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定住外国人差別の一事例

―日本政府が外国人学校卒業生の大学入学資格を認めない歴史的な理由―

裴  富 吉

A Case of Discriminating History against Koreans in Japan
:About the Educational Problem .

    BAE Boo-Gil

★『大阪産業大学論集〈社会科学偏〉』第92号,1997年6月10日掲載
★ 2000年9月12日ホームページ用に改筆

★ も   く   じ ★
 は じ め に ―国際化時代の民族教育−
 東京○○大学における外国人学校卒業者の大学入学資格に関する要請文
 民族教育を排除する差別の論理
 定住外国人の民族教育を抑圧してきた歴史的背景
 在日韓国・朝鮮人学校に対する差別の論理構造のもろさ
  問題の本質 ―静かなるアパルトヘイト―
 

 
※ その後における変化〔1〕:2002年7月「文部科学省」の態度変更について

 
※ その後における変化〔2〕:2003年2月「文部科学省」の差別持続について

    
↑別ページへのリンク:本稿公表後に起きた関連問題を論及したもの〕
 




 
 

T は じ め に ―国際化時代の民族教育−

 


 @ 現在の日本の出版界は,30年くらいまえであったら考えられないような状況下にある。それは,韓国・朝鮮関係における,専門と啓蒙の分野を問わない公刊物の盛況ぶりである。以前,韓国・朝鮮関係の書籍は,まったく売れない・採算のとれない分野の代表格であった。それがいまでは,東京都にある明石書店や新幹社のように在日韓国・朝鮮人問題を専門的な一領域にする書肆があり,ほかの多くの出版社も,この領域分野の関連書籍を数多く発行するようになった。ずいぶんさまがわりしたものだと,感慨深く思う。

 大阪市に東方出版という出版社がある。この出版社も上述の範疇に属する書店であるが,最近,高 賛侑『国際時代の民族教育』(1996年6月)を公刊した。本書は,推薦の辞を書いた佐高 信によれば,「朝鮮学校,韓国学校,民族学校,外国人学校……それぞれ立場の異なる民族教育の実情に照明をあてた本書の出版は画期的な意義がある」と激賞されている。この文句はそれこそ宣伝文句であるから,割りびいてうけとらねばならないかもしれない。

 A しかしながら,筆者のしるかぎり,本書『国際化時代の民族教育』は,日本政府文部省の対外国人差別,とくに在日・定住韓国朝鮮人の教育問題に対する,きわめて冷酷・残忍な行政の方針と実績を,客観的かつ論理的に明らかにしている。何年かまえ,筆者は,自分の勤務していた大学が,在日・定住外国人を主に教育している民族学校の卒業者に大学入学資格を認定していない事実をしって驚愕し,当時の学長あてにその改善を要請する文章をしたためたことがある。

 いくぶん右翼的・国粋主義な体質傾向をもっていたその大学の学長は,筆者の要請を一顧だにしなかったようである。筆者は,いずれ日本中の大学が,民族学校卒業生の大学入学資格を認めざるをえないような時期を,必ず迎えることになる。だからいまのうちに,そうした〈差別的な〉方針を変更したほうが,長い目でみても,大学の将来にとってもかえって得策であることを断っておいた。

 B 日本の大学が,日本にある外国人系の高等学校卒業生に対して入学資格を認めないのは,日本政府文部省の行政指導に無条件にしたがっているためである。とくに国立大学は,その制度上の制約ゆえ文部省の指示にそのまま盲従し,外国人系の高等学校の卒業生から,各大学の入学試験をうける機会をうばっている。私立大学は,独自の判断をし,外国人系の高等学校卒業生に入学試験を与えているところもある。私立大学は,文部省の方針をなにも考えずに「遵守している」ところもあり,また問題なく外国人系の高等学校の卒業生に入学資格を与えているところも多くある。

 日本という国家の一官庁組織である文部省が,各大学に対して,自国に存在する外国人学校の高等学校卒業生に大学入学資格を認定しないよう指導しているさまは,一言でいって,まさに国家による,在日少数民族に対するあからさまな差別行為である。そこには,外国人という存在物に対する偏見と排除の意識が濃厚にふくまれている。

 C そこで本稿は,文部省の率先した指導による他民族差別の一典型を,外国人系の高等学校の卒業生に入学資格を認めないという出来事にみてとり,さらに,国際化がさけばれてから数十年が経ても,ろくに「内なる国際化」のできていないこの国:日本というものの,その精神構造の問題性を歴史的に分析しようとするものである。
 


 
 

U 東京○○大学における外国人学校卒業者の大学入学資格に関する要請文

 


 @ 前項でふれたように,筆者が前任校において学長あてに提出した「外国人学校卒業者の大学入学資格に関する要請文」をつぎにかかげ,参考資料にさせてもらおう。なお,内容の一部分は,時間的経過にともなって修正の必要な部分のみ,若干の補訂をしたことを断っておきたい。

 A 東京○○大学学長あての文書

 東京○○大学 御中

 私は××学部△△学科の1教員であります。かねてより私は,定住外国人(親の代から60年以上もこの地に住みつづけております)の1人として,日本における外国人の生活と権利の問題に注目し,関心をいだいている者です。

 私は,19××年度から東京○○大学に赴任しておりますが,以前より気になっていたことがあります。それは,在日韓国・朝鮮人系民族学校高等学校卒業生の,東京○○大学への入学資格についてであります。

 先日,大学の入学事務課に問い合わせましたところ,東京○○大学では,在日韓国・朝鮮人系民族学校高等部卒業生の入学資格は認めていない,との事実をご教示いただきました。

 その事実は,日本に設置されている外国人系民族学校の大部分が「各種学校」の認可しか与えられていないため,文部省の過去における「通達」にしたがうかたちで,東京○○大学は現在も,それらの高等学校の卒業生に入学資格を認めていないことによって,生じているものと思われます。

 いわば本学も,旧来からの文部省の方針を守り,現在も在日外国人(韓国・朝鮮人)系民族学校高等学校卒業生の入学志望者に,入学資格を認めていないものと思われます。しかし,そうした事態は,昨今の国際化の流れや内外情勢の変化のなか,失礼ながら,旧態依然たる「排外主義」の行政措置に,無意識的に引きずられたものではないでしょうか。

 たとえば,東京韓国学校高等部および東京朝鮮高級学校の卒業生に大学入学資格を認めないのは,論理的にたいへんおかしいことです。なぜなら,日本にある外国人学校は,基本的にはその本国の教育制度に準拠しておりますが,その本国からの留学生には日本の大学の入学資格を認めるのに,日本の国内にある同系の外国人学校の卒業生にそれを認めないというのは,おおきな矛盾であるからです。しかも,各種学校の認可をうけている,たとえば東京韓国学校高等部のばあい,日本の高等学校と同じ教育編成の内容にくわえて,いくらか韓国の歴史や言語を習うというていどのものです。

 具体的に考えてみましょう。たとえば,韓国から商社員の子供が高等1年生で来日し,その後,東京韓国学校高等部を卒業すると,日本の大学は受験できませんが,本国にのこって韓国の学校を卒業し,日本に留学するかたちで来日すれば,ただちに入学資格を認められます。

 日本の高等学校の卒業生は,諸外国の大学への入学資格が,基本的・前提的にみとめられていることは,言及するまでもなく明らかな事実です。さらに逆には,外国の高等学校を卒業した日本人の海外帰国子女は,特別枠をもって,日本の大学に入学資格をみとめられております。

 以上を整理しますと,次頁の表のようになります。
 


 
外国人  (1) 在日外国人学校系民族学校の卒業生 ×
 (2) 外国の高等学校の卒業生
日本人  (3) 日本の高等学校の卒業生
 (4) 海外の高等学校の卒業生

 

 在日外国人高等学校の卒業生に,日本の大学が入学資格を与えようとしない理由は,こうであります。文部省の理屈は,それらの学校が「各種学校」の認可しか有せず,それゆえ大学への入学資格もない,というものであります(いわゆる一条校の資格の認否)。

 しかし,さきにふれたように,在日外国人系民族学校の高等部においても,日本の高校と同じようなカリキュラムで勉強しており,これにくわえて民族教育もうけております。さらには,かりに本国と同じカリキュラムであるとしても,その本国=外国からくる留学生は,日本の大学に入学資格を認められております。ここに生じている矛盾は,誰の目にも明らかです。民族教育はどこの国でも実施しております。在外日本人学校も,日本政府の援助をうけて,日本民族を育成する教育機関であります。

 前表の「×」項とそれ以外の「」項とあいだには,みすごすことのできない決定的な自己矛盾があります。東京○○大学も,文部省の「通達」を文字どおりに遵守し,在日外国人高等部卒業生に,入学資格を認めていないものと推察されます。

 思いおこせば,その文部省の「通達」は,昭和20〜30年代の世相を反映させた,きわめつきの非人道的・反人権的な性格を内蔵したものであり,昨今の情勢下においては,もはやふさわしくない中身となっております。そしていつまでも,その「通達」に否応なしにしたがっているのは,国立大学です。

 つぎの一覧表は、「各種学校」の資格しか与えられていない,在日韓国・朝鮮人系民族学校の高等学校卒業生にも,入学資格を認めている公立・私立大学の名前です。
 


 
公立大学 東京都立科学技術大学 東京都立大学 横浜市立大学 愛知県立大学 大阪市立大学 神戸市外国語大学 神戸商科大学 姫路工業大学 奈良県立医科大学 和歌山県立医科大学 広島県立大学 北九州大学
私立大学
札幌学院大学 北海道医療大学 北海道工業大学 北海道薬科大学 北星学園大学 弘前学院大学 石巻専修大学 東北工業大学 上武大学 駿河台大学 東京国際大学 中央学院大学 獨協大学 千葉経済大学 千葉工業大学 亜細亜大学 桜美林大学 共立薬科大学 慶応義塾大学 工学院大学 国際基督教大学 芝浦工業大学 清泉女子大学 順天堂大学 恵泉女子大学 昭和薬科大学 女子栄養大学 女子美術大学 上智大学 昭和大学 昭和音楽大学 専修大学 創価大学 玉川大学 多摩美術大学 帝京大学 桐朋学園大学 東海大学 東京基督教大学 東京理科大学 東洋大学 東京経済大学 東京慈恵会医科大学 東京女子大学 東京神学大学 中央大学 津田塾大学 日本体育大学 日本女子体育大学 法政大学 明治大学 明治学院大学 武蔵大学 武蔵野女子大学 立正大学 立教大学 早稲田大学 和光大学 麻布大学 神奈川大学 神奈川工科大学 鎌倉女子大学 関東学院大学 相模女子大学 山梨学院大学 帝京科学大学 常葉学院浜松大学 松本歯科大学 愛知大学 大同工業大学 中京大学 中京女子大学 同朋大学 名古屋学院大学 名古屋経済大学 名古屋芸術大学 名古屋造形芸術大学 南山大学 岐阜経済大学 大谷大学 京都外国語大学 京都産業大学 京都女子大学 京都精華大学 京都橘女子大学 京都薬科大学 同志社大学 同志社女子大学 立命館大学 龍谷大学 大阪音楽大学 大阪学院大学 大阪経済大学 大阪経済法科大学 大阪芸術大学 大阪工業大学 大阪産業大学 大阪電気通信大学 摂南大学 相愛大学 帝塚山大学 梅花女子大学 阪南大学 桃山学院大学 英知大学 関西大学 関西医科大学 関西外国語大学 関西学院大学 甲南大学 甲南女子大学 神戸学院大学 神戸海星女子学院大学 神戸芸術工科大学 神戸女学院大学 神戸女子薬科大学 神戸松蔭女子学院大学 園田学園女子大学 姫路獨協大学 武庫川女子大学 奈良大学 岡山商科大学 川崎医科大学 ノートルダム清心女子大学 広島電機大学 四国学院大学 四国大学 徳島文理大学 西日本工業大学 福岡工業大学 長崎総合科学大学 久留米大学 九州東海大学 鹿児島経済大学 注1),注2)。 

