小学館発行雑誌『SAPIO』 掲載記事内容の誤謬 についてもの申す |
先日,2000年4月上旬になされた石原慎太郎都知事による「○○人」暴言に関係する記事が,小学館発行の雑誌『SAPIO』2000年6月14日号に掲載されていたので,これを購入した。
そのさい,ほかに投稿されている記事のなかにまったくデタラメな記述をみつけたので早速,小学館につぎのようなメールを送って注意を喚起してみたが,その後まったく梨のツブテだった。
それではどうしようとかと考えたが,せっかくホームページをひらいているのだから,この場所を借りてその事実を広く世間に訴えることとした。
★小学館「SAPIO」編集部御中(2000年5月26日午後3時メール送信)
・本日「SAPIO」6月14日号を購入し,一読いたしておりましたところ,24頁〔ピーター・フランクル稿〕の記述中で,まったくのデタラメといっていいような文章に接し,率直にいって,いささかならず呆れております。
・「24頁4段目4行目」から「国公立大学の教員に限らず,国家公務員全般で,日本では外国人を排除している」と書いてありますが,もう大分以前から,国公立大学では外国人教員を任用するための法律もあり,実際に数多くの外国人教員(いまでは数百人単位)がおります。→下欄の注記を参照。
・それなのに,このようなまちがった認識を当然のように語る寄稿者の気持がわかりません。外国人教員任用法案がいったい,いつできたかも,もちろんご存じない方と思いますが,さらに,編集部の方々もしらなかったということなのでしょうか。
・以上,感じたままを正直にお伝え申しあげました。できますれば事実関係のほうをご確認くだされば幸いに存じます。
・国立大学で外国人専任教員(教授・助教授・専任講師)を指導者にして,研究・教育上の指導をうけている日本人学生もたくさんいるわけですから(千人単位でいるかもしれません),ばあいによっては物笑いの種になりかねない叙述部分ではないでしょうか,とも心配いたします。
・その後の注記。→徐 龍達・ほか2名編著『多文化共生社会への展望』(日本評論社,2000年5月)は,文部省調べの資料によれば,1998年7月1日現在,国立大学だけで外国〔籍〕人教員が,662名在籍することを教えている。
【本項目は,2000年10月26日追記】
・その後の注記(続)。→同上,徐 龍達は,2001年度になって国公立大学に在籍,勤務する外国人教員は2千名近くいるという(『統一日報』2001年11月20日による)。
【本項目は,2001年11月25日追記】
さて,上記に指摘した法律,日本の「国公立大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法」は1982年8月20日に成立し,すでに施行されている。だから,筆者が小学館に送ったメールにも書いたような,日本の大学における実相:外国人教員の採用状況になっている。
だが,ピーター・フランクルさんの記事「日本の大学に横行する『階級主義』を外国人というカンフル剤で破壊せよ」(前掲誌,24〜26頁)は,この日本の大学が「外国人を排除している」というまちがった認識をひとつの根拠にもあげて,「階級主義,官僚体質が横行し,客観的な評価機関をもたない閉鎖的なブラックボックス」が日本の大学である,と断じている。
こういう雑誌の記事を読んで,日本の大学に外国人教員を任用するための法律をつくらせるのに努力した在日外国人などの構成する教員組織に,多少はかかわってきたつもりの筆者にいわせるならば,この国際的に活躍している数学者だというピーター・フランクルさん,思わぬところで勇み足の発言をしたようである。
研究者・学究が事実にもとづかない,あるいは事実そのものをしらないで,うかつな断定的発言をすべきではなかったと思う。これは同業者としての忠告でもある。
その間,小学館の編集局関係者からはなんの返事もない。要するにほっかむりを決めこんでいる。その程度のまちがいは,たいしたことがない,あるいはとるに足らないとでもいうのであろうか。
私は,小学館発行の雑誌『SAPIO』という雑誌は,例の新ゴーマニズム宣言の漫画作者小林よしのりの作品〔歴史科学性はゼロのそれ〕を掲載するもので,あまり好印象はもっていないが,よしのりチャンの漫画ストーリーはともかく,文章中心の記事までこんなデタラメを載せて,これを指摘されても「屁の河童」というか「カエルのつらにおしっこ」というべき事態となると,小学館という大手出版社の品位・社格,知性・感覚などを疑わざるをえなくなる。
過日,小学館の関係会社の者だといって職場の研究室にずかずかはいりこみ,一方的にセールス・トークをはじめた御仁がいた。この人にはただちに退散願ったが〔そのときその人は舌打ちをしていたから,余計失礼に感じたが……〕,今回の出来事で小学館に対してはさらに,印象を悪くしてしまった。
■結 論:小学館の編集部「SAPIO」担当者へもの申す。
