テロを煽る都知事:石原慎太郎

 テロ容認発言を撤回しない
都知事の病理を解剖する1章


「やたら勇ましくかつ乱暴な妄言を連発する
依怙地な老人:石原慎太郎」


石原慎太郎という人物に象徴される
「地に落ちた日本における民主主義の水準」


● このページは,以上の内容を議論する ●




 ●『毎日新聞』 ( 2003-09-11-01:45 ) は,こう報道した。

 @   2003年9月10日名古屋市内で,石原慎太郎東京都知事が「田中 均外務審議官宅に爆弾がしかけられて当たりまえ」と発言した要旨

 北朝鮮とのかかわりの問題だって,なにやってんですか。田中 均という人,爆弾がしかけられて当たりまえの話だ。政治家にいわずに,いるかいないかわからないミスターXと私は交渉しているなんていって,向こうのいいなりになっている。

 ブッシュと小泉総理が「これはけしからん問題だ,すこし圧力をかけよう」といったら,その文言を声明のなかからはずそうとする。そんな役人が一人でしきって,北朝鮮と渡りあえるわけがない。

 私たちは,これだけの経済力をもって,日本から盗むようにものを引き出してミサイルをつくり,いろんなことをやってきた北朝鮮に,ここで経済的な抑制をする,制裁をする。日本はなんでこれができないのかわからない。私は小泉総理にいったけど,小泉さんはあんまりはっきりいわない。あとの2人の候補もこの問題について全然コメントしない。

 われわれの同胞が,状況証拠からいったら150人拉致されて,帰ってこない。ほとんど死んだでしょう。そういう国に私たちは,わけのわからないカネを注ぎこんで,いまでも万景峰号がやってくる。いろんなものをもって帰る。100発あるかないかわからんけど,ミサイルのほとんどは日本の技術と部品でできている。

 こんなばかな関係をですね,しかも向こうの大将は頭かきながら「いや悪いことした,私の責任じゃない,おやじがやったんで,理解してください。実は,私たちが多くの日本人を拉致しました」といって5人だけ帰す,子供は帰さない。

 そういうときに,なんで我々は「子供を帰さないなら経済制裁するぞ」ということを正面向かっていえない。こういう候補が出てこない。もしこれを亀井静香が裏切ったら,私はあなたを支持しない。亀井の倒閣運動やる。私たちは国家のプライドってものを,どっかにやってしまったんだ。全部,国の役人のいいなりになったから,こういうことになったんだ。 

  http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20030911k0000m010172000c.html

 



 A 石原都知事:「当たり前」発言に茂木敏充副外相が「遺憾」表明へ

 外務省は2003年9月10日,石原都知事が,外務省の田中 均外務審議官宅に不審物がしかけられた事件について「爆弾が仕掛けられて当たりまえの話だ」などと発言したことをうけて,官房総務課と報道課を中心に対応を協議し,9月11日に予定されている茂木敏充副外相の記者会見で「遺憾の意」を表明する方向で調整することになった。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との折衝に当たってきた田中氏を狙った今回の不審物事件や,それを擁護するかのような石原発言について,複数の同省幹部は,「田中氏は北東アジアの平和と安全実現のために北朝鮮と厳しい交渉をしてきた。許される話ではない」と批判する。同省首脳は,石原発言に対して「いっていいことと悪いことがある」と強く反発した。

 また,小泉純一郎首相は9月10日夕,記者団に対し「(不審物を)しかけられた方は悪くない。仕掛けたほうが悪い」と語った。民主党の枝野幸男政調会長は10日夜,札幌市内のホテルでの記者会見で「大衆迎合のポピュリズムで許しがたい」と石原氏を批判した。 

  http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20030911k0000m010171001c.html

 


 
  【筆者の論評】

 ● ここからの議論にさきだって,薬師寺克行『外務省−外交力強化への道−』(岩波書店,2003年8月20日発行)を,必見の参考文献に挙げておきたい。本書第1章の題目は「日朝交渉の挫折」である。以下の議論を,より的確かつ冷静に理解するためにも,たいへん役だつ岩波新書である。

 ● 以上のように2003年9月10日,自民党総裁選挙候補者の1人亀井静香に対する応援演説のなかで,「金 正日の個人的独裁専制国家:北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」との交渉に当たっている外務省の審議官に対して,石原慎太郎は「爆弾がしかけられて当たりまえ」といってのけた。

 その理由・事情・気持・感情がどうであれ,そのようにテロを容認し教唆するごとき発言を,現職の東京都知事が公衆の面前で堂々とぶちあげる「日本政治の構図」は,もはや異常をとおりこして緊急事態である。

 筆者は本ホームページにおいて,ミニ・ミニ 版ヒトラーたる石原慎太郎君の人間的な精神の基底:暗部「テロリスト的な性分」を,実証的にくわしく説明してきたつもりである。しかし,それにしても今回の「テロ容認‐教唆の発言」は,許しがたいファシスト的暴言であるといわねばならない。

 まるで,テロ犯罪を奨励する口つきではないか。

 近年東京都の治安状況が悪いからといって,前広島県警本部長竹花 豊を呼びよせ,東京都の治安対策本部長担当の副知事に据えたのは,どこの誰か。これでは,品の悪い「マッチポンプ」そのものであり,ヘタクソなアジテーターとしての面目だけは躍如させている。

 ● 北朝鮮に対しては戦争も辞すなと,勇ましく雄叫びを上げている日本の政治家たち,それも自民党内の幹部職位の人物も相当数いる。もしも,いまの時代に戦争を起こしたら,東アジア地域一帯がどうなるのか想像したことはないのか?

 19世紀第4四半期〜20世紀前半期,日本帝国主義が東アジアを侵略戦争してきた結果,どのくらいの不幸‐惨禍が巻きおこされてきたか。その根本的な責任は,どの国にあったか。日本の敗戦後58年も経っているにもかかわらず,その始末さえまだろくについていないありさまである。

 旧日本陸軍第731部隊は戦時中,中国満州で生物‐化学兵器を開発・製造し,日本軍は戦場となった中国の各地でそれを使用してきた。そのため,いまでもその廃棄物が中国の各所に残されている。最近も中国では,その処理に当たっていた人に犠牲者が出てしまい早速,日本政府がその補償を申しでている。

 2003年6月25日,日本国内でも化学兵器関係の残存被害がさらに明るみに出た。それは,茨城県神栖町の井戸水から有機ヒ素化合物(ジフェニルアルシン酸)が検出され,健康被害が発生した問題である。旧海軍が毒ガス弾を発射実験した影響が残っていたものである毎日新聞6月25日〔 2003-06-25-03:00〕

  http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/886058/89bb8aw95ba8aed-0-19.html

 

 ● 外務省は,北朝鮮による日本人拉致問題をめぐってその加害国家との交渉を多角的に発展させるために,水面下における高官の隠密的な行動も併せておこなってきている。

 ところが,外務省のそうした外交手段の行使を絶対的に否定,排除すべきだと個人的に考えた石原慎太郎が,今回のテロ未遂事件が起きたことをきっかけに,交渉を担当しているその外交官へのテロ行為もやむをえないなどと,街頭演説の場でとんでもない主張を放ったのである。これは,ただならぬ事態である。都知事という公務に就いている人間が,公衆の面前でテロという犯罪行為を支持する発言を,自制心もなく高らかにいい放ったのである。

 本来,国際外交の政治的なやりとりが多面的・多様的のものであり,かつ複雑怪奇な動きさえ必要なものであることは,政治学を学ぶ者であれば周知のことがらであり,現実の政治はまさにそのとおりにうごめいているものなのでもある。

 たとえば,日中国交回復(1972年9月25日「日中共同声明調印)を実現させるにさいしては,事前に〈密使〉の役割をはたした人間がいた。そうした役割は,政府関係者や外務省高官だけでなく,野党政治家,民間人企業家なども関与することは,しばしばあることなのである。

 ベトナム戦争を終結させるため苦労したアメリカ政府の特使キッシンジャーの働きを,もういちど振りかえって観察してみるのもよい。

 政治外交上たいへん「やりにくい」相手国である北朝鮮との裏交渉に当たっている人物,田中 均外務審議官の「やりかた:交渉の姿勢」が気に食わないからといって,「テロの対象になっても当然という暴言」を吐いた石原慎太郎の政治〔?〕感覚は,そのへんの暴力団のチンピラ・やくざ,もしくは最近トント思想のなくなった単細胞的な保守右翼の使い走りあたりと同じ穴の狢である。

 ● 石原慎太郎の言説は,大衆の素朴な感性に直接訴えうるものをふくむことはたしかではあるが,あまりに思慮を欠いた幼稚のきわみであることにかわりない。一国の大事:政治外交をとりおこなわねばならない政府責任者の立場とは縁遠い,完璧に「無責任・無謀な都知事」の発言である。そんな人間が都知事をやっている日本という国に,明るい未来はあるのか?

 都知事の立場にある人物にテロを容認する発言が許されていいのか? こんな初歩的な疑問は,答える余地もないくらい明らかである。だが,最近における日本の世論は,一部の大衆向け,低俗な雑誌『正論』『諸君!』などをめくってみればすぐ理解できるように,北朝鮮に対する蔑視感情が満ちあふれている。

 いまからちょうど1年まえのことだったが2002年9月17日,小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は,平壌で出会い会談をおこない,日朝平壌宣言を発表した。ところが,アメリカの属国体制をいまだに脱却できないこの独立自治国「日本」は,そのように北朝鮮との独自外交を試みた序の口で,ただちにあちらから横槍が入ったため,事後の進展はなにもないままに経過してきた。

 石原慎太郎とほぼ同じような感覚を有し,拉致問題で全面的な譲歩がないかぎり,日本は北朝鮮との国交正常化交渉には絶対に入るなと強引に主張する自民党関係者がいる。彼らは,拉致被害者の家族たちを全面的に支援する一群でもある。

 ● われわれは,こういうことを思いだしたことがあるだろうか。北朝鮮とは同族の国家であり,現在「休戦ライン」で停戦状態にある韓国〔大韓民国〕は,過去になんども,北朝鮮よりまったくひどいテロの被害をうけてきた。そのうちの主な3つの事件を,つぎにしるす。

 1) 北朝鮮武装ゲリラ部隊侵入による韓国大統領官邸「青瓦邸」襲撃未遂事件。→1968年1月21〜22日発生。

 2) 北朝鮮軍人がビルマ公式訪問中の韓国政府要人4名などを殺傷したラングーン爆弾テロ事件。→1983年10月8日発生。

 3) 北朝鮮工作員による大韓航空機爆破撃墜事件。→1987年11月29日発生。

 北朝鮮が韓国人を拉致〔誘拐〕した事件は,日本人に対するそれとは桁違いの数になっているが,ひとまずべつの問題として,ここではとくに記述しない。

 それでは,韓国が上記のような事件をおこされひどい被害をうけてきながら,そしてまた,今日まできびしい軍事的な南北対立の緊張関係をつづけながらも,武力衝突→全面戦争になりそうな事態展開を必死になって食いとめてきているのは,どうしてなのか?

 東京都知事の石原慎太郎,現在の内閣官房副長官を務めている安倍晋三,北朝鮮拉致被害者の会「家族組織」を支援している自民党代議士平沢勝栄,かつては日本人として在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業に対して真剣な協力を惜しまなかった〔日赤の事業に手を貸した〕佐藤勝巳現代コリア研究所長など,これら人士は,あの憎き北朝鮮にいまにでも攻めこんで拉致された日本人を奪還せよと,鼻息も荒く強引な意見を世間に振りまいて得意になっている。

 戦争などおこさずになんとか政治‐外交的な問題の解決を図りたい。そのためにこそ,与野党の政治家たちがおり,外務省の高官たちもいるのである。

 ● 9月1日になるといつも思いださざるをえないことがある。1923年の同日に関東大震災が起きたとき,流言蜚語を原因にして虐殺された6千名にも上ぼる朝鮮人犠牲者たちのことである。日本政府はその後,この朝鮮人たちおよびその親族などに対して,なんらかのかたちにせよ,わずかでも補償してきたか? 否である。

 毎年9月1日は,関東大震災にさいして虐殺された朝鮮人の霊を慰める行事が,関東地方各都県ゆかりの場所でとりおこなわれてきている。それから今年はちょうど80周年を迎えた。この慰霊行事はいつまでつづけていかねばならないのだろうか?