 
 注1) 殷 宗基『在日朝鮮人の生活と人権』同成社,1986年,127頁,および朴 三石『問われる朝鮮学校処遇―日本の国際化の盲点』朝鮮青年社,1992年,86-87頁参照。
 注2) 田中 宏によれば,この一覧表に出ていない大学も含めて,1994年で,在日外国人学校卒業生に対する入学資格を認めている公立・私立大学は,179校になっている(田中 宏『新版在日外国人―法の壁,心の溝―』岩波書店,1995年,179頁)。

 

 私立大学としての東京○○大学が,在日外国人系「民族学校」の高等学校卒業生に,大学入学資格〔受験資格〕を認めないとする理由は,まったくないように思われます。在日韓国・朝鮮人系民族学校の高等学校卒業生は,入学資格を与えてくれない大学を受験しようとするときは,「大検」をうけて入学資格をとるか,日本の高校に編入・転入するかして,志望大学に挑戦することになります。こうした変則的な事態をより早く解消し,彼らの入学資格を公平,均等に保証する意味においても,またこの世に正義を浸透させる意味においても,本学が,在日外国人系高等部卒業生に入学資格を認めてくださるよう要請いたします。

 いま私が心配するのは,つぎのようなことです。近い将来,在日外国人系民族学校の「存在」を正式に認知しようとしない文部省「通知」の姿勢,そしてこれを鵜呑みにしている国立大学,公立大学,私立大学は,国内外からきびしい批判をうける日を迎え,国際社会において指弾されるようになるでありましょう。そのときになって,本学が,在日外国人系高等学校卒業生の入学資格に関する規則を泥縄的に変更されても,必ずしもよい世評をえることはできないものと考えます。

 思えば東京○○大学は,先般百周年記念行事を盛況のうちになしとげ,21世紀への飛躍を約束されているという,輝かしい未来をひらきつつある学校法人であります。この本学が,30年以上もまえに文部省が,一方的に「通達」として出した不条理にいつまでも追従するという事由は,すこしもないはずです。
 


 
  【参考1】  大学入学資格については,「学校教育法」第56条および同規則第69条に定めがある。―民族学校は「各種学校」となっているため,直接に入学資格を定めたものではない。しかし,「その他,大学において,相当の年齢に達し,高等学校と同等以上の学力のあると認めた者」という大学認定事項がある。在日外国人系の民族学校の卒業生に大学入学資格を認める公立および私立大学は,この認定事項によっている。そのあとは,入学試験で受験者の実力を選考することになる。
  【参考2】  1965〔昭和40年〕12月28日文部省次官「通達」。―(1)朝鮮人学校については,学校教育法第1条に規定する学校の目的にかんがみ,これを同法第1条の学校として認可すべきではないこと。(2)朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は,わが国の社会にとって,各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので,これを各種学校として認可すべきではないこと。また,同様の理由により,この種の朝鮮人学校の設置を目的とする準学校法人の設立についても,それを認可すべきではないこと。
 なお,このことは,当該施設の教育がわが国の社会に有害なものでない限り,それが事実上行われていることを禁止する趣旨ではない。
 こうして文部省は,在日韓国朝鮮人系に対しては「各種学校」の認可すら基本的に認めようとしない姿勢を,みずから歴史的につくってきたのである。

 

 B とくに【参考2】の「通達」は,在日韓国・朝鮮人民族学校の「当該施設の〈朝鮮人としての民族〉教育が日本国の社会に有害なもの」である。だから,朝鮮人の民族教育はいっさい認められない。外国人学校は「学校教育法第1条に規定する学校の目的」に反するものだという理屈は,他民族を排外する偏狭な偏見を,恥じらいもなく堂々と告白するものである。

 この文章の中身には,文部省のその腹底にある理由を論理的にきちんと説明できるものがない。論理の順序が不明解どころか,まるで支離滅裂な強弁である。はたして「学校の目的」「日本国社会に有害」とはなにか。ともかく朝鮮人の民族教育はダメだという一点張りである。

 当時の時代状況もあってか,感情むきだしの,かなりひどい民族差別の表現になっている。

 ところが日本政府は,海外各国にある日本人学校においては〈日本民族を涵養する教育〉を公式に援助していながら注3),自国内の外国人,とくに朝鮮人〔韓国人その他〕の民族教育はだめだ,教育行政上,絶対に認められないというのである。こんな手前勝手な理屈がどこにあるのだろうか。

 参考までに指摘すれば,在日朝鮮人学校の高級学校課程修了者および朝鮮大学校課程修了者は,海外の大学でもそのほとんどが入学資格を認められている。1977年から1985年にいたる9年間の実績は,つぎのとおりである注4)
 


 
 「アメリカ」  カリフォルニア大学,コーネル大学,シカゴ大学,ダラス大学。
 「アルジェリア」  アルジェ大学。
 「イギリス」  ロンドン大学,リーズ大学,エセックス大学,ノース・ウェルズ大学。
 「イラク」  バクダッド大学。
 「オーストラリア」  グリフィーヌ大学。
 「カナダ」  オタワ大学。
 「キューバ」  ハバナ大学。
 「スウェーデン」  王立工科大学,ストックホルム大学,ウプサラ大学。
 「スペイン」  マドリード大学。
 「チェコスロバキア」  プラハ音楽芸術大学。
 「ノルウェー」  オスロ大学。
 「フランス」  パリ大学,ツルーズ大学,ディジョン大学,ニース大学,ランス大学,グルノーブス大学,ボルト大学,マルセイユ・エクス大学。

 

 C 要するに,日本政府文部省も地方自治体(教育委員会)も,教育の国際化にはきわめて熱心であり,帰国子女教育や留学生教育,また欧米系外国人補助教員の採用などには積極的であるが,「内なる国際化」ともいえる在日韓国人・朝鮮人に対しては,無視ないし敵対的な態度をとりつづけている。

 文部省の「通達」は,民族教育に対する否定的な姿勢でつらぬかれている。この考えかたは,外国人子女の人間形成において,彼らのエスニシティを認めようとしない立場であり,在日韓国・朝鮮人がわから「同化政策」と批判されてもやむをえない。

 こうした文部省の姿勢は,海外に数多くの日本人学校を設立してきた文部省自身の立場とも矛盾する。教育の国際化という作業が,「異なるものを認めあう」ことから出発するとしたら,文部省の「通達」は,その対極にある考えかたである。日本政府の在日韓国・朝鮮人の教育に対する対応は,日本の趨勢に逆行するものである注5)

 そのうえ,文部省は,日本の各大学が「その他,大学において,相当の年齢に達し,高等学校と同等以上の学力があると認めた者」という〈大学認定事項〉によって,外国人学校高等学校部の卒業生に対して,独自に大学入学資格を認めようとする自主的な判断にすら,これを妨害しようと試みているのである。文部省にいいなりになっている国立大学は,一律に外国人学校卒業生の受験を認めず,公立大学・私立大学の多くもそれに倣って,彼らの大学入学資格を認めようとしていないのである。

 日本における民族教育のもつ歴史的意味を考えるとき,それが海外の日本人学校以上ではあっても,以下であっていいはずがない。在日外国人にその民族教育を断念させるような抑圧を,無意識のうちに大学がくわえているとすれば,それはたいへんなことである注6)。日本政府文部省は,在日韓国・朝鮮人の民族学校に対する国家次元の「いじめ」を平然とおこないながら,恬として恥じないのである。
 


 
 注3) 海外の日本人学校は数多くある。最近ブラジルを訪問した橋本龍太郎首相は,現地の日系人団体が,日本文化普及のための施設建設への支援を求めたのに対し,「文化交流を一層強化していきたい。。要望については今後,検討していきたい」などと応じ,日本政府として協力する考えを表明した。日系人団体がわの要請のひとつは,「日本語や日本文化を正課とする幼稚園から高校までの一貫教育の学校」を建設する,というものであった(『朝日新聞』1996年8月26日)
 注4) 朴『問われる朝鮮学校処遇』186-187頁。
 注5) 澤田昭夫・門脇厚司編『日本人の国際化』日本経済新聞社,1990年,288頁,289-290頁。
 注6) 田中『新版在日外国人』179頁。

 
 

V 民族教育を排除する差別の論理

 

 
 @ 高 賛侑の論述を材料にして,以上にふれた日本政府文部省の,在日外国人の民族教育に対する差別・抑圧政策の,矛盾した政策態度を議論してみよう。

 そのまえに,以前,筆者が書いておいた一文「外国人学校高等卒業生の大学受験資格を認めよ」をつぎにかかげておきたい。

 A「外国人学校高等卒業生の大学受験資格を認めよ」

 現在,日本の国立学校すべてと,公立・私立大学(4年制)のうち約3分の2は,日本にある外国人系高等学校の卒業生に受験資格を認めていない。これは,文部省の指導に忠実にしたがった現象である。本文は,このまちがった状況の是正を要請したい。

 1991年1月10日にもたれた韓日外相会議の「在日韓国人の法的地位及び処遇に関する覚書」は,こう述べていた。
 


 

 ・日本社会において韓国語等の民族の伝統および文化を保持したいとの在日韓国人社会の希望を理解し,現在,地方自治体の判断により学校の課外でおこなわれている韓国語や韓国文化等の学習が,今後も支障なくおこなわれるよう日本政府として配慮する。
                  

 

 この覚書の内容は,民族学校以外の日本学校に在籍する在日韓国人子弟むけの,課外授業に関する,「配慮」のみの言及であり問題もあるが,日本と韓国の関係を超えて普遍的に妥当するものと思う。

 日本の大学の多くが,在日韓国・朝鮮人系を主とする民族学校の高等部の卒業生に大学受験資格を認めないのは,それほど深く考えず文部省の指導を鵜呑みにしているためである。しかしながら,この度の日韓外相の覚書の内容を素直にうけとると,これまでのそうした姿勢は,国際化の潮流にまっこうから棹さしてきたことを意味する。

 B 前項でもふれたごとく,日本の大学は,大学受験資格を,日本人子弟に関しては,

 a) 日本の高校(これは当然であるが)と
 
 b)〈海外の〉日本人学校(および外国人学校)の高等卒業生に対して認めているが,

外国人子弟に関しては,日本の高校の卒業生は問題外として,

  c)〈海外にある〉外国高校からの卒業生は認めているのに,
 
  d)〈日本にある〉外国人高校の卒業生には認めていない。

 ちなみに,外国の学校は,日本の高校卒業生は勿論,海外にある日本人学校の高等卒業生にも当然として,受験資格を認めている。これはあくまで,その判断基準として〈大学認定事項〉,つまり就学年数をとっているからである。