『SAPIO』2000年6月14日号に掲載された,ピーター・フランクル稿「日本の大学に横行する『階級主義』を外国人というカンフル剤で破壊せよ」のなかにみられる,上記記述に関して筆者が指摘した誤謬は,同稿の主張そのものにおおきくかかわる,重大でみのがせない瑕疵である。
このような記事を掲載し,そのまちがいを指摘されても訂正どころか,無視し黙過して済まそうとするのであれば,貴社の雑誌編集における「いい加減で雑な姿勢」を,世間に広く訴える必要がある事実を,ここにしるすものである。
★大阪産業大学経営学部経営学科教員 裴 富吉 2000年7月26日 記
◆以前,雑誌「SAPIO」に掲載された投稿文の「内容」に関して指摘されていた,小学館担当部署の編集方法にまつわる〈いい加減さ〉を,ここでさらに紹介しよう。
「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー〔幹部〕の1人である高橋史朗明星大学教授は,欧米列強の帝国主義的植民地支配の歴史的な期間を「500年にわたるもの」と記述していた。これは,雑誌「SAPIO」1995年7月26日号へ投稿された文章の中身である。
だが,帝国主義とはそもそも,19世紀以降,第1次大戦にかけて,長くみても第2次大戦までの列強の膨張主義一般をさすものである。したがって,その年数は数十位で表現して,100年単位とはいわないものである。まして,500年間とは,大航海時代以後の重商主義時代までふくめており,歴史認識としては粗雑すぎる(松島榮一・城丸章夫編『「自由主義史観の病理−続・近現代史の真実は何か』大月書店,1997年,101-102頁)。
すなわち雑誌「SAPIO」は,歴史学関係の学界ではすでに決着がついており,学問上も通論的常識となって定着した基本見解,「帝国主義は19世紀から20世紀半ばまでの期間をさす」というものを平気で無視する,研究者の「非学究的な〈まちがった記述〉」をわざわざ掲載していた。
小学館が編集し発行する「SAPIO」が,一般大衆むけの雑誌であって,知識人むけのあるいは学術的な論文を編成したものではないからといって,2〜3流週刊誌〔これもピンからキリまであるが〕並みの〈いい加減〉な記事を載せるのは,たいがいにすべきではないか。
【本項◆は,2000年8月17日追記】
★数学者ピーター・フランクル氏は,その後〔2002年1月12日まで毎週1回〕『日本経済新聞』のコラム:「青春の道標」に,計13回寄稿した。
フランクル氏は,その13回め最終の寄稿文を「皆でチームワーク,日本人と働く喜び」と題名し,つぎのような記述をおこなった(『日本経済新聞』2002年1月12日,同欄参照)。
ハンガリーに生まれ育ったユダヤ人であるフランクル氏は,祖国を捨てて日本に骨を埋める気持となった理由を説明する。それは,いまなお現実である「故郷のユダヤ人差別」であったと。
フランクル氏にとって「日本の最大の魅力は,日本人との仕事であり」,それによって「日本では数学以外にもいろいろ楽しい仕事ができた」。
フランクル氏の「数学以外の仕事」のうち,事実をきちんと確認もせず完全な誤認にもとづいて,日本の大学における外国人教員任用の実態,いいかえれば,すでにその大部分がなくなっている「外国人差別」を〈批難:糾弾〉する一文を寄せたのが,本項の冒頭に指摘した『SAPIO』2000年6月14日号であった。
日本という国はだいたいにおいて,ユダヤ人だろうと誰だろうと,欧米系白人種に属する人々が「優遇され,モテる」天国であり,彼らにとってはとても「生きやすい,楽しい国」である。
ハンガリーは白人種たちを中心に成立する国ではあるが,同じ白人種の「ユダヤ人」を平然と差別してきた国である。それに比して日本は,フランクル氏に仕事をたくさん与え,タレント的にも大活躍させてくれるよいところである。だから,フランクル氏は「骨を埋めたくなる」ほど,この国が大好きになったといっている。
一言でいえば,ピーター・フランクル氏は日本において,「ユダヤ人」である点とはなにも関係なく,白人系の人間として特別に待遇されている。もちろん,そうなるまでには,彼の学力や才能,資質,人間性,人格なども大いに貢献してきただろうことを,筆者は否定しない。
もっとも,日本国内において,ユダヤ人・民族に対する差別,偏見などに相当する諸問題がなにもないのかといえば,けっしてそうではない。むしろ,この国でも,目白押し,盛り沢山である。ただし,こちら「日本の諸問題」は,「フランクル氏という人間存在」に関していえば,まったく無縁たりうるものである。それゆえ,フランクル氏の目には,「日本社会に固有の差別・偏見問題」が映っていないようである。
なかんずく,大道芸人としてのパフォーマンスもできる,まことに多才なフランクル氏に対しては,つぎのように申しあげておきたい。
つまり,「欧米社会におけるユダヤ人・民族の差別・偏見」に該当するところの「日本国内におけるそうした諸問題」を,これからでもいい,すこしは勉強してほしい,と。
