醜怪な政治家群像
石原慎太郎・江藤 隆美・太田
誠一
鴻池
祥肇・福田 康夫・森 喜朗
(アイウエオ順:本文中は順不同)
2003年夏を迎え, 日本の政治家たちが口走る 発言・主張の下品・愚劣なこと, このうえない。
● そ の 1
● 2003年6月26日,自民党行政改革推進本部長の太田誠一衆院議員(福岡3区)が,鹿児島市内での公開討論会で,早大サークルの集団レイプ事件が話題になったさい「(集団レイプする人は)まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と発言した。 関係者や太田氏によると,討論会で少子化問題や残虐な青少年犯罪の増加などが問題となり,太田氏は「男性にプロポーズする勇気がない人が多くなっている」と発言した。 司会を務めた評論家の田原総一朗さんが「プロポーズできないから,集団レイプするのか」と問うと,太田氏は「まだ元気があるからいい。そんなことをいっちゃ怒られるけど」と話した。 公開討論会後,太田氏は毎日新聞の取材に「発言部分だけとらえれば,きわめて軽率な発言といわれてもしかたない。『レイプというのは重大な犯罪で,きびしく罰されなければならない』と付けくわえたかったが,話題がかわって口を挟めなかった。異性を求めるのならば,結婚相手を探すべきだ,といいたかった」と語った。 公開討論会は,全日本私立幼稚園連合会九州地区の主催で,会場には園児の父母ら約8百人がいた。 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/881864/91be93c90bd88ea-0-2.html
「太田誠一衆院議員:早大レイプ事件 自民党行政改革推進本部長の太田誠一衆院議員(福岡3区)が早大サークル集団レイプ事件に関して,「まだ元気があるからいい」などと発言した問題について,太田氏は2003年6月27日午前,同党本部で会見し,「まことに不適切で誇張した表現だった。被害者や多くの女性に不愉快な思いをさせ,深く反省しおわびしたい」と陳謝した。 太田氏は「ふだんから交流のある会合で誇張した表現をつかってしまった」と釈明した。 この後,太田氏は山崎拓幹事長に会って事情を説明した。山崎氏は「やりとりの中の発言とはいえ,軽率のそしりは免れない」と太田氏を厳重注意した。 ◎ 小泉首相は「批判は当然」。 小泉純一郎首相は2003年6月27日,首相官邸で太田氏の発言について,記者団の質問にこう答えた。「批判されるのは当然。強姦(ごうかん)は許されない卑劣な行為。『元気がある』とかべつの問題でしょ」と強い不快感をしめした。太田氏が自民党で行革担当の幹部であることについては,「なにの担当だって(同じだ)。わかんないね。なんであんな発言するのか」と述べた。 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/881864/91be93c90bd88ea-0-1.html
★筆者コメント……レイプ問題は,社会科学においてとくに,政治学・法律学・社会学・心理学などにおいて,あるいはまた歴史科学にかかわっても重要な研究課題である。ここでは,太田氏が仮りに,自分の娘や配偶者,妹,姪などが同じ被害にあったばあい,上段の発言と同じことをいうのかという疑問を呈しておけばよいだろう。
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そ の 2 ● 政府の青少年育成推進本部の副本部長を務める鴻池祥肇・防災担当相は2003年7月11日午前の閣議後の記者会見で,長崎市の少年による男児殺害事件に関連し,「厳しい罰則をつくるべきだ。(罪を犯した少年の)親は市中引きまわしのうえ打ち首にすればいい」などと発言した。 また,「(マスコミは被害者の)ひつぎの(傍らの)両親ばかり映し,犯罪者の親を映していない。14歳未満の子は犯罪者としてあつかわれないんだから,保護者である親,(学校の)担任,校長先生,全部前に出てくるべきだ」とも述べた。 さらに,「信賞必罰というか,勧善懲悪の思想が戦後教育のなかに欠落している」「沖縄も長崎も数年前の神戸も,親を出すべきだ。そうすれば親も子どもも今後,気をつける。道徳の規範がない日本国民になってしまったからしょうがない。それは縛らないと。親に自覚をもたせないと」などとも語った。 こうした発言について鴻池氏は7月11日昼,内閣府で記者団からあらためて真意を問われ,「コトバのあや。たとえ話です」としたうえで,「子供が罪にならなければ,親が顔をみせて社会におわびをすることぐらいはしないと。出てこなかったら,引きずり出すと僕はいっている」と述べた。 http://www.asahi.com/special/nagasaki/TKY200307110162.html