 こうした前後一貫しない,一部の大学を除いた日本の大学における,在日韓国・朝鮮人系高等卒業生に対した受験資格の不認定状況は,形式論理的にみても大きな矛盾を孕むものであり,先進諸国中,日本だけが狭量な思想を墨守するものとみられてもしかたない。またこれでは,過去から連綿と引き継がれてきた他民族(いうまでもなく韓国・朝鮮人)排外視を,すこしも払拭できていないものと指弾されても,反論の余地はない。
 
  C  このため,韓国・朝鮮人系外国人学校にかよう在日韓国・朝鮮人子弟(およびその他の外国人学校にかよう外国人子弟)は,大学受験資格を認めていない志望校をめざそうとするばあいには,大検の合格や他の日本高校への編入(これすら認められないこともある)を経て受験をするという,徒労を強いられている。この事実が,在日民族系の教育機関に外国人が入学しようとするさい,障害ともなっていることは看過できない。

 先述にあった韓日外相間「覚書」は,文字どおりに読めば,在日韓国・朝鮮人の民族教育を明確にかつ積極的に認容したものである。それは,過去の不幸な日本と韓国:朝鮮関係の良好な復旧をめざし,両国間の友好的善隣関係を推進するためにも不可欠な基礎要件を示唆するものといえよう。その意味でも,大学入学資格に関する文部省の,正しくない指導に無批判的にしたがう公立・私立大学〔国立大学は論外〕の多いことは,誠に遺憾なことである。

 1965年韓日条約の締結内容の不十分さにも関連する,最近の韓日関係のぎくしゃくした関係は,日本政府が一国としての矜持・威厳・品格を国内外に明示しえないためとも考えられる。日本と韓国:朝鮮の関係は今後いっそうの改善が期待されるが,筆者は,身のまわりにある両国間,はっきりいえば在日韓国・朝鮮人の一課題の早急な解決を願い,その是正を要請するものである。

 D さてここで,「在日外国人系民族学校の高等部は,日本の高校とおなじようなカリキュラムで勉強し,これにくわえて民族教育もうけている」という事実を説明しよう。

 下にかかげた3つの表からは,1条校である民族学校をふくめ,日本の学校とほとんどかわりないカリキュラムを編成していることがわかる,日本国以外の,各国独自の教育理念・体制〔たとえば,資本主義か,社会主義か,特定の国家宗教・民族精神など〕のもとに,価値多様的に運営されているおのおの高等学校卒業生に対して,大学入学資格を認めている文部省が,自国の規制にほぼしたがっている「各種学校」民族学校の高等学校卒業生に大学入学資格を認めないというのは,まことに理不尽である。
 


 
朝鮮学校初級部課程案(週当時間:1994度)
学年
国語
算数
社会
理科
図工
音楽
保健体育
朝鮮歴史
地理
日本語
科目数
週当時間数
1年
10
4
   
2
2
2
   
24
2年
 9
5
   
2
2
2
   
25
3年
 8
5
1
3
2
2
2
   
28
4年
 8
6
2
3
2
2
2
   
30
5年
 7
5
2
3
2
2
2
 
2
30
6年
 7
2
3
2
2
2
2
 
30
  出所)高 賛侑『国際時代の民族教育』東方出版,1966年,13頁より。

 
建国中学カリキュラム〔1条校〕(週当時間:1994年度)
学 年 日語 社会 数学 理科 音楽 美術 保体 技家 韓国語 地理 歴史 道 徳 特活 英語 時間数
  (基準)
1年 3  34(30)
2年 3 1 34(30)
3年 3 1 5 34(30)
超過時間数 ▲1 ▲1 ▲2 ▲3
 出所)高,前掲書,58頁。各科目の超過時間数は「基準」との比較。

 
東京韓国学校高等部教育課程表(日本の大学入試班。週当時間:1996年度)
学 年 日語 社会 数学 理科 音楽 美術 保体 家政 情報処理 韓国語 地理 歴史  HR 部活 英語 時間数
1年 38
2年 38
3年 36
 出所)東京韓国学校高等部教育課程表(1996年度)より作成。

 

 しかも日本国内の日本学校および国外の日本人学校は,外国において,大学入学資格をたいがいは就学年数を基準に認められている。外国教育法の一条校の条件うんぬんにいたっては,まさに,ためにする屁理屈のたぐいである。文部省みずから,在日外国人系の民族学校に対しては「学校教育法第1条」を認めないで,そういうのであるから,もってまわった循環論法の典型でもある。

  E 日本政府文部省が,とくに自国内の外国人学校の高等部卒業生に大学入学資格を認定しない理由は,いったいなにか。端的にいえばそれは,明治以来,日本が築きあげてきたアジア蔑視,韓国・朝鮮〔人〕に対する偏見に由来する差別である。とくに韓国・朝鮮人に,すこしでも民族意識を育むような教育は,理屈ぬき(?)にけしからぬという態度なのである。

 日本の公立学校では,韓国・朝鮮人に配慮した教育課程(カリキュラム)を編成することを禁止している。この「通達」(1965年12月25日付:文初財第464号)は,「教育課程の編成・実施について特別の取り扱いをすべきではない」と断っていた注7)

 文部省諸「通達」の説くところは,朝鮮人学校をまったく否認したうえで,日本の公立校にはいれば日本人としてあつかう,というものである。要するに,朝鮮人が朝鮮人として育つことは認めないということである。それは,まるで植民地時代の“民族性否認=同化教育”となんらかわるところがない注8)

 だいたい差別する理屈というものは「理屈では説明できない」ものであるから,先述のように,「学校教育法第1条に規定する学校の目的」とはなんであるのか,という肝心な核心においては,それじたいに関する合理的な理由説明はなにも用意できていない。在日韓国朝鮮人の民族的教育機関の存在じたい,いけないからいけない,認められないから認められないというのが,文部省の理屈にもならない理屈なのである。ふつう,こういう理屈(?)は差別という。

 F 経済企画庁総合計画局編『「世界の中の日本」,その新しい役割,新しい活力』(昭和60年)は,日本経済社会の国際化をすすめるにあたっては,一方では日本の国益を守り,他方では普遍性のある原理とことばでみずからの立場を明確にし,他を説得しなければならないと述べていた注9)

 はたして,日本政府および文部省は,〈普遍性のある原理とことば〉をもって,旧日本帝国臣民であった異民族の教育内容に接してきたか。否,偏狭な〈日本の国益〉のまえにあっては,普遍性のあることばをうしない,合理的な理由説明をみずから放棄していたのである。

 なかんずく,旧日本帝国主義時代の連続性において,今日日本における在日韓国・朝鮮人教育政策のありかたをうけとめる必要がある。戦前から戦後にかけて,日本政府文部省の在日韓国・朝鮮人に対する教育政策は,抑圧・弾圧と差別・排外の歴史であったのである。


 
 注7) 澤田・門脇編『日本人の国際化』289頁,288頁。
  注8) 田中 宏「戦後日本とポスト植民地問題」『思想』734号,1985年8月,49頁。
  注9) 経済企画庁総合計画局編『「世界の中の日本」,その新しい役割,新しい活力』大蔵省印刷局,昭和60年,18頁。

 
 

W 定住外国人の民族教育を抑圧してきた歴史的背景

 


 @  日本政府文部省が,「〈朝鮮人としての民族〉教育が日本国の社会に有害なもの」であるときめつける事情は,歴史的にはだいぶ以前からあったものである。1953年の文部省「通達」は,朝鮮学校・韓国学校は各種学校であるから,その高級学校・高等部であっても大学への入学資格はなく,大学入学資格検定試験を受けなければならない』としていた(「朝鮮高級学校卒業生の日本の大学への入学資格について」)

 ところが,最近の文部省は,民族学校の出身者に対して,大学入学資格検定試験の受験すら妨害している。高等部(韓国学校),高級学校(朝鮮学校)の学生は,中等教育・初等教育の段階より日本政府の認めていない各種学校であるから,今度は大検すらその受験を認めない,といったのである。いったいどこまで,民族学校にかよっている在日の子弟をいじめれば気が済むのか,呆れはてる「いじめ」の構図である。国家公認の「いじめ」行為に歯止めはないのか。
 
  A  1945年8月15日,日本は無条件降伏し,朝鮮はやっと解放の日をむかえた。同年10月に結成された在日朝鮮人連盟(朝連)は,全国各地に民族学校をつくっていった。1947年10月までに,なんと初等学校541校(生徒数約58,000人),中等学校7校(生徒数約2,800人)が開設された。このころは,南北朝鮮の対立関係は民族教育にはまだ反映していなかった注10)

 阪神教育闘争。当初,日本政府は黙認する態度であったが,朝鮮半島の政情不安が深刻になるにつれ,占領軍とその命をうけた日本政府の態度はおかしくなっていく。1948年1月24日,文部省は「朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は,日本人同様,市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない」という内容の通達を出した(学校教育局長通達「朝鮮人設立学校の取扱いについて」)。この通達は,在日朝鮮人に民族学校で学ぶことを禁止するものであり,まさに解放前の同化教育の復活を意味した。

 これに対し,在日朝鮮人は全国各地で反対運動をくりひろげた。しかし日本政府は一歩もあとへ退こうとはしなかった。1948年3月31日,山口県と兵庫県で「朝鮮人学校閉鎖命令」を出すにいたる。その後,岡山県,大阪府,東京都などでも同様の命令が出された。1948年4月23日,大阪府庁前の公園に1万数千人があつまって抗議集会がひらかれ,府に対して学校封鎖命令をとりけすように求めた。

  しかし,府がわはまったく耳を貸さず,逆に武装警官を動員して集会参加者を逮捕した。その3日後,こんどは約2万人が同公園にあつまり,代表者が府知事と交渉をはじめた。すると,占領軍大阪軍司令部長官がやってきて,府知事に群集解散を武力をもって強行せよと命じた。警官隊の発砲もあり,16歳の少年金太一が頭に銃弾をうけて即死し,そのほか20数名が負傷した。

 4月15日,兵庫県庁前に集合した在日朝鮮人代表68名が逮捕されるという事件が発生していた。そのため4月24日朝,1万人をこえる朝鮮人が県庁前にあつまり,県に対し学校閉鎖命令のとりけしと逮捕者の釈放を求めた。ところが,同日午後に交渉が始まろうとしたさい,占領軍MPが知事室にはいってきて朝鮮人に銃をむけ,知事をつれだそうとした。すると,朝鮮人青年らが上着をパッとはだけて「撃つなら撃て!」と叫んだ。MPは結局なにもできずに帰り,ついに知事は学校閉鎖命令をとりけし,逮捕者も釈放されることになった。

 4月25日,占領軍によって神戸地方に「非常事態宣言」が発せられ,朝鮮人らがつぎつぎと逮捕された。また前日の学校閉鎖命令のとりけしや逮捕者の釈放は無効である,との声明が発せられた。こうして,1,667名におよぶ朝鮮人と日本人らが逮捕され,うち朝鮮人8名と日本人1名が10年をこえる重労働の判決をうけたのである

