度表明が北朝鮮がわからなされたのに,日朝国交正常化が忘れられてしまったのである。 そうなったのは,従来日朝関係正常化,日朝国交促進のために働いてきた人々に対して中傷・攻撃がくわえられ,その人々の権威が奪われ,それをつうじて日朝関係正常化という課題じたいが否定されたためである。 日朝国交交渉のために道を開くために努力した人々は北朝鮮に迎合し,拉致問題の解決を遅らせた責任者だという決めつけである。こういう完全な論理のすりかえと飛躍を重ねて,国民の怒りを向けさせる標的をつくったのである。 非難は成功し,これらの人々の権威は地に落ちた。たとえば,社民党は謝罪声明を出したうえで,朝鮮労働党との関係凍結の声明まで出した。 私〔和田春樹〕も非難の的になった。極端な例は,拓殖大学国際開発学部アジア太平洋学科教授重村智計(SHIGEMURA Toshimitsu)がもっとも乱暴な非難を浴びせた。 重村は,「拉致問題の解決なしには国交正常化しない」といわなかった政治家は「売国的行為」をしたと非難し,「許せないのは『拉致は存在しない』と主張した人々である」と指摘した。 その代表的な論者は和田春樹東京大学名誉教授であり,岩波書店の雑誌『世界』がそうした主張をあと押しし,北朝鮮が膨大な工作機関を有する『工作国家』であった真実と拉致の事実に目をつぶってきた,などと非難した。 そこで,和田は2003年1月6日に,「拉致はない」とどこで主張しているかと,抗議文を重村に送った。ところが,重村と相談した講談社は,「行方不明者として交渉するほかない」といっているではないかと,反論にならないいいのがれをした。 重村の,和田に対する,もっと馬鹿げた非難も紹介する。 a) 和田は「朝鮮戦争は韓国がはじめた」といったことはない。朝鮮戦争に関する和田の著作2冊の,どこに書いてあるのか。重村は,和田の本の目次も眺めたことがないらしい。 b) 和田が「北朝鮮には自由がないが食糧はある」といったというが,このことを,重村はいつ・どこで聞いたのか。 −−(筆者注記) 重村智計は,2002年9月以降,北朝鮮の暴露報道に専念した民放ワイドショー,あるいは北朝鮮問題を特集した各種報道番組において,その道の解説者として露出度の高かった専門家・学識者である。 和田の指摘する粗相〔ルール違反〕を,重村が学術的に順守すべき作法の面で犯していたとするならば,これは「研究者の風上にもおけない言説」である。 大学の教員が本来もつべき役割を忘失し,単に「世論の風向きに迎合する役割をはたす」風見鶏のような存在になったら,その存在価値は無にひとしいのである。 【3】さらに,反北朝鮮宣伝がある。北朝鮮はこのようにひどい国だというキャンペーンがとくに,民法テレビのワイドショーで盛んにおこなわれている。 北朝鮮はそれほどに非道な反人間的な国,滑稽なまでに異常な国であり,日本とはまったく異質な国,理解を絶する国だというメッセージをもつ映像が繰りかえし流され,これをみているテレビのキャスターが,こんな国があっていいものか,こんな国が存続することは許されないという気分になって,公然とそのようなコメントを口にしている。 『マンガ金正日入門』が販売数50万部を突破したという広告は,「北朝鮮という国の異様さ,不思議さは,温良な日本人の想像を絶している。かくも異様な体制をつくりあげた,金 日成,金 正日親子にいたっては,とうてい理解不能であるといっても過言ではない。つまりは,相手が自分たちと同様な善意と良識をもっていると前提したうえでしか,対話も交渉もできない日本人にとっては,対応できない敵手なのだ」と書いていた。 −−【ここで(筆者注記)をはさむことにする】 「日本人=温良」とか「日本人」の「前提」は「善意と良識である」とかいうのは,いったいなにを意味するのか? この表現をもっていわれたことは無条件に,日本人すべてに妥当することなのか? 「温良でない日本人はいない」とでもいうのか。「善意と良識に欠ける日本人もまったくいない」とでもいうのか。これはまた,ずいぶんと決めつけのはげしい,単純すぎる腑分けであり,全然説得力のない独断的な偏見である。 「北朝鮮〔人〕=悪,日本〔人〕=善」ともいうべき「図式上での観念的な断定論」がみられる。いうまでもなく,それを反対にする理解も真理ではない。結局,完全なる思いちがいか,本当の勘ちがいではないのか? −−しかし,ともかく,和田はこう反論する。 「まったく理解できない敵米英を人間ではない,鬼畜生だとみて,そういう者は殺してしまえというのが,大東亜戦争における『鬼畜米英』の考えであった」。 他方,日本はといえば,ドイツ,イタリアと「枢軸」国をなしていた。人類に対する「枢軸」3国の悪行は,現代の「悪の枢軸」3国の現実とはくらべものにならない。 理解不能の鬼畜だといえば,「問答無用だ,やっつけてしまえ」という悲劇を繰りかえした情念が乱舞する。日本の反北朝鮮キャンペーンは,その数歩手前までいった病理現象である。 北朝鮮を早く打倒せよというなら,結局アメリカに平壌爆撃をしてくれということになる。そうなれば,韓国も日本も戦場になるのだ。拉致犠牲者の家族もキム・ヘギョンさんも犠牲になりかねない。 「問答無用だ,やってしまえ」という心理から脱出するには,理由‐歴史を考えること,打開と誘導の道を考えることである。 わずか50年まえに日本も「一億玉砕」を叫んで,天皇を最後まで信じて,アメリカ軍と戦ってはてることを覚悟していたではないか。 −−ところが実は,拉致被害者自身,つまり帰国した5人の考えは,はるかに冷静である。 その1人地村保志が帰国1年にさいして書いた手記は,重要な認識をしめしている。地村は,拉致された自分たちと同じ境遇の人が日本と朝鮮には多数いる。これは,自分たちもその一部だという認識である。 さらに地村は,自分たちの拉致が日朝の敵対関係‐不正常な関係のなかで起こったと的確に述べている。 拉致被害者として地村が苦しみながらもちこたえて,そのように理性的に認識する態度は,日本の全国民が耳を傾けるべきものである。 もう1人蓮池 薫は,拉致はテロであるとし,経済制裁を求めた「救う会」全国協議会の大集会に参加するのをためらって,「拉致はテロだという糾弾集会になど出られない。自分の子どものいる国を非難できない」と語ったといわれている(筆者注記;この段落は直接取材していない記述だから,西村眞悟のような国会議員にいわせたら,「信じてはいけない:一部を意図的に拡大解釈した独断と偏見」と非難され排斥されるのか?) −−和田はいう。 現在の国論的な立場はまちがっている。 問題を直視してその解決を図る方途を考えねばならない。 問題はなにか。日本からすれば,課題は日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交樹立,関係の正常化である。世界のほぼすべての国と国交をむすんでいるのに,この因縁と問題のある隣国とは国交をもたないということは,日本の国の責任と品位からして許されない。 拉致問題はそのおおきな課題のなかで解決されるべき,またされうる重要な懸案のひとつである。この問題の構造を逆転させることはできない。その解決の構図が,日本外交の重要な達成と評価される2002年9月17日の日朝首脳会談・日朝平壌宣言でしめされている。 日朝間の交渉は,勝者と敗者のあいだの交渉でもなく,加害国と被害国のあいだの交渉でもない。対等だが敵対的であった国同士の交渉だと考えるべきである。したがって,相互信頼関係が生まれ育てられなければ,交渉はなりたたず進展しない。 日本の「一時」帰国した5名の拉致被害者は北朝鮮にもどろうとしたが,日本政府が5名の永住帰国を決定したため,平壌にもどる荷物をととのえていた彼らは「しようがないですね」とつぶやいた,とのことである(注記;同上。直接取材していない点だから本当ではない,などといってのけてよいか)。 さらに,その決定にくわえて,5名の家族の来日を最後通牒的に要求したことで,日朝間の信頼はうしなわれた。こういう最後通牒はいっさいやめることである。5名の家族に関しては個別に多くのむずかしい事情があるゆえ,日本への帰国・移住を性急に一方的に要求するのではなく,慎重な事後策が必要である。 −−国交正常化ができれば,大使館が平壌にでき,新しい状況が生まれる。日本人妻の調査‐帰国は当然,外交交渉の議題となる。この問題にとりくむためにも,国交樹立は必要である。いうまでもないことだが,国交交渉を打開すれば,拉致問題とともに,植民地支配の清算・経済協力問題についても,冒頭から並行して交渉をはじめるべきである。 そして,日朝条約の締結が6者会談妥結と同時になされれば,6者会談の成功をみちびくことができる。6者会議の合意がなり,米朝韓中日露の6国首相が一堂に会して,合意文書に調印すれば,この合意の履行を担保するために,1年後に会合しようと決めることもできる。 そうなれば,東北アジア諸国聯合(ANEAN)首脳会議に移行していくことも可能である。 民主党のマニフェストに出てくる地域の信頼醸成機構は,こうして姿を現わすのである。
