★ また出た幼児的独裁者石原

慎太郎の『好き勝手言動』★


−「東京都立大学総長の抵抗」
    「外形標準課税問題」など−

2003年10月7日以降


 

 


=幼児的独裁者石原慎太郎の好き勝手采配
に対する都立総長の反抗

■ 本来のポピュリストは無限の動態であって,

制度化を嫌う。

制度化すれば運動態はエネルギーをうしなう。

■ 彼らは「反対意見をもつもの」に対して不寛容であり,

逆に,不寛容に対して寛容である。

■ テロリストをとりしまるために警察を強化しよう

という当人が,爆弾をしかける行為を容認する。

■ 党内の反対者に対しては,おそらく

弾圧と追放をもって臨むことになる。


篠原 一『市民の政治学』岩波書店,2004年,141頁

 

 ※ 2003年10月8日『朝日新聞』朝刊は,こういう記事を掲載した。




 ■ 都立大総長,石原知事の新大学構想に抗議声明 ■


 東京都立大学の茂木俊彦総長は2003年10月7日,石原慎太郎知事のもと,同大学など都立4大学を廃止し,新大学を設置する計画に「トップダウンの強行はきわめて遺憾」と抗議する異例の声明を出した。「大学との開かれた協議を行う体制」を強く求めたいとしている。

 石原知事は2000年ごろから「ドラスティックな大学にする。名前も変え,理想の大学をつくる」,「都では私がいちばん偉いんだから,だめならつぶしてしまえばいい」などと発言した。都立4大学(東京都立大学,東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学)の再編統合をめざして検討していた。

 都は2001年の「大学改革大綱」で4大学を統合し,独立行政法人化して,人文‐法‐経済‐理‐工‐保健科学の6学部にする方針を公表しており,4大学は準備を進めてきた。

 しかし,石原知事は2003年8月,大綱を白紙化,4大学を廃止し,新大学を2005年度に開設する構想を発表した。それは,総長とはべつに,知事が理事長を任命し,国公立大では初めて教学と経営を分離し,都市教養,システムデザイン,保健福祉,都市環境学部の4学部を設ける内容だった。

 単位互換のとりきめをしていない大学の講義や社会経験も単位認定する「単位バンク」制度を採りいれ,教授らには業績主義を徹底し,年俸制,任期制を導入する。

 声明は,この構想について,「唐突にも,それまでの設立準備体制を廃止し,構想を一方的に公にしたうえで,今後はトップダウンで具体化をはかるとし,実際に強行している」「教員は自由に意見を述べる機会が保障されなければならない」などと批判した。

 さらに,大学院の研究科の内容,基礎教育,教養教育の充実について「新たな提案をする用意がある」と説明している。

 茂木総長は「2003年9月末,都の大学管理本部長あてに2回,意見書を出したが,都の姿勢はかわらない。これは都立大だけでなく,全国の公立大につうじる問題なので声明を出した」と話している。

 一方,都大学管理本部の大村雅一・改革推進担当参事は「他の3大学は前向きなのに,総長の見識を疑う。新大学を設けるのだから,新しい学長の意思を反映するためにトップダウンですすめるのは当然だ」と話している。

 


 【都立大学問題に関する筆者の議論】


 ●「国公立大学の改革・改組」

 21世紀に入って国立大学の法人化体制への移行が正式に決まり,それをうけて国立大学間での合併なども徐々にすすみつつある状況である。また,私立大学ではとくに「大学の時代」を迎えるなか,4年制大学の約3割近くまでが定員割れを起こすというきびしい経営環境にある。私大は,大学の運営・教育の体制に関する刷新にとりくんできている。

 公立大学である東京都立大学のばあいもすでに,この大学をひとつの総合大学へ統合する道を選んでいた。同じく公立大学でみると,兵庫県立の3大学「神戸商科大学‐姫路工業大学‐兵庫県立看護大学の総合大学化」が決定済みであり,新大学創設への実施も準備されている。

 筆者のしるかぎり兵庫県立の3大学も,県知事がわの「トップダウン」で大学改編が指示されている。しかし,教員たちの主体性が尊重されていないわけではなく,その指示の大枠のなかで,当事者の企画や活力を生かした経路を開拓しながら大学の改組,統合案を決定していた。その実際における作業行程は,10年間をついやしてきている。


