2004年4月

=イラクにおける「日本人」人質事件
をめぐる日本政府の奇妙な議論=



= 主 な 項 目=

 ■イラクで邦人3人拘束,自衛隊撤退を要求テロリスト系の集団

 ■イラク日本人人質事件の経過

 ■「人質解放の費用公表を」日本政府・与党に自己責任問う声

 ■ 日本政府・与党内で人質になった3名に自己責任問う声を批判する意見

 ■ NGOや自主活動家(ボランタリー)の存在意義

 ■ 単なるアメリカ追随的な日本政治の素性

 ■ どこかの国の人質問題〔天野祐吉〕

 ■ 渡航禁止の法制化見送り,与党が憲法上困難と判断

 ■「世界を振りむかせた3人」

 



イラクで邦人3人拘束,自衛隊撤退を要求
テロリスト系の集団

 

 2004年4月8日夜,日本政府与党筋は,治安情勢が悪化しているイラク国内で,日本人3人がテロリスト系の集団に拉致され,拘束されたと明らかにした。

 カタールの衛星テレビアルジャジーラは,イラクの武装グループが日本人3人を拘束し,「自衛隊が3日以内にイラクから撤退しなければ3人を殺害する」と警告したビデオテープを放映した。アルジャジーラの編集担当者は,電話取材に「3人はイラク南部で拘束された」と語った。

 その日本人3人はフリージャーナリスト
郡山総一郎さん(32歳),今井紀明さん(18歳),高遠菜穂子さん(34歳)である。ビデオは3人が床に座らされた状態を映し,後方に小銃などで武装したグループの姿もみえた。3人の旅券など,本人を確認する資料も映された。

 テロリスト系グループは「ムジャヒディン旅団」を名のっている。

 日本政府は事実関係の確認を急ぎ,福田康夫官房長官らが首相官邸に急遽集まり対応を協議している。

 イスラム教シーア派と占領当局の対立でイラクの治安悪化が激しくなるなか,割れた国内世論を押しきって自衛隊派遣に踏みきった日本は,重要な局面に立たされた。

イラク日本人人質事件の経過

〔2004年4月8‐18日〕

 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/keika0418.html

 

「人質解放の費用公表を」
    日本
政府・与党に自己責任問う声
   

 日本人3人の解放から一夜明けた2004年4月16日,日本政府‐与党内から,退避勧告にもかかわらずイラク入りした3人の自己責任を問う指摘があいついでいる。

 これまでは救出交渉に支障が出かねないと抑えられてきたが,解放が確認されたことで3人の行動への不満が噴出したかたちである。3人の家族は同日午前,国会内で自民党の安倍晋三幹事長に会い,「ご迷惑をかけて申しわけなかった」と陳謝した。

 4月16日朝の与党対策本部では,公明党の冬柴鉄三幹事長が「損害賠償請求をするかどうかは別として,政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」と発言した。

 自民党の役員連絡会では額賀福志郎政調会長が「渡航禁止の法制化もふくめた検討をすべきだ」と主張した。会合後に記者会見した安倍幹事長は「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」と指摘した。

 自民党の外務政務次官経験者は記者団に「費用は20億円くらいかかったのではないか」と語った。また,閣議後の閣僚懇談会では,北海道出身の中川経産相が「人質の家族が東京での拠点に使った北海道の東京事務所の費用負担をどうするか,知事は頭を痛めている」と紹介した。

 閣僚の記者会見でも,3人の行動への非難の意見がつづいた。

 井上防災担当相は「家族はまず『迷惑をかけて申しわけなかった』というべきで,自衛隊撤退がさきにくるのはどうか。多くの方に迷惑をかけたのだから,責任を認めるべきだ」。

 河村文部科学相は「自己責任という言葉はきついかもしれないが,そういうことも考えて行動しなければならない。ある意味で教育的な課題という思いをしている」と語った。

 一方,石破防衛庁長官は「想定される危険から身を守る能力をもった組織は現在の日本国では自衛隊のほかない,ということで自衛隊がいっている。渡航自粛勧告が出ているわけで,(イラク支援活動は)いまは自衛隊でなければできない」と述べ,3人がイラク入りしたこと自体に無理があったとのみかたをしめした。

  http://www.asahi.com/politics/update/0416/007.html 

 

日本政府・与党内で人質になった3名に
 
自己責任問う声を批判する意見

 


 
● 旅は自業自得。


 当然のごとく自己のことは自分で責任を取らねばならない。
 
 分かり切っていることだ。
 
 しかし,今回のイラクの人質問題で突然のごとく巻き上がった「自己責任」という大合唱。このしたり顔の良識めいたもの言いは一体何だ。
 
 そんなもんてめえらが偉そうに言わんでも百も承知じゃわい。このドアホが!
 
 たしかに慌てふためいた家族の言動には不備がなかったとは言えない(降って涌いた急場において血の昇った一介の人間としてこれはいたしかたがないことだ)。しかし少なくとも,
あの3人は自己責任を自覚していたと見る。というのは今回ばかりは命を落とすかも知れないという危惧を持ちながらイラクに赴いている。
 
 「最良の自己責任とは自分の命を担保とすることなのである」。
 
 そのような自己責任を取れる者が「自己責任!  自己責任!」と合唱する人の中に一体何人いるのかね。
 
 少なくともビールの一杯もやって夕飯を飽食したあとにテレビを見ながら「自己責任」なぞとほざいている平和ボケ,もしくはビジネスマンらしいビジネスライクなご託宣を述べて悦に入っている人間より,あの3人の方がちったぁましに生きているんじゃないかな。
 
 もう一つ言えば,
この大合唱には今日の教育現場で顕著な同調圧力の卑屈さと同質のものを感じる。みな一律同じことをやり,ちょっとでもその同調の和音を崩そうとするような単独行動をする人間が現れると寄ってたかってイジメるというあれだ。インターネットで嵐のごとく飛び交う人質や家族に対する誹謗中傷はまさにこのメンタリティ以外のなにものでもない。
 
 それから今回“ドジを踏んだ(若くてドジを踏むことはいいことだ)”ことで,一歩大人になったであろう3人の若い人よ。
 
 あの時の俺のように,いかなるプレッシャーにも負けず,そしてドあつかましく,そうしたいと思っているのならまたしょうこりもなく,同じことをやりなさい。
 
 そしてまた失敗し,一歩一歩本当の大人に近づきなさい。
 

  http://www.creative.co.jp/top/main1436.html


 
●「人質になった人にかかった費用を負担させる」などという議論は,邦人保護という政府の義務を自ら放棄するに等しい。


 イラクの人質事件の場合,政府はそもそも「義務なき者」には該当しない。
政府は「海外における邦人の保護」という義務を負っている。自らの義務を自らの費用で遂行するのは当然のことだ。

 しかも,今度の人質事件は政府の自衛隊派遣という政策が背景になって起こった。

 高遠菜穂子などは以前からイラクのストリート・チルドレンの世話をする活動を長期にわたり続けており,これまでは危険に晒されたことはなかった。その意味では人質になった人は政府の政策に伴う犠牲者という側面があり,
政府が費用負担を請求するなどということは,自らの責任を他人に転嫁する以外の何物でもない。

 小泉首相はじめ政府関係者は最近になって一斉に「今年に入って13回も退避勧告を出している」と,人質になった人が外務省の危険情報に従わなかったことに非があるかのごとき論調を煽り立てている。
退避勧告に強制力はなく,国民がこれに従わなければならない義務が定められているものでもない。
 
