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都知事の
珍説「日本帝国主義」論
■ =「帝国主義」は善か:慎太郎君の勉強不足を嗤う=
石原慎太郎東京都知事の三男,宏高氏(39歳)が,11月9日投票日の第43回衆議院総選挙に向けて,東京3区(品川区,大田区北西部,島しょ)に自民党から立候補する意向を固めた。出馬を要請していた同党都連関係者によると,来週にも出馬表明するみとおしで,長男で行政改革担当相の伸晃氏(46歳)につづき,兄弟そろっての政界入りをめざす。 宏高氏は現在,みずほフィナンシャルグループ勤務。石原知事は,19日の定例会見で宏高氏の出馬について問われ,「彼から(東京都が中小企業の資金調達のため実施している)CLO(ローン担保証券)とかCBO(社債担保証券)でもずいぶん知恵を借りたんですよ」と打ちあけ,「当選したら,すぐやる政治家になってもらいたいね」と話した。 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/887426/90ce8cb490T91be98Y-0-8.html 参照。 石原宏高候補は,残念ながら落選した。スパルタ教育に関する著作もある父親の慎太郎は,相当気落ちしたようすである。3男坊ということで,スパルタ教育がすこし甘かったのか?
A 2003年11月10日 宏高,落選も再起期す……石原ブランドに陰り? ● 父の威光も届かなかった石原宏高氏 ● 「石原ブランド」の金看板を背負った自民新人の石原宏高氏=東京3区=は,民主前職の松原 仁氏(47歳)に,一歩およばずだった。「親バカ」の父:慎太郎都知事(71歳)の威光も届かず,「手応え十分」だった陣営のショックも大きい。 2003年11月10日午前,敗戦のショックを引きずった宏高氏は地元支援者らにお詫び行脚とあいなった。近く地元に開設する事務所を拠点に政治活動をつづけ,次期総選挙での再起を期すことへの理解と協力を求めた。 大勢が決した11月9日午後11時45分ごろ,父はともなわずに,会見場へと姿をみせた宏高氏。わずか数分の会見で,「私の信念を多くの方に伝える時間がなかった」と敗戦の弁を語った。 立候補表明からわずか1カ月半。陣営は,父や兄の伸晃国土交通相(46歳)のほか,渡 哲也さん,舘ひろしさんら「石原軍団」が連日,応援に駆けつけ,準備不足を補う戦術だった。 次兄の気象予報士の良純氏も,「私がみた石原家の選挙のなかではもっとも厳しかった。父の慎太郎があんなに熱心に応援するとは思わなかった」と驚くファミリー総出のイメージ選挙であった。 だが,有権者からは「周囲が力を入れれば入れるほど“主役”が埋没してしまう」との指摘がすくなくなかった。 結果は,約9千票の「大差」(松原陣営のコメント)。良純氏は「短い間で顔つきがかわった。この結果をうけとめ,これから彼は政治家として歩んでいくのだと思う」と,潤んだ目をしばたかせ,弟の敗戦を伝えた。 宏高氏後援会の青いジャンパーを着たスタッフからは,「石原ブランドの陰り」を危惧する声も漏れていた。 http://www.zakzak.co.jp/ ZAKZAK 2003/11/10 参照。 石原宏高氏は,選挙活動をつうじて「顔つきがかわった」ということだが,筆者が実際に観察したその変化は,立候補者として登場した当初は「ハイティーン」のような顔相にみえ,とりわけこのことは非常に印象的であった。つまり,実際の年齢よりも20歳も若くみえたのである。石原家内でこの3男坊に対する父親の教育効果がどのような実質であったかを,よくうかがわせるそれだった。 要は,もう40歳にもなろうとする「そんな坊や」に当選の美酒を味合わせるような選挙民だったならば,東京3区(品川区,大田区北西部,島しょ)の有権者は,まことに気の好い「ミーハー」的な人々ばかりだった,といわれてもしかたない。 父:慎太郎にも「イイお灸」になったと思う。それでなくてもこの父親,いい加減図に乗っている最中であったので,今回の選挙で3男坊まで当選していたら,どこまでも調子よくなってしまい,さらに,周囲に迷惑を振りまく言説に拍車をかけることになりかねなかったからである。
B 2003年9月17日 「和解」で救われた慎太郎 ●「銀行税」和解の勝者は誰か ● 2003年9月17日,東京都と銀行15行とのあいだで和解に合意した「銀行税訴訟」に関する記述を,つぎに紹介する。 最高裁で「敗訴」が確定したら,石原知事の政治責任に発展しただろう。「テロ容認」発言で信頼が揺らぐなか,銀行税ではメンツを保った格好である。 一番救われたのは,石原慎太郎東京都知事だったはずである。ただ,そんなそぶりをいっさいみせないところがまた,慎太郎流の真骨頂なのかもしれない。 こういいわけしていた〔→強がりをいっていた〕。 「銀行はいまなお,膨大な不良債権を抱えており,……今回の都の決断は,今日の日本の金融機関の体力が条例制定時の予測をはるかに超え,いちじるしく低下していることを斟酌(しんしゃく)したものであります」。 2003年9月18日定例議会の所信表明に立った石原知事はこのように,和解にいたった経緯の一端を「銀行側の経営状況」とし,都議たちに理解を求めたのである。 その和解内容は,すでに3千1百億円以上の税収を上げている銀行税の税率3%を,2000年4月にさかのぼって 0. 9%に引き下げ,その差額と還付加算金の計2344億円を銀行に返す,といったものである。7月下旬,都がわが和解を銀行がわに打診,最高裁を「仲介役」に交渉をつづけてきた結果,誰も傷つかない結論に達したという。 和解交渉が明らかになった8月中旬,石原知事は, 「全面戦争で一億玉砕とか殺人事件の訴訟とはちがう。けっして,オール・オア・ナッシングの戦いではない。国全体のことを考えれば,一定のランディングがあってしかるべきと考えていた」と柔軟姿勢をみせ,着々と軟着陸に向け布石を打ってきたのだが,1月の東京高裁判決で敗れたさい,こう息巻いて,ファイティングポーズを決めていたはずだ。 「勝負には負けたが,内容では勝った。……都はボブ・サップだ。またリングに立って勝つ」。 時は,国政復帰か,再選出馬か,が注視されていた時期で,後ろ向きな発言は許されなかった事情はあるかもしれない。でも,あの勇ましい姿はどこに行ってしまったのだろうか。 ● 逆転勝訴は至難の業 ● 都関係者によると,知事周辺が和解という選択を視野に入れはじめたのは意外に早く,高裁判決の直後のようである。一審で全面敗訴したのにつづき,二審でも,大手行に課税対象を絞った税制そのものは自治体裁量のうちと認められたとはいえ,また敗訴した。最高裁で,逆転勝訴を勝ちとるのは至難の業というみかたが支配的になったからである。 「注目を浴びた代物だけに,負けが確定した場合のリバウンドが怖い。おまけに,知事に再選されたことで,任期中に最高裁判決が出される可能性が高くなり,晩節を汚す恐れも出てきた。和解以外の道はなかった」,とある都幹部は解説する。 打診をうけた銀行がわは,相当驚いたようだ。ある銀行幹部は, 「銀行税導入以来,鈴木都政で幹部だった都OBが,都庁と銀行の関係悪化を心配して,あいだをとりもとうとしたことがあったが,都がわが応じずうまくいかなかった。その都が和解を申し入れてきたわけだからねえ」 。 石原知事は,都が和解を申し入れたわけではなく,弁護士間の話しあいのなかで自然発生的に歩み寄った結果だというのだが,悪者あつかいされ,差別的に狙い撃ちされたという悪感情が残る銀行がわにとって,積極的に和解する空気は当初強くなかったようだ。 ● リスク回避の銀行がわ ● ある大手行幹部によると, 「最高裁で勝訴が確定すれば,まるまる3千億円超が返ってくるのに,和解で1千億円を放棄したとあっては,株主代表訴訟で経営責任を問われかねない」 と主張する銀行もあったという。 ただ,勝負(裁判)は水物という慎重論や行政と争いつづけることへの懸念にくわえ,金融監督庁に業務改善命令を出され,今期の黒字確保が急務の各行にとって,予期せぬ数百億円が利益として計上できるうまみは大きかった。 銀行業界に詳しいHSBC証券シニアアナリスト野崎浩成氏は, 「最高裁でも高裁に沿った判決が出たであろうが,逆転敗訴で一銭ももどらないこともないとはいえない。銀行というのは,リスク回避的に動く傾向があるから,和解に応じたのは,当然といえば当然の行動でしょう」。 野崎氏の分析によれば,税金の返還で,各行の当期利益は大幅に改善する。連結自己資本も多いところでは,3%強も増強されそうだ,というから銀行がわにとっても,理を捨て,利に徹すれば,悪い話ではなかったわけだ。 だからといって,銀行が救われたと考える人はまずいない。