● Steven
K. Vogel“拉致問題を外交に「拉致」させるな”● 日朝国交正常化という問題のなかで,拉致問題がいかにとりあつかわれていくべきものか,和田春樹の論じる方途には説得力がある。もっとも,経済制裁を求めてやまない「救う会」全国協議会などは,この和田の議論をうけいれる余裕も寛容もまったくない精神状態,いわば拉致ヒステリーという病理現象を呈している。 「救う会」全国協議会会長の初代事務局長荒木和博は,拉致被害者5名が日本に一時帰国したとき,彼らに同行した北朝鮮関係者2名の殺害を当然視する発言をしていた。また,在日の北朝鮮系民族学校にかよう子どもたちが日本人による嫌がらせ・暴力をうけていることを,当たりまえとする発言もしている。さらにまた,同会の佐藤勝巳代表は,北朝鮮にいる拉致被害者の家族を武力行使してでも奪回せよと,日本政府をけしかけている。 日本政府の高官,いまは自民党の幹事長の安倍晋三や中川昭一なども佐藤勝巳と同じ意見を抱いている。日本がわのこれら人士は,対北朝鮮の外交交渉になると,なにかあるごとに理性をうしない,まったく狂乱状態になったかのように振るまうのである。 −−さて,カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻するスティーヴン・ボーゲル准教授は,なにかに憑かれたかのように北朝鮮問題に関して「興奮状態」がつづく日本がわのそうした高揚ぶりを観察し,つぎのように題名を付した一文を公表した。 「“拉致問題を外交に『拉致』させるな” −拉致批判と滞米追従だけで北朝鮮問題は解決しない・ いま日本がとるべきなのは冷静で思慮深い戦略だ−」。 この内容を紹介する。 −−2002年9月17日,小泉純一郎首相が電撃的に平壌を訪問したとき,日本は北朝鮮問題で一時的に主体性を発揮した。だが,その後はおなじみの滞米追随外交にあともどりしたようである。 @ 小泉首相の北朝鮮訪問は,日本人拉致問題の解決を最大の課題にかかげて平壌に乗りこんだ。成果は期待以上であった。北朝鮮は拉致の事実を認めただけでなく,謝罪し,拉致被害者の消息に関する情報を〔ある程度まで〕提供した。 A 小泉と北朝鮮にとって予想外だったのは,その後に日本のメディアと国民世論がしめしたはげしい反応であった。小泉は思いきった行動を称賛されるどころか,弱腰外交だと非難を浴びた。北朝鮮当局も,過去の罪を白状してもごほうびをもらえず,罰を与えられたと感じてしまった。 これは「北朝鮮がその後に挑発的な外交路線に転じた理由」である。 B そこで日本は,アメリカに対して,形式にはこだわらず北朝鮮と積極的に対話をおこなうよう,うながすべきである。米朝の2国間協議がうまくいけば,中国・韓国・日本をくわえた話しあいにも道が開けてくる。日本はパートナーの国々と政策をすりあわせ,拉致問題での強硬なトーンを和らげる必要もある。 C Bは融和政策ではない。日本は今後もアメリカとの協力のもとに,北朝鮮への武器と金の流れを遮断し,北朝鮮による攻撃を抑止し,紛争が起きたばあいには自国を防衛できるよう準備すべきである。 しかし,日本政府は,東アジアの平和と安定という大目標の追及を拉致問題に「拉致」させてはいけない。 −−以上,政治学者スティーヴン・ボーゲル准教授は,拉致被害者家族やその支援組織〔諸団体〕からすると,聞きたくもない議論を展開したのである。 しかし,問題は,日朝間の外交折衝という次元をさらに超えている。すなわち,まず東アジア全体の平和と安定と成長にとって,さらには,この地球上のすべての国々にとっても「その意義を発揮しうる問題」が日朝国交正常化である,と理解すべきなのである。 「拉致問題」という節穴をとおしてしか日朝関係をみようとしない視野の狭さは,ボーゲル准教授の警告とおりであって,歴史の流れを押しとどめる逆機能を意味する。
● 拉致ヒステリー「拉致」されたメディア
● 『ニューズウィーク』誌コラムニスト,デーナ・ルイスは,表題をもってつぎのように議論している。前段と重複する内容を避けて引照する。 ★ その後における「北朝鮮に対する日本の強硬姿勢」は,なんの成果ももたらさず,むしろ,日本がこの地域に平和をもたらすという役目を務めようとするうえで障害になっている。 西村眞悟(前自由党・現民主党議員)は,「北朝鮮への経済制裁を支持するか」,「拉致はテロ行為と考えるか」どうかなどを,2003年11月9日に実施された衆議院総選挙のまえに,すべての候補者に対してアンケート調査をして尋ね,その結果を投票目前に公表することにした。 つまり,今回の総選挙は「拉致された同胞を救うための国民投票」という位置づけだというのである(筆者注記;その関連では,「全衆議院480人に拉致事件の対応を問う」救う会協力/本誌編集部構成という記事が『正論』2004年1月号に掲載されている)。 ★ それに増してメディアの加熱ぶりも,ヒステリーの状態の域に達した。2002年秋,小泉が訪朝したのちの週刊誌には, 「亡国官僚・田中 均をクビにせよ!」 「8人を見殺しにした政治家・官僚・言論人」 といった見出しがかかげられ,北に「弱腰」の発言をした人物は名指しで攻撃された。 2003年10月,1977年に拉致された横田めぐみの娘キム・ヘギョンを全国紙2紙と民法テレビ局1局がインタビューし,彼女が涙ながらに答える姿が報じられると,他のメディアはこの3社を袋叩きにした。 その3社は,拉致被害者と家族の結束を乱そうとする北の「謀略」(!)にはまったというのであった。 怒りの渦は,罪のない在日韓国・朝鮮人も巻きこんだ。小泉の訪朝後,各地の朝鮮学校には「子どもを拉致してぶっ殺してやる」といった脅迫電話があいついだ。 ★ 被害者家族の早期帰国を優先すると明言しつつも,そのための「もっともよい方法を探求し,〔帰国を正常化交渉の前提とするかについて〕いまからなにかを決めてかかるといった考えはない」と述べた外務省の竹内行夫事務次官に対して,救う会のメンバーや「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の蓮池 透事務局長は,日本政府の公式見解と異なるとして激怒し,竹内は発言を撤回せざるをえなかった。 この1年,日本のメディアに根を張ったように登場しつづける話題は,北朝鮮による拉致問題である。2003年9月東京にいったときには,テレビも週刊誌も拉致問題の報道に1年まえとほぼ同じ熱意を注いでいるように感じた。 拉致被害者と支援者の顔は,新しい話題にかすむことなく,映画スター並みの認知をえるまでになった。北朝鮮関連のニュースには,必らずといっていいくらい拉致被害者やその家族のコメント映像がいっしょに流れる。 ● だが,そろそろ日本は冷静さをとりもどすべきである。 専門家は,日本の安全保障にとって重要な問題は拉致以外にもあると指摘する。拉致事件の報道合戦の意味するものが,単なるメディアの貪欲さなら,さほど危機を覚えない。 『ニューズウィーク』誌は,家族会の蓮池 透事務局長にも現状についての意見を求めたが,彼は取材に応じなかった。強硬派は,目にみえるかたちで北に圧力をかけることを望んでいる(筆者注記;「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」会長佐藤勝巳とともに,被害者の肉親である蓮池 透は,《拉致問題に対する報道管制》を実現させた張本人の1人である。彼らが「日本の民主主義と自由」に与えた甚大な被害=損失は,今後日本の歴史に記録されるほどに悪い役割をはたしたといえる。この点は,時間の経過とともにより明白になっていくはずである)。 ★ 気がかりなのは,それより悪質な問題が背景にあるように思えることである。その問題とは情報操作である。拉致事件を国民のつねに意識させつづけるだけでなく,一面的な情報しか与えないように思えてならない。 ◎「議論ができない民主国家日本」……北朝鮮には強硬路線しか通用しないという考えが強く,論争じたいが存在しないことが懸念される。国際基督教大学の柴田鐵治客員教授は「偏狭なナショナリズムが日本を覆ってしまっている」という。 ◎「独自取材は許されないのか」……被害者にインタビューできるのは,彼らの眼鏡にかなった記者だけである。記事ができても,きびしいチェックを経なければ掲載できない。独自の報道を試みた一部の報道機関は,他の報道機関や政治家からバッシングをうけた。 『週刊金曜日』は,北朝鮮の術中にはまったと嘲笑されたり「非国民」と攻撃された。