 
政府が資金を提供しているNGOにイラクでの活動を継続させながら,人質になった人に対しては勧告に従わなかったことを非難材料に使おうというのだからおかしい。ましてや,救出作業に伴う費用の負担を求める根拠にはならない。

 日本政府は,
人質事件の犯行グループが自衛隊の撤退を日本の世論に働きかけたり,イラク国内に自衛隊撤退の世論が高まったことが面白くないのであろう。

 しかし,イラクの人々にとってみれば,米英軍の侵攻によって少なくとも数千人の人が死亡し,なお戦闘が続いているという苦しみがある。米国に追随して,それに加担する日本政府が面白くないことも理解すべきだ。

 人質になった人に対する
政府・与党からの「自己責任論」の咆哮は,自らの責任を覆い隠す煙幕だろう。それにしても,あまりにも法律上の常識を無視した議論に呼応して国民を煽るマスコミの論調には危険なものを感じる。満州事変から太平洋戦争に至る新聞の戦争協力と似た風潮が現れている。これが怖い。

  http://www.creative.co.jp/top/main1440.html


 ● 今回の人質事件は,イラクの人々に,日本にはイラクのことを真剣に心配している日本人がいるということを知らせたのではなかろうか。


 
中東に対してこれまで手を「汚してこなかった」日本が,どうしてアメリカを助けるために自衛隊を派遣するのかと,日本に対して失望を隠せないイラクの人々に,やはり,日本はアメリカと違うというような宣伝になったのではないだろうか。今後の日本の活動,政権委譲以降の日本の復興支援において,イラク人の協力を得やすくなったのではないか。

 ある国が政府の命令のもと一糸乱れぬ行動を取るとしたら,そのような国は,逆に気持ち悪い国であろう。政府が行い得ない部分での仕事をNPOやNGOはこれまで行ってきたはずである。
政府の交渉だけではなく,市民レベルで世界の人が直接交流し,助け合うことができることこそ,社会の成熟度を測る物差しである。

 そのことで,ある国に対するイメージが,多元的に,複層的になれば,その国に対してそう簡単に武力攻撃などできなくなる。この地球がより平和で安定なものになるに違いない。


 
このように考えると,今回日本に戻ってくる人質となった人の自己責任を問題にしたり,NPOやNGOの活動を萎縮させるのではなく,このような日本人がいることこそ,日本の誇りであり,日本社会が成熟していることを国際社会に証してくれたとして,温かく出迎えて欲しいものである。

 また大手のマス・メディアが,危険な場所での情報収集は,実はそのようなフリー・ジャーナリストに負っていることを知っているのなら,国民の知る権利との兼ね合いで,人質に対してはもっと抑制した報道をすべきである。


 
日本のマス・メディアは危険なところにフリー・ジャーナリストは行くべきではないと本気で考えているのだろうか。フリー・ジャーナリストの命を賭けた取材の価値を正直に書いて欲しいものである。

 真実は,このようなジャーナリストの献身的な努力で知らされるということを国民に正直に書けば,フリー・ジャーナリストの自己責任論というような言葉は出るはずもないことが理解できるはずである。


 
アメリカ政府国務長官 コリン・パウエル のことば。

 
「そうですね。誰でも,危険地域に行くことのリスクは理解すべきです。だからといって誰もリスクを引き受けようとしなかったら,私たちには前進はなくなります。私たちは私たちの世界を前進させることはなくなるでしょう」

 「ですから,私は,あの日本人市民が,より偉大な善のため,より崇高な目的のために,自己を危険に曝したことは嬉しいことです。日本人は,そのようなことを進んで引き受けた市民を持っていることを大いに誇りに思うべきです。またイラクに派遣された,危険を引き受ける用意がある,あなた方の兵士のことを大いに誇りに思うべきです」


 アメリカの政府当局者でもこのようなことを言ってるのに,日本の政府首脳や一部のマスコミが自己責任論を持ち出すのはどうしてだろう。日本の社会と民主主義が,まだ成熟していないせいかも知れない。

  http://www.creative.co.jp/top/main1439.html


 ● 日本では人質の解放は自弁(ル・モンド紙,2004-04-20)


 ▲ 日本では人質の解放は自弁 ▲

 頭を垂れて,顔つきは暗い。それが,最初の3人の日本人の人質が4月18日に東京に到着した時の様子だ。コメントは何もなし。

 この慎ましさが示す「心的外傷後ストレス」は,おそらく誘拐だけによるものではあるまい。3人とも(他にも誘拐後に解放された日本人が2人,火曜に日本に到着の予定),子供が日本政府を困難な状況に陥れたとして家族に向けられた批判にショックを受けているのがありありだ。周りの人たちは,事態をさらに悪化させないようにと,彼らを報道陣から遠ざけている。

 解放直後,人質のうち2人はイラクに戻りたいと述べた。
高遠菜穂子は人道支援活動を続けたいと言い,郡山総一郎は写真の仕事をこのまま続けたいと語った。2人の発言は,保守系新聞と政府の間に,無理解と激昂の嵐を巻き起こした。

 「家族は謝罪をすべきだ」

 
「おしおき親爺」となった小泉純一郎首相は,このボランティアたちを叱りとばした。「よくもまあ,人が寝食を忘れて解放に尽力したというのに,そんなことが言えるもんだ。目を覚ましてもらいたい」と,中川昭一経済産業相がさらに厳しい調子で述べる。

 こうした無遠慮とともに,制裁を求める声が上がる。「家族は自分たちが引き起こした問題について,また自衛隊の撤退を求めたことについて,謝罪をすべきだ」と,防災担当の
井上喜一大臣は述べた。

 だが,家族たちは,社会秩序を乱した者は遺憾の意を表明するという日本の習慣に従って,すでに何度も謝罪を繰り返している。

 報道によれば,解放された人質は,受信した医療検査と帰国の費用として,それぞれ35万〜40万円(3200〜3700ユーロ)を支払わなければならない。議員の中には,解放に要した費用(右派の産経新聞によれば20億ドル)の一部負担を主張する者もいる。その一方バグダッドでは,ムスリム・ウラマー委員会(スンニ派)から,同委が5人の人質の解放に決定的な役割を果たしたことに対し,日本の首相が一言の感謝も述べていないことへの不満が出てきている。

 日本の政治家と
保守系報道機関は,必ずしも誉められたものではない日本のイメージ(死刑制度の維持,限定的な難民庇護政策)を引き上げているはずの,一本気と直情を備え,人道的な価値観に突き動かされる若者たちを誇りに思うべきなのに,解放された人質の「無責任」をこれでもかとばかりに叩きまくる。彼らが励ましの言葉を受けたのは,コリン・パウエル米国務長官からだった。

 「誰もリスクをとろうとしなければ,決して前に進むことはできない」
(先述)と,はテレビで述べた。

  http://www.creative.co.jp/top/main1444.html


 
● 救出費用を請求することは人の道に反している(2004-04-20)


 ★ 海外在住邦人からのメッセージです。★

 救出費用を請求することは人の道に反している

 被害者の方々またはご家族の方々に対して,費用のたとえ一部でも請求するなどということは,人間としての道義に反することであり,文明社会の規範から外れた行ないにほかならない。
 
 金額が幾らであろうと,日本が欧米と同様に洗練された文明社会であると主張したいのなら,許されるべきことではない。

 この「費用の一部を被害者に支払ってもらうのは当然」という感覚,
日本の外にいる人間には,日本人・非日本人を問わず,理解の範疇を超えているということを,日本の人たちに知っていただきたい。