「鴻池担当相〈打ち首〉発言で陳謝,閣僚懇談会で」 鴻池祥肇構造改革特区担当相〔防災担当相も兼任〕は,2003年7月15日の閣僚懇談会で,長崎市の幼児誘拐殺人事件に関連して「親を市中引きまわしのうえ,打ち首に」と発言したことについて,「過激な発言で,皆様にご心配をかけ,お騒がせしたことをおわびする。今後,発言には十分注意する」と陳謝した。 閣僚懇で,福田康夫官房長官が青少年育成推進本部副本部長である鴻池氏に少年犯罪の関係省庁検討会議を設置するよう指示した。7月15日夕に第1回会議を開くことになった。 http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030715k0000e010051000c.html
★筆者コメント……鴻池祥肇国家議員〔大臣!〕の法感覚が疑われる。民主主義の基本理念を忘失したどころか,それとは無縁に聞こえる妄言である。 江戸時代に舞いもどったつもりになってか,平然と思いつき発言を放つ人物である。 「信賞必罰というか,勧善懲悪の思想が戦後教育のなかに欠落している」というよりも,戦後の民主主義教育の概念そのものを欠落させているのが,この大臣の頭の中身:痴性だろう。 つまり,この人は,21世紀に生ける化石的な,奇怪なる〈国会〉議員の1標本ということになる。
「鴻池防災相〈4少女,加害者か被害者かよくわからぬ〉」 鴻池防災相(青少年育成推進担当)は,2003年7月18日の衆院予算委員会で,東京・赤坂で起きた少女監禁事件について「4人の少女の話も,加害者であるのか,被害者であるのか,よくわからない状況だ」と述べた。 発言は直後に撤回したが,長崎市の幼児殺害事件での「加害者の親は市中引きまわし」発言につづく問題発言として,野党各党は批判している。民主党は不信任決議案提出の構えもみせている。 自由党の都築譲議員が「市中引きまわし」発言の真意をただしたのに対する答弁のなかで発言した。この後,藤井孝男予算委員長が鴻池氏に「もし訂正があるならこの場で」とうながしたところ,鴻池氏は「撤回させていただきます」と応じた。 鴻池氏は委員会後,記者団に「長崎の事件では少年が加害者になり,今回は被害者になったということをいいたかった。ことば足らずで誤解を招いた」と説明した。 小泉首相は同日夜,鴻池氏の発言について記者団に「口が滑ったのだろう。ことばじりをとらえてあげつらうのは感心しない」と擁護した。 一方,民主党の野田佳彦国対委員長は「大臣の資質に欠ける。当然,辞任すべきだ。不信任決議案の提出もありえる」と表明。社民党の福島瑞穂幹事長も「渋谷に出かけていくほうが悪い,男性に声をかけられてついていくほうが悪いという誤った意識が根底にある。人権侵害のなんたるかをわかっていない。大臣として不適格だ」と批判した。 与党内からも「慎重にやってほしい」(中川秀直・自民党国対委員長)との声が出ている。 http://www.asahi.com/politics/update/0718/008.html
★筆者コメント……鴻池氏,担当大臣を2つもやっているので,なにかいうときにはサービス精神を大いに発揮し,2倍分,モノをいわねばと思っているのではないか。大臣たる者,正式の委員会における発言は,いっそう慎重でなければならない。 小泉流「無責任解釈法」でとらえれば「口が滑ったのだろう」とかばうこともできようが,さきに放った発言が批判をうけ,その発言を当人が弁明する委員会の場で再び,同質の問題発言ということであれば,国会議員としての資質を疑われて当然である。 自民党内で《まわりもち大臣》になった国会議員はたびたび,今回のような「思慮に欠く軽率な発言」をしてきた。国際問題につながる妄言も多い。