 1948年4月24日の神戸の事件は,偶発的なものでも,「共産党の煽動」による騒乱でもなく,まして「朝鮮人の暴動」などではない。神戸における朝鮮人学校閉鎖と非常事態宣言,それにともなう一大検挙は,占領軍の計算された作戦行動であった注11)

 参考までに,翌1949年7〜8月には,有名な「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」が続発していた。日本戦後史の展開にとっても,4・24阪神教育闘争は意味深長であろう。

 B この阪神教育闘争は,日本の戦後史のなかで最初にして最後の戒厳令がしかれた大事件であった。1948年5月になって,朝連と文部省のあいだで,つぎのような覚書がとりかわされ,いちおうの決着をみることになった。

 ・朝鮮人教育に関しては,教育基本法および学校教育法にしたがうこと。

 ・朝鮮人学校問題については,私立学校として独自の教育をおこなうことを前提として,私立学校として認可を申請すること。

  1948年8月大韓民国の誕生,同年9月朝鮮民主主義人民共和国の誕生,1949年10月中華人民共和国・中央人民政府の誕生,1950年6月朝鮮戦争勃発と,歴史がゆれうごくにつれ,再び民族教育は弾圧を強められていく。1949年9月,日本政府は「団体等規正令」という法律をつかって,朝連に対して突然解散命令を発した。そして,翌10年13日通達を出して,全国の朝鮮人学校をいっせいにつぶしにかかった(文部省管理局長・法務省特別審査局長通達「朝鮮人学校に対する措置について」)

 それでも,兵庫・愛知・広島などでは,従来の民族学校が守りぬかれ,東京・神奈川などでは,いったん閉鎖したものの,公立学校あるいは公立学校分校として再出発した。さらに,日本人学校への分散入学を強いられたばあいでも,民族学級が設けられたり,課外の民族授業がおこなわれるなど,民族教育の火はけしって絶やされることはなかった。その後,朝鮮戦争期にはいって,民族教育に対する弾圧はよりきびしくなっていった。しかし1955年5月結成された在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)の手により,民族教育事業は再編成されていくことになったのである。

  C 以上,敗戦直後の歴史的展開のなかに,今日までの日本政府文部省の在日韓国・朝鮮人に対する文教政策の原型を読みとることができる。敗戦後における世界政治情勢の対立構造の造成と連動しつつ,日本政府文部省の態度も変貌していった。まるで,アメリカ軍を中心とする占領軍を用心棒のように頼りにした,日本政府および文部省の,朝鮮人に対する行動態度がみてとれる。

 阪神教育闘争の結果,かわされた覚書は,まず在日朝鮮人の教育も教育基本法および学校教育法にしたがうことを合意したわけである。だが,日本政府文部省は,法制面で在日少数民族教育を認めないという態度を採用したゆえ,のっけから在日朝鮮人の教育機関の存在そのものを認めないという,強引な理屈をつくったのである。朝鮮人の民族教育は,はじめからその存在じたいを許さないという姿勢である。

 つぎに,朝鮮人学校問題については,私立学校として独自の教育をおこなうことを前提として,私立学校として認可を申請させるようにしたわけである。だが,学校教育法の第1条に認定しない基本方針をつらぬき,在日朝鮮人学校を正式の「教育機関」としては認めないという姿勢をしめしたのである。
 


 
  注10) 以下の叙述はしばらく,床井 茂編『いま在日朝鮮人の人権は』日本評論社,1990年,84頁以降より。 
  注11) 金 慶海『在日朝鮮人の民族教育の原点―4・24阪神教育闘争の記録』田畑書店,1979年,144頁。

 
 

X 在日韓国・朝鮮人学校に対する差別の論理構造のもろさ

 

 
 @ 1991年3月,日本で初の「新国際学校」となる学校法人千里国際学園が設立され,同一敷地・校舎内に性格の異なるふたつの学校が出現した。帰国子女を中心に一般日本人や外国人もうけいれる「大阪国際文化中学校・高等学校」(大阪インターナショナルアカデミー:OIA,定員370名)と,主に外国人児童生徒を対象とする「大阪インターナショナルスクール」(OIS,定員210名)である。

 前者のOIAは,1条校であるから文部省の指導要領にもとづいた教育をおこなう。第2期卒業生から国立学校への合格者が出たら,海外の日本人学校で同校の評価が高まったということである。後者のOISは,文部省の指導要領からはなれた独創的な制度をとっている。とくに生徒は,11〜12年生のときに国際バカロレア(IB)プログラムを履修する。このIB資格をとれば,外国の大学への入学資格をえることができる。

 日本政府のなかでも,文部省の硬直化は特別ひどいという話をよく耳にするが,ガチガチの体制のために,OIAもOISも,より自由に羽ばたく可能性を封じられている注12)

 OISの初代校長は,こういっている。日本の教育行政は矛盾だらけである。大学受験や私学助成金の差別問題は,外国ではとても考えられない。日本はよく国際化をめざすというが,口先だけのようだ。たとえば,東京都の私学課の担当者は「もしアメリカンスクールに助成金を出せば,朝鮮学校にも出さなくてはならない」と2度もいったので,その校長は「それじゃ私はコリアンと同じ立場に立つ」と答えたという注13)
 
  A この話を聞いた筆者は,つぎのべつの話を思い出した。1985年に,在日韓国人を中心とする外国人たちによって,外国人登録制度における「指紋押捺」拒否運動がはじまったが,その運動にまつわっての話である。

 ある市役所の外国人登録係担当者が,欧米外国人に対する「指紋押捺の義務」は,韓国・朝鮮人のためにあるものを,しかたなく同時に〈あなたがた〉にも適用しているのであるから,あなたがた〈欧米系白人〉外国人も我慢して指紋を押印してくださいといった,というものである。この話を聞いて怒らない人がいたら不思議である。

 つまり,日本政府は,朝鮮学校を抑圧するために各種学校の枠に閉じこめたが,その結果,本意ではないのに,ほかの外国人学校も各種学校あつかいにせざるをえなくなったのである。

 日本政府が朝鮮人を弾圧するためにつくりあげた制度は,結果的に中国人や欧米人まで差別することになった。こうした事実は,まさに外国人教育問題が朝鮮人教育問題と表裏一体の関係にあることをしめしている注14)

 日本政府および文部省のいう理屈における最大の矛盾は,以下のように指摘できる。日本政府文部省が在日本の外国人学校を「各種学校」としかみなさない理由は,以下のとおりである。

 (1)外国人だけが在籍している,
 
 (2)文部省検定教科書を使用していない,
 
 (3)教授用語が日本語でない,
 
 (4)教員は日本の教員免状をもっていない。  

 しかし,これらは民族教育の根源にかかわる問題である。

 事実,日本政府自身も海外の日本人学校などでは,同じような「日本民族教育」の制度をとっている。もしかりに各国が,日本の1条校規定と同様の法を盾にして,日本人学校の存在を認めないとしたら,あるいは閉鎖を命じて警官を動員したら,いったい日本政府はどう対応するのか。世論は「しかたがない」と黙っているのか。
 
  B  外国人に対する歪んだ教育政策は,まわりまわって日本人にも差別するという奇妙な現象まで生みだしている。日本にある外国人学校は,大半が日本人,帰化した子らをうけいれている。たとえば,日本人が外国に留学して高等課程を卒業すれば,帰国後,日本の国立大学でも受験できるのに,日本国内にある外国人学校を卒業しても受験資格は与えられない。そもそも高卒の資格じたいがないことにされるのである。

 それだけではない。厳密にいえば,国内の外国人学校の小・中等課程にはいっている日本人の子および保護者は,義務教育をうけていない,うけさせていない,という「罪」を犯していることになるのである注15)。日本国内では外国人を権利の享有から排除しながら,そとにむかって提唱される国際化とは,いまだ日本民族の海外進出のための口実の役割をこえられずにいる注16)

 日本政府および文部省の,在日定住外国人とくに韓国・朝鮮人に対する差別的な方針とその政策の実施は,あまりにも明々白々である。日本政府および文部省が,在日定住外国人を教育制度において差別する理由は,まさにあからさまな差別そのものである。それこそ,差別するために差別するという行為以外のなにものでもない。

 日本政府および文部省の理屈は,それでも外国人・外国籍の人々にかかわる教育問題であるから,差別は当然だとするものであった。こういうのを正真正銘の差別というのである。日本政府および文部省〔ほかの官庁も大同小異であるが〕は,そのような差別意識・民族偏見に凝りかたまった姿勢・精神を堅持している。
 
  C  1953年に出された「朝鮮高級学校卒業生の日本の大学入学資格について」という文部省大学局長の回答が,現在も,日本の国立大学・私立大学〔一部はのぞく〕の入学試験の受験資格で,民族学校卒業生排除の根拠として生きているのは,きわめて異常である。それが在日韓国・朝鮮人に二重の負担を強いているのは,教育をうける権利を何人にも認める基本的人権の観点から,また国際化の視点から明らかな人権侵害である注17)

 戦前・戦中期,朝鮮人や台湾人は,ほぼ完全な無権利状態のもとで,なお納税の義務だけは課せられていたが,今日において民族教育機関に子を通わせている在日韓国・朝鮮人の親は,その点では旧日帝時代とまったく同じ状況におかれている。
 
 在日韓国・朝鮮人のはたしている「納税」の義務にみあった教育費の社会的還元は,民族学校を選択した彼らの子供には,ほとんど還元されていない。教育扶助の適用に関しても,民族学校を選択したばあい,その適用からはずされているのである〔ただし,その後一部の自治体では部分的に適用されるようになった〕注18)

 現代の日本においては,旧植民地出身者の「歴史による権利」といった発想は問題とされていない。植民地帝国日本の歴史が,東アジア諸民族に与えたツケは,敗戦後の冷戦構造のもとにおいて,アメリカとソ連のいずれに協力するのかという問題が幅を利かせるなかで,閑却されていったのである。そもそも,東アジア諸地域で戦争がつづけられていたにもかかわらず,1945年を〈戦後〉の基点と,なんの疑問もなく述べることのできる認識の枠組じたいが,いわば「防波堤」のなかの意識を表わしている。

 D 敗戦を境とする植民地帝国日本から国民国家日本への早変わり,そのなかでのナショナリズムの温存と再建という原理は,教育面にもよく現われている。いうなれば,敗戦を境として,多民族国家体制への転換という理念は「死産」のまま,たらいの水とともに流されてしまったのである。「戦後改革」は,植民地帝国日本の歴史のなかに孕まれていた,ナショナリズムの自己否定的な契機を抑圧するものであった注19)

  在日韓国・朝鮮人,在日中国・台湾人,中国「残留孤児」,インドシナ「難民」,アジア・アフリカ諸国からの留学生や「外国人」労働者,日本社会に居住する多様な人々が,それぞれの出自と由来にかかわりなく,さまざまな局面で具体的に人権を保障される社会。そうした社会を形成していくことこそが,日本帝国主義により抑圧され,殺された東アジア諸民族に対しても,支配する者としての自己分裂と,しばしば不本意な死をせまられた「日本人」に対しても,唯一「鎮魂」となりうる可能性をもったことがらではないのか注20)