救われたのは,やはり,メンツを辛うじてたもった石原知事だろう。 ● 123億円の加算金 ● 銀行税の構想段階から差別的な税制だとして批判してきた論客,堀 紘一氏=ドリームインキュベータ社長=は,石原知事にとって和解のメリットは絶大だと指摘する。 「最高裁でも負けたら,極端な話,『知事,引責辞職してくれないか』という話にだってなりかねない。そうでなくても,格好悪いことこのうえない。それを和解したことで,銀行も困っているから,と議会で演説できるんだから,すごいメリットがありますよ」。 「灰色決着」したことで,石原知事の手元には,「東京から国を動かした」という剛腕政治家としての戦果のみが残った。 都の銀行税導入が呼び水となって,国が地方税法を改正,全国一律の外形標準課税導入(来年度)を決めたのである。ただ,この外形標準課税は,自治体独自で上乗せ課税できない内容で,先鞭をつけた銀行税も吸収される運命になったことは,皮肉な結果である。 都議会自民党のある実力者は,「課税自主権の行使だ,と騒いだあの熱狂はなんだったのか。国を動かしたとはいえ,東京にはなにも残らない。知事にとっては影響力をしめすインパクトになったが,その代償が利息(還付加算金)123億円とは,あまりに重く,高くついた実験だったのではないか」と,みずからも2000年の導入時には賛成した銀行税の結末に,大きなため息をついた。 http://www.asahi.com/money/aera/TKY200310080158.html −−外形標準課税は多少の効果を上げたものの,東京都じたいにとっては結局〈竜頭蛇尾〉に終わった。慎太郎君お得意のパフォーマンスは,まわりを大いに騒がせた。しかし,そのわりには,当初の意図がそれほど貫かれたわけではなく,銀行がわからの反撃に薄氷を踏む思いで,裁判のなりゆきに接してきたのである。 例によって,そんなこと・あんなことをパフォーマンスしているうち,慎太郎君,つぎの問題発言をおこなうことになった。
● ろくに勉強もしないで,大学者ばりにウソをつくシロウト都知事 ● ■ 石原知事発言,発火物事件は「同情引くためとのうわさ」 ■ 東京都の石原慎太郎知事は,2003年10月28日夜,北朝鮮による拉致問題の解決を訴えるため都内で開かれた集会「同胞を奪還するぞ! 全都決起集会」(「救う会東京」主催)で講演し,田中 均外務審議官宅に9月に発火物がしかけられた事件について,「やったのは彼をけしからんというのじゃなく,私たちがそしっている相手が,同情を引くためにやったというもっぱらのうわさだよ」などと述べた。知事は事件直後,「爆弾をしかけられてあったりまえ」と発言している。 知事はまた,日本の朝鮮半島植民地化について,「私たちは決して武力で侵犯したんじゃない。日韓合併を百%正当化するつもりはないが,どちらかといえば彼ら(朝鮮人)の先祖の責任であって,植民地主義といっても,もっともすすんでいて人間的だった」と発言した。 拉致問題では「さらわれていった私たちの同胞を助けるために,弔うためには,経済制裁しかない」とし,「東京はいっさい北朝鮮船を入れないぞと。訴訟されてもいいからやろうかと思っている」などと述べた。 http://www.asahi.com/special/abductees/TKY200310280421.html 石原慎太郎の以上の発言には,証拠もなにもなく,平然と虚偽の発言をしている。 a) 「田中 均外務審議官宅に2003年9月に発火物がしかけられた事件」については,いちおう「犯行声明」が出されており,また犯行の状況・手口などからしても,日本人‐民族関係の特定組織によるものと推測されている。それを,どういう根拠・事由があるのかわからないが,慎太郎1人で勝手に決めつけて「私たちがそしっている相手」がその犯人だと結論している。 この小説家は,いつから出来の悪い推理小説も構想する〔書く〕ようになったのか? 推理小説の虚構世界のなかでの話ならともかく,犯行組織の実体がほぼ明らかになっている事実から飛躍し,「私たちがそしっている相手」がその犯人だという。これは狂言に近い発想である。バカも休み休みにしてほしいと思うが,こんな発言でも慎太郎は,一般庶民(都民)が喜んで聞いてくれる「デッチ上げの内容だ」と,心中では確信していたのかもしれない。 b) 一番問題なのは,「日本の朝鮮半島植民地化」に対する正当化のヘリクツである。まず,旧日本帝国主義が「武力で〔朝鮮を〕侵犯したんじゃない」という理解が,まったく事実無根の大ウソである。再び断わっておくが,「歴史の事実問題」と「小説のフィクション化技法」とを混同してはならない。 自称一流作家の石原慎太郎君,一流と形容するにはふさわしくない修辞〔文章表現〕はつかわないようにしたらどうか? 自分の品位〔こういう「もの」があなたにあるとしたらの話だが!〕を地に落とすような,そして自身の無知をさらけだすようなハチャメチャ発言は,もうこれっきりにしたほうがよろしい。 旧日本帝国主義による日韓合併を〔1910年8月22日「韓国併合に関する日韓条約調印」:当時朝鮮半島の国家は「大韓帝国」と称していた〕,「彼ら(朝鮮人)の先祖の責任であって,〔日本の〕植民地主義といっても,もっともすすんでいて人間的だった」などと発言するにいたっては,デタラメもいいところである。 たとえば,1945年8月における日本の敗戦の原因をとらえて〈先祖の責任〉だったとか,事後におけるダグラス・マッカーサーによる日本占領体制を指して,「植民地主義といっても,もっともすすんでいて人間的だった」とか理解するのであれば,まだわかりやすい。しかし,旧日帝による朝鮮の統治‐支配を〈人間的だった〉と理解する精神構造は,歴史の事実を完全に歪曲したトンデモない謬説というか「珍説」である。 そういうまちがった歴史理解であっても,小説の世界などで勝手に妄想しながら書くということならば,それはそれで許されることがらかもしれない。だが,21世紀の現段階にあって,19世紀以降の旧日帝による朝鮮侵略・植民地化の歴史を賛美し,正当化するような「まさしく帝国主義者のごとき言説」は,他国家‐異民族に対する冒涜であり,とうてい許しがたい言説である。 というよりもそれは,東アジアの歴史全体そのものに対する「無理解」あるいは「意図的な歪曲」を吐露した,現代に生きる「悪しき侵略主義者の狂騒的想念」である。そんな発言は,都知事職にある人間でなければ相手にもされない「程度の悪いもの」である。 c) 拉致問題について慎太郎は,「さらわれていった私たちの同胞を助けるために,弔うためには,経済制裁しかない」とし,「東京はいっさい北朝鮮船を入れない」と息巻いている。そうであればそのとおりにやればよい。 しかし,そういう対抗措置を実施するにしてもあくまで,日本国家の全体的な方針に沿って整合的にやるべきであって,東京都が日本国になったかのように幻覚症状にとらわれた発言は,どうみてもいただけない。日本国総理大臣でもない都知事があたかも「日本帝国の大元帥」にでもなったつもりなのか,北朝鮮バッシングを煽る態度がそもそも問題である。 ● 総連など抗議,韓国「失望」,都知事「先祖の責任」発言 ● 東京都の石原慎太郎知事が,日本が朝鮮半島を植民地化した日韓併合を「どちらかといえば彼ら(朝鮮人)の先祖の責任」などと発言したことについて,2003年10月29日,在日韓国・朝鮮人の団体があいついで抗議した。 ◎ 在日本朝鮮人総連合会の南 昇祐(ナム・スンウ)副議長は記者会見し,「朝鮮民族に対する根深い蔑視(べっし)と差別感情にもとづいて意図的になされた悪質なもの」と非難した。 ◎ 在日本大韓民国青年会中央本部の゙ 壽隆(チョウ・スユン)会長らは都庁を訪れ,秘書に「韓国併合が武力と恫喝(どうかつ)のなかでおこなわれたことは明らかな事実」と抗議し,発言の撤回と謝罪を求めた。 石原都知事は2003年10月28日の集会で,当時の朝鮮について「分裂してまとまらないから,彼らの総意で,日本人の手助けをえようということで,世界中が合意したなかで合併がおこなわれた」などと述べていた。 韓国外交通商省は「非常に遺憾だ」とする論評を出し,「責任ある政治家が誤った歴史観のもとに時代に逆行する発言をしたことに,失望を禁じえない」と指摘した。 http://www.asahi.com/national/update/1029/020.html 旧日帝による朝鮮〔大韓帝国〕植民地化を正当化する石原の見地が,なぜまちがいなのか説明しよう。 ★ 江口圭一『日本帝国主義史研究』(青木書店,1998年,23-24頁)は,こう記述している。 −−大日本帝国はその出立点からして,二面的帝国主義であった。