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そ の 3 ● 2003年7月12日,自民党江藤・亀井派の江藤隆美会長は福井市内で開かれた党支部定期大会で講演し,不法滞在の外国人について,「どろぼうやら,人殺しやらばかりしているやつらで,いっぱい日本にはいる」と発言した。朝鮮半島の有事で,難民が船で日本海から上陸する事態に備えた治安維持の必要性を訴えるなかで言及した。 講演で江藤氏は,「新宿の歌舞伎町は第3国人が支配する無法地帯。最近は,中国や韓国やその他の国々の不法滞在者が群れをなして強盗をしている。そんな国がありますか」と述べた。 また,日中,日韓の過去の歴史問題について,「南京大虐殺(の犠牲者)が30万人などというのは,あれはでっちあげのうそっぱち」と語った。さらに1910年の日韓併合について,当時は国際連盟の発足前にもかかわらず,「両国が調印して国連が無条件で承認したものが,90年たったらどうして植民地支配になるのか」と語った。 江藤氏は,会場に報道機関の記者がいることをしった上でこれらの発言をつづけた。朝鮮半島問題にくわしい大阪市立大の朴 一(パク・イル)教授(日韓,日朝関係論)は,「故意に差別的表現を使うことで,不法滞在者のすべてが凶悪犯罪者という印象を与え,外国人への偏見をあおっている。しかも誤った歴史認識にもとづいている」と批判した。 江藤氏は総務庁長官だった1995年10月,植民地支配について「日本はいいこともした」と発言し,閣僚を辞任している。 一方,江藤氏は自民党総裁選にも触れ,「小泉総裁が再選されれば新幹線も高速道路もできなくなる。再選されたら(衆議院の)解散は10,11月。落選すれば年内解散はしない」と話した。 http://www.asahi.com/politics/update/0712/008.html
★筆者コメント……宮崎県選出のこの自民党長老議員の無教養・無識見ぶりは,変に感心するほど程度が悪い。「不法滞在の外国人」は「どろぼうやら,人殺しやらばかりしているやつらで,いっぱい日本にはいる」という。 だが,具体的に『警察白書』最新年版でも引用し,十分説得力のある証拠でもしめしながらの,そうした発言ならともかく,この調子でものをいったら,外国に旅行にいく日本人男性はみな,「買春」やら「麻薬」やらをヤリにいくやつらばかりで世界中がいっぱいだ」と敷衍していわねばならない。 なお,『警察白書』各年版は「来日」外国人犯罪を故意に過大に誇張する記述内容になっていることを注意しておきたい。 「新宿の歌舞伎町は第3国人が支配する無法地帯」だというが,最近の様子をしっての発言か? 監視カメラを設置し,これを管理〔支配〕しているのは,どこの誰か? 歌舞伎町では日本人が第3国人(?)に全面的に支配され〔仕切られ〕ているとでもいいたいのか。 だいたい,第3国人なるコトバの差別性をしってかしらぬか,いいたい放題のデタラメな妄言である。不法滞在の外国人もふくめ,日本に滞在する外国人はすべて「日本国にとっては第2国人」でしかない。それなのに,日本の敗戦に由来し,因縁のある差別語「第3国人」をわざとつかってアジるところなど,このご老人,お年のせいもあってか,ボケ症状も相当のレベルまで深まっている。 もうすぐ引退の意向もあると漏れ聞くこの国会議員,サッサと勇退されたほうがよろしい。 「南京大虐殺(の犠牲者)が30万人などというのは,あれはでっちあげのうそっぱち」と語っているが,南京大虐殺があったことは歴史的事実である。犠牲者の人数多寡に関する意見相違の問題をもって,この事件を否認する者〔もちろん日本人がほとんど〕がいないわけではない。 けれども,南京大虐殺という「日中戦争」中における事件〔1937年12月13日を否定しさる者は,「ヒロシマ・ナガサキの原爆投下」「日本全国各都市を無差別に絨毯爆撃したB29による空襲」の犠牲者数が正確に1名単位まで算定できないことをもって,それらはなかったというにひとしい錯誤にとらわれている。 1910年,旧日本大帝国による「韓国併合」をとらえて「両国が調印して国連が無条件で承認した」と語るにいたっては,まったく語るに落ちる話である。このオジイチャン,1920年に設立された国際連盟を10年若返らせる捏造をした。この人もしかすると,国際連盟と国際連合とのちがいをわかっているのかどうかも心配になってきた。 朴 一・大阪市大教授もいうように,「差別的表現を故意に使い」「不法滞在者のすべてが凶悪犯罪者と決めつけ」「外国人への偏見をあおる」「誤った歴史認識」の持ち主,江藤隆美は,例外的な性悪さ,度の過ぎた狂信さを取り柄とする人物である。 旧日本大帝国による植民地支配によって「日本はいいこともした」という絶対の自信があるなら,江藤隆美は自分の寿命がつきるまえに,アジア諸国を歴訪してまわり,「日本は悪いことをした」という無数の人びとに対決し,思う存分議論,彼らを論破するだけでなく,さらには自身の考えをもって折伏(しゃくぶく)もできるはずである。 要は,日本国の戦争責任を闇雲にかつ〈内弁慶〉的に否定しているが,「没論理‐反知性‐非常識的な」歴史ボケに原因(!?)する確信犯的侵略思想で,江藤隆美の頭のなかはいっぱいなのである。なんとも哀れな老人の姿が彷彿……。 世界の人びとが国境をまたがって相互に行き来しながら生活しているこの時代に,わざわざ他人の古傷,それも旧日帝がアジア諸国の民々に与えてきたそれに「塩を擦りこむ」ような妄言を飛ばすのは,いい加減にすべきである。 最近では日本人自身のなかに,江藤隆美のごとき発言によって精神の歪曲‐損傷をうける,すなわち「彼を支持したがる」庶民も登場してきている。日本の社会状況が全般的に諸困難を増しつつある傾向と無関係とはいえない現象である。
