「問われる在日韓国・朝鮮人 -佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う』 (亜紀書房,1991年)を読んで-」 裴 富吉
Ⅰ は じ め に -概 観- 1991年の梅雨が明けたある蒸し暑い日,私は1冊の本を一気に読んだ。その本の題名は『在日韓国・朝鮮人に問う』,著者は「在日」韓国・朝鮮人問題の研究家,佐藤勝巳氏である。佐藤氏(以下簡単に氏とよぶ)は,日本人と在日韓国・朝鮮人〔在日とよぶ〕の相互理解と友好増進を願って,同書を刊行したという。 氏は,在日の「一部」法的地位は日本人・本国韓国人よりも優位となり,いわば特権的地位を手にし,さらに多くの「特権」を要求している。これでは,日本社会と在日とのあいだに「新しい」亀裂が生じるほかない。限度をこえた在日の要求は日本社会との「共存・共生」をむずかしくするという。 氏は,「在日」韓国・朝鮮人問題にながくとりくんできた専門〔活動〕家である。その発言には傾聴すべき意見が多くある。しかし,その主張にはみのがしえない誤謬や脱線もある。
Ⅱ 在日韓国・朝鮮人気質 氏は1964年から日本朝鮮研究所に関係しはじめ,翌年に同事務局長となる。 まず,金 嬉老事件(1963年春)で本人に会い,彼の人格に「原コリアン」の姿をみいだした。それは,正直に自分の感情を表明するが,自分の振りは認めず,相手の非は過大にいう人間類型だという。この「原コリアン」は,氏の在日「人」の原像となった。 氏は,1970年から朴 鐘碩の日立就職差別裁判にかかわる。そこで日本企業への就職は在日の同化になるという「在日」の考えかたにふれる。つぎに1970年代前半の出入国管理法案反対運動にかかわる。そこで同案の反対者がその内容をしらずに騒ぐのをしる。 氏は入管問題に関係するうち,在日のもつ価値観は「法律は破るもの」という考えかたに接し,日韓両民族の法観念にある落差を感じる。「在日」⇔国会議員⇔上級官僚の関係に馴れあいが生じたら,日本国家はこまる。「入管ブローカー」の存在や賄賂の金の動きも察知できた。もっとも氏は,その金の貰い手がわの実態に言及していない。 氏は,最近の日本に入国が増加している外国人〔労働者〕(とくに長期滞在・永住希望者)と,1920年代に日本にわたってきた在日1世とをだぶらせると,現在の在日の行動様式が現実味を帯びてわかる気がするという。とはいえ,氏は両者の,単純な比較のできない歴史的事情を先刻承知のことと思う。 「仮 説」……韓国・朝鮮人も日本人も文化が異なるものに拒絶反応をしめす民族であり,「在日」が差別といってきた部分の多くは,そのちがい・差異に由来する。氏は,両者間に介在するという,相互のちがい・差異に対する「拒絶反応」を重大視している。
Ⅲ「在日韓国・朝鮮人」像と母国語問題 在日の民族差別をともに闘ってきた氏は,反省を要するのは民族団体の幹部だという。内部での足の引っぱりあい。北朝鮮系「総聯」は,日本企業への就職や社会保障の適用が在日の同化になるとして,これに強く反対した。また氏は,流言蜚語は在日の多くに共通するものであり,政治的立場からちがうと事実の確認もせずに推測で相手を誹謗中傷する習性があると指摘する。 日立就職差別裁判の朴には朝鮮語もしらないとの非難があり,本人はだいぶ動揺した。しかし在日1世が2世に母国語を教えたかどうかは,両親の自由意志による。日本にはそれを制限する法律も社会的圧力もない。1世たちはなぜ日本語を子どもたちに教えたのか。これは在日として,生きることを選択したことになる,という。 --このへんまで話がすすむと,氏の発言はその道の専門家らしくない筆致をみせはじめる。在日1世が2世に母国語を教えようとしなかった〔それも自由意志! それをじゃまする法律もなかった!! 〕という発想は,「在日」問題の専門家のものとは思えないほど雑な意見である。 日本人の海外居住者は60万人をこえる(注記,本稿執筆時点での話)。国外で日本人子弟(小中学生4万9千人)の日本語教育にその両親たちがどのくらい苦労しているかについては,ここでふれない。 戦前の事情はともかく,敗戦から今日まで,日本社会が在日の母国語習得に支障を与えなかったという事実認識は,完全にまちがいである。この事実は戦後史が語るところである。在日は,幼少のころから自国の言語‐伝統‐歴史‐文化に誇りをもてなくなるような社会的圧迫感を,この国からうけつづけてきた。これは筆者の実感でもある。 1世が2世に韓国・朝鮮語を教えず,なぜ「日本語」を教えてきたかなどと問いつめられると,正直いって筆者は絶句するほかない。その土地に生まれた人間は,ふつうその土地のことばをしゃべるようになる。「教えなかった」ことが,ただちに「教える気もなかった」ことまでを意味しない。北朝鮮系の民族学校では,母国語を完全に習得させている。 現行の外国人登録法は,在日の韓国・朝鮮語の使用に無言の圧力となっている〔外国語「韓国・朝鮮語」を話す人間は「在日」→外国人登録法の規制対象→外国人登録証明書の常時携帯義務あり→違反には罰則!〕。 氏は,1世が2世に母国語を教えなかったことを,1世が日本に「在日」として生きることを選択したというふうに解釈するが,これは短絡である。1世は教えたくても教えられず〔生活が精一杯でそんな余裕はない〕,2世は習いたくても習えない環境〔民族学校は潰される・近くにはない・公的扶助もない〕にあった。 氏は,人間が「どこに住むようになったかの問題」と「言語習得の問題」を混同した議論をしている。 日本社会は在日系民族学校に反感・反発をもち,「官‐民」一体でその存立を否定的にみてきた。京都韓国学校の移転改築問題は,解決までなんと20年を費やした。アメリカン・スクールならどうだっただろうか。
Ⅳ 指紋押捺問題 氏は,1955年に導入された外国人登録法の指紋押捺制度に,当時在日は反対せず,1984年~1985年に反対運動をはじめたのはおかしいという。 しかし,それは歴史の流れを否定的にしかみない解釈である。在日は指紋押捺制度を甘受していない。当初から拒否者はいたし,反対の動きもあった。その拒否者は重罰をうけている。1985年に急激に巻きおこった「指紋押捺撤廃運動」は,過去に蓄積されてきた在日の怨念〔恨:ハン〕の,また反対意思の爆発であったにすぎない。 氏は,出入国管理法案や外国人登録法の問題で在日たちに,彼らの法的地位や処遇に関して多くの講演をしてきたが,彼らはほとんど関心をしめさず,たまにあっても「自分たちは外国人だからしたがわざるをえない」という反応だった。ところが,指紋押捺撤廃運動がはじまってからは,それらの法には「屈辱で体が震える」というのはおかしい,と非難する。 在日問題の専門家がこの程度の認識かと思うと筆者は情けなくなる。時代の流れの変化が,国際情勢の体制が,そして戦後日本の民主主義教育をうけた在日2世・3世たちの意識の変革が,かつての「不愉快」を「屈辱」に感じなおさせ,かつての「したがわざるをえない」を「体が震える」怒りにかえさせたといえないか。 「指紋押捺」の体験,あの暗いやりとり〔役所の一角で,曇りガラスで仕切られた場所で担当公務員を相手におこなうもの〕は,表現しようのないほど陰鬱である。 氏は,外国人登録制度をアウシュビッツになぞらえるのは,限度をしらない比喩だという。たしかにそれはいいすぎであろう。しかし,旧日本帝国支配下の朝鮮半島は実質アウシュビッツのようだった。敗戦まで,朝鮮‐日本本土,そのほかの外地でどのくらいの数の朝鮮人が殺され,奴隷のように酷使されていたかは,証拠隠滅もあって定かではないが,その被害者=死者の数は,数十万の単位に達するはずである。
Ⅴ 本 名 と 通 名 氏は,在日の日本名使用問題は,これを日本社会の民族差別のみで説明するには無理があるという。4世の代まで半世紀以上も日本に住むのだから,日本と異質な風俗‐習慣‐価値観などもって生きていくことは,現実的に無理なことだといい,だから日本名の使用は当然だという。 しかし,氏のこの主張は視野のとりかたがせまい。海外に移民した日本人は,いまも日本の名字をつかいつづけている。海外の移民日本人も3・4世の世代になっている。 日本の姓で「金(こん)」〔「今」「昆」「近」も同源,もとは朝鮮系〕があるが,「李」や「朴」「崔」「鄭」などの姓がこの国にあって悪い理由はない。その使用に差別や偏見の視線をむける社会のほうが問題ではないだろうか。 アメリカ合衆国では人の姓をみれば,その出身地(出身国)がわかるものがほとんどである。日本はその対極に位置する国である。 筆者の聞いた話だが,久礼(くれ)という姓はもとは朝鮮姓の「呉」であったが,明治以降この社会のなかでは「呉」がつかえなくなり,久礼にかえざるをえなかったという。 氏は,本名使用の在日は民族差別に負けない人で,通名はそれに負けた人という二分法はおかしいという。だが,こんなふうに問題がとりざたされる日本社会に,もともと病理の根源があることをよく認識すべきである。 フランスに住むんだから〔フランスでもその出身がわかる姓をもつ人間も多い〕フランス風の姓を付けましょうというのと,在日の「通名」問題とは性質がちがう。 日本社会は,韓国・朝鮮人の姓も,この地に住む同じ人間の「名字」として,そのまま受容する気持があるのか。自国人は外国に移住しても日本姓をつかうのはあたりまえだが〔このことにふれないで〕,日本で在日が韓国・朝鮮の姓をつかうのはまずいというのは,まさに勝手なりくつであり,前後一貫しない。
Ⅵ 被 害 者 意 識 在日は,いつでも悪いのは他者で,自分は被害者に位置づける。社会保障面で制度的差別が全廃され,特別永住が実施されているのに,「加害者」日本の民族差別と偏見をいいつづけると,氏はいう。 氏は,在日に日本国籍を与えて諸問題の解決をめざせとする論者である。そもそも在日の問題の根幹は,昭和20年代に日本政府が旧「日本国籍」保持者の在日朝鮮人から,一方的にそれを剥奪した事実にある。氏の国籍付与「論」はその時点に問題を引きもどす意味もある。いわば,ボタンの掛けちがいを遅まきながらも正そうということになろうか。 だが,半世紀以上も住みつづけている人間に対して,社会保障の全面的適用だとか永住権〔生まれてからこのかたずっと永住してきている!〕の一律付与などといっている,この国の施策じたいが摩訶不思議なのである。国籍云々以前の問題がありやしまいか。
Ⅶ 異質との出会い:共生 氏は,在日の一面観〔一面事実の針小棒大的な主張と強い被害者意識〕で,日本政府や日本人を非難する思考は,事実を重視し,責任回避を潔しとしない日本人の価値観とするどく対立するという。 氏の話は極端である。今日ある在日問題は,日本の植民地支配‐戦争責任に対する責任回避,日本国民の加害者意識の稀薄さ〔被害者意識は在日に劣らずしっかり保持している〕のため,いっこうに好転の兆しがみえない状態にあった。「指紋押捺制度」の廃止も,在日〔など〕の猛烈な撤廃運動があったから実現したのであって,なにもいわなければ恐らくいつまでも存続させていたはずである。 氏は「指紋」の治安上の抑制力を信じて疑わないようであるが,スパイ活動防止問題と在日外国人の「指紋」問題を同一視するのは,在日だけでなく日本人自身にもかかわる重大問題として,非人道的・反人権的なとらえかたになることに気づくべきである。 在日の「指紋押捺」は,専門研究者が明確にしているように,とっくの昔にその役割を終えている。スパイ活動防止をいうなら,日本人全員からも指紋を採らねば,その効果はうすい。 警察および関係当局は,職務上大いに「内外」「国民」の指紋を採取する義務をもつ。だから,外登法で在日の指紋が利用できるならば,これにこしたことはない。日本人も交通違反や虎箱にお世話になったさい,きちんと指紋を採られている。 ともかく,氏の指紋問題の説明は,まるで当局関係者のような口調であり,受け売りそのままである。結局,事の本質がみえていない。
Ⅷ 民族差別の解釈 氏は,民族差別をなくすにはそれが再生産される過程や構造を明らかにしなければならないとする。けだし正論である。 氏はいう。在日は日本社会との共存‐共生を要求する。とはいえ,なにが「異質」なのか,またそれが守るに値する「質」か否かに関する検討もなく,自分たちの主張利益を認めない日本社会がけしからんというのでは,対応のしようがないと。 結局,在日は自己の相対化,自己検証ができていない。ここに彼ら=在日の最大の問題があるという。日本人が自分たちを不幸におとしいれた「元凶」であり,これがよい方向に変化しつつあることを認めると,自分たちの「正義の立場」がうしなわれると思っている,ともいう。 --氏は,日本企業に定住外国人採用を義務づけたりしたら,彼らの自己努力・自己変革を軽視する傾向をさらに強めるだけで,ながい目でみるとかえって不幸にするだけだと断定する。 アメリカでは,問題をかかえながらもすでに実施されている,アファーマティヴ・アクション(affirmative action:積極的是正処置)は,日本では採用しないほうがよいという論調であるが,問題解決への試行錯誤の可能性すら否定する氏の立場は不可解である。 --敗戦直後,在日朝鮮人たちの社会秩序を無視した行為と,李 承晩政権の日本漁船だ捕事件がなければ,日本人の韓国・朝鮮人観は現在とは大変かわっていただろう,と氏は述べる。 しかし,敗戦直後の出来事→「解放民族」朝鮮人の乱暴・狼藉を手を拱いて黙視し,それに毅然たる対応ができず,図に乗らせたのは日本人:日本社会であった。李ラインの問題とて,韓国漁民の貧しい立場を配慮しながら観察できた人が,いったい日本がわにいただろうか。くわえて,日本のマスコミ報道の煽動的であったことは,当時の新聞をみればわかる。 氏の話は戦後に限定されている。1945年以前からの対朝鮮人観は,どう関連してくるのだろうか。 敗戦直後,日本人・日本社会の自信喪失,茫然自失は,在日朝鮮人たちの跳ねあがり行動を制御できなかった。そのときの悔しい思い出もあってか,それまで旧日帝が朝鮮でなにをしてきたのかということは忘れ,戦後の闇市を一時支配し,無法をかさねてきたとする,韓国・朝鮮人に対する憎悪感情=差別意識だけは増幅・倍加させてきたのである。 ちなみに,戦後の闇市場はなにも「第3国人」だけのものではなく,日本人にも不可欠のものであった。闇物資を拒否し,餓死した判事の話は有名である。 明治以来の旧日帝による朝鮮支配,そして在日問題が,戦後直後の混乱期〔一時期〕に巻きおこった朝鮮人のアナーキー的行為の犯罪性によって,相殺される筋合いはない。それとこれとはひとまず別問題である。大きな鼻糞が小さな目糞の汚さをいいつのるのは,たまらなく聞きぐるしい。