 関東大震災のとき朝鮮人が,いったいどこで,どのように,どのくらいの人数が殺されたのかについては,いまだに不明な点も多いのである。関東地方でもすこし周辺の地方にいくと,虐殺した朝鮮人たちの魂を慰霊する石碑や墓標を遺しているところもたくさんあるが,東京市〔当時〕当たりでは,地方よりも多数を殺したはずの朝鮮人の遺体をわからないように始末してしまい,まさしく歴史の闇のなかに葬ってきたのである。

 関東大震災のどさくさにまぎれて朝鮮人を殺した多くの日本人たちのうち,裁判にかけられた者もいたが,その裁判はいたっていい雰囲気であったという。裁判なのにときには,裁判官以下,大笑いの場面すらあったという。人を殺した人を裁く場で,そのことを審判するのに,なにゆえそういう笑いの場面が生まれたのか。朝鮮人など人間並みのあつかいではなかったことになる。

 松尾章一『関東大震災と戒厳令』(吉川弘文館,2003年)などから,つぎの文章を引照しておく。


 大天災ではあったが,この震災を利用して今日まで判明しているだけでも6千名以上の在日韓国・朝鮮人と7百名以上の在日中国人が虐殺され,亀戸事件・大杉(甘粕)事件といわれる,日本人社会主義者・無政府主義者・共産主義者,労働運動・青年運動の指導者ら総計12名が殺害された人災でもあった。

 とくに,韓国・朝鮮人,中国人への大虐殺は,まったく事実無根の流言蜚語(「朝鮮人が放火,暴動,井戸に毒をいれた」など)を信じて,自警団に組織させられた日本の民衆が軍隊,警察とともにおこなったものであった。事件は東京,横浜だけでなく埼玉,千葉,茨城県下でも起こった。

 今日まで日本の支配者はこの事件の真相を隠蔽しつづけている。このような2度と繰りかえしてはならない事件が起こされた社会的背景は2つあると考えられる。

 1つは,この大震災で首都東京の機能が麻痺したため(とくに治安対策面),内務大臣水野錬太郎が法的手続が不十分なまま戒厳令を出させて,軍隊を出動させたことである。

 水野は,1919(大正8)年3月1日の「3・1朝鮮独立運動」時の朝鮮総督府政務総監,警視総監赤池 濃は同警務局長であった経歴から,朝鮮人の報復を極度に警戒したと考えられる。

 当時,朝鮮半島では日本人が飲料水,食料などに毒を投じて朝鮮人の大量虐殺をおこなっていたからである。

 警察網が麻痺したことから,戒厳令下で軍隊に治安維持を委ねたうえに,流言蜚語の発生源も民衆からの自然発生説より支配権力がわから出されたという説も無視できない。

 民衆による自警団は,官憲により上から組織されて9月4日までは虐殺が黙認されていたが,その後は民衆の凶器携帯を禁止し,軍隊・警察による自警団取締りが強化され,最終的には朝鮮人,中国人虐殺の責任は民衆にのみ転嫁されたが,裁判ではほとんどが罪に問われなかった。

 在日中国人留学生の王 希天虐殺は軍隊によることが明らかにされている。日本人虐殺事件は,亀戸事件は警察,大杉 栄・伊藤野枝夫妻と甥の橘 宗一の扼殺事件は憲兵大尉甘粕正彦ら軍人によるものであった。

 松尾尊~の研究によれば,1923年10月1日より1924年3月末までに『法律新聞』に掲載された自警団朝鮮人虐殺事件裁判12件で,実刑を課せられた者わずかに32名であった。その最高刑は懲役4年(2名)にすぎず,しかもこれらの被告は1925年1月26日,皇太子〔のちの昭和天皇〕結婚のさい,恩赦をうけている松尾章一『関東大震災と戒厳令』吉川弘文館,2003年,2-3頁,144頁)


 1923年の関東大震災時,人々の社会不安・不満や相互不信の矛先をかわすため,日本政府・軍が他民族への偏見と憎悪に満ちたデマを意図的に流したことにより,6千人以上もの植民地出身者の朝鮮人・台湾人を虐殺した排外主義は,いまも残念ながら潜在しているのである(鄭 暎惠『〈民が代〉斉唱−アイデンティティ・国民国家・ジェンダー−』岩波書店,2003年,241頁

 
 北朝鮮に拉致された日本人の被害者,とくに死亡したと思われる日本人は,いったい何人いるのか? 15名,いやそれ以上か。石原慎太郎流にいえば「状況証拠で150名」。

 関東大震災が起きてから,日本人の諸思想「主義者」も巻きこんで,朝鮮人・中国人が大量虐殺された根本原因は,当時の軍部および日本政府が「この災害時に朝鮮人たちが非常な悪さをしている」というふうに事実無根の「作為的に捏造された情報」を,意図的,操作的に流したことにあったのである。

 関東大震災時,日本政府関係者が「捏造した流言蜚語」は,自分たちが朝鮮や朝鮮人たちに対してそれまでおこなってきた悪行じたいを反面的に非常に恐怖するあまり,日陰で秘密裏に先手を打って提供されたものといえる。それに比較するに,石原による「テロ容認発言」は非常に幼稚,単純なものではあるが,大衆の面前であからさまに公表された分だけ,これはこれでよけい罪深い言動である。

 ● 第2次大戦が終わって中国東北部〔旧満州国〕にいた日本軍兵士たちを中心に約6万人が,ソ連によってシベリアに強制抑留された。完全に正確な数はわからないが,その約10%が極寒や食糧不足,不衛生のため死んだとされる。注意すべきはこれも正確な数が不明だが,その6万人という数字のなかには,約5千人もの朝鮮人兵士がふくまれていたことである。

 小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉−戦後日本のナショナリズムと公共性−』(新曜社,2002年)は,著者の父小熊謙二がシベリア抑留組であったが,同じく抑留された中国在住朝鮮人の元日本軍兵士だった呉 雄根に対する戦後補償を求めて,日本政府とかけあった体験に触れていた。呉 雄根に対する日本政府の対応は,その対象外という返事だった(同書,〔あとがき〕955-956頁)

 旧日本軍兵士などのシベリア抑留問題に関して,日本政府はまともな補償をソ連に対して要求してきたのか?

 ● 太平洋戦争末期,昭和19〔1944〕年11月から本格的にはじまった日本全国へのアメリカ空軍B29爆撃機による,一般民間人をも標的にした都市空襲では,いったいどのくらい,日本人が殺され,死んだのか? 

 関連する文献として,島村 喬『本土空襲』(図書出版社,昭和46年)の巻末資料「付録・全国都市被爆一覧」を参照されたい。なお,太平洋戦争末期,日本内地での戦災死者数は58万人である。

 筆者の家族も当時,日本帝国臣民という仲間にして入れてもらっていた在日する「朝鮮人」だったが,昭和20〔1945年〕3月10日未明からの東京下町への大空襲では,浅草にいたためその被災者となっていた。もっとも,いままで,日本政府からはなんの補償もうけたことはない。日本人でも空襲による被害は〈やられ損〉であったが……。

 日本帝国を大東亜共栄圏まで伸長,拡大するための「十五年戦争」は,近隣するアジア諸国とその人びとに対してはもちろんのこと,自国民に対してもそうした,たいそうな災禍を不始末として残すだけに終わったのである。

 現在筆者の住む県北部のこの市では,JR駅北口がわ約2百mのところに線路と並行して流れるちいさな川の上に,敗戦の前日(!):昭和20年8月14日午後11時ごろの空襲で殺された234名の氏名全部が刻まれた石碑が建っており,いつでもその犠牲者の名前に接することができるようになっている。

 ちなみに,同日午後11時(翌8月15日に敗戦の宣言が放送されるまで,まる1日:24時間もなかった)の空襲では,市街地の74%に当たる35万8千坪が爆撃の被害をうけ,焼失戸数は全戸数の40%,3630戸だった。負傷者は3千人に上ぼった。

 ● 以上の記述をとおして,筆者のいいたいことは,なにか。誰かが〔どっかの国の首相だったが〕,こういっていたではないか。人間1人1人の命は「地球より重たい」。しかし,そのとてつもなく大事な人間の個々の命がいとも軽々しくあつかわれてきたことも,歴史上において明白な事実なのである。とくに戦争・戦乱・内乱などが発生すると,一般民衆はそのとばっちりをうけて,生命や財産を簡単に奪われるハメとなってきた。

 たとえば,ベトナム戦争でベトナムの大地に大量の枯葉剤を撒きちらし,そこに住む人びとに甚大な被害を与えたアメリカ〔帝国〕は,その被害者たちを助ける事後の対策にはほとんど手をつけていない。アジア人など虫けらにしかみないのが,アメリカ合衆国の支配者たちなのである。

 ベトナム戦争において5万8千人以上の戦死者を出したアメリカ軍は,敵地:南北ベトナムでベトナム人の兵士や一般民衆を2百万人近くも殺してきた。そして,アメリカがベトナムのジャングルに空中散布した大量の枯葉剤の後遺症〔とりわけダイオキシンの影響〕は,四半世紀以上経った今日でも残留している。

 北朝鮮に拉致されたが,生きて帰ってこれた人びとは,まだ幸いである。死んだ人びと,とくにその家族たちの気持は,当事者でなければなかなか理解できない悲情だと推察するほかない。一般にひとは,他人の不幸が自分の不幸そのものとならなければ,他者の気持・感情など理解しようとはしないものである。

 そこで,北朝鮮に拉致された本人たち,そして彼らの家族,さらにはこの被害者たちを支援する政治家や特定人士にいいたい。北朝鮮の拉致問題を私情的に唯一絶対化をすべきではない。それを絶対化したいのならば,筆者が叙上にとりあげてきた数多くの,しかも,日本が主体的に責任のある「歴史的に未解決の諸問題」も同時に絶対化しつつ,たがいに突きつけあいながらもういちど,根源より考えなおさねばならない。

 もしも,上段に筆者が主張した見解を,北朝鮮拉致問題に真剣にとりくんでいる関係者たちが拒絶するならば,筆者は逆に,あなたがたのとなえる主張も絶対的にうけいれることはできない。なぜか? 「絶対」と「絶対」が絶対的に対立したままでは,「両者のいいぶん」は未来永劫に交わる地点をみいだせないからである。

 戦時体制期が太平洋戦争にすすんで日本帝国は,朝鮮半島から数十万人の朝鮮人を日本内地へ強制連行しただけでなく,中国戦線からも捕虜にした中国人兵士だけでなく,一般民間人も「労工狩り」をおこない強制連行してきた。彼らは,日本国内で不足していた鉱山や軍需工場において,奴隷的な重労働に従事させられた。

 敗戦後,関係書類の証拠隠滅がはなはだしかったため,正確な犠牲数は調べようもないところなのだが,日本国内に強制連行された朝鮮人のうち数万人単位で行方・消息の不明の者たちがおり,中国人のばあいは約7千人が殺されている(朝鮮人および中国人の犠牲者については,金 英達著作集U『朝鮮人強制連行の研究』明石書店,2003年,鈴木賢士『中国人強制連行の生き証人たち』高文研,2003年をそれぞれ参照されたい)

 戦時期にそうして日本本土に強制連行され,生命を奪われた朝鮮人‐中国人〔やその親族など〕に対する個人的な補償は,半世紀以上経った現在でも未解決の問題である。いままで,彼らが日本政府を相手どって損害補償の訴訟を起こしてきており,一定の結果を現わす判決も出されている。

