★ また出た幼児的独裁者石原 慎太郎の『好き勝手言動』★ −「東京都立大学総長の抵抗」 2003年10月7日以降 |
※ 2003年10月8日『朝日新聞』朝刊は,こういう記事を掲載した。
石原知事は2000年ごろから「ドラスティックな大学にする。名前も変え,理想の大学をつくる」,「都では私がいちばん偉いんだから,だめならつぶしてしまえばいい」などと発言した。都立4大学(東京都立大学,東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学)の再編統合をめざして検討していた。 都は2001年の「大学改革大綱」で4大学を統合し,独立行政法人化して,人文‐法‐経済‐理‐工‐保健科学の6学部にする方針を公表しており,4大学は準備を進めてきた。 しかし,石原知事は2003年8月,大綱を白紙化,4大学を廃止し,新大学を2005年度に開設する構想を発表した。それは,総長とはべつに,知事が理事長を任命し,国公立大では初めて教学と経営を分離し,都市教養,システムデザイン,保健福祉,都市環境学部の4学部を設ける内容だった。 単位互換のとりきめをしていない大学の講義や社会経験も単位認定する「単位バンク」制度を採りいれ,教授らには業績主義を徹底し,年俸制,任期制を導入する。 声明は,この構想について,「唐突にも,それまでの設立準備体制を廃止し,構想を一方的に公にしたうえで,今後はトップダウンで具体化をはかるとし,実際に強行している」「教員は自由に意見を述べる機会が保障されなければならない」などと批判した。 さらに,大学院の研究科の内容,基礎教育,教養教育の充実について「新たな提案をする用意がある」と説明している。 茂木総長は「2003年9月末,都の大学管理本部長あてに2回,意見書を出したが,都の姿勢はかわらない。これは都立大だけでなく,全国の公立大につうじる問題なので声明を出した」と話している。 一方,都大学管理本部の大村雅一・改革推進担当参事は「他の3大学は前向きなのに,総長の見識を疑う。新大学を設けるのだから,新しい学長の意思を反映するためにトップダウンですすめるのは当然だ」と話している。
【都立大学問題に関する筆者の議論】
21世紀に入って国立大学の法人化体制への移行が正式に決まり,それをうけて国立大学間での合併なども徐々にすすみつつある状況である。また,私立大学ではとくに「大学冬の時代」を迎えるなか,4年制大学の約3割近くまでが定員割れを起こすというきびしい経営環境にある。私大は,大学の運営・教育の体制に関する刷新にとりくんできている。 公立大学である東京都立大学のばあいもすでに,この大学をひとつの総合大学へ統合する道を選んでいた。同じく公立大学でみると,兵庫県立の3大学「神戸商科大学‐姫路工業大学‐兵庫県立看護大学の総合大学化」が決定済みであり,新大学創設への実施も準備されている。 筆者のしるかぎり兵庫県立の3大学も,県知事がわの「トップダウン」で大学改編が指示されている。しかし,教員たちの主体性が尊重されていないわけではなく,その指示の大枠のなかで,当事者の企画や活力を生かした経路を開拓しながら大学の改組,統合案を決定していた。その実際における作業行程は,10年間をついやしてきている。
ところが,東京都立4大学の統合は当初から,石原慎太郎都知事の発言「都では私がいちばん偉いんだから,だめならつぶしてしまえばいい」,「新大学を設けるのだから,新しい学長の意思を反映するためにトップダウンですすめるのは当然だ」と豪語していた点から理解できるように,「ドラスティックな大学にする。名前も変え,理想の大学をつくる」とはいっても,慎太郎君の好き勝手以外でなければ大学の改革を認めない「完全なる独断専行方式」であることがはっきりしている。 東京都立大学の茂木俊彦総長は,「同大学など都立4大学を廃止し,新大学を設置する計画」に対して,「トップダウンの強行はきわめて遺憾」と抗議する異例の声明を出した。「大学との開かれた協議を行う体制」を強く求めたいとしていた。 他方に国立大学を眺めると,法人化体制に大学管理・運営体制を移行させることによって,従来,文部科学省〔文部省〕が完全といっていいくらい国立大学を支配‐統治‐命令‐指示していた時代は,いちおう過去のものになったかのようにみえる。国立大学のばあい,各大学の主体性と自主性を尊重した「大学の改編‐改革」をめざしてほしい点は,文部科学省大臣みずからが強調していた点である。 だが,野田正彰は,国立大学の独立行政法人化案をこう批判していた。