二面というのは,軍事強国と経済弱国というふたつの顔をもち,かつ列強と対立・抗争しながら経済的にはとくに米英に依存し,その依存〔→依存 (dependence) であって,従属 (subordinate) ではない〕によって軍事強国として自立している,という二重の意味においてである。 この帝国主義としての二面性こそ,日本の対外進路の不安定性と混迷をもたらした根源的要因であった。第1期の日本は,日英同盟と日露同盟とのあいだを右往左往しながら膨張の歩をすすめ,第2期には,ワシントン体制に順応し,米英と協調することによって帝国の安泰をはかるが,第3期には,対米英依存の打破をめざしてワシントン体制に挑戦し,日独伊三国同盟による米英との全面的対決に到達する。 ★ 古屋哲夫編『日中戦争史研究』(吉川弘文館,昭和59年,327頁,328頁)は,こう記述している。 端的に表現すれば,日本帝国は大英帝国との提携・協調と絶えず維持しつつ,帝国形成をはたしてきた。いや,もっと卑俗ないいかたをすれば,諸列強にかわって朝鮮・中国侵略の「斬りこみ隊長」の役割をはたすことで,また東アジアにおける軍事力の劣勢に悩むイギリスの「番犬」となることで,日本は東アジアにおける列強の一員としての地位を獲得してきた。 −−旧「大日本帝国」はこのように,いわば〈2流帝国主義〉をやってきた国家であった。その意味でうけとめれば,「植民地主義といっても,もっともすすんでいて人間的だった」という含意もわからない面がないわけでない。しかし,植民地にされた国家に所属する人間たちが聞いたら,石原の発言は滅相もない不当で,暴力的な発想にしかうけとれない。 譬えていうと,こういうことになる。石原の発言は,「家に強盗に入られて瀕死の重傷を負わされた被害者」〔欧米帝国主義国の植民地にされた諸国〕にくらべるに,「こそ泥に入られてこれと遭遇してしまった家人が刺されて重傷をうけた被害者」〔台湾や朝鮮・韓国〕のほうは,「犯罪の被害をより人間的にこうむった」だけだから「むしろ幸運に思え!」などというにひとしいのである。 石原慎太郎は過去,都知事選挙で美濃部亮吉に惨敗したとき以来,執念深く抱く「美濃部に対する怨念」を剥きだしにしてきた。その程度の怨念でも,それはもう,たいそうなものであるのに,ほかの国を奪い,その諸資源すべてを手荒にかすめとり,人的資源としてあつかった人間の生命を虫けら同然に絶ってきた日帝に対する「朝鮮・韓国民族の恨み」がどのくらいのものか,この男はまったく理解できていない。 美濃部都政〔1967年以後3期〕に関しては,こういう理解もある。
それはともかく石原慎太郎は,程度の落ちる低品質の〈2流帝国主義〉をやってきた国家だから,旧日本帝国が〈欧米の1流帝国主義国〉よりもマシだったというだけでなく,その日本はよいことをやってきたと発言したのである。これでは,在日する韓国・朝鮮人関係者はむろんのこと,大韓民国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も当然,石原慎太郎の無神経というか,歴史に無知の,破廉恥な暴論に黙っているわけがない。
同じウソをつくにしても,すこしは事実をまぜたものだとか,ばあいによってはせめて,その「事実を歪曲しているという程度のもの」にしてほしい。ところが最近,この男がところかまわず吐露〔ゲロ〕する無責任な発言は,完璧に事実無根のものであり,かつ「歴史の出来事からはなれたデッチ上げ」でしかないものばかりである。言語道断である。 −−そうでしかないのだが,どうだろうこの男(慎太郎),なおも自分の発言の正当性を無謀にも理屈づけようと躍起になっている。つづいて披露されたこの男の発言を,つぎに紹介する。
石原慎太郎のばあい,詭弁というか奇想天外に近い歴史解釈をおこなう。しかも,自分にかぎられた断片的知識を当てはめ,当時の世界史を気ままにいじくったつもりでいる。 −−喜んで植民地となった国が,いったい,どこにあったというのか! −−日清戦争は,なんのために日本が起こしたのか? 台湾を植民地にしたつぎに日本が植民地にしたのが朝鮮〔韓国〕であった。そのつぎにしたことは,中国東北地域を侵略的にもぎとり,その後「満洲国」を捏造した。石原流の口調でいくと,台湾も満洲国も,そこに住んでいた人々から望まれて生まれた植民地,カイライ国家だということになる。しかし,いまどきこんな暴論は全然とおらない,歴史的事実に無知な狂説というほかない。 いずれにせよ,石原のような妄論をブチ挙げていたら,近隣の東アジア諸国との友好‐善隣関係の構築は不可能である。北朝鮮には戦争をしかけてでも「拉致被害者」をとりもどせ,という意見の慎太郎のことだから,そうしたやりかたでもよいのかもしれない。だが,東アジア地域の平和と繁栄を願う人々からしてみたら,石原の暴言連発は好戦的な「ならず者の暴力肯定・戦争煽動」にしか聞こえないものである。 関連の勉強不足というか,必要な学習活動を全面的に欠落させている似非小説家でシロウト都知事の「石原慎太郎」には,つぎの専門書から引照をしておく。1908年に創立された「東洋拓殖株式会社」〔→韓国支配ニ於ケル日本ノ植民機関〕に関する論及である。 東拓は,帝国主義の時代にあって,欧米列強に対する日本の協調‐対立と,進出地域における民族資本・民族運動の台頭・協調・対立というふたつの座標軸のなかで,事業を展開していった。それゆえ,そのふたつの座標軸は,国策会社としての二重の規定性にくわえて,それを根底において制約していた国際的な条件であった(黒瀬郁二『東洋拓殖株式会社−日本帝国主義とアジア太平洋−』日本経済評論社,2003年,2頁)。 欧米1流の帝国主義諸国にせよ日本の2流帝国主義にせよ,被植民地諸国の繁栄と幸福のために植民政策をおこなったといえるような歴史的事実は,ただのひとつもない。また,被植民地諸国のがわでみずからすすんで,帝国主義国の支配・統治下におかれることを望んだという話も,一度も聞いたことがない。本当に台湾や朝鮮・韓国のためを思ってやったというのであれば,これら植民地にした国々から撤退すればよかったのである。 実際,日本帝国は植民地から撤退すべきだと主張した論者もいたのである。石橋湛山は「小日本主義」を提唱した。 そんなことをしたら,ロシアがその代わりに侵出してきただろうという心配があった(?)という意見もあろう。しかしながら,そういう政治意識こそ,日本を「2流の帝国主義的侵略国」にさせた基本的な欲望であった,といえる。
D 在日韓国人社会などの反応,石原慎太郎批判 在日韓国人系の新聞『統一日報』(2003年11月5日)は,「繰りかえされる『石原妄言』」という社説をかかげ,慎太郎の暴言を批難していた。 また,韓国の有力紙『朝鮮日報』は,2003年10月29日「社説」をもって,「石原妄言」は「日本国民の欲求を代弁したのか」という題目をかかげ,石原慎太郎を批判していた。こう論説している。
以下にさらに,在日韓国人関係者による石原発言批判も紹介する(『統一日報』2003年11月5日)。 ◎ 姜 在彦〔花園大学客員教授〕……外へのストレス発散である。日本は1990年代のいわゆる「うしなわれた10年」で多くの人々が会社をリストラされるなど,社会的なストレスをうけているが,外部に向けてそれを発散するという風潮がみられる。在日韓国‐朝鮮人社会は,そういう問題に対してすこし穏やかすぎる。韓日の友好とパートナーシップという雰囲気にだけ流されてはいけない。 ◎ 金 英姫〔従軍慰安婦問題研究会代表〕……被害国に責任を転嫁している。暴言・妄言・失言を重ねてきた石原の根底にあるものは,弱者への蔑視と異常な他者への想像力・共感力の欠如である。人権やグローバル化した21世紀にふさわしくない人材である。責任ある公人のいうことではなく,知性を疑う。 ◎ 金 信〔神戸在住韓国・朝鮮人児童生徒保護者の会代表〕……こんどの妄言は要するに,石原知事個人の差別主義・排外主義の反映である。なにより日本の学校で近現代史をしっかり教えられていない在日の子どもたちへの影響が心配である。歴史教科書問題などにみる日本の右傾化に,さらに拍車がかかるのではないか危惧する。こうした妄言を繰りかえさせないためには,石原への効果的なダメージが必要ではないか。 ◎ 金 泰鎮〔民団鳥取本部事務局長〕……石原知事はたしか,かつて理想の父親像かなにかに選ばれたことがあると聞いているが,世の中こういう非良識人がうけるのかと首を傾げたくなる。日本のいく末に危機感すら覚える。 ◎ 李 実根〔ソウル・会社員〕……韓日併合は,李 完用など売国奴とよばれる一部の人をのぞけば,賛成しなかったというのが韓国での常識である。当時,併合に反対する独立運動が全国的に展開されており,独立運動による犠牲者を称える碑石があちこちでみることができる。石原都知事の発言そのものが無礼な妄言だといえる。こうした人物を東京都知事に再信任した日本人を,韓国人は理解しがたいと思っている。 −−最後に出てきた人士,売国奴とよばれる李 完用〔当時大韓帝国政府閣僚〕とて,自分は国のためを思って旧日帝による韓国併合にサインしたといいわけしていた。だが,それはどこまでも,韓国人政治家が「自国民に向かっていうときに許される範囲内での理屈」であって,他国人,しかも侵略国当事者の一員である石原慎太郎が,そのような理屈を捏ねくりまわす正当な理由はまったくない。 ※ 以上の内容について全文は, http://www.onekoreanews.net/20031105/syakai20031105001.htm を参照。