 ● 北朝鮮拉致問題の完全解決なくしては,けっして北朝鮮との国交「正常化」をおこなってはならぬとかたくなにいいつのる人びとに対して,こういっておかねばならない。

 そういう気持にこだわりつづけ,これからも完全に堅持していきたいのであるならば,具体的にいえばたとえば,ヒロシマ‐長崎の原爆被害に対しても,その非人道的な核兵器使用による人類虐殺の罪をもって,アメリカの戦争責任をとことん追及していき,その甚大な被害に対する補償を,いまからでも徹底的に求めていくべきである。

 万が一にでも,同じ日本人の〔北朝鮮の拉致被害などの〕問題ではあるけれども,それ〔アメリカの原爆投下〕は別問題だということなかれ。そういうことをいった瞬間,あなたがたのいいぶんは他者に聞いてもらえなくなるからである。それでは,ただ孤立するだけである。自身のことを必死になっていうさいにも,くわえてぜひ必要なものは,他者との連帯・共存・助けあい,他者への理解・愛情・思いやり……など,である。

 東京裁判〔極東国際軍事裁判〕は「勝者による敗者の一方的裁き」だという批判を繰りだすのであれば,「敗者による勝者の裁き」もおこなうべきではないのか。ごく一部にそのような訴えの試みもなされているが,まだまだ微弱な動きでしかない。一般市民に対する無差別絨毯爆撃,人類史上〔おそらく〕空前絶後のヒロシマ‐長崎への原爆投下は,本当に極悪なる戦争犯罪的な行為ではないのか。

 とりわけ,きびしく「指弾されねばならない」のは,「アメリカが日本の投下した原爆の後遺症を戦後いち早く調査していながら,その治療に対してなんら積極的な態度をみせなかった」という「非人道性」である(小俣和一郎『検証 人体実験−731部隊・ナチ医学−』第三文明社,2003年,181頁)

 アメリカは,1945年8月6日にヒロシマ,8月9日に長崎にそれぞれ原爆を投下した。アメリカは,その地で生活をしていた多くの一般市民,つまり日本人と朝鮮人たちの命〔死者推定;ヒロシマ14万人±1万人,長崎7万人±1万人,さらに+何人かわからない?〕を奪っただけでなく,その後に生き長らえた被爆者たちを,放射線照射実験に供したモルモットみたいに観察だけしてきたのである。

 戦勝した大国アメリカがそのように,日本人たちを人間あつかいしなかった「野蛮な人非人的行為:原爆投下」については,敗戦後の長い期間,日本がわより抗議することはむろん,指摘したり言及したりすることすら許されなかった。この国における戦争被害面の認識に関していえば,ヒロシマ‐長崎の原爆投下に対する〈被害意識〉は,被爆地から世界に向って広く十分に,普遍的に認識されてきたとはいえない。

 原爆被害に関していまだ,全世界の人びとにおいて共通した十分な認識がえられない背景には,こういう歴史的事情がある。広島県のばあいとくに明治以来,旧日帝の有力な軍都を地理的に配置し,当時まで最高水準の海軍工廠を有した地域であった。そこから,東アジアに侵略する陸軍の軍隊を出征させ,海軍の軍艦を送りだしてきたという「軍事史的な事実の展開」が記録されている。ヒロシマが原爆投下の対象に選ばれたのは,そうした事由も関係していたのである。

 1893〔明治27〕年8月日清戦争が開始された直後の翌9月,広島に「戦時における陸海軍の最高統帥機関=大本営」がおかれ,明治天皇以下,伊藤博文首相など政府高官の大部分も,東京からこの広島〔城内〕にうつった。第7回帝国議会臨時会も広島で開催された。広島は,天皇が東京に帰るまでの225日間,事実上,日本の首都になっていた。原爆の被害によって当時の関連施設は跡形もなくなり,ただその礎石を残すのみである。

 もっとも,戦略的な都市への無差別的な空襲爆撃は,旧日本帝国海軍航空隊が中国との戦争のなかで,重慶に対しておこなったものが先行していた。かといって,戦争中アメリカによる日本の都市空襲が非難‐批判できないというわけはない。それぞれの事件が重要な歴史的出来事を提示するものゆえ,ひとまず個別に問題にされ批判されねばならない「課題」性を有している。

 北朝鮮による日本人拉致問題がその絶対的・最終的な解決を期待されねばならないのだとすれば,筆者がここまで言及した,そのほかすべての諸事件についても同じように,「絶対的な解決」・「全面的なカタルシスの達成」をめざして,関係者すべてが,当該問題へのきびしいとりくみをおこなわねばならない。

 自分たちのうけた被害だけ,自国の問題だけを考えるのに精一杯であってはなるまい。それもこれもみな,相手〔国〕があっての事件ではないか。いままで,日本が他者‐近隣の人びとに与えてきた戦争による被害,日本が東アジア全体の歴史的展開のなかで遺してきた惨禍を,「加害‐被害国日本」の人間の立場にあってこそかえって,共有できる精神的な共同戦線を提供できないのか。

 仮りに,北朝鮮拉致問題が完全に解決したとしても,そのあとに残るにちがいないだろう,まことに後味の悪い「過去から蓄積されてきた歴史的な諸問題」は,けっしてその拉致問題の終焉をすなおに祝えない結果をもたらすのではないか。21世紀の現在は,自分たちだけよければそれですべてよし,とされて済まされるような時代ではない。

 日本と北朝鮮の両国は,敗戦後58年も経過しているのにいまだ,国交すらまともに回復されていない。これは,きわめて異常な事態を意味する。旧宗主国だった国とその植民地だった国々とのあいだで,国交正常化をいまだ回復していない2国は日本と北朝鮮だけなのである。北朝鮮による拉致事件が起こされた時代背景には,この歴史的な経緯も大いに関連している。

 ● 今回,外務省審議官の田中 均氏に対するテロ未遂を企てた某団体はいろいろ自称しているが,「朝鮮征伐隊」とも騙っていた。こういう仮面をかぶって「自身・組織の本体を隠す卑怯なやりかた」は,日本と朝鮮‐韓国,ひいてはアジア諸国との善隣‐友好の関係を破壊するのに十分な,凶悪な犯罪行為であると思うのは,筆者1人だけではないだろう。

 外務省審議官の田中 均を征伐して,それでどうするというのか? 愚か者たちのテロ行為が平気でまかりとおるような国になったのか,この日本は。世も末か? 奈落の底にいま向かっているのか,この国は?

 20世紀の中葉までのことだったが,そういうことをやってきたからこそ,この国を滅亡の淵まで追いやってしまいそうなあの戦争は起きたのだ。そういう苦い辛い記憶は,もうなくなってしまったのか? 


    =2003年9月11日  記 述= 



「爆弾をしかけられて当たりまえ」
といって,テロを煽る〈駄々っ子〉知事
石原慎太郎をめぐる報道など



 @「最強援軍」慎太郎の辻説法で亀井,大逆転へ」と報じた2003年9月10日『夕刊フジ』は,「亀井候補〈弟分〉の亀井静香候補のために応援演説をおこなう石原慎太郎都知事,名古屋市中区栄の三越前で」という記事を出していたが,外務省審議官田中 均氏宅に「爆弾がしかけられて当たりまえ」石原が叫んだくだりはとりあげていない。

  http://www.zakzak.co.jp/


 A「不審物事件:産経新聞大阪本社に犯行声明届く 」

 田中 均外務審議官宅の不審物事件で,大阪市北区の産経新聞大阪本社に,「建国義勇軍」を名乗る封書が2003年9月11日,届いた。警視庁などが事件との関連を調べる。

  http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030911k0000e040042001c.html

  http://www.sankei.co.jp/news/030911/0911sha065.htm

 この「建国義勇軍」なる組織のメンバーは,犯行声明を,産経新聞や朝日新聞に届けている。このテロを試みた犯罪集団のつかう語句は,「建国義勇軍」だとか「国賊征伐隊」だとか,半世紀以上もまえによく聞いたものである。北朝鮮のことを「敵性国」といっていた。興味深い語法である。敵とは対話はできないという語感がにじみ出ている。


 B 外務省の茂木敏充副外相はその後,「不審物事件:石原都知事発言の撤回求めず」といった。

 会見で茂木氏は「もし暴力行為が許されるという趣旨なら,撤回していただきたい」と述べたものの,「あれだけ立派な政治家の方なので,暴力を容認する趣旨の発言とは考えたくない」と,石原知事を擁護した。

 この茂木外務副外相の見解は,100%の詭弁である。「爆弾をしかけられて当たりまえ」といった石原発言の意図が,どうして「暴力行為が許されるという趣旨にならない」というふざけた理解になるうるのか。まことに不可解な弁説というか,あまりにも馬鹿げた〈珍解釈〉である。

 石原都知事が本当に「立派な政治家」なのであれば,本来,絶対口にしてはならない文句:「爆弾をしかけられて当たりまえ」という発言を放ったのである。この人,そういうたぐいの問題発言を常習とする自称「一流文学者=似非文士」なのであった。


 ※ このBの段落における記述については,2003年9月10・11日の朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,夕刊フジ(それぞれインターネット版)を参照した。行論上こまかく分けて引照したので,その出所をいちいち指示することは避けた。


 石原慎太郎当人が本物の文学者でいるつもりならば,ことばの綾だとか表現の微妙さを,相当に高い水準でもって,よくこころえていなければならない。ところが,あにはからんや,いくら「話ことば:演説」の中身だったとはいえ,あちこちで,粗野・雑駁・いい加減・デタラメな発言を頻発させてきている。

 2000年4月9日に慎太郎が発した「第三国人」発言のときもそうだったが,明らかな差別発言(得意技)を吐いておきながら,その後におよんでもなにやかや〈いいわけ〉がましい弁解〔というよりも抗弁,反論〕を,しかも,開きなおったような攻撃的な態度で繰りだしていた。

 日本社会には,多種多様なかたちで差別・偏見をうけている人間‐社会の諸集団が存在する。問題の性質は,セクハラ問題と同じ要領で考えればわかりやすくなる。差別のことばを投じられた人びとのがわにおいては,どのくらい深く精神的な痛打をうけ,しかも心のなかにおおきな損傷を残すかということなど,これぽっちも配慮できないのが,いつもの慎太郎君だったのであり,今回もそれとまったくかわる点がみられない。

 そうした深刻な問題性をもった石原の発言を聞かされてもなお,慎太郎チャンの個性のなせるワザだというふうに,変に好意的にかばう識者もいる。「テロを容認する発言」であることにちがいない「爆弾をしかけられて当たりまえ」といったこの男に対して,それでも,彼の個性のことなのだから勘弁してやっていいのではないかと,途方もない寛容な気持で弁護する人がいる。

 筆者からいわせると,慎太郎「爆弾テロ容認発言」に寛容な姿勢をみせようとする人士は,共犯的心理構造の持ち主である。

 さて,さきほど茂木副外相が,「爆弾をしかけられて当たりまえ」といった「石原慎太郎都知事は立派な政治家だ」といったことを聞いて,筆者はこう思った。

 茂木さんの所有する『辞書』のなかにある《立派》という項目をみたらきっと,「馬鹿」「蒙昧」「固陋」とか,あるいは「ときにはテロリストもさす」という説明しか記述されていないのではないか,と。

 ともかく,外務省内(首脳)には〈いっていいことと悪いことがある〉との反発もあり,石原氏の発言への不満はくすぶっている」そうだが,一方の福田康夫官房長官は会見で,「適当でない」「街頭演説で勢いあまっていったと思うが影響力があるので十分注意された方がいい」とコメントした。

 石原が「爆弾をしかけられて当たりまえ」といったけれども,それも「勢いあまっていった」ことだから,情状酌量の余地があるとでもいいたげな官房長官福田のコメントは,ずいぶん思いやりに富んだ「甘・甘にかばったいいかた」である。

 つまり,福田官房長官のコメントは「いっていいことと悪いことがある」という常識的判断を問う点において,決定的な脇の甘さを残している。というよりも実は,福田個人の精神の奥底には,石原に同調したい〈ちいさな共鳴板〉が隠されているのである。いわば,福田も心底では「自分たちがいえないことを都知事がよくぞいってくれた」と思っていたはずである。

 もっとも,福田官房長官は,石原都知事が田中外務審議官の外交手法について,「役人1人〔田中〕がしきって」いる個人プレーだと断定し,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「いいなりに〔田中が〕なっている」と非難したことには反論しており,こうも断わっていた。

 「田中氏が独自単独で自由勝手にやったことではない。われわれも小泉純一郎首相も責任をもっていることだ。そのくらいの常識はもちあわせているだろう」。

 すなわち,田中外務審議官の立場‐役割‐使命に対しては,われわれ=福田康夫官房長官や小泉純一郎首相も責任をもっている,というのであった。

 そういうことであるならば,つまり,日本政府‐外務省の方針・政策にしたがいながら田中審議官が課せられた仕事を実行しているかぎり,田中氏宅に「爆弾をしかけられて当たりまえ」といった石原慎太郎のテロ容認発言は,日本政府内閣官房長官福田康夫や日本国首相小泉純一郎〔の自宅や官邸〕にも「爆弾をしかけられて当たりまえ」という敷衍を可能にするのではないか?