1) ハンガリーには,ユダヤ人・民族への差別・偏見がある。だが,日本にも,他民族や同じ人間〔→日本(国籍)人〕に対する差別・偏見が現実の問題としてあり,しかもそれは,実に多種多様である。
2) 日本に暮らすようになったフランクル氏,自分だけはもう,〔ユダヤ人・民族への〕差別や偏見から「自由の身」になれたのである。
3) そして,フランクル氏はこの国で仕事に恵まれ,たいへん幸せに生きていける。だから,「それでよし」とするらしいのである。
4) ともかく,日本の大学においてもはや,大部分は実在しなくなったはずの「外国人〔教員〕任用の差別問題」を誤解,仮想したうえで,これを批判する《数学者》がいた。それがピーター・フランクル氏。この事態を,多才・多芸なる数学研究者の〈専門外的な勇み足〉だとみなして,簡単に許容するわけにもいかない。
5) あえていえば,日本社会をみるフランクル氏の目には霞がかかっており,自覚症状のない意識の混濁がある。
6) フランクル氏の社会意識において,決定的に欠けるものがある。〔かつての〕被差別者としての連帯感,その的確な共有感である。日本社会のエリート上層のなかで生きていけるようになった彼の生きざまを観察するとき,なにか物足りなさを感じる。
−−自分だけよければ,他者などどうでもいい。そういう「自己中心主義‐孤高‐独善の情感」〔この地球上にはまだ被差別に呻吟する人々が大勢いるではないか!〕が,フランクル氏の脳髄のなかに占拠,蟠踞しだしたのではないか。
その後,ピーター・フランクル氏の「日本式氏名」をしった(2004年7月5日,新聞の宣伝欄より)。→ 富 蘭 平 太。
★縫田清二『ユートピアの思想』(世界書院,2000年)から,以下の文句を引照しよう。
1) ユダヤ人ほど,長く,大量に,そして徹底的に苦しめられてきた民族はほかにない。彼らほど言語に絶する差別・迫害のなかで,敢然と戦い,執拗に生きつづけてきた民族もほかにない。
2) あれだけの迫害にもかかわらず,ユダヤ人として今日あらしめている原動力は,彼らの徹底的にラディカルな生の姿勢そのものにある。
3) 事実,このラディカルな態度を抜きにしてユダヤ人の解放はありえない。それは,世界史のなかで彼らがなんら差別されるべき理由のないことを実証するばかりでなく,この実証からえた確信を彼らの1人1人が胸の奥にしっかりと堅持するうえに重大な作用をなしている(同書,395頁)。
−−「彼ら〔=ユダヤ人〕の徹底的にラディカルな生の姿勢そのもの」を継承し,「世界史のなかで彼らがなんら差別されるべき理由のないことを実証する」ことを,「日本に安住の地をえられたフランクル氏」の「胸の奥にしっかりと堅持する」ことは,もはや不可能であるか?
★そういえば,私的なことがらだが,筆者のある姪の配偶者がアメリカ国籍のユダヤ人〔白人〕だったことを,このページをここまで書いてきて思いだした。最後に付記しておく。
【本項★は,2002年1月14日追記】
★2002年1月26日『日本経済新聞』図書広告欄
同上紙の広告欄に岩波新書5冊の宣伝が出ていた。そのうち1冊が,ピーター・フランクル『日本人のための英語術』(2001年11月発行,本体740円)である。
この著者“ピーター・フランクル”は,このホームページでとりあげているピーター・フランクル氏と同一人物であるとみなして〔早速本屋にいって現物を確認しようと思ったが,岩波書店のHPをみたらすぐわかった〕,つぎのような評言を与えておく。
数学者フランクル氏の多才・多芸・多能・多趣味,いいかえれば「日本人向きの英語術」まで伝授してくれるという幅広さには,本当に驚嘆する。
−−同書宣伝の能書きは,こう謳っていた。
日本人の性格と英語力にあわせて考案した学習&コミュニケーション法。ゲーム感覚で楽しく学べる。
−−宣伝文句だから,まあ,なんでもいいのだが,ともかく,そんなに幅広い学識をもち,多方面の才能を兼備するフランクル氏が,日本に在住する(骨を埋めるつもりだとまでいう)外国人の一員として,国立大学における外国〔籍〕人教員の任用実態(関連法)に無知なあまり,砂上の楼閣のごとき主張=日本社会批判「論」を展開したことは,なんとも恥ずかしいかぎりであった。
先日,ピーター・フランクル氏の連絡先が判明したので,このホームページを印刷してお送りしてある。当人にはすでに,このページが指摘した事柄を,十分理解していただけたものと推察する。
もっとも,残念ながらいまだに,当人からの返事はいただけない状態である。
【本項★は,2002年1月27日追記】
★ピーター・フランクル『世界青春放浪記−僕が11カ国語を話す理由(わけ)−』2002年4月
先日購入した図書の1冊に,ピーター・フランクル『世界青春放浪記』(集英社,2002年4月)がある。富蘭平太(フラン・ペータ)なる漢字の日本式姓名を披露したこの著作は,興味ある事実をいくつか告白している。
1) 本書は,フランクル氏〔および一族〕がユダヤ人・民族であるがゆえに,過酷で悲惨な差別・偏見をうけてきた歴史的事実を教えている。「ユダヤ人」ということばじたいが差別用語である(19頁)という指摘は,日本社会における「朝鮮人」「第3国人」ということばにも妥当するものである。