 ●「石原都知事の完全なる独断専行方式」

 ところが,東京都立4大学の統合は当初から,石原慎太郎都知事の発言「都では私がいちばん偉いんだから,だめならつぶしてしまえばいい」,「新大学を設けるのだから,新しい学長の意思を反映するためにトップダウンですすめるのは当然だ」と豪語していた点から理解できるように,「ドラスティックな大学にする。名前も変え,理想の大学をつくる」とはいっても,慎太郎君の好き勝手以外でなければ大学の改革を認めない「完全なる独断専行方式」であることがはっきりしている。

 東京都立大学の茂木俊彦総長は,「同大学など都立4大学を廃止し,新大学を設置する計画」に対して,「トップダウンの強行はきわめて遺憾」と抗議する異例の声明を出した。「大学との開かれた協議を行う体制」を強く求めたいとしていた。

 他方に国立大学を眺めると,法人化体制に大学管理・運営体制を移行させることによって,従来,文部科学省〔文部省〕が完全といっていいくらい国立大学を支配‐統治‐命令‐指示していた時代は,いちおう過去のものになったかのようにみえる。国立大学のばあい,各大学の主体性と自主性を尊重した「大学の改編‐改革」をめざしてほしい点は,文部科学省大臣みずからが強調していた点である。

 だが,野田正彰は,国立大学の独立行政法人化案をこう批判していた。


 ここ数年にわたって文部省より提案され,今〔2002〕年3月,文部科学省の調査検討会議によってまとめられた国立大学の独立行政法人化案は,近年のことばの詐術の最たるものである。

 例によって国際化,競争力,規制緩和,効率,自由,独立といった流行語で煽りながら,あたかも各国立大学が文部科学省の規制から自由になり,特色ある大学にかわっていくかのようにいわれている。

 だが,本当の姿は,大学の運営を学長,副学長や学部長によるトップダウンの企業経営型にかえ,各大学の中期目標さえも文部科学相が定め,実績の評価も文部科学省の評価委員会でおこなうものである

 独立と正反対のもの,目標の指示,計画の認可,予算と直結する評価によって,文科省に柔順な学長や少数の大学管理者を選ばせ,管理を容易にしようとしているだけである。結局,日本社会に大学という制度は根づかなかったか。 


 野田正彰『背後にある思考』みすず書房,2003年,216頁。

 公立大学はなお「国立大学の従来型」統制体制にとどまっており,しかも,各地方自治体の長ごとにその最終的な管理・運営権が掌握されている。

 都立大学のように独裁者:石原慎太郎都知事が2期めに入った地方自治体管轄下にあるところでは,この知事のまったく気ままに振りまわされているだけでなく,大学関係者が積極的に提案した具体的な改組案すら,簡単に弊履と化せられる状況である。


 ●「いちばん偉い人のやること」

 従来,日本の大学では〔とはいっても千差万別,ピンキリだが〕,教授会の主体性・主導権が強く,とりわけ大学全体の改革がしばしば阻止・妨害される事例も頻発してきた。それゆえ,その弊害面が問題視されてきた。

 しかし,筆者が所属してきた私立大学〔いままで5校〕でもまともな学校法人においては,教員や事務職員の意志や主体性を十分尊重しながら改革(改組・改編)を企画‐立案,これを実行‐達成させてきていることも事実である。

 大学教員の世間しらず・身勝手さも問題になるものだが,東京都では「オレ〔石原慎太郎〕がいちばん偉いのだから」,「オレ以外にはなにも勝手にさせない」というその傲慢きわまりない態度,いいかえれば,東京都知事に民主的制度にのっとって選出された慎太郎が,都立大学統合問題に関してはそれこそ「煮て食おうが焼いて食おうが」オレの好き勝手だろうというのである。

 いくらなんでも,ひどい。「慎太郎のいつものやりかた」をみせつけられて,同業者としての筆者は,今回「抗議声明を公表した都立大学総長の気持」が理解できるような感じである。