 そのように考えるのがしごく「当たりまえ」の,きわめて合理的な推論といえる。


 C毎日新聞9月11日』( 2003-09-11-13:22 ) より。

 不審物事件:石原都知事発言に批判が強まる−−識者ら反発

 外務省の田中 均外務審議官宅に不審物がしかけられた事件について,石原慎太郎・東京都知事が「爆弾がしかけられて当たりまえ」などと発言したことへの批判が強まっている。

 さまざまな言動で物議をかもしてきた石原知事だが,テロ容認ともうけとれる今回の発言に,識者らは反発し,拉致被害者関係者も驚きの声を上げた。


 以下,まず「◎赤字の記述」部分は,石原慎太郎の「テロ容認」発言を非難するコメントである。

 つぎに「◎水色の記述」部分は,石原に同情的理解をしめすコメントである。

 最後に「◎青緑の記述」部分は,自称一流文学者だという慎太郎の野卑な文才(発言のしかた)を指摘するコメントである。


 a) 東京都庁には9月11日朝から抗議電話が殺到した。

 「(米同時多発テロの) 9・11の時期なのに不穏当だ」と,非難する声もあいついで寄せられた。東京都生活文化局によると,一部に賛成する声もあるが,「テロを容認するのか」と批判する意見がほとんどだという。

 b) 政治評論家の細川隆一郎さん

 「北朝鮮に対して,しっかりした態度をとれということを知事はいいたかったのだと思うが,都知事としてテロを容認するかのようにうけとられる発言はまずい」と語った。そのうえで「物事を直接的にいうことは彼の性格的な特徴で,しかたがない」とかばった。

 c) 評論家の佐高 信さん

 「あのような暴言は,言論に自信がない権力者の常套手段。石原氏の弱さを露呈した発言だ」と話した。一方で「彼の発言を歓迎し,共鳴する空気もあることは確かだ。『こういったらうける』ということを感じ,そこに向かって迎合的に発言している」と懸念をしめした。

 d) 北川正恭・前三重県知事

   「公人の発言としては不適切だ。人の生き死にや,戦争にかかわることはよほどの体系のなかで語られなければいけないものだ。(石原知事は)体系立った言葉というより,瞬間的な言葉が多すぎる」と語った。

 e) 拉致被害者家族会の横田 滋代表

 石原知事は,「拉致はテロ」と訴える拉致被害者らの運動にも積極的にかかわり,支援の集会にも参加してきた。拉致被害者家族会の横田 滋代表は「田中さんのおこなったことは確かに功罪はある。言葉で批判することは大いに結構なことだと思うが,テロを認めるような発言は問題だ。発言をとりけしてほしい」と訴えた。

 f) 支援団体・救う会の西岡 力副会長

 「朝鮮総連関連施設などに対する銃撃などの行為も絶対反対だ。『拉致はテロ』ということで運動をすすめており,知事も支持してくれていた。信じられない気持ちだ。真意を聞いてみたい」と話した。

  http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030911k0000e040045000c.html

 

 −−上述中で,拉致被害者家族会の横田 滋代表が「田中〔外務審議官〕さんのおこなったことは確かに功罪はある」とコメントしたことに関して,一言いっておこう。

 北朝鮮との〔事前・水面下の〕交渉をする政治的使命を帯びた外務省の一高官が,各種外交ルートをつかって日朝両国間の国交正常化のため努力してきている。この事実に対して,北朝鮮の拉致被害者とその家族が,日本政府外務省の仕事に要請を出し,注文をつけ,ときに批判・非難もすることは,自国民:拉致被害‐関係者としてあまりに当然の行為である。

 しかしながら,どの国の,どの外務省高官であっても,国際政治外交という世界の過酷な現場にあっては,担当任務の遂行が完璧にできるということは,とうていありえないのである。

 それでも,その政治外交的な任務にたずさわっている外務省高官個人をつかまえて,その行為:仕事には「功罪がある」などと表現するごとき決めつけ的「批難」は,的外れもいいところであって,まったく当たらない評価である。いいかえるならば,政治外交の仕事はその努力を懸命に遂行してきても,結果的には「うまくいくことも,いかないこともある」。

 つまり,政治外交上の仕事にはいつも,功罪というものがつきまとってくるものである。それを,功罪があるとかいって一般論的にコメントして,なんの意味があるのか。北朝鮮拉致被害者とその関係者だけが専門的・排外的に,外務省の仕事を評定できるつもりでいるのか。

 北朝鮮による日本人拉致問題については,まだ最終的な結果は出ていない。今後,どのような展開となるか予断を許さないのに,いまの段階で,マスコミのマイクに向って,某国の政治家みたいな〈短絡的な評価〉を軽々しく垂れ流すのは,やめにすべきである。

 すでに触れてきたように,この種類の外交問題を,拉致被害者およびその関係者が自分たちの意向にそうかたちで完全に解決することを期待するのは,当然である。それにしても,そのように事態が進行しなければ〈外交官の責任:功罪〉だというのは,政治‐外交のイロハをしらない素人の勝手ないいぐさでしかない。


    =2003年9月12日  記 述= 



石原慎太郎の「発言」を調子づかせてきた
最近における日本社会の雰囲気
日本における民主主義の成熟度



 ● 2003年9月13日『朝日新聞』朝刊は,1面全体をつかって(脚の広告欄はのぞく),北朝鮮に拉致された日本人被害者たちに関する特集記事を掲載している。そのタイトルは,「会える日いつ−拉致被害者・家族は今,日朝会談から1年,喜び・寂しさ・いらだち−」である。

 また,同日における,社会面の〔→見開きで〕右がわの頁右上トップに配置された,べつの連続特集記事「あの日から−拉致B…日朝この1年」も組まれている。この「記事B」で主にとりあげられているのは,現代コリア研究所長の佐藤勝巳である。

 佐藤勝巳はこういっている。「日本が核ミサイルをもつことだ」,「戦争を恐れてはならない」。佐藤のいわんとするのは,日本は北朝鮮による拉致被害問題の解決のためであれば,「核ミサイルを所有し,戦争も辞さない姿勢で交渉しろ」という意味である。

 筆者はすでに,こういうキチガイじみた「北朝鮮という国とまったく同一の精神的次元」での乱暴な思考しかできない日本の識者を,なんどか批判してきた。

 仮りに,東アジア地域において日本が,拉致問題を理由にその被害者を奪還するための限定的だが軍事作戦・武力発動を実行することになり,北朝鮮に「先制攻撃」をおこなったとしたら,日本‐北朝鮮・韓国‐中国〔その一部〕一帯には,どのような結果がもたらされることになるか。

 佐藤勝巳の叫ぶ〔喚く?〕ように,限定的であろうがなんであろうが,そんな戦争=戦闘行為を東アジア地域で生起させたら,関係諸国はすべて21世紀の今後に,非常におおきなダメージをうけることになる。なによりも東アジア地域に,たいへんまずい事態が招来される。

 日本国外務省もそうした不幸な事態を起こさないために,北朝鮮との外交をできうる範囲内で最大限努力しているはずである。それが,なにがお気に召さないといっては,外務省を罵倒し,そんなことはほっといていいから,北朝鮮への戦争をオッパジメロ,そして拉致被害者をとりもどせと,口角泡を飛ばして盛んに督戦・煽動するのが佐藤勝巳なのである

 かつて,大東亜戦争ともいわれた戦争の時代まで,自分は戦場からはなれた安全地帯にいながら一生懸命,若者を戦場に送る役目をはたしていた老人たちが大勢いた。佐藤勝巳の上記のような雄姿をみせつけられると,つい昨日の出来事のように,そうした調子ばかりよかった老人たちのことを思い出してしまう。佐藤も,自分の息子や孫に当たる世代の若者の命を,自分〔老人〕よりも早く天国に送ることをなんとも思っていないらしい。

 ● さらに仮りの話だが,日本が北朝鮮に攻め入って戦闘をおこない,日本人拉致被害者〔生存者〕全員を救出し,日本に帰還させえたとする。しかし,北朝鮮を武力攻撃したうえでのその結果だとしたら,北朝鮮がわは,軍人をはじめ民間人にも相当の被害〔死者‐負傷者〕を出すことになる。あくまで想定だが,数十人あるいは数百人の死者と,それより一桁上の負傷者が出る。

 以上はひとまず,日本軍=自衛隊の損害には触れない話であった。

 日本による北朝鮮への攻撃は,北朝鮮がわからみれば安保体制にあるアメリカからの攻撃を意味する。さらに,アメリカ軍の駐留する韓国も休戦中の相手国であるという事由もからんで当然敵国になるから,反撃の対象になる。そうなると,これら関係4国全体にまたがって一気に,戦闘事態が発生することになる。

 さて,佐藤勝巳にいいたい。「為政者でも政治家でもないあなたが〈戦争をやれ〉といって,もしも本当に戦争が起きたら,そしてその結果生じる各国の人的‐物的な被害や,その後に長く残ることになる破壊や惨禍を,どのように考えるのか」。あなた個人で責任をとれるのか,と。

 北朝鮮の拉致被害問題を解決させるためには「武力を行使する軍事攻撃も辞するな」,「戦争も恐れずにやるのだ」と,佐藤個人が勝手に勇ましくいうのはけっこうである。だが,「有事法制」も成立させているこの日本国のことである。解釈しだいによっては,自衛隊が北朝鮮に攻めこむことも想定しておかねばならない。そのような今日的情勢のなかで,本当に,戦争を起こしてでも「拉致問題の解決を図れ」と叫んでいいのか。

 「拉致問題」のような国際問題が起きて国家間に戦争がおこされた歴史があったのか,佐藤勝巳にぜひ聞いておきたいところである。佐藤もよくしっていることと思うが,北朝鮮が起こした同じような問題にかぎっていえば,ほかの方法をとってその解決をしてきた国々が現実にあるではないか。

 佐藤にもういちどいっておく。アナタはいつから,日本国の首相あるいは防衛庁長官になったつもりで発言をするのか。

 もっとも,一国首相や軍隊の最高指揮官がそれほど重大な決断をするに当たっては,もっともっと慎重でなければならない。日本国総理大臣の小泉純一郎君や,あの目つきのすごく悪い現防衛庁長官の石破 茂君だって,イラク戦争後における同国内の現状〔アメリカ軍・イギリス軍などの兵士がおよそ毎日1名ずつ殺されている〕をみたら,「戦闘地域ではない場所」に日本の自衛隊を派遣するのだといっていたにもかかわらず,派遣するのをいまだためらっているではないか。

 日本政府の関係者たちは,本当は自衛隊をイラクに派遣したくてうずうずしているのだが(石破長官はとくにそうである),自衛隊員に死者が出ることは非常にいやがって〔こわがって〕いるのである。なぜかといえば,イラク戦後の統治体制下で自衛隊を派遣したばあいでも,死者が出ることは想定したくないのである。思えばそれは,あまりに当然・自然な気持である。

 本格的な戦争での戦闘行為は,戦死者を出さないことなど考えられない。だが,治安維持のための自衛隊派遣ならば,死者を出さなくても済むと思いたいのである。

 それがどうだろう。佐藤勝巳は,北朝鮮との「戦争をやれ」などと無責任なことを,しかも「拉致問題」解決のために北朝鮮を攻撃せよなどというのは,先述のようにキチガイ沙汰の無責任な放言である。現代コリア研究所長の名が泣くではないか?

