21世紀流アメリカ帝国主義の独善と傲岸追随の日本:思考停止の属国根性
『朝日新聞』2005年12月16日「社説」は,こう主張した。
米大統領 開戦の誤りを認めよ
「機密情報の大半は結果的に間違っていた」。ブッシュ米大統領の発言を聞いて,イラク国民はどう思っただろうか。 旧フセイン政権が核や生物・化学兵器などの大量破壊兵器(WMD)を保有しているというのが,イラク攻撃に踏み切った米国の最大の根拠だった。その後,この情報が間違っていたことがしだいに明らかになっていたが,ブッシュ大統領自身もその事実を明確に認めた。 根拠が誤りだったのなら,攻撃も間違いだったことになる。大統領はそのことを認めるべきだ。誤った情報にもとづいて始まった戦争で,少なくとも3万人のイラクの民間人が命を失ったといわれ,2千人以上の米兵も死亡した。 ところが,大統領は「開戦の責任は私にある」としつつも,「フセインという脅威がなくなったことで,米国も世界もより良くなった」と正当性を主張し,民主化の成果を強調した。これは開きなおりである。 大統領は戦争を始めるときになんといったのか。 「間違いなくイラクはWMDを隠している」「世界の安全のためには,フセインをいますぐ武装解除しなければならない」(攻撃直前の最後通告)。 その法的な根拠としたのも,WMDの査察を受けいれるよう求めた国連安保理決議にイラクが応じなかったことだった。「ないものはない」というイラクのいいぶんは無視された。 私たちは当時,国連による査察を最優先にすべきだと主張し,WMDによる脅威が明確でないのに先制攻撃するのは国際法上も許されないと反対した。結果を見れば,先制攻撃をためらわないブッシュ戦略の破綻(はたん)は明らかだ。 イラク攻撃を支持した小泉首相も,足元が崩れてしまった思いだろう。開戦時,首相はこういった。 「もしも今後,危険なWMDが危険な独裁者の手に渡ったらどのような危険な目に遭うか。日本もひとごとではない」 安倍官房長官は昨日,「実際にイラクがWMDを使った事実があるなかで,彼らがWMDをもっていると(米政府が)考える合理的な理由があった。日本の支持も合理的な判断だった」と述べた。 米国の根拠が間違っていた以上,いくら合理的だったといいわけしても判断の誤りは隠せない。独仏などは,査察を徹底すべきだと攻撃に反対した。こちらの主張の方がよほど合理的だった。 イラクでは国民議会選挙がおこなわれ,再建への政治プロセスが一歩進んだ。独裁よりも民主的な体制のほうが望ましいのはいうまでもない。だが,だからといって外から力ずくで体制を転換することが正当化されるわけではない。 日本も含め,イラク攻撃に参加したり,支持したりした国々はこの誤りを明確に認めるべきだ。そうすることで初めて,イラク再生への国際的な協力態勢を立てなおすことができるはずだ。
元コスタリカ大統領オスカル・アリアス1987年ノーベル賞受賞者のアメリカ批判
軍国主義の虫がもっとも肥大化しているのは米国である。アメリカは軍事費に年間4500億ドルも投入している。この金額は,最近の円相場で換算すると50兆円以上になり,日本の国家予算「一般会計」のなかで計上され,国家予算として実際に支出できる経費 「一般歳出」を上まわっている。
〔アメリカは〕対外援助の対GDP比はどの先進国よりも低い。軍事費の増加は国際的な対テロ戦争のためとされるが,そのくせ大型ハリケーンの被害に遇ったニューオリンズの救援対応はまるでできていなかった。 私は,日本が間違った安全保障観にとりつかれないように心から願う。イラクでの平和維持活動にもっと貢献しようというのなら,人道的な支援要員を送りこみ,イラク政府の融資や助成の手を差しのべ,必要ならば国連の青ヘルメットのもとで,民間人を派遣すべきである。 地球の安全に寄与するには,たとえばフィリピンにマラリアの薬を,タジキスタンに水タンクを,コスタリカに浄水機器を贈ることである。日本がこれを安全戦略とするならば,日本は途上国の多くの人命を救うだろうし,そうした国々にしかるべき模範をしめすことになろう(『朝日新聞』2005年12月17日朝刊参照。途中枠内における補足は筆者挿入)。
The President Bush told a lie.
