お便りありがとうコーナー
● 最 初 に ●・このホームページに感想を寄せてくれた方々には,心より厚くお礼を申しあげます。・教育産業に従事する者はいつも,独断的な姿勢におちいる危険にかこまれております。それゆえ,メールによるお便りなどありがたく拝見いたし,参考にさせていただいております。筆者の考えのおよばないもののみかたや,異なる視点からの見解を披露していただき感謝申しあげるしだいです。・しかし,またそれとはべつに〈身元不詳のメール〉や〈匿名の手紙〉もうけとっており,なにやら意味不明の反響が還ってきました。それらは,筆者に対して反発しており,反対意見だ(!)という点だけは,ただなんとなく(?)わかるのですが,みかたによっては,単なる嫌がらせ的なメールの送信であり,あるいはすこし脅迫じみた手紙の送付であるといえます。 ・上記の応答=文書を送ってくれた人々は,覆面をかぶって自分の素顔を隠し,匿名性のマントに自身をつつみこんで素性をみせようとしません。こういうやりかたですから彼らに,真剣勝負で正々堂々と議論をたたかわす精神はなく,とことん逃げの姿勢で罵詈雑言を投じてくるだけです。彼我で,まともに議論をかわそうとする気持などもとよりないのでしょう。 ・譬えていうなら彼らは,物陰に隠れて他人に石を投げつけるような行為を得意技とします。まともな交流とはいえない「一方的な押しつけ・強要の言説」は,民主主義の基本的ルールに照らして考えるまでもなくまさに,ヒキョウ者の典型的な言動として指弾されるべきです。結局,蔭でコソコソやっているだけのことではないかとも感じます。 ・なにゆえ,逃げ隠れするのでしょうか? ・通信:言論をやりとりするさいの作法は,異見・異説があっても相手の信条・立場を尊重し,批判しあって理解を深めたり,異なる考え・思いから生じる対立点をヨリ明確にしたりする方途をめざしたいものです。ところが,ここに紹介した人々のやりかたは,一言でいって有害無益であります。 ・もっとも,その人々は,他人になんらかの〈害=わざわい〉をもたらそうと必死になっております。そのため,ひたすら対話無視:他者誹謗に終始し,いたずらに粗暴な言動を投げかけているように映ります。端的にいって,陰湿・陰険・圧迫,悪意・偏見・差別(!),暴力的言論による恫喝・脅迫などが彼らに特有のイメージであり,またその狙うところでもありましょう。 ・今回とくに,このページを用意して読者のみなさんに公開したい,ある人から送られてきた《とっても変な手紙》があります。この手紙には「差出人の住所と氏名がしるされていない」のです。それゆえ,この手紙を投函したご当人はわざわざ「自分というものに責任がまったくない」ことを,天下に公言したにひとしいわけです。 ・したがって,この手紙は「私信ではあるが私信ではない書状」と断定いたしました。このたぐいの手紙を出す人々がおよそ,どのような内容の文章を書いてよこすのか〔→ワンパターン的なるある特性のことです〕,世の中に公表することに有意義もあろうと考え,あえてここに公開して〔晒して〕「虫干し」いたしたく思います。 |
差出人不詳の手紙
1枚め |
カネカネ(金),キンコキンコ(金庫)と片言で日本人女中を絞殺する「三国人」押し込み強盗は弱者! 日本人女中は強者だ殺されて当然? 辛淑玉センセイの珍妙なる石原知事批判。 「三国人」は差別語? 呼ばれた者が不快に感じるから? では「右翼」も差別語だ。石原知事が「三国人」と読んで悪ければ,辛センセイも「右翼」と呼ぶのは止めよ。 鮮人どものナショナリズムは賛美賛美。日本人のナショナリズムは誹謗誹謗,一方を民族主義と訳し,他方を超国家主義と訳しても,ダブルスタンダード であることは同じ。こんな簡単な論理も分からぬ,散漫な頭脳の持ち主がいるとは! 辛淑玉センセイさま,石原知事様のリコール? それよりかは,祖国に帰って,金正日のリコール運動をするほうが,はるかに人のためだ。 |
差出人不詳の手紙
2枚め |
拉致は主権侵害だと? あたりまえでないか。だからこそ吾人は,韓国による金大中拉致にあれだけ抗議したのだ。だが,馬鹿め,よく聞けよ。社会主義国による「つれ去り」は拉致ではないのだ。いや「つれ去り」でさえない。横田めぐみは,楽園へ「移動」して,実に幸せな毎日を送っているのだ。福島瑞穂 北の共和国も過去を清算し,謝罪すべきなどと妄言を吐くのは誰じゃ。朝鮮戦争での韓国侵略,韓国高官への国家テロ,日本人の拉致は,すべて社会主義の祖国=共和国を防衛するための正当な手段。清算する必要など毫もない。 過去の清算・謝罪とは,資本主義に特有のものでせう。日本は絶対に過去を清算し,謝罪すべきです。ひるがえって社会主義による拉致を騒ぎ立てる横田某には,まったく腹が立ちます。 坂本義和 横田めぐみは田舎者。これに尽きる。昔ハンガリー人の馬鹿どもが社会主義の祖国=ソ同盟に反抗し,戦車で手もなく蹂躙されたとき,大内兵衛先生はハンガリー人は田舎者だと喝破された。さよう横田めぐみは田舎者だ。土井たか子 なに? 女性を引用するといいながら,坂本センセイが男性なのを気づかないのかと? 馬鹿が,坂本は世襲王朝=金朝廷の御殿女中ではないか。 |