 もしも,北朝鮮も戦場になってしまいその国土が荒らされたら,拉致問題が解決したあとに北朝鮮との国交正常化に応じるのだといっているけれども,その段階にすすんだ状況にいたっては,外交手段による拉致問題解決の道筋とは非常に異なった難題をさらに課すことになる。というよりも,両国の国交正常化交渉どころではなくなる。

 ● 筆者は以前,佐藤勝巳の著作『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房,1991年)に対する批判論文を書いたことがある(裴 富吉「問われる在日韓国・朝鮮人−佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う』を読んで−」『コリア就職情報』第19号,1992年1月。最後部にこの稿文〔全文〕のリンクを設けてあるので,参照を乞いたい)

 同稿をもって筆者が佐藤勝巳を批判した要点は,こうであった。

 かつて,在日朝鮮人の熱烈なる応援団員だったこの人物が,どういうわけかしらぬが〔在日朝鮮人とのつきあいでいろいろ経過があったらしいが,自分の気持を急に〔徐々に?〕捻転させていったのである。彼はその後,現代コリア研究所長として,在日韓国・朝鮮人に対して「最大級の悪口雑言」を浴びせつづける活動に従事するという〈下等な人間〉に変身したのである。

 そのせいか,佐藤勝巳の著作『在日韓国・朝鮮人に問う』は,在日する韓国・朝鮮人にかかわる多種多様な諸問題,つまり,気質,母語,指紋押捺,本名と通名,被害者意識,異質との共生,民族差別,歴史的事情,在日外国人の権利,民族教育,参政権,謝罪・補償,永住,〔そして時間厳守のこと〕などをめぐって,それこそ徹底的に歪曲・曲解し,くわえて偏見と差別に満ち満ちた諸見解を披露していたのである。

 あまりにもひどいというか,性悪だともいっていいような内容の佐藤『同書』を一読した筆者は,とうてい黙っているわけにはいかず,その中身に対して逐一批判する作業を,前掲論稿の執筆によっておこなったのである。

 筆者のその論稿はもちろん,佐藤に進呈してある。だが,彼からは最低限の返事すらもらっていない。当然,彼には〈無視する自由もある〉ので返事を強要するつもりなどない。いずれにせよ,事後における彼の立場の変質ぶりからうかがえば,筆者のような「反論との対話」はのっけから成立のしようもなかったと推測される。

 したがって,十数年経ったいま筆者は,このホームページを媒介につかいあらためて,佐藤勝巳の言動・思想を再批判することになったといえる。しかし,十数年まえの佐藤勝巳は,「自分が嫌いになった北朝鮮」に「戦争をしかけろ!」などという人間ではなかったはずだが,ヒトはかわればかわるものである。

 佐藤勝巳の最近作『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(草思社,2002年)は,「いまや在日韓国・朝鮮人に対する差別などほとんどなくなっている」と断言していた。こういう現実をみない(!)〔みたくない?〕事実無根の噴飯物の迷論は,在日外国人にいわせると迷惑千万である。

 在日韓国・朝鮮人に対する差別「など」「ほとんど」ないというばあい,その「ほとんど」が98〜99%くらいだと証明できるなら納得もいきそうな感じもある。だが,それが8割とか9割くらいでしかないなら,在日への差別が「ほとんど」なくなっている「など」とは,残念なことに「ほとんど」いえない。

 もっとも,その残る1〜2%や1割・2割の差別が,よりキツイ,過酷な中身・実態であることをしっておかねばならない。

 日本で生まれ育ってきた《在日2世の筆者》にいわてもらおう。60年近くも日本社会の構成員として生活してきた歴史を回顧して思うことは,この人間に対して,まともな市民権‐参政権をけっして与えようとしない日本という国・国家は,外国人それも在日韓国・朝鮮人に対する「静かなるアパルトヘイト」を敷く「差別典型国」である。

 ここでは,日本国に「帰化すればいい」という生半可な無知論はべつにしておき,敗戦後GHQの統治占領下にあった日本が1952年4月に独立させられるに当たって,日本に在住する旧植民地出身者の日本国籍を,当時においてすでに十分常識になっていた国際法の基本手順〔彼らに日本国籍を選択させる・与える権利〕を,平然と無視した点を指摘しておく。しかも,それを国家官僚の1本の通達で奪うという,きわめつけの恣意的な運用で処理したのである。

 佐藤勝巳『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』の話にもどる。かつて「私〔佐藤勝巳〕は……共産主義思想に冒され,ものごとをありのままにみることができなかったことの一言につきる」と,同書はすなおに反省していた。けれども,同じ佐藤勝巳による最近の「極端な朝鮮半島嫌いの言動」はその反動形成,裏がえしの現象である。

 ● 外務省の高官が水面下で事前の根回し交渉を北朝鮮としている事実をめぐっていうなら,拉致被害者とその家族関係者,とくに拉致被害者でも日本に帰国できた蓮池 薫の実兄である蓮池 透は,今回の石原慎太郎に「爆弾がしかけられて当たりまえの話」〔という発言〕をさせる『触媒の役割』をはたしてきた関係者の1人である。

 その意味で蓮池 透は,佐藤勝巳などと並んで罪深い行動をしてきている。1978年7月に北朝鮮に拉致されて以来,24年間も異国で囚われの生活をしてきた実弟の蓮池 薫が昨年〔2002年〕秋に日本に帰国できたことを契機に,蓮池 透は,北朝鮮に対する憎悪心を一気に燃えたぎらすことになったものと思われる。

 だからといって,日本国政府にまともな政治家が1人もおらず,外務省にも無能な外交官しかいないのであればともかく,佐藤勝巳などといっしょになって蓮池 透が「北朝鮮を武力攻撃しろ」,そして「まだ残っているはずの拉致被害者・その家族たちを救出し,全面解決を図れ」というごときの「短絡的な思考」は,自分自身で北朝鮮との交渉を直接できるのでないかぎり,うっかりにでも口にするような発言ではない。

 ましてや,万が一にでも戦争にいたるような事態が発生したときは,その後につづく不幸・悲惨,いいかえれば,自分の弟に起きたものとは比べようもないくらい大規模なそれが惹起することが必定であることを,まずもって確実に理解しておかねばならない。

 もしも,佐藤勝巳や蓮池 透が望むような戦争事態が発生したあとのこの東アジア一帯においては,アナタを悪魔のように憎む無数の人びとを存在させることになるにちがいないからである。ゆめゆめ,戦争を起こして解決(!)などということは,口にすることなかれ! 慎しみなさい!

 すくなくとも,佐藤勝巳蓮池 透のような拉致被害‐問題の関係者が今回の石原発言「爆弾がしかけられて当たりまえの話」を誘発させた,もっとも重要な要因であったことに留意しなければならない。

 当然のことだが,佐藤勝巳,蓮池 透などは,石原慎太郎のその「テロ容認発言」をけっして全面的に否定しないどころか,よくいってくれたと思って大歓迎しているはずである。

 ● ところで,今回の石原発言に対する庶民の反応は,どうであるか。たとえば,東京都庁に寄せられた意見は,こうであった。


石原知事発言,賛否相半ば 都庁への電話

 石原慎太郎東京都知事が2003年9月10日,外務省の田中 均・外務審議官宅に不審物がしかけられた事件について「爆弾がしかけられて当たりまえ(当然)」と発言した問題で,都に12日正午現在まで,538件の意見が寄せられた。

 × 反対意見が 283件 ある一方で,

  賛成意見も 255件 に上っており,

賛否は相半ばしていた。

 都生活文化局は,都庁が開設している「知事への提言」「都民の声総合窓口」に電話,メール,ファクスで寄せられた意見をはじめて集約した。

 「外務省と犯人を同じ次元でとらえる知事の見識は問題だ」「知事は辞職すべきだ」などの批判意見や,「みんなが心の中で思っていることをよく言ってくれた」「力強い発言で勇気づけられた」などの賛成意見があった。 

  http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030912k0000e040070000c.html

 石原の発言「爆弾がしかけられて当たりまえの話」は,単なる冗談ではなく「当たりまえ:当然」の話として,自民党の総裁選に立候補した亀井静香候補の応援演説のさい語られたものである。

 昨日(9月12日夜)のテレビ・ニュースのインタービューに応えて,今回の石原発言にコメントをくわえていた一橋大学名誉教授田中〔某〕氏は,日本における民主主義がまだ未熟であるがゆえ,上枠のような石原の「テロ容認暴言」を支持する人々が多くいる,と解説していた。

 北朝鮮拉致問題に関する日本のマスコミ報道は,2002年9月の日朝平壤宣言以後,とくに日本人拉致被害者5名の帰国が実現したのをうけて,その後「北朝鮮叩き・フィーバー」と形容するにふさわしい様相を呈してきている。

 北朝鮮問題の専門家が拉致問題をふくめて専門的にコメントを与えるのはまだしも,とりわけテレビの特別番組やワイド・ショーでは,いままで空白だったというか真空だったような「北朝鮮という社会主義的体裁をまとった金 正日の個人的な独裁国」に関する関心を,面白おかしくかつ煽動的・興味本位的に,しかも北朝鮮バッシング一辺倒の報道をおこなってきている。以後,1年近くが経過したいまでも,そうした日本のマスコミの報道姿勢はあいもかわらずであって,ますます高潮してきてもいる。


 ★ 新聞は,おおむね比較的冷静な報道に徹していた……。情緒的,煽動的な内容で世論をあおったのは,テレビのワイドショーであり,一部の週刊誌だった薬師寺克行『外務省−外交力強化への道−』(岩波書店,2003年8月,31頁

 薬師寺克行は,外交官を志す人なら必らずいちどは目をとおす著作,ハロルド・ニコルソン『外交』を紹介しつつ,最近における「日本外交の現実」を分析する。

 a) ニコルソンは,外交には「立法的側面」「執行的側面」のふたつがあり,両者は明確に区別すべきだと説く。前者は,外交政策の形成を指し,国民の代表である国会の承認をえて内閣が決定する。後者は,具体的な政策の執行であり,現実に日々おこなわれる外交交渉や政策の企画‐立案を意味する。

 「立法的側面」での重要な意思決定の担い手は首相であり外相であり,国会である。これに対し,「執行的側面」は「経験と思慮分別を有する玄人にゆだねられるべきものである」としている。ここで「玄人」とは,職業外交官を指している。

 従来,日本外交の現実は「立法的側面」と「執行的側面」の両方を,実質的に外務官僚がになっている。

 ところが,昨今の教科書問題や日朝交渉では,威勢のいい毅然とした対応を求められてきたためか,政治家「執行的側面」より日本外交への関与を強め,日本政府の足にタガをはめてしまっている。「政」の本来の役割は,国際環境の変化を踏まえ,どういう政策が日本の国益にとって最善かというおおきな判断をすることである。しかしながら,現実はしばしば逆になっている。

 さらに問題なのは,「政」「執行的側面」への関与のしかたが硬直的な方向に向っている点である。

 b) ニコルソンは,外交のありかたをふたつに分けていた。

 「武人的」理論は,勝利することが交渉の究極の目的であり,その手法軍事的であり,ときには威嚇や暴力なども利用する。和解とか信頼,公正な取引というものは重視せず,譲歩は弱さや退却であるとみなす。

 「文民的」理論は,「敵対者のあいだでたがいに妥協するほうが敵を完全に壊滅するよりも利益がある」と考える。相反する利益を調和させるために腹蔵のない討議をして,たがいの持ち札を机のうえにさらけだすことが必要だとしている。

 現実の外交には両者がまざっていることが多い。北朝鮮の核・ミサイル問題への対応で「対話と圧力」をかかげているのは,その典型である。ミサイルや核兵器をちらつかせる北朝鮮に対して「文民的」理論だけでは問題の解決はむずかしい。かといって,経済制裁など強硬策だけでは,最後は軍事衝突になりかねない