2) 現在のフランクル氏は,フランス国籍の持ち主である(10頁)。
3) 「日本人のように完璧主義者」(48頁)というお褒めのことばは,日本人へのゴマスリの域を出ない修辞である。もちろん,そういわれたほうでは気分を悪くする人などいないが……。
4) フランクル氏の父の教訓,「われわれユダヤ人の財産は心と頭にある」(55頁)。「弱い者は宗教に頼る。強い者は自分に頼る」(63頁)。けだし,名言である。ただし,歴史的に連綿とつづいてきた不幸な境遇のなかで生まれた教訓であるから,すこし複雑な気持で聞くべきものである。
5) フランクル氏にも,ユダヤ民族としてうけたPTSD( Post-traumatic Stress Disorder:「心的外傷後ストレス障害」)がのこされている。7歳のとき「あんたはバカなユダヤっ子よ」といわれ,その後「ドイツ兵がきて,ぼくを連れ出して射殺する夢」をときどきみるようになった,という(79頁)。
フランクル氏は,日本にきてからはきっと「いい夢」をみつづけてきたので,この地に骨を埋める気持になったものと思う。だが,日本というこの国においては,同じ日本人・日本民族でありながらいまもなお,「あんたはバカな○○ッ子」と差別のことばを投げかられている〈子供たちが各人各様にいること〉をしっての発言か,と尋ねたい。在日外国人の子供たちにいたっては「なにをかいわんや」である。
6) 「アメリカに住めばユダヤ人であることに恥じる必要がない。それどころか自分がユダヤ人であると主張してもいいのだということをはじめてしった」(80頁)と述べるくだりもある。だが,そのアメリカという合衆国がいまだ,多種多様の人種差別を克服しなければならない課題としてかかえている。このことを理解したうえでの話なのだろうか。アメリカにおけるユダヤ人は基本的に,白人の1範疇に分類される。
ちなみに,筆者の姪のユダヤ人配偶者(前出)も,みまがうことなく欧米系白人にみえる。
7) フランクル氏は,ある「筆記試験のときは服のなかに解答をしるした紙きれをかくしておいた」ことがある(125頁)。この天才的人物でも,不得意科目というか勉強しなかった授業では,カンニングしておりましたというわけである。正直でよろしい。
8) 「フランスの大学教員の制度は日本によく似ている。研究成果は給料とはまったく関係ない。いったん大学に就職すると国家公務員になるので,たとえ一つも論文を書かなくても食いっぱぐれることはない。それに論文や本を書くよりも,偉い教授と親しくなったり教員組合で活躍するほうが出世の役に立つのだ」(167頁)。
あるホームページをのぞいたら,ピーター・フランクル氏は,現職はパリ大学教授・ベル研究所コンサルタント・慶応大学講師など,としるされていた。
→http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-today/frankl-peter.htm
9) フランスにおけるユダヤ人差別の歴史については,ドレフィス大尉事件が有名であるが,いまではフランス国籍のハンガリー人であるフンラクル教授にとっては,居心地のよい国であるように映る。また日本は,それ以上にすばらしい待遇をくれる国なのだろうか。
フランクル氏はいちおう白人にみえるが,スウェーデンにいったとき,この「女性が美しく,性の解放のすすんだ国」だと思っていたが,「しかし実際のスウェーデンにはがっかりさせられた。ぼくはこの国であらわな人種差別をうけたのだ」(266頁)と述べ,深い屈辱を感じたようすである。
なぜ,そういう差別を北欧の国でうけたかというと,彼が「黒い髪の毛・黒い瞳」だったからである。しかし,この人が日本にくると,同じ生物学的な特性を有していても〈白人としての優遇〉をうけることができる。
そのフランクル氏も,かつてインドを訪問した当初は,インド人に対して「自分が人種に対して偏見をもっているとは思ってもいなかった」(274頁)と告白している。
しかし,結局彼は,人間全般に関してまっとうな認識を獲得できている。こういう。「人間を人種によって差別するのはまちがっている。人と人を区別するのは国や民族や人種でなく,生きかたや考えかただ」(289頁)と。筆者もこの規定には同感である。
10) しかしまた,みずから理系的な人間だと称する:フランクル氏においては,全然みえていない日本社会の真実がある。筆者が読んだ「彼の著書」をとおして判断するかぎり,たとえば〈日本の天皇制と部落差別〉〔およびそのほかの差別〕問題の所在に気づいているようすはない。
フランクル氏は,第2次世界大戦時,スイスとならんで中立国の立場を守ったデンマークがドイツに侵略され,ナチスがデンマーク国内のユダヤ人にも,目印の黄色い星をつけさせようとしたときの話をする(269-270頁)。