 人の命を金で換算するような国は,軽蔑されます。
 
 もし同様の状況で欧米諸国で,政治家が費用云々などと口にしたなら,それだけで即刻政治生命が絶たれるでしょう。
 
 多くの日本人が,あの政治家たちの言葉を支持しているとは思いたくありませんが,海外にいると,抗議している一般市民の姿は見えてきません。

 日本の政治家たちは人間として恥ずかしい。

 そして政治家は日本人の代表です。

 あの政治家達を恥ずかしいと思わないとは,今の日本人は,そこまで腐りきっているのでしょうか。

 いじめは陰湿で,卑劣です。

 日本人は,集団で匿名になるとどんな残虐なことでもするとは薄々わかってはいても,実際にその情景をTVで実況されていまうと,本当に吐き気がします。

 帰国した3人の方々,ご家族の方々,どうか心ない誹謗中傷に負けないで下さい。

 
日本が狂っているのです。政治家が卑しいのです。

 
正義の人が嫉妬され非難される世の中です。

 遠くから,応援しています。


  http://www.creative.co.jp/top/main1454.html


 
● 日本の自衛隊は例えていうならば,押し売りである。


 
イラ家さんちに,

 呼んでもいないのに上がりこんできて,

 ミネラルウォーターを勝手に売りつけて,

 困ってる人を助ける俺っていい人だわ〜!

 あ〜あ〜,お代はいいから!俺っていいやつだろ?

 と酔いしれているナルシストの偽善者セールスマンである。


 
イラ家さんは,

 勝手に家に上がるな! いらんから帰れ!
 
 と言ってるのだが,

 俺がいなきゃ困るんだろ?

 水がないんだろ? 分かってんだよ。

 おっと,殴ろうとしたってだめだぜ。

 暴力には屈しないからな。

 などと,ナルシスト全開なのである。


 
と言うわけで,ぜんぜん話が噛み合っていない。

 つまり,イラ家さんにとっては小さな親切,大きなお世話なのだ。

 もし,イラ家さんが,是非とも来ていただきたいというのであれば行けばいいであろう。

 いらないと言っているのに,押しかけてくるセールスマンはウザったいだけである。

 イラ家さんの家に不法侵入して勝手なことをしているわけなので,

 いいから出てけ! コノヤロウ!

 と一発食らわされても文句はいえないのである。

 
今んとこは余計なお世話でした! 帰ります!   と,全世界のマスコミにぶち上げて帰ってくるのが良いと考えられる。

 そもそも,もともと日本は財政難でそれどころではないのだし。

 まぁ,今の政府ではそんなことは,パンダからゴリラが産まれるくらいありえないわけだが。

 何かにつけ思うのは,

 日本のマスコミは,必ず論点が狂っており,聞いていると頭がおかしくなってくるので困るということであった。

 日本では,結構な人数が混乱してマスコミと同じ事を言っているようであり,

 ここに構造改革が必要であると切に思う。


  http://www.creative.co.jp/top/main1456.html


 
● 外務省奥参事官らの自己責任は?


 自己責任論についてですが,では外務省奥参事官(大使)らの襲撃死についても,自己責任・自業自得,初歩的判断ミスだ,とも言われてもしかたありませんね。
 
 彼らは誰よりも当地の危険度を客観的に知るべき立場にあり,自分らの身を護る十分な手段と知識もあった筈。防弾ガラスの専用車両も米軍の警護すら使える身分でした。今回犠牲になった3人に比較すれば雲泥の差,民間人でもなく,プロ,中のプロでありました。
 
 それでも自分の命すら護れませんでした。襲撃された時,逃げるか,応戦するか,素直に従うか(抵抗しないか)の判断を誤れば最悪の結果に陥ります。今回の3人とその後拉致された2人でさえ自らの命は護ることができたのです。

 奥参事官らはフリーの身分ではありません。日本国家から1ヶ月百万円以上の報酬を受けていました。その上にイラクでの滞在費も活動費もイラクへの旅費も日本国民の税金からです。そして,それでもイラクの復興支援どころか自分らの生命すら護れなかったのです。彼らの行為とその結果の死は日本政府(日本国民)にどれだけの損害をもたらしたでしょうか。

 
「奥参事官らの死は自己責任です。日本政府はなんら責任を負いません。」
 
 「彼らの幼稚な行動と初歩的判断ミスにより日本政府は膨大な損害を被りました。よって彼らを懲戒免職とし,事故処理にかかった費用は,彼らが壊した4輪駆動車代も含め,遺族に請求する方針です。困ったことをしてくれた,イラクの治安が悪いなんて無知で愚かな人たちに誤解される。」 

 このようなことを
公然とテレビの前で述べているのが小泉首相ら日本政府首脳なのです。パウエルの爪の垢でも飲みなさい。

  http://www.creative.co.jp/top/main1458.html


  
●「自己責任」こんな場合は……?


 いまだに,「自己責任」を喧伝した国会議員(
名前はしかと覚えました。)に腹が立ってます。

 しつこいようですが,では以下の場合はどうなんでしょう。
 
 水嵩が増した急流に子供が溺れているのを見かけた通行人が数人,救助の為に川に飛び込んだところ,行方不明になってしまいました。
 
 子供は奇跡的に中洲の木に引っかかり助かったのですが,救助の為に川に飛び込んだ人達の捜査には手間取り,救援ヘリや自衛隊までもが出動しましたが一週間たっても発見できなかった。
 
 こんな場合でも,危険だと解ってて飛び込んだ人達に,その捜索費用を請求するのですかねエ?
 
 なんか首相は,「日本人も捨てたもんじゃない!」と,カメラの前で得意満面で言いそうな気がするのですが。想像したら又腹が立ってきた。

  http://www.creative.co.jp/top/main1459.html


 
「人質・家族バッシング」に異論噴出,政府責任問う声も

 
 イラクで人質になったNGOメンバーやジャーナリストたちの「自己責任」を問う声が,政府・与党に根強い。解放後には救出費用の請求まで取りざたされた。自ら出向いて危険な目に遭った人たちの自己責任を連呼することで,国民を保護する政府の重い責任が見逃されている。
NGOなどからは,異論が噴出している。
 
 イラクで医療支援などに取り組む日本国際ボランティアセンター(JVC)の熊岡路矢代表は「自己責任は活動の原則だ」と話す。
 
 「安全確保とそのための情報収集と判断が紛争地での人道支援活動の前提」。
それでも残るリスクを背負い,多くのNGOは活動している。
 
 NGOは,政府機関にはできない,国益を超えた活動を担う。万一,誘拐やテロなど危機に陥ったとき,だれが救い出すのか。
「官民あげてあたるのが普通だ。救出された側に自己負担を求めるなど聞いたことがない」と熊岡さんは言う。
 
 アラブメディアを通して武装勢力に人質解放を呼びかけた国際交流団体ピースボートの吉岡達也・共同代表は
「彼らがこれまでの活動でどれだけ日本の評判をよくしたか,その効果は絶大なもの。政府がその点を評価しないと,海外の人道支援活動をつぶしてしまう。自国民を保護するのは,そもそも国家の義務だ」と話す。
 
 「彼らは
なぜ捕まったか。自衛隊派遣で米軍に協力している日本の国民だから。なぜ解放されたのか。非武装で人道援助をし,自衛隊派遣を批判していたからだ」。
 
 棟居快行・北大教授(憲法)は「生きざまを選ぶのは個人の尊厳。憲法から言っても当然だ。
『政府の言う通りにすればいい』というのは過剰な干渉で,もっと成熟した国家と市民の関係が求められる。政府は自己決定に干渉せず,どこがどの程度危険か,具体的な情報を最大限出すことに徹するべきだ」と話す。
 