「福田官房長官は論評避ける 江藤氏発言」 福田康夫官房長官は2003年7月14日午前の記者会見で,自民党江藤・亀井派の江藤隆美会長が日韓併合や南京大虐殺などについて語った発言について,「国会議員が方々でする発言に対して,(政府の)私の方からいちいちどうのこうのというのはない」と述べ,具体的な論評を避けた。 自民党の太田誠一衆院議員のレイプ関連発言や鴻池防災担当相の「市中引きまわし」発言など,このところあいつぐ国会議員の問題発言についても,福田長官は「私のほうから評価するようなことをいう必要はない。(発言した)本人に聞くべきだ。国会議員の発言に(政府が)すべて責任を負わなければいけないかどうか。どう評価するかは国民が決めることだ」と語った。 さらに,日韓併合や南京大虐殺に関する日本政府の見解をあらためてしめす必要性についても,「(発言の)なにが問題なのか,私も中身がわからない。もし正確な発言があるなら,それをおしめしいただいたうえで申し上げたい」と述べた。 (07/14 12:11) http://www.asahi.com/politics/update/0714/003.html
★筆者コメント……「国会議員の発言に対していちいち,私から具体的な論評はできない」と述べた福田官房長官は,そうすると,政治家がどれほど政治的・道義的・倫理的に問題がある可能性の発言を放ったときでも,いちいち「公の立場:官房長官」から論評はしない・できない,といったことになる。 この政府「最高幹部の発言」は聞き捨てならないものである。わかりやすくいえば,反対に外国で日本に対する同様な〈問題発言〉が投じられたばあいでも,たとえば「日本に原爆2個が投下されたことはとても善かったことだ」といわれたりしても,なんら有効な反論もせずまともな批判もかえさないで済ますことになるわけである。 「どう評価するかは国民が決める」ことだとすれば,政府当局者は不在であるにひとしく,無用の飾り人形にしかならないのではないか? 国民が国会に送った選良たちの構成する議会,そして執権党政府の役割をなんと心得るのか? 官房長官にしては,ずいぶん不可解・非条理な見解を吐いていることに気づいていない。 また,福田官房長官は,つぎの囲み記事のような発言をしたと報道されてもいる。
福田官房長官は,「日韓併合や南京大虐殺に関する日本政府の見解をあらためてしめす必要性について」「(江藤隆美らの発言の)なにが問題なのか,私も中身がわからない」が,それら歴史的出来事について「もし正確な発言があるなら……」などと答えて,ズル賢くも,オトボケの論評を与えている。 だが,そういう姿勢こそ,日本国がわがアジア諸国とのあいだで繰りかえし深刻な軋轢・摩擦を生んできた原因であった。 つぎの主張は,『朝日新聞』2003年7月16日朝刊「社説」である。全文を引用させてもらう。
江藤隆美氏の最近いちじるしい耄碌ぶりは,この著書『「真の悪役」が日本を救う』をもって自己証明されたといえる。あとは,なるべく早く,ご「勇退」を願うのみ……。むろん,そのあとも末永くお元気で,長生きされるよう祈念させていただく。 2003年8月6日,江藤隆美氏に関するつぎの新聞報道がなされた。年齢的にみて,あまりに当然の出処である。
ただし,いまでさえ「掃いて捨てるほど大勢,ワンサといる〔とくにろくでもないような〕2世議員」の誕生は,もういい加減,御免こうむりたい。この国の憲政史が実証してきたのは,2世‐3世議員にまともな〈選良〉がいなかったことである。そして,その弊害は,現在の日本政治にもあざやかに反映されている。 話を本論にもどそう。日本政府はすでに,アジア諸国に対しては過去の戦争・侵略に関する責任を,ある程度だが明確に認める正式の見解を披露してきたはずである。 だが,そんなことどこ吹く風と無視し,アジア蔑視の言辞を繰りかえし,帝国主義的残滓・残骸を後生大事に 振りまこうとする「懲りない面々」の厚かましさ,図々しさだけは,1級品だと褒めてよい。 −−さて,今回のような妄言の度重なる再発に遭遇して,アジア各国とくに東アジア諸国は再び,強い反撥をしめしている。 