Ⅸ 歴史的事情の理解 氏は,1947年の外国人登録令の施行やその後の指紋押捺制度の導入は,戦後の政治的社会的背景のなかで出てきており,日本政府や日本人の偏見や排外的な考えのみから生まれてきたものではないという。 そうした経緯の分析,真実の探究はその道の専門家にゆずるが,氏の解釈は「逆立ち」している。それでは,その後政治的社会的背景が大きく変化したにもかかわらず,いつまでも外登法〔とくに指紋押捺問題〕が「悪法も法は法」というかたちで在日を苦しめてきた経過を,氏はどうみているのか。 氏は治安対策上〔なにゆえに在日がその対象となるのか:全員スパイとでもいうのか?〕それもやむをえないというような口つきである。氏に民主主義感覚ありや? 人権感覚ありや? こういってみたくもなる。 筆者のばあい,運転免許証をもたないせいか,結婚以来「外登証」の提示を官憲から求められた経験がない(17年以上〔注記,2003年まで30年近くも,そうである〕)。指紋で私を確認するなど笑止千万である。氏の論法でいくと,日本人も全員「指紋付き」の「身分証明書」をもたなければ〔もちろん罰則あり!〕いけない国になりそうである。
Ⅹ 時間を守らない在日 在日は時間にルーズである。日本人にもその手合いはいるが,とくに在日はひどいという。ものの生産に譬えれば,時間〔納期〕を守れない人間は欠陥商品である。氏は,こう在日をしかる。たしかに氏の難詰はあたっている。在日は時間厳守の精神が足りない。 だが,筆者の最近の体験では,在日本大韓民国〔居留〕民団の地元県支部総会に出席したさい,時間の進行は正確におこなわれていた。在日の時間観念もすこしは,変化しているようである。
ⅩⅠ 矛盾する発言 氏はいう。在日の権益活動家は,従来の主張や認識と矛盾する言動をしている。たとえば,制度的差別がなくなっても民族的差別と偏見がすこしもなくならないというならば,かりに国籍法が血統主義から生地主義にあらたまったとしても,民族差別がなくなるという主張はできないはずである,と。 氏の論法は,あたっている面とそうでない面がある。制度的差別の除去が民族的差別の除去に一直線につながらない点に,問題の困難さがある。この国がどのくらい本気で,意識的に在日関係の差別の除去に努力してきたかをみるとき,そういわざるをえない。 ここで参考のために,日本人自身・日本国内の問題として同和問題があることを指摘しておく。 制度をささえるのは人間である。この人間の意識をかえるためには制度をかえなければならない。この制度をつくるのは人間の意識である。こうした三角関係をいかにとらえるべきかが問題となる。 --氏は「約束を守る在日韓国・朝鮮人企業家」の前むきの努力,信頼関係をつくる生活ぶりにふれ,彼らによってこそ民族差別の根拠が除去できることを示唆する。
ⅩⅡ 在日韓国人の特権 在日韓国人「後孫(法的地位協定にいう在日3世以下)」に,出入国管理及び難民認定法を適用しなくなると,在日韓国人は韓国のパスポートで日韓両国をビザなしで往来できる。氏は,これは在日の特権になるという。 だが,氏の議論は形式に囚われている。日本〔国籍〕人でも複数国のパスポートを所有し(両親が国際結婚の関係でそうなる),氏のいうような「特権」的なそのつかいかたをしているケースがすでに発生している(注記,日系人のペルー元大統領が日本に逃げこんださい,つかった手がそれである)。在日のばあい〔特権!〕はダメで,日本人のばあい〔特権?〕は黙過できるのであろうか。 また氏は,韓国〔大韓民国〕は住民登録で国民に十指の指紋採取を義務づけているが,在日にはそれをしていない。このとりあつかいは「差別」ではないかという。しかし,こういう比較はまさに本末転倒である。この論法でいくと,在日の男子青年は韓国の兵役義務に服するべきだ,ということにもなりかねない。だが実際はそうはしていない。なぜか。在日問題の専門家に聞くのは失礼になろうから,これ以上は問わない。 祖国で在日が1人前に処遇されていない事実はある。とはいえ,在外公民としての在日は特殊な事情にある。→日本に居住し日本の法に守られて生活しているのだから,ここに韓国の法を適用することなどできない相談である〔一部民法などは除く〕。 日本の法は当然在日にも適用されて,いままで「指紋」をこの国から採取されてきたのである。氏の話を聞いていると,在日は指紋を採取されたほうが適当な存在だといっているようにも聞こえる。 氏は,指紋問題をやみくもに治安問題とむすびつけたがるが,これは事の本質がよくみえていない者の観察である。在日にとって指紋制度の撤廃は「特権」を意味しない。それは,日本における人権問題一般の向上を意味する。韓国国民の実態と直接比較するのは「比較にならない比較」である。
ⅩⅢ 民族教育問題 韓国政府が日本政府に自国民〔在日韓国人〕の民族教育の金を出せというのは,信じがたい要求だと,氏はいう。それは本来,韓国政府のすることだという。 はて,氏のいうことはますますおかしくなる。在日の民族教育は日本政府の責任である。だから在日や意識ある日本人教育者は,民族学校の積極的設置を要求してきている(注記,韓日間ですでに政治的にもそういう合意がなされている)。 こういうふうに考えてみてはどうだろうか。在日の存在は「県民文化」に相当したこれを形成するひとつの「民族」である。この程度に在日を認知できれば,この日本の精神性が「大人」であることを世界に認めてもらえるであろう。異質との共存・共生は相手の存在を認めることなしには不可能である。 在日の民族教育に使うその源泉は,結局在日の支払った税金であるから,こういう金の積極的使いかたをする〔日本国家予算の〕部分が多少はあってもよいはずである。 氏には,「民族」の「質」のちがいを育成する「教育」をほどこすのはまずい,という感覚があるようだが,それでは,民族間の交際‐興隆,まして異質との共存・共生は達成しようがない。 海外の日本人学校は,財源の問題はさておき,まちがいなく日本の「民族教育」をしているはずである。在日と海外日本人の問題は,月とスッポンほどの差があるから単純な比較はしたくないが,在日の民族教育は「否」だが,海外日本人のそれは「良い」ということはできない。 氏は,在日に日本国籍を与えよ,そうすれば問題の大部分が解決の方向にむかうと考えている。しかし,そうなったら〔在日への国籍付与〕なったで,在日たちの「民族教育」の問題は,こんどはまさに日本国内の「民族教育」問題へと脱皮し,成長する(!?)ことになるだろう。 現在の日本社会の状況のままでは,さきにふれた同和問題的存在になるにちがいない。筆者はそうなればよいなどとは毛頭考えていないが,そういう予測も配慮にいれておく必要が,この日本社会にはあると思う。 いずれにせよ,在日の民族教育問題は,在日自身や日本人教師たちの努力によって,地方自治体との交渉・理解をとおして実現している面が強い。韓国政府との関係は2次的位置しか占めていない。
ⅩⅣ 選挙権・被選挙権 地方議会の選挙権・被選挙権をもたないならば,在日は日本国籍をとればよいではないかと,氏はいう。これは,在日問題専門家とも思えない発言である。氏は,この国の帰化行政の実態をまさかしらないわけではあるまい。先進国中,日本国籍ほど取得しにくい国はない。くりかえすが,半世紀以上も住んでいる人間に国籍を与えない国である。 要は,日本政府の「帰化」行政には他民族性圧殺作用が「毒」としてふくまれるかぎり,問題は落ちつくところをみせないだろう。
ⅩⅤ 難民問題との関係 氏は,外国人登録法「指紋押捺制度」の廃止は,難民対策をむずかしくするという。ここでも氏は問題を混同している。在日韓国・朝鮮人問題と難民問題とが,なにゆえ直結されねばならないか。議論のもっていきかたがはじめからおかしい。両問題は別々に考えるべき内容を有する。
ⅩⅥ 謝 罪 と 償 い 「在日韓国・朝鮮人の保障・人権法〔案〕」(民族差別と闘う連絡協議会作成)は,過去の植民地支配と旧植民地出身者に対して,戦後補償・人権保障を要求するが,氏はこれはへんてこな主張だという。日韓条約の「謝罪と償い」が十分でなく,在日の地位・処遇も不十分だというのはおかしいとする。同案の仮説は,都合のよいものばかりであるから,これで補償を要求する態度には日本人は反発を感じるだけであるともいう。 氏の憂慮はこうなる。指紋問題の解決→地方公務員の国籍条項撤廃→在日の戦後補償は,はてしなく「特権」の要求をつづくことになる,と。氏は自国民よりも他国民に優位な特権を認めるべきではないという。 はてな,われわれ在日韓国・朝鮮人は,そんなに「特権」的な要求をかかげているのだろうかと首を傾げたくなる。いままで日本政府は,「外国籍」の人間には基本的人権を認めず,それこそ人権蹂躙を地でいってきた。氏は,そこで在日に「日本」国籍を与え,それを一気に解決せよというのであるが,はたして問題はそんなに単純であろうか。 こういうことである。--日本国籍の付与により,在日のかかえる法的・形式的問題のかなりの部分は解決するにちがいない。指紋問題はほぼけりがついた。地方公務員問題もよい方向にむかうだろう。だが,なおのこされている重要問題がある。それは実質的・内容的問題である。 国籍を取得した「在日」たちの生きかたの問題である。氏の議論は在日に「日本国籍」人になれといっているように聞こえるが,そうすれば在日は日本社会に対して過大・法外な要求〔これは氏の表現によれば特権〕をしなくなる,できなくなるとでもいうのであろうか。 かりに,在日たちに日本国籍を与えられたとしたばあい,彼らが韓国・朝鮮人系日本人として生きていく方途を誰も否定できない。人間の生きかたに関することゆえ,それにどうのこうの注文をつけることもできないから,そのときになっても,あいかわらず「異質」との「共存・共生」の問題は継続していくだろう。だから日本国籍の有無にかかわらず,在日の問題は根強く残存していくほかない。 なぜなら,従来の日本の「帰化」行政は他民族性抹殺志向であるが,氏のような国籍付与「論」は,そのような志向はもたない。しかし,在日韓国・朝鮮人の民族性が抑圧作用をうけにくくなるという保障ももたない。もちろん,このへんの問題の予見は多様であってよい。 そこでは,氏のいうような在日の「特権」が要求されなくなるであろうか。氏が特権だと形容していたものが,こんどはあたりまえの・当然の要求として提出されることになるであろう。 氏は,現状では在日および韓国政府の言動によって,事態は日韓両国のナショナリズムの暴発という危険な方向に確実にすすみつつあるとみているが,こうした問題を日本の国内問題化〔在日が日本国籍を取得〕することで,はたしてただちに解決となるであろうか。もともと,問題の性質は日本の「国内」性にあった。 筆者が「部落問題」=同和問題に途中でふれたのは,そのような展望をもつからである。在日の日本国籍取得は,日本社会の差別体制が積極的に除去されるような努力が継続的に実行されないかぎり,結局,第2の同和問題の発生になること請け合いである。
ⅩⅦ 永住する外国人,とは形容矛盾か? 氏は,在日は祖国があるから,いつでも帰国できるという。ずいぶん非現実的な〔在日にとって「帰国」とは無意味な生活概念である〕ことをいえる専門家だと,筆者は呆れるほかない。ともかく問題を複雑にしているのは,氏もいうように在日2世以下が日本社会への同化の面では,日本人とみわけがつかなくなっているのに国籍のみは異なり,ここに大きな矛盾が生じていることにある。 だが,よく考えてみたい。みわけもよくつかないという在日韓国・朝鮮人を,国籍〔および民族〕がちがうからといって〔国籍は勝手に剥奪した〕,これらを盾にして,いいようにいじめぬいてきたのが,この国であった。ほっておけば,自然に同化していく面もあるのが風土に生きる人間のありかたなのに,民族「異質」性を〔国籍のちがうことでも〕全面的に否定し,抑圧ばかりくわえてきたやりかたが,いかに卑劣であるかは贅言をまたない。 氏は,永住する外国人とは形容矛盾だというが,これを製作したのはほかならぬ日本政府であった。 氏は,在日にとって日本ほど住みやすいところはなく,外国人にこんな自由を認めている国が世界のどこにあるかという。しかし,筆者のような日本生まれ・日本育ちの人間には,氏のいいたいことがもうひとつピンとこない。 (注記,在日はほとんど日本にしか住んだことがないから,最近すこし住みにくくなったかもしれない日本の状況もふくめて,「日本ほど住みやすいところはない……云々」という佐藤のいいぶんは,的外れもいいところであり,途方もない〈いいかがり〉に聞こえる)。 なんでそんなことを氏にいわれねばならないのか。もしかしたら,外国人のくせにこの国に住めることを感謝せよ,とでもいいたいのであろうか。 (注記,「在日に国籍を付与せよ」という佐藤の主張〔の方向性あるいは意図〕に鑑みれば,在日=「外国人にこんな自由を認めている国が世界のどこにあるか」という論法じたいが基本的に成立しえないことを,まずさきに十分認識しなければならない)。 (在日韓国・朝鮮人の日本在住問題と,朝鮮半島(韓半島)にある2つの国に住む人びととの問題を「ゴタマゼにする氏の混沌とした説法」は,問題の肝心な前提をまったくわきまえない迷走の議論である。在日韓国・朝鮮人問題を生業〔なりわい〕とする識者の発言とは思えないような「お粗末な誤謬」にはまりこんでいる)。