E 八つ当たりした石原慎太郎のブザマ 2003年11月9日第43回衆議院総選挙に自民党から立候補した,石原慎太郎東京都知事の三男,宏高氏(39歳)は,落選した。現在国土交通省大臣である石原伸晃という子息と合わせ,3名も一家から政治家を当選させるという快挙が期待された石原家であったが,石原宏高は惨敗した。 相手がわ候補となった民主党 松原 仁(マツバラ ジン)は,タレントや俳優を控えた強力な応援軍団に後押しされた石原宏高に対して,必死の形相で選挙を戦ってきた。松原が勝ったということは,東京第3区の選挙民,それも投票率の低い都市部での結果としてみるに,擬似タレント候補の石原宏高に対抗してきた候補の苦しい戦いが非常な奮戦だったことを意味する。 さて,筆者が直接その姿をみることができたわけではないけれども,息子の落選という結果に父親の石原慎太郎は,それはもうたいそうがっかりしたらしい。この宏高落選という出来事の数日後,こういう報道があった。
慎太郎自身は「日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」といったにすぎないらしい。 だが,石原流のいつものド屁理屈を発展的に応用させて解釈すると,「100%正当化するつもりはないゆえ,→すなわち99%は正当化するつもりである」という含意でうけとることも,十二分に可能である。 とすれば,TBSの報道は捏造などではなく,わずかばかりというか,ほんのちょっぴりだけ,解釈をとりちがえたにすぎないことになる。許容範囲内に納まる〈程度の差〉どころか,それほど神経質に反応するほどの問題でもないといえる。 うけとめかたにもよるが,おちょくっていうとその1%のちがいは,チイサイとも〔筆者の解釈!〕あるいはオオキイともいえ〔慎チャンの反論?〕,もっともばあいによっては,そのどちらでもいいではないか,どうでもいいじゃないかと片づけることができる。 結局,石原が「日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」といったさい,彼の正直な心情:本心としては,「じゃー,何%くらい正当化するつもりがあったのか」と,聞きなおしたくなるのである。 すなわち,慎太郎の本意は「100%という感じをもっては正当化しないのだ」といっているにすぎない。いいかえると,慎太郎のいつもの言動に照らせて考えれば,100%とはいえないまでも,「80%あるいは95%〔から,かぎりなく99%近く〕くらいまでは正当化する」と,軽くいっているつもりじゃないか,と勘ぐられて当然である。 そのへんを適当〔適切?〕に解釈しすぎたTBSの報道がうっかりにも,慎太郎知事の発言を多少まちがえて「日韓合併の歴史を100%正当化するつもり」と放送し,「テロップでもそのように伝えた」のであった。 筆者のそのうけとめかたは,TBSをかばいながら解釈したものではない。それは,ふだんにおける石原の言動特性のもたらした必然的な誤解であり,慎太郎自身にも相当の責任があるそれだ,ということなのである。 慎太郎は先述のように,息子が衆議院の選挙に落選するという事態にすっかり落ちこんでいた。しかも,その悔しさを噛みしめていた真っ最中に,TBSの報道によって自分の発言が誤報(!?)される事態がくわわった。さあ,たいへんである。彼はその誤報の点をとらえて,TBSが「捏造(ねつぞう)」したと大騒ぎするしだいとあいなった。 おまけに「都民の信頼を失墜させ,今後の行政の障害になる」とも発言した。 どうやら,都民はすべて,慎太郎の味方であるらしい。 しかし,筆者は思う。『都民』などとケチなことをいわず,なぜ,『日本国民にとって云々』という発言のしかたをしなかったのか。もっとも,必ずしも都民の全員が慎太郎の味方であるというわけでもないゆえ,その対象を日本国民まで飛躍的に拡大させることは,なおさら要注意である。 いずれにせよ,慎太郎はかわいい息子の選挙での敗退が,よほどこたえていたのだろう。そこで,1週間ほどまえに発生した誤報的なTBSのテレビの放送に接し,俺さまの腹の虫がいっぺんに暴れ出したということなのであった。 慎太郎に聞く。−−TBSの報道が「捏造(ねつぞう)」をしたという確固たる証拠はあるのか。それが意図的だと断定できる根拠があるのか。そうだと断定しうる事実はあるのか。TBSはいちおう,そうではないことを説明し,謝っている。 毎日新聞系テレビ放送局であるTBSの報道は,石原慎太郎の政治路線に対して,けっして迎合的でない。TBSの姿勢には,産経新聞〔フジテレビ〕だとか読売新聞〔日本テレビ〕だとかいう新聞社が採っているような,石原都知事をあからさまに応援するかのごとき「大衆煽情の報道傾向」とは一線を画した立場が,ハッキリみてとれる。 慎太郎は「名誉棄損などの疑いでTBSを刑事告訴を検討している」と息巻いているようすである。訴訟を起こすなら起こせばよい。裁判の結果は目にみえている。報道などをみてわかる範囲内では,TBSの報道に意図的な悪意はなく,その後になんども訂正の報道をし,謝罪もしている。それでも,慎太郎が絶対許さないというのであれば,関係機関の人・組織はまちがえてはならず,失敗を犯すことが絶対に許されなくなる。 なんたって,アンタが大将! イヨーッ,元帥!! 慎太郎知事はTBSの回答を評して,「本質的な問題に触れた回答はない」と批判しているけれども,そこで,その《本質的な問題》とは,いったいなにを指すのか? 石原のいいたいことは実は,そこに潜んでいるのである。オレに都合の悪いような報道はいっさいするな。「ヨイショするならよい」。「石原慎太郎に対する批判的報道」などけしからぬというのである。まあ,せいぜい,そんなところである。 もう一度,あらためて聞く。 慎太郎は「日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」といったが,そうならば,どのくらいは正当化するつもりか。問題のそもそもの発端は,慎太郎が「日韓合併の歴史を〔100%じゃないが:相当程度〕正当化する」と妄言を放ったところより,生じていたからである。50%以上なら四捨五入すると,100%になる。どだい,正当化云々の問題においてこのような数字:%で議論することじたい,不適切であるのだが……。 大韓帝国は「合法的な手続で併合されたとの考えをしめした」のは,誰であったのか? だから,日本による朝鮮の植民地支配は「正当だ」といったのは,誰であったか? 要は,石原慎太郎は,旧日本帝国による「植民地化は正当だ」といってのけた。ここで問題となるのは,慎太郎が「植民地化は正当」だといった主張そのものであって,何%くらいが「植民地化は正当」なのかということではない。100%ではない,それ未満の ? ? %だからといって,問題を回避できるというものでもない。 したがって,石原が「正当化」に触れた点に関していうなら,その「正当」といったばあいでの意味合いは,100%=「正当化」であり,「正当化」=100%であるということ以外にありえない。かといって,100%に満たないような99%以下の「正当」であれば,その正当化に疑念が生じることにもならない。 もとより,こんなふうの議論そのものがむなしいのである。 慎太郎がおこなったような,つまり,とってつけたような,したり顔の,TBSに対する「抗議」表明は,ちまたにゴロついている暴力団が,堅気の人々に筋ちがいのインネンをつけるのと,なんらかわりない構図である。 −−田中 均外務審議官に対する慎太郎の「テロ容認発言」も暴言であり,まさしく「言語上のテロ行為」そのものでもあった。 石原のそうした発言をうけて激励されたかのように調子に乗って,「建国義勇軍 国賊征伐隊」を名のる日本国内のテロ組織が暗躍している。いまのところ警察庁は,この犯罪集団の検挙をできないままでいる。 ◎ 河野洋平元外務大臣宅に「ライフル弾:実弾1発」と脅迫文の入った封書が郵送された(『日本経済新聞』2003年10月21日)。 ◎ 鈴木宗男前衆議院議員の東京事務所と地元北海道事務所にも,同様な実弾入りの封書が郵送された(同 上)。 ◎ 第43回衆議院選挙に大阪第4区から立候補した中山泰秀氏(33歳)の大阪市北区の選挙事務所に,やはり銃弾の入った封筒が届いていた。宛名は父親の中山元建設大臣で,「中山まさあき(正暉)殿」となっていた。銃弾はライフル銃用とみられる(『朝日新聞』2003年10月21日夕刊)。 ◎ 同上衆議院に立候補し当選した加藤紘一自民党元幹事長の選挙事務所にも,銃弾1発と「必らず成敗する」などと書かれた脅迫状が入った封筒が届き,同事務所が10月21日静岡署に届けた(『朝日新聞』2003年10月22日朝刊)。 死を覚悟したうえで活動・行動・報道しろ,ということか? このような言論圧迫・脅迫がまかりとおっている日本社会の末期的な現状は,深刻である。もう一度いう。犯罪検挙率を極度に低下させている警察庁とはいえ,本気で捜査しているのか。 1987年5月3日憲法記念日に引きおこされた「朝日新聞阪神支局の記者襲撃‐射殺事件」は,「赤報隊」と称するテロ組織の犯行であったが,すでに時効を迎えていた。