こうした独自報道のなかには,たしかに首をかしげるような部分があったかもしれない。だが,民主主義社会において,報道を抑圧して,ひとつのみかただけを報じさせることほど不健全なことはない。 ★ 9・11(2001年)テロによって愛国心が高まったアメリカでは,新聞から大統領批判が消えた。メディアは大統領を批判しないよう,自己検閲をおこなった。このため,アフガニスタンやイラクを攻撃するまえに必要だったオープンな議論が妨げられた。 同じような状況が,日本の北朝鮮危機の報じかたにもみられる。幅広いみかたが戦わされる議論はない。代わりに目にするのは,拉致被害者やその家族が,カメラのまえで自分たちの「公式見解」を繰りかえす姿ばかりである。 特定の議論を誘導したいと考える政治家にとって,こうした状況は好都合かもしれない。だが,国として北朝鮮にどう対処すべきかを考える必要がある人にとって,プラスになるとは思えない。 拉致被害者と彼らの苦しみを忘れてはならない。だが,ひとつのみかただけでなく,さまざまな観点から問題をとらえることも同じくらい重要である。それでも,強硬派は目にみえるかたちで北朝鮮に圧力をかけることを望んでいる。 ★ もっとも,日本だけが経済制裁を実施しても,効果があるかどうかは疑問である。北朝鮮に流入する燃料や食糧の大半は,中国が供給している。北朝鮮は,経済制裁は「宣戦布告」とみなすと主張してもいる。 慶応義塾大学の小此木政夫教授は,経済制裁を実施すれば東アジアの軍事的緊張が高まり,韓国や中国からの資本流出を引き起こして経済を破綻させるといい,「日本が単独で経済制裁に踏みきるのは,政策として愚の骨頂だ」ともいう。 対北朝鮮強硬派は以前から,日本はもっと積極的な外交をして東アジアにおける国益を護るべきだと主張してきた。2003年の日朝首脳会談はその好機だったが,拉致問題をめぐって2国間のパイプは絶ち切られ,経済協力やミサイル実験の凍結延長といった問題を決着させる道は閉ざされた。 東京大学社会情報研究所の姜 尚中教授は,「核というグローバルな問題の解決に日本は重要な役割をはたせるはずだったが,その存在はレーダーから消えてしまった」。「いまの日本は,ちいさな 穴 から世界をみているという印象しかうけない」と論評する。 ★ 日本にとっていまの問題は,日朝正常化交渉においてうしなった主導権をいかにとりもどすかである。アメリカや中国にとっては,北朝鮮が核をもつことで,東アジアに核開発のドミノ現象が起きることだけは避けたい。 アメリカ国務省のある当局者は,「拉致問題については日本の主張を支持するが,核問題にもとりくむ必要がある。優先するのは核のほうである」といっている(筆者注記;そうならば,アメリカ追随外交を得意とする日本政府はいかにすべきか?)。 日本はいずれ,政策の優先順位をみなおす必要に迫られるだろう。「北朝鮮は体制保障と経済再建の両方を必要としている」。「拉致問題だけをさきに解決しても,北朝鮮は体制保障をえられない。だから,核問題が前進しないと拉致問題も動きださない」。 ◎「カギは日本が握っている」……「日本の残された選択肢は,核問題を段階的に解決するようにアメリカに働きかけ,同時に国交正常化交渉再開の明確な条件を北朝鮮にしめすことで,拉致問題の道筋をつけることである」。 「北朝鮮は拒否ばかりするが,たいていは最終回答ではない。彼らはこの問題を動かすことができるし,日本はその機会を与える必要がある。日本政府にはそれができるはずである」。それができなければ,2004年もまた,なにも進展がないまま10月15日〔拉致被害者が一時帰国した日〕を迎えることになりかねない。
魚住 昭は最近,斎藤貴男との共著『いったい,この国はどうなってしまったのか!』(NHK出版,2003年4月)を執筆,公刊している。魚住はまた,ホームページのなかで,つぎのような発言‐行動をおこなっていることを明らかにしている。
■ ヒステリー的な「拉致」関係の議論に対する
批
判 的考察
■ 魚住 昭・斎藤貴男共著『いったい,この国はどうなってしまったのか!』(NHK出版,2003年4月)は,北朝鮮拉致被害者家族に関するマスコミ報道をこうとらえている。 「何だろう,この不気味さは」(第43項)。 「“国民”よ従順になれ。思想統制がなされているのは,いったいどの国なのか」(第44項)。 「おぞましく,あさましく,残忍なナショナリストたちよ」(第45項)。 「怖い。怖いけれど,書き続け,主張し続けるしかない」(第46項)。 ● 魚住・斎藤著『いったい,この国はどうなってしまったのか!』は,第43項のなかでこう記述している。 北朝鮮拉致被害者家族の「原状回復? なんだそれは。個人の意志を無視した国家の論理じゃないか」。「拉致報道の背後には北朝鮮社会に対する蔑視がある。拉致被害者の子どもたちは北朝鮮より日本で暮らしたほうが幸せだと頭から決めてかかる,日本人特有の傲慢さがある」(同書,357頁)。 −−北朝鮮拉致被害者家族の「原状回復」とは,被害者の肉親たちと自民党の一部関係者の合作であり,拉致被害者本人たちの意志じたいを超え,その「生活人としての存在様式」を完全に無視したものである。 −−そういえば,第2次世界大戦が終わって戦勝国=ソ連は,不当にも,約60万人にも上ぼる「日本人〔兵士など〕」をシベリアに強制連行し,散在する各収容所に抑留,長期間にわたって使役してきた。 実は,シベリアに強制連行・抑留・使役された「日本人〔兵士など〕」のなかには,5千〜6千人もの朝鮮人が混じっていた。日本人は,「かつての日本帝国:朝鮮人軍人」に関するそのような歴史的事実に無知であった。 「連行された日本人〔兵士など〕」は,シベリア各地に配置された強制収容所:ラーゲルに監禁され,重労働を強いられた。一般にこの日本人・朝鮮人たちは,旧ソ連抑留者もしくはシベリア抑留者と称される。そして,その抑留生活をとおして,およそその10分の1に相当する5万〜6万人が,飢えと寒さのために生命を落としたのである。
日本政府はその間,敗戦国という決定的な不利な事情背景をもっていた。そのせいで,抑留問題を解決するための政治交渉を,ソ連に対して要求することはおろか,「〈彼ら:同胞〉の労働提供や生命の損失」に関する補償を請求することすらできなかった。 要は,日本政府は,シベリア抑留者に対して救援の手を十分に差しのべることができなかった。それにくらべ,同じくいまだに国交のない国ではあるものの,北朝鮮という国の拉致被害者に対する家族の会などその支援組織はかなりしっかりした体制にあり,また,政府与党を中心とする政治家〔安倍晋三や平澤勝栄〕などの応援ぶりも強力であって,かつみごとなまで組織的である。 日本は,往時に誇っていたその威風に衰えをみせているとはいえ,いまなお経済大国である。日本の世論はどうかいえば,2002年10月以降ずっと,「あの社会主義もどきの個人独裁国家なんぞ目ではない」とでもいっているかのように,北朝鮮を一生懸命バッシングしてきている。 なによりも,拉致家族被害者「関係者たち・支援組織」の声高な非難は,「北朝鮮という国に対する蔑視感」をふんぷんと放っている。 とりわけ,このたびの拉致問題を契機:口実にして,北朝鮮〔もしかすると韓国もふくめてか?〕に対する,植民地時代における日本がわの「借り:負い目はもうなくなった」といいはなち,開きなおる態度は,まったく大国にふさわしくない「大人げない対応」である。 そんなにも「ちっぽけな格下の国」がやった「拉致問題」を,旧「大日本」帝国主義が過去に犯してきた「宗主国的な罪状・悪業」と同格に位置づけるのは,歴史の事実として観察するに無理がありすぎるというものである。 昭和20年代の日本は,1945年8月広島‐長崎に原爆を投下したアメリカに属国的に服従してきた時期であり,同時に,ソ連に強制抑留された60万人近い自国民を救出することに手間どってきた時期でもある。 日本は当時,米ソに対してどのような抗議・交渉をしてきたのか。文字どおり,ただ「弱い者:国には強く,強い者:国には弱い」のが,この国:日本なのか。 ● 魚住・斎藤著『いったい,この国はどうなってしまったのか!』は,第44項のなかでこう記述している(筆者注記;斎藤貴男の父親はシベリア被抑留者であった。それも一番長い時期抑留されていた。そのため帰国後,当局より執拗に監視され,不自由な生活を余儀なくされた)。 北朝鮮拉致問題,その救援活動に関して「わずかでも水を差すような報道をしようなものなら非国民あつかいである。まず同業者にぶっ叩かれる」(同書,361頁)。 −−上記の記述は,すでに言及のあったような,キム・ヘギョンさんインタビューとか,『週刊金曜日』の記事とかに対して巻きおこった,洪水のようなバッシング現象のことを指すものである。 魚住・斎藤は,そうした報道姿勢のなかに,昭和20年8月15日までの日本社会‐言論界と同質のものを観察している。 ● 魚住・斎藤著『いったい,この国はどうなってしまったのか!』は,第45項のなかでこう記述している。 「愛知県の祭りで子どもたちにお菓子が配られたさいには,並んでいた朝鮮学校の子どもたちが列からはずれるようにと,地域の人間にいわれた」。「長野に住む在日の女性は,9月17日以降,家のまえに犬や猫の死骸がおかれるような気がして,玄関の扉を開けることができなくなった」(同書,369頁)。 筆者の,昔の子ども時代の話になるが,自分が生まれ育った地元の町でお祭りがあったとき,山車をみなといっしょに引っぱったり神輿をかついだりして自分も「お菓子をもらって歩いた」ことを記憶している。それからもう半世紀も時が流れた。 この国はなんと恐ろしい国か。筆者のような在日2世で「差別」を終わりにするのではなく,その子どもたちの世代にもまだ,「偏見や差別の精神」をみせつけようとする! 21世紀になった日本社会においては,在日する韓国・朝鮮人の外国人全人口に対する比率はすでに半分を切っているのである。 いまや日本社会は,外国籍の多くの人間,多様な外国人〔→日本国籍人もふくむ〕が共生する様相をしめしている。そのなかで,戦前より在住する韓国・朝鮮人に対する差別や偏見の有無は,これからの日本社会が本当に「内なる国際化」を達成することができるかを試す試金石だったといえる。 しかしながら,日本国内では,今回沸騰している話題「北朝鮮拉致問題」をめぐって先述のように,かくべつの因果も因縁もない子どもたちに対してまで八つ当たりし,「精神的暴力の行使」ともいうべき「差別を実行した」。この事実はまさに,人権侵害どころか「精神病理的な意味合いでは殺人行為」にも匹敵する卑怯な行為である。 −−さて,2003年11月21日の報道によれば「自民,北朝鮮制裁法案を通常国会提出へ」というニュースがあった。
既述の論点にあるが,慶応義塾大学小此木政夫教授は『朝日新聞』2003年12月11日朝刊に掲載されたインタビュー記事のなかで,こう主張している。 ◎「経済制裁」について。……日本単独でも経済制裁すべきだという主張は,日朝間の対立を感情的に激化させるだけである。これでは「6者協議で核問題に進展があっても拉致問題の解決につながらない」。 日本がなすべきことは,3つある。
◎「日朝交渉の基本方針」について。……威勢がよくて勇ましいだけの外交が成功するはずはない。しかし,そうした方向が国民にうけいれられやすいのも事実である。一部メディアの煽情的な報道がそうした傾向に拍車をかけていることも否定できない。それが国民意識の分裂状態の一因である。 もちろん,北朝鮮自身の行動に問題がある。ただ,それをはげしく非難するあまり,一部のマスコミなどが国民の感情的反発を増幅し,理性的な外交を阻害している。北朝鮮が非人道的・全体主義的国家であり,その体制を容認できないことはいうまでもない。 しかし,体制の即時的転覆を主張しながら,同時に拉致問題を解決することなどできるはずもない。軍事的手段など外部の力で体制転覆を図ればコストはおおきいし,そもそも拉致問題の解決じたいが不可能になる。 −−小此木教授のしめした「北朝鮮問題にとりくむべき姿勢」は,きわめて妥当な見解である。 もっとも,最近におけるヒステリックな北朝鮮報道をとらえて,「一部メディアの煽情的な報道」だとか,「一部のマスコミなどが国民の感情的反発を増幅し,理性的な外交を阻害している」と理解するのは,インタービュー時の回答にくわえられた慎重な工夫かもしれないが,事実に反する表現である。 すなわち,北朝鮮拉致問題をめぐる日本の「国民意識の分裂状態の一因」というものは,表面的にみるかぎり日本社会のどこにもみいだせない。2003年10月以降最近まで日本社会は,現象的にみたばあい「北朝鮮バッシング一色に埋まっている」ようにも映るからである。 とはいえ,北朝鮮との国交正常化に向ける日本政府の方針・方途は,小此木の見解が現実的な方向性を教えている。ただし,ヒステリックな感情にまみれてやまない「一部の人びとや組織」にとって小此木の見解は,まったく傾聴に値せず拒否するほかないものである。 いずれにせよ,昨今における北朝鮮の拉致被害者家族やその支援組織の大活躍ぶりに比して,拉致被害者:当人たちの気持や意向がまったく無視されていることが気がかりである。とくに「肉親が拉致されたという被害そのもの」に関して,家族〔両親や兄弟‐姉妹〕が極度に感情的=ヒステリックになっており,拉致被害者:当人たちが当初考えていたはずの予定や希望は押し殺された。 その結果,彼らの「一時帰国」は「永久帰国」にすりかえられた。この点はたしかに,日朝間で事前に交わされた約束事が破られたことを意味する。「その結果の変更」は,日朝国交正常化交渉に向けてようやく開けた進路を塞くことになった。 したがって,そうした状況:事態を冷静に観察・分析したうえで,ひとまず「外交上の約束」を履行するよう意見することは,理に適った提言である。 そうした政治外交の過程において,ひとつみてとれる現象がある。それは,日本政府の北朝鮮に対する外交戦略では,遠謀術数ともいってよい「奥行きと幅のある具体的な駆け引き」が全然用意されていないことである。そして,現実に目だつのは,拉致被害者やその支援組織の強引な引まわしに,周囲〔世論・マスコミ,政府当局とりわけ外務省〕がやたら振りまわされている「みっともない姿」である。 要するに,日本という国の外交下手,北朝鮮との政治交渉をとおしても,アメリカ追随の属国的根性が感得できる。
■ ヒステリー的な「拉致」関係の議論に対する関連的考察
■ 杉田 聡『道路行政失敗の本質−〈官僚不作為〉は何をもたらしたか−』(平凡社,2003年11月)は,2002年秋以降長くつづく北朝鮮「拉致ヒステリー」現象に関連した,つぎの記述をおこなっている。 「冷戦」終結後も,防衛論議はかまびすしい。だが,ありもしない某国のミサイル攻撃によって市民が犠牲に遭うまえに,社会がほかの誰をおいても第1に守るべき子どもたちが,国内の自動車事故によって毎年 340人も殺され,7万人もが身体に損傷を負わされるとき,日本政府が第1になすべきは,現今の自動車システムを根本から考えなおすことであるはずだ。 あるかもしれないというだけのテロのまえに,これだけの規模の生命棄損が日常の生活の場で現実に起きているとき,自動車事故の事態に対してこそ,本質的な「防衛」が語られるべきではないか(同書,151頁)。 −−北朝鮮の拉致被害者とその家族の,および彼らを支援する各会3組織は,一時帰国した被害者両親たちとは行動をともにせず,現在も北朝鮮に住んでいる:「現地で生まれ育った子どもたち」を,なにがなんでもまず日本に〈帰国〉させろと猛烈に要求している。また,北朝鮮でその間において死亡したとしらされた日本人拉致被害者たちについては,その原因・真相の徹底的究明を要求している。 しかし,拉致問題関係者たちの北朝鮮に対するそうした要求の姿勢が,日本の外務省による外交折衝を蹴散らかし,剥きだしとなってしまった結果,日朝間の外交交渉全体を破壊,頓挫させるという非常に重大なマイナスの効果を生んだ。 すなわち,拉致被害者とその家族の,および彼らを支援する各会3組織は,自分たちの要求が完全に実現しないかぎり,北朝鮮との国交正常化など絶対にまかりならぬと固執し,外務省のになうべき仕事を全面的に否認,損壊してきた。それも,自民党の要職者や関係議員たちの強力な支援もうけているせいか,非常に鼻息も荒く,自分たちの要求がすべて実現されるまで,一歩も譲歩しないと息巻いてもいる。 誰の生命であっても,1人1人のそれがすべてひとしく重要・大切であり,それぞれ十二分に尊重されねばならない。そうだとしたら,北朝鮮拉致被害者のみならず,日本国内で自動車事故に遭って生命を落とす者〔近年は毎年9千人近くが死亡,2003年は8千人以内に収まりそうであるが,いずれにせよ負傷者数は1桁多い〕は,これを絶対出さないことが無理にしても,なるべく減少させうるような,日本政府関係当局や民間関係諸組織の対策が要請されて当然である。 だが,杉田『道路行政失敗の本質』は,日本政府関係当局が交通事故死の問題を,単に必然的な出来事であるかのような対応しかしていない,と批判する。 われわれは,とりわけ過去1年以上も,「北朝鮮拉致被害者とその家族,およびその支援組織に対する与党政治家や関係の国会議員たちの熱心な応援ぶり」をみせつけられてきた。最近日本における北朝鮮問題,それも拉致問題にしか目をやらないこの浅薄な「世相に対する杉田の批判」は,もっともな指摘である。 以上,拉致問題のヒステリー性を傍証するかっこうの比較材料をとりあげ論じてみた。日本政府は,このヒステリー現象のあつかいに手を焼いている。そういふうに観察するのは,好意的なみかたになるのか?