ⅩⅧ 結 論 日韓併合から81年(注記,2003年で93年),敗戦から半世紀近く経過し,在日3世4世まで生まれている。彼らが外国人であることが不自然だと,佐藤氏はいう。これはまさに正論である。ところが,こういう正論を吐く氏が,各論になると,とたんに奇妙な論調になる。筆者がこの一文を書こうとしたきっかけは,そこにある。 氏は,在日韓国・朝鮮人の問題解決のポイントは日本国籍の取得にあり,そうすれば当事者の要求はすべて解決し,特権問題もおきないという。「協定3世」以下に限定し,生地主義で日本国籍を与えるのも一方法だという。それ以外の在日は帰化の手続を簡略化するなどすべきだという。日本国籍取得したくない人は,現在の法的地位協定で十分カバーできるとする。 以上の氏の「結論」は,それじたいは「正論」だが,しょせんこれまでの日本政府・日本社会の在日韓国・朝鮮人政策に対する処遇のまずさを反省していない点で,大いに不公正を感じざるをえない。また,氏の「国籍」付与論は,その実際が今後に発生させると予想される重大問題〔筆者が行論中ふれてきたもの→第2の同和問題化の現実的可能性〕をほとんど考慮していない点も心配である。 氏の「日本国籍付与論」は,ここまで問題が進展しているなかでは,もはや特効薬でないことを認識しなければならない。もっとも,氏の国籍「付与」問題の是非は,在日の1人1人に聞いてみる必要もありそうである。 紙幅の関係で十分論じきれていない点もあり気になるが,以上擱筆する。 1991年8月7日
● 筆者が,11年と8か月も昔に公表したこの稿文をワープロに入力しなおし,このホームページ用に準備したのは,「現代コリア研究所長,北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の会長である〈佐藤勝巳という人物の在日外国人論〉を批判する」ためであった。 筆者が,本ページの直前に書いて公表した「2003年9月10日,テロ行為を煽る石原慎太郎の本性みえたり」というページのなかに,佐藤勝巳現代コリア研究所が登場してきた。 この佐藤勝巳なる人物は,朝鮮「半島問題では日本で第1人者でいらっしゃる,現代コリア研究所の佐藤勝巳氏を招いて講演会を開きます……」というふうに紹介されてもいて(下記注記参照),日本社会では,朝鮮問題〔韓国ではない〕を一番よくしる権威者であるかのように誤解されている。 「現代コリア研究所・佐藤勝巳所長講演会のお知らせ」
前段で「朝鮮」という文字をつけられずに「半島問題では……」という紹介のしかたがされていたのであるが,一見これは,朝鮮半島にある「北と南に位置する2国の存在」を認めないような表現に感じられる。そう感じるのは,筆者のうがちすぎたみかたであろうか。戦時中あった語法だが,朝鮮という地名・国名を冠せずに朝鮮人全体のことを「半島人」とよんだ時期もあったからである。 ともかく,佐藤勝巳が〔朝鮮〕半島問題の第1人者というのには,恐れいる。佐藤のような政治的な運動家よりも,大学関係の研究者のほうで,北朝鮮の問題を本当の意味で専門的,本格的に観察・分析している人たちが,少数だがちゃんといる。テレビによく出てくる大学教員たちであるから,すでに承知の人も多いはずである。 「北朝鮮〈攻撃〉アジテーターに堕した第1人者」が佐藤勝巳だというのであれば納得がいくけれども,「半島問題」の専門家・人士などといわれたら,本来,北朝鮮問題や韓国問題を専門とする学究のヒンシュクを買うのではないかと心配するしだいである。 ● いまの佐藤勝巳に聞きたいことがある。本稿文のなかで主張していた「在日韓国・朝鮮人」には「日本国籍を与えよ」という点は,その後もかわりないかということである。 こういうことがあった。北朝鮮の諜報員が拉致あるいは誘拐した日本人の替え玉になりすまし,日本国内での諜報活動をした。だからここでは,「朝鮮」籍で北朝鮮を支持する「在日」朝鮮人に日本国籍を与えたらどうなるか,という懸念も生じるかもしれない。 かといって,在日の朝鮮人が全員スパイになる可能性があると疑いだしたら,とんでもない過大評価の買いかぶり,あるいは「人をみたらドロボウ(スパイ)と思え」式の疑心暗鬼になる。それこそ,きりがない。 そこまでいうならば,日本人全体に対しても同然であって,日本列島に住むすべての人びとも疑いの目でみなければいけない。実際,他国の諜報部員に協力する日本「国籍」人など,いくらでもいたのであるから。なんのためか? 金,女(男),イデオロギー,特定の正義感,そのほか欲求不満,et cetera ……。 そういえばあるとき,この国のある首相が中国と外交するなかで相手がわの中国人女性通訳に惚れて〔気にいって〕しまい,国家機密の安全性保持を周囲に心配させるような危うい様相が発生したこともあった。日本では,国家の最高元首すらこの体たらくぶりである。まったくなってない……。似たような話は,ほかの国々でもときおり発覚する。 ● もっとも,なんでも疑いだらけの社会になってしまったら,「壁に耳あり障子に目あり」というぐあいに,世の中:他人に対していつも,たがいに用心していなければならなくなる。 ついこのあいだの,過去の日本にはたしか,そういう時代もあった。戦争をやっているときだったが。また,戦争の時代,アメリカでは日系人に対してどのような事態が起きたか。 2001年の9・11事件以降,アメリカのイスラム〔アラブ〕系や韓国・朝鮮系の人たちに対する用心ぶりは,異様である。日本に留学している韓国人学生が研究のためアメリカに入国を申請しても,2か月以上も待たせるとかなんとかいって,つまるところでは入れてくれなかった。 日本に住む「朝鮮」籍の人たちがみな北朝鮮のスパイ要員だと夢想するのは,まったくの奇想天外である。ただ一般的に,どこかの〔日本人もふくむ〕誰かが北朝鮮のスパイになっている事実があるとの疑いそのものは,否定できない。 北朝鮮による日本人拉致事件に関しては,特定の日本人からなる組織,あるいは個人としての日本人が協力している事例もあった。 ● 筆者は結局,これまで佐藤勝巳がみせてきた立場の変転ぶりをしる者として,彼が再び,過去の見解を撤回するのではないかと懸念するのである。 この佐藤勝巳は,自分がやること,いうことを,その後の情勢変質に合わせてカメレオン的にかえるだけでなく,以前しめしていた考えをあとになって,十分反省したり再考したりすることもない人間である。 繰りかえしていうことになる。佐藤勝巳は,現在の段階にいたっても「在日韓国・朝鮮人」には「日本国籍を与えよ」といった提唱において,変化はないのか。 ● 筆者の手元に,佐藤勝巳著『北朝鮮「恨」の核戦略』光文社,1993年があったので,もう一度これをひもといてみた。本書第5章「誰も語らなかったコリア問題の本質-“上か下か”の価値観,虚栄心と「恨」の論理-」が興味深い。 佐藤勝巳は,北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕の真実を語りうる者は,自分以外にいないとまでいいいたいかのような,非常に傲慢な態度で記述をおこなってきている。ちなみに本書は,光文社の〈カッパ・ビジネス〉新書版の体裁をとって公表されている。 基本的にいって佐藤の公表する書物は,学術的なものでないことはむろん,客観的な論説を試みたものでもない。それは,自身の政治的な運動の目標を合理化し,達成させるためのものであり,そしてなによりも,一般大衆に対してその思想・イデオロギーを宣伝するためのものである。 筆者にいわせてもらうと,佐藤勝巳が〔1993年まで〕30数年も「在日もふくめて韓国・朝鮮(人)関連の問題」と付きあってこなければ,本書に書いてある程度の中身すらまともに認識できなかった,ということらしいのである。これは,本当に驚かねばならない体たらく:ダラシナサである。 佐藤はそんなにも浅薄な認識水準でもって,政治的な運動の対象として当該の問題にとりくんできたのか。それでは,その対象になったほうが堪らない。北朝鮮への帰国事業によって送還された在日朝鮮人たちは,まさしく佐藤の被害者だったといってよい。 そういう現実があったとすれば佐藤はもともと,「現代コリア研究所」など設置する能力・資格をもたなかった,といえる。もちろん,佐藤が自分の浅学非才を反省しており,これを徹底的に是正するため「同研究所をつくり勉強してきた」というのであれば,その気持も多少は理解できないわけではない。 それにしても佐藤は,お粗末な人生の軌跡を描いてきたものである。今年〔2003年〕で佐藤は74歳になるお方である。 --なお,本書第5章の各項目見出し〔・以下の文句〕は,「コリア問題」にかかわってきた佐藤勝巳に固有の,浅はかさ・迂闊さ・愚鈍さを,もののみごとに羅列している〔なお,→以下は筆者のコメントである〕。
● 安倍晋三という政治家〔2003年9月21日自民党幹事長に抜擢〕は,前職の内閣官房副長官のとき,北朝鮮による日本人拉致問題に関して強硬な態度を採ってきたわけだが,そんなにすばらしい自民党の世襲3世議員なのか? 現段階において北朝鮮による日本人拉致問題は,解決への展望をまったくみいだせない状況にある。日本に帰国できた〔正確には一時帰国したはずの〕日本人拉致被害者5名は,自分たちの家族がまだ北朝鮮で生活している事実を,どうみているのだろうか。 彼らは,北朝鮮から日本に帰国するに当たって当然,「一時帰国」であることを認識していたはずである。あるいは,そのことをしらされていなかったとしても,両国政府間で折衝をした日本政府の当局関係者は,その約束「一時帰国」に同意・了承のうえで,彼らを日本に帰国させたはずである。 結局,日朝間交渉に関するその後の進展はない。いったん帰国できた彼ら5名を北朝鮮にかえしたら,日本人拉致被害者たちはもう日本に再帰国できる可能性がなくなるか,かなり遠のくかもしれなかった。そういう予想は十分現実的なみかたである。 しかしまた,その後につづけなければならない「日朝交渉の道」を完全に閉ざす役割をはたしたのは,内閣官房副長官のときの安倍晋三である。これは,安倍ののこした政治的な「負の業績」である。この側面も日本国民は直視しておかねばならない。 自民党関係者は,a) 拉致被害者の家族(横田 滋‐早紀江夫妻,蓮池 透)や,b) 支援団体関係者(現代コリア研究所長 佐藤勝巳),c) 特定の方向に誘導されてきた世論の風向き,などをうけて,安倍晋三が代表になって判断したように,「北朝鮮との約束:〈2週間くらい日本に滞在したら北朝鮮にいったんもどる〉」という点を,完全に反故にしたのである。 北朝鮮がわは事後,その約束違反の点をなんども,日本がわに対して指摘,批判してきている。北朝鮮は信用などまったくできない国だからそれでいいのだといったら,国際的な外交などできない。全然信用などできない国とも政治交渉をするのが「外交の宿命であり任務」なのである。交渉を決裂させるのは,いとも簡単である。安倍晋三のようにやればよい。 筆者は,当時のニュース報道をテレビでみていて,明瞭に感じたことがある。それは,安倍晋三が両国間でその約束に言及があった点に触れられると明らかに「色をなし」つつ,それでも「そんな約束はなかった」とは絶対いわないかたちで,だからか,ことばを濁すかのようにしてその点を否定したことである。 かりの話をしてもしようがないかもしれないが,もしもその約束を守ってさらに拉致問題に関する日朝間の外交交渉が継続されていれば,なんらかのさらなる進捗が期待できなかったとはいえない。 もちろん,アメリカ民主帝国の強引な干渉もあろうが,日本が独自に主体的な北朝鮮との政治的接触を絶ってしまったことは,非常に拙劣なやりかたである。その最大の関与者が安倍晋三内閣官房副長官(当時)であった。 もう一度いう。安倍晋三という政治家はそんなにすばらしい国家議員か? このたぐいの疑問は,つぎの東京新聞の解説記事が論及している。
安倍晋三の祖父岸 信介は,戦後政治史において日本国の宰相となった。けれども戦時中は,旧傀儡国家「満洲国」の高官幹部を務め,日本にもどって商工大臣となり,アジア侵略路線の結果発した「太平洋〔大東亜〕戦争の遂行という任務」にも,鋭意従事してきた経歴を有する政治家である。 敗戦後GHQ当局に収監されA級戦犯に指定された岸 信介だった。だが,当時急激に変化した世界情勢の影響によって,きわどくも「絞首刑」を逃れ釈放されたこの〔安倍晋三の〕祖父は,いまもアジア人たちの目にどのように映っているかよく反省しておかねばならない。 日本の人びとは恐らく,以上のような筆者の指摘を意外と思うか,あるいは不意をつかれた印象をうけるだろう。 だが,そのような戦前型政治家=岸 信介という人物の〈血縁・外孫である安倍晋三〉が,戦後責任‐戦後賠償のまだなにもはたしていない旧植民地,なによりもいまだ国交が回復されていない相手:「朝鮮民主主義人民共和国」に対して,「拉致問題未解決」を事由に強硬な態度で接する姿がある。 しかも,その安倍の姿は,昨今における日本社会の不安な情勢に対してなにがしかのたしかな不満をかかえる日本国民にとって,とても好ましいものと評価・歓迎されている。
なかんずく,前述の〔枠内〕解説で北大教授山口二郎が指摘するごとく,安倍晋三が「拉致問題で人気を集めたのは,外務省に代わって被害者に親身になって対応したこと」,ならびに「北朝鮮への強硬策一点張りだけで」あったにすぎないのである。 つまり,国際政治外交上の駆け引きをしようとするならば,その「最低限必要である基本的手順」である,「四方八方手をめぐらせ解決の糸口をつかもうとする外交努力はしていない」安倍晋三のやりかたは,拙速・拙劣,無方針・無配慮のそしりをうけて至当なものである。 筆者は,安倍晋三を形容してすでに「ヒヨッコ・黄色い嘴」の政治家と評した。ミーハーが黄色い喝采をあげ,ただ大衆うけはする政治的演技(パフォーマンス)ができる政治家を「高く評価するような国民」が構成する国家というものは,本当は貧弱で頼りなく,民主主義そのもののふところの狭さを露呈させているにすぎない。 都政の面に目を向けると,石原慎太郎のような粗暴な都知事に翻弄されつづける東京都があり,そこには気の毒な都民たちがいる。 いずれにせよ,安倍晋三も石原慎太郎も,選んだのは,日本の国民であり東京の都民である。日本における民主主義の水準が問題である。 衆愚政治(!)ばかりがはびこる国か,この日本は?