 ●「理想の大学:慎太郎のいうそれとは?」

 「だめならつぶしてしまえばいい」と豪語している慎太郎君だが,「都立大学のなにが過去にダメであって,また現在もダメだ」といいうるのか? 一番肝心なその論点が,新聞報道でみるかぎり全然伝わってこない。

 社会的に需要の非常に高い教育機関である「東京都立大学など都立の4大学」は,みなとてもりっぱな大学ばかりである。都立4大学の入学難易度もほぼ最高水準に位置する。一流大学,入試難関校である。

 要は,慎太郎の口調は,「自分の考えるかたちで都立大学の改組をさせないなら」という意味で「だめならつぶしてしまえばいい」といっているようにしか聞こえない。

 問答無用的,他者〔とはいっても当事者・関係者である〕の意見・主張などいっさい聞いてやらないという傲岸不遜,オレ以外にことの本質を透徹できる人間はいないとでもいうふうに,思いあがった態度なのである。

 さて石原は,いったいなにを基準に,今後の東京都立大学に関して「理想の大学をつくる」といっているのか。結局,東京都の管轄下にある都立4大学の〈改革〉を理由に,いつものようにただ自分の好き勝手にいじくることがその「理想」(?)なのではないか。

 筆者は,都立4大学の内部事情を〔そこに勤務する人たちみたく〕くわしくしるわけではないが,石原「迷惑」旋風に巻きこまれた教職員たちをかこむ現場の雰囲気は最悪だ,と聞いている。

 なお,『都立大学管理本部の大村雅一・改革推進担当参事が他の都立3大学は前向きなのに,東京都立大学総長の見識を疑う』とコメントしていた点については,こういっておきたい。

 −−それでは,東京都立大学以外の都立3大学内部においては,教職員たちが,どのような気持で〈石原都知事案:統合問題〉に対して「前向き(?)」〔→本当は下向き‐後向き!〕であるのか。大村雅一・改革推進担当参事のコメントは,都立3大学内部に現象している「ういう実態」をしりもしないで,慎太郎の手足になって「意のままに動く部下」の「いいぶん」である。

 花咲爺ならともかく,罪つくりなことをつぎからつぎへと振りまく「悪魔的行為」をやめない都知事……。都立大学の茂木総長による「異例の抗議する声明」に対しては,都がわの担当参事が「他の都立3大学は前向きなのに,東京都立大学総長の見識を疑う」と反論していたが,これは,都立3大学に所属する教職員の気持など埒外においた議論である。

 東京都立大学以外の東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学の3大学内部においては,石原都知事の意向にもとづく都立4大学の改組方向をめぐって「踏絵」が強いられてきた。後者3大学の教員たちは,へたに反対の意志を表明したりそうした態度をみせたりしたら,どんな後難が自分に降りかかってくるかわからない。

 つぎの新聞報道は,そういう圧力に屈した3大学の教職員たちが出した〔「賛同して積極的にとりくむ」〕であることに注意しなければならない。


■ 新大学構想,今度は都が「逆襲」 賛成学長の声明を発表 ■ 

 東京都立の4大学を廃止して新大学を設置する計画をめぐり,都大学管理本部は2003年10月9日,「賛同して積極的にとりくむ」とする都立短大,科学技術大,保健科学大の3大学学長の共同声明を発表した。

 新大学をめぐっては,都立大の茂木俊彦総長が「トップダウンの強行は極めて遺憾」という抗議声明を10月7日に出したばかり。都の発表はこの意趣がえしともいえ,対立は深まっている。

 都は先月下旬,新大学計画の基本的承認と協議への参加を求める「同意書」を4大学の教員に配布した。3大学の教員は全員提出したが,最大規模の都立大からは9日現在で1枚も提出されていないという。


 『朝日新聞』2003年10月10日朝刊。

 かくのごとく,石原流「恐怖政治」のもとにある都立3大学の内部では,石原都知事の独断専行方式が賛同をえているというのである。だが,「踏絵」的お仕着せがまかりとおっていないとはいえない「3大学に所属する教職員たちの本当の気持」というものは,外部の人びとには的確に推し量ることができないそれである。

 「東京都立の4大学を廃止して新大学を設置する計画をめぐり,3大学の教員は全員,同意書を提出した」と報道されていた。民主主義は多数決で決めればよいのに,このばあい全員が同意書を出したという。もしも,3大学のなかで出さない教職員がいたりしたら,この人にはまちがいなくあとで,慎太郎の迫害が直撃すること請けあいである。