 「日本人人質の家族に口輪(くちわ)」−−
南ドイツ新聞は,家族らが外国人特派員協会で開いた会見の模様をそう伝えた。「口輪」はドイツ語で,言論抑圧や箝口(かんこう)令のたとえとして使われる。
 
 同紙は「だれが彼らを黙らせたのか,そしてどのように?」と始まる。
政府の批判をしていた家族が突然,黙り込んだと指摘。会見で「政府側から批判を慎むように要請されたのか」と質問したが,「ノーコメント」だったと紹介した。
 
 4月15日付で記事を書いたヘンリック・ボルク特派員は「会見では家族を批判するような質問が多かった。
家族ではなく,政府を批判すべきではないか」と話している。
 
 米国務省のホームページには,パウエル国務長官のインタビューが載っている(既述なので以下は省略)。

  http://www.creative.co.jp/top/main1460.html


 

 

  http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/soshiki413.html


 
★−1 この図解をよくみたい。日本政府が結果的に,〔聞くところによれば〕20億円も費やして現地情報の収集に努力し,拉致‐拘束された3名の解放‐救出に向けてアメリカ軍やイラク高官,イラクの関連組織に働きかけた,という点の真相を読みとることができる。

 ★−2 日本人人質3名〔さらに2名,計5名〕が解放された本当の理由をめぐっては,アメリカ国内の報道機関に対して〈対抗的な報道〉をおこなうカタールの衛星テレビ:アルジャジーラ」(アラブ系の放送局)の存在が大きな役割を発揮した,と思われる。

 ★−3 日本政府筋による外交面での働きかけよりも,とくに「アルジャジーラ」の衛星放送が武装集団にもたらした「彼ら:人質に関する情報」,および「イラク・イスラム聖職者協会」によるその〈武装集団〉への働きかけなどによってこそ,今回拉致‐拘束された日本人3名〔5名〕がけっして「イラク(人)に敵視されるべき人間たちではない事実」が適切に伝達・理解され,解放にいたったものと推測される。

 日本政府筋が日本人人質の解放にいたるまで,いろいろ手をつくしていたのは事実であるが,残念ながら,決定的な役割をはたせたとはいえない。

 ★−4 公明党もふくむ日本政府与党関係者は,人質として拉致‐拘束された日本人やその家族の口から出た「イラク(人)たちが望んでいない」「〈日本の自衛隊〉は撤退してほしい」という意見表明に対して,あたかも逆上したかのように,「国家の方針に国民が逆らうのか」とわめきちらしたうえ,ならば「自己責任だから政府の要費を負担させろ!」とまでいいはなち,人質となった当人とその家族に対して「過敏な反応=自国民に対する恫喝」さえしめした。

 今回の事件をとおして日本政府与党の幹部政治家たちがさらけだした狭量は,日本国憲法ならびに民主主義の基本精神を理解しない,ましてやNGOとその活動などの意味もろくにわからない多数の政治が,この国の政界にいまなお盤踞することを教えている。

 

NGOや自主活動家(ボランタリー)の存在意義
    

     以上の議論は,2004年4月14日午前11時ごろ,イラクのバグダッド西方で拉致されたが,拘束から3日後の17日午前11時ごろ解放されたフリージャーナリスト安田純平(30歳),市民団体メンバーの渡辺修孝(36歳)の2人のばあいにも当てはまるものである。

 解放直後,2人は「帰国させられてしまうので,大使館にはいきたくない。ここに残って仕事をつづけたい」と話したという。外務省幹部によると,その後,説得に応じて出国に同意したともいう。

 渡辺修孝がNHKに語ったところによると,武装グループは「米英はイラクの敵なので今後も戦う。日本人はイラクになるべくこないでほしい。なぜなら,われわれは友人を傷つけたくないからだ。自衛隊はイラクから出ていってほしい」とのメッセージを,口頭で2人に託したという。 

 渡辺は,自衛隊の海外派遣に反対する元隊員らでつくる「米兵・自衛官人権ホットライン」に参加している。2月末から半年間の予定で「在イラク自衛隊監視員」としてイラクにきていた。

 安田純平は3月にイラク入りし,米軍と武装勢力との衝突現場などで,取材をつづけていた。昨年1月に信濃毎日新聞を退社し,フリーでの取材活動をすすめていた。

 −−2004年4月17日の新聞報道をとおしてしらされた,「イラクで拉致‐釈放された渡辺修孝安田純平両名」による「その間に関する話」は,20日ごろにも報道されている。彼らは,日本政府にとって非常にめざわりな活動や仕事をしている日本人=自国民に映ったにちがいない。

  ここで,『朝日新聞』2004年4月21日朝刊「社説」を紹介する。


 「自己責任」という言葉が飛びかっている。

 イラクで拘束されたNGOの活動家やフリージャーナリストは,自分の軽率な行動で国や世間に多大な迷惑をかけたではないか。

 「自己責任」の意識を欠いている。けしからん,という主張だ。

 だが,ここは冷静に考えてみなければなるまい。本当の自己責任のありかたとはないか,である。

 NGOであれ,報道記者であれ,身に危険がおよぶかもしれない紛争地で行動せざるをえないときがある。そのばあい,安全に関する情報を集め,危険と,それを押してでも出かけることの意義を比較考量していくか否かを決断する。

 自分がもし殺されたり,けがをしたり,あるいはゲリラに捕らわれたりしても,それは自分の責任と考えなければならない。悪い結果になったばあいでも,ほかの人や組織のせいにしてはならないということである。

 もうひとつ,今度の事件ではっきりしたことがある。自分が人質にされ,犯人たちが日本政府に要求を突きつけても,政府は応じられないという原則だ。

 以上を考えぬき,判断の重さをわきまえたうえで行動にうつるのが,自己責任ということだと思う。

 誘拐された5人の状況認識に甘さがあったことは否めない。とくに,激しい戦闘がつづいていたバグダッド周辺の安全確認は不十分だった。危険地での活動を考えるうえで,こんどの事件が残した教訓は大きい。

 だが,与党内を中心に声高に語られている過剰な「自己責任」論には,首を縦に振るわけにはいかない。

 政府の退避勧告を無視してイラク入りしたことじたいがおかしい,という議論がある。「自業自得」だ,救出費用は彼らに払わせろ,という声さえある。

 各国政府が自国民に出す退避勧告はたしかに重い。だが,それにしたがっていては報道の使命や人道支援がまっとうできないことも,紛争地ではいくらでもある。

 人質の家族が,犯人が解放の条件とした「自衛隊の撤退」を政府に求めた。それを批判する人々も「自己責任」論をあおった。「助けを求めながら国に逆らうとはどういうことか」という主張だ。そんな感情論は不幸というしかない。

 この人質事件には,日本の国際的な評価を高めるのに役だった面もある。「外国へ人助けにいこうという世代が日本に育った」。仏紙ルモンドはそう報じた。「あんな連中を助けることはない」といった声が同じ日本人から聞かれる状況には寒々しい思いがする。

 いわずもがなのことではあるが,外国にいる自国民の保護は,どこの民主主義国でも政府の責務である。とくに,正体不明の武装組織に人質にとられれば,救出のために政府がはたさなければならない役割はいっそう大きくなる。

 政府にとって都合の良い人物であろうがなかろうが,それは同じことだ。

 

 