● 野田正彰『背後にある思考』(みすず書房,2003年)は,精神医の立場から北朝鮮による日本人拉致被害者について,つぎのような分析をくわえている。 一時帰国者の精神状態はそんな簡単なもの〔マインド・コントロールのこと〕ではない。拉致されたことへの怒り,絶望,恐怖を乗りこえ,しだいに北朝鮮社会に適応し,自分の役割をこなしてきた。理不尽な権力にしたがわざるをえなかった屈辱感,罪の意識,抑圧された怒り,そして長い歳月を暮らしてきた北朝鮮社会への愛着がまじりあっている。 一時帰国というわずかな時間で,そんな自分の内面を直視できるものではない。拉致されるまでの人格Aと北朝鮮で適応した人格Bを,そのまま肯定しながら,ただ肉親との再会と故郷をなつかしみたいだけであろう。人格Bはないものとみなすのは,彼らの本当の精神的葛藤をしらないからである(同書,243-244頁)。 ● 野田はさらに,こう述べる。拉致の事実が怒りや北朝鮮政策への不信によって,生きぬいてきた人の精神を一方的に判定してはならない。5人の精神の葛藤は,現代アジアを生きる私たちの苦しみのひとつである(同書,245頁)。 「合葬された遺骨」……かつての地崎組は,戦前,多くの「タコ部屋」をもち,多数の朝鮮人の強制労働にささえられていた。1939年には,日本政府に中国人労工狩りを求める「外地労働者移入組合」の代表となっている。 いまとなっては,どの骨が誰のものかが不明になってしまった。唯一残された名簿に,年齢の記載がある者が44人,死亡平均年齢は28歳,なかには19歳の青年もいる。行方不明になった家族を憶いつづける,どれだけ多くの遺族がいることか。 侵略の歴史を学ばなかった戦後世代は,韓国との交流がこれほど容易になった時代においてすら,遺骨を遺族にかえすことを思いつかず,ごちゃまぜにしてしまった(同書,261頁)。 --以上,野田正彰がいわんとするところは明白である。2002年10月25日の日付がある前段の一文は,北朝鮮拉致被害者の「日本への帰国が一時帰国である点」を明確に記している。 また,精神科医の立場によって,拉致被害者たちの「精神的葛藤,その過程的変化を医学的に尊重すべき環境」を用意するよう助言している。この助言は,拉致被害者が北朝鮮にもどらず日本にとどまった点からしても,非常に重要な事項を示唆するものである。 拉致被害者たちが日本に帰国できてからちょうど1年が経過した現在である,だが,いままで,野田正彰のような態度で拉致被害者に接する必要をとなえた識者はいない。そうではなく,この精神科医の専門的な助言がまったく無視されたまま,帰国後における彼らの環境が不注意にもつくられ,推移してきた。 野田の主張はさらに,北朝鮮による日本人拉致問題が事件後,日本社会をずっと騒がせつづけるマスコミ的な話題になってきたことに対比してみるとき,その正反対の「両国関係における歴史的な問題」,しかも,桁ちがいの犠牲者を出してきた「旧日帝による朝鮮人および中国人の強制連行問題」に対する関心は,日本国民がわにおいて,まったくといいほどなかった点を強く訴えているのである。 「北朝鮮拉致被害者日本人」に対する日本国民たちの同情は,同胞であるがゆえにそれほどまで深く厚いものであった。しかし,戦時中の「朝鮮人・中国人強制連行被害者,犠牲者」に対する関心は,その証拠隠滅に走っていたかのようにもみえるくらい,ほとんどなかったにひとしいものであった。 この国の人びとがしめしたそうした好対照は,日本国に固有の《未決・未完・未済の戦争責任・戦後補償》が北朝鮮による拉致問題によってチャラにできるかのような光景:気分をつくりだした。 過去,東アジア諸国間の歴史に刻まれた諸問題は,そんなにも簡単・単純に相殺できるものではない。もう一度,問題の質的共通性のなかにのぞける〈量的側面における圧倒的な軽重のちがい〉に止目しなければならない。 再度,野田の記述を引用する。「拉致の事実」「を一方的に判定してはならない。5人の精神の葛藤は,現代アジアを生きる私たちの苦しみのひとつである」。 北朝鮮拉致被害者の立場を,日本‐日本人‐日本民族の問題としてしか観察することができないのであれば,21世紀のアジアをともに生きるジャパンの姿は,かぎりなく矮小・疎遠のものとならざるをえないだろう。 最後に野田は「時どき右翼から脅迫状がくる」事実を指摘していた。1990年代に入ってから「非国民」ということばが公然と復活した。「異国の人々はことばどおりの〈非国民〉を超えて人間ならざるもの,攘夷の対象になってしまう。尊皇攘夷の妄念はこの島国から消えていない」(同書,273頁)。 本ホームページの筆者〔「韓国」籍だからもちろん・いちおう,非国民の1人である〕は,野田のと同じような脅迫状を送りつけられた経験を有する。それは手紙だった。これは,ほかのページでその内容全文を紹介した。 たいへんに興味あったことは,北朝鮮拉致問題が話題になるまえにうけとった脅迫状であったけれども,その手紙には,拉致問題に関係する日本人の氏名に触れている記述がふくまれていたことである。
● 『朝日新聞』2003年10月15日朝刊「声」欄に,つぎのような投書があった。 北朝鮮による日本人拉致問題に関した「会社役員,77歳」からの投書である。
「戦前,日本には多くのタブーがあった」というが,戦後においてのそれは,もうまったく,なにもなくなったのか。「不敬罪」はなくなったが「菊のタブー」に類するタブーが完全に払拭されたと断言できる人がいたら,ぜひとも,その説明を納得がいくまで聞いてみたいものである。 北朝鮮拉致問題に関するタブーをつくるのに大いに貢献してきた人物がいる。それが佐藤勝巳である。かつては北朝鮮に対する熱心な〈公設および私設〉応援団だった彼が,いまではその極端な反動なのだろう,「憎き朝鮮!」という差別感情も織りまぜた表情丸出しで,必死になって政治的に運動している。 北朝鮮による拉致被害者たちの親族・関係者にとっては力強い味方である佐藤勝巳は,筆者などから観察すると,在日外国〔朝鮮〕人たちに対しては確実に,新しい差別要因を増殖させるための作業に励んでいる人物となった。
「拉致問題〈支援〉」活動における佐藤勝巳の
“précaire 編集者”を名のる前田年昭は,「北朝鮮〈拉致〉問題の本質を論ずる-すべての在日被抑圧民族と戦争被害者は団結し……よう!」(……部分は省略した。以下同じ)という題名を付けた文章のなかで,こう語っている〔① 以下〕。 前田のこの論及は,相当に「特定の思想的イデオロギーに立った論調」であるが,その部分はあえて,漂白しながら読んでいくことにしたい。あるいは「佐藤勝巳に対するひとつの有効な批判的視座」としてのみ,これを聞くことにしたらよい。
① 2002年9月の日朝会談で北朝鮮の金正日政権は,日本人「拉致」を告白した。 以後,「拉致」問題は,軍国主義復活をすすめる日本独占資本と国家権力を勢いづけ,日本ナショナリズムの未曾有の沸騰をもたらしている。 左派系誌『現代思想』が2003年3月号で〝テロとは何か〟を特集したが,「北朝鮮=日本」問題は試金石と指摘したただひとりを除く論者たちはみな,アメリカ批判は書いてもイラクや北朝鮮については沈黙し,批評精神をうしなった批評の無力さをしめした。 日本政府と国家権力が有事体制の口実にしている北朝鮮「拉致」問題はいま,すべての左翼組織に対して,国際主義と暴力の問題をいかなる質でとらえるのかを問う試金石となっている。 日本人「拉致」を惹きおこした北朝鮮への非難に対して, 1) 日本の左翼運動や在日朝鮮人運動のなかのある人びとは,かつての日本軍国主義による朝鮮人強制連行の歴史的事実をひきあいにして反論し, 2) これに対して右派は,「過去」の問題で「現在」の問題を相殺しようとするのはおかしいと,再非難している。 3) また,ある人びとは,「拉致」問題は「拉致議連」や「救う会」などが指導しているから,かかわらないという。
② 北朝鮮「拉致」問題について,いったいどう考えればよいのか。 a) 戦後階級闘争における戦争責任問題。 1945年8月,日本軍国主義は中朝アジア人民の抵抗戦争に敗北し,崩壊した。しかし,治安‐弾圧機関など国家権力を根こそぎ破壊し,新しい社会として歩みはじめたのは,毛沢東の中国によって解体された傀儡「満州国」のみである。 日本にも韓国にもブルジョア権力は生きのこり,北朝鮮にもかたちをかえて朝鮮総督府方式の支配が生きのこった。 崩壊した軍国主義と残存したブルジョア国家権力,この矛盾が,戦後日本に刻印された。つまり,戦争状態を終わらせ,戦争責任の謝罪と戦時補償を求める闘いが,旧宗主国日本における戦後階級闘争の根源的で基本的な課題となった。 対台湾で1952年日華平和条約まで敗戦後七年かかり,対中国では1978年の日中平和友好条約まで33年(1972年日中共同声明まででも27年)かかった。この20年の差は,戦争責任を隠蔽する権力の分断政策の反映である。この間,日本の政府と国家権力は形式的にも戦争状態を継続,敵視政策をつづけた。 1951年締結の「単独講和」と日華平和条約に対してアジア人民は,日本軍国主義による侵略戦争の歴史的責任に対する謝罪の必要性に立ち,西がわとの片面講和をむすぶことじたいが日本の再出発をさまたげ隠蔽するものだと,反対し闘った。 朝鮮半島との関係においては,戦時状態に終止符をうつ闘いはさらに遅れた。対韓国で1965年日韓基本条約まで20年,対北朝鮮では昨2002年の平壌宣言までですら,57年戦争状態が継続された(→平壌宣言は日韓条約同様,戦争責任を免罪し,日本に屈服したという階級的性格をもつ)。 日韓会談反対闘争を1960年安保につぐ国民運動と位置づけながらも,その論理は「5億ドルあれば石炭問題などが賄える」(1962,日本社会党)という一国主義的で経済主義的な主張に終始し,日本の左翼運動は権力による分断を助けた。 その結果,戦争責任に頬かむりした日本の国家権力と政府は,なんらの謝罪も補償もおこなわず,いまなお,在日朝中人民はじめ在日外国人に対する,排外的入管政策と棄民政策は改められていない。 b) 1959年から開始された北朝鮮への帰国事業の本質は,どこにあるのか。 日本の政府と国家権力にとっては棄民政策であった。すなわち,戦後反権力運動の中核をになった在日朝鮮人を恐怖・忌避し,また不当な差別の結果としての「生活保護」切り捨てを狙ってなされたのである。 他方,北朝鮮政権にとっては在日朝鮮人の人的・物的資源の動員が目的であった。すなわち,建国時から経済建設路線を自力更生による人民の総合力の育成をめざすのではなく,復讐心からする冒険主義的な「仕送り」政策に頼り,そのため帰国運動をすすめた。 日本の左翼運動もまた,贖罪意識からこれを無批判的にささえた。当時翼賛的にかかげられた「人道」の旗じるしは,この棄民政策の隠蔽であり,1959年の「帰還に関する日朝協定」の本質はここにあった。 事実,1949年の団体等規正令による朝連など4団体への解散命令,同年の外登証の常時携帯義務と切替制度導入,翌1950年の大村収容所開設,1952年の第一次日韓会談開始,1958年の大村収容所からの第一次強制送還という一連の前史は,如実にその本質を物語る。
c) 戦犯ヒロヒトは処刑も退位も逃れ,ブルジョア独裁は,朝鮮戦争,ベトナム戦争の「特需」を梃子に,第三世界から収奪した超過利潤で抵抗勢力を買収,労働貴族として養い,アメリカの目下の同盟国として軍国主義復活へ歩んだ。 韓国では,チェジュ人民蜂起に恐怖した米軍は,いったん追放した総督府協力者を大量によびもどし要職につけ,その人脈は軍や警察を中心に「民主化」後の盧 泰愚,金 大中,盧 武鉉政権に生きつづけた。かつて,金 大中救出運動をになった人びとの韓国への入出国はいまだ自由ではない。 北朝鮮の金 日成→金 正日政権は,朝鮮総督府がやったように,人も自然もあらゆる資源を収奪,移動の制限と禁止や鉱物資源の徹底採掘など,日本の植民地支配の手法そのままに人民を抑圧しつづけている。 北朝鮮の国家権力による日本人「拉致」は,日本人に対する憎悪にもとづく「左翼的」報復であり,われわれはここにも,日本の植民地支配の傷あとをみなければならない。 d) 1965年日韓基本条約は,日本の戦争責任を経済決着方式で免罪,日韓条約反対闘争は敗北した。 その後,1968年に金 嬉老は単身決起,この金 嬉老の告発は,植民地支配とその後もつづく差別を謝罪,補償しようとしない日本の国家に対する抗議であるだけでなく,戦争責任や在日朝鮮人の法的地位問題を闘いえなかった日本の左翼運動への抗議であった。 そこで告発された質は,日本の左翼運動に色濃く存在し,明確な思想的総括として提示されるのは,1970年の七・七華僑青年闘争委員会の告発に待つ。 日本の左翼運動には卑屈に卑下した贖罪と随伴の傾向か,政治利用主義か,しかなかったがゆえに敗北を重ねたのである。
③ 求められる日韓闘争敗北の思想総括 a) かつて,北朝鮮への帰国事業に無批判的に随伴した『佐藤勝巳』はいま,北朝鮮が随伴と賛美に値しないと判断するやいなや,北朝鮮政権打倒との主張に転じた。最近はそのための日本核武装論の提案を執拗におこなうところまでいたっている。 日本の「反権力運動のあるべき〈反省〉」と,佐藤勝巳の「反省」との分岐は,いったいどこにあるのか? b) ここで,佐藤勝巳の対極に位置する竹内 好(1910‐1977)の思想を検証しておきたい。 なぜなら,1965年日韓闘争敗北の検証と反省とは,1965年になぜわれわれは,〝日中関係における竹内 好〟を日朝関係においてつくりだせなかったのか,に集約されるからである。 思想的に,1965年日韓闘争において,日本の社会運動と階級闘争がなぜ,日中関係における竹内 好をつくりだしえなかったのかという問題は,すなわち,実践的には,金 嬉老の決起が,なぜ,単身の「私戦」としてしか闘えなかったのかという問題でもある。 c) 佐藤勝巳のたどってきた歩みのなかに,われわれは日本の社会運動,左翼運動の思考回路の典型をみることができる。 ★「佐藤勝巳」は,運動も人間も誤りをおかしてはいけない(誤りを犯さない人間は何も仕事をしない人間である!)との前提に立つ。 ★「竹内 好」の前提には,人間にも歴史にも誤まりはつきものであるという認識がある。 佐藤勝巳は,朝鮮への贖罪意識から運動をはじめ,しかし,北の過ちに気づくやいなやそれを断罪し,憎悪するようになる。そして,自らの「消したいが消せない」過ちをも潔癖症的に断罪し,北朝鮮政権打倒のため日本核武装論まで主張するところまで突きすすむのである。 佐藤勝巳の脳裏にはまた,つねになにかを決定し,なにかを動かすことができると思いこむという「もてる者の立場」が背景にある。 しかも,判断の基準としたのは,せまい意味でのイデオロギーであり,北の国家が「正しいから」帰国運動万歳,北の国家が「マチガッテイルから」金政権打倒と人民ではなく,『国家にしか目が向かない』。 しかし,なにかを決めようにも,その力じたいを奪われているのが,現代の非対称な関係のなかにおける民衆である。 竹内 好は,真珠湾攻撃と対米開戦時に,一時にしろ「大東亜共栄」という幻をみてしまい,以後,そのことを〈反省・検証〉しつづけることになった。西がわに与することになるから単独講和に反対,というロジックから遠く,ヒューマニズムによる戦争責任の立場にたって生涯を貫いたのである。 日中なしに,日華・日朝なしに日韓と「手をむすぶ」ことがどんなに戦争責任を隠蔽することになるか,そう警鐘を鳴らしつづけた。ここに,贖罪と随伴の運動でもなく,それとメダルの裏表になる政治利用主義でもない,日本の運動の再生への出発点がある。 事実,歴史検証にもとづく国際主義の復権,国際主義へむけた運動と闘いはいま始まろうとしている。