公立大学はなお「国立大学の従来型」統制体制にとどまっており,しかも,各地方自治体の長ごとにその最終的な管理・運営権が掌握されている。 都立大学のように独裁者:石原慎太郎都知事が2期めに入った地方自治体管轄下にあるところでは,この知事のまったく気ままに振りまわされているだけでなく,大学関係者が積極的に提案した具体的な改組案すら,簡単に弊履と化せられる状況である。
従来,日本の大学では〔とはいっても千差万別,ピンキリだが〕,教授会の主体性・主導権が強く,とりわけ大学全体の改革がしばしば阻止・妨害される事例も頻発してきた。それゆえ,その弊害面が問題視されてきた。 しかし,筆者が所属してきた私立大学〔いままで5校〕でもまともな学校法人においては,教員や事務職員の意志や主体性を十分尊重しながら改革(改組・改編)を企画‐立案,これを実行‐達成させてきていることも事実である。 大学教員の世間しらず・身勝手さも問題になるものだが,東京都では「オレ〔石原慎太郎〕がいちばん偉いのだから」,「オレ以外にはなにも勝手にさせない」というその傲慢きわまりない態度,いいかえれば,東京都知事に民主的制度にのっとって選出された慎太郎が,都立大学統合問題に関してはそれこそ「煮て食おうが焼いて食おうが」オレの好き勝手だろうというのである。 いくらなんでも,ひどい。「慎太郎のいつものやりかた」をみせつけられて,同業者としての筆者は,今回「抗議声明を公表した都立大学総長の気持」が理解できるような感じである。
「だめならつぶしてしまえばいい」と豪語している慎太郎君だが,「都立大学のなにが過去にダメであって,また現在もダメだ」といいうるのか? 一番肝心なその論点が,新聞報道でみるかぎり全然伝わってこない。 社会的に需要の非常に高い教育機関である「東京都立大学など都立の4大学」は,みなとてもりっぱな大学ばかりである。都立4大学の入学難易度もほぼ最高水準に位置する。一流大学,入試難関校である。 要は,慎太郎の口調は,「自分の考えるかたちで都立大学の改組をさせないなら」という意味で「だめならつぶしてしまえばいい」といっているようにしか聞こえない。 問答無用的,他者〔とはいっても当事者・関係者である〕の意見・主張などいっさい聞いてやらないという傲岸不遜,オレ以外にことの本質を透徹できる人間はいないとでもいうふうに,思いあがった態度なのである。 さて石原は,いったいなにを基準に,今後の東京都立大学に関して「理想の大学をつくる」といっているのか。結局,東京都の管轄下にある都立4大学の〈改革〉を理由に,いつものようにただ自分の好き勝手にいじくることがその「理想」(?)なのではないか。 筆者は,都立4大学の内部事情を〔そこに勤務する人たちみたく〕くわしくしるわけではないが,石原「迷惑」旋風に巻きこまれた教職員たちをかこむ現場の雰囲気は最悪だ,と聞いている。 なお,『都立大学管理本部の大村雅一・改革推進担当参事が他の都立3大学は前向きなのに,東京都立大学総長の見識を疑う』とコメントしていた点については,こういっておきたい。 −−それでは,東京都立大学以外の都立3大学内部においては,教職員たちが,どのような気持で〈石原都知事案:統合問題〉に対して「前向き(?)」〔→本当は下向き‐後向き!〕であるのか。大村雅一・改革推進担当参事のコメントは,都立3大学内部に現象している「そういう実態」をしりもしないで,慎太郎の手足になって「意のままに動く部下」の「いいぶん」である。 花咲爺ならともかく,罪つくりなことをつぎからつぎへと振りまく「悪魔的行為」をやめない都知事……。都立大学の茂木総長による「異例の抗議する声明」に対しては,都がわの担当参事が「他の都立3大学は前向きなのに,東京都立大学総長の見識を疑う」と反論していたが,これは,都立3大学に所属する教職員の気持など埒外においた議論である。 東京都立大学以外の東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学の3大学内部においては,石原都知事の意向にもとづく都立4大学の改組方向をめぐって「踏絵」が強いられてきた。後者3大学の教員たちは,へたに反対の意志を表明したりそうした態度をみせたりしたら,どんな後難が自分に降りかかってくるかわからない。 つぎの新聞報道は,そういう圧力に屈した3大学の教職員たちが出した〔「賛同して積極的にとりくむ」〕であることに注意しなければならない。