 悲しいかな,日本社会はいまだ,在日韓国・朝鮮人の存在を「試金石」にして,いかほど「国際化」をなしとげているのかを占うほかない実態にある。在日中国・台湾人問題も,在日韓国・朝鮮人とだいたい同じ性質の問題であるが,上記にならべられている諸問題はすべて,日本社会にとっての新しい「試金石」を意味している。
 


 
  注12)  高 賛侑『国際化時代の民族教育』東方出版,1996年,162-163頁,165頁。
  注13) 同書,166頁。
  注14) 同書,167頁。
  注15)  同書,172-173頁。
  注16) 金 敬得『在日コリアンのアイデンティティと法的地位』明石書店,1995年,127頁。
 注17) 金 鐘鳴編『在日朝鮮人―歴史・現状・展望』明石書店,1995年2月,59頁。
 注18)  李 月順「在日朝鮮人と民族教育」『ほるもん文化5』新幹社,1995年2月,59頁。
  注19) 駒込 武『植民地帝国日本の文化統合』岩波書店,1996年,380頁,381頁,385頁。
  注20) 同書,389頁。


 

 

Y 問題の本質―静かなるアパルトヘイト―

 


 1)破防法と在日朝鮮人

 @ 日本政府当局は,朝鮮総聯が結成された1955年5月25日,その同日に「破防法」の容疑団体に指定した。この態度は,今日にいたるまであらためられていない。公安調査庁調査第2部第1課が「朝鮮総聯」担当部局である。この公安調査庁は,1952年7月21日に公布・施行された天下の悪法によって組織された官庁である。破防法は,成立時から「呪われた法律」の運命を背負い,権力機関にとっては「どうしても欲しい法律」であった注21)

 公安調査庁は,自局の存在意義の低下に危機をいだいていたが,例のオウム真理教事件の発生〔1995年〕,そして破防法適用の審議〔1996年〕をきっかけに,低迷していた組織拡大への絶好の機会をつかんだようである。最近における同局関係者の態度は「はしゃいでいる」と形容されたほどである。破防法は,成立以来,一度も発動されたことのない法律である。なぜなら,破防法は旧「治安維持法」と同類同質の「悪法」である,という認識が為政者がわにもあるからである。

  破防法はそもそも,共産主義運動と在日外国人の政治活動を標的にした憲法違反の法律である。公安調査庁の生きのこりのため,今回のオウム真理教事件を奇貨として,当局はその適用を決めたのである〔1997年1月31日,オウム真理教に対する破防法の適用の審議結果は「棄却」となった。初校時注記〕。破防法の適用の目的は,さらなる警察国家化である。警察の狙いは思想・信条の統制であり,市民社会のすみずみまでに,公安警察の目を光らせることである注22)

  破防法の,人権問題に対する有害性については,同法の成立以前に出された小冊子,社会タイムス社編『破防法はこう使われる』(社会タイムス,昭和27年6月)が,こう警告していた注23)

 長田 新(広島大学教授・文学博士)……おそらく,この悪法によって,日本国憲法のしめしている民主国家・平和国家・文化国家の芽生えは,たちまち枯死するであろう。

 恒藤 恭(肩書なし)……今後の我国における健全な民主主義の成長を阻害し,ひいては再び独裁政治の台頭をもたらすおそれのあることが深く憂慮される。

 丸山真男(東京大学法学部教授)……こうした治安立法の弊害は,けっして単に具体的な適用にさいしての人権侵害にのみあるのではない。むしろこうした法の存在じたいが一般社会にかもしだすふんい気のほうが,はるかに重大なのである。

 江橋活郎(弁護士)……本法案は,独り文化人のこぞって反対するところのみならず,国民大衆の世論を刺激し,その影響するところ実に重大なるものがある。いやしくも学問の独立・思想の自由に影響を与えるがごとき立法は,すべからくこれを廃棄すべきが当然であると信じる。

 ロンドン・タイムス紙(イギリス)……破防法に反対している人々は,この法案をひとつの里程標として,今後さらに市民的自由権と憲法で保護された権利を脅かすような政策が,つぎつぎに実施されるかもしれないと考えて反対しているのである。

 公安調査庁の調査第1部第1課は「日本共産党」を担当している。公安調査庁は,敗戦後の民主化政策のもとに,国家に公認されているりっぱな政党を,破防法,いわば旧治安維持法のような法律の,取締り対象としてきたのである。在日本朝鮮人総聯合会は,祖国を朝鮮民主主義人民共和国とし,この国を公式に支持する民族団体である。すなわち日本政府当局は,朝鮮聯連を二重の意味あいで敵性視し,目の仇のようにとりあつかっている。歴史的な表現をするならば,「不逞鮮人」プラス「アカ」の民族的集団が朝鮮聯連であるから,当然これを治安上の取締り対象にするというのである。
 
 A 朝鮮人学校問題は,その延長線上において治安的にのみとらえられ,それも多くの日本人は騒動をおこすけしからん朝鮮人どもとみる状況であった注24)

 だから,朝鮮聯連の代弁者からすれば,こういう反論が出てくる。

 戦前,日本帝国主義は在日朝鮮人の思想動向を「治安維持法」で取り締まった。戦後の日本政府はその再版ともいうべき「破壊活動防止法」を制定・利用して,在日朝鮮人の思想はもとより,すべての活動を監視,抑圧している。教科書問題にみられる過去の朝鮮侵略,植民地支配を合理化,美化する動きは,たんに言葉のうえだけでなく,具体的行為をもって実践され,戦前の罪悪は現実にひきつづき拡大再生産されているのである注25)

 日本政府文部省の,朝鮮学校に対する抑圧的かつ弾圧的な教育行政は,以上の歴史的経緯をもとに考える必要がある。ひとつは,敗戦後の世界情勢において醸成された東西冷戦の対立構造の造成を背景に,社会主義国家体制にある国家を警戒し,敵視するという日本政府の態度であり,もうひとつは,戦前から連綿とつづく韓国・朝鮮,おしなべていえばアジアに対する,骨がらみの蔑視の態度である。
 
 B 旧日本帝国主義と朝鮮との関係をすこし考えてみよう。

 戦前の歴史は,朝鮮民族にとって耐えがたい屈辱の歴史であり,また暗黒の歴史であった。とくに1937(昭和12)年7月の日中戦争勃発後は,日本臣民の名のもとで戦争協力を強制され,多くの人命と朝鮮の国土が破壊された。在日朝鮮人はもちろんのこと,朝鮮植民地の住民までが強制的に「日本国民」とされた。その結果,朝鮮民族にとっては,朝鮮解放の歴史的な日であるべき日本敗戦の日が,そのようにはならず,連合国によって独立国の民族としては認められず,サンフランシスコ講和条約発効の日までは日本国民とされたのである。
 
 一方,敗戦後の日本がとった在日朝鮮人に対するとりあつかいは,1945(昭和20)年12月の国会において「朝鮮人の選挙権は当分の間これを停止する」と定め,さらに1947年(昭和22)年5月の「外国人登録令」ならびに,1951(昭和26)年10月の「出入国管理令」においても,「朝鮮人は当分の間,外国人と見なす」と定めた。

 そして,1952(昭和27)年4月の講和条約発効の日,いわゆる日本の独立が回復すると同時に,連合軍民事局長からの通達「平和条約の発効に伴う朝鮮人,台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」を楯にとり,過去の歴史的経緯をいっさい無視するかのように,一方的に日本国籍を喪失させたのである。また,それまでの「外国人登録令」を「外国人登録法」にあらため,その内容も,その後の改正によって,指紋押捺や罰則などが定められている。

 在日朝鮮人に対する,以上のような日本政府によるとりあつかいが,はたして,正当なものといえるであろうか注26)

 いわば,在日朝鮮人の戦後処理は,正式にはまだなにも終わっていない。それどころか,戦前・戦中体制よりも悪くなった状態を,今日まで引きずってきているのである。日本国民ではなくなったという一方的な処置によって,在日朝鮮人の参政権を奪ったことは,その証左である。日本政府文部省が,在日韓国・朝鮮人の民族教育を認めず,あまつさえこれを妨害し,抑圧してきた歴史は,まさに旧日帝時代の終焉を飛びこえて,そのまま今日までなんらかわりなく連続されているのである。

 いまの時代に,それこそ時代錯誤の他民族に対するを平気の平左でおこなう神経は尋常ではない。南アフリカのアパルトヘイトはひとまず廃止されたが,日本は〈静かなるアパルトヘイト〉をあいかわらず継続している。
 


 
  注21) 宮岡 悠『公安調査庁の暴走』現代新書,1996年,136-137頁。
 注22) 浅野健一『メディア・ファシズムの時代』明石書店,1996年,126-127頁。
  注23) 社会タイムス編『破防法はこう使われる』社会タイムス社,昭和27年,42頁,62頁,44頁,58頁,71頁。
  注24) 佐野道夫『近代日本の教育と朝鮮』社会評論社,1993年,149頁。
  注25) 柳 大遠『差別と監視の中で―抑圧される在日朝鮮人の人権―』現代史出版会,1982年〔はしがき〕1-2頁。
  注26) 仲田 直『人権思想の歴史と現代』阿吽社,1990年,153-155頁。

 

 2)日本人と外国人

 @ ところで,最近は,いわゆる日本人の範疇に属するとされる人々でも,いったいこれが日本人の範疇にはいるのかと疑いたくなるような人々まで,そのなかにふくまれれうようになっている。

 ジャマイカ生まれの父親と日本人の母親から生まれた,陸上の女性選手《金沢イボン》は,ほとんど日本語もできず〔2歳のとき渡米〕,肌の色も顔つきも黒人に分類されるような見目形であるが,母方の日本国籍をもつためか,陸上選手として有望な彼女は「大和撫子」とマスコミで称される時代である。それならば,在日韓国・朝鮮人2世,3世,4世の子孫で女子は,みんな,生粋の「ヤマトナデシコ」になることうけあいである。このことばは,かつて朝鮮民族の女性に対しても,むりやりつかわれたことがあった。

 いまや,日系南米人2世・3世,その配偶者である白人系外国人,および南米先住民系の人々まで,日本人となってこの国で一緒に暮していく時代である。中国残留孤児と称された人々とその家族は,正式に日本国籍を与えられているが,彼らは,在日の韓国・朝鮮人2世,3世,4世よりもずっと,「外国人であるかのようなていど」が高い。戦争中に在比日本人とフィリピン人とのあいだに生まれた混血児も,最近日本国籍をとれるようになった。彼らが,在日の韓国・朝鮮人2世,3世,4世よりも日本人らしいかと問われれば,明らかに否である。

 A 福田安則『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティー』(1993年)は,〈「日本人」から「非日本人」までの類型枠組〉を作製している注27)

 次表において,類型1は「純粋な日本人」,類型2は「日系1世」など,類型3は「海外成長日本人」,類型4は「帰化者」,類型5は「日系3世」「中国残留孤児」,類型6は「民族教育をうけていない〈在日韓国・朝鮮人〉の若者たち」,類型7「アイヌ民族」,類型8「“純粋な非日本人“としての〈外国人〉」である。
 