●−1「イラクを侵略したアメリカの真意」 ブッシュ米大統領は,日本のテレビ放送の宣伝において,かつてよく流された「猿の反省」シーンを真似したかのごとく(気のせいか,みかたにもよるがそのお顔まで似ている→このばあいを称して「逆説的な猿真似」という),「機密情報の大半は結果的に間違っていた」と,みえすいたいいわけをした。いいかえれば,当初より周知だった《真っ赤な嘘》を,開きなおり的な口吻で,しかも本心では反省などなしに,ようやく認めたのである。 アメリカ帝国は2003年3月,サダム・フセイン元大統領が独裁支配していたイラクに侵略戦争をしかけ,このフセイン元大統領を生け捕りにもした。いま〔2005年12月現在〕まさに,フセイン元大統領に対して「お白州のお裁き」をしている最中である。 フセイン元大統領の代わりにイラクを支配‐統治することになったアメリカの意図,すなわちその「予定の戦争」の本意がどこにあったか,ここでは関説しない。その意図に関する説明・解説はすでに,市場に数多く出まわっている識者の著作が適切かつ詳細に教えてくれている。 要は,アメリカ帝国の,それも「一部の特権的な上層階級」による世界支配のためなのであり,とりわけ,イラクの石油資源を自国の掌中に握り,アメリカ中心の世界経済体制:政治覇権体制を維持・発展させるためである。 つまり,アメリカは,戦争という政治・外交の延長線上において,というよりも,『政治 イコール 経済』という総合的な次元における世界戦略を貫徹しようと,サダム・フセインをイラクから排除するとともに,自国の利害を圧倒的に拡大させるためにイラクに侵攻したのである。
●−2「犠牲者はイラク人,アメリカ人の犠牲者は庶民だけ」 イラク戦争後の支配‐統治において兵力不足に悩んできたアメリカ軍は,通常は国内治安などを主任務とする州兵まで派兵した。彼ら州兵さんたちの人的構成:陣容をみると,若者ももちろん大勢いるが,お腹のデップリした40歳代の兵隊さんまで,けっこうな人数,混ざっている。ふだん州兵に登録している彼らは,海外派兵の命令が下されたときはこれにしたがう義務も課せられている。逃げるわけにいかない。徴兵拒否になるから……。 イラク戦争は,アメリカ一般市民の基本的利害を向上させるものではなく,「一部の特権的な上層階級」の欲求や野望を達成させるだけのものなのである。ブッシュ大統領はその代弁者であり,代表者の1人でもある。この程度の基礎知識をもたないで〔否,もっているかも!〕,アメリカのイラク侵略を唯々諾々とお手伝いする日本国およびその内閣は,いい面の皮だというほかない。 もっとも,日本の自衛隊=軍隊は,イラク派兵を自軍のかっこうの訓練機会ととらえ,2004年から2005年にかけて北海道から九州方面地区の各部隊を順次イラクに派遣してきた。日本政府はさらに,2006年も派兵を延長すると決めた。アメリカのいいなりというか,すすんで意を酌んだ対応であった。 日本国民およびこの国に税金を払っている人びとは,このお金でもって自衛隊員〔軍人〕に「高額な出兵手当」を支払っていることを,しかと理解しているのか。 −−朝日新聞の論説委員 高成田 享 は,こう論じている。 「イラク戦争を始めた米ブッシュ政権は『去るも地獄,残るも地獄』という状態に追いこまれている。米軍が撤退すれば,イラク国内が内戦状態になり,中東全体にも混乱が広がりかねないし,駐留をつづければ,反米勢力が勢いを増して戦闘は終わらない」(『朝日新聞』2005年12月14日朝刊「海外メディア 深読み」)。 結局,イラク戦争をしかけたアメリカの根拠づけが誤りだったのなら,攻撃も間違いだったことになる。ブッシュ大統領はそのことをを認めるべきである。誤った情報にもとづき始まった戦争で,少なくとも3万人のイラクの民間人が命を失ったといわれ,2千人以上のアメリカ兵も死亡した(『朝日新聞』2005年12月16日朝刊「社説」)。
西村眞悟国会議員先生がみせた人間的(?)な馬脚民主党衆議院議員の西村眞悟について筆者は,ほかのページでその言動をくわしく批判した。西村は,自分の気に入らない人物やその思想や行動に対して「殺してもいい」という意味の発言さえ,遠慮なくおこなってきた。 北朝鮮に経済制裁をくわえろ,ばあいによってはこの国に対する「自衛隊による軍事的攻撃もしかけろ」とまでいい,北朝鮮との外交関係構築に努力した日本政府外務省高官に対しては天誅を下して当然とし,自国の首相を撃ってもよいと公言した人物である。 ところが,2005年も押しつまりこの西村議員は,自分の事務所の職員に非弁活動を許していた容疑で逮捕されたのである。11月中旬から12月中旬の関連記事を,引照〔新聞紙名と日時〕はとくに断らずに,その主な流れを紹介する。
−−テレビ放送の討論番組にゲスト出演などもし,「北朝鮮を攻撃せよ!」と高らかにとなえた西村眞悟元国家議員は,自分の弁護士事務所の金銭管理に関して犯罪となる不正を働いていたことが判明,司直の手にかかる始末となったのである。 お粗末……。 ちなみに,1953〔昭和28〕年2月28日衆議院予算委員会の議論のなかで,当時の吉田 茂首相に「馬鹿野郎」と発言させ,「バカヤロウ解散」を実現させた西村栄一議員は,眞悟の父である。西村栄一は,民社党時代に同党の委員長を2代勤めている。 月刊「記録」編集長というホームページは,西村眞悟のことを,こう描いている。
2005年12月18日・20日・24日 記 述
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