かくのごとく,石原流「恐怖政治」のもとにある都立3大学の内部では,石原都知事の独断専行方式が賛同をえているというのである。だが,「踏絵」的お仕着せがまかりとおっていないとはいえない「3大学に所属する教職員たちの本当の気持」というものは,外部の人びとには的確に推し量ることができないそれである。 「東京都立の4大学を廃止して新大学を設置する計画をめぐり,3大学の教員は全員,同意書を提出した」と報道されていた。民主主義は多数決で決めればよいのに,このばあい全員が同意書を出したという。もしも,3大学のなかで出さない教職員がいたりしたら,この人にはまちがいなくあとで,慎太郎の迫害が直撃すること請けあいである。 なぜ,「3大学の教員は全員提出した」ではなく,「3大学の教員は過半数を超えて提出した」とか「3大学の教員は4分の3に相当する者が提出した」であってはいけなかったのか? 素朴に感じた疑問として提示しておく。 多分,都立短大,科学技術大,保健科学大の3大学の教職員たちのなかには「賛同して積極的にとりくむ」というよりも,むしろ「しかたなく同意して消極的に応じる」者がけっこういたかもしれないのである。 東京教育大学が筑波大学に改組されたさいに巻き起こった騒ぎは,関係者にとっては「どちらのがわ」にも,おおきな心の痛みを与えてきた。あえていまから好意的に解釈しておくならば,「3大学の教員は全員提出した」という方途は,のちに,独裁者石原慎太郎の怪我の功名になるかもしれない要素をもっている。
石原慎太郎都知事に直属する部下,とくに副知事に就任した人物には問題児(問題性)がめだつ。過去の経歴をみても,犯罪まがいの行為をやってきたと疑われる実績が指摘(確認)された人物もまじっている〔選挙違反,暴力行為など〕。類は友を呼ぶ。
「大学の改革」は時代の流れである。都知事の石原がいおうがいうまいが,都知事が石原であろうがなかろうが,都立の4大学でもきっと,なんらかのかたちでその改革(改編・改組)がはじまったのであり,すでに一定の変化も生じてきたはずである。そこを「オレがオレが……」といって,「自分以外の意見など」けっして聞こうとしない独裁的な人物が,都立大学を引っかきまわしてきた。 いいかげんにせい! その思いあがりもはなはだしく,他人迷惑の幼児的行動しかできない都知事君……。 ● 『週刊朝日』2003年10月24日は「東京都立大リストラ騒動−慎太郎流トップダウンに教員激怒−」という記事を掲載している(同誌,142-143頁)。 作家,石原慎太郎知事は文学者が嫌い? −−人文学部が看板の東京都立大学の改革をめぐり,東京都の姿勢が関係者に波紋を投げかけている。構想の具体化に「同意書」を求める手法に,石原流トップダウンの「リストラ策」という反発が出ている。 東京都立大学のある教員は,東京都が学部長の頭越しに寄こしたその同意書のことを「踏絵」だと指摘〔批判〕していた。 筆者がさきに,その同意書の存在をとらえて「踏絵」なのだろうとにらんだことは,当たっていた。 東京都立大学人文学部は,学生の総定員 796名に対して,教員の定員 139名である。都立4大学の収支‐採算状況が具体的にわからないので,軽々に断じることは避けたいが,国公立大学でなければできない「教育環境の現状・維持・発展」に対する「慎太郎流のリストラ策」挑戦がなされている。 (★)−−つぎの記事(2003年10月16日付)に接した筆者は,東京都立大学以外の東京科学技術大学,東京都立短期大学,東京都立保健科学大学の3大学で,上記の「踏絵」を踏んだ先生方に関してとりあえず,こういう予想をしている。 その『同意書』〔「踏絵」〕の内容は,上掲『週刊朝日』に出ている。こういう文書である。 「提示された新大学における配置案に同意した上で,新大学設立本部及び教学準備委員会の下で,新大学に関する今後の詳細設計に参加することに同意します。/また,教学準備委員会が必要と認めた場合を除き,詳細設計の内容を口外しないことに同意します」。 この『同意書』を真正直にうけとって解釈すると,都立3大学の教員たちは,自分がリストラ〔人員削減〕の対象になっても口外できない,他人に話せないことになる。
上記の記事は,東京都立の4大学においてリストラ策が実行されることを予告している。『週刊朝日』は,4大学合計で 625名の教員定員が 450名程度に削減されるみこみだと報じていた。 2004年度から3年間をかけて,単純に考えると平均1年当たり60名近くの教員がリストラされる予定である(定年退職の教員もふくむとして)。都立大学の先生方,拱手傍観していて,よいのでしょうか? 労働組合は組織されていないのか。あるのなら,どうしているのか。 【本項(★)以下 は,2003年10月17日 記述】
以上の記述に関してその後「報道された事件」から,注目すべきものを引用しておく。
【外形標準課税問題に対する筆者の論評】
下手をすれば,自分の政治生命を断たれる危険性すらあった「大手銀行に対する外形標準課税」問題だった。 だが,すんでのところで「セーフ」になったからいいようなものの,慎太郎の得意ワザ:「常套文句としての自己正当化」論の駆使によって,なんとか自分の錯誤をとりつくろってきたのである。 ※ 2003年10月8・11日 記述 |