④ 2003年2月15日,大阪で「拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会」が開かれた(主催・同集会実行委員会) 拉致被害者家族の痛みは在日朝鮮人自らの歴史の痛みと同質だ,との呼びかけに応えた在日朝鮮人と日本人が参加した。 a) 招かれた拉致被害者家族は,日本人のがわこそ偏狭なナショナリズムを克服しなければならないと述べた。 b) 在日朝鮮人運動のがわからは,過去の植民地支配をひきあいにするのではなく,人間として自分自身に向き合うことが相互理解のための基本,日本人運動は植民地犯罪に向きあい,互いが自分のおかした過ちに向きあうことから相互理解は実現できる,在日朝鮮人は拉致問題を直視し被害者家族を支援しよう,隣国同士の不幸な関係はわれわれの代で終わらせたい,と訴えた。 c) ここに,〔前田年昭のいう〕プロレタリア階級のみが立ちうる崇高な国際主義の精神がある。 労働者階級と人民は,「救う会」や「拉致議連」などの右派による拉致被害者運動の簒奪をはねのけ,すべての在日被抑圧民族とすべての戦争・「拉致」被害者の闘いを団結させ,日本の国家権力の戦争責任を追及し,軍国主義を許さぬ闘いとして合流させていくであろう。 独占資本とその国家権力はつねに,差別と分断によって延命しようとする。 d) 想起しよう。かつて,ウチナー人民が米軍支配に抗する闘いを,日本「復帰」闘争としてしか表わしえない困難な状況から闘いに立ち上がったとき,権力は奄美と沖縄のあいだに分断のくさびをうちこみ,奄美「返還」は1953年,沖縄「返還」(第3次琉球処分)と分断で臨んだことを〔沖縄の返還は1972年,引用者注記〕。 e) そしていま,権力は北朝鮮「拉致」問題をとおして,在日被抑圧民族と戦争・「拉致」被害者とを分断,アメリカのイラク侵略に加担する小泉政権は,北朝鮮問題を口実に有事体制強化を謀っている。彼らが差別と分断を強めれば強めるほど,労働者階級と人民は団結して,ブルジョア権力による差別と比較,競争と分断の思想,政治利用主義に反対しなければならない。 f) 在日被抑圧民族と戦争被害者は,プロレタリア国際主義の旗を高く高くかかげて団結しよう! (おわり;2003年3月16日) ● ご意見をお待ちしております。電子メールにてお寄せください。 ● 前田年昭 MAEDA Toshiaki [E-mail] tmaeda@linelabo.com http://www.linelabo.com/rachimondai.htm
--以上,プロレタリア国際主義を標榜する前田年昭が,佐藤勝巳の言動を批判する一文を紹介した。 筆者は,「前田年昭のプロレタリア云々論」にとてもついていけない。ただし,叙上の文章は,佐藤勝巳が国民国家の政治的次元に呪縛された意識でしか行動できない人間であること,あるいは,若き日から最近までの自身の政治活動を自覚的に反省できない人間であること,などを的確に指摘している。 前田年昭はとりわけ,北朝鮮「拉致」問題を解決するための方向‐展望を,より適切なかたちで提示している。 その意味では,「救う会」や「拉致議連」などの右派による拉致被害者運動は,自己矛盾の蟻地獄におちいっていることを認識しなければならない。 つまり,「救う会」や「拉致議連」は,日本人のがわの固陋で偏狭なナショナリズムを克服させる政治的な働きかけを日本政府に対しておこなうどころか,安倍晋三現官房長官や,政府与党‐国会議員関係者を味方につけることによって,その社会的な弊害を日本国内に拡散・昂進させる悪作用をきたしている。 安倍晋三は,現在の東アジア諸国からみても非常に悪辣な政治家である。外祖父があの岸 信介である。筆者などは,岸 信介の亡霊を安倍晋三の姿容に感ぜざるをえない。「北朝鮮憎し」の感情だけを前面に剥きだしにするだけでは,その国との政治交渉が成立する余地はすこしも生まれてこない。 安倍晋三という3代めの「黄嘴」の政治家は,国際政治‐外交交渉のイロハもわかっていない。拉致被害者家族の被害者的な感情に一方的に調子を合わせこれを悪用するかたちで,しかも,自分:政治家としてもっている私的な感情を,そこに全面的に移入するだけの政治姿勢である。これでは,単なる政治屋の稚拙な対外的な態度だというほかない。
「拉致問題〈支援〉」活動における佐藤勝巳の ●
拉致問題に固執して孤立深める日本
ジャーナリストを称する野田峯雄は,国際社会に名を借りた排外思想について,以下のように論及する。
① インターネットで「国際社会」を検索すると,たちまち約14万9千件が表示される。ちなみに,つい昨日まで跋扈していた「グローバル・スタンダード」は約4万3千7百件,いまや影が薄い。 国際社会とはなにか。あらためて強くそう問う必要がある。 これは,国家連合の意といえなくもない。ときには国連や安保理,ときにはIAEA(国際原子力機関)などの代名詞になる。 もっとも頻繁に使われるのは米国,もしくは米国を頂点としたグループの代名詞としてだ。そこには米国(最大暴力システム)をぼんやりとしたベールでつつもうとする幼い意志のようなものが働いてもいる。 いずれにしろ,「国際社会」は変幻自在。かつすこぶる曖昧なのだ。つかもうとすればかき消えてしまう。
② にもかかわらず,しきりに「国際社会」と口にする者たちがいる。 彼らは自主的判断を投げ捨て,あたかもすぐ脇に“誰もが共有する現実の枠組”が存在しているように振舞い,凭(もた)れかかる。この幻想の枠組はしばしば,排外主義に彩られている。 そこで,息せききって,自己喪失パントマイムの対極に,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)をおく。 いいかえると,なんともあやふやな,奇妙なしろもの,つまり「国際社会」にすがりついて北朝鮮を描きたがるのだ。さらに彼らは,こう合唱して安堵する。 「北朝鮮は孤立している!」 だが,「孤立しているのは北朝鮮ではなくて日本」なのである。
③ 孤立しているのは誰か。 2003年2月15日に世界各地で反戦デモが展開された。 6百都市,1千万人にのぼるという。 朝日新聞ヨーロッパ総局長の外岡秀俊氏は,こう報告している。 「ロンドンのハイドパーク(同・反戦デモ集会場)に身をおけば,政府も民意も,議論を避けて立ちすくむいまの日本は,ブラックホールのようにみえる」。 そのような貧困としかいいようのない状況とともに注視したいのは,拉致問題や北朝鮮問題を報じるテレビ・ニュースの背景映像である。
だが,なによりも,こんな疑問が湧く。なぜ,2~3年前の特定映像にニュース構成のきわめて重要な役割をになわせ,執拗に繰りかえすのか。 その作業はたとえば戦前日本の,ニュース映画館で流しつづけた勝利画面だけの,おびただしい官製フィルムの山を想起させる。 要するに,視聴者の反応(感性と観点と思考と論理と行動パターン)の固定化である。
④ そもそも北朝鮮は孤立し,おまけに静止しているのだろうか。 排外主義に彩られた幻想の国際社会に凭れ,ぬくぬくとしている者にとって北朝鮮は,変化なき孤立した悪でなければならない。 もし,変化なき孤立した悪でないなら自身が崩れかねない。ひとえに変化なき孤立した悪によってかたちづくっている「私」が消滅してしまうかもしれない。しかし,北朝鮮は動いている。 約160カ国との国交もさることながら〔韓国184カ国,日本189カ国=唯一,北朝鮮のみ排除〕,この間,彼らはたとえば,中・ロ・東南ア諸国との話しあいをつづけ,恐る恐るだが,また容易に賛同しがたい方法だが,経済構造の変革をはじめようとしている。 さらに,地政学的な有利,および地球最後の開発地といわれる人口約1億5千万人の北東アジア・マーケット〔朝鮮半島+中国東北部+極東ロシア+モンゴル〕を強く認識しているといわれる。
⑤ 「私たちは実利だけを追求すればいい」。金 正日総書記は小泉首相の平壌訪問のおり,そう話したという。 盧 武鉉新韓国大統領も,「体面より実利」と強調する。 だが,この彼ら独自のプラグマティズムにもとづく協働と変化の試みから目をそらす者は,誰か。 朝鮮半島を,目をカッと見開いて凝視できない者は,誰か。
⑥ 北朝鮮問題が戦争に向かって加熱してくる過程で,しかし,日本政府は動こうとしなかった。いまものらりくらりとして動く気配がない。 ひたすら暗い穴ぼこにこもっている。暗い穴ぼこにこもっている姿こそ「孤立」という言葉にふさわしいのではないだろうか。 北朝鮮問題は日本問題なのだ。彼我を,穴ぼこの幻想に依拠し,酔いしれるかたちではなく,客観的,冷静に分析し総合化する思考方法を欠落させつづけてきた日本の問題なのだ。
⑦ 蔓延する北朝鮮蔑視と憎悪 この「日本」という穴ぼこで今日,増殖しているもの。それは北朝鮮蔑視である。北朝鮮と在日朝鮮人に対する蔑視と侮りと憎悪は,日本人拉致の発覚の衝撃でいっきに解放され,肥大化したのだった。 2002年9月17日から2003年2月6日までの間に通報された朝鮮学校生徒に対する暴言・暴行・嫌がらせは321件に達しているという。 同時に,全国各地の朝鮮総聯関係施設に対しても,銃弾や脅迫状の送付,泥棒,放火,器物破壊,「死ね」などのスプレーによる落書きなどが続き,2002年12月4日には,鳥取県大栄町の公衆トイレにこんな落書きがあった。 「皆で殺そう朝鮮人/日本国民の方/あなたも朝鮮人狩りをしませんか/日本からゴキブリども(朝鮮人)を/一人残らず,ぶち殺しましょう」 --そういえば,横田めぐみさん事件が表面化した1997年の4月下旬,北朝鮮に拉致された「日本人を救出するための全国協議会」の荒木和博事務局長(特定失踪者問題調査会代表)は, 「なぜ起きないのか『チマ・チョゴリ事件』」と,まるで朝鮮学校女子生徒のチマ・チョゴリ切り裂き事件の発生を望んでいるような発言を行なった。 5人の拉致被害者といっしょに来日していた2人の朝鮮赤十字幹部が帰国した2002年11月9日,きっと蔑視や侮りや憎悪のせいで思考が停止してしまったのにちがいない,このときは, 「2人を『行方不明』にしたあと,『調査をしたところ江ノ島に海水浴にいって溺死していたことが分かった…』とかいってやりたかった」などと公言している。 蔑視と侮りと憎悪は全国に広がり,充満し,肥大化し,さらなる“残虐事態”を求める。
⑧「戦争を煽る」佐藤勝巳,および「豹変する」佐藤勝巳 「戦争を恐れてはならない。長期的にはわが国が核ミサイルをもつことだ」!。 2003年2月18日の都民集会で,北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会の佐藤勝巳会長はそう語った。彼は集会後,「日本からこういう発言が出るのは,北朝鮮の核開発のためであるという議論が,周辺諸国でも起こることを期待する」などと補足した(2003年2月19日付朝日新聞)。 核開発で拉致解決は絶望的。 佐藤勝巳は「拉致」の熱気を奇貨ととらえているのか。 彼の言動を貫いているのは,北朝鮮憎悪である。彼は1990年代に入るや,「1~2年後に北朝鮮は崩壊する」といった類の予言を繰りかえしている。しかし実際は,周知のとおりである。 彼は再び,声高に「崩壊」を叫ぶのである。 そして,1997年初春,横田めぐみさん問題が浮上した。ほどなく彼は,救う会運動のリーダーとなり,消息不明者の家族たちの背を押して,全国大会などを開催してきたのだが,関心を引かれるのは,彼の「まず北朝鮮憎悪ありき」と「拉致」の関係である。 ◎ 小泉訪朝から約1週間後の2002年9月25日,佐藤勝巳は「家族(拉致被害者の家族)全員をいったん日本に帰国させ,そのうえで北朝鮮にもどるかどうかの意思確認をすべきである」と主張した。 ◎ だが,5人の拉致被害者の帰国後,これを「(被害者の)現状回復に本人の意思など関係ない」との意見へ平然と変化させ(2002年10月23日付産経新聞),あまつさえ「国家権力(日本)」の発動を求めたのだった。 さらに彼は,「戦争」へ突きすすむわけだが,どうやら,拉致の熱気を手がかりに私たちを“よりすさまじい次元”へ引きずりこもうと努力しているらしい。 しかし,たとえば米国の政府高官による「北朝鮮の核兵器開発」発言は推測の域を出ないことが,米紙などでつぎつぎと証言されてもいる。 いずれにせよ,国家権力や戦争や日本・核武装は,拉致問題解決を絶望的な淵に追いこむだけである。とりわけ,北朝鮮が死亡したという8人の被害者に関する真相は闇に固く閉ざされてしまうにちがいない。 佐藤勝巳ほど,じつに皮肉なことだが,それを熟知している者はいないではないか。しかし彼は踊る。 いまや「核」を抱えて踊る。この拉致問題から逸脱した,いわゆる“穴ぼこ日本の奇妙な踊り”を即刻,止めなければならない。
【以上の文章を引用させてもらった筆者である,野田峯雄の紹介】 1945年山梨県生まれ。同志社大学卒,雑誌記者を経てフリー,月刊誌や週刊誌を舞台に執筆活動。 近著『闇にうごめく日本大使館/疑惑のタイ犯罪ルートを追う』(大村書店)。他に『周辺事態/日米新ガイドラインの虚実』(第三書館),『破壊工作/大韓航空機“爆破”事件の真相』(宝島社文庫),『北朝鮮に消えた女/金賢姫と李恩恵の運命を追って』(宝島社),『池田大作/金脈の研究』(第三書館)など。 http://www.pfj21.org/nl09-02.htm
小林正弥『非戦の哲学』(筑摩書房,2003年3月)に聞く ●
佐藤勝巳の政治的活動がいかに