 なぜ,「3大学の教員は全員提出した」ではなく,「3大学の教員は過半数を超えて提出した」とか「3大学の教員は4分の3に相当する者が提出した」であってはいけなかったのか? 素朴に感じた疑問として提示しておく。

 多分,都立短大,科学技術大,保健科学大の3大学の教職員たちのなかには「賛同して積極的にとりくむ」というよりも,むしろ「しかたなく同意して消極的に応じる」者がけっこういたかもしれないのである。

 東京教育大学が筑波大学に改組されたさいに巻き起こった騒ぎは,関係者にとっては「どちらのがわ」にも,おおきな心の痛みを与えてきた。あえていまから好意的に解釈しておくならば,「3大学の教員は全員提出した」という方途は,のちに,独裁者石原慎太郎の怪我の功名になるかもしれない要素をもっている。


■ 東京教育大学の消滅 ■

 昭和48年9月「筑波大学法」が国会で成立した。

 同年10月1日,筑波移転の推進役であった三輪知雄元学長を初代学長として筑波大学が開学する。この年は東京教育大学としての最後の学部学生が入学した年である(文・理・体の場合。教・農は昭和49年)

 一方,昭和49年には,最後の東京教育大学の学長として教育学部の大山信郎が就任した。

 昭和52年3月30日,筑波移転に抵抗しつづけた文学部は最後の教授会を開き,翌31日定員は消滅,全国有数を誇った文学部教授陣は各地の大学へと散っていった。つまり,東京教育大学文学部の伝統は,筑波大学には引きつがれていない。教育学部,農学部は1年延命したが,昭和53年3月31日をもって閉学した。

 東京教育大学の閉学と筑波大学の新設は,なにかにつけて政府の文教政策に異論をとなえてきた東京教育大学の抹殺をはかったものだという説を唱えるアメリカ人の教育研究者がいる。

 日本政府がとった処置のひとつが東京教育大学の閉鎖であった。この大学は,日本の高等教育の指導的機関のひとつであっただけでなく,その教授陣には,日本のもっとも急進的な知識人がふくまれていた。

 この大学の閉鎖後,そのなかの穏健なスタッフは,新しく設けられた国立筑波大学に就職していった(カミングス「ニッポンの学校」)。それが自覚的な目的であったかどうかは定かでないが,結果論的にはそのようにみえなくもない。

 戦後の東京教育大学は,制度上は教員養成大学ではなかったが,戦前からの伝統で「教育の総本山」を自認し,大量の教員を生みだすとともに教授陣は大量の教科書を執筆し,なおかつ政府の反動的な文教政策には大学をあげて,率先して異論をとなえてきた。

 日本政府にとっては邪魔となった国立大学であったかもしれない。

 推進派の巨頭福田信之教授(1994年11月27日没,74歳)も,晩年こそ統一教会や勝共連合に肩入れしていたが,若い頃は原水禁運動にとりくむなどの活動をしたこともある「民主的」な物理学者であったりしたわけである(彼の「転向」の理由は知る由もないが,亡くなるまえに自伝を残してほしかったと思う)

 現実に東京教育大学の閉学以後は,政府の文教政策に異論をとなえるような大学は存在しなくなり,いまや,彼らの思いどおりに学校教育は破壊されつつある。


  
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/shousi.htm

 石原慎太郎都知事に直属する部下,とくに副知事に就任した人物には問題児(問題性)がめだつ。過去の経歴をみても,犯罪まがいの行為をやってきたと疑われる実績が指摘(確認)された人物もまじっている〔選挙違反,暴力行為など〕。類は友を呼ぶ。


 ●「いつもの幼児的行動性」

 「大学の改革」は時代の流れである。都知事の石原がいおうがいうまいが,都知事が石原であろうがなかろうが,都立の4大学でもきっと,なんらかのかたちでその改革(改編・改組)がはじまったのであり,すでに一定の変化も生じてきたはずである。そこを「オレがオレが……」といって,「自分以外の意見など」けっして聞こうとしない独裁的な人物が,都立大学を引っかきまわしてきた。