 近年の日本外交に対する「政」の関与を冷静にみると,「武人的」理論がよく当てはまる。毅然として外交に喝采を送る世論もすくなくない。そして,この「武人的」理論が明らかにナショナリズムとつながっている。なぜ,ナショナリズムと「武人的」理論とつながるのか。

 c) 最近の日本では,グローバリズムのおおきな嵐のなかで,終身雇用制や年功序列など日本的な企業文化が否定され,より競争原理をとりいれたしくみに移行するため構造改革が必要であると叫ばれている。高度成長をささえた日本が誇るしくみが,バブル経済の崩壊とともにあえなく否定されただけではない。景気低迷は長期化し,国際競争力のない産業は壊滅の危機に瀕している。

 日本社会では,閉塞感や自信喪失感が深まり,その反動が外に対する強い姿勢として現われる。それが,農業保護であり,靖国参拝支持,歴史教科書問題である。最終的にうしなうものが多くなっても,一時的に爽快感をもたらす「毅然とした」外交がもてはやされるのである。

 そうした傾向はきわめて危険である。国民感情がある種のルサンチマン的なものに支配されている。それは雰囲気・気分・感情といった次元のものであり,外交政策とは次元の異なる話である。それが外交にむすびつけば,反中・反米というような視野のせまい不健全なナショナリズムが全面に出る排外主義的な色彩を強める(薬師寺『外務省』183頁,184-185頁,186頁参照)

 −−以上,「ニコルソンの説明した外交概念」を適用して考えた薬師寺の説明は,北朝鮮による日本人拉致被害者問題もかかえる日朝間の政治交渉を解説したものである。

 北朝鮮との政治交渉に関しては本来,外交問題の「立法的側面」からかかわるべき与党関係者〔安倍晋三内閣官房長官〕や国会議員〔その代表格が平沢勝栄〕などが,政治家としての基本的な任務を忘れ,その「執行的側面」のほうへ過剰に容喙するかたちで直接,日朝間の外交展開に圧力をくわえている。そのため,せっかく糸口がつかめかけた日朝の外交であったのだが,その後は膠着した状態を余儀なくされている。

 拉致被害者を熱心に支援している「彼ら」は必死になって,「拉致問題の最優先的・絶対的な解決なし」には「国交正常化を絶対許さない」という〈硬直した方向〉でしか,今後における北朝鮮との政治交渉をとらせないよう働きかけてきた。

 日本はいつものアメリカ追随外交ゆえ,この国への屈従を強いられてきており,当然その分,欲求不満も溜めこんできている。そこへ,国交回復を機に日本からの経済援助をえようとする独裁国北朝鮮が,日本人拉致に対する一連の犯行を認めたのである。

 北朝鮮独裁者のその告白,つづく日本人拉致被害者5名の帰国という大事件を契機に日本は,「彼ら:安倍や平沢〔そして拉致被害者の実兄,蓮池 透など〕」の強引な主張を入れ,北朝鮮への強硬策をそれッとばかり打ちだした。その姿は,日本外交積年のうっせきを晴らそうとするだけでなく,旧日本帝国による植民地支配の責任さえ忘れようとするための対応であるかのようにも映っている。

 薬師寺のいうところ,「ミサイルや核兵器をちらつかせる北朝鮮に対して〈文民的〉理論だけでは問題の解決はむずかしい。かといって,経済制裁など強硬策だけでは,最後は軍事衝突になりかねない」という外交折衝面での困難な舵取りをすべき政治家が,日本には不在である。

 また,北朝鮮外交を担当する専門家の外務省高官に向かって,そのやりかたに異論:文句があるからといって,石原慎太郎都知事の放った「自宅に爆弾がしかけられて当たりまえ(当然)」という驚くべきテロ容認発言があった。

 しかし,さらに驚くのは前述のとおり,日本社会にはその発言〔暴言〕が庶民レベルでうけいれられる雰囲気もあることである。日本政治における哲学の不在,倫理の低下,政策遂行力のマヒは,相当程度のものだと指摘せざるをえない。日本外務省当局は現在,北朝鮮方面の外交活動が実質的に停頓させられており,ブザマな格好をみせている。

 とりわけ不可解なのは,川口順子現外相の存在感がまったくなく,その影も薄いことである。小泉首相は,みずから出かけていってまとめた〈日朝平壤宣言〉が弊履と化すかもしれない情勢もあるのに,その後の外交努力を継続的につなげる気がみられない。

 小泉は,金 正日とのあいだで交わした同宣言を日本にもちかえったけれども,事後にアメリカから入った横槍が気になってしかたないようすである。


  ジョージ・ブッシュJr.  は,ジュン(純)に,こういったとかいわなかったとか……。

 「オレに断わりもなしに,日本だけで勝手に北朝鮮と交渉するんじゃない。アメリカのいうことをよく聞いてやるんだ。U.  S.  A.  の世界的外交戦略を妨害するな! いいな,わかったか!」

 薬師寺流にいえば結局,「日朝交渉の挫折・イラク戦争の支持」は「主体性なき日本外交」の現実そのものである。

 


 鄭 暎惠『〈民が代〉斉唱−アイデンティティ・国民国家・ジェンダー−』(岩波書店,2003年)の議論も聞こう。

 ★ 本当に「北朝鮮が危険でなにをしでかすかわからない」と考えるなら,なぜ,2002年9月17日以降のマスコミ報道を規制しようという声が上がらないのだろう。北朝鮮バッシングの報道は,北朝鮮への挑発以外のなにものでもないからだ。

 ★ 日本社会には自分たちのしてきたことを忘れて,「一方的に脅かされている」と都合よく責任転嫁する人が多すぎる。まるで「鬼さん,こちら。手の鳴るほうへ」と遊んでいるかのごとく,北朝鮮バッシングの番組を「喜んで」みている人びとがいる。

 ★ たしかに「絶望的な」日本社会も,北朝鮮の現状に比べれば「地上の楽園」かもしれない。対岸の火事のごとく北朝鮮の体制を非難することほど,日本の現状を肯定するのに効果的な方法はない。しかし,北朝鮮と比較して日本を「再評価する」ことに,いったいどんな意味があるのか。

 ★ それは,日本を再生させる道をふさぐ結果しか生まないだろう。いま一度思いおこしてほしい。民族差別とは戦争への道に国民を駆りたてるために生みだされた手段であったことを。

 ★ 80年まえの関東大震災時に,「朝鮮人が井戸に毒を投げこんだ」というデマを流したのも,戒厳令を敷く理由をつくることで,日本国民の管理‐支配を強化することに真の目的があったこと(鄭『〈民が代〉斉唱』297-298頁

 ★ マスコミ報道のそうした姿勢・状況は,筆者がこのページを書いている時点〔2003年9月中旬〕でも,まったく変化がない。

 筆者がマスコミ報道番組をすべて視聴できるわけはないけれども,市井の日本人,それも当該論点についてはまったくズブの素人(ゲスト)たちが,その類の番組に出てきては,北朝鮮がいかに極悪な国であるかについて「したり顔」のコメントを乱発しつづける「昨今日本のマスコミ業界の風景」は,尋常ではない。最近における北朝鮮問題は,1億2千万人以上ものこの国の人びとにヒステリー的な過剰反応を惹起させている。

 都庁に寄せられた石原「暴言」を支持する半数にも近い声は,そうして日本のマスコミ界が1年間喧伝しまくり,日本国民に擦りこんできた〈北朝鮮〉に関する既定観念の必然的な反映であり,成果であるかもしれないのである。

 「石原『暴言:テロ容認』を支持する声」が高まって喜ぶ人びとが,この日本社会のなかには,まちがいなく存在する。誰か?

 ● 20世紀最後の10年間,一挙に進行したバブル経済破綻以後における日本の経済社会は,経済の低迷,社会不安の増大,政治的迷走などを食い止めるための決定策を,いまだ用意も措置もできていない。なにやら最近における日本の全般的状況は,日常生活そのものにおいて,不満・不安・焦燥・失望の雰囲気を色濃く漂わせはじめている。

 とくにこのごろは,日本という国家もこれを構成する人間たちもその活力を低下させ,覇気もうしなっているかのように映る。なかには,日本人のアイデンティティ問題すら根底より揺がされているかのような日本の世相もみられる。

 だからか,この国でいっしょに生活している「外国人全体を客観的に観察しないものである」にもかかわらず,また,増加してきている「外国人犯罪の〔必ずしも統計的に正確ではない要因をふくむ〕数値面だけを針小棒大的に強調した煽動的なものである」にもかかわらず,外国人排斥・差別を当然視し,標的にするような石原のさきの「第三国人」発言が,大衆うけする彼に特有のポピュリズム性において強く支持され,庶民の気持のなかで広範囲に滲透してもいるのである。

 けれども,そうだからといって,自分たちの考えかた‐思い入れとすぐに合致しない「北朝鮮との国際政治外交」をする日本国外務省審議官の存在がけしからぬと非難するあまり,こいつの家には「爆弾がしかけられて当たりまえ(当然)」と「テロ暴言」を吐く石原を,人々は許しておいていいのか。

 ● 石原ファンを自認するある日本人男性(70歳)は,さすが今回の石原発言には困惑した,と述べている。

 「元来,石原氏は歯に衣を着せない口調で自己主張,その単純明快・一刀両断の論理が多くの人々の支持をうけていた。小生も石原ファンの1人。しかし,今回の発言は,また〈やんちゃな慎太郎〉が勝手なことをいっている,では済まされない。

 自分の意見や考えとちがう者は抹殺されて当然との論理は,危険きわまりない。警察のキャリアを副知事に任命してまで,日ごろ治安に意を用いている都知事は,どこにいったのか。もし,石原都知事の日ごろの主張に反対する者が石原邸に爆弾をしかけたら,容認するのだろうか」(『朝日新聞』2003年9月13日朝刊「声」欄)

 前段中に言及のある「やんちゃな知事の発言とうけとめざるをえない」とのコメントをしたのは,自民党政調会長樺山 司である。樺山は,石原は「深い意味ではなくて,北朝鮮問題に対する外務省の煮えきらない態度を揶揄し,警鐘を鳴らす意味で話したのではないか」と,非常に好意的にうけとめており,慎太郎をかばうかのようないいかたである(『朝日新聞』2003年9月11日朝刊参照)

 「深い意味ではなくて」⇔「警鐘を鳴らした」という論理のつながりが不可解である。「警鐘」ということばを,そのていどに浅い意味でつかってもらってはいけない。要は,石原のテロ容認発言を腹のなかでは支持するのが,その樺山のコメントなのである。

 70歳を越えた老人《石原慎太郎》をつかまえて〈やんちゃ〉〔坊主〕もなにもないものだと思う。およそ〈老成〉という語彙とは縁遠い老人がこの慎太郎君である。それにしても,本物の「子ども」に対して向けてこそつかうことのふさわしい表現〈やんちゃな〉が,この石原老人に対して本気でつかわれている。どうやら,この慎太郎さんの身中のどこか深くにはやはり,「子ども時代の精神構造」がそのまま残存しているにちがいない。

 筆者もさきに指摘したように,「警察のキャリアを副知事に任命してまで,日ごろ治安に意を用いている都知事は,どこにいったのか」と,前段の70歳の日本人男性も批判していた。

 警察庁の関係者は,石原が「またすごいことをいったなあ。北朝鮮との外交交渉についてはいろいろと意見があるのだろうが,今回は被害者ですから」といって(『朝日新聞』同上)被害者がわにまわったらなにをいってもかまわないという調子であって,なにか石原「テロ容認発言」にほくそ笑んでいる印象がある。

 ● 『朝日新聞』2003年9月13日朝刊は既述のように,石原の言説を批判する姿勢をたもってはいるものの,北朝鮮拉致被害者とその関係者に対しては,神経質に対応している報道姿勢がうかがえる。そのことは,「北朝鮮に攻撃をしろ,戦争をやって拉致被害者を奪還せよ」という佐藤勝巳現代コリア研究所のいいぶんを,真正面より紹介していることからも明白である。

 むろん,報道機関の使命として「公正中立」「客観報道」を標榜する大新聞の基本方針もたいせつだろうが,大衆・庶民を眼前に踏まえるとき,天下の大新聞社もへっぴり腰,迎合的であることを避けえないのである。

 くわえて,北朝鮮拉致被害者の家族たちは,報道関係の記事に気に食わないことがあると,次回からその新聞社とか放送局の記者たちを会見から締めだしている。こういう手を彼らは政治的に駆使している。忌憚なくいえば,いまの彼らは多少,スター気どりにもなっている面もある。

 もっとも『朝日新聞』同日の「社説」は,石原慎太郎をまともに批判している。題目は「テロ容認そのものだ」。最近の日本を形容して石原がいわく,「ほんと変な,ふやけた国になっちゃったねえ」と。そして,かつて社会党委員長を刺殺した少年〔←もちろんテロリスト〕の氏名を親しげに石原が口にしていた,と指摘する(同上「社説」参照)

 石原は,戦前日本の政治体制をよしとする口吻である。民主主義のなかった当時:昔を郷愁する人間がテロ容認発言をする。これを庶民・大衆の相当数が支持する。日本はこのような政治意識:常識判断:価値観の国でよいのか?