小泉純一郎首相の訪朝〔2002年9月17日〕により,日朝国交正常化交渉の開始が決定された。 北朝鮮は,国内の経済的いきづまりにくわえて,ブッシュ大統領に「悪の枢軸」として挙げられたため,イラクにつづいて攻撃をうける危険を現実に感じ,金 正日総書記みずからが拉致の事実を認めて謝罪するという,かつてない歴史的妥協をおこなったのである。 その点に関するかぎり,小泉首相の英断は高く評価される。現在,日本では拉致被害者8人死亡という衝撃的な情報に対して,右派系のメディアや週刊誌などがナショナリスティックな感情をかき立てる煽情的な報道がおこなわれている。死亡の詳細について今後事実の解明を求めることは当然である。 しかし,大局からみれば,小泉訪朝についての批判は妥当ではない。 むしろ,その後,感情的な世論のおもねった,一時帰国者についての決定〔5人を北朝鮮にかえさない方向〕のほうが問題である。これは,すくなくとも今回の帰国についての約束違反であることは否定できない。このために北朝鮮が態度を硬直化させ,日朝交渉が実現しないようなことになれば,うしなわれる外交的可能性は量りしれない。 そもそも北朝鮮がわからすれば,拉致問題をいうならば,強制連行など日本が過去におこなった戦争問題の責任をさきに問うことも可能である。主として戦前は日本に,そして戦後は北朝鮮に非がある。批難の応酬をはじめれば,せっかくの局面打開の機会がうしなわれてしまう。 長期的にみれば,日朝間の関係が改善し,朝鮮半島の情勢が安定して日本と友好的な関係が築かれれば,中国もふくめて,東アジアに友好的な共同体を築く可能性が生まれてくる。 アメリカ大陸やヨーロッパではEUのような地域統合が進展しつつある。これまで東アジアでは,日本と中国・韓国・北朝鮮とのあいだの歴史問題が障害となって,そのような協調には現実的な展望が開けなかった(小林正弥『非戦の哲学』筑摩書房,2003年,188-189頁,190頁)。 --以上,小林正弥の論及にしたがえば,「北朝鮮拉致被害者の一時帰国者についての決定」=日朝間にあった当初の約束を,「5人を北朝鮮にかえさない方向にくつがえさせた」佐藤勝巳の,21世紀的な意味における罪深い悪行が気になる。 佐藤勝巳のその行為の結果については,いずれにせよ,評価が定まるときを迎えるだろうが,いまからその罪悪性はきちんと指摘しておかねばならない。 日本外務省当局が主体・決断的にとりおこなうべき日朝外交であったにもかかわらず,それに向かって佐藤勝巳〔など〕が入れた横槍に,簡単に突き動かされたところが,まずもって問題である。 そうだったにせよ,しかしながら,東アジア全体の国際政治‐外交交渉のありかたなどすこしも顧慮できないまま,ただひたすら「北朝鮮拉致被害者という立場」しか視野にない,単に「北朝鮮憎しの感情」ばかり「横溢させた政治運動」にのめりこんできた佐藤勝巳は,歴史の流れ:大局がまったくみえない大のつく愚か者である。 --小林正弥による国際情勢に関する,前段の分析をいっそう裏づける解説は,事後発行されてきた専門研究書が適切に与えている。そのいくつかをさらに,以下に参照しながら議論しよう。 ① 伊藤成彦『9. 11事件以後の世界と日本』(御茶の水書房,2003年9月)は,小林正弥と同一の批判を佐藤勝巳にくわえている。 a) 2002年9月17日に,小泉首相のピョンヤン訪問と日朝首脳会談・日朝共同宣言の調印ではじまった日朝国交正常化交渉は,10月29日の第1回交渉をまえにして日本政府が,拉致事件の被害者5人の「一時帰国」を「永久帰国」に一方的に切りかえたために交渉がいきづまり,交渉再開へのみとおしが立たないまま年を越した。 一方,アメリカのブッシュ政権の成立以後,悪化の一途をたどってきた米朝関係は,1994年10月の米朝一括合意条約の存廃をめぐっていっそう険悪化し,日朝交渉の混迷化とあいまって,きわめて憂慮すべき状態である。日朝・米朝関係のこのような状態は,関係3国にとってばかりでなく,北東アジア全域の平和と発展にとって由々しき事態である(同書,157頁)。 b) 拉致事件の被害者5人が日本に帰国したのちに,「家族の会」や「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」,「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するための全国協議会」は,安倍晋三官房副長官〔当時〕と組んで,帰国した被害者5人を北朝鮮にもどさないことを決めた。 以上「家族の会」「議員連盟」「全国協議会」は,安倍晋三とともに,被害者5人の足止めを決め,5人はそれにしたがわざるをえない雰囲気になった。もともと日本政府や集団が個人の行動を強制的に制約することは,明らかに憲法違反であり,ばあいによっては刑法にも触れる。 ところが,そうした常識がまったくつうじない雰囲気がつくられ,日朝国交正常化交渉は完全に頓挫した。とくに,「家族の会」や「全国協議会」の一部には「北朝鮮潰し」をめざす者がいて,かなりの影響をおよぼし,小泉内閣もそれに乗ってしまった。目下のところ,日朝国交正常化交渉再開のみとおしはまったくない。 そして,そのみとおしがまったくないということは,拉致事件解決のみとおしもない,ということである。こうして,拉致事件の解決を現実に阻止しているのは,「拉致事件の早期解決」を声高に叫んでアメリカ政府や議会まで働きかけている「家族の会」「議員連盟」「全国協議会」と安倍晋三たちである(同書,172-173頁)。 ② 和田春樹『新地域主義宣言 東北アジア共同の家』(平凡社,2003年8月)は,日本政府当局〔外務省〕の準備してきた日朝国交正常化交渉へのとりくみは,「家族の会」「議員連盟」「全国協議会」と安倍晋三たちによってぶち壊しになった事実とともに,アメリカによる妨害行為にも触れている。 アフガニスタン戦争のあと,金 正日政権は〔森 喜朗政権のときからあった秘密折衝につづけて〕再び,日朝の秘密交渉をもちかけた。それに対して日本は,外務省の田中 均大洋州局長を特使に送った。小泉首相はこれを承認し,2002年,年初より日朝秘密交渉がすすめられた。 北朝鮮としては,早期に日朝国交樹立が実現するなら,最終的には核開発は断念してもいいと考えていた,と考えられる。2002年9月17日,小泉首相は平壤を訪問して,日朝平壤宣言に調印し,日朝国交樹立を早期実現するための努力を誓った。 そのさい,金 正日委員長は拉致を認めて謝罪し,工作船の派遣についても謝罪した。そして,植民地支配に対する補償の要求,請求権の主張を引き下げて,経済協力をうけいれると表明した。このことは,妥協のためのおおきな跳躍であった。 ところが,日朝首脳会談に対して強い危惧をもっていたアメリカ政府は,その直前の日米首脳会談でブッシュ大統領は小泉訪朝に支持を与えたが,北朝鮮のウラン濃縮計画の情報を伝え,強く牽制した。小泉首相はそれにもかかわらず,平壤宣言の文案をよりどころに平壤の合意を望んだのであった。 2002年10月3~5日,アメリカはケリー国務次官補を訪朝させ,北朝鮮がウラン濃縮計画をすすめていると非難させた。これに対して10月16日,北朝鮮がわがウラン濃縮計画の存在を認めたとアメリカ政府は発表した(同書,119頁)。 ③ 広瀬 隆『アメリカの保守本流』(集英社,2003年9月)は,ケリー国務次官補の役目を,以下のように分析・批判する。 本書は,北朝鮮の起こした日本人拉致問題の解決,より広い歴史的な立場でいえば,日本と朝鮮両国間の緊急課題である国交回復に対して「悪い影響」を与えている〔→チョッカイを出し妨害する〕アメリカ帝国の策謀を解説した好著である。 北朝鮮拉致問題の解決に向けて応援しているつもりの日本がわの関係者は,このような国際政治の生臭い現実とその背景事情をほとんど理解していない。 --2002年10月15日,北朝鮮に拉致されていた被害者5人が日本に帰国した翌日,ブッシュ政権の国務次官補となっていたジェームス・ケリーが,北朝鮮の「核開発」という物語を世界的な話題としてメディアに提供し,拉致被害者5人が北朝鮮に残してきた家族と会えなくなったのである。このタイミングは偶然ではない。 2002年,日本と北朝鮮の首脳会談の日程が決まった。アメリカは公然とその会談を阻止することはできず,9月13日に小泉首相を迎えたブッシュは,北朝鮮が核開発をしている情報をもっていると脅してみせた。しかし,9月17日に小泉首相が北朝鮮に飛ぶと,金 正日総書記と歴史的な会談に臨み,金 正日が拉致の事実を認め謝罪し,日本と北朝鮮が正常な関係を求める道を拓いた。 日本ではその事件に耳目が集中した。しかし,アメリカも,海の向こうからその会談をみていた。ケリーが北朝鮮へのアメリカ政府特使として任命されたのは,それからわずか9日後の9月26日であった。なぜ,ホワイトハウスは急いで北朝鮮特使を任命したのか? ただひとつ考えられる理由は,北朝鮮を「悪の枢軸」よばわりさせたブッシュのとりまきが,日朝国交正常化を妨害するための特使を創作しなければならなかったことである。 すでに日本では拉致問題が最大の話題となっていた。その事件解決が日本と北朝鮮の友好をもたらす可能性は高く,事態がすすむまえに誰かが北朝鮮を訪問して,友好を破壊しなければならなかったはずである。 そうして10月3日急遽ケリーは北朝鮮を訪問し,北朝鮮に罠をかけた。核兵器開発についてウラン濃縮計画の“証拠”があると挑発すれば,北朝鮮が威を張ることはまちがいなかった。 アメリカの騒ぐように北朝鮮の軍事力はそれほど脅威だったか。北朝鮮の実体は,軍部が核兵器を製造しようとしても,原子力プラント技術は粗末なもので,経済的にも軍事予算は日本の20分の1だった。むしろ張り子の虎の強がり発言にすぎず,全世界の軍人に共通する常套句のひとつにすぎない。 ところが,米朝会談の内容は,外部が誰もしりえない出来事なので,アメリカがメディアに勝手な関係をリークして北朝鮮への嫌悪感を煽るだけで充分である。ホワイトハウスはその発表のタイミングを図った。 10月15日,北朝鮮に拉致されていた5人が日本に帰国し,希望のあるニュースが日本を駆けめぐった。その翌日,アメリカ国務省が「北朝鮮は核開発を認めた」と,あたかもすでに核兵器開発に盲進しているかのように聞こえる北朝鮮危機論を煽ったのである。 10月17日,日本の新聞見出しは「北朝鮮,核兵器認める」一色に染まった。「アメリカ国務省は根拠もしめさずそう発表した」と書くべきところを,である。 さて,拉致被害者は10日間ほど日本に帰国後,北朝鮮にもどって家族とその後を相談することになっていたが,北朝鮮憎しの論調を煽る日本のテレビと新聞,雑誌は被害者の家族の再会を思いやることがなかった。 北朝鮮が日本とアメリカのためになめた1世紀にわたる辛苦を想像する見識も備えていなかった。こうしたばあい,まず北朝鮮と日本の国民が巧みに自然交流して,なによりも被害者が日本に帰国できる状況をつくらなければならないところを,メディアも政治家もみずからの手で国交正常化を絶望的な状況に追いやった。 ケリー発言の根拠が不明であることを翌月(11月21日)に明らかにしたのは,〔広瀬 隆が〕しるかぎり朝日新聞だけで,これほど重要な記事もほとんどの日本人には意味がつうじなかった。 ほくそえんだアメリカの新保守主義者集団は,ほとぼりが冷めないうちに,11月8日にネオコン7人組の1人,ダグラス・ファイス国防次官を日本に派遣し,北朝鮮のミサイルの脅威を認識せよとせまり,日本にミサイル防衛開発に協力するよう政界に圧力をかけ,同時にイラク攻撃への協力も求めた。 やがて拉致被害者が日本に帰国した2002年秋から,「アメリカが日本の核武装を認めて北朝鮮を抑えるのもひとつの方法だ」という危険きわまりないアジアの核ゲームを示唆する意見が,そちこちのシンクタンクから流れだし,日本の右翼論者がそれをうけて「日本の核武装宣言」を出しはじめた。 これらのアジア分断工作に成功したケリーは,2003年3月12日のアメリカ上院外交委員会公聴会で「北朝鮮が兵器級の高濃縮ウラン製造に必要なのは数ヶ月であり,数年ではない」と針小棒大な証言をして挑発しつづけたため,北の張り子の虎は「俺たちはいつでも核兵器をつくれる」と,ますます発言をエスカレートしていった。(以上,広瀬『アメリカの保守本流』212-218頁参照)。 --以上,伊藤成彦『9. 11事件以後の世界と日本』,和田春樹『新地域主義宣言 東北アジア共同の家』,広瀬 隆『アメリカの保守本流』が専門的な見地から明らかにする日朝‐米朝関係には,佐藤勝巳などのような人士あるいはその組織が実は,アメリカの国際政治の策略というか謀略にもののみごとに乗せられ,騙されてきたという実情がある。 たとえば,「北朝鮮が兵器級の高濃縮ウラン製造に必要なのは数ヶ月であり,数年ではない」と〔2002年3月〕いったケリー国務次官補の発言は,いまだに証明されていないどころか,明らかにデッチ上げである。 監視用の人工衛星〔など〕で,世界中の各国軍事事情をさぐりつづけている国「アメリカ」が,そんなことを,正確にしらないわけがないのである。監視衛星の解像度=精度の向上がいちじるしいことも付記しておく。 筆者がこのページを書いているのは,2003年11月24日である。すでに8ヶ月以上経過している。その後,北朝鮮が数ヶ月で,高濃縮ウラン製造に成功したというニュースは報道されたか? のちに,つぎのような報道に接することができる。ケリー国務次官補の挑発に乗り,北朝鮮がみえを張って「もっていると主張した高濃縮ウラン計画」に関するものである。
以上の【補 説:その6】(2003年11月24日)の記述を前提にした, ■
佐藤勝巳の「完全なるまちがい」■
◎ 戦後60年近くも国交が樹立されていない日朝間の不幸で異常な政治的関係を,より早期に正常化することの必要性は,誰がみても明らかである。にもかかわらず,それを望まない国がある。すなわちそれは,21世紀において世界覇権の最大限確立をめざす「アメリカという現代の軍事帝国主義」である。 なにゆえ,日本はアメリカのいいなりになっている国なのか? 前段〔補説1~6〕に解説したごとく,アメリカのしかける手のこんだ策謀に手玉にとられてきている国が,この日本である。 ◎ だから,佐藤勝巳のような人間は,アメリカがわからみれば,とても都合のよい〈あやつり人形〉のような1人である。彼は1990年代になんども,「1~2年後に北朝鮮は崩壊する」といった。 彼はいまのところ,アメリカ専用の政治的ボランティアー:篤志である。かつては,北朝鮮専用の「お先棒かつぎ:提灯持ちの奉公人」であったから,その様がわりには刮目というか,瞠目すべきものがある。 みかたによれば彼は「オッチョコチョイ」だということになる。しかし,実際の話においては,そんな軽い表現を許さないほど国内外にたいそうな迷惑‐実害をもたらしているのが,この男である。 ◎ 時代の流れのなかで客観的に観察すると,佐藤勝巳は,関係者のうちでその最悪の人物であるが,拉致被害者の家族‐親族たちなども実際は,日本と北朝鮮の国交回復に水を差す働きをしていることがわかる。 蓮池 透などのような拉致被害者の肉親(薫の兄)は,それこそ血族の情念からわきあがる怒りに感情を任せて,日本国が本来なすべき国際政治上の任務を,みさかいもなく妨害するという悪影響をもたらしている。 外交‐政治の目的・役割などまったく理解できない被害者家族や,彼らを無条件に支援する「安倍晋三」や「自民党などの国会議員たち」の関与,そして佐藤勝巳のような民間人の「主観的な善意・義憤」の発露的行動は,東北アジア全体に必要な友好‐平和関係の構築・前進にはなんの役にも立たないどころか,それに一生懸命にブレーキをかけていることになる。 とりわけ,北朝鮮拉致被害者の支援者や各組織は,アメリカ帝国の本性,いいかえれば,アメリカ中心主義の勝手わがままをまともに認識できておらず,いいように振りまわされていることも理解できていない。彼ら:それらは,この国=日本政治の情けない実態,さらに自分たちのおこなっている政治的な言動の〈視野狭窄的な限界〉にも全然気づいていない。 ◎ 小泉純一郎首相はまったく根性の座っていない機会主義の政治家である。自身の首相任期中に日朝国交正常化を成就することになれば,日本の政治家として,21世紀の歴史に誉れ高い記録を刻むことができるはずである。だが,いまのままではその反対に汚名を残すに終わるだろう。 首相になって2年半以上経ったが,小泉君はろくに「自民党をぶっこわす」こともできないようすだから,日朝国交正常化など,とてもじゃないが,無理難題か……。 思いおこすべきは,田中角栄も,アメリカ筋の陰謀〔情報リーク〕によって失脚させられる原因を提供されたことである。 田中角栄が生命をかけるつもりで,日中国交正常化をなしとげたことを想起せよ! かといって,小泉政権発足時に外務大臣だった田中真紀子は,もう助けてくれないし……。 ◎ 要するに,佐藤勝巳や関係の支援組織:「家族の会」「議員連盟」「全国協議会」と安倍晋三などの政治家たちは本当のところ,拉致被害者とその家族たちのために必要な任務を遂行していない。当然のこと,日本という国「全体のため」になる仕事もけっしてやっていない。 それだけでない。日本をふくめた東アジア関係諸国における大局的な政治的利害〔友好‐平和的な善隣関係の確保・進展〕はもちろん,将来に向けて設計すべき東アジア全体の長期的な経済的共同体の構築・発展にも水を差すことになるような,目先だけの行動をおこなっている。 自民党を中心に北朝鮮拉致問題に関与‐支援している日本の政治家が多くいるわけだが,なかでも一番問題なのが安倍晋三である。こんな世襲3代めのヒヨッコ国会議員が自民党幹事長まで務めながら〔拉致問題の登場当時は内閣官房副長官〕,日朝国交正常化交渉を破壊しているのをみたら,この党〔日本という国?〕の行く末も高がしれていると思える。 2004年7月には参議院選挙がある。日本国〔籍〕民は,まだ自民党に政権をもたせつづけるのか。