すなわち,それを聞いたデンマークの国王は,みずから黄色い星を服につけて国民のまえに現われ,やがてデンマーク国民全員が黄色い星をつけるようになった。デンマークに住む人間はみんな平等だと,国王はいいたかったのだろう,と。
ここでは,問題点がふたつある。そのひとつは,日本社会における天皇制のありかたをヨーロッパの王室のそれと比較考察する余地があることであり,もうひとつは,この国:日本では,「黄色い星」を自身の服につけるような行動規範を,国民〔臣民?〕しめしえた皇室関係者が皆無だったことである。
11) 要は,いまでは日本において,自由で優雅な生活を存分に堪能・享受しえているフランス国籍でユダヤ系ハンガリー人:ピーターフランクル氏は,いまだ日本社会の表層しか観察できていない。
そもそもこの欄は,フランクル氏における,日本の大学における外国〔籍〕人教員採用問題に関する「事実無根というか勉強不足の記述〔のまちがい〕」を指摘するところからはじまったが,日本という国総体に対する認識における彼のそうした限界は,今回読ませてもらった著書『世界青春放浪記』によっても,再確認できた。
最後に,ハンガリー〔国籍〕人としての兵役を回避するために,絶えず懸命に画策してきたフランクル氏の姿〔→ようやく25歳になってから半年ほど入営しただけで済んだというのだが(238頁参照)〕は,見苦しく感じたことをいっておきたい。もっとも,筆者は,兵役がいいものだと考える者ではないので,念のため断わっておく。
【本項★は,2002年8月8日追記】
★ピーター・フランクル『世界青春放浪記』2002年4月
versus
ハインツ・E・マウル『日本人はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』2004年1月
結局,ピーター・フランクル『世界青春放浪記−僕が11カ国語を話す理由(わけ)−』2002年4月は,「ユダヤ……民の……自叙伝的な作品が……,日本人とのポジティヴな出会いの経験や,彼らの『旅』が結果として幸せに終わったことへの喜びのために美化された回想になっているものが多い」(ハインツ・E・マウル,黒川 剛訳『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか−ナチス時代のハルビン・神戸・上海−』芙蓉書房出版,2004年,205頁),といった部類に属する著作である。
前段注記中に参照したハインツ・E・マウルの著作『日本人はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』に関しては,戦争中の神戸市におけるユダヤ人難民の処遇に関する事実を実証したうえで,旧大日本帝国が「ユダヤ人を迫害しなかった」という「マウルの歴史認識がかなり偏向している」点を指摘した,金子マーティン『神戸・ユダヤ人難民
1940-1941「修正」される戦時下日本の猶太人対策−』(みずのわ出版,2003年)も公刊されている。
なお,マウルの著作『日本人はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』2004年1月発行は,この日本語訳本のなかではなぜか,原著作の〈発行年:2000年〉を明記していない。
同書「訳者あとがき」は,こう解説する。
本書は,かつて在京ドイツ大使館駐在武官であったハインツ・エーバーハルト・マウルが,ドイツ連邦軍を退役後ボン大学に提出した博士論文「日本とユダヤ人−1933から1945年のナチズムの時代における大日本帝国のユダヤ政策」を,一般歴史書のかたちに改訂して日本語訳したものである(同書,〔訳者あとがき〕229頁)。
なお,NACSIS Webcat(総合目録データベースWWW検索サービス)からえられる文献情報によれば,マウルのその学位論文は2000年に製作‐公表されていた。
※
通常は日本語翻訳書の冒頭個所に記載されているはずのこうした原著〔出典関係の〕表記が,黒川訳『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』2004年にはない。特定の疑問を感じる。 |
金子マーティン『神戸・ユダヤ人難民
1940-1941「修正」される戦時下日本の猶太人対策−』の発行年月は,2003年12月であったから,日本語における刊行物として金子の著作は,若干マウルの著作に機先を制することができたといえなくもない。
金子は,マウルの歴史認識がかなり偏向していることを指摘するが,同時に,マウルが「日本の信頼がおける出版物」として紹介するのは『諸君!』『文藝春秋』『産経新聞』に掲載された記事であるとも指摘する(金子,同書,16頁)。
そうだとするとマウルの学位論文は,内容的に「偏向」しているというよりも,学術的な研究にとりくむ姿勢そのものにおいて問題含み,要注意だったことになる。
また,訳者の黒川 剛が,博士論文=学術専門書を「一般歴史書のかたちに改訂して日本語訳」するに当たり,「細かい脚注などは省略し,また日本の読者に周知と思われる記述を省いた部分はある」(同書,〔訳者あとがき〕229頁)など,適当に編集をくわえた点もある。これには,みのがすわけにいかない問題点を感じる。