■ 拉致被害者問題を熱心に支援する
西
村 眞 悟
のテロリスト的素性
■ 2003年12月20日『朝日新聞』朝刊「社説」は,「2003年12月19日『建国義勇軍』や『国賊征伐隊』などと名のり,関係者や諸組織などに対して銃弾を撃ちこんだ事件で,岐阜県の刀剣愛好家団体の会長ら6人が逮捕された」ことに関して,つぎのような論評・批判をくわえた。 ■ 建国義勇軍――テロ集団にきびしい目を 刀剣愛好家団体の会長ら6人の容疑は,東京と大阪のアーレフ〔オウム真理教が改称〕と広島県教職員組合を銃撃した,というものである。銃撃後の報道機関への犯行声明で,「赤報隊の生き残りや。おまえら殺してやるからな。まずはアレフや」,「全国の日教組を殱滅(せんめつ)する」などといっていた。 「不審物をしかけたり」「銃弾と脅迫状を送りつけたり」する手口もあり,同じような事件は,2002年11月(筆者注記;この開始時期に注目したい)から全国10都道府県で計23件にのぼっていた。 日教組やアーレフのほか,朝鮮総連や社民党も狙われた。個人では,政治家や外務審議官の自宅や事務所が次々と標的にされた。 自分と意見がちがうからといって,暴力を使って「殺す」「殱滅する」などと脅すのは,まさにテロ活動にほかならない。民主主義社会への挑戦である。 警察は逮捕に合わせ,全国約60カ所を家宅捜索している。一連の事件との関係をきびしく調べて全容を明らかにしてほしい。事件によっては,ほかに犯人がいる可能性もある。追及の手をゆるめてはならない。 今回逮捕された「刀剣愛好家団体」会長らは,警察の右翼関係者のリストには載っていなかった。しかし,会報で「七生報国」などの言葉を使っていることから,右翼的な考えをもっていたと警察はみている。思想的な背景があったのかどうかについても十分な捜査をする必要がある。 逮捕された6人はすべて,刀剣愛好家団体の会員だった。日本と中国のあいだで領有権争いのある尖閣諸島に,一昨年上陸したと主張し,団体のホームページにそのさいの写真を載せている。上半身はだかで日本刀を振りまわすというもので,中国を侮辱する言葉が使われている。 みのがせないのは,そうした危険な団体と西村眞悟衆院議員との関係である。旧自由党で民主党所属の西村氏は2003年7月,この団体の最高顧問に就任していた。 そして,団体会長が役員を務める会社から,1999年から2002年まで10万円単位で,さらに今年は計150万円の政治献金をうけとっていた。団体の会報には西村議員を応援する記事も掲載されていた。 西村氏は現在入院中というが,秘書らによると,つきあいは4,5年まえからで,刀剣愛好家団体の会合に出席して講演などをしていたという。どういう関係だったのか西村議員氏自身がきちんと説明する必要がある。こうした暴力的な団体とかかわるだけでも,政治家としての責任は免れない。 西村氏が所属する民主党の責任も重い。直ちに調査して事実を明らかにすべきだ。暴力を肯定し,民主主義を否定するような団体には,日ごろからきびしい目を向けておかなければならない。 −−さて,既述の内容であるがここで,繰りかえして触れておきたい点がある。 西村眞悟(前自由党・現民主党議員)は,2003年11月9日に実施された第43回衆議院選挙をまえにして,「北朝鮮への経済制裁を支持するか」「拉致はテロ行為と考えるか」どうかなどを,すべての候補者に対してアンケート調査をして尋ね,その結果を投票目前に公表する作業をおこなっていた。 つまり,その総選挙は「拉致された同胞を救うための国民投票」という位置づけだというのであった。その総選挙に関係する争点がほかにはなかったのかなどと疑問を呈するまでもないが,ともかく,雑誌『正論』2004年1月号は,救う会協力/本誌編集部構成になる「全衆議院480人に拉致事件の対応を問う」という記事を収録していた。 つまり,「拉致された同胞を救うための国民投票」をさせるに当たって,西村は,立候補した国会議員に対しても,拉致問題に関する態度を鮮明にするようせまった「アンケート調査」を強要したつもりなのである。西村の意図はもちろん,「北朝鮮への経済制裁」への「支持をせまるもの」でしかない。そしてしかも,その回答結果の一覧を雑誌『正論』に公表した。 西村の計算・読みでは,北朝鮮への経済制裁を「支持しない」日本の国会議員などありえない,そんな奴がいれば「非国民」「国賊」よばわりできる,との心づもりであった。 西村はテレビ番組にもよく顔を出すが,その表情には明らかに,狂信的・偏執的な形相が浮かんでいる。現防衛庁長官石破 茂も同じであって,その顔つきにはいまや,戦争屋とよぶにふさわしい凶相が出ている。 国会議員西村眞悟は叙上のように,日本がまだ国交をもっていない「国家:北朝鮮による拉致事件」を絶対許せないと,断固主張している。 ところが,西村は,拉致問題を起こした「国家と縁の深い日本がわの団体・組織」や,「政治家として北朝鮮となんらかの交渉関係をもった国会議員や外交官」に向けてテロ行為をおこなった「建国義勇軍などを名のるテロ団体」から政治献金をうけとるだけでなく,その名誉顧問にも就任していた。 西村は,北朝鮮の「国家的なテロ行為である拉致問題」に憤激するあまり,「日本による北朝鮮への武力行使」もためらうな,そして,まだ北朝鮮にいる拉致被害者全員を救出せよと叫び,好戦的な態度の表明も辞さない人物である。西村眞悟は,そういう過激な発言を憚ることもなく頻発する人物である。 しかしながら,国家次元でのテロ行為を声高に非難する国会議員西村眞悟が,約1年間にわたって日本国内でテロを行使してきた暴力的な団体と深い関係をもっていた。そのテロ団体が攻撃をしかけた対象はたとえば,犯行声明のあった事件にかぎるが以下のとおりであった。
・外務省の
田中 均
(当時)外務審議官自宅, などを標的にしてきた。 以上の氏名をみればわかるように,小泉首相が訪朝して日朝間で交わした2002年9月17日の「日朝平壌宣言」実現にこぎつけるまで,国際政治の裏舞台で必死に活躍した「北朝鮮との交渉役:外交官田中 均」や,いままで北朝鮮との「交流‐友好関係の構築に努力した自民党関係者たち」までもことごとく,テロの対象にされている。 田中 均外務審議官(当時)自宅に対して起こった爆発物未遂事件に関しては,北朝鮮と重要な根回しの交渉をしてきたこの外務審議官が「テロをうけて当たりまえ」と,「テロ容認発言」を放ったのが石原慎太郎東京都知事であった。このことは,まだわれわれの記憶に新しい〈事件〉である。 石原のような発言が「今回逮捕されたテロ団体を調子づかせた」と観察するのは,けっしてうがちすぎたみかたでなく,当然:当たりまえといってよいのである。 また,当然のこと,西村眞悟議員のように,そのテロ団体から政治献金をうけたり最高顧問となって講演をしたりして〔その報酬=ギャラももらっていたはず〕,当該テロ団体の存在を鼓舞するごとき特定の〈政治的な関係〉を発揮してきた事実は,自身の反省の弁:「道義的責任を感じる」といった程度の問題で済まされるものではない。 つまり,西村には,政治的責任そのものとなる「重大な問題」が生じている。 2003年4月に似たような不祥事をおこした元保守党議員松浪健志郎議員のばあい,「暴力団組員による松浪議員私設秘書給与肩代わり事件」であった。この事件は,西村が起こした不祥事と比較するのによい材料となる。どちらがより悪質か,答えるまでもなく明白である。 −−その後,2004年12月4日の新聞報道(『朝日新聞』同日,朝刊)によれば,2004年12月2日の衆議院拉致問題特別委員会の席で,西村眞悟議員は,北朝鮮拉致被害者曽我ひとみさんの事件について「曽我さんを袋に入れた者はいまも真野町(現・新潟市佐渡市)に住んでいる」と発言した。 ところが,その委員会を傍聴していた佐渡市長高野宏一郎は同月3日,同市で記者会見,「犯人をまったくしりません」とする曽我さんの直筆の談話を公表し,拉致問題特別委員会の赤城徳彦委員長に対して,西村の発言を議事録から削除するよう申し入れた。 西村がわは「行き違いがあった」と認め,削除に同意した。西村は「曽我さんは,自分を袋に入れて北朝鮮工作員に引き渡した日本人の男,もしくは女と,町で出会ったということです」とも述べた。 西村議員事務所は12月3日,「曽我さんの周囲とのやりとりで出た話だが、ディテール(細目)の部分で行き違いがあった」と認め,削除に同意することを明らかにした。 曽我さんは談話で「(犯人と)会ったこともありません。どのような経緯でそのような情報が流れたのか理解に苦しんでいます」と記している。 以上の報道内容を分析しておく。 @ 西村眞悟は「曽我さんを誘拐した人物:犯人は佐渡市に住んでいる」と断定した。 A だが,@はあくまで,曽我さんの「周囲とのやりとりで出た話」を,西村が我流:勝手に解釈したものである。 