--ということで,日本のみなさん〔のみならず興味のある方すべて〕,筆者が上記に引照してきた, 小林正弥『非戦の哲学』筑摩書房,2003年3月,¥740 +消費税(以下同じ) 伊藤成彦『9. 11事件以後の世界と日本』御茶の水書房,2003年9月,¥1800 和田春樹『新地域主義宣言 東北アジア共同の家』平凡社,2003年8月,¥2400 広瀬 隆『アメリカの保守本流』集英社,2003年9月,¥700 などのうち,ぜひとも1冊はひもといてほしいものである。 また,北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕の軍事力の実相については,田岡俊次『2時間でわかる図解 日本を囲む軍事力の構図』(中経出版,2003年9月,¥1600 +消費税 )の参照を薦めたい。 本書は,北朝鮮,中国,その脅威の実態を事実に即して適切に解説し,アメリカの軍事覇権:野望の将来を説明している。金魚のウンチ的「軍事国家である日本」の自衛隊に関する説明も勉強になる。 同書第4章「日本の“戦力”」という主題には,「世界第2位の軍事費,西欧主要国並みの戦力をもつ自衛隊,在日米軍の本当の任務,集団的自衛論議の誤解などを解説」という副題が付されている。 ※「読後感」:田岡俊次の本は2時間で要点はわかる本だが,2時間で読める本ではない。それだけの中身がある。
寺島実郎『脅威のアメリカ
希望のアメリカ』
日朝関係を「拉致問題」という狭い視野に押しこめてきた最近日本の対北朝鮮外交を,さらに吟味しよう。 寺島実郎『脅威のアメリカ希望のアメリカ-この国とどう向きあうか・新世界事情-』(岩波書店,2003年11月)に披露された「北朝鮮」論を聞くことにしたい。 --この寺島『脅威のアメリカ希望のアメリカ』は,日本外交における「21世紀の課題」,つまり日米関係を「大人の関係」にするための議論を展開する。とりわけ,現状における日本の政治事情に対しては「正気と筋道をとりもどすときである」と警告する(181頁)。 筆者は,日朝関係に関する寺島実郎の主張を『同書』から抜きだす体裁で議論をしていく。 ①「筋道立った思考」……狂気に満ちた時代だからこそ,筋道立った思考が要る。 日本の進路を考えるばあいにも,怒りや短絡を抑えた冷静な判断が求められる。同時多発テロへの対応にせよ,構造改革のすすめかたにせよ,実は根柢でつながっており,政策思想が問われている。混濁した思考を脱し,政策思想の基軸を確立しないかぎり,惨めな漂流が待ちうけている(116頁)。 ②「日朝国交正常化のキーワード」……2002年9月17日,小泉首相の北朝鮮訪問という展開が起こった。 「小泉訪朝」が発表された直後,テレビでの討論番組でコメントを求められた寺島は,「日本が主体的に行動しても東アジアに安定をもたらす努力は望ましいこと」としながらも,成功のキーワードは「アメリカの本音」だと発言した。 南北朝鮮会談後の推移を注視していた視点からは,アメリカが日朝国交正常化を本当に望んでいるとは思えなかったからである。現実は,懸念していた方向へと展開した。 ブッシュ政権は,小泉訪朝を表面的には「歓迎」していたが,J・ケリー国務次官補を平壌に派遣,「核開発疑惑」というカードを提示した。これによって日本の主体的「正常化努力」は,国内的には「拉致問題」,国際的には「核疑惑」というふたつの問題にはさまれて,雲散霧消した。 2003年夏の朝鮮半島は,冷戦期への逆もどりともいえるほど冷え冷えとしたものとなった。 静かに考察して気づくべきことがある。朝鮮半島における脅威と危機なるものが,現実にそこに存在する危機というよりも,アメリカの政策意思の変転によって創出‐増幅されている,という事実である。 1994年の春にも,北朝鮮の核開発疑惑・ミサイル開発の動きをめぐり,アメリカからの情報にもとづき「いまにも北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれない」という大騒ぎがあった。 しかし,米朝交渉がはじまり,まったく日本の意思を超えたところで「北朝鮮の軽水炉転換のために」としてKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の発足が決められ,日本も10億ドルを負担すべしという話になった。多くの日本人に恫喝に屈するわだかまりと疑問を残しながら,すでに日本はそのうち,3.7億ドル(5百億円)を払いこんだ。 そして,こんどはアメリカの政権がかわれば,KEDOの凍結どころか,「悪の枢軸」を徹底的に追いつめるというのである。驚くべきアメリカの無定見・無責任である(134-135頁)。 ③「拉致問題にこだわる日本」……国民感情を背景にもっぱら「拉致問題」だけにこだわる日本の姿は,北東アジアの安全保障についての構想を希求するアジアのリーダーにふさわしいスケール感がない。 結局,極東に相互信頼のシステムをつくりだす以外に,「拉致」などという悲劇を繰りかえさないという方法はないのである。 静かに考えてみよう。 アメリカがアジアに向けている戦略を理解する最大のキーワードは「分断統治(divide & rule)である。つまり,内部対立を利用して影響力を最大化する手法であり,大英帝国のインド統治以来,欧米の植民地主義がアジアを支配するうえでの常套手段であった。 アメリカの戦後のアジア政策をみても,ヨーロッパに対してはNATOやEUなどの多国間の枠組を支持して関与してきたのと対照的に,多国間の枠組を支持せず,2国間関係は重視するが,アジアに多国間の協調‐連携のしくみができることには慎重かつ警戒的ということである。 アメリカという国は「(アメリカ自身の)国益」概念を鮮明化し,そのために有効な戦略を展開することを探求する。アジアに覇権国をつくらせず,アメリカの影響力を最大にして維持することを堂々と展開するのは,アメリカの立場としては当然といえる。 そのことは,マハティールのEAEC〔東アジア経済会議〕や,1997年のアジア金融危機にさいして日本が提案したAMF〔アジア版IMF〕構想へのアメリカの反撥と警戒をみればわかる。 要は,アジアにアメリカが主導できないしくみや事態が生じることを拒否する,というのが本音なのである。 小犬の群れが相互に吠えあい,疲れて仲良くしようという気運が生じれば,真中に肉片を投げこみ,争いの種を提供するようなパラダイムのなかにわれわれがおかれていることに気づかねばならない。 不幸な歴史を背景に近隣の北東アジアには,おたがいに罵倒したくなるような対立要素を抱えている。「結局はアメリカがいなければ事態は制御できない」という状況からいかに脱却するのか。主体的に安全と安定を確立する意思が問われている。 日本の国際関係の根源的不安定は,近隣のアジアに協調と安定の基盤をもたないことである。同じ敗戦国のドイツが,EUという共通の地域連携のしくみを構想・推進することによって,みずからの基盤を安定化させているのと対照的である。 アメリカという存在が,アジアの安定の重石であるというみかたも成立する一方で,そのアジア政策そのものが潜在脅威であるという微妙な状況に,われわれが生きていることに気づかねばならない(138-139頁)。 ④「アジア地域における日本の戦略-入亜への骨格(から)」……アジア地域の将来において,日本がかかわるべき「基本姿勢:4原則」がある。 a) 地域紛争不介入の原則をつらぬくこと。 b) 非核平和主義政策へのこだわりを鮮明にすること。 c) 「過去の清算」問題については,空虚なことばだけの謝罪外交を脱し,未来への責任として地域社会の脅威とならない決意を鮮明にし,理解をえること。日本自身が「力の論理」への誘惑を退け,「平和主義」の理念の確認と実践によって「歴史問題の清算」の柱とすべきである。 d) 中国の国際社会への建設的参画を支援したごとく,北朝鮮についても「関与政策」(国際社会に責任あるかたちで関与することをうながす政策),すなわち韓国の「太陽政策」を支援すること(164-165頁)。 ⑤「大ユーラシア外交戦略への視界の拡大」……日本は至近距離にある問題にしか眼がいかず,アメリカへの過剰依存と過剰期待のなかでしかみずからの進路選択を考えないという傾向を,むしろ深めているのではないか。 北朝鮮やイラクだけがこの国の外交の重大テーマではないのである。そういった問題意識に立って,すこし広い視野で日本の国際関係を構想すべきではないのか(167頁)。 a) 日本近代史における宿命的な潜在脅威ともいえる,ロシアの将来に的確に関与すること。 b) インドとの連携を深めることは,日本の選択肢を広げる。 c) 西太平洋を縦につらなる地域との連携を深めること(168-169頁)。
--以上,寺島実郎の見解は,2002年9月17日「小泉訪朝:日朝平壌宣言」以後,「拉致被害者の家族やその支援団体」に外務省本来の任務と機能を乗っとられたごとき体たらく,つまり,「北朝鮮による拉致問題」に固執するあまり対北朝鮮との外交交渉を頓挫させ,結局なにも成果を挙げられなかったこの国:日本の外交下手を指摘したうえで,今後への政策転換を強くうながすものである。 「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」は,日朝間の国交正常化交渉について,拉致問題の全面的な解決なしには絶対に反対だとする立場である。しかも,その立場は,日本国じたいがかかえる外交問題総体の「国際政治的な必要性」からははるかに遠い,まったく「隔絶した立場」に位置している。それらの人びと・団体による「視野狭窄の言動」とその「日本社会への影響力」は,日本国外務省本来の仕事・機能を制約・圧殺してきた。 だが,もっと問題なのは,今回の難関を乗りこえつつ,その後に向けて日本の対北朝鮮外交戦略を構築・展開・指揮すべき立場に立つ「最高責任者:小泉首相」の無方針・無戦略・無責任ぶりである。 「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」にとっては,アジア地域全体との対峙のなかで日本がはたすべき任務や課題など,どうでもいいことなのである。つまり,自分たち家族たちの「拉致被害」問題が解決さえすれば,北朝鮮に関してのあとの諸問題にはなんの興味もない。ましてや,北朝鮮との国交樹立問題は,彼らの関心外である。 忌憚なくいわせてもらうが,「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」の正直な感情は「アンナ国,糞デモ食ラエ」という心境なのである。 「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」は,日本が北朝鮮と国交を正常化するなかで同時並行的に問題を解決していくという漸次的な方法を,全然うけつけない。したがって,北朝鮮の問題=拉致問題という単純な図式しか念頭にはなく,彼らに北朝鮮外交の局面に口出しさせたら,その方面におけるほかのすべての課題はダメになってしまい,なにも進捗させえない。 「彼ら・組織」の軽挙妄動あるいは跳ね上がり的干渉を日本国外務省がまともに統制できていない最近の構図は,元来非常に優秀なる「日本国家官僚のマンガチックな脆さと日本社会世論の底の浅さを」のぞかせるものであった。 そういうわけでここ1年間以上,「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」が日本の世論をヒステリー的に占拠・壟断してきたため,北朝鮮問題のみならずアジア全体に対して日本国がはたすべき国際政治的な任務や課題が,まったくといっていいくらい遂行できていない。もっとも,この事情じたいは,以前とそれほどかわらぬ点だから心配無用である。 アメリカの利害にとって非常に好ましく進行したことがある。それは,アメリカ仕様にしたがわせる方向で,アジアにおける多国間の政治情勢をほどよく引っかきまわすための材料として,「北朝鮮拉致問題」をめぐる日本国内の対応姿勢〔ヒステリーの発症〕がたいへん有効だったことである。アメリカがわにとっては,これに越して都合のいいことはなかった。 「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」は,アメリカ政府筋にもその解決協力を要請してきた。しかし,そのような要請は,アメリカ当局がわにおいてさらに都合のいいようにあつかわれるだけのことを,「彼ら・組織」はきちんと認識できていない。国際政治の外交交渉に必然的にともなう複雑な諸事情・諸困難を理解していない。 今後における,アジア全体の利益‐発展‐繁栄を希求するための基盤の造成に対して「北朝鮮拉致被害者の家族とその支援団体」が客観的に有することになった〈負の役割〉,換言するなら「自己の利害しかみえない無理‐無知な行為」は,いずれ近いうちに歴史的審判をうけねばならない対象である。
※ 本 項 は,2004年1月2日 記 述。
カレル・V・ウォルフレン