「南京大虐殺否定発言に中国外務省が批判コメント」 2003年7月13日,中国外務省の孔 泉(コン・チュワン)報道局長は自民党江藤・亀井派の江藤隆美会長が南京大虐殺を否定する発言をしたことについて, 「南京大虐殺は,日本の軍国主義が中国への侵略戦争中に犯した残虐な罪悪であり,動かぬ証拠がある。国際社会でも早くから定説となっている。歴史の事実を歪曲したり否定したりするいかなるたくらみも,その目的を達成することはできない」と批判するコメントを発表した。 国営通信・新華社も同日,日本国内の報道を引用するかたちで江藤氏の発言を伝えた。 http://www.asahi.com/international/update/0714/006.html
「江藤氏発言に韓国政府〈失望と嘆き〉:異例の論評発表」 2003年7月13日韓国外交通商省は,自民党江藤・亀井派の江藤隆美会長が,日韓併合について「どうして植民地支配になるのか」などと発言したことに対し,「与党,自民党の責任ある政治家が誤った歴史観をもとに時代逆行的な発言を繰りかえし,いつも問題となることに深く失望し,嘆きを禁じえない」とする論評を発表した。 韓国政府は,未来志向をうたった1998年の日韓共同宣言以後,政府要人の歴史認識発言以外には公式コメントを控えるケースが多かった。 だが,江藤氏は1995年にも,植民地時代に「日本はいいこともした」と発言していることに加え,盧 武鉉(ノ・ムヒョン)政権の支持基盤が弱いため,黙認すれば対政府批判につながりかねないとの判断もあったようだ。 外交通商省の論評は,「過去への正しい歴史認識なしには真の韓日関係発展がむずかしいという点を,もう一度強調したい」とした。 一方,韓国主要紙も7月14日付で「江藤元総務庁長官がまた妄言」などと報道。有力紙,東亜日報は江藤氏の発言を引用するかたちで,「韓国人不法滞在者は強盗,韓日併合は植民地支配ではない」との見出しをとり,「植民地支配を正当化し,日本にいる韓国や中国出身の不法滞在者を露骨に見下した妄言」などと伝えた。 http://www.asahi.com/international/update/0714/005.html
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そ の 4 ● 東京都の石原慎太郎知事は2003年6月13日の記者会見で,知事選の公約に掲げていたお台場地区での実験的なカジノについて「無理そうですね」と述べ,現行法内での大規模なカジノ実験を断念する意向を明らかにした。 石原知事は「既存の法律に触れない(カジノの)運営を考え,ずいぶん研究したが,かなり難しい」と発言。換金ができないということから「法改正をしない限りは,いくら豪華な施設を造っても刺激的なものにならないと思う」などと述べた。 石原知事は4月の知事選での公約に,新銀行設立などと並んで観光産業振興の目玉としてカジノ実験を挙げ,雇用促進や景気刺激策になるとアピールしていた。 東京都は大阪府や静岡県など他の自治体と連携してカジノ研究会を開催した。国に対しても「カジノ実現のための法整備」を要望しており,お台場での実験は断念するものの,カジノ実現に向けた模索は続けるとみられる。 http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2003061308318
「石原都知事:〈東京ドームで競輪復活〉方針 地元区長は反対」 東京都の石原慎太郎知事は,30年前に廃止した競輪事業を東京ドーム(文京区)で復活させる方針を2003年6月24日の定例都議会で明らかにした。地元文京区は「青少年への悪影響が予想される」と反対しているが,石原知事は「若者や女性が楽しめる競輪にする」と述べ,理解を求めていく。 都は7月にも調査チームをつくり,売上や収益みこみのほか,経済,雇用への波及効果について検討する。収益は,避難生活がつづく三宅島の復興資金や観光振興に充てる方向で関係機関と調整をすすめる。 現在,東京ドームとなっている旧後楽園競輪場では1949年から都が競輪事業をはじめた。1971年度は約383億円を売り上げ,約56億円の収益があった。しかし,1973年,当時の美濃部亮吉知事が「ギャンブルによる収益はつかわない」として廃止していた。 煙山 力(つとむ)・文京区長は6月24日,緊急記者会見し,「歴史と文化,教育の街にギャンブルはそぐわない」と反対を表明した。「早い時期に知事に会って,撤回を促したい」と述べた。 自転車競技法では,総務相の指定が必要な市町村と異なり,都道府県は許可がなくても地方財政の健全化を図るために競輪事業ができる。全国の競輪事業は不況の影響をうけ,2002年3月末には西宮,甲子園(いずれも兵庫県西宮市),門司(北九州市)の3カ所が閉鎖に追いこまれた。 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/881890/90ce8cb490T91be98Y-0-5.html