 いいかげんにせい! その思いあがりもはなはだしく,他人迷惑の幼児的行動しかできない都知事君……。

  『週刊朝日』2003年10月24日は「東京都立大リストラ騒動−慎太郎流トップダウンに教員激怒−」という記事を掲載している(同誌,142-143頁)

 作家,石原慎太郎知事は文学者が嫌い? −−人文学部が看板の東京都立大学の改革をめぐり,東京都の姿勢が関係者に波紋を投げかけている。構想の具体化に「同意書」を求める手法に,石原流トップダウンの「リストラ策」という反発が出ている。

 東京都立大学のある教員は,東京都が学部長の頭越しに寄こしたその同意書のことを「踏絵」だと指摘〔批判〕していた。

 筆者がさきに,その同意書の存在をとらえて「踏絵」なのだろうとにらんだことは,当たっていた。

 東京都立大学人文学部は,学生の総定員 796名に対して,教員の定員 139名である。都立4大学の収支‐採算状況が具体的にわからないので,軽々に断じることは避けたいが,国公立大学でなければできない「教育環境の現状・維持・発展」に対する「慎太郎流のリストラ策」挑戦がなされている。

 (★)−−つぎの記事(2003年10月16日付)に接した筆者は,東京都立大学以外の東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学の3大学で,上記の「踏絵」を踏んだ先生方に関してとりあえず,こういう予想をしている。

 その『同意書』〔「踏絵」〕の内容は,上掲『週刊朝日』に出ている。こういう文書である。

 「提示された新大学における配置案に同意した上で,新大学設立本部及び教学準備委員会の下で,新大学に関する今後の詳細設計に参加することに同意します。/また,教学準備委員会が必要と認めた場合を除き,詳細設計の内容を口外しないことに同意します」。

 この『同意書』を真正直にうけとって解釈すると,都立3大学の教員たちは,自分がリストラ〔人員削減〕の対象になっても口外できない,他人に話せないことになる。


■ 慎太郎大ナタ…都職員4千人リストラ ■

 “火の車”足元から消火,退職手当も見直し

 ◎ 都  庁

 “火の車”の都財政に石原慎太郎東京都知事が,大リストラを断行する。

 2003年10月16日明らかになった「第二次財政再建推進プラン」の概要だと,来年度から3年間で職員を4千人程度削減するほか,総額3700億円の財源確保をめざす。

 “慎太郎流”で独自の政策も打ちだしてきたが,長引く不況に悪戦苦闘である。

 慎太郎知事は就任直後からカジノ構想,東京ドームの公営ギャンブル,銀行への外形標準課税など財政難打開に向けて政策を提案してきた。

 ◎ 石原慎太郎東京都知事

 だが,現実はきびしく,カジノ構想や公営ギャンブルは宙に浮いたままである。外形標準課税も裁判の結果,都側の敗訴となった。都は還付金として,みずほグループに581億円,三井住友銀行に403億円を支払うことなどで和解している。

 “ぜい肉”カットもすすめ,2000年に第1次プランを策定した。4年間で5875人の職員削減を達成し,6300億円だった財源確保の目標額は,今年度編成段階で93.7%の達成率までとどいた。

 第2次プランでは,2004年度から3年間で4千人の削減をめざす。「職員定員の削減や退職手当,監理団体への支出のみなおしで,1000億円の財源を確保したい」(都関係者)。

 このほか,各種補助金のみなおしや事業の廃止,三位一体の税源委譲で計3700億円の財源確保をめざしている。 

 

  http://www.zakzak.co.jp/

  AKZAK 2003/10/16

 上記の記事は,東京都立の4大学においてリストラ策が実行されることを予告している。『週刊朝日』は,4大学合計で 625名の教員定員が 450名程度に削減されるみこみだと報じていた。

 2004年度から3年間をかけて,単純に考えると平均1年当たり60名近くの教員がリストラされる予定である(定年退職の教員もふくむとして)。都立大学の先生方,拱手傍観していて,よいのでしょうか?