それでは,ドイツ語原文の学術書:「博士論文」を日本語訳本として発行‐公表するにさいし,一般教養書「風」に手直ししたという「編集の方法」じたい,疑問が生じてくるからである。金子の指摘,すなわち「歴史認識がかなり偏向している」点をめぐっては,とりわけその根拠となる注記〔脚注〕を減らした操作が気になる。
ともかく,なにゆえそうした編集の方法がとられたのか,きちんとした説明が与えられていない。日本における図書の市場‐販売性を,ただ意識しただけだとでもいうのか? なんといっても,学術書から注記をはずしたら〔部分的に「減らした」といっているが〕致命的な変更になる。
翻訳者の黒川 剛は「全体の構成や著者の主張・見解にはもとより手をくわえていない」と断わっていたが,翻訳作業におけるそのような約束ごとは,学術研究の手続面にしたがえば「いわずもがな」の大前提であり,それを守らなかったら学術書とは認められない。
学術論文であるかぎり以上のような疑問や批判は回避できない。もしも,その類の議論や批判を真正面よりうける負担を軽減したいがための「編集の方法」〔注記の省略や一部分の記述削除〕だったとしたら,これは,日本語訳本『日本人はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』の価値をいちじるしく損壊するだけでなく,ドイツ語原著の真価をおとしめるものでもある。
「特定の処理・一定の操作」をくわえた翻訳作業というものが,ヘタをすると『ほかの作品』を製作する〔捏造する!?〕ことにもなりかねない。それは,原著者の望むところでもないのではないか。
翻訳者の黒川 剛は,ドイツ語原著:学術書〔博士論文〕の「全体の構成」や著者の「主張・見解をかえない」と断わっていた。だが,「細かい脚注などは省略し,また日本の読者に周知と思われる記述を省いた部分はある」点を,原著者ハインツ・E・マウルの了解をえたうえでおこなったのかどうか,今回の著作のなかに関連する記載をみつけだすことはできない
マウルが学術書〔博士論文〕を作成するに当たり,日本で交流・助力のあった各方面は,外務省(外交史料館),自治省,文部省〔現文部科学省〕,防衛大学校,防衛庁防衛研究所などとその関係者,同志社女子大学宮澤正典,茨城大学保延 誠,などである(同書,5-6頁)。これら諸機関‐人物に〈一定の偏り〉があることは,あえて指摘するまでもない。
【本項★は,2004年5月4日追記】
★インタービュー記事「数学者ピーター・フランクル氏,失われた10年はウソ」2003年12月1日
『日本経済新聞』2003年12月1日〔朝刊〕は,インタビュー記事でピーター・フランクルが「日本経済における失われた10年はウソであり,豊かさを成長率で測るな」と主張している,と報道した。
フランクルは優秀な数学者であり,大道芸人の演技ができ,11か国語もこなせる人物である。そして,今回のこのインタービュー記事は,彼という存在をあたかも「経済問題の専門家(!?)」でもあるかのように紹介〔→誤導〕している。
「日本企業におけるサービス残業の解消」*),「日本人の労働に対する価値観の変更」*) などに対するフランクルの応答を,聞き手の日本経済新聞社国際部記者加藤英央は,「統計の数字は,あくまで数字にすぎないという数学者の発想,路上から人びとの暮らしをみつめる大道芸人の視線には説得力がある」とコメントしていた。
数学者:大道芸人のフランクルに路上で聞かねばわからないような「論点である」のが「上記」 *) とは思えない。日本にはほかにいくらでも,その道における本当の専門家がいる。これが,以上の記事に対して筆者のなすべきコメントである。
フランクルという人物は,尋ねられればなににでもディレッタント的に,いい加減な発言:事実誤認の不正確な議論をする人間だった。本物のエコノミストでもかなり,デタラメな分析や当てずっぽうの予測を披露することがすくなくないのに,素人さんのピーターになにを聞くというのか? 傍目八目,それとも,マグレ当たりを期待するのか?
彼自身よく理解できていない諸領域の1問題である「日本の労働経済問題のひとつ:失業率」まで教えを乞うた,日本経済新聞社の「経済感覚」および「人間判断」が疑われる。もちろん,素人としてのフランクルにそれを聞いてみたというのであれば,いちおう許容できる範囲もないわけではない。
【本項★は,2003年12月8日追記】
★『SAPIO』2003年5月28日の「悪質見出し:タイトル」に対する批判
『SAPIO』は,2003年5月14日に発行した5月28日号の表紙をつぎのように飾った。
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http://www.shogakukan.co.jp/main/magazines/sapio.html |
★ SIMULATION REPORT:新型肺炎ばかりではない!