★筆者コメント……石原慎太郎君,「お台場地区カジノ」構想の実現が不可能となったらこんどは,「30年前に廃止した競輪事業を東京ドーム(文京区)で復活させる方針」だという。 政権末期の症状ではないが,石原都知事もそろそろ都政の末期的病状をしめしはじめたようである。 先日,NHKのラジオ放送で,関係の識者が石原都知事のこのギャンブル復活構想をきびしく批判していたのは,いまごろになって競輪事業を復活させる発想は愚行であるという点であった。 慎太郎君,競輪事業は,アナタの脳細胞のなかで短編小説1本を簡単に書くような仕事とは,全然ちがうのですよ。高度経済成長時代ならまだしも,この長期的低迷のなかで景気の沈滞がつづく時代に,なんでまたギャンブル事業なのか。これで金儲けができると思っているのか。 赤字になったら「アナタ,責任トレマスカ?」 そのときは,あなたのことだからまちがいなく,「こないお客のほうが悪い」「都民〔など〕はなにもわからん奴らばかりだ」などとむかっ腹をたてて,絶対,ヒト(他者)のせいにするんだろうね。 なお,煙山 力(つとむ)・東京都文京区長の反対意見については,煙山 力「東京ドーム競輪−容認できぬ都知事構想」『朝日新聞』2003年7月5日朝刊も参照したい。 煙山区長は,石原もいうとおり「その選択がその後の人生を支配することも多い。決断は一瞬の勝負である」のだから,「わが文京区の将来を考えて,私は“NO”という決断をしたのである。知事表明の撤回を強く要請してやまない」と批判した。 ところで,石原都知事は煙山区長の批判になんと応えるだろうか。この人のことだから多分,「ウルセエ! 格下の区長くんだりがガタガタいうんじゃない」などと怒鳴り散らすかもしれないね。
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そ の 5 ● 森喜朗前首相が討論会で「子どもを1人もつくらない女性の面倒を,税金でみなさいというのはおかしい」と発言したのは女性差別に当たるとして,山内恵子衆院議員ら社民党議員が2003年7月1日,衆院第二議員会館の森事務所に謝罪を求める抗議文を提出した。 これに対し森氏は,記者団に「(討論会の)対象は幼稚園の母親や経営者らで,女性を蔑視(べっし)した話をするわけがない。(自民党の)少子化問題調査会でこういう意見もあるということを申し上げた」と述べ,反論した。 http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200307/sha2003070403.html
★筆者コメント……森 喜朗君あいかわらず,脳細胞において非常に切れの悪いことばかりおっしゃる。 子どものできない〔つくれない〕夫婦やカップルを,どうあつかおうというのか? 子どもがいない夫婦やカップルだからといって,うしろめたいわけでも罪があるわけでもなんでもない。なんと思われようと,森君にそんなことをいわれる筋合いなど,誰にもない。 「特定(不特定?)の男と女」の組合わせ配偶者が,子どもをつくらない・できないからといって,けっして悪いことなのではない。個々人の自由,夫婦の意向しだい,カップルの勝手……。 さらに単純に考えると,男性のほうは当然,子どもをつくれない〔産みたいと思っても,もともとできない身体!〕。それで,なにか男に問題が出てくるというのか? 森君に特有の舌鋒(!)にしたがうならば,「子どもをつくることに貢献しない男は〈税金で面倒みる〉ことはしない(?)」という具合になってしまう。こういう,ものすごくヘンテコな類推も付けくわえておかないと,どうしても,男女間の均衡がとれない感じがするからである。 もちろん,人間生命再生産作業においては男も必要であり,不可欠の協力はする。そして,その事後における育児への参加の問題もあるが,ここではひとまず言及しない。 だが,諸事情があって子どもが欲しくてもできない女性が多くいる。そういう女性に対して「子どもを1人も再生産しない女性の面倒を,税金でみるわけにはいかない」とは,お門違い・的外れもいいところの〈狂言〉的錯誤である。