 上掲『朝日新聞』社説はいう。「事件はテロ行為そのものだ。気に入らない奴は暴力で封じこめられてもしかたがない。それが怖いなら政策をかえろ。こんな発想をためらいもなく公言する人物を,今日の日本の政治家とは認められない」

 いうまでもなく「テロ行為そのもの」「公言する人物」とは,石原慎太郎のことである。

 その社説はさらに,こう主張する。石原は,北朝鮮による拉致事件を日本政府がほったらかしにしたと,繰りかえして憤った。多くの日本国民は,いまもなおまともに対応しようとしない北朝鮮への怒りと,日本政府への不信を共有している。

 しかし,だからといってテロやいやがらせが起きるのだといってみても,また「弱腰外交」をいくら批判しても,北朝鮮問題解決の助けにはならない。対話と圧力,あらゆる知恵を注いだ外交で道を開くしかないのだ。いや,そもそも「良識ある国民」が今回の事件をむべなるかなと思うだろうか。

 以上の『朝日新聞』社説は,まともな意見を吐露している。

 ● 東京都知事の任期2回めに入っている石原は,圧倒的優位で再選されていた。まさか,自分を選んでくれた都民たちのすべてが「テロを容認する」人びとだと誤認しているのか。あるいは,この自分の考えにみなが同調すべきだと,いつものように傲慢にも考えているのか。だが,今回の石原発言に対して,都庁へ反応を寄せた人びとの答えは,すくなくとも半数以上は石原に批判的であった。

 しかし,都庁へ対して,石原支持の意志をしめした「日本‐東京に住む人びと」も半数近くいた。「テロ容認」に共感する気持をもった人びとがそれほどもの比率でいるということは,この国の民主主義の状態がいまだ成熟の段階にほど遠いことを意味している

 『朝日新聞』2003年9月13日朝刊天声人語」欄は,石原知事の論法を頼りに,今回事件「外務省審議官邸に不審物:手製の時限発火装置(爆弾)をしかけた犯人」は,「国民の怒りや不満を代弁しただけだ」と居直りかねないことがわからないのだろうか,と石原を批判している。当然である。

 筆者にいわせれば,石原「テロ容認発言」の気持を理解できると都庁に意見を寄せた庶民・大衆は,今回事件の犯人たちを支持する態度を表明したことにもなる。

 自分の気に入らない意見・思想・信条・政策などを,暴力・武力などで脅迫・圧迫し,沈黙・撤回・変更させようとする行為は,民主主義と自由を尊ぶ近代国家体制の根本的精神とはまったく無関係であって,テロリストの悪魔的な精神を体現させた〈邪悪の論理:乱暴狼藉〉でしかない。

 それでも,前段の庶民・大衆=日本国民・東京都民は,石原「テロ容認発言」を支持するというのか? いまや,日本の民主制国家は危殆に瀕している

 もういちど繰りかえす。日本における民主主義の状態は危機を迎えており,瀕死の瀬戸際に立っている。「テロを容認する態度をしめす都民〔市民・国民〕が半数近くもいる」この国は,いったいどの方向に向かおうとしているのか?

 ● 有事法制(関連3法),テロ対策特措法,住基ネット法,個人情報保護法(別名,個人情報「国家管理」法),国旗・国歌法,通信傍受法〔盗聴法〕など,最近の日本で新しく公布された法律は,ときの為政者がこの国の民主主義のありかたを絞め殺すのに好都合なものばかりである。

 民主主義というものは,自分たちの努力をもって絶えず緊張感をたもちながら堅持するようにしていかないと,なにかをきっかけにたやすく崩壊しかねないものである。

 今回における石原「テロ容認発言」は,慎太郎の朋友であり同志である亀井静香(元警察官僚)が自民党の総裁選に出馬するに当たって,石原が応援演説をするなかで発せられたものである。

 いまのところ〔2003年9月13日の話〕,亀井が当選するみこみは薄いようだが,まかりまちがえて亀井が自民党総裁,したがって日本の総理大臣になったりしたら,この日本国は政治体制の全部ではないにせよ,60年以上も昔の政治体制に逆もどりする可能性もある。

 亀井政権が生まれたりしたら,石原慎太郎がさらに悪さをする舞台を,もうひとつ次元を高めて提供する恐れが出てくる。筆者が再三再四,警告してきた「石原慎太郎」の危険性は,自分を支持してくれた大衆・民衆に対してこそ,結果的にこの人物は牙を剥きだしにして襲いかかるということだった。

 まだわかってもらえないのだろうか。「石原慎太郎という駄々っ子」を一番支持してはならない人びとがこの都知事を支持するという本末転倒が実際に現象してきていることを!



「言葉足りなかったかも」爆弾当たりまえ発言で都知事釈明

 1) 外務省の田中 均外務審議官の自宅で不審物がみつかった事件について,街頭演説で「爆弾をしかけられて当たりまえ」などと発言した石原慎太郎・東京都知事は2003年9月11日正午すぎ,自宅まえで「あとで,池袋で演説をしますから。くわしくいいます」と述べた。記者団から真意を問われ答えた。

 石原知事は9月10日,名古屋市で,自民党総裁選候補の亀井静香・前政調会長の応援演説に立ったさい,田中氏への批判を展開するなかで,こうした発言をした。11日夕,東京・池袋で再び亀井氏の応援演説に立つ予定である。

  http://www.asahi.com/national/update/0911/014.html

 

 2) 外務省の田中 均外務審議官宅で不審物が見つかった事件で「爆弾を仕掛けられて当たりまえ」などと発言した東京都の石原慎太郎知事は9月12日,都庁の定例記者会見で釈明した。

 石原知事は「街頭演説はかぎられた時間だし,ことばが足りなかったかもしれない」「常識で考えても爆弾をしかけるということがいいわけがない」と述べた。ただし,「あってはならないことだろうが,いままでの外務省の言動を考えれば,ありえてむべなるかなという経緯があった」などと従来の説明を繰りかえした。

 「発言の撤回,訂正はないのか」という質問には,「撤回でも訂正でもない。私の本意をくわしく申し上げたということ。ただ,こういうことになって遺憾ではある」と話した。

  http://www.asahi.com/national/update/0912/034.html

 

 3) 石原知事は2003年9月11日夜,東京・紀尾井町で首都圏3県の知事と会合したあと,報道陣の取材に対し「私はべつにテロを奨励したわけではない」などと述べた。外務省について「僕にいわせれば売国的な外交をやっている」「国益を考えながら反省すべきだと思う」などとさらに批判した。発言の撤回,修正の意思をたずねられると「撤回って,私は今日ちゃんと説明したじゃないですか」と話した。

  http://www.asahi.com/national/update/0911/036.html

 

 石原流のこういったお山の大将的な〈いじっぱり・みえっぱりの事後談:弁明〉は,「第三国人」発言のときと完全に同じである。当時は「外国人への差別発言」であり,こんどは「政府官僚へのテロ容認発言」だが,いずれも,問題発言を振りまいたのちも「オレはそれを撤回しない」と開きなおっている。

 先般は,差別のことば「第三国人」を意図的に拡散させ,こんどは,テロ容認発言を故意にいい放った。いずれの発言についても「ことばが足りなかったかも」と,後追い的に弁解する慎太郎であった。とことん,素直でも率直でもなく,人に頭を下げるなんで滅相でもないという驕慢・横柄な態度そのものである。

 石原の弁解はいつも,二枚舌ならぬ〈1枚半!〉程度にしかならないような,また「いいわけ」にもならないような「強弁」がめだつ。無思慮にかつ半ば意図しつつも,むちゃくちゃに狂暴な意見を吐き,世間を騒がせ,他者を差別し,異なる考え・やりかたをもつ奴は殺されてもいいのだと平然といってのけるのが,この男,である。

 むしろ,この男に一番足りないのは,ごくふつうの健全な常識であり,公人としての当たりまえの慎重さである。

 慎太郎は,自分は《テロを容認する「発言」》をしているわけではなく,「オレが国益に反する売国的な外交官だ」とみなした人間に対しては「テロが容認されるべきだ」とする発言を撤回しないだけだと,依怙地になっていいはっているのである。同一人物の発言だとすれば,まさしく,詭弁そのものである。

 以前にも筆者が指摘したことだが,自分の名前〔『慎』の字義〕に背き,恥じるほかない発言〔暴言・妄言〕を頻発させる「こうした欠陥人間が」,世界有数の大都市「東京」都の知事に2度も選ばれ,いまなお日本の首都に君臨している。

 奇怪なる風景である。東京都民の選挙感覚が疑われないか?

 



犯罪容認と取られる」石原都知事発言に閣僚ら批判

 外務省の田中 均外務審議官の自宅で不審物がみつかった事件で,石原慎太郎・東京都知事が「彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないか」などと発言したことについて,9月12日午前の閣僚懇談会で,外相臨時代理の森山法相が,外務省として抗議したことを報告した。閣議後の各閣僚の記者会見では,発言に対する批判があいついだ。

 小泉首相は同日昼,首相官邸で記者団に「(発言は) 不適切ですね。あとは知事がどう判断されるかですね」と語った。

 −−日本国政府の最高責任者,いつもこういうトボケタ返事が大好きである。まるで他人事。首相であるあなたが直接,石原になにかいわなければ意味がないじゃないの。この2人,けっこう同類なのである。仲良し。

 閣議後の記者会見で,福田官房長官は,「(「心にブレーキをかけるべきだ」という)私の呼びかけは聞いてくださらなかった。卑劣な犯罪を容認するというか,正当化するという趣旨ともとられかねない。影響力のある立場の人がこういう発言をすることは極めて遺憾だ」と語った。

 −−他人の忠言など聞くような人間ではないのが,わがままボクチャンの石原慎太郎。

 谷垣国家公安委員長は「テロや暴力による言論などへの脅威に対し,われわれは戦わなければならない。言論人としての表現の自由という面もあるだろうが,行政のトップに立っている方から容認するかのごとき発言が出てくるのは極めて不適切。抑制された表現の中で伝えることをきちっと伝えることは,政治にも言論にも必要だ」と述べた。

 −−石原慎太郎は言論人として都知事をやっているのではない。現職の知事である面を100%で注視しなければならない。都知事の仕事は小説を書くそれと同じでない。まったく別物。石原慎太郎が一流小説家を自称してきたことはなんども触れた。それなのに,口頭でのご意見ご開陳となるや,お聞きのごとく問題発言ばかり口にする常習犯。

 このほか「外交と暴力は別。卑劣な行為を容認するような発言は,都知事の発言としてふさわしくない」(扇国交相),「発言にいたった思いは理解しないでもないが,公人として公の場で発言する時には適当でない」(片山総務相) などの声があいついだ。