 労働組合は組織されていないのか。あるのなら,どうしているのか。

  【本項(★)以下 は,2003年10月17日 記述】

 

 以上の記述に関してその後「報道された事件」から,注目すべきものを引用しておく。

 
■ 東京都立大:法科大学院の入試延期, 
専任教員予定者4人辞退で ■

   2003年12月11日,東京都立大学(八王子市)は,来春開校予定の法科大学院(ロースクール)の入試を「当面延期する」と発表した。

 専任教員になる予定だった4人が就任を辞退し,文部科学省の設置基準を満たせなくなったのが理由で,2003年12月24日からの出願受付と2004年1月24−25日の2次試験をとりやめる。

 同省の認可後に試験日程を延期した大学ははじめてであり,今後の日程は「1月中旬以降にあらためて案内する」としている。

 大学関係者によると,法科大学院は2003年11月に設置認可をうけたが,民法などを担当するはずだった法学部教授ら4人が「健康上の理由」などにより,12月上旬までに辞意を表明した。このため,専任教員に欠員が生じ,認可をうけるための必要人員にとどかない事態となった。辞退した背景には,2005年4月に開校する新大学構想への反対があるとみられている。

 東京都は専任教員の欠員分を補充し,再申請する方針で,大学がわは12月11日,「受験予定者には多大な迷惑をおかけし,深くおわびします」とホームページで謝罪した。

[毎日新聞12月12日] ( 2003-12-12-00:59 )

 

  http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/893394/964089c891e58aw8940-0-2.html

 


 【外形標準課税問題に対する筆者の論評】


 ●「外形標準課税のその後」:「負け惜しみをいい,虚勢を張るばかりの慎太郎都知事」について。


  ▲「和解」で救われた慎太郎,「銀行税」和解の勝者は誰か〔2003年9月29日(出所は後記)



  ● 最高裁で「敗訴」が確定したら,石原知事の政治責任に発展しただろう。

  「テロ容認」発言で信頼が揺らぐなか,銀行税ではメンツをたもった格好だ。

  一番救われたのは,石原慎太郎東京都知事だったはずだ。ただ,そんなそぶりをいっさいみせないところがまた,慎太郎流の真骨頂なのかもしれない。

 「銀行はいまなお,膨大な不良債権を抱えており,……今回の都の決断は,今日の日本の金融機関の体力が条例制定時の予測をはるかに超え,いちじるしく低下していることを斟酌(しんしゃく)したものであります」。

 東京都と銀行15行とのあいだで,2003年9月17日に和解に合意したのが銀行税訴訟であった。

 翌9月18日,9月定例議会の所信表明に立った石原知事は,和解にいたった経緯の一端を「銀行側の経営状況」とし,都議たちに理解を求めた。

 和解内容は,すでに3100億円以上の税収を上げている銀行税の税率3%を,2000年4月にさかのぼって,0. 9 %に引き下げ,その差額と還付加算金の計2344億円を銀行に返す,といったものだ。

 2003年7月下旬,都がわが和解を銀行がわに打診,最高裁を「仲介役」に交渉をつづけてきた結果,誰も傷つかない結論に達したという。

 和解交渉が明らかになった2003年8月中旬,石原知事は, 「全面戦争で一億玉砕とか殺人事件の訴訟とはちがう。けっして,オール・オア・ナッシングの戦いではない。国全体のことを考えれば,一定のランディングがあってしかるべきと考えていた」という柔軟姿勢をみせ,着々と軟着陸に向け布石を打ってきたのだが,2003年1月の東京高裁判決で敗れたさい,こう息巻いて,ファイティングポーズを決めていたはず

 「勝負には負けたが,内容では勝った。……都はボブ・サップだ。またリングに立って勝つ」 。

 時は,国政復帰か,再選出馬か,が注視されていた時期で,後ろ向きな発言は許されなかった事情はあるかもしれない。でも,あの勇ましい姿はどこにいってしまったのだろうか


  ● 逆転勝訴は至難の業

 都関係者によると,知事周辺が和解という選択を視野に入れはじめたのは意外に早く,高裁判決の直後のようだ。

 一審で全面敗訴したのにつづき,二審でも,大手行に課税対象を絞った税制そのものは自治体裁量のうちと認められたとはいえ,また敗訴した。最高裁で,逆転勝訴を勝ちとるのは至難の業というみかたが支配的になったからだ。