B 曽我さんは,自分を誘拐した犯人とは「会ったことはない」といっている。 C 要するに,西村が独自に解釈をくわえ想定し結論づけたことなのである。つまり「曽我さんは犯人と会っている」。それは,曽我さん自身がしらないことだが,佐渡市内で「そういう状況が現象している」と,その証拠も確信もないまま,西村は決めつけていた。いうまでもなくこうした判断は,西村に特有の独断である。 西村眞悟という国会議員〔民主党〕はそのように,自分の意図する〈政治目標:イデオロギー〉のためであるならば,確たる証拠もないことがらであっても,これをいかにも真実であるかのごとくデッチあげ捏造するのが「得意な人物」である。 −−2003年11月9日の第43回衆議院選挙では,社民党党首の土井たか子が落選した〔が比例区で当選〕。これについては,朝鮮労働党と友好関係にあった旧社会党‐現民主党に対して,西村眞悟らの手まわしによるだろう「拉致の関連問題」攻撃を正面に打ちだした「対立候補の選挙作戦」が,おおきな効果を上げたものと判断されている。 もっとも,北朝鮮との関係をもつことじたいが問題なのだと〔ずいぶん異様なことをいって!〕他者を指弾できるならば,たとえば1990年代に2度,自民党の幹部だった「金丸 信」〔いわゆる「金丸訪朝団」〕および「渡辺美智雄」をそれぞれ代表者に,北朝鮮を訪問してきた「自民党国会議員もふくむ日本の政治家一群」がいたことを,忘れないように指摘しておかねばならない。 1980年代後半には,社会党と朝鮮労働党が共催事業として企画した「朝鮮友好親善の船」による「日本と北朝鮮間の交流機会」もあった。 最近は北朝鮮へのツアーも可能である。北朝鮮を訪問した人びとは,あのバカでかい「金 日成」像ができてから,これがある場所を訪ねたばあい,旅行者であっても「その偉大なる首領指導者の《偶像》」に頭を下げさせられるそうである。 しかし,上記の2名はすでに故人である。渡辺美智雄の選挙区は,息子(渡辺喜美)がうけついでいるが……。 ともかく,自民党全体を代表したといわないまでも,その看板を下げて北朝鮮にいき,金 日成や金 正日などと会談してきた政治家はすべて,それも闇雲に,テロ攻撃の対象にされた感がある。 現代コリア研究所の佐藤勝巳のように,北朝鮮が憎くて憎くてしようがない人たちに名指しさせると,「北朝鮮に近い人物」の自民党の重鎮はつぎのとおりである。 故
金丸 信, 佐藤勝巳は,北朝鮮に対して絶えず,「コメを出すとか拉致問題を不問に付して」日朝交渉をやれとかやってきたと,彼らを批判する。そのおかげで今日まで長年,拉致問題が問題にならなかったとも非難する。 だが,この佐藤勝巳という人間は,かつて,北朝鮮の熱烈な応援団だった経歴を有する。 そのためか佐藤は,その後も北朝鮮とつきあいをもったり交渉をしたりしてきた人びとや政党などに対しては,極端に憎悪の感情を剥きだしにする。反極をゆききしてきた彼の政治的行動の軌跡には,並みたいていではない精神的な歪みが露出している。 佐藤は,在日朝鮮人を北朝鮮へ送還する作業に率先関与した(1959年「在日朝鮮人の帰国に関する日朝協定締結」)。それは,当時も当然まだ国交のない国との話だったので日本赤十字が世話をし,日本共産党の佐藤勝巳もそれを大いに助けるという,体のよい「全日本を挙げての在日朝鮮人追い出し事業」であった。 在日朝鮮人〔在日韓国人〕は本来,日本にとって旧植民地時代の遺産であり,遺民だったのである。それでも彼らは,「みたくない」「考えたくない」「居てほしくない」「わずらわしい」存在=重い負担であった。 「在日朝鮮人の北朝鮮送還事業」は結局,「帰国した」日本人妻たち2千人もふくめた9万3千人の在日朝鮮人に対して,いかほど多くの不幸を創り,振りまいてきたのか。 佐藤勝巳はいまとなって,その反省の気持を募らせ捻転させたあげく,こんどは「北朝鮮憎しの感情」をことさら剥きだしにしながら,北朝鮮非難・攻撃一辺倒の政治的活動に邁進している。 拉致問題がもしも完全に解決した暁には,この佐藤勝巳の仕事はなくなる。もしかしたら,その解決を望んでいるようで実は,一番望んでいないのがこの人間:佐藤勝巳ではないか。とまあ,そういうたぐいの皮肉もいってみたくなる。
▲ 2003年12月13・18日・21日 記述 ▲
■ 拉致被害者問題:その後の動向
■ ● 平澤氏ら「北朝鮮,家族かえすとは明言せず」〔2003年12月25日〕 2003年12月25日,「拉致救出行動議員連盟」の平澤勝栄事務局長(自民党)と松原仁事務局次長(民主党)は,北京での北朝鮮高官との会談内容を細田博之官房副長官に報告した。 拉致被害者による平壌空港での出迎えを条件に家族の帰国に努力すると,北朝鮮がわが打診してきたことを紹介するとともに,「北朝鮮は(家族を)はっきり帰すとは最後までいわなかった。こちらは,日本から北朝鮮に迎えに行く選択肢は120%ありえないといった」と説明した。 北朝鮮がわの出席者には鄭 泰和日朝国交正常化交渉担当大使がふくまれており,松原氏は北朝鮮がわの狙いについて,「平澤氏を籠絡(ろうらく)したいとの考えや,日本の分断を図ろうとの意図があったのではないか。経済制裁を回避したいとの思いがある」と指摘した。 平澤氏は,北朝鮮側が「日本が経済制裁に出れば大きな結果を招くだろう」と発言したことなどを,記者団に紹介した。 これに関連して小泉純一郎首相は記者団に,北朝鮮の狙いについて「現在の状況を打開したいのだろう」とのみかたをしめした。 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20031226AT1E2500R25122003.html
●「再会」かなわず2度目の年の瀬−蓮池・地村夫妻会見 〔2003年12月25日〕 2003年12月25日午後,北朝鮮に残した子どもとの再会がかなわぬまま2度目の年越しを迎えようとしている拉致被害者の蓮池 薫さん(46歳),祐木子さん(47歳),地村保志さん(48歳),富貴恵さん(48歳)の両夫妻が,それぞれ記者会見した。 「政府は他人事のように思っているんじゃないか」など,事態がすすまないことへのいら立ちが,ことばににじみ出た。 蓮池さん夫妻は,新潟県柏崎市役所で記者会見した。平澤勝栄衆院議員らと会談した北朝鮮政府高官が,「被害者が平壌に迎えにくれば家族をかえしてもいい」と語ったとされることについて,薫さんは「(平壌で)会って,子供たちが帰らないなどといったらかえって永遠の離別になりかねない。なりゆきをみまもりたい」と慎重に語った。 夫妻には長女と長男がいる。薫さんは2人が「両親は日本に抑留されている」と伝えられていることをとりあげ,「北朝鮮当局が『お父さんたちを助けるため(日本に帰らないと)いわなければならない』と伝える可能性がないともいいきれない。結局は永遠に一緒になれないという結果もありうる」と話した。 子供たちの帰国問題について,祐木子さんは「1年以上,なにひとつ解決できずに過ぎた。政府が他人事のように思っているんじゃないかなという気がしてしょうがない」と話した。 薫さんは「情勢に一喜一憂しないと思っていたが,動きがみえるようなときには期待したこともあった」とこの1年を振りかえった。帰国について肯定的な記事が韓国の新聞に掲載されたときや,子供たちが北朝鮮の貨客船・万景峰(マンギョンボン)号に乗って帰ってくるといったうわさを聞き,「冷静になろうと思ったが『事実だったら』とも思った」と話した。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 北朝鮮による拉致被害者で福井県小浜市の地村保志さん(48歳),富貴恵さん(48歳)夫妻は2003年12月25日,小浜市役所で今年を振りかえる記者会見をし,保志さんは「正月を子どもたちと過ごせないのが2年目になる。子どもたちは3人だけで新年を迎えることになり,心配。正直いって考えたくない」と,子どもたちの帰国に進展がない現状にいらだちをみせた。 会見は,小浜市嘱託職員の保志さんが勤務を終えた12月25日夕,開かれた。 保志さんは,拉致議連事務局長の平澤勝栄衆院議員と一緒に北京を訪れた関係者と中山恭子・内閣官房参与から12月24日に電話があったことを明らかにし,「私たちが平壌にいけば子どもを帰すという約束はなかったと聞いている。 それが事実であれば,(子どもが帰る)確かな条件を整えたうえで日本政府と相談すべき問題と思う」と話し,現状では訪朝する意思のないことをしめした。北朝鮮がこうした提案をしたことについては「なにか変化が出てきているのでは」と話した。 富貴恵さんは,フセイン元大統領拘束や,リビア情勢に触れ「世界情勢は良くなっている。来年こそはと期待している」と話した。 また,拉致問題解決のためにどんな手段が必要かを問われ,保志さんは「日本政府も北朝鮮もたがいの主張で水かけ論をしている。譲歩がないので進展がない」と両国間で交渉がすすまないことに不満を表した。北朝鮮に対する経済制裁が与える影響について保志さんは「良い影響なのか,悪い影響なのかわからない」と話した。 http://www.asahi.com/national/update/1226/003.html