単なるアメリカ追随的な日本政治の素性
    

     上段「社説」の主張は,前出に参照した各意見〔→日本政府の感情的な「拉致被害者=自己責任論」への反批判〕につうじるものがある。

 日本政府の自衛隊派遣という「方針に反対するような日本国民」は許せないとする短絡的な反応は,現代の民主主義国家体制のもとにおいては,人びとの政治的・市民的な行動の自由はできるかぎり認知・許容するという基本精神:「寛容」を忘失したものである。

 日本政府関係者は,自衛隊のイラク派遣〔派兵〕という規定方針の実行をめぐり,イラクの民衆がわに立ってものをいう自国民(ボランタリーフリー・ジャーナリストたち)の存在とその言動がめざわりでしかたないのである。

 「官⇔民のそうした間柄」にのぞける光景:軋轢:不協和音は,日本政府が披露できる「度量の限界:狭さ」を如実に反映させたものである。「政府のやることに逆らうな」というのであればこれは,戦時体制期の翼賛政治体制下で軍事的な弾圧‐独裁政治を敷いた東條なんとかという首相(1941. 10. 18-1944. 7. 22)のやりかたと,瓜ふたつである。

 現在の首相のやりかたは,日本帝国があの無謀な太平洋〔大東亜〕戦争をはじめたときこの国の首相を務めていた将軍の政治〈手腕〉に関してだけ,似ているのではない。彼ら2人は実は,その姿容も似ている。

 トウジョー・ヒデキにメガネをはずさせ,鼻髭を剃り,軍刀をとりあげ,軍服を背広に着替えさせたらどうだろう,コイズミ・ジュンイチロウになる! なお,の比較はここではしない。下枠の右がわ「東條英機の似顔絵」はなぜか,帽子をかぶっており,比較しやすいデッサンを提供している。

 このお2人さん,だいぶ似ていると観察するのは,筆者だけか? ただし,決定的にちがう点がある。それは,アメリカ大統領と仲が悪かったか,それともいいか,である。 

2004年4月で満62歳

 下部には花押。死去は絞首刑による。

 毎日新聞より。

 東條英機の似顔絵。

 
   ルポライターで有名な鎌田 慧は,2004年5月に公刊した著作『コイズミという時代』(アストラ)のなかで,「いまや小泉首相は,日本のファッショ化を狙う,プチ東條英機である」と喝破していた(同書,219頁)。これは,本ホームページの筆者の理解:譬えを支持してくれる発言である〔本段落は「東京下町大空襲」から60年めの日:2005年3月10日に加筆した部分である〕

 元宮内庁記者の坂垣恭介は,自民党が圧勝した2005年9月衆議院選挙に関連して,こう述べていた。

 選挙まえ,「こうなれば解散だ。負ければ総理大臣を辞める」と啖呵を切った総理小泉は,かっこうがよかった。子どものころ聞いた東條英機の演説を思いだした。日本人の心の深淵にある欲求不満を心地よく,くすぐってくれた。

 歴史学的にいえば,そういうのを《ファシズムの萌芽》という。

 このをおおきく育てるための肥やしが,天皇への崇拝・皇室の伝統,イコール「日本人の心」だとすれば,歴史の歯車を逆に動きだす(板垣恭介『明仁さん,美智子さん,皇族やめませんか−元宮内庁記者から愛をこめて−』大月書店,2006年1月,〔あとがき〕205頁)

 2006年4月現在,「教育基本法」改正の焦点となった「愛国心」は,公明党が「戦時中を想起させる」と強く反発した結果,「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国郷土を愛する」との文言で,「国」の統治機構(政府)色を薄めようとしている。

 しかし,野党各党は「我が国と郷土を愛する」との表記に対し,共産党と社民党は「内心の自由の侵害」(志位和夫・共産党委員長)と強く反発している。

   今回,イラク日本人人質事件に関しては,みずからも非政府組織(NGO)にかかわる仕事をしている小倉利丸(富山大学教授,経済学専攻)は,こう批判する(『朝日新聞』2004年4月17日朝刊)

 @ 見過ごすことのできない問題が起きている。人質たちの「自己責任」を問う声が日本政府関係者や一部マスコミからも噴出し,人質とその家族への風当たりが非常に強いことである。

 問われている「自己責任」論は,一見わかりやすい。しかし,その発言は,日本政府がNGOの活動の安全に責任を負わないと述べたにひとしい。人質の命がうしなわれても,政府には責任はないといっているのである。

 A 日ごろ,開発援助や人権‐平和に関するNGOのネットワークをつくる仕事をしているのだが,戦争となると国家はこれほど過酷な仕打ちを国民に与えるものなのか,という思いを禁じえない。

 日本政府は,自己責任論によってNGOなどの活動に「無謀」との印象を与え,あたかも自身が「事件の尻拭いをさせられた」被害者であるような印象さえ与えている。

 B さらに気をつけておくべき点は,そうした主張をしている日本政府がイラク戦争の一方の当事者である,という事実である。そこでは,戦争の当事国から独立したNGOならではの活動が正当に評価されていない。

 考えてみてほしい。はたして自衛隊や政府がいま,劣化ウラン弾の被害調査や貧しい子どもへの支援をできるか

 イラクのファルージャ〔バクバッド西方〕では,無差別ともいえる米軍の攻撃によって,多数の子どもや市民が犠牲になっている。もし,現地にジャーナリストがいなければ,こうした事実は隠されたままで終わるかもしれない。

 C 日本政府はイラクへの渡航を禁止したいようだが,それはイラクの密室化にもつながる。イラクにいく日本人は,武装抵抗勢力によって人質にされる危険性があるかもしれない。

 しかし,イラクで暮らす人びとには,米軍とその連合軍によって生命を脅かされるという危険がある。日本政府の自己責任論では,イラクにある危険状態がまるで冬山登山や荒海の航海といった危険と同様にみなされていて,イラクが戦争状態になった責任が誰にあるのか,という政治‐外交的な責任問題がみえにくくなっている。

 D 紛争地域におけるNGO活動は,戦争状態におかれた人びとの生命と生活を守る支援を,戦争の当事国〔日本もその1国である〕に加担することなくおこなうものである。

 戦争が市民に強いる計りしれない犠牲をしる者が,アメリカの戦争に加担する日本政府の方針に批判的であっても,けっしておかしなことではない

 E 国籍によってみずからの行動や思想‐信条を縛られるということになれば,政府から独立したNGOやジャーナリストとしての活動は,誰ひとりおこなうことができなくなってしまう。

 NGOやジャーナリストは,国家とのあいだに一定の緊張関係をもちつづけるべき存在なのである。先進各国でいま,NGOとの関係をめぐって政府の責任が問いなおされている。政策に賛同しないNGOとその活動をどこまで手助けするのか,それがその国の政治や民主主義の成熟度をしめす

 日本のばあいはどうだろう。

 


   −−以上,小倉利丸の日本政府批判論は,「〈西側〉先進国の一員」であることを誇ってきたこの国がいかに政治的な後進性に毒され,民主主義的な成熟度において劣っているか教えている。

 ■−1 日本政府が100億円単位での国家予算をついやしてイラクに陸上自衛隊などを派遣し,アメリカ政府の「世界支配戦略的な野望」の手助けをしたところで,1億円単位でしか経費のかけられない「日本‐日本人関係者:NGO」などの「自主的な支援活動の効果‐成果」にはるかにおよばないのである。