★「環境破壊」「軍拡」「中国人犯罪」ほかの対策を急げ「世界の疫病神」中国を封印せよ
−−中国に対する敵視感情を剥き出しにした,まさしく「イエロー・ジャーナリズム」の手法である。中国もまた,いろいろ問題のある国であり,それを国際政治的な次元で批判しないでいいはずがない。
−−翻って,日本はどうか? 最近,疾病関係において,こういう深刻な問題を発生させている。
−−日本は「はしかの輸出国」「結核再発国」「HIV(エイズ)患者急増危険国」だという,たいへん恥ずかしい警告をうけている唯一の先進国である事実を,『SAPIO』の編集者およびその読者はご存じだろうか?
−−日本においてはそれら疾病だけが社会問題なのではない。環境破壊もあいかわらずであり,軍拡路線に突きすすみつつあり,日本「国籍」人の犯罪も増えつづけている。
−−「目くそ鼻くそを嗤う」ではないか? それとも,なにか向こうを張っているつもりか?
−−現にその後,『朝日新聞』2003年7月2日朝刊の特集記事「感染症最前線 中」は「日本ははしかの輸出国」と題目を付けて,こう解説していた。
日本の新規はしか患者は,推定で年10万〜20万人,死者は100人近い。新規患者約100人のアメリカでは,日本人が感染源となった例も多い。アメリカの専門家から「日本が輸出しているのは車だけじゃない」と皮肉られている。
結核もあなどれない。日本国内の新規結核患者は,1997年に約4万3千人になり,38年ぶりに増加に転じた。2000年に歯止めがかかったが,それでも2001年の新規患者は約3万5千人,死者は約2千5百人。死者数でみると,結核は依然,国内最大の感染症である。人口10万人当たりの新規患者数をしめす罹患率も 27.9 で,スウェーデンの5.9倍,アメリカの4.8倍である。
日本のばあい,高齢患者が最近増えている。若いころ感染した結核菌が肺で眠りつづけ,生活習慣病などで抵抗力が落ちた時に発病する。新規患者の約4割は70歳以上で,若年層にも広がりかねない。
−−さらに『朝日新聞』2003年7月3日夕刊は,こう報道した。「はしか キャンパスで流行−鹿児島大など3大学14高校−」
大学や高校で,はしか(麻疹)に集団感染するケースがあいついでいる。国立感染症研究所感染症情報センターによると,2003年に入って3大学,14高校で流行している。行事を中止したり,ワクチンを打ったりなどの対応に追われている。医学部の学生が感染し,付属病院の患者にうつす恐れが出たため自宅待機措置をとった大学もある。はしかは,大人がかかると重傷になる傾向があり,専門家は注意をよびかけている。
「アメリカではワクチン接種の証明がないと大学に入学できない。日本でも入学時に抗体検査をして陰性ならワクチンを接種するのがいい」(川崎医大講師〔小児科〕寺田喜平)。
−−さらに『朝日新聞』2004年7月27日朝刊は,2004年7月11日から6日間,タイのバンコク近郊で開催された国際エイズ会議に関する解説記事「エイズ会議発−感染者と共闘 タイの予防策」を掲載した。
その記事は,日本はいまだに「代表的な対策途上国」であり,日本は「先進国のなかで唯一,感染が広がりつづけていると,会議中,多くの非難を浴びた」と伝えていた。京都大学木原正博教授は,「2010年には,日本におけるエイズ感染者は5万人に達する」と指摘する。
−−日本国内で再び感染が深刻になっている〈はしか〉と〈結核〉と〈エイズ〉の蔓延については,本格的対策が必要であることが,すでになんどか報道されている。しかし,その実態は依然叙上のように,自他ともに認める経済的「先進国:日本にふさわしくない対策途上国的な」ものである。
−−『SAPIO』編集部さん,他国(中国など)の問題だけは,むきになってよくいうよ!
「イエロー・ジャーナリズム」の本領発揮!
−−『SAPIO』編集部さん,日本国内における〈はしか〉と〈結核〉と〈エイズ〉の危険性もとりあげたらどうですか? まさか,
“「世界の疫病神」日本を封印せよ!”
というわけにはいかないよね。
−−もしかすると,日本国ジャーナリズムの疫病神『SAPIO』編集部じたいの封鎖・検疫が,先決問題?
“「日本の疫病神」SAPIO を封印せよ!”