筆者は,以上の報道のなかで,つぎの発言に注目する a) 蓮池 薫‐祐木子夫妻がいった点,日本「政府は他人事のように思っているんじゃないか」。 b) 地村保志‐富貴恵がいった点,「日本政府も北朝鮮もたがいの主張で水かけ論をしている。譲歩がないので進展がない」。経済制裁が与える影響について保志さんは「良い影響なのか,悪い影響なのかわからない」。 −−いずれの内容も,日本政府に対する不信感を表白するものである。北朝鮮による拉致被害者自身の口から出たそうした発言は,まだ北朝鮮に残されている彼ら家族の「救出」を支援する「日本がわの家族」や「その支援団体」に強く影響されている点を,ひとまず乗りこえつつその含意をさらにうけとめる余地がある。 つまり,北朝鮮による拉致のために異境に拘束され,ながいあいだその後の人生を監獄に束縛されるような目に遭ったその被害者たちにとって,北朝鮮と国交正常化交渉をおこなおうとする日本政府の姿勢は,自分たちのことを「他人事のように思っている」ものにみえる,というのである。 蓮池 薫(夫妻)にしても地村保志(夫妻)にしても,北朝鮮に24年間も暮らしてきたせいか,人にいわせれば「洗脳された」にすぎないと片づけられるかもしれないが,彼らは,過去の歴史に記録されてきた「日本と朝鮮‐韓国との関係」をよく勉強して〔させられて〕おり,ともかく,両国の歴史的関係を知識として身につけてもいる。 したがって,彼らは,自分たちを拉致したうえ,ふた昔以上も異国に虜囚のように閉じこめ,しかも,肉親・子どもたちがいまだそこに残されている状況を,必ずしも北朝鮮による絶対的悪業の被害とだけとらえてはいない。 いいかえれば,自分たちのこうむった拉致被害が絶対に許されるわけではないけれども,過去において日帝が東アジア諸国にくわえてきた罪業の数々を「教えられて」きており,この歴史的事実と自分たちの被害者的な立場を相対化しつつ,比較考量するくらいの視野:余裕は保持できている。 しかし,彼らがもち,しめそうとするその視野:余裕は,肉親や支援団体の意見・立場によって封印され圧殺されている。 結局,2002年10月日本に「一時帰国」した計5名の帰国者は,前段の2組の夫妻と曽我ひとみ(44歳)であった。曽我の夫は,朝鮮戦争時に北朝鮮に亡命したアメリカ人兵士であるため,日本にくることができなかった。彼女が日本に帰国して半年経ったころ,公開した一文でつぎのように,問いかけていた。
曽我が問いかけるこの疑問・苦悶を解決するには,国家ヒステリー的な症状ばかりを前面に剥きだしにした,これまでのような「日本社会の北朝鮮に対する態度」では,解決への展望はなにも開けない。 最近〔半年まえに〕刊行されたつぎの書物が,曽我〔たち〕の疑問に答える議論を展開している。これに聞こう。
■ 北朝鮮国交正常化と拉致問題 ■ −宮本信生『テロと米国の暴走 徳と盾』グラフ社,2003年6月に学ぶ− 宮本信生『テロと米国の暴走 徳と盾』は「分析はきびしく,提言は現実的であることを旨とした」著書である。同書は,拉致問題をあまりにも強く押しだしたために瓦解した日朝国交正常化交渉の過程を,どう再構築すべきかを考えるうえで(同書,〔あとがき〕308頁),たいへん参考になる好著である。 本ホームページの筆者(裴 富吉)は,「拉致」問題を北朝鮮国交正常化とどのように関連づけ,考えるべきか議論してきた。宮本『テロと米国の暴走 徳と盾』はとりわけ,この方面の論点を専門的に考察し,妥当かつ穏当な分析をおこない,公正な主張も展開する。 同書を一読した筆者はいままで,本ホームページ関係個所において展開してきた論旨が的外れではなく,むしろいい線をいき核心に近づいていたように思った。この自己解釈はけっして自画自賛ではない。 北朝鮮の起こした「拉致」問題に対する日本社会挙げての「異常なまでのヒステリー状態」は,過去において日本帝国主義が植民地諸国に対しておこなってきた侵略:加害行為を,故意に忘却の彼方に追いやろうとするがために生じた「PTSD」(post traumatic stress disorder :心的外傷後ストレス障害)的症状に映る。これも,けっしてうがちすぎたみかたではない。 北朝鮮「拉致」行為の犯罪性を,思いっきり声高に糾弾できるからといって,日帝の残した歴史的な「負の遺産」を「相殺」できるわけは,どこにもみいだせない。事実「両者の犯罪性」を比較すると,質量ともに「天地の差,雲泥の差」があることは,目をつむってみないかぎり真実である。 にもかかわらず,その「拉致」事件の発生を奇貨として,朝日両国間における2つの「歴史的な犯罪性」の関係が一挙に同等化・同質化・均等化され,かつ清算しえるかのように思いこんだ「日本政府‐国民たちの態度・気運」が生まれた。 日本社会に浸透するそうした「病理的な症状」は,歴史的に日本国‐日本民族みずからが生成・抱懐させてきた「精神的な苦悶・葛藤」の現われ,つまり「PTSD」の発症と診断できる。 −−宮本『テロと米国の暴走 徳と盾』の本文には,さらにべつに,関連した議論の個所もあるが〔第2部第2章「スターリン主義の『化石』−北朝鮮」〕,集中的な記述のある最終部分に近い個所〔第3部第6章「北朝鮮には『徳』と『盾』の均衡で」286-295頁〕を,以下にくわしく紹介する。
●「交渉の基本的前提は公正」 @ 日本の世論が紛糾させた拉致問題 2002年9月17日,平壌で日朝首脳会談に臨んだ小泉純一郎首相は,2つの残存戦後処理問題のひとつを解決し,日本の国際環境を安定化させるとともに,北朝鮮が国際社会に組みこまれることは,極東の安全と安定におおきく寄与するとの判断を抱いていた。 日本がわは「過去の植民地支配によって,朝鮮の人びとに多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚にうけとめ,痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明した」。これに対して,北朝鮮がわは「拉致」問題,「不審船」問題の事実を認め,謝罪した。 ここに,日朝首脳会談は,種々難問を内包しつつも,戦後日本外交における一大快挙になりかけていた。 しかし,「拉致」問題の実態を通報された親族・世論はその残酷さに激昂した。日本の報道機関・政治家・世論が激昂するなかで,当初,北朝鮮は沈黙を守っていた。 しかし,日朝首脳会談10日後,朝鮮中央通信は「日本に強制連行されて半世紀以上過ぎたいまなお,生死すらしらない数百万の青壮年の遺族と,皇軍の性奴隷にされ,青春をことどとく踏みにじられた数十万を数える女性の遺族」に言及のうえ,「日本がわが度を越した騒動を起こしては,事態を収拾できない状況に追いこみうる」とした。 さらに,2002年10月末,第1回の日朝大使級会談直前,北朝鮮外務省のアジア局次長は,日本の国内世論の動向について,「平壌宣言の意義について語る人はすくなく,あたかも拉致問題がすべてのように大騒ぎをしている」,「日本が(植民地支配をつうじて)おこなった残虐行為の規模と残忍さにおいて,われわれの拉致問題は比較にもならない。戦後に補償はおろか,反省すらしていない」と,日本がわのこれまでの対応を非難した(287-288頁)。 A 主客転倒した加害‐被害の関係 拉致された人びと,とくに北朝鮮で非業の死をとげた人びとと,その親族の悲しみと憤りは筆舌につくしがたいものがある。その悲痛と憤りを踏まえて,日本政府が事実の徹底究明をふくめ,最大限の誠意を北朝鮮に求めるのは当然である。 しかし,その流れのなかで日朝関係は主客転倒し,歴史的に「負の遺産」を有するはずの日本が,北朝鮮がわを一方的に攻めたてる立場に立ったかの観を呈するにいたった。北朝鮮がわは「加害者」と「被害者」の立場がすりかわったといい,また,被害者の数がまったく異なることを強調する。 日本の世論は,日本人「拉致」問題が日朝間に存在する唯一最大の問題であるかのごとく,北朝鮮に対しては高圧的態度で臨む。関係正常化を可及的速やかにはたし,「経済協力」をえたい北朝鮮は,当初彼らなりに日本がわの要求に応じ協力した。しかし,日本がわは許さない。 