日本で出生率が憂慮すべき水準まで低下しているのは実は,女性〔そして夫婦やカップル〕が子どもを安心して産み,育てられる社会環境を用意してこなかった「日本の歴代総理大臣:首相の責任」でもあるのである。 「人的資源としての女性労働力」の潜在力を,出産‐育児の問題とうまく折り合わせながら有効に活用するための根本的施策が,いまの日本政府にあっては,準備も整備もされていない。それに,19世紀流の封建遺制的な旧い家父長制意識と完全に決別できていない頑迷固陋な政治家がまだ,日本社会のなかで幅を利かせているようでは,そうした施策の実現は当分望み薄である。
政治家として課せられた基本任務をろくに遂行できなかったこの森・前首相,その座を退いたときの無様な姿を想起するだけでも滅入ってくるのに,このたびまたもや,その無教養・俗物根性〈性〉を周囲にぶっちゃまけてくれたのである。 この「子どもを妊娠‐誕生させない女性の面倒を税金でみない」との発言は,税金の使途に関して初歩的なデタラメをいっていることになる。そのたぐいの論法を詰めていくならば,独身の〔ままの〕女性は,もっともけしからぬ存在になるし,閉経期まで子どもを生まなかった女性は,昔風の用語を借りていうなら「非国民」あるいは「国賊」だと指弾されかねない。 あるいはまた,結婚もしないで「独身貴族をやっている男女たち(もちろん子どもなし)」は,なにか〈都合の悪い〉生活形態を維持している輩(やから)であるかのように白い目でみられかねない。しかしながら,問題はもっともっと,べつの領域・方面にあるはずである。 子どもをつくることに関して,誰もが,なんら不安なく,しかもすすんで「子どもが欲しくなるような日本社会」を創造しなければならないのに,税金使途の問題を短絡的にもちだして,日本国の女性たちの「面倒をみるとか‐みないとか」いった。なんとも配慮を欠いた思いつき発言ではないか。 首相まで務めあげた政治家なのだから,もうすこし含蓄もあって参考になる話をしてくれればよいのに,まったくズブの素人風談義なのである。そればかりでなく,女性に対する蔑視‐差別だと批判を避けえない発想・精神を露骨に表わす始末だから,本当に資質のなっていない《前・首相》殿である。 森 喜朗君は「自民党の少子化問題調査会で,そういう意見もあるということを申し上げた」と弁明(?)らしいことを申したてていた。だが,森君「自身の少子化問題に関する観念形態」の問題も,この委員会でとりあげ検討したらよいと思われる。同上調査会の意見は,森君個人の意見とどういう関係をもつのか,なにも説明されていない。 自民党のホームページにつぎのような解説があったので,参照しておく。
森君は,「新しい〔本当はすごく古い!?〕国家観」の亡霊的復活とむすびつけた方途で「人の生きかた」や「家族観」を考えているらしい。だが,自民党「少子化問題調査会」内部では,「法律や行政措置で解決する問題ではない」のが「人の生きかた」や「家族観」のありかたなのだ,とまともに認識している議員もいないわけではないらしい。 ただ,ひとつ気になる記述がある。「いままで,タブー」だったのが,この国における「人の生きかた」や「家族観」の問題であると書かれているが,ここで〈いままで〉という表現は恐らく,1945年8月《以降のこと》を意味するものと思われる。 というのも,戦前日本の国家体制は臣民に向かって,特定の家族観:「天皇に対する服従・忠義」と「家長に対する尊敬・孝行」=「忠孝両全」を絶対的な価値観:国家観にかかげ,実際,問答無用に強制してきたからである。→『教育勅語』明治23〔1890〕年。 旧日本帝国はアジア諸国への侵略と戦争を重ねつづけてきたから,壮丁(「そうてい」と読む。←兵隊・兵士のことであり,若い元気な男性が問題だった)の確保は,国家支配者にとっては絶えず重大な関心事であったのである。とくに,昭和の時代にはいってから,日本人壮丁に観察された体格の傾向的な低下・悪化は,非常に問題視されていた。 国家に必要な強い兵隊さんを生めるのは,生理〔懐妊‐出産能力〕のある,それも若い女性であることは自然の摂理である。かつて,子どもをたくさんつくり産んだ女性は,日本帝国の『臣民として〈婦人の鏡〉である』かのように,大いに称賛された時代があった。 戦前,帝国主義路線=アジア侵略戦争に邁進してきた日本は,前段のごとき頑健な「壮丁」=人的資源を,国家としてより多く要求した。そのために当時,「この種の健康問題」をテコにいくつもの類型におよぶ人間差別が当然視されてきたのである。 