 現に,イラク国民の多くは,イラクから「日本の自衛隊は出ていってほしい」といっている。望みもしない軍隊を自国内に送りこまれたイラクの人びとにとって,人道支援のために派遣されたとはいっても,軍隊組織であることにおいて日本の自衛隊もまた,他国から送りこまれた「顕在的な暴力‐威圧装置である」ことにかわりない。

 イラクにその自衛隊を送りこんだ日本国首相小泉純一郎は,イラクに自主的な援助活動などをしにいった民間の日本人を拉致し人質にとった武装集団〔とはいっても実際は地元の一般人である〕を,よく考えもせずただちに〈テロリスト〉よばわりした。

 わけても非常にまずかったのは,小泉の発言=「日本人を拉致し人質にとった武装集団はテロリスト」という決めつけが,人質の解放に悪影響を与えたことである。

 ■−2 アメリカ軍は抵抗するイラク人をテロリストと位置づけ,その掃討作戦の実行にさいして無関係のイラク人たちも多く巻きぞえにしつつ,殺し,傷つけている。

 だが,アメリカ軍人の死者はとりわけ2004年4月だけで,20日ころまですでに100名を超え,昨年3月開戦以来,最高の損害を出している。他方で同月,イラクがわの武装抵抗勢力1000名が殺されたと報道されている。

 しかも同時に,そうした戦闘行為に巻きこまれ生命を落とすイラク〔一般‐民間〕人の犠牲者が多数出ていることにも注意しなければならない。こちらの犠牲者の数は,米軍兵士の死者が1名ごとに正確に報道されるのとは対照的に,ほとんど報道されないままである。

 ■−3 イラク南部地域に位置するサマワに進出‐駐兵している日本の自衛隊は主に,地元周辺の人びとに必要な水を供給する任務をになっているといわれている。

 だが,この軍隊が実際にどの程度,基地周辺に住むイラクの人びとに水を提供できているのか。この点に関する報道は日本において十分になされていない。わからないことも依然多い。軍隊の行動に秘密〔マル秘〕事項はつきものだともいうのか。

 もっとも,派遣されている自衛隊員たちは,基地内で毎日きちんとシャワーを浴びることのできる設営をしている。しかし,地元周辺の人びとは新聞報道でみるかぎり,毎日の生活に必要な最低限の水量を入手できておらず不足しているという。


   
『戦場イラクからのメール−レジスタンスに「誘拐」された3日間−(社会批評社,2004年5月)という著作をもつ渡辺修孝は,ホームページのなかで,イラクに派兵された日本の自衛隊による浄水‐給水活動を,こう解説している。参考までに紹介しておく。



● 民間に浄水・給水作業を任せられないのか ●

 給水担当部隊については,2004年3月初めのころの段階で,宿営地の自衛隊員が550名で使い切る量しか浄水できなかった。これは,トラック移動できる自衛隊で使用する簡易式浄水器の限界だったのだろう。

 だが,その後に新たな浄水設備を搬入して,運河から取水した水を供給できるようになったらしい。これがいつごろからおこなわれるようになったのか答弁書には明記されていないが,2004年の5月26日までのあいだに合計,約8830トンの水を浄水したことになっている。

 そして,「このうち,約4340トンについては無償資金協力によってムサンナー県水道局に供与された給水車等に対して供給し,約420トンについてはオランダ軍に対して供給し,及び残余の約4070トンについては自家使用をしたところである」と述べている。このことから,自家使用(宿営地分)が4070トンだとして,4340トンのサマワ市民に供給された水は,いったいどれほどの量なのか考えてみよう。

 ちなみに,0. 001トン=1リットルだとすると,私ひとりが1日に使用する水の量が0. 020トンである。まあ,百歩譲って,3カ月=90日間として,自衛隊が水を15万人のサマワ市民に給水したとしても,その総量が約4340トンであったら(4340÷90÷15万=0. 00032リットル)になってしまう。サマワ市民は,なんと1日にひとりコップ1杯分の水しか自衛隊から供給されないことになってしまうのだ。

 つまり計算上だと,15万人の市民すべてに充分な量の水を供給するとすれば,この給水量なら自衛隊は,たったの1日分しか働けないことになってしまう。

 2004年3月の段階で,私がサマワの調査活動をおこなっている間にも,第1次復興支援群がすべて宿営地にそろっていたわけではなく,段階を置いて徐々に部隊がととのっていくという状態だった。

 要するに,実際に給水活動や学校などの各種施設の復旧・整備作業へ本格的にとりかかったのは,2004年4月に入ってからになる。第1次復興支援群が本格的に作業を稼動したのが,交代1カ月まえということになるのだ。

 ところが,現実はフランスのNGO団体の『ACTED』がずっと給水活動をおこなっている。

 彼らは現地でイラク人スタッフを雇って活動している。もともとサマワで稼動中の『ルメイサ浄水場』や『ワルカ浄水場』から水を引いてきて,それを給水車に補給してムサンナ州全域に供給している。そして『ACTED』こそ,日本政府・外務省から無償資金協力で約4000万円の援助をうけているのだ。

 外務省は,日本人ではなく外国の支援NGOならば,渡航規制の対象外であるから問題なく活動を「奨励」するのか。最近も『ACTED』のスタッフが武装勢力に殺害されたばかりであるのに,彼らには「自己責任」を問わないのであろうか。

 「一般国民にはできえない,自衛隊ならできる分野があるであろう」と公言する自民党議員たちもいるが,吉田 満という元日本銀行重役が書いた長詩で『戦艦大和ノ最期』がある。その末章に,「ワレ果タシテ己レノ分ヲ尽クセシカ 分ニ立ッテ死ニ直面シタルシカ」という反省事項ともいうべき文がある。

 これはまさに,ときの政府が決めた任務によって現場に立たされる兵士の心情の吐露を綴った文章だろう。はたして「自衛隊ならできる分野」が現在のイラクで要求されているのであろうか。
 
 


 
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~wattan428/page035.html


   
立花 隆『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』(講談社,,2004年6月)は,イラク・サマワ市での日本の自衛隊による浄水‐給水活動の真相を,つぎのように批判する。



● 浄水・給水作業の実態はほとんどフィクション ●

 現地の自衛隊員に自衛隊が給水できる量を聞くと,「ほとんど自分たちが宿営地で使いきってしまうくらいの水量しかできない」という,びっくりする答えが返ってくる。

 サマワ市民はみんなが水が足りなくて困っているだろうと思い,市の浄水場を見学にいくと,市にはりっぱな浄水場があり,1日2千4百万リットル(自衛隊浄水設備の3百倍)と,大変な浄水能力をもっている。

 その市の給水所には,使いこんで錆のめだつ旧い給水車のタンクローリーが何台も停まっている。ところが,そのなかに白くて真新しいタンクローリーがみつかり,日本が提供した「日の丸を付けた給水車」であることがわかった。

 しかし,日本が提供したそのタンクローリーは,自衛隊が「給水活動で浄水した水」を運搬するためではなく,「サマワ市の浄水場で浄水された水」を市内に運んで給水するために使われている,というのであった。

 −−この説明を聞けば,サマワ市で給水活動をしているという日本の自衛隊の活動が実は,前段で筆者が批判したように,サマワ市民のためではなく,自衛隊自身が使用するための給水活動であることが判明する。

 というよりも,自衛隊が「現地の給水活動のために充当している機械‐設備」は,軍隊として作戦行動を展開するさいに必要な,つまり「自軍=自衛隊」という「部隊組織に必要な水を供給する」ために装備されているそれであり,もともと,他人に分けてやるために用意されたそれではない