最近における,韓国系新聞紙や韓国系知識人の「石原慎太郎」に関する論調は,だいぶ変化をみせてきている。 『朝日新聞』2003年11月13日朝刊に掲載された,韓国釜山市にある東西大学日本研究センター所長,張 済国の論説「石原知事発言−日本への関心低める」は,こう警告している。 この時期において石原の発言がみのがせないのは,すでに沈下しつつある韓国人の日本に対する関心を,さらに低下させる原因になるという点である。「日本離れ」と対照をなすように関心を集めているのが,中国である。 一般市民は「中国の時代なのに,なぜ日本研究なのか」という反応がある。原因は明白である。最近の日本は多くの魅力をうしなったからである。日本経済は長期にわたって沈滞する一方で,排他性ばかりが目を引く。 そとの人間からみると,日本は自身の余裕をうしなっているようにもみえる。排他性もそのひとつの表われに映る。それでは,諸外国の人々,とくにエネルギー旺盛の若い韓国人世代の目を,日本に向けることは困難である。 北東アジアで,民主主義と市場経済,そしてアメリカとの関係を重視する価値観を共有する国は,ほかならぬ日本と韓国だけである。日韓関係の発展は,日韓それぞれの長期的な国益に合致するはずである。 「日本離れ」がすすめば,日韓関係は発展しない。日本は独自の魅力をとりもどさねばならない。それには,経済の早期活性化はもとより,韓国人に対する無査証入国などをふくむ外国に対する開放的姿勢をしめすことが不可欠である。 だからこそ,政治家の不用意な発言が日韓相互の信頼関係におよぼす影響はおおきい。今回の石原の発言は,そういう意味で,きわめて無責任なものである。日本を愛する隣人として,非常に残念に思う。 韓国ソウル市に在住しているある日本人牧師は,大学の授業で20代の学生が「これが日本で人気の高い知識人の歴史観か」と不信感をあらわにした,と伝えている(『朝日新聞』2003年11月21日朝刊「投書」欄)。日本で人気が高いからといって,当人の知識水準の品質も高いという保証があるわけではない。 石原慎太郎という作家出身の都知事は,東アジア全体の歴史に関する専門家的な知識をもっていない。それゆえ,その方面に対する彼の発言を「知識人」の口から出たものとうけとることはできない。あくまで,シロウト談義の域にとどまる。「専門家」ばりにわかっている振りをし,得意顔で,隣国とその人々を冒涜する妄言を重ねてきただけである。 −−筆者みたいに,日本という国に生まれ育ってきた人間にとって,石原慎太郎の投じる諸妄言はおおげさではなく,生命の危険性さえ感じさせかねない非常に暴力脅迫的なものである。 慎太郎の発言を「イイゾ,ソウダ」と聞きとっている日本のみなさん,あなたがたのすぐそば・となりにいる,電車やバスに乗りあわせたときでいえば,となりの席に座っている《私:筆者》の存在をお忘れないようお願いしたい。
G
中国「有人宇宙船」打ち上げ成功
対
日本「H2Aロケット6号機」の打ち上げ失敗 ★ 石原都知事:「中国人は無知だから喜ぶ」−宇宙船打ち上げで− ★ 2003年11月1日,石原慎太郎・東京都知事は鹿児島県指宿市で演説し,10月の中国の有人宇宙船打ち上げ成功について,「中国人は無知だから喜んでる」と発言した。 同市内のホテルであった衆院選鹿児島2区の候補の演説会での発言である。「官僚は税金の無駄遣いをしている」という批判を展開するなかで飛びだした。 中国人を軽んじた発言ともとれ,物議をかもしそうである。 石原知事は,「日本は先端技術の象徴として優秀なロケットを上げている」と切りだしたのち,「となりの中国では人間積んだ宇宙船を上げて(中国人は)みんなびっくりして。中国人は無知だからアイヤーと喜んでる。あんなものは時代遅れ。日本がやろうと思ったら1年でできる」と述べた。 このあと,日本のロケットについて,「上げるたびにお金がかかる。新しいロケットの予算の原価計算がしめされたことは1回もない。『お前たち素人にわかるか』『1千億かかるんだよ』といわれたら出している。道路公団の道路と同じで,国民の税金が無駄遣いされている」と語った([毎日新聞11月1日] ( 2003-11-01-21:07 ))。 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/891796/97L90l-0-5.html
★ H2A打ち上げ失敗,補助ロケット分離できず ★ 2003年11月29日,宇宙航空研究開発機構は,政府の情報収集衛星2基を搭載したH2Aロケット6号機の打ち上げに失敗した。 種子島宇宙センター(鹿児島県)で午後1時半すぎに発射後,第1段ロケットの脇にとりつけられた大型補助ロケット2基のうち,1基を分離できずに予定の軌道をはずれ,地上からの指令で爆破した。 H2Aは,原型となったH2ロケットのあいつぐ失敗で切りかわったロケットである。5回目の打ち上げまで順調だったが,6回目でつまずいた。 文部科学省は対策本部を設置し,宇宙開発委員会も事故原因の究明に乗りだしたが,大型補助ロケットの分離作業はむずかしいものではないとされ,宇宙開発機構の技術力が問われそうである。 北朝鮮の軍事施設を監視する〈事実上の偵察衛星〉を積んでいた。衛星による政府の情報収集活動は不十分なまま運用せざるをえなくなった。日本の宇宙開発力への信頼性はおおきく失墜し,今後の衛星打ち上げ計画や宇宙ビジネスにもおおきな痛手となった。 http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt56/20031129NSE2IEC0629112003.html
★ H2A打ち上げ失敗,外国各通信社も速報 ★ 2003年11月29日の日本の情報収集衛星2号機の打ち上げ失敗について,AP,ロイター,新華社の各通信社も速報で伝えた。 AP通信は,打ち上げが9月10日の当初予定以降,技術的な理由で3度延期されていたと紹介し,宇宙航空研究開発機構は損失額の面で敏感になっていると指摘した。(共同) http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt56/20031129AS3K2900U29112003.html
★ H2A打ち上げ失敗,期待一変・関係者呆然 ★ 情報収集衛星を載せ,2003年11月29日午後1時半すぎ,無事に打ち上がったかと思われたH2Aロケット6号機であった。 しかし,「指令破壊の信号を送信することになりました」。 雲のなかに消えたわずか十数分後,発射点から約 3.6 キロはなれた竹崎展望台に突然,失敗を告げる放送が流れた。 報道陣は騒然となり,宇宙航空研究開発機構の担当者に矢つぎ早に質問を浴びせる。呆然とした担当者は,情報の確認に奔走した。 小雨がぱらつくなか,白い煙を吐きだして約350トンの細長い機体が浮き上がる。全長57メートルの機体はみるみる加速,轟音とともにあっという間に雲のなかに消えた。 10月1日に発足した宇宙機構としては,はじめての打ち上げであった。当初は9月10日に予定されていたため,ロケット本体の両脇に二つある固体ロケットブースターには,統合前の宇宙開発事業団の略称「NASDA」の文字が残っていた。 打ち上げが延期されていたあいだ,「環境観測衛星みどりU」が電源系の故障で運用を断念するなど,日本の宇宙事業ではトラブルがつづいた。 「(新しい組織になっても)1機1機,確実に打ち上げたい」(園田昭真企画主任)と,いっそう気を引きしめて臨んだ打ち上げだったが,思わぬ失敗に宇宙機構関係者らのあいだに落胆が広がった。〔共同〕 http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt56/20031129AS3K2900T29112003.html