日本国家の責任ゆえに,ごく最近まで引きずってきた「そうした類型になる差別問題」の具体的な一例は,2003年前半期までニュースとしておおきくとりあげられてきた「ハンセン病国家賠償訴訟」にみることができる。 ハンセン病患者は伝染病・遺伝病だと誤解され,社会から隔離された収容施設での生活を強いられた。そして,とくに男性のばあい「兵隊にとれない人間」だから,戦争中には「役立たず」だとののしられ,除け者にもされた。 ハンセン氏病同士の男女が夫婦になっても,子どもをつくることを禁止されただけでなく,優生手術(断種・堕胎)もうけさせられた。独身の男性もくわえて断種手術の対象にされた。 また,前述中で「タブー」と指摘されているものをつくったのは,いったい誰か? いうまでもないことだがそれは,森君みたいな感覚をもった人間の先輩諸君であった。そういう人士たちが「タブーだった〈人の生きかた〉や〈家族観〉の問題定立に再挑戦するのだ」「少子化に対する国民世論を喚起するのだ」というのだから,みようによっては「笑止千万の田舎芝居」,聴きようによっては「無反省な旧套郷愁」にも映る。 19世紀的:化石・遺物的な頭脳しか備えていない自民党の頑迷・旧守派の政治家たちが,なにを血迷ったかしらないけれども,日本に暮らしている女性たちに向かって「子どもを生むようにせよ!」などということは,完全に拒絶されねばならない。さらには,彼らがその関連問題を議論することさえ謝絶するしだいである。 つまるところ,自民党の少子化問題調査会およびその会長森 喜朗君みたいな「保守系政党内部の関係組織およびその構成議員」こそ,日本の出生率減少に対して歯止めどころか逆に,拍車をかけるような役割をはたしてきたことを,特筆大書しておく。 当人たちは,自分たちの主張に反する仕事を実績に残してきたことに気づいていない嫌いがあるから,いっそう始末が悪い。
【参 考:その1】 2003年6月6日,日本が武力攻撃をうけたばあいの対処手続などを定めた「有事法制関連3法」が,参議院本会議で与党3党と民主,自由両党など全体の9割近い賛成をえて可決,成立した。 地政学的にみて,日本の国土が近隣の外国から直接攻撃されたり侵略されたりする可能性は,ほとんどないといってよい。この点は,軍事専門家のあいだでもほぼ一致する意見である。 ごくごくまれな出来事・記録をのぞけば,過去の歴史もそうした事実を証明してきている。ヒロシマ・ナガサキに原爆を落とされた戦争のときはその後,本土を占領されたが,攻めこまれたり侵略されたりしたのではなかった(オキナワの関係はさておくが)。 その意味で単純に思い感じることは,なにかと「幸せな国!」 要するに,アメリカ合衆国に対して,忠犬「ハチ公」〔あるいは秋田犬「ポチ」,それとも「縫いぐるみみたいなパンダ」〕ならぬ「足軽」的役目をはたすよう,自衛隊などを戦争体制的に全面動員:総動員するための法律が,今回成立した「有事法制関連3法」である。 これで自衛隊は,けっして日本の住民を護るための軍隊ではなくなった。それは,全面的に〈米衛隊〉(ルポライター,鎌田 慧の表現)の役目しかもたない存在に化したのである。
※ 以上,2003年7月21日「海の日」とやらを数日あとにして脱稿。
【参 考:その2】 高橋誠一郎『この国のあした−司馬遼太郎の戦争観−』(のべる出版企画,2002年)は,本ページがとりあげた日本の政治家たちをめぐって,こういうことを記述している。 弾道弾迎撃ミサイル制限条約から一方的に離脱したアメリカ政府は,「ならず者国家」〔アメリカ自身をふくむ?〕に対する核兵器の先制使用をも言明しはじめている。ここには,「核兵器の使用が日本にもたらした惨状への無知」が顕著である。 そのようななか,日本でも「非核3原則」のみなおしを示唆するような福田官房長官の発言や,それを支持するような石原都知事の発言がつづいている。 これらの主張は,唯一の被爆国である日本の国民にはげしいルサンチマンを煽るだけでなく,近隣の諸国に対してはすでに強大な軍事力をもつ日本への恐怖心を与え,また戦前の日本を〈野蛮国〉とみなす一方で,日本からの報復を恐れるアメリカにも将来に向けての「強い不安感」を与えたように思える。
残念ながら価値が混沌とした時代には,自国の「正義」を強調することにより,「戦争」へ駆り立てようとする「威勢の良い」著作や議論が,戦時下の法制〔有事法制関連3法など〕によって国内の腐敗を隠しつつ,強圧的なかたちで世論の統一を図ろうとする権力者によって重宝される(206頁。〔 〕内補足は筆者)。
※ 本項,2003年7月26日に加筆。
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