 ましてや,イラクの現地における自衛隊の活動は,なにをするのであれ,連日酷暑の気象条件下であるから,自衛隊が用意した浄水装置でつくれる水量に対する答え,「自分たちが宿営地で使いきってしまうくらいだ」というものを聞いても,それほどびっくりすることはないのである。

 要するに,自衛隊がイラクのサマワ市民のために給水活動をしにいったというのは,マスコミ向けの演技(パフォーマンス)でしかなく,むしろ,イラクという国に派遣した陸上自衛隊を訓練をさせている給水装置稼働の実地訓練をさせているといったほうが正解なのである。

 イラクに派遣された自衛隊は,イラクやサマワ市民のためにわざわざわれわれの血税を使って,現地で活動しているのではない。それはただ,軍隊組織としての訓練活動,海外派遣の実際的な体験を積もうとしているに過ぎない。
 
 


 
    立花 隆『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』講談社,2004年,272-273頁参照。

 

 ■−4 日本政府当局はなによりもまず,自衛隊そのものをイラクに派遣したがっていた。アメリカのブッシュ兄貴の顔色をうかがう純一郎は,憲法違反をものともせず喜んで,自国の軍隊をイラクに派兵したのである。

 したがって,「イラクの人びと=イラク人武装抵抗勢力」は,どのような意図や目的で日本のNGO関係者や日本人フリー・ジャーナリストを拉致し,人質にとって,日本の自衛隊の撤退を要求したのか,この肝心な点を理解しておかねばならない。

 ところが,小泉はそうした根本問題に対する原因の分析などはそっちのけで,短絡的な理解しかできず「彼ら」を単純にテロリストよばわりした

 ■−5 要は,アメリカとはちがい,イラクにおいていままで評判のよかった日本の立場は,だいぶ低下したかもしれない。

 

 

どこかの国の人質問題
    

   『朝日新聞』2004年4月19日夕刊「文化」欄は,「人生相談,どこかの国の人質問題−答える人:橋源一郎。国民の義務,政府の義務,そしてボランティアの役割」という寄稿を掲載している。こう論じる。


 
実は,私の国でもイラクでボランティア活動をしている人やジャーナリストが誘拐され,人質にされました。そして,やっと解放されました。

 よかったよかった。

 そしたら,その後,日本政府のエラい人が「『寝食を忘れて』救出活動をした人」のことを考えろとか文句をいいだしたんですよ。

 わけがわかんないとは,このことですよね。

 だって「国民の保護」は,彼らがいちばん先にやらねばなきゃならない仕事なんですから。やって当たりまえ。

 もしかしたら,日本政府の人たちは「人質の救済」は「サービス残業」みたいなもので,ほんとはやりたくないのに無理やりやらされたと思っているでしょうか。

 法律をしらないじゃないですか。

 それから「迷惑をかけた」と怒ってる人もいました。ヘンですね。その人はいったいどんな迷惑をかけられたんでしょう。

 わからない。少なくとも私は全然迷惑をかけられていません。

 でも,人質の人たちのしたことが「迷惑」なら,そういう「迷惑」はどんどんかけてもらいいたい。私の「血税」はそのためにぜひ使ってもらいたい。大歓迎です。

 それから,「金がかかったら払ってもらう」といってる人もいましたが,この人もヘンですね。だったら,そのまえに為替差損で何兆円も国に損をさせた人や誰もこないホテルを年金基金の金で建てた人に請求書をまわしなさいよ。

 人質の人たちは,いいことをしようと思って個人が海外にいったんです。そしたら,彼らの力を超えたものに拉致された。あのね,そういう時のために,私たちは政府とか役人とかを雇っているわけです。

 「海外危険保険」を税金を出して買っているわけ。まあ,ガードマンみたいなもんですよ。そしたら「保険は効きません」といわれちゃった。どうやら,私たちは詐欺にあったみたいなんですかねえ。

 アメリカ軍はイラクで,がんがん子ども・老人をぶち殺しています。日本政府はもちろんみてみぬふりです。

 そんな国の軍隊がのこのこ出かけてイラクの人たちの反感を買い,日本へのテロ攻撃の危険を増やしてしまったのを,民間のボランティアが〔政府の勧告に反して〕民衆に向けて活動することで,その危険を減らしてくれたのです。

 彼らは,日本人の名誉を高め〔その結果,日本の安全に寄与し〕ました。ブッシュに気にいられることばかり考えているコイズミのような人間だけではなく,いい人間もいることを,イラクの人たちに証明してくれたからです。

 つまり,バカな政府の犯した過ちを,人質の人たちが償ってくれたのです。10万人の軍隊を送るより,彼らのはたした役割のほうが大きかった。だったら,政府や一部マスコミは,まず彼らに感謝状を送るべきではないでしょうか。

 それが非難の嵐とは。

 私は私の国の人質の人たちにこういいたいです。−−こんな恩しらずの国のことなんかもう放っておきない。

 

 
 
広告評論家(コラムニスト)で有名な天野祐吉も,「日本人の名誉を高め〔その結果,日本の安全に寄与し〕た」日本人ボランティアやフリージャーナリストを,「日本を広告する」人たちだと褒めている(『朝日新聞』2004年4月22日朝刊「CM天気図」)。こういっていた。

 −−人間のすることは,多かれ少なかれ,なにかの広告になる。

 イラクで人質になった高遠さんたちの行動は,イラクの人たちに“日本〔の良心や友情〕”を広告してくれた。

 バグダッドの少年が「ナオコ(高遠さん)の代わりに人質になる」と申しでたという話は,彼女がはたしてきた広告効果の大きさを証明している

 今井さんは劣化ウラン弾のことを調べようとイラクに入ったという。アメリカの使ってきた劣化ウラン弾という“核兵器”が,どんなにイラクの大地と人びとを汚染しているか。それを調べようとする行動も,イラクの人びとに「日本はアメリカとちがう」ということを広告するのにつながっていくのだろう。

 もちろん,この人たちには,広告しているつもりはない。が,結果としてその広告効果は,イラクの派遣された自衛隊がはたしている広告効果よりも,ずっと大きいと思う。

 アメリカのパウエル国務長官がいったとおり,「この3人の市民を日本人は大いに誇りにしていい」のだ。

 が,ここ1週間,人質問題をめぐってテレビから流れてきた政府与党の人たちや一部マスコミのことばには,日本という国の奇形さ息苦しさを,これでもかこれでもかと広告しているようなものが多い。

 「迷惑をかけたことを自覚しろ」。

 「救出にすごい費用がかかったのがわかっているのか」。

 「費用の一部は弁済してもらう」。

 ……いやもう,ぼくらの代わりに日本を広告してくれる人たちに対して,どこをどう押したら,こんなことばが出てくるのか。

 そうした空気は,日本のマイナス広告となって,たちまち世界に広がる。

 たとえば,4月19日付のパリのルモンド紙は,「日本では解放された人質が“今後も活動をつづけたい”と発言したのをきっかけに,謝罪や費用の弁済を求める“無理解と激昂の怒声”が広がっている」と紹介し,「社会秩序を乱した者は悔い改める念をしめさなければならないのが日本の慣習」と論評しているそうな。

 村八分のような一連のバッシングは,「お上に逆らう者はこういう目に遭う」という国内向けの広告にはなったのかもしれないが,暗くって,じめじめしていて,いやだねえ,こういう広告は。

 ◎ 筆者の声〔コメント〕……(いやだねえ,こういう皇国の精神は)。

 