さて,慎太郎君! たいしたこともない中国の有人宇宙船飛行の成功を「エイヤ」とばかりこきおろした言動は,いつも悪態の発露〔悪癖の垂れ流し〕のことだから,ここではひとまず追及しないでおく。 しかしながら,日本の宇宙航空研究開発機構による無人宇宙船:「気象観測‐監視衛星」H2Aロケット6号機の打ち上げ失敗について,君はどうコメントするのか? 宇宙航空研究開発機構の担当者たちはきっと,ボロクソにけなされるにちがいないだろう。 なにせ,石原都知事もいうように「日本は先端技術の象徴として優秀なロケットを上げている」のである。それなのに,今回またもや,約350トン:全長57メートルもの機体をもつ「H2Aロケット6号機の打ち上げに失敗した」のである。 なぜ,日本の優秀な先端技術を凝縮して製造されたはずのH2Aロケット6号機が,打ち上げに失敗したのか? なんに関してでもご存じの,そして,なんにでも口出ししたがる石原先生の適切なる評言が聞きたい。 それとも,石原先生は,日本のロケット打ち上げに対する技術指導に直接当たられたら,いかがなものであろうか? 今回,H2Aロケット6号機打ち上げまでにいたる「日本のロケット開発史」の関係資料を,以下の表に紹介しておく。
さて筆者は,つぎのようないくつかの記述を,ある関連のホームページにみつけた。
日本のロケットについて彼は,「上げるたびにお金がかかる。新しいロケットの予算の原価計算がしめされたことは1回もない。あんなものは時代遅れ。日本がやろうと思ったら1年でできる」,「官僚は税金の無駄遣いをしている」といった。 文部科学省の傘下にある,H2Aロケット打ち上げを担当している宇宙航空研究開発機構は,つぎの3機関を統合した組織である。
石原君いわく「日本がやろうと思ったら1年でできる」。−−ただし,今回のH2Aロケット6号機打ち上げはトチッテしまった……。また,4号機でせっかく打ち上げた環境観測技術衛星は,運用段階で失敗し無駄になった。 専門家の指摘を俟つまでもなく,H2Aロケットが同時にただちに,軍事戦略用ロケットに転用されうるというのは,納得のいく点:事実である。 とはいえ,自衛隊という軍隊〔防衛庁〕のなかでそれをやるのではなく,既設の宇宙開発3機関を統合した宇宙航空研究開発機構,つまり文部科学省がかかわって進行させているところが,みのがせないポイントである。 この国は,憲法第9条の〈美名〉のもとに,世界第2位の経済力にふさわしい軍事力を着々とたくわえつつある。衣〔文部科学省〕の下に隠そうとする〈鎧の姿〉〔防衛庁:自衛隊という名の軍隊〕がいよいよ露わになった。 石原君いわく,「官僚は税金の無駄遣いをしている」。いえいえ,とんでもない。なんということはない。その「予算の無駄遣い」を軍事費と思えば,それは,妥当なる予算の編成‐執行といえなくもないからである。 どこの国でも,またビンボウな国でも,軍事費になると「お金に糸目を付けない」ものである。 そろそろというか,もういい加減,日本の「自衛隊」をごくふつうに「軍隊とよべ(!)」という関係者もいる。防衛庁は防衛省に格上げせよという意見もある。 それゆえ,石原先生のいった「日本は先端技術の象徴として優秀なロケットを上げている」ということの「本当の意味」が奈辺にあるかについては,より慎重に解釈する余地がある。 ともかく,2003年11月29日のH2Aロケット6号機打ち上げの失敗は,日本政府の関係当事者たちにとって,手痛いミスであった。しかし,またしばらく経ったらさらに,7号機の打ち上げ準備にかかるはずである。 要は,日本が打ち上げを推進しているH2Aロケットは,a)「宇宙ビジネス(商売用)」だけでなく,b)「衛星による政府の情報収集活動(軍事用)」の目的もかねそなえている。a) において採算がなりたてば,b) の利用にも好ましい影響・効果をおよぼせる。 ある意味では,ヒロシマ‐長崎の被爆体験をいつまで平和国家日本の〈売りもの〉にできるのか,その賞味期限がせまってきているのかもしれない。 ちなみに,今回打ち上げに失敗したH2Aロケット6号機は,「ロケット本体」とこれに載せた「気象観測‐監視衛星」2台,そのほか打ち上げのためにかけた諸経費も足すと,約2千億円を遣ったことになる。 日本国の海上自衛隊で4艦保有しているイージス艦1隻の建造費が1千数百億円であることに比較するのも,一興(一驚?)の価値がある。 ● 筆者はそこでハタと,こういうことを考えてみた。 ……H2Aロケット6号機に載せられた「情報収集活動:軍事用監視衛星」は,その衛星用軌道への放出‐投入に失敗した。この監視衛星は,軍事用の情報収集活動をするために打ち上げようと計画していたわけであり,当面してその監視を要する対象国は,北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕であった。 さてここで,今回のH2Aロケット打ち上げ作業に費消した約2千億円の金額が,まさにその北朝鮮との国交正常化資金に振り向けられることになった,と仮定する。そうなったとしたら,日朝間の外交折衝再開および交渉の実際的な進展に向け,この相当額の金子(きんす)が強力でかつ有意義な手段に遣いえたのではないか。 最近の為替レート1ドル=110円で換算すると,2千億円は18億ドルを越える金額である。北朝鮮との外交関係を打開するためにこのお金を有効に遣い,日本人拉致問題の解決のためにも活かすことができたのではないか。このように考えたところで,けっして非現実的な方途ではないはずである。 北朝鮮の最高指導者である金 正日総書記は,拉致した日本人被害・関係者を人質的な取引材料に悪用する狙いも抱いている,と推測されている。この金君の独裁国を監視するためのロケット打ち上げに失敗して大金をドブに捨てる〔捨てた!〕よりは,この暴君との駆け引きをするうえで,その大金を上手に遣ったほうがよほど有意義ではなかったのか,と考えられてもよいのである。 以上,あくまで結果論のきらいもあるが,日朝交渉のゆきづまりを打開し,今後への展望を開くことを期待するならば,いちがいに奇想天外ともいえない方略でありうるのである。日本がわの人びとは,「あのキム・ジョンイルの奴に対してトンデモナイことを……」というかもしれない。 だが,旧日本帝国とて,隣国に対して歴史的にトンデモナイこと〔それ以上の罪業〕を犯してきただけでなく,戦後もそれらの国々との国交正常化への外交努力を,どこかの軍事大国に気兼ねしてか,長いあいだ怠ってきた事実〔ツケ〕を思えば,国際政治における外交手段の遠謀術策のひとつとしてでも,そのくらいの予算‐費用をかけてなにか工夫することも必要である。 なにせ,あの男はゲンキンにすごく弱いのだから……。 2002年9月17日に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し,画期的な日朝交渉の幕開けがなされた。にもかかわらず日本がわの約束違反,いいかえれば,日本に「一時帰国」した日本人拉致被害者5名を北朝鮮に「いったん帰国」させなかったことを原因に,その後における両国間の交渉の手がかりは断たれた状態である。 ともかく,日朝両国の交渉に中断をもたらした基本的な責任は,日本がわにあるのである。外交交渉において「善‐悪のありかた:関係」を絶対的に措置する姿勢は,賢い態度ではなく,むしろ有害である。 北朝鮮が自国の窮状を配慮したとはいえ,1965年に成立をみた日韓基本条約のような国交正常化のやりかた〔無償3億ドル・有償2億ドルの対韓援助〕を真似て,旧日帝時代に対する損害賠償方式ではなく,経済協力方式による日本の資金提供で妥協する姿勢をしめしたのである。 それゆえ,日朝交渉をなにがなんでも,「特定の論点」にひっかけて「善悪観念で追及していたら」,外交折衝など絶対にすこしもすすまない。もっと〈現実利害的な国際政治状況をよく踏まえた外交姿勢〉を理解し踏まえておく必要がある。このことは,日朝双方において妥当する要件である。 ◎ そうした関連で判断するに,まず最初に挙げるべき問題点は,以下のように整理できる。 a) 拉致被害者家族とこれを支援する関係者(たとえばその代表格,佐藤勝巳についてはほかのページを参照),b) そして,これら人びとの立場ばかりを世論において突出させることに大いに手を貸した安倍晋三〔当時内閣官房副長官,現自民党幹事長〕,c) くわえて,自民党議員たちなどの責任がある。 とくに,安倍たちの政治家らしくない,つまり国際政治に関する常識的な基本手続を完全に忘失・欠落させた,いいかえれば,政治的な覚悟も歴史的な展望もまったくもちあわせない行動が問題である。 ◎ つぎに,なんといっても,日本国の最高責任者である小泉純一郎首相の責任が一番おおきい。 前段のような人びとや政府高官・国会議員たちなどによって,また,マスコミに煽られるかたちで巻きおこった北朝鮮叩き(バッシング)の旋風を,ただ避けるようにして拱手傍観し,せっかく自分が直接出向いていってまとめてきた「日朝平壤宣言」をただの紙片にしてしまったのである。 −−彼はかつて,正式には,こう公言していた。