しかも,出稼ぎから「強制連行」まで,種々の形態が存在したにせよ,百万単位の朝鮮半島出身者の「強制連行」の問題,慰安婦問題など,人権にかかわる「負の遺産」があることを日本がわは放念し,正義は日本がわのみにあるかのごとく高圧的態度に出た(289-290頁)。 B 「徳」と「公正性」に欠ける日本国 日本がわが「補償」としてではなく,「経済協力」の形式によって対応する用意があるとの立場をとる以上,経済的に弱体化し,できるだけ早く支援をえたい北朝鮮としては,この方式を甘受せざるをえなかった。この放棄は,異なる日朝両国の立場の妥協であるが,日本がわが法律論と経済力で北朝鮮の政治的要求をねじふせた感がある。 それが国際政治のきびしい現実であるとはいえ,そこに,公正を主体とする政治的「徳」は稀薄である。欧米の識者が,日本の戦後処理問題について,ドイツのそれと比して納得しないのは,その点にある。 「拉致」問題についての事実の徹底究明は必要である。しかし,実利外交のためとはいえ,恥を忍んでその事実を認め謝罪している相手に,日本は「溺れる犬の頭を棒で叩く」ような態度に出ている。 しかも,自国の過去の「過ち」を不問に付している。不公正ではなかろうか。国交正常化交渉において日本は,歴史の試練に耐えうる,また国際社会から評価される政治的「徳」の外交をおこなうべきである。 北朝鮮に対する日本がわの強い要求が鎮静化しないばあい,北朝鮮が日朝国交正常化に乗りだした最大の目的,日本からの「経済協力」も北朝鮮は期待しえない。その結果,北朝鮮は,核ミサイル兵器に依拠する瀬戸際外交に逆もどりし,日朝関係はいたずらに緊張する。そのとき,事態はただしく「収拾できない状況に追いこまれる」。 膠着状態におちいった交渉を打開するには,申しがたいが,「拉致」問題について日本がまず,一歩引き,公正‐公平の原則に立って「拉致」問題と「強制連行」問題の均衡をとるべきである。 均衡を失した感情論を叩きつけるがごとく,「拉致」問題解決を交渉の前提条件とするような対応は,不公正の謗りをまぬがれない。日朝関係の正常化は極東の緊張緩和に寄与する。それなくして,彼の地で非業の死を遂げた人びとの霊は救われない。 日本がわのみが納得する均衡のとれない「公正」の追求は「不公正」である。それは「拉致」被害者家族を分断し,不幸にしている(290-291頁)。 C 暗礁に乗りあげた日朝交渉 北朝鮮はいま,安全保障上の危機と経済・食糧危機のなかで,現実主義的な内外政策への転換を余儀なくされている。実利外交のための国際協調へと転換する意図のあることを,日朝首脳会談は明確に示唆した。 しかるに,「拉致」問題について激昂した日本の国内世論を,長期的観点に立って制御しえなかった日本政府・外務省は,あまりにも一方的な態度で挑んだ結果,日朝国交正常化交渉は暗礁に乗りあげた。 さらに,日朝首脳会談直後におこなわれた米朝高官協議において,北朝鮮がパキスタンから核開発姿勢の一部を購入したさいの領収書を,アメリカがわが北朝鮮がわに提示し,核開発継続について確認を求めたのに対し,北朝鮮がわ代表は,党指導部との協議を経て,約1時間後に核開発を継続中であることを確認した。 その後,北朝鮮は1994年に成立した「米朝枠組合意」以前の状況にもどってしまった。さらに,2003年4月,北京で開催された米朝中協議において,北朝鮮は核兵器を保有している旨,述べた(筆者注記;この段落についてはほかのページにおける記述との整合性に疑問があるが,断わるだけにとどめておく)。 いま北朝鮮は,核開発を継続して,核拡散防止条約(NPT),国際原子力機構(IAEA)からも脱退してしまった。先制攻撃を定着しはじめたアメリカが,北朝鮮に触手を動かすことのないよう,極東の安全保障環境を早急に整備すべきである。 と同時に,北朝鮮が予期せぬ行動に出ることをも想定し,積極防御の「盾」としての自衛力,日米同盟,ミサイル防衛システム,差しせまった脅威を排除するための必要悪としての「矛」のための物理的・法的態勢を,偵察衛星の拡充をふくめ,整備する必要がある。その前提は,集団的自衛権のもとでの日米同盟関係の強化である。しかし,それは,アメリカの国際法違反の先制攻撃への協力を意味しない。 日本としては,政治的「徳」と積極防御の「盾」の基本理念に立脚し,とくに北朝鮮に対して,歴史の試練と国際的評価に耐えうる外交‐安全保障政策を展開すべきである(294-295頁)。 −−以上,宮本『テロと米国の暴走 徳と盾』は,日朝関係の国交正常化実現のために日本がわ〔日本国政府‐日本住民‐拉致被害者たち〕の採るべき姿勢を明確に指示している。外交交渉の冷静沈着なとりくみを意見し,ヒステリー病理におちいっている日本社会の現状を諫めてもいる。 曽我ひとみの問いかけは,拉致被害者たちの「家族をばらばらにしたのはだれか? また一つにしてくれるのはだれか? それはいつか?」というものだった。これに対して,事後におけるその全責任は北朝鮮にあるのだ,などといって済まされるのか。 それに対して,宮本『同書』はこう答えている。『日本がわのみが納得する均衡のとれない「公正」の追求は「不公正」である。それは「拉致」被害者家族を分断し,不幸にしている』と。 いま,官民を問わず日本がわの関係者が採るべき「外交的な姿勢」は,明白である。 日本は,過去に日帝が朝鮮・韓国に対して残してきた「負の遺産」=「不公正」に目を覆いたい。そうしたいがため,北朝鮮が最近起こした拉致事件=「不公正」をてこにつかい,日本がわに蓄積されてきた過去の「不公正」すべてが忘れられるかのように夢想・誤導した。 だが,日帝が過去,朝鮮・韓国に与えたそうした「不公正」な過去を,あたかも「公正」に変換できる,あるいは「相殺」できるかのように思いこむのはまさに,「公正」な政治外交観をねじ曲げた,時代の事情・背景も現実的に直視しない「不公正」な態度である。 すでになんども触れたごとく,過去日本の「不公正」と最近朝鮮の「不公正」をバランスさせたりするのは,「不公正」のきわみである。もとより,そのバランスづけを試図することじたい「不公正」といえる。 両者における「不公正」問題の基底にのぞける「不幸な歴史の関連性」=「通底するしがらみ」は,そうしたバランスづけをもって無理やりには解消できないものである。両者の問題にからみつく〈相互関連的な時代背景〉を冷静に理解しつつも,〈別個にだが同時並行的な解決〉をめざすほかない。 曽我ひとみの問いかけには,こう答えておく。拉致被害者家族をいまもなお引き裂いているのは,被害者家族の肉親たちとくに蓮池 透・横田 滋であり,支援団体関係者とくに佐藤勝巳・荒木和博であり,政治家の安倍晋三・平澤勝栄などである。 彼らは,曽我ひとみの立場にとって本来「応援・支援」をしてくれる人びとであるはずなのだが,現実に彼らが機能させている役割は,彼女の切なる願いを踏みにじってきている。 蓮池夫妻〔蓮池 薫の兄「透」が強力に運動している〕や,地村夫妻〔地村保志の父「保」が積極的に動いている〕が立っている立場にくらべ,曽我のいる地点ははるかに不利であり,前述のようにマスコミを媒介に,ときたま「家族がまた一つになれるのはいつか?」と問いかけるほかなかったしだいである。 −−最後につけくわえておく。戦時中,日帝が国内に強制連行した朝鮮〔韓国〕人たちは,いままで,北朝鮮拉致日本人被害者たちに差しむけられた支援・援助の何万分の1,何十万分の1もうけていない。この話は個人単位でいわれるべきものである。 対照的に,日帝時代において国内に強制連行された朝鮮人の人数はといえば,数十万人にも上っていた(「強制連行」というに当たる人びとの実数は40数万人くらいか?)。本ページで引照した宮本信生はその数を百万人単位だと表現していた(1945年8月時点で日本に在住していた朝鮮人は200万人を上まわっていた)。 最近になって日本政府は,植民地時代に軍人・軍属だった朝鮮人〔や台湾人〕の本人とその遺族に対してのみ,弔慰金の支給を,3年間の期限つきで決めたが〔申請締切は2004年3月末日まで〕,遅きに失した感は否めえず,現在(2003年11月)までその申請者は,予想よりはるかにすくない。 太平洋戦争時,日本軍に徴兵された朝鮮人のなかには11名の特攻隊員もいたと聞く。筆者が現在勤務する大学のある同僚韓国人〔1世〕の肉親がその1名だと聞かされ,日本と朝鮮〔韓国〕との近さを,またべつの意味で感じた。 要は,「北朝鮮拉致日本人被害者」<<<<<「日本被強制連行朝鮮人」である。 この関係は当然,「−(マイナス,相殺)」あるいは「÷(割引)」の関係でもって結合させてはならない,両国(朝鮮:朝鮮民主主義人民共和国と日本国)が歴史面において,相互にかかえこんだ「負の遺産」である。
▲ 2003年12月26日 記述 ▲
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