 
「日本人」から「非日本人」までの類型枠組
類型 =判断基準となる属性=
血統   日本民族の血をひいているか
文化   日本文化を内面化しているか
国籍   日本国籍を保有しているか
  出所)福岡安則『在日韓国・朝鮮人』中央公論社,1993年,5頁。

 

 a)「日本人と非日本人という観念」は,境界のはっきりした2項対立をなすものではなく,ひとつのスペクトル的連続体をなしている。b)「血統」「文化」「国籍」の3要素のうち,「血統」イメージの優位性がうかがえる。c)日本社会は,「単一民族社会」だとか「単一文化社会」だなどとはとてもいえない。

 日本は同質的社会だといいはるとき,それは,日本社会が多数派(マジョリティ)にとっての異質な存在に対して,きわめて許容度のひくい社会だということを言明している。その言説は「日本は同質的社会であるべきだ」という価値観と組になっている。「事実認識」のよそおいをもって「価値判断」が語られるとき,無意識裡の不寛容が働きやすい。ここに問題がある。

 日本社会の“正当な”構成員は日本人であり,非日本人はお情けでおいてやっているのだというかたちで,非日本人から日本社会の構成員としての資格を略奪していく。かくして,観念世界においては,日本は「単一民族社会」だという神話が,いつまでも生きつづけるのである。

 B 以上の福岡の見解に関連して,杉本良夫は,「日本人」という概念は,国籍・言語・血統・出生地・居住地といった次元だけでは,なかなかつかみきれない。おそらく,答えはないというのが正解だ,と述べている注28)

 杉本は,福岡のものと似た「さまざまな〈日本人〉のタイプ」という類型枠組を作製している。次表を参照しよう。
 


 
さまざまな「日本人」のタイプ
国 籍
血 統
 日本語能力  出生地   居住地 日本文化理解能力

=具体的事例=

 いわゆる「われわれ日本人」(在日・日本人〉
 在日韓国・朝鮮人の多く
 日本企業の海外駐在員
 アイヌ民族,日本国籍に帰化した人々
 日本国籍を放棄した移民1世
−/+
+/−
+/−
 海外移住者の子供たち
−/+
 日本国内の「外国人労働者」
−/+
 日本在住の日系南米人3世
 海外帰国子女の1部
 海外在住の子女の1部
+/−
+/−
 日本在住の国際結婚の子供たち
 日本語を使えない海外の日系2・3世
 日本生れ日本育ちで帰国した外国人
−/+
 外国人の日本研究者
  出所)濱口恵俊編著『日本文化は異質か』日本放送出版協会,1996年,〔杉本良夫〕270頁。  「南米人」は,原表ではブラジル人。?は,どのタイプが日本のことをよくしっているか,あるいは日本人らしいか一概にいえない,という意味の記号である。

 

 ちなみに,同じ日本人だとされている中国残留日本人帰国者や日系南米人は,日本においては,「国籍」「血統」が同じであっても,「言語」「出生地」「文化」などの違いをもって完全に差別〔仲間はずれに〕されている。海外帰国子女たちも,同じ日本人でありながら,いつのまにか「日本人」らしくなくなった同国人として,「いじめ」の対象にすらなっていた。

 同じ日本という地に生まれ,日本の教育をうけて日本語もよくでき,日本文化もよくしっている在日韓国・朝鮮人の2世・3世・4世を,いまだ「日本人」〔国籍と血統が同じ〕ではないゆえをもって差別待遇する,それだけかと思っていた,とんでもない(?)ことに,この国の人々は自国籍人であっても,〈異質〉な人間に偏見を抱き,差別するのである。この国は,「異質」なものすべてとの,対等な交際・交流を拒否したいかのようである。

 この国では,日本人自身の同胞である帰国子女が,「その英語能力のうえに差別をうける」のである。この国における差別の構造は,日本人対外国人のあいだで発生する部分と日本人対日本人のあいだで発生する部分とが,あたかも同心円状に組みあわされているようである。
現代教育のありかたを一部とするところの,日本社会の異質なるものへの非寛容性が,その骨格をなしていることはまちがいない。

 とりわけ,「在日韓国・朝鮮人に対する差別はその典型的なばあいである」。それをささえている感情は,異物が混入することのきわめてすくない,「単一民族社会」と称する半径のなかだけで通用する,安堵感と優越感である。そこに生まれるのは「内弁慶型の対外強がり」であったり,意味のない傲慢さであったりする注29)

 B イギリス人男性と結婚した日本人女性は,「私たちも夫婦間の国籍がちがうということで,お役所では随分といやな思いをしてきた。住民登録〔外国人登録のこと〕をするのに指紋を採られたり,入国管理局からは抜き打ちの家庭訪問のための地図の提出を迫られたり,まるで〔夫は〕犯罪者あつかいだ」と,憤懣やるかたない思いを新聞の投書欄に書いていた注30)

 外国人を配偶者にもつと,日本人であっても,このような目にあうのである。日本政府の,文部省にかぎらず関係官庁の役人たちは,日本国籍でない人間,およびこれとなんらかの関係をもつ人間には,なにかといじわるをする性質をもっている。

 教育関係でみると,日本にくる留学生,とくにアジア方面からくる彼らの,日本に対してもつ印象は,いたって悪い。なぜか。日本社会においては,アジア人差別が留学生にまでまんえんしているからである。

 日本政府の留学生「十万人計画」から10年以上が経過したいまも,アジア人留学生に対する若い日本人の排他的な体質はあまりかわっていない注31)

 ○○大学社会学科研究所の教授たちは,白人の客員教授とは仲良くしたがるが,アジア系の客員教授にはすこぶる冷淡な態度で,なかなか付きあってくれないそうである。

 こうした問題は,在日韓国・朝鮮人子弟の民族教育に対する,日本政府文部省の抑圧的な姿勢と無縁ではない。
 


 
  注27) 福岡安則『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティー』中央公論社,1993年,2頁,以下参照。
  注28) 濱口恵俊編著『日本文化は異質か』日本放送協会,1996年,〔杉本良夫〕89頁。
  注29) 宮智宗七『帰国子女』中央公論社,1990年,14頁,99頁,142頁,179頁,181頁,209頁。
  注30) 『朝日新聞』1996年7月11日「声」欄より。〔 〕内補足は筆者。
  注31) 栖原 暁『アジア人留学生の壁』日本放送出版協会,1996年,198頁。

 

 3)日本人の由来

 @ 日本をよくも悪くも代表する知識人,津田左右吉や和辻哲郎の論調は,戦後の象徴天皇制の論理を凝縮したものと解釈されるが,彼らのように,武力でなく文化に依拠した天皇を描こうとするならば,日本に異民族がいてはならなかった。それは,国民の内部に異質な者がいることを許さない構想であった注32)

 日本政府および文部省の文教政策は,明治以来,一般庶民をそのように飼育し,その根幹となる〈単一民族神話〉をいだかせていてきた。しかし,この神話はあくまで神話であって,日本の歴史における社会の様相を,事実に即して観察したものではない。

 日本人集団は,絶え間ない民族移動のひとコマとして形成されたのであって,けっして神代の昔から,単一な民族を維持してきたのではない。日本人は〈混合民族〉というべきである。そのもっとも簡単なモデルとして,在来系「東南アジア系」と渡来系「北アジア系」のふたつの集団の〈二重構造〉が考えられる。

 弥生時代以後,日本にはいってきた渡来人は,いままで想像されていたよりもはるかに多く,土着の縄文系集団に与えた影響は,きわめて強かったと考えざるをえない。渡来人の影響は無視できるていどといっていたかつての説は,日本人単一民族性の文脈で考えられた想像〔または願望?〕にすぎなかったともいえる。日本人単一民族説は,先入観にとらわれ,日本人を一種の特殊な集団としてみる立場であって,人類進化のダイナミズムという視点が欠落している。実は人種主義は,もともと先入観の産物であり,あの悪魔的なナチズム〔「劣等」人種は抹殺!〕はそのひとつの典型にほかならない注33)

 A 日本のある財界人は,こういわねばならなくなっている。

 では,教育をどう変えていけばいいのか。……重視したいのは異文化,あるいは違った価値観を認める教育だ。現在の教育は価値観を同じにして,異分子を排除しようとする。だが,ホモジーニアス(同質)な組織では多様な発想が生まれずいずれ行き詰まる。色々な文化が融合していくほうが組織としては健全だろう注34)

 この発言は,他民族の存在を意識していわれているものではない。自民族内においてであっても,多様性を認めようではないか。とくに教育の現場において,価値観の多様性を認めよ,といっている。財界人の発想であるから,自社にとって有用な人的資源の輩出を願っての発言であることを割り引いても,まっとうな意見である。
 


 
  注32) 小熊英二『単一民族神話の起源』新曜社,1995年,345頁。
  注33) 植原和郎『日本人の成り立ち』人文書院,1995年,212頁,245頁,277頁,298-299頁。
  注34) 飯田 亮「私の意見:異文化認める教育を」『日本経済新聞社』1996年6月17日。

 

 4)国民総背番号制と外国人登録制度

 @ 1996年3月,自治省は,全国民に十桁の番号をつけ,氏名・住所・性別・生年月日の4つ情報を,専用回線でむすんだ全国ネットワークのコンピュータ・システムで管理するという構想を発表した。これは,市町村にある住民基本台帳をもとに,全国民にもれなく番号をつけるという「国民背番号制」の構想である。

 『朝日新聞』1996年3月31日の社説は,この「住民基本台帳コード」と称される「総背番号制は賛成できない」と論説している。というのは,すべての個人情報を一元的に管理される危険を冒すよりも,複数の番号をもって暮らすほうを選びたいからだ,というのである。

 特別永住権をもっている定住外国人は,外国人登録制度をもって,氏名・住所・性別・生年月日のほかに,世帯主との関係・職業(勤務先とその住所)・出生地・旅券発行と上陸許可の年月日・在留資格・在留期限・写真・指紋(これは最近なくなり,そのかわりに署名を書きこむ:「一般」外国人はなお指紋である)などを記載した「外国人登録証明書」の常時携帯義務を,違反したばあいには罰則をくわえるという法制:脅迫のもとに課せられている。

 つまり,定住外国人のばあい,「〈完全なる〉国民総背番号制」をもって,日本社会のなかで,がんじがらめの監視体制のもとに拘束されている。だが,為政者は,日本人自身もこれに近い状況にもっていきたいとする第1歩が,上記の「住民基本台帳コード」という名の,日本国籍人むけの国民総背番号制「構想」である。

 官僚の本質は管理であるから,彼らの掌中で市民〔外国人〕の基本的人権は管理されはじめ,やがて絞め殺されることになる。破壊活動防止法の発動は,国権の名による〔日本人自身に対する〕人権破壊活動のはじまりとなり,全体主義が遠慮なく市民の戸口に姿を表わすことになる。このように敗戦を完成させた日本社会は,内にむかっても公然とした政治暴力の犯罪の再開を許しはじめている注35)