アメリカという国に鼻面をつかまれ,いいように引きずりまわされているこの「日本」という国の「現実そのもの」に目を向けない「日本国民の政治精神的に脆弱な状況」を,カレル・V・ウォルフレンの本書『アメリカからの「独立」が日本人を幸福にする』は批判し,警告する。 ウォルフレンは,「日本はいつまで暴走する帝国に追随していくつもりなのか?!」と,日本および日本人に問うている。彼はいろいろ論じているが,北朝鮮による拉致問題に関する個所のみ参照する。 ● 日本の一般国民は,ブッシュ政権が拉致被害者の問題を本当に気にかけていると信じているのか。 しかし,関係諸国のなかで唯一,拉致問題で日本の立場を公式に支持しているアメリカの態度は,イラク占領に対する日本の支持を確保するための一時的なポーズ以上のものだと考えるのは,幻想だといわざるをえない。 いまの状況のもとでは,拉致家族問題は2次的な問題なのである(16頁,14-15頁,173頁)。 ● 北朝鮮はつねに,世界でもっとも謎めいた国のひとつでありつづけている。金 正日政権は,われわれの常識で計れないような政権である。にもかわらず,北朝鮮が起こした問題の,ほんの一部だけをとりあげて,それをすべてであるかのように考えてしまっている日本の現状には,懸念を禁じえない(174頁)。 ● 北朝鮮問題について,日本人はよく「選択の余地はない」という。拉致家族問題などを解決するに当たっては,アメリカの協力を仰がねばならない。したがって,対米追随はしかたがないという。しかし,このみかたが,いかに現実を把握していないかに気づく必要がある。 北朝鮮を邪悪な敵のようにあつかい,国としてあつかわないのなら,日本はなにもえられない。拉致家族問題についても,まったく解決にはむすびつかないだろう。あまりに度量のせまい姿勢であり,効果的な外交からはほど遠いからである(179頁)。 ● ブッシュ政権は,いまだに北朝鮮に対して賭けに出ている。ギャンブルのような政策をとっている。その裏にはつねに軍事的な選択肢がある。クリントン政権で国務長官を務めたことのあるウィリアム・ペリーがいうように,ブッシュ政権はまともな対朝政策をもっていない。 つまり,ブッシュ政権は金 正日を,倫理観も道徳観もない人間だと考えており,ブッシュはそういう人間と交渉するつもりはないのである。そうした愚かな考え方が,対朝政策としてまかりとおっていることじたい,日本を危うい状況に追いこんでいる。 日本はいまこそ,イニシアティヴが必要である。北朝鮮をめぐる外交的な環境を,新しい段階に引き上げることである。北朝鮮が抱いている,外部からの攻撃に対する恐怖をとりさって,交渉のテーブルに着く環境をつくることである。 それは,中国や韓国,あるいは台湾をふくむいくつかのほかの国の協力をとりつければ,実現できることである。 しかし,その前提として,日本が独立した立場にいなければならないこともまた,認識しておかねばならない。反米である必要はないのだが,アメリカが軍事的なオプションを行使することを防止できるような主体でなければならない(180-181頁)。 ● 2004年,万が一,ブッシュの再選に黄色信号が灯るようなことになると,北朝鮮問題がさらに緊迫の度を増すだろう。というのも,ブッシュが意図的に危機的状況をつくり出す可能性があるからである。アメリカでは危機が起きたときはつねに,大統領の支持率が上がる。そして今回のばあい,北朝鮮がその対象に選ばれる可能性がある。 それは本当に恐ろしい考えかたである。国内の政治ゲームのために,これほど多くのものを,ブッシュは危険にさらす覚悟をもっている可能性がある。 したがって,日本はただ座して,状況が展開していくのを静観しているわけにいかない。過去60年の永きにわたって日本人が享受してきた,安定的かつ平和的な環境を守りたいと,日本人はみな思っているはずである。そのためになにをしなければならないのか,ここでじっくり考えなければならない。 その最初の一歩は,真に独立した外交姿勢をもつことである。それは,反米主義にもとづいたものではなく,世界の舞台で,日本独自の声を上げることなのである(182-183頁)。 --以上,北朝鮮問題に関するウォルフレンの意見は, ① 北朝鮮との国交樹立を早急に図らねばならない「日本国の立場」=「(旧日本帝国の)歴史的な責務」をそっちのけにし,北朝鮮「拉致問題」に対する非難‐攻勢ばかりに躍起になっていた「自民党幹部の安倍晋三幹事長」や,この3世:世襲議員に右へ倣えしてきた自民党の関係議員たち, ② そして,拉致問題だけに気をとられ,ほかにはなにも視野に入っていない「現代コリア研究所長,北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の会長である〈佐藤勝巳という人物〉」など「拉致家族の応援者」をはじめ, ③ さらに,数多くの「日本がわ関係組織・関係者たち」の抱く「近視眼的できわめて狭量な対北朝鮮観」を, 真正面より批判したものである。 --滞米追随路線,アメリカに頼って北朝鮮問題,それも拉致問題だけ解決すればよく,日朝両国間における懸案の諸問題などどうでもいいとするような政治的に無責任な姿勢は,拉致被害者とその家族たちの立場のものならばともかく,日本の政府‐与党関係者のとるべきものではない。 ましてや,第3者的な立場で,しかも個人的・主観的には,拉致問題の解決に熱心に協力しているつもりの佐藤勝巳などは,論外・法外の口出しをするかたちで,アジア国際政治情勢に対して非常な害悪をもたらす言動をしてきた。 ウォルフレンは,拉致問題の協力をアメリカに訴えるやりかたがブッシュ政権がわでどのようにうけとめられているか,その現実模様にうとい日本がわ関係者たちの迂闊さを指摘している。 アメリカに対する日本がわ関係者のそうした期待が実は,日朝関係問題の解決を破壊する行為につながるだけでなく,日本じたいにとってもたいへん危険な状況をもたらす可能性がある点を,ウォルフレンは警告するのである。 --宮本信生『テロと米国の暴走 徳と盾-日本外交に直言する元大使にして法学博士-』(グラフ社,平成15年6月)は,かつての「病理体質」からの脱却にいまだ苦慮している日本外務省の外交課題を,こう説明する(同書,308頁)。 ① 日米同盟の重要性のためには,正当性のない米国の対イラク武力行使をも支持すべきであったのか。 ② 拉致問題をあまりにも強く押しだしたために瓦解した日朝国交正常化交渉のプロセスを,どう再構築すべきか。 ③ 北方領土問題をどう現実的に解決すべきか。 ④ 興隆する中国にいかに対応すべきか。 宮本信生は,北朝鮮問題についてさらに,こう述べる(以下は,同書,289-291頁)。 --「拉致」された方々,とくに北朝鮮で非業の死を遂げられた方々と,その親族の悲しみと憤りは筆舌に尽くしがたいものがあろう。その悲痛と憤りを踏まえて,日本政府が事実の徹底究明をふくめ,最大限の誠意を北朝鮮に求めるのは当然である。 しかし,その流れのなかで日朝関係が主客転倒し,歴史的に「負の遺産」を有するはずの日本が,北朝鮮を一方的に攻めたてる立場に立ったのかの観を呈するにいたった。北朝鮮がわは「加害者」と「被害者」の立場がすりかわったといい,また,被害者の数がまったく異なることを強調する。 日本の世論は,日本人「拉致」問題が日朝間に存在する唯一最大の問題であるかのごとく,北朝鮮に対して高圧的態度で臨む。関係正常化を可及的速やかにはたし,「経済協力」をえたい北朝鮮は,当初彼らなりに日本がわの要求に応じ,協力した。 しかし,日本がわは許さない。しかも,出稼ぎから「強制連行」まで,種々の形態が存在したにせよ,百万単位での朝鮮半島出身者の「強制連行」の問題,慰安婦問題など,人権にかかわる「負の遺産」があることを日本がわは放念し,正義は日本がわにのみあるかのごとく高圧的態度に出た。 日本がわが,「補償」としてではなく「経済協力」の形式によって対応する用意があるとの立場をとる以上,経済的に弱体化して,できるだけ早く支援をえたい北朝鮮としては,この方式を甘受せざるをえなかった。 この方式は,異なる日朝両国の立場の妥協であるが,日本がわが法律論と経済力で北朝鮮の政治的要求をねじふせた感がある。これが,国際政治の現実であるとはいえ,そこに,公正を主体とする政治的「徳」は稀薄である。 欧米の識者が,日本の戦後処理問題について,ドイツのそれと比して納得しないのは,その点にある。均衡を失した感情論を叩きつけるがごとく,「拉致」問題解決を交渉の前提条件とするような対応は,不公正の謗りをまぬがれない。 日朝関係の正常化は極東の緊張緩和に寄与する。それなくして,彼の地で非業の死を遂げた人びとの霊は救われない。しかも,自国の過去の「過ち」を不問に付している。不公正ではなかろうか。国交正常化交渉において日本は,歴史の試練に耐えうる,また国際社会から評価される政治的「徳」の外交をおこなうべきである。 北朝鮮に対する日本がわの強い要求が鎮静化しないばあい,北朝鮮が日朝国交正常化に乗りだした最大の目的,日本からの「経済協力」も北朝鮮は期待しえない。その結果,北朝鮮は,核ミサイル兵器に依拠する瀬戸際外交に逆もどりし,日朝関係はいたずらに緊張する。そのとき,事態は正しく「収拾できない状況に追いこまれる」。 膠着状態におちいった交渉を打開するには,申しがたいが,「拉致」問題について日本がまず,一歩引き,公正‐公平の原則に立って「拉致」問題と「強制連行」問題の均衡をとるべきである。 結局,日本がわのみが納得する均衡のとれない「公正」の追求は「不公正」である。それは「拉致」被害者家族を分断し,不幸にしている。 --以上,宮本信生の日朝関係に関する主張は,「日本がわが法律論と経済力で北朝鮮の政治的要求をねじふせた」結果,かえって,日本人の「「拉致」被害者家族を分断し,不幸にしている」と結論していた。 宮本の解釈はまっとうであり,またあまりにも当然である。核心の問題を的確に突いてもいる。 だが,ともかくも「北朝鮮による日本人拉致被害問題」の事実が,24年ぶりに明らかになったのである。この事実に激昂した「被害者家族やその支援者たちの態度」が特定の感情を突沸させたことは,いたしかたないだろう。しかし,そうした経緯のなかで,意識的に,完全に無視された重大事がある。 つまりそれは,その拉致事件よりも,もっと長く・ずっと深い・はるかに暗い歴史をもつものである。もちろん,旧日本帝国主義時代の話である。ありていにいえば,拉致被害者親族の先代‐先々代たちにも,こういう人びとがたくさんいたはずである。 旧日本帝国軍人となってかつて,アジア諸国に出征していった男たちのことである。台湾や朝鮮半島,中国にいって彼らが種々雑多,盛りだくさんに加害した行為:諸悪のすべてが,黒板に書かれた白墨を消すかのように忘れられてよいのか,ということである。 そうであってもよいというのであれば,日本人・日本国民は「歴史に対する健忘症」どころか,歴史そのものを抹消することにならないか。そうした態度でもってはたして,北朝鮮の拉致問題を追及することができるのか,ということである。「歴史に対する健忘症」とは,何十何年めに必然的に発症するとでもいうべきものなのか。 「旧日本帝国の罪悪性」に関しては,ここ数世紀連続してきた日本国民の「それに無感覚:無反省である病理意識」のほうが,むしろ問題である。「北朝鮮王朝」支配者による「日本国民に対する拉致の罪悪」をもってしても,旧日帝による「朝鮮・韓国に対する帝国主義的罪悪」は,すこしも相殺されえない。逆も真なりである。そういう思考をすることじたい許されないものである。 だから,遅すぎたとはいえようやく2002年9月17日小泉首相が平壌に飛び,「日朝平壌宣言」を交わしたわけである。金 正日国防委員長が日本にくるというかたちで,「日朝東京宣言」の作成にならなかった。その意味を,どううけとめるべきか? この点は,金君が飛行機を嫌う事情がある〔=怖がる〕とかいった次元の話ではないのである。 「日朝平壌宣言」はこう謳っていた。……「小泉純一郎日本国総理大臣と金 正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は,2002年9月17日,平壌で出会い会談をおこなった。両首脳は,日朝間の不幸な過去を清算し,懸案事項を解決し,実りある政治,経済,文化的関係を樹立することが,双方の基本利益に合致するとともに,地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した」。 小泉君が日帰りであってもわざわざ,日本がわから誠意をみせる格好で北朝鮮に出向いて「日朝平壌宣言」をとりまとめたところに,おおきな意義があった。むろん,そこにいたるまでの〈下準備‐段取〉については,日本政府‐外務省関係当局のたいそうな努力があったことも付記しておくべきである。 当日,小泉君が金君に電話を入れ,「今日いくから,よろしくな」などといって成立させた話ではないのである。にもかかわらず,その成果=努力の積み上げをぶち壊しにした自民党副幹事長(当時)安倍晋三や自民党関係議員,救う会の佐藤勝巳などは,「特定勢力の表現方法」を借りればそれこそ「国賊・非国民」的な行為を犯してきた〈ニッポン人の輩〉だ,と指弾されてもよいのである。 「日朝平壌宣言」が発せられてから,もう1年半近くの年月が流れた。日本のマスコミではその間,北朝鮮拉致による被害の問題ばかりが騒ぎたてられ,北朝鮮をひたすら非難する報道一本槍になった。その現象はまさにヒステリーであった。拉致被害者となった日本国民がいかにひどい目に遭ったかという点のみ,寝ても覚めても強調されてきた。 その間,宮本信生の主張するがごとき,日朝間においては「公正‐公平の原則に立って「拉致」問題と「強制連行」問題の均衡をとるべきである」というような考え方は,問題にすらならなかった。また,その間にそういう意見を口に出したらただちに,世論の集中攻撃をうける覚悟が必要でもあった。 以上のような経過にみてとれる日本がわの反応:感性は,こういうものではなかったか。 かつて,アジアへの侵略‐植民地支配‐戦争で帝国日本が相手国に与えた被害を謝りつづけるのは,いい加減もういやになった。それでもまだ,唯一その処理のされていない国:北朝鮮が存在する。 けれども,この北朝鮮の起こした拉致問題を奇貨として,帝国主義時代の補償問題を無視しただけでなく,この国の現状(窮状):足元をみすかすことによって,できるかぎり安上がりに値切る方途で,国交正常化交渉を成立させた。 日本はそのように,北朝鮮との国交正常化交渉において補償問題を回避できたのである。つまり,過去の植民地支配に対する真正面からの問題処理を棚上げ〔無視〕するかたちをとり,経済協力方式のみをもって済ますことに成功したわけである。 しかし,結局それでは宮本信生のいうとおりであって,欧米の識者の視点からみて,「日本の戦後処理問題について,ドイツのそれと比して納得されない」ことになることにかわりない。 日本がこのような負的評価を残したまま,北朝鮮との国交正常化交渉を「うまく切りぬけた」とほくそ笑んでいるようでは,21世紀の今後において,アジアの「大国たる地位」を維持することはとうてい無理である。 ただし今後,北朝鮮で突如政変など起きたりしたら,2002年9月17日に合意をえたものの,その後具体的にはなんら進捗をみていない「日朝平壌宣言」が反故にされないという保証があるわけではない。 --筆者はここで「蒋 介石の以徳報怨」を思いだし,インターネットで関連情報を検索してみたところ,つぎのような「北朝鮮拉致問題」に関する意見に接することができた。以下に紹介する。これを読んで,中国は政治的に大国だったが,はたして日本も政治的に大国たりうるのか,とても心配になるだろう。
※ 本 項 は,2004年2月7日 記 述。
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