 「注目を浴びた代物だけに,負けが確定したばあいのリバウンドが怖い。おまけに,知事に再選されたことで,任期中に最高裁判決が出される可能性が高くなり,晩節を汚す恐れも出てきた。和解以外の道はなかった」 と,ある都幹部は解説する。

 打診をうけた銀行がわは相当驚いたようだ。ある銀行幹部は,「銀行税導入以来,鈴木都政で幹部だった都OBが,都庁と銀行の関係悪化を心配して,あいだをとりもとうとしたことがあったが,都がわが応じずうまくいかなかった。その都が和解を申し入れてきたわけだからねえ……」。

 石原知事は,都が和解を申し入れたわけではなく,弁護士間の話しあいのなかで自然発生的に歩み寄った結果だというのだが,悪者扱いされ,差別的に狙い撃ちされたという悪感情が残る銀行がわにとって,積極的に和解する空気は当初強くなかったようだ。


  ● リスク回避の銀行がわ

 ある大手行幹部によると,「最高裁で勝訴が確定すれば,まるまる3000億円超が返ってくるのに,和解で1000億円を放棄したとあっては,株主代表訴訟で経営責任を問われかねない」 と主張する銀行もあったという。

 ただ,勝負(裁判)は水物という慎重論や行政と争いつづけることへの懸念にくわえ,金融監督庁に業務改善命令を出され,今期の黒字確保が急務の各行にとって,予期せぬ数百億円が利益として計上できるうまみはおおきかった。

 銀行業界に詳しいHSBC証券シニアアナリスト野崎浩成氏は,「最高裁でも高裁に沿った判決が出たであろうが,逆転敗訴で一銭ももどらないこともないとはいえない。銀行というのは,リスク回避的に動く傾向があるから,和解に応じたのは,当然といえば当然の行動でしょう」 と分析する。

 野崎氏の分析によれば,税金の返還で,各行の当期利益は大幅に改善する。連結自己資本も多いところでは,3%強も増強されそうだ,というから銀行側にとっても,理を捨て,利に徹すれば,悪い話ではなかったわけだ。

 だからといって,銀行が救われたと考える人はまずいない。救われたのは,やはり,メンツを辛うじてたもった石原知事だろう


  ● 123億円の加算金

 銀行税の構想段階から差別的な税制だとして批判してきた論客,堀 紘一氏=ドリームインキュベータ社長=は,石原知事にとって和解のメリットは絶大だと指摘する。

 「最高裁でも負けたら,極端な話,『知事,引責辞職してくれないか』という話にだってなりかねない。そうでなくても,格好悪いことこのうえないそれを和解したことで,銀行も困っているから,と議会で演説できるんだから,すごいメリットがありますよ」。

 「灰色決着」したことで,石原知事の手元には,「東京から国を動かした」という剛腕政治家としての戦果のみが残った

 都の銀行税導入が呼び水となって,国が地方税法を改正,全国一律の外形標準課税導入(2004年度)を決めたのだ。ただ,この外形標準課税は,自治体独自で上乗せ課税できない内容で,先鞭をつけた銀行税も吸収される運命になったことは皮肉な結果だ

 都議会自民党のある実力者は,「課税自主権の行使だ,と騒いだあの熱狂はなんだったのか。国を動かしたとはいえ,東京にはなにも残らない。知事にとっては影響力をしめすインパクトになったが,その代償が利息(還付加算金)123億円とは……。あまりに重く,高くついた実験だったのではないか」 と,みずからも2000年の導入時には賛成した銀行税の結末に,大きなタメ息をついた。

 
  http://www.asahi.com/money/aera/TKY200310080158.html


 このように,いつもの慎太郎流:〈みえっぱりぶり,いじっぱりぶり〉ばかりがめだった「外形標準課税(銀行税)の後始末」の様相・経緯であった。

 下手をすれば,自分の政治生命を断たれる危険性すらあった「大手銀行に対する外形標準課税」問題だった。

 だが,すんでのところで「セーフ」になったからいいようなものの,慎太郎の得意ワザ:「常套文句としての自己正当化」論の駆使によって,なんとか自分の錯誤をとりつくろってきたのである。


 ※ 2003年10月8・11日 記述