1) 実はこの手紙,文章が「かしいで」「右肩上がり」に書かれております。これはもともと,ワープロ打ちの原文が用紙に対して,そのように印刷されているせいです。 −−当初,現物を画像で複写し,リンクを張って直接紹介しようとしましたが,上掲の欄内に引用しました。 2) ご覧のとおりその内容は,この方面に属すると一般に認知される人々の,常套,得意とする「筆致あるいは文筆作法」に則ったものです。 3) 筆者の職場(大学)あてに送られてきた手紙だったが,住所表記にまちがいがあります。→大学所在地名の「中垣内」が「中桓内」と書かれ,そのうち「内」は鏡に写したように左右逆に書かれています。以上は〈故意のミス!〉でなければ〔故意の傾向も強いがそれにしても〕,いささかならず〈教養のていど〉が疑われるものです。 4) 投函されたポストは「大阪中央郵便局」(2001年1月10日18〜24時)あつかいです。無名性・匿名性を高めるにふさわしい投函先〔郵便局〕ではありませんか。ちなみに,東京都であればそれは「東京中央郵便局」だったにちがいないでしょう。 5) 封筒に貼られた80円切手は,意図的であろう,キッチリと逆立ちしております。この切手のなかの絵柄の「鳥」:「ヤマセミ」さん,木に逆さにぶら下がった構図になっており,コウモリならともかくこれじゃ,疲れるんじゃないかと感じるのは,よけいな心配かな。 6) 内容そのものについては人のみかたによって評価の分かれる点もありますが,関連してはさらに,つぎの段落で若干コメント〔筆者の批評〕をくわえることにいたします。 7) 以上 1)〜5) 中,赤字などで表記した字句を総合して考えましょう。ご当人はきっと,そこに特定の意味をこめているのかもしれないし,また,なにかかくべつのメッセージをふくめているかもしれない〔もちろんこれは,先方さんに対して非常に好意的な解釈です〕。この手紙を書いた人は,筆者がここまで読みこんだとしたら,「けっこういい線いってるじゃん」といってくれるかな?〔→ということで,またのお手紙,待ってます! ただしこんどは,所属と本名をチャント名乗ってください〕。 |
【筆者の批評】 さて,この手紙はことさら「鮮人」という〈れっきとした差別語〉もまぜこんで(1枚めに記述)〔→このことは,今回の手紙が露骨に差別をする文書である点をヨリ鮮明にしている〕,自分のいいたいこと〔→もっとも,どうもこれがはっきりしない点だが〕を主張した文面である。 a) 韓国・朝鮮のナショナリズムは民族主義,日本のそれは超国家主義と形容し分別するのは不当であり,ダブル・スタンダードだとおっしゃる。だが,日本の国家主義はそのウルトラ性のためにこそ,アジア諸国の民族主義にヒンシュクを買ったことをお忘れか。過去の歴史において,アジア諸国がナショナリズム:民族主義を旗印にかかげ,日本の帝国主義による国家主義的暴力=侵略行為に抵抗しなければならなかった原因・背景に,むしろ思いをいたすべきではないか。 −−−−− b) 冒頭の記述には,「三国人」の強盗と被害者の女中に関して「強者‐弱者の比喩」があったが,これは牽強付会であり,珍妙を突きぬけた超絶(?)の弁論である。犯罪者の強盗は強者,その被害者は弱者に決まっているが,無理を承知でそれをひっくりかえした屁理屈でせまり,辛淑玉氏に反論しているつもりなのか。反論にならない反論だが,屁理屈とうけとっておけばそれ以上の意味は発揮できないものゆえ,ただただ笑止千万。 「三国人」が差別語ならば「右翼」ということばも同断だという論法は,典型的な詭弁。歴史的事情や論理的脈絡のなかにおかれて,それぞれのつかわれかたが有意にちがう語であるのにもかかわらず,これをごった煮する拙劣で幼稚な屁理屈である。 この世の中には,差別的に使用される「ことば」があまたある。今回の手紙の差し出し人の解釈にしたがうと,差別的に使用されることばのある一点〔→その差別性のふくまれる部分〕にのみ注目さえすればそれで済むといい,ともかくなんでもかんでも,差別的な用法をされる「ことば」それじたいに,けしからぬ原因・経緯があると断じるのである。 元来,差別語としてつかわれることばは,それぞれに異なった「固有の具体的な含意・事情」をもつものである。ところが,「差別意識の共通性・普遍性」なる次元・基盤に乗せられることによって,いとも簡単にそれが否定,歪曲,矮小化,脱色される。というのは,該当することばがすべて一括りにされてしまい,ただ「〈差別〉的であるにすぎないのだ(!)」