 しかも,破防法の適用検討を許した内閣総理大臣が,最近まで万年野党であった旧日本社会党首の村山富市であった事実は,絶望的である。「なんでも反対党」の日本社会党の使命:存在意義は,本当に終わってしまった。今日日本の政治状況は,健全な反体制勢力や迫力ある革新陣営をもたないゆえ,事態は深刻である。

 破防法が適用されたばあい,公安調査庁および警察庁は,オウム真理教規制の名目で,今後何十年間にもわたり,日本社会を1人ひとりの市民の内心にまで踏みこんで監視し,取り締まる権限を手に入れることになる。破防法発動がつくりだす社会は,いったいどんな社会か注36)

 A そうした日本社会のふんいきは,外国人「総背番号制」という焼き印を押され,外国人登録証明書を毎日もち歩かなければならない筆者のような人間には,よく実感できることがらである。このことは,わが身に歴史的にすりこまれ,精神的な傷碍となっている。

 旧日帝の植民地政策は,日本人への「同化」を虚構しつつ,実質的には異民族という名のもとに「罪人」化し,集団や組織のどん底に押しこむことで,異民族を最大限に利用したのである。そこで,包摂されながら排斥されるとき,あるいは排斥されながら包摂されるとき,人はその両方の力を全身にうけて,まさに身をさかれる葛藤のなかで強い抑圧を意識する注37)

 現在までの,日本文部省の対韓国・朝鮮人系の民族学校に対する抑圧政策は,まさに罪人視している異民族に差しむけた,排斥と包摂による葛藤をことさらに助長するものである。

 国家的規模の次元において《教育》政策をつかさどっている官庁=文部省の役割は,いったいどこにあるのか。
 


 
  注35) 梶村太一郎「日本は〈敗戦〉を完成させた」『世界』1996年6月,33頁。〔 〕内補足は筆者。
  注36)  子田中聰樹「破防法は発動されるか」『世界』1996年9月,198頁。
  注37) 真庭充幸『日本的集団の社会学』河出書房新社,1990年,85頁,42頁。

 

 5)日本における教育差別と民主主義の価値観

 @ このように日本的抑圧社会の本質は,在日韓国・朝鮮人の人権問題のみならず,そのほかの在日外国人をふくめ,日本人自身の人権の内部にむけてもその毒牙を差しむけてきたのである。定住外国人の民族教育問題は,日本人自身の内部にある問題とも,広く深く関連している事実を忘却してはならない。日本の学校における「いじめ」の問題と在日外国人の教育問題は,あきらかに通底しているからである。

 この国は過去に,多様な価値観をただひとつの価値観によって駆逐した事実をしめしていた。自由で民主主義的な社会というのは,多様な価値観を認めあう社会なのだという,いたって常識的なことを意味している注38)。ものごとの白黒をはっきりさせず,まあまあというあいまいな態度でその場を穏便にとり繕いすませてしまおうという態度は,日本社会では通用するとしても世界ではけっして通用するものではなく,また根本的な問題解決にもならない注39)

 マスコミ関係者のなかには,警察もふくめた行政当局が,在日外国人や被差別部落の住民らに差別的あつかいをしているかどうか監視すべきだという声も出ている注40)。官民,内外人を問わず,この国においては,強者が弱者をいじめ蹂躙するようなとき,これを防止し,歯止めとなるような自主的監視機関〔市民オンブズマン制度〕が,まだまだ整備されていない。その意味で,敗戦後の日本が,外部勢力に強制的な導入・指導をうけた「民主化」政策は,なお括弧づきのものであると留保しなければならない。こういうことである。

 A 敗戦後の占領期にパージを経験した日本人は,18世紀末期のフランス革命における国民運動のような「下からの民主主義」ではなく,むしろ権威主義的な「上からの民主主義」を体得したことにより,曖昧な民主主義を出発させることとなった。戦後史はここにひとつの矛盾を内包したといえる注41)

 『経済白書』昭和31年版は,昭和30年をくぎりにして「もはや戦後ではない」という名文句をのこしたが,日本の教育のほうの実態は「いまだ戦前・戦中なのである」。「百年の計」をもっておこなうものが教育だといわれる。至言である !?

 G.W.オルポート『偏見の心理』(1961年)は,こういう注42)
 


 

  a) 差別とは,個人あるいは集団に対して,その人たちの望んでいる平等な待遇を拒否したばあいのみ起こるものである。

  b) 一方には法律と良心があり,他方には慣習と偏見とがあるというはっきりした葛藤が存在するばあいは,差別は主として潜在的で間接的なしかたでおこなわれ,当惑をもたらすような対面状況においては,元来,差別はおこなわれない。

 

 a)の「差別」は,日本政府が国家単位で在日外国人におこなっている事態を意味し,b)の「葛藤」は,地方自治体が,その現場において定住外国人に対面するなかで,苦悩しながらも差別を解消すべく努力している状況を表わしている。

 b)のばあいであっても,

 b)‐1) 在日の外国人「住民」に理解のない地方自治体にあっては,差別は主として潜在的で間接的なしかたで,意識的・無意識的になお根強く存在しており,

 b)‐2) 理解のある地方自治体では,国家の行政指導と定住外国人に対する行政サービスとの関係において,当惑・矛盾が生じるような状況を数多く体験するという苦悩を経て,彼らに差別をおこなわないような地方行政を形成しつつある。

 日本では,国の消極的姿勢もあって,外国人問題の実現を正しく把握し,問題解決にいちばん近い位置にいるのはむしろ地域自治体・社会のほうである注43)

 a)とb)‐1)の実例についてはふれてきたので,b)‐2)「地方自治体」行政の実例をつぎに紹介しておく注44)
 


 
神奈川県が外国人学校への補助を拡充した理由」 ……1条校に類似した教育を実施している。施設や教員の配置状況が,各種学校の配置基準をはるかに超える規模である。県が推進している「内なる民際外交」の視点を考慮した。
「奈良県が朝鮮学校改築を助成した理由」 ……日本の義務教育に準じる教育をおこなっている外国人子弟に対しても,広く教育の機会の確保をはかる。国際化の進展のなかで,日本社会において民族の伝統と文化を保持したいという考えかたを尊重する。日本語も教えており,日本の社会,文化も教科のなかに位置づけられている。
「滋賀県が朝鮮学校新校舎建設に補助金を計上した理由」 ……日本の学校教育に準ずる教育をおこなっている。国際化時代にあって,民族・国籍を超えて教育の機会均等を確保していく必要がある。
「兵庫県芦屋市教育委員会が朝鮮高級学校生徒への市の奨学金給付を認めた理由」 ……カリキュラムが,文部省の定めた高校の設置基準にほぼ合致している。公・私立大学の多くは,民族学校卒業生に受験資格を認めている。同じ在日朝鮮人生徒で,市立芦屋高校に通えば受給資格があり,民族学校だと資格がないのでは矛盾する。

 

 B 現在日本における差別の問題状況は,在日の定住外国人に対する差別をなくしていこうとする,主に都市部の地方自治体を中心とした行政の努力と,かたくなに「国籍による差別」を至上命題とする日本政府がわ,たとえば文部省・法務省・自治省の反動的行政との闘いになっている。

 ところで最近,日本文部省は,フランスの大学入学資格:バカロレアの取得者に「日本の大学受験資格」を認める意向を表明したけれども,それではたとえば,韓国の教育部〔日本の文部省にあたる官庁〕が同様な資格をつくって,日本にある韓国系の民族学校高等部でそのような資格を認めたならば,これをもって「日本の大学受験資格」として認めるであろうか。

 その後,日本文部省は,1997年度大学入試から正式に,フランスの「バカロレア」取得者に,大学入学資格を与えることを決めた。したがって,これまで各種学校あつかいで入学資格のなかった日本国内のフランス人学校の卒業生も,バカロレアを取得すれば,日本の大学に受験が可能になった。このような認定処置は,1996年度の「アビトゥア」(ドイツ)についで2件めとなる注45)

 つまり,フランス「バカロレア」の大学入試資格をもつ学生であれば,だれでも日本の大学を受験できることになったのである。けれども現実的には,日本にあるフランス系の〈民族〉学校の卒業生は,日本の教育体制に適応した「日本語」での受験勉強を十分しなければ,通常の進路で日本の大学に合格することはそうとうにむずかしい。あえてそんなことをしなくても,留学生として日本の大学にはいることがいくらでもできるし,すでになんらかの形式で,彼らに入学の便宜をはかっている国公立・私立学校も数多く存在する。フランス本国出身の学生も同様である。

 それゆえ,いままで日本国内において,とくべつ「バカロレア」の資格を問題にしていなかった日本文部省にしては,ずいぶん思いきった処置と思いきや,実際的にはそれほど役に立たない認定をおこなっただけのことなのである。フランス「バカロレア」取得者に対する日本の大学「入学資格」の認定は,対外むけの宣伝材料の域を出ないというのが実態である。いいかえれば,さほど該当する者のいない外国人学校の卒業生に,日本の大学「入学資格」をわざわざ認めたにとどまっている。

  C 問題は,学力的には一般の日本人学生とまったくかわらない水準を有し,実際に日本の大学を受験させれば,りっぱに合格する「実力:資格」の実例を過去にたくさんしめしてきた,在日韓国・朝鮮人および中国・台湾人の民族学校系高等学校卒業生に,いっさい〔とくに国立大学〕受験の機会を与えようとしてこなかった文部省の態度にある。

 今回の,文部省によるフランス「バカロレア」資格の認定は,大勢にはほとんど影響のない,それこそいわずもがなのことを,外部にむけて広報したにすぎない。もちろんそれも,やらないよりはやったほうがよいことである。だが,欧米先進諸国であるドイツ「アビトゥア」およびフランス「バカロレア」両資格の取得者に,まず最初に,日本の大学の「入学資格」を認定するという文部省当局のやり方は,最少の譲歩で最大の効果をえようとする,きわめて功利的で姑息な姿勢をのぞかせるものである。

 うがったみかたをすれば,こういえる。それは,永住外国人である韓国・朝鮮人たちの民族学校を主に,各種学校の認可しか与えられていない各国の在日教育関係機関,そして日本社会全般からの,文部省に対する要望あるいは批判に対して煙幕を張るものである,と。

 ところで,バカロレアとは,大学入学資格にもなる,フランスの後期中等教育修了を証明する国家試験のことである。しかし外交論的に考え,相互主義で判断すると,日本には相当する制度がない外国の「国家試験」を根拠に,日本の大学「入学資格」を認めるという基準はおかしい。当然,相互主義の原則に反するからである。

 日本の高等教育をうけた学生たちは,ドイツのアビトゥアやフランスのバカロレアに相当する資格をもっていなければ,その国の大学に入学資格がないというのではない。日本の学生のばあい,日本の高等学校まで就学年数を積んで卒業していれば,ほとんど外国の大学「入学資格」を認められている。

 一般に,日本の高等学校を卒業した〔日本人〕学生は,日本にある外国人学校の卒業生がうけるような,「1条校ではないからダメ」というのと同様なりくつをもって,外国の大学において「入学資格」を認められない,ということはない。ましてそこで,自国での教育修了に関する「国家試験」の資格などを問われることは普通ないし,もともとこれに当たる制度も日本にはない。