−−ちなみに「台湾の指定解除でWHOが新型肺炎制圧宣言」という報道が,2003年7月5日になされている。
【■ ジュネーブ2003年7月5日共同通信】 世界保健機関(WHO)のブルントラント事務局長は7月5日,ジュネーブのWHO本部で記者会見し,新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の「流行地域」として,最後まで残されていた台湾の地域指定を解除したと発表した。
事務局長は「地球規模で新型肺炎の大発生を封じこめた」と述べ,2002年11月に中国広東省から広まり,東アジアを中心に812人もの命を奪った新型肺炎の「制圧」を宣言した。
しかし,WHOは例年インフルエンザが広まる冬季に新型肺炎が再流行する恐れが十分あるとして,引きつづき警戒をよびかけている。これまで発症例がない日本も,将来の感染者発生に備えた収容施設や治療体制の整備が大きな課題だ。
また,中国やアジア各国は感染拡大で打撃をうけた経済の回復に全力を注ぐことになる。
−−幸いなことに,日本ではSARSは発生しなかった。しかしながら,日本はまだ,はしかだ,結核だ,エイズ:HIVだという感染病の拡大・増加を予防,阻止できておらず,そのための対策も十分でない。
『SAPIO』編集部さん,自国においていま緊急の対策を必要とする,これらの「疾病問題に関する特集記事」なんか組んでみたらどうでしょうか。もちろん,編集方針における気分は,正直いって〈恥ずかしながら〉という感じですが……。
【本項★は,2003年5月21日,7月2日・5日追記】
【■『朝日新聞』2005年4月12日朝刊】 この朝日新聞の記事は,日本の現状=「脱はしか大国@,輸出−対策後手,患者年10万人」と見出しを付けている。
「日本の小児医療の水準は高いが,はしかなど感染症対策は遅れている。汚名返上をめざす関係者の動きを紹介する」と記述している。
【本項★は,2005年4月16日追記】
【■『朝日新聞』インターネット版 2005年4月25日19時38分〔→同じ内容の記事については,2005年5月16日朝刊も参照〕】 この朝日新聞の記事(インターネット版)は,日本におけるエイズ感染患者の拡大を,つぎのように報じている。
日本で報告されたエイズウイルス(HIV)の感染者とエイズ患者の合計が1万70人と,1985年に最初の患者が確認されて以来,初めて1万人を超えたことが2005年5月25日,厚生労働省のエイズ動向委員会(委員長=吉倉広・前国立感染症研究所長)のまとめでわかった。
2004年に新たに判明した感染者(780人)と患者 (385人)も,いずれも年間件数としては過去最高を記録。合計で1165人と,初めて1000人の大台を突破した。
まとめによると,2005年4月3日までに判明した感染者は6734人,患者は3336人。このうち,日本人男性(6662人)を感染経路別にみると,感染者では同性間の性的接触の2521人,患者では異性間の性的接触の1000人が,それぞれ最多だった。
今年1月からの新規感染者(207人)についてみると,男性の同性間の性的接触は131人にのぼり,3カ月間としては過去最高を記録。年齢別では,20代から30代の若年層が75.4%を占めた。吉倉委員長は「積極的に予防や検査の早期受診をしてほしい」と警鐘を鳴らしている。
【本項★は,2005年5月22日記】
【■『朝日新聞』 2005年5月31日夕刊】 この朝日新聞の記事は,「日本の幼児死亡率,先進国で最悪−1〜4歳 救急医療『不十分』の指摘−」と報じている。以下に冒頭部分を引用しておく。
長寿命を誇る日本だが,1〜4歳児の死亡率は,先進国の平均より3割高く,実質的に「最悪」なことが厚生労働省の研究班の調査でわかった。原因ははっきりしないが,主任研究者の田中哲郎・国立保健医療科学院生涯保健部長は「小児救急体制が十分に機能していないのかもしれない。幼児を救う医療を強化する必要がある」と指摘する。
【本項★は,2005年6月5日記】
【■『NIKKEI NET』 2005年8月13日】 この日本経済新聞インターネット版は,「日本のHIV感染者,1万2000人に・国連エイズ計画」と報じている。以下に冒頭部分を引用しておく。
国連合同エイズ計画(UNAIDS)は2005年8月1日,日本のエイズウイルス(HIV)感染者が約1万2000人に達したと発表した。
エイズ知識が不足し,感染者が社会から疎外されていることなどから「急速な全国的蔓延は十分起こりうる」と指摘。緊急にエイズ対策を実施しないと 2010年には5万人に膨らむ恐れがあるとしている。
8月1日から神戸で開く「アジア太平洋地域エイズ国際会議」にあわせてまとめた。
厚生労働省は2005年4月に,感染者と発症者の累計が1万人を超えたとの集計をまとめたが,UNAIDSの数字はこれを大きく上回った。
日本で2004年に報告された新規感染者のなかでは,男性同士の性行為による感染が60%ともっとも多い。異性同士の性行為(26%)がこれにつづき,麻薬の常習者(0.4%)や母子感染(0.1%)はわずかだった。
【本項★は,2005年8月14日記】