と単純に解釈されるからである。そうして,それぞれに特殊・個別な問題性が捨てさられ無機質化される。 それゆえ,差別語としてつかわれることば〔たとえば今回の「三国人」〕など目じゃナイ〔メジャーじゃない(←これ駄洒落のつもり)〕,といいたいのである。だが,そのリクツは平然と〈普遍化の誤謬〉を犯すものである。つまり,論理的には牽強付会,無理強いである。 こういう比喩がいいかもしれない。「@単なる腹痛も,A胃痛も,B盲腸に原因する腹の痛みも,C十二指腸潰瘍のために生じる痛みも」みな,腹の痛む病気であり,それらにおおきなちがいはない。それもこれもしょせん,ただ腹が痛くなる病気にすぎない,病因の差異〔種類・患部〕など気にしなくてよい。 −−−−− c) 日本国内の問題を主に論じているのに,北朝鮮・金正日に話をそらし,八つ当たりしている。北朝鮮王朝に問題が五万とあることは確実だが,これと直接なんの関係があるのか。辛淑玉氏に対して「北朝鮮に帰って〇〇……」などという発言がそもそも,例のワンパターン的な常套句であり,もういいかげん聞き飽きた表現である。 すこしは新鮮味があって,ちょっとは面白みもある発言を聞きたいのであるが……。ましてや,ユーモアなどヒトカケラもない。この手の手紙にもっともめだつ特徴のひとつが,この humour の欠如である。これだけは,なんとかしてよ!…って,いいたい。 在日し定住する韓国・朝鮮人〔この国に生まれ育ってきた多くの外国人〕に,特定の国に帰れなどと無礼千万なことをいうなら,日本人もみな,どこか海外の国に出ていけといわねばとても均衡がとれない,国際化の時代に突入している。また,日本の先住民族であるアイヌ〔ウタリ〕人たちに,すこしは遠慮してものをいってほしいものである。アイヌ〔ウタリ〕民族からみれば,日本人はもともと,全員が〈外国人〉であった。 考えてみれば,そうした無茶苦茶な論法=「日本から出ていけ」とは,日本人同士でも思想・信条のちがう人々に対しても,乱暴に吐かれるものであった。 −−−−− d) 石原慎太郎はリッパなデマゴーグだから放った話だが,凶悪犯罪を犯すのはあたかも「〔第〕三国人」ばかりであると,この手紙の主も同様に断定している。 このホームページの他所で筆者も触れているように,このことば本来の意味を石原は十分周知していた。彼は,小説のなかでそれに類した筋書きを立てて,話を書いてもいた。石原がこのたび,「〔第〕三国人」なることばで指示したという「外国人住民」がめだって増えるまえ,この国では凶悪犯罪が全然なかったというのか。 −−−−− e) なお,この手紙「2枚めの文面」については,くわしくコメントしない。 一言いわせてもらうと,支離滅裂。前後関係の非常にわかりにくい構成内容。全体的な文脈を的確に読みとってもらうには苦しい筆運び。読むほうにしたら,ずいぶん混乱した文章だと感じる。とくに,マルクス主義陣営の問題・蹉跌を口汚く非難したうえで,自陣営の正当性を証明しようとする手法は陳腐そのもの。相手方のマイナス:短所:失敗が,自分方のプラス:長所:成功となるのか? f) 結 語。 今回の手紙を書いてくれた人,いったいなにを主張したかったのか。結局,わからずじまい。なにかとくべつ,いいたいことがあったのか? 相手にその真意が伝わらねばなにもならず,すべてがムダ・徒労になるのではないか。 筆者生来のお節介好き,親切のつもりで「1枚めの文面」については逐一,詳細にコメントを添えてみた。けれども,だんだん馬鹿らしくもなってきた。今回の手紙の差し出した人,《住所不定・名無しの権兵衛さん》のものであっても,それなりにお手数だったろうし,そして,いつものワンパターンであっても,なにをどう書こうかとご苦労もされたことと推察する。それならば,こちらもきちんと誠意をみせてお答えするのがよいと思い,なんだかんだいいながら,それでもこのようにダラダラと書きつらねてきた。 −−−−− g) ところで筆者はけっして,相手に「馬鹿め,よく聞けよ」(手紙の1枚め)などとは申しません。「それじぁー,対話はできませんよね」。そういうことで,いまのところ一方通行ですね。手紙を投函してくれた人,自説を相手に十分説明して説得し,納得させ,理解をえるつもりはないようですな。ハナッから相手を「馬鹿呼ばわり」じゃ,それこそお話にならないではありませんか。ともかく,そういう「バカなことをいっちゃ,いけませんよ」! h) 本ホームページは,「対話・議論・相互批判は真実・真理に近づくため不可欠の通路です。ご意見・ご批判・ご感想はこちらへ」と書いて,e-メールを送っていただくためのアイコンを,各頁に用意しております。 i) ともかくみなさん,お便りを,どうもありがとうございます。 |
【2001年1月22日,記述】