 フランスの「バカロレア」〔およびドイツの「アビトゥア」〕にかぎって,日本の大学「入学資格」を認定するという文部省の態度は,一見合理的のようにも感じられる。だが,在日外国人系民族学校の高等学校卒業生に対する文部省のいままでの硬直した姿勢は,なにもかわっていない。

 なぜならば,今回の「バカロレア」などに対する日本の大学「入学資格」認定は,ごく少数派の〔在日?〕ヨーロッパ系高等学校の卒業生に固有である〈修了資格〉を根拠にしたものであって,問題点の中枢でありその大部分を占める,在日韓国・朝鮮人系および中国・台湾人系の民族学校の高等学校卒業生に対しては,日本の大学への入学機会「拒絶」をさらに合理化し,いっそうかたくなに締めだそうとする,その実においてはきわめて非合理的な画策でしかない。

 文部省のやりかたは,在日する異民族への教育差別を固定化し,なおかつ新しい参入障壁をそこにわざわざつけくわえて,従来の排除政策を論拠づけようとする遠まわしの策略であり,まさに狡猾な,まやかし的な頭脳作戦である。それは,民族差別を正当化するための便法であり,反人権的・非人道的な精神構造を表徴している。

 そんなことをしなくも,各国間では就学年数を判断基準につかって,大学入学資格を認めあっているのであるから,特定の外国にしかない卒業・修了に関する資格をあえて認定することによって,日本の大学「入学資格」を与えるというのは,潜在的になにやら意図的な作為を推測させるものである。

 先進諸国のなかでもなにゆえか,日本の大学だけが,とくに文部省の管轄規制をうけている国立大学を中心に,外国人学校系の高等学校卒業生,それも主に韓国・朝鮮人系学校の卒業生に対して,きびしく排除する姿勢を堅持している。そのついでに,これに巻きこまれた欧米諸国のうち,とくにドイツとフランスの高等学校卒業生にかぎり,両国における高等学校の卒業「修了試験」に着目し,これを利用して除外措置を採ったというわけである。

 D  いずれにせよ,韓国・朝鮮系民族むけに〈特別に仕立てられた排除の論理〉のなかにひめられているぬきがたい偏見の心理と差別の心情は,度しがたいほど狭量であり偏屈である。

 旧日本軍,すなわちかつて皇軍兵士であった体験を有する在日韓国人職者の田 駿は,こういっていた。

 日本社会……〔は〕在日韓国人を正当な立場で見ていない。このような大きな偏見には,潜在的な蔑視観があって,それから排斥の感覚が生まれ〔る〕。……なぜ,このように日本人の気持ちが在日韓国人に対する場合に限って,気が狭窄状態になり,うつの心境になるのだろうか。

 西欧やアメリカ人に対しては誠に善良で誠実な日本人として対応するが,一度この皇国史観の標的だった地域の人に対しては,がらりと態度を変え,傲慢になるのである。この傲慢を表に表わさず,内なる心に秘めると,それがいじのわるい差別やいじめになるといった構図なのである。元はなんといってもこの皇国史観になる。

 在日韓国人の問題は……新しい日本の民主主義の原点に置き去られた問題であり,この解決を間違えると,それこそボタンのかけ違いのような現象が起こりかねない注46)

 教科書検定問題の関係で,文部省官僚による厚顔無恥な嘘を「謝らせた」暉峻淑子(元埼玉大学教授)は,こういっていた。

 私に対する4年間の文部省の横柄な態度は反道徳的,非人間的の一言につきていた。
  
 子供の教育を預かっている省であることを考えると背すじが寒くなる思いがする注47)

 文部省は,日本の教育制度における深刻な社会問題の解決に対処しなければならない官庁であるが,みずから,困難な教育問題を制度的につくりだしている組織でもある。そのことは,文部省が,少数派=定住在日韓国・朝鮮人の教育を抑圧し,差別してきた歴史において,また今日的には,解決をせまられている日本の現実的な教育諸問題に対する官僚的な態度において明白である。

 日本の文部省が関与している教育現場では,どのような人間が育っているか。進学競争は,子供たちにつぎのような資質を与えがちである。 

 権威的秩序に従属的で,受身の姿勢をとりやすくなる。与えられる課題を否応なしに能動的にこなしてゆかなければならないため,自己抑制的にもなる。またきわめて限定的な能力と個性が評価される画一的な課題に全力をあげて取組むことは,多くの生徒たちを没個性的で標準的な人間として形成してゆく。人とのサバイバル競争を通して自分の能力を高めてゆくことは,人との関わりあいと比較の中に位置づけをするわけで,主体的な人生観を持ちにくくする注48)

 こうした傾向を心配したある識者は,こう主張している。

 価値観が画一化されすぎると,その基準から外れることは人々に苦痛を与える。人々は基準に合わせた行動に努めることによって安心感を得る。逆に少数派の行き方をする人々は,社会から軽視されやすく,常に心理的なプレッシャーにさらされる。学校でのいじめ問題にも多数派による少数派の迫害という側面があるように思う。
 
 画一的な価値観を打破し,多様性を許容する社会を作りだすことがいまの日本に強く求められている。思い思いの生き方を抵抗なく追求してゆける許容力のある社会が実現することによって,初めて日本人は真の精神的な豊かさを得ることができる注49)

 E 「経済大国」となり,科学技術の進歩という点では高度な「近代化」をとげ,「大衆社会」状況および「価値の空白」状況が深化する一方で,この国の政治・経済・行政においては「人権」や「民主主義」という,西欧から輸入された近代的価値が血肉化されていないことを,思いしらされる事例にこと欠かない注50)

 このに国おいて,人道と正義のありかを的確にしめすことのできる日がくるまで,いったいどのくらい時間がかかるのか。アパルトヘイトの国だった南アフリカは,すでにそれを撤廃した。公式に非公式に,また陰に陽に,少数民族をいじめつづけるこの国日本は,いったいいつになったら「静かなるアパルトヘイト」を廃絶できるのだろうか。

 日系カナダ人に対する差別の歴史を論じてきた新保 満は,こう述べる。

 一つは人々が「人間はすべて平等なのだ」という固い信念をもち,自分より優れた者の前に出ても臆せず,なんらかの意味で「追いつく」過程にある者の前に出ても驕らぬようなバランスのとれた人間に自分をきたえることであろう。もう一つは,個人と個人との間に,また集団と集団との間に人間としての連帯感を育成し,政治を動かして少しずつ「差別」や「偏見」と闘ってゆくことであろう。いづれの道も長く険しいであろうが,この道を進むのが「人類の進歩」だと私は信じている注51)

 F 本稿は,「日本」という国家の底しれない差別構造,さらに民族的・文化的多様性を排除する「日本人」の共同意識とはなにか,という問いを突きつける作業でもあった注52)

 最後に,日本における部落差別を批判した文章を引用する。

 われわれがよい仕事をもたないのは,たまたま失業したからではなく,封建時代〔植民地時代から〕の身分差別のために,もともと基本的な生産関係から排除され,まともな仕事には,つけないようにされたからである。土地をもたないのは,もっていたのを手ばなしたとか,もつことができるのに,もたなかったのではなく,もつことを許されなかったからである。

 われわれに,土地もなく仕事もないのは,われわれが怠け者だったり,人なみの能力がないからではなく,最初から排除されていたからであり,親代々〔日帝時代から〕の失業であるということである。

 しかもこれは,昔の封建時代のことではなく,現在も本質は,かわらないということである注53)
           


 
  注38) 上羽 修『夢に駆けた―治安維持法下の青春』青木書店,1996年,258頁参照。
  注39) 李 起南『在日韓国人のアイデンティティ―日本人の内なる国際化』伊藤書店,1989年,63頁。
  注40) 浅野『メディア・ファシズムの時代』173頁。
  注41) 増田 弘『公職追放』東京大学出版会,1996年,305頁。
  注42) G.W.オルポート,原谷達夫・野村 昭共訳『偏見の心理』原著1961年,培風館,昭和43年,48頁,52頁。
  注43) 宮島 喬 ・梶田孝道編『外国人労働者から市民へ』有斐閣,1996年,はしがきA頁。
  注44) 朴『問われる朝鮮学校処遇』69-79頁。
  注45)  『日本経済新聞』1996年10月12日。
  注46) 田 駿『日韓の硲に生きて―戦後五十年在日韓国人の訴え―』自由社,1996年,76頁,77頁,156頁,46頁。〔 〕内補足は筆者。
  注47) 暉峻淑子「文部省が謝るまで」『世界』1996年9月,143頁。
  注48) 小磯彰夫『日本的経営の崩壊』三一書房,1996年,157頁。
  注49) 植草一秀「『多様性』許す風土を」『日本経済新聞社』1996年7月22日。
  注50) 小野清美著『テクノクラートの世界とナチズム―「近代超克のユートピア」―』ミネルヴァ書房,1996年,407-408頁。
  注51) 新保 満『石をもて追わるるごとく―日系カナダ人社会史』御茶の水書房,1996年,323頁。
  注52) 宮島利光『アイヌ民族と日本の歴史』三一書房,1996年,〔あとがき〕252頁。
  注53) 部落解放研究所編『企業と部落問題学習』解放出版社,1977年,174-175頁。〔 〕内補足は筆者。

 

 6)付 説

 総聯系の民族学校は「思想」の教育をしている。こうした思想教育からは,「民主主義民族教育」の民主主義に当たるものを引きだすことはできない。世界の歴史を自分たちの歴史として主体的に学び,それをとおして現実の課題にとりくむ認識と能力を育てるのではなく,特定の主義を絶対化するところに歴史教育の目的をむけている。これは政治教化であって,歴史教育とはいえない注54)

 総聯系の民族学校は,日本政府の差別と抑圧をいちばん強くうけている教育機関である。しかしながら,政治的思想面においてかかえている上述のような内面的課題は,明確にしておかねばならない。だがこのことをもって,本稿における主張の価値がすこしも減価するものではない点を断っておきたい。
 


 
 注54) 磯村英一・一番ヶ瀬康子・原田伴彦編『講座差別と人権 第4巻 民族』雄山閣,昭和60年,148-151頁参照。

 

追記】その後,『朝日新聞』1996年11月18日夕刊〔大阪本社版〕は,つぎのような報道をしている。

 在日朝鮮人民族教育大阪府対策委員会(金 禎文委員長)は,18日,朝鮮高級学校の卒業生に国立学校の受験資格が認められていない問題で,受験資格などを求める20万人の署名を,大阪府の横山ノック知事に提出し,文部省に要望活動をするように要請した。  
 



◎ 関 連 リ ン ク 先 ◎

 ※ その後における変化〔1〕:2002年7月「文部科学省」の態度変更について

 
※ その後における変化〔2〕:2003年2月「文部科学省」の差別持続について

    ↑別ページへのリンク:本稿公表後に起きた関連問題を論及したもの
 

 


 ★ 1996月9月1日,脱稿(関東大震災から73年めの日)  ★ 1996月12月14日補筆 
 ★『大阪産業大学論集〈社会科学偏〉』第92号,1997年6月10日掲載
 ★ 2000年9月12日ホームページ用に改筆