渡航禁止の法制化見送り,与党が憲法上困難と判断
    

     自民‐公明両党は2004年4月20日,イラクでの日本人人質事件をうけた渡航禁止の法制化をみおくることにした。

 当初は,強制力をともない現行の待避勧告のみなおしを求める意見が強かったが,海外渡航の自由を保障した憲法上の制約から禁止はむずかしいと判断した。政府に対し,退避勧告の周知徹底などを求めることになりそうだ。

 両党は同日の与党政策責任者会議で,渡航禁止問題を検討した。だが,外務省の鹿取克章領事移住部長ら政府がわは「憲法上,渡航禁止の法制化はむずかしい」とし,米,英,豪州などの諸外国でも警告や勧告,情報提供にとどめていることなどを説明した。

 与党は,法制化に向けたプロジェクトチームの設置も検討していたが,最終的に断念し,渡航禁止に代わる措置を引きつづき検討することにした。

 http://www.asahi.com/politics/update/0420/003.html

 


     マイヤーズ米統合参謀本部議長は2004年4月21日,米下院軍事委員会で証言し,2004年会計年度(9月末終了)の米軍イラク駐留予算が8月いっぱいで底を尽き,少なくとも40億ドル(約4370億円)が不足するとの国防総省の推計を明らかにした。

 これとはべつに,治安悪化への対処で米軍2万人の駐留期間を3カ月間延長する費用が,7億ドル(765億円)に達することのみとおしもしめした。

 駐留予算が年度内に底をつくとのみとおしは,イラク各地で発生している武装勢力との戦闘や掃討作戦による大幅な経費増などを反映したものである。

 軍事委で同日証言したウォルフォウィッツ国防副長官によると,3カ月まえの時点で毎月の駐留費用は47億ドル(約5140億円)。マイヤーズ議長は「現在省内で不足分の算定と,原資の捻出方法などを検討中だ」と述べた。

 これに関連し,マクレラン大統領報道官は同日の定例会見で「現場からは予算は十分と聞いているが,(ブッシュ)大統領がいっているように,必要なら手当てする」と述べた。

 イラクの駐留・復興費用などとして,米議会は2003年10月に870億ドル(約9兆5000億円)の歳出法案を可決している。ブッシュ政権は追加支出の必要性に言及していたが,議会への要請は大統領選後の2004年11月以降を想定している。

 2005年度(2004年10月〜来年9月)のイラクとアフガンの駐留関連予算額については,米行政予算管理局(OMB)のボルテン局長は2004年2月,最大で50億ドルとのみとおしをしめしたが,治安状況が悪化すればさらに増大する可能性も示唆していた。

  http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040422k0000e030017000c.html

 

 戦争は『巨大な金食い‐濫費虫』である。その消化器には,国家を牛耳っている一部の政治家とこれをとりかこんで金儲けに走る事業家たちが,寄生虫よろしくとぐろを巻き,巣くっている。いまのアメリカの国家経済社会の中枢部は,そうした連中が居すわっている。

 戦争に駆り出され,戦場で自分たちの生命を け ら のように奪われていく兵卒たちが,まことに気の毒である。だから,国民を本当に大事にする国家〔むろん日本のことである〕は,自国の将兵をけっして「戦闘地域」には送りこまないのである。

 ● 日本の軍人:自衛隊員たちに,あれ! 

 もしも,万が一〔正確には「千が一」〕生命を落としてもいまのところ,彼らには3億円の補償がなされる。このことじたいは,けっして皮肉な対応ではない。歓迎すべき対策である。

 そうして高額に見積もられた生命の値段は,イラクで自衛隊員という軍人たちが生命を落とすような場面が生じないような措置が講じられることによってこそ,維持されうるものなのである。

 いずれにせよ,イラクに駐在しているアメリカ軍の兵士:若者たちの〔2003年3月以来もう700名が死んだ!〕ように,どんどん死者が出るようでは,国家の予算はとてももたない。

 ◎「参考の計算」……イラクにおいて過去約1年間,日本の自衛隊員700名が死んだと仮定するならば,「3億円×700名=2100億円」の補償金を支払うことになる。海上自衛隊のイージス艦,1隻半分もの金額になる。日本の国家予算,それも実質的に歳出に当てられる金額は50兆円に満たない。2100億円は1兆円の約5分の1である。

 そうなれば国家の打つべきつぎの手は,経済的補償はおこなわず,なるべく精神的補償でごまかそうとすることである。

 用意周到なことに,日本の自衛隊員:軍人にはすでにそれ(=精神的補償)が用意されている。それは,靖国神社の地方支社である護国神社に祀られることであり,くわえて靖国に合祀されることである。そういう状況が日本国に登場したとき,戦前体制とまったくかわらぬ戦争賛美・積極的推進の国家的支援の体制が構築されるにちがいない。

 ● 日本の軍人:自衛隊員たちに,災い降る! 

 そのとき,もしも生命を落としても,彼らには3億円の補償などなされず,精神的穴埋めだけで騙されることになる。かつて「天皇の赤子である皇国の将兵」が遇されたのと同じやりかたである。

 戦後において「軍人恩給」が支給されることになったけれども,人間の尊い生命に替えられるだけの経済的価値を発揮できたといえるか? ここでは,自分の家族を殺人事件や交通事故でなくした親族たちの心情を想像すればよいのである。

 お金はいらない,死んだ家族の生命をかえせ!

 


 ※ 以上,2004年4月22日 記述。 

 

「世界を振りむかせた3人」
   

 前段において,広告評論家(コラムニスト)の天野祐吉は,こういった。−−イラクで武装勢力に拉致された日本人たちは,「日本人の名誉を高め,日本の安全に寄与した」。いいかえると彼らは「日本を広告する」人たちになった,と褒めていた。

 陳 舜臣1923年神戸生まれ,本籍は中国台湾省)はある随筆を寄せ,この天野祐吉の発言をうけたかたちで,イラクで人質になった日本人たちを,つぎのように評価している(以下,『朝日新聞』2004年4月26日 夕刊「六甲随筆」を参照

 ● 英語の広告〔アドバータイズメント:advertisement〕は,「振り向かせる」という意味のラテン語に由来する。

 このたびイラクで拘束された日本人たちは,抵抗(武装)勢力がその背景を調べ,彼らの活動がたしかにイラクのためで,彼らの属する集団が武力行使に反対していることをしった。

 それ以来,抵抗勢力の一部かもしれないが,日本には自分たちの友人になれる集団もいることをしった。日本の大きなプラスである。

 ● 私たちは「彼ら=人質になった日本人たち」に感謝しなければならない。そして,彼らを誇りに思う。

 アメリカの国務長官パウエルもいったように,「より良い目的のため,みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」で,まさにそのとおりである。

 ● 広告という観点でみれば,広告効果は抜群であり,なんでも金銭に換算しなければ気の済まない人のために試算してみよう。

 −−イスラム圏における日本の評判は,東郷平八郎元帥のおかげできわめて高かった。それが自衛隊の派遣で急落した。日本人をつかまえて殺せというほどになった。自衛隊の派遣は人道支援のためだと,いくらいっても信じられない。

 −−ところが,若い3人のおかげで,人道支援が本当であることが一挙にしられた。イスラム過激派も彼らを解放した。全世界の新聞が大きく報じ,パウエルさんも感動した。

 ● 私は,この広告効果を数字に弱い私の概算で2百億円と評価した。セコいぞ,もっと高いぞという声もあった。いやもっとみみっちいのがいて,3人から旅費をとれという声もあった。

 


 ※ 2004年4月26日 追記。