この日本の首相は,ものごとをすすめることにさいして,ちょっとばかり困難が生じるとすぐにおっぽりだすという,たいそうまずい悪癖:最高指導者としての不適格性がある。その後も彼は〔奇策はないせいか?〕,「一番大事」な仕事をほったらかしたまま,無為無策に時を過ごしてきている(→その間すでに1年近くが経過した。筆者がこの文章を書いている日は2003年12月3日である)。 当人のいうところの〈誠実な実行〉はその後において,いったい,どこに・どのようにみてとることができるのか? 超無責任であるとのそしりは回避できない。宰相たる資格,一国指導者としての資質に問題がある。容量というか度量不足も顕著である。もはや選手交替の時期である。
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イラクへの自衛隊派遣:「攻撃には反撃,殲滅したらいい」,石原都知事★ 2003年12月1日,東京都の石原慎太郎知事は,都庁で実施した生物兵器によるテロを想定した図上訓練に際しての記者会見で,「イラクのテロ防止をふくめて,あの国の再建に力を貸すというのは当然だと思います」と,自衛隊のイラク派遣に理解をしめした。 そのうえで,石原知事は「平和目的でいった自衛隊がもし攻撃されたら,堂々と反撃して,殲滅(せんめつ)したらいい。日本軍というのは強いんだから」と語った。 http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20031202k0000m040124000c.html
−−「日本軍というのは強い」などと語られたのは,なにも21世紀のことでなく,19世紀末葉から20世紀前半にも,とくによくいわれてきた点である。当時,その日本の軍隊がどのくらい強く,そしてどのような戦いかたをしてきて,結局どのように敗れたか,ここではいうだけヤボだから触れない。 現在の日本軍=日本の自衛隊がどのくらい「強い」のか,筆者はそれを判断する材料をもたないが,石原流のそういう独断的な発想:「日本軍というのは強い」には賛成しない。しょせん,独りよがりに「強がり」をいい,オダを上げているにすぎない。 上段,石原の発言は,2003年11月29日イラク北部で日本人外交官,奥 克彦在英大使館参事官(45歳)と井ノ上正盛在イラク大使館3等書記官(30歳)の2人が殺害された事件をうけてのものであった。 −−2003年3月20日のイラク戦争開始以降,日本人に死者が出たのははじめてである。石原君は早速,興奮気味に「日本軍の強さ」を強調し,今後イラクに派遣される「自衛隊がもし攻撃されたら,堂々と反撃して,殲滅したらいい」とブチ上げたのである。 だが,いまの世界中でダントツに強く,そして,日本の自衛隊などとても敵わない兵器を備えたアメリカの軍隊でさえ,2003年5月1日にイラクに対する侵略戦争での大規模戦闘終結を宣言してからその後もなお,イラク国内において毎日のように「戦死者」を出している。
石原君,いつものような,勇猛果敢な発言はもうよろしい。聞き飽きた。「撃ちかた,ヤメ!」 −−だが,アメリカ軍中心のイラク侵略‐進駐後における軍事的な占領・軍政的な支配は,いまでも双方に死人:犠牲者を出しつづけている。慎太郎は,このように深刻で不安定な状況を,どのようにうけとめ考えるかという問題まで関心がいかないようである。 日本外務省の職員2名がテロで殺された。じゃ,というんで,早速短絡し,日本軍〔は強いのだから,という日本の自衛隊〕を派遣して,そのテロリストを「殲滅しろ,ヤッツケロ!」という単細胞的な理屈の立てかたは,日本国東京都知事の立場にいる人間の発想としては非常に貧しく,小学生低学年の次元よりよほど劣るものである。 テロを起こした人間がいる国だからといって〔当初,アメリカ軍などがイラクを攻撃した理由はそうではなく,フセイン政権が化学兵器など大量殺戮兵器を大量に隠しもっているから,というものだった〕,イラクを攻撃・占領したアメリカ軍のやってきていることは,それが限定的な軍事行動であるにせよまさに,イラクという国を「殲滅しろ,ヤッツケロ!」であった。 −−その結果,巻き添えになって殺された,なんの関係もないイラクの民間人たちが大勢いる。くわえて,10数年まえ,湾岸戦争のときに戦死したイラク人兵士や,俘虜になっても不当に処置されたイラク人兵士〔砂漠のなかに埋められてしまった20万名前後?〕の家族‐親族たちの数が,いったいどのくらいになるかも,想像力を実際によく働かせ,認識しておくべき対象ではないか。 今回のイラク攻撃でも,その巻き添えを食って死んだイラク一般市民の死亡者数は,数千人の単位に上るはずである。この数値が「2001年の9・11同時多発テロの犠牲者数:3千人弱」を千人単位以上で越えるものであることは,まちがいない。 以上,都合,数千人‐数万人‐数十万人にも上る,それら死者の家族‐親族や友人‐しりあいたち,そしてイラク各地域社会の恨みを買って当然なのが,アメリカ軍〔など〕である。それでも,その軍団に日本軍〔日本の自衛隊〕もぜひともくわわりたい,というのが石原君の見解である。 −−以上は,現在のイラクで,イラク人たちなどが起こすのだといわれるテロ行為の歴史的な事情であり,その必然的な基盤でもある。現在まで起きているテロ行為は,旧フセイン政権の軍人・支持者やアルカイーダ勢力,国外からイラクに侵入してきたテロリストたちによるものだと,断定することはできない。いまのところ,そのように決めつける証拠を誰も提示できていない。 −−1945年までの日本にも,石原老人みたいな人間が「戦争を煽り,若者を戦場に送る」役目をはたしてきたことは,まだまだ記憶に強く残る事実である。 石原慎太郎君,そんなに戦争がしたいなら,自分が先頭に立ち,いってらっしゃい。ついでに小泉君にたのんで,現在国土交通省大臣である息子伸晃を「防衛庁副長官」兼任にでも任命させてもらい,先頭指揮官にしてイラクに派兵させたらよろしい。
I 石原慎太郎を応援する煽動雑誌「軍団」 ★ 2003年12月2日の新聞広告欄から ★ 石原慎太郎都知事を力強く応援しており,慎太郎御用の新聞紙ではないかとみまごう「産経新聞」を発刊する産経新聞社は,月刊誌『正論』も毎月発行している。『正論』2004年1月号は,上島嘉郎「またもやTBS! 石原発言“誤報”に悪意はないか」という論説を掲載している。 さらに,文藝春秋社が発行する月刊誌『諸君!』2004年1月号は,石原慎太郎「私は捏造報道を許さない−恥を知れ,TBS」というこれは,ご当人が執筆した文章(TBSを糾弾する抗議文?)を掲載している。 関連事情をもう一度説明する。 −−問題の事件は,石原都知事が2003年10月28日のある集会で,「日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」。「しかし,どちらかといえば彼ら(朝鮮半島の人たち)の先祖の責任」などと発言したが,これを,TBSテレビが11月2日の「サンデーモーニング」で,石原知事の発言について「日韓合併の歴史を100%正当化するつもり」と述べたと放送,テロップでもそのように伝えたものであった。 すでに筆者がくわしく触れた内容であり,またTBSをかばうつもりも全然ないけれども,石原慎太郎のいつもの発言様式からみて,「100%正当化するつもりであるかのように誤解される」話しかただったといえなくもないのである。この点は再度断わっておく。
冒頭に引照した文章を再び,ここで引こう。……「自分〔慎太郎!〕は選ばれし者であり,なんでも許されるという無意識の尊大さ」。 しかも,今回は,かわいい三男坊の選挙落選という不運というか,とてもじゃないが気分を害する出来事が時期的に重なって起きたものだから,ともかく慎太郎は,かっこうの攻撃目標に浮上したかにみえる標的:TBSに,ヤケクソ気味に八つ当たりすることとあいなった……。 この憎っくきTBSを「殲滅しろ,ヤッツケロ!」というわけである。まるで,子どものしぐさ:駄々である。 −−いい加減にせい! この「裸の王様」のごとき「慎の字にまったく似つかわしくない都知事」暴君よ!!
=2003年 11月22日,12月1日〜3日 記述=
J 三根生久大『日本の敗北−アメリカ対日戦略100年の深謀−』 ★ 日本はアメリカの「被軍事保護国家」★ 英訳された石原慎太郎〔盛田昭夫共著〕『「N o」と言える日本』(光文社,カッパ・ホームス,1989年)は,アメリカ議会で配布され,騒然とした論議を惹起した。その結果,「日本の自主防衛」主張の急先鋒,石原慎太郎への非難の声がワシントン中に起こり,あちこちで彼の主張に対する憤激の波が脈打っていた。 石原のいわば敵意にも似た感情剥きだしの論述は,アメリカの政‐財界にしてみればとても容認できるものではなく,日本に対する反撥をいっそう強め,両国の将来に強い疑念を抱かせる結果を生んだ(同書,219頁)。 日本国を形容してアメリカの「被軍事保護国家」だと自認する三根生久大は,石原の自主防衛論にかかわるつもりは毛頭ないがと断わりながら,その主張に関するいくつかの誤認部分をくわしく指摘する。日本の一部で主張されている自主防衛論そのものがまったくの妄想であることを立証したい,という(以下は,同書,220頁以降参照)。 a) 日米安保体制不要論は,アメリカが日本に対してどういう対応をしてくるか,全然触れていない。日本が日米安保を切りすてて,独自に軍事大国への道を驀進しようとしているのに,その時にいたってもなお,日本との友好関係をつづけていこうとするようなアメリカ,と考えているとしたら,甘いこと甚だしいといわざるをえない。 b) 石原の構想する自主的専守防衛体制がどういう体制なのか,明確な構想がどこにも描かれていない。しかし,こういう構想によって,超近代兵器で武装された「軍事大国日本」ができあがったとしても,その時点ではすでに日米安保を廃棄し,アメリカから遊離し,国際的孤立に追いこまれた日本に,どこの国が手を差しのべてくれるのだろうか。 c) 「専守防衛」という用語が雑に使われるが,「憲法との整合性」などについての論及は風化してしまったにもひとしい。 「攻勢」のばあいは,攻撃地点を自主的に選定し,そこに戦力を集中しうる。 それに対して守勢のばあいは,相手方が「攻撃」の自主性をもっているので,その攻撃地点を防衛軍はしることはできない。しかし,全国土は守らねばならない。 そこで防衛軍は,敵がいつ,そしてどこから上陸してきても,どこでも侵攻軍に対処できるように兵力を配備しておかねばならない。したがって,厖大な数の兵力が要る,というわけである。 具体的運用についてはよくわからないが,現在の自衛隊の能力をもってすれば,敵侵攻軍に対して,ある期間,ある地域を確保して抵抗することはできるだろう。だが,それ以上の阻止・反撃の能力は期待できない。 d) さて,c) において「日米安保をむすんでいる時」ならば,ここで米軍の来援を待つ,という状況なのだが,「日米安保条約を廃棄してしまっているその時点」では,どうしようとするのか。 さらに,アメリカから手を切られ,周辺諸国家からも背を向けられた日本は,それこそ「専守防衛」というおよそ際限のない防衛予算を要求されるようになるのだが,それに対してはどうしようとしているのか。 以上,この d) に対する回答にはこれまで,ついぞお目にかかったことがない。 e) 石原は,陰に陽に日本が自主性を発揮すれば,アジア諸国はついてくる。欧州の諸国とも協調できる,といったような趣旨を述べている。 しかし,こんな野郎自大な論理がどこにあるだろうか。 f) ごく常識的ないいかたをすれば,日本はこれまで同盟をむすんでいたからこそ,西側諸国とも,アメリカとNATOという関係から友好関係ができていたのであって,アメリカとの関係が断絶されたその時点では日本はまったく孤立無縁となる。アジアにおいてもそれは同様である。 g) アメリカに背を向けた〈軍事大国日本〉にはそれこそ敵意こそ抱け,友好の絆などは一片たりとも求むべくもない。石原の自主防衛論に決定的に欠落しているものは「同盟観」である。 日本のネオ・ナショナリズムの急進論者などが同盟についてさまざまな批判をしているわけだが,「同盟」というものがその戦略を遂行するための作戦単位となっているとさえいえる現代の戦争概念からすれば,今日に日米同盟のありかたは,日米それぞれの国益追求上も理想の形態ともいえよう。 さらに,日本がわについて極言すれば,この「日米同盟」という選択は日本に残された,いわば最後の砦とさえいえる,つまり〈日本生存への道〉であって,これを切りすてたり廃棄したりすることは,即,それは日本が〈亡国への道〉を歩むことになるシグナルであることを,肝に銘じなければならない。 h) アメリカの抱く内実,対日脅威観は,いまを去る百年まえの日露戦争直後より太平洋戦争,そして占領期間を経て,冷戦期を過ぎたいまも依然かわっていない。その深慮遠謀の対日軍事戦略の原点はまさに細い糸の先で,ようやくつながっている軍事同盟といえよう。 i) 日米安保「見直し」論で重要なことは,あくまで日本の国民が自国の安全保障の基本的枠組→日米安保の固守という前提に則った日本じたいの防衛とともに,そのことが併せてアメリカの世界戦略またはアジア‐太平洋の軍事戦略を補足するという二元の体質をもっていることを認識することであろう。 −−以上,三根生久大はどこまでも軍事同盟‐政治体制論の視点をもって,日米安保関係の大枠を全面的に否定する石原慎太郎の,能天気かつ野放図な「自主‐専守防衛論」を批判する。 もっとも,三根生の議論は,日本の立場にとってアメリカとの軍事的同盟関係が必要不可欠であること以外,日本の採るべき選択肢をなにも想定しない「現実的な立場」を披露している。 したがって,アジア‐太平洋地域において日本が独自に国際政治的なリーダーシップを発揮することは,当初より念頭にまったくない。ひたすら,アメリカに降参したような姿勢だけが顕著である。 その意味では,三根生に軍事戦略論を超えた日本の世界戦略は期待しえない。彼は,旧大日本帝国の敗戦を,旧日本陸軍士官学校在学中に迎えた経歴の持ち主である。 筆者は,三根生の議論が全面的に正しいかどうか判断することは,ここではできない。 3世紀にもまたがる《アメリカの対日本軍事的戦略:深慮遠謀》をとりあげるなら,今後における中国のそれももっと詳細に検討すべきである。また,自国=日本においてもそれに相当する,軍事面に限定されない「世界的戦略の眺望」も,自身の考えとして披露すべきである。 しかし,それらに関する議論は,三根生にはない。今年〔2004年〕で78歳にもなる彼に,そうした議論の進展を期待することじたい酷である。 ただ,三根生の石原に対する批判「論」からは,慎太郎の発言がいかに恣意的であり,思いつきでもある特徴を,日米‐軍事体制論的に,より鮮明にしていることを学べばよいのである。 要するにわれわれにおいては,石原慎太郎の「自主‐専守防衛論」が実は,素人の域を出ない軍事体制「観念」論,しかも,きわめてダラシのない〈口からの出まかせ〉的な放言にしかならない点に留意したいのである。 その意味で石原慎太郎流「自主‐専守防衛論」は,本当は〈珍説〉にもなりえない「噴飯もの」なのである。
=2004年5月5日 補述=
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