 −−総務省の長たる片山虎之助さん,外務省の北朝鮮外交に文句がありそうですね。より慎重に敷衍して考えてみよう。総務大臣が「テロ容認発言」にいたった石原慎太郎の思いが理解できるとコメントしたのであれば,その本心は慎太郎の暴言を支持していると疑われて当然である。

 一方,都知事の長男の石原伸晃行革担当相は「(小泉)総理がおっしゃったとおり,(不審物を)しかけたのが悪いんじゃないでしょうか。都知事の発言については都知事にぜひ聞いていただきたい。(感想は)ありません」と述べるにとどめた。

 −−伸晃さん,親父の慎太郎にきちんと諫言できるかな? まあ,無理でしょうな。

 石原慎太郎・東京都知事の発言について,メキシコ訪問中の川口順子外相は9月11日,記者団に対し「暴力や脅迫は民主主義に反する。田中審議官のこれまでの(対北朝鮮外交の)仕事は,政府全体でやっていることで,個人の判断でしているわけではない。石原知事の発言は遺憾で,抗議する」と述べた。

 −−川口さん,外務省の沽券にかかわる件であるからには,相当「筋のとおった対応」をしなくちゃね。石原君に舐められるような日本の外務省なら,不要。石原慎太郎君は東京都の知事であって,日本国の首相でも外務省の大臣でもない。なんでこんな男に政府関係当局が小突かれ,振りまわされているのか。外務省にはいろいろあったかもしれないが,ともかく,不思議の国・ジャポン!

  http://www.asahi.com/politics/update/0912/f004.html

 

 外務省幹部の多くは,石原発言に反撥し,深刻にうけとめている。「政治家のプロパカンダと苦笑で済まされる問題ではない」と怒りをあらわにする幹部もいる(『朝日新聞』2003年9月11日朝刊。以下しばらく同じ)

 東京都議会関係では,会派幹部は,突然の都知事の発言に困惑の表情をみせている。

 公明党の神崎代表は,「北朝鮮にきびしい国民感情のうえに立っていったのだろうが,こうした発言がつづけば,世の中全体が変な方向にいってしまう危険性がある」と指摘する。

 民主党の枝野幸男政調会長は,「まさにポピュリズム(大衆迎合主義)の極みだ。国民的には石原の考えかたがうけるかもしれないが,だからといってテロ的なことをやっていいのか,ということはまったく次元のちがう話」であり,「政治家として無責任だ。評論家にもどったらいい」と批判した。

 元副総理を務めたことのある後藤田正晴は,「発言に対する感想なんていうまでもない。公職にいてもなくても,こんな乱暴な発言は容認できるもんではない。外交というものはいろんなチャンネルでやるものだ。さまざまな考えはあっていいが,すくなくとも石原知事の発言内容は外交に関する議論とは無関係だ。問題にならん」。

 後藤田は警察官僚出身の政治家だが,警察庁のある幹部は「どういう文脈でいったのかわからないが,主義主張をいうのは政治家の特権ですからね」と語った。

 −−最後の警察庁幹部は,「主義主張をいう」ことのうちに「テロ容認発言」もふくまれるのだと解釈できる感想を語った。だが,はたして政党人の標語にテロ容認をかかげる議員がいるだろうか。冗談もたいがいにすべきである。

 だが,戦前における法体制「治安維持法」下であれば,国家が気に入らない「主義主張」,換言するなら,皇国主義ファシズム:天皇制=「神の国観」に恭順の意志をしめさないいっさいの思想・良心,主義・信条を徹底的に弾圧,扼殺してきた内務省(下にあった警察組織)の権勢は,想像もできないほど強大であった。

 歴史的なそういう事実も思いだしたうえで,今日でも国家内基幹権力として警察庁が占有している物理的暴力性を考慮すれば,前段の警察庁幹部のコメントはあたかも,自省・自庁には特定の主義主張がないかのようにいう「おトボケの答え」である。警察庁にはなにも主義主張がないと説明する警察庁幹部は,相当の演技派でなければ,正真正銘の無知蒙昧の輩である。  

 後藤田正晴も断言したように,「問題にならん」石原慎太郎の「テロ容認発言」:「外交官の住まいに爆弾がしかけられて当たりまえ」が,日本社会のなかにおいて,波紋をおおきく広げてきた。この程度の似非政治家〔3流文士〕:石原慎太郎に,いともたやすく揺すぶられつづける日本社会の思想的・精神的な脆弱性が問題なのであって,日本国における民主主義の未成熟がたいそう気になる


 右翼団体のすべてがテロにかかわったわけではないが,この右翼と軍人がむすび,5・15と2・26の事件を起こしている。

 とりわけ軍人が部隊を動員して引きおこした2・26事件は,支配層・政治家に深刻な恐怖を染みこませ,これが政治家を萎縮させ,世は官僚・軍人の天下となり,そのきわまるところ「軍人官僚」東條英機の出現となる。

 敗戦により世情,政治状況は一変したが政治家の資質,力量とそれをささえる民力,民意の重要さは指摘するまでもない(畠山 武『昭和史の怪物たち』文藝春秋,2003年8月,182頁)

 



「テロ容認発言」への批判

 ● 石原慎太郎は,2003年9月20日の自民党総裁選挙で小泉純一郎が再選される過程までにおいて,最大派閥の橋本派が内部分裂をおこした現象をとらえ「ざまあみろ」といったり,総合ディスカウント店〔ドンキホーテ〕の薬無償配布問題に関連して,こんどは「規制緩和」の旗を振る石原都知事の立場から「役人はバカだ」と発言したりした。

 あいかわらずこのように傍若無人,身勝手で独りよがりの傲慢な発言を「お山の大将」的にしつづける慎太郎の姿を「ヤンチャ」などとうけとめることにしたら,この老人をいかに甘やかし,さらに増長させることになるか警戒しなければならない。

 老人になってボケ症状が出てしまい,なにをいっているのか自分がもうわからなくなり,1人勝手にそのように,他者を「馬鹿」だの「なん」だの罵倒するのならともかく,年がら年中,品格を疑わせる言動を公衆の面前で絶やさない,まだまだカクシャクとした70数歳の暴君:石原慎太郎が日本の首都「大東京の知事」を務めているのは,異常な事態である。石原君には,もはや勇退を勧告するほかない。

 石原慎太郎の「テロ行為は悪いにしても,そういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないか」といった発言に対しては,それでは,「2年まえの9・11事件」は「悪いにしても」,アメリカがわにテロをうけるべき「当然のいきさつ」があったというのか,というような批判が提示されている(『朝日新聞』2003年9月18日朝刊「声」欄)

 当事者同士に特定のいきさつがあれば,「テロ行為がおきて当然:当たりまえだ」とするなら,世界中に起きているテロ事件はすべて,りっぱな理由があることになる。

 石原にいわせれば,「イヤ,おれのいっているのは,そういう一般的なことではなく,北朝鮮問題を担当している,あの外務省審議官田中 均に関してだけだ」といいわけするかもしれないが,いずれにせよ,「テロをうけても当然:当たりまえだ」という理屈が「テロ容認」の立場を明言したものであることにかわりない。

 朝日新聞コラムニスト早野 透は,「石原氏が田中氏を狙い撃ちするのは政治批判ではなく,〈国賊〉〈天誅〉と平気でいいつのる言論テロリストと同列である。失業倒産不景気,政治家の退廃,テロを認める大衆の気分,煽る言論……。どことなく『戦前の狂気』に似てきたな。しっかりしてください。小泉さん」と論評している(『朝日新聞』2003年9月17日朝刊「ポリティカ ニッポン,何かいやな感じ」)

 筆者にいわせれば,小泉純一郎という首相そのものが戦前意識を払拭できていない政治家であって,〔半分冗談でいったつもりかと推測もするのだが〕早野のように現首相に期待する気持は全然ない。このさい,政権交替を期待したほうがまだマシかもしれない。

 ● メディア批評誌『創』編集長篠田博之は,「石原知事発言,容認する〈空気〉こそ異様」と警告している(以下『朝日新聞』2003年9月20日朝刊「同上」参照)

 テロをしかけた犯人たちは,石原の発言を聞いて小躍りしたにちがいない。

 石原のテロ容認発言に批判の声は多いけれども,一方でこの発言を許容する空気も確実にある。その空気を反映してか,過去の同様の失言騒動と比べて,マスコミ報道も腰が引けていた。

 北朝鮮や拉致問題を語りだすと,声高でヒステリックな論調のほうが喝采を浴びる。そんな空気がこの1年間,日本社会で支配的になった。テロ容認発言の釈明をした石原の演説に,拍手する聴衆もいたという。

 その一方で,国益に反すると思われる意見には「国賊」とか「非国民」というレッテルが貼られる。最近の田中審議官叩きのみならず,2002年もキム・ヘギョンさんや曽我ひとみさんの家族インタビュー記事に猛烈なバッシングが吹き荒れた。この国は,異論や少数意見を認めない社会になってしまったのだろうか。

 国益を損なうような記事を載せることじたいが誤りだという,2002年の『週刊金曜日』が掲載した曽我さんの家族のインタビュー記事を契機とした同誌へのバッシング,その風圧の大きさがすごかった。

 拉致という北朝鮮の国家犯罪は断固として糾弾しなければならないし,拉致被害者の境遇に涙するのは当然の感情である。しかし,拉致問題をめぐっては異論を許さないという,この1年ほどの排外主義的な世の中の空気は異様としかいいようがない。ナショナリズムとよぶべきかどうかわからないが,そんな空気が確実にできあがってしまった

 これでもかとばかり煽情的な北朝鮮叩きを繰りかえしてきたマスコミ報道にも責任の一端がある国家の利害と一線を画するのがジャーナリズムの最低限のスタンスであるはずなのに,その距離がとれていない。国益を最優先する報道のゆきつく先は,戦時中の翼賛報道である。

 石原知事は,田中 均審議官邸への爆発物によるテロ攻撃が「当たりまえ:当然」といったわけだから,それが作動爆発していたばあいでもやはり「やられて当然だ」といえることになるのか?

 −−筆者もすでに本ページであれこれ関説してきた諸論点でもあるが,以上の石原批判のうちとくに,「田中審議官がテロの標的となって被害者となっても当たりまえ:当然」だといういいぶんは,結局,慎太郎が完全に「テロリストの有資格者〔=政治家〕である事実」を言明したことになる。

 そういうテロリスト的な暴力行為を認容・奨励する暴言を,衆人が注目する場で平然と放っておき,憚ることをしらない東京都知事石原慎太郎。こんなに下司,破廉恥で,品位を欠くファシスト的人間を,大東京の統治者に2期連続で民主主義的に選んだのは,いったいどこの誰か? 日本の首都を構成する住民たちは,民主主義という制度のつかいかたに関する感覚を疑われる。

 2003年9月17日『朝日新聞』朝刊「社説」は,こう忠告する。

 
 この1年,日本は北朝鮮によっておおきくかわった。北朝鮮の過激なものいいに対抗するかのように,不寛容でいらだった社会が醸しだされた。テロ容認としかとれない石原都知事の発言はそのいきついた先だ。

 戦争を避けながら,北朝鮮にその脅威をいかに解かせるか。威嚇や威勢のいいことば,感情的な対応でなく,冷静で戦略的な外交こそが要る時である

 日本は現在,北朝鮮という国に比較すれば〔比較のしようもないほどだが〕はるかに経済大国,政治的にも十分安定しており,社会的に幅や余裕もあり,文化的にもいろいろ恵まれている。あのケッタイなテロ国家「北朝鮮」と同じ次元で感情的にムキになり,角突きあわせるような姿でしか交渉できないような,すこしの余裕ももてないような国だったのか。

 外務省審議官田中 均氏は,外交官としての評価がどうあれともかく,日本政府外務省の担当者として,北朝鮮との「戦略的な外交」の一端をにない,働いてきたのではないか?

 その田中審議官邸にしかけられた「テロ行為」を容認する石原は,かといって,その「戦略的な外交」にとって替えられるだけの,外交上の戦略的構想をもちあわせているのか? 石原の言動は,まったくもって,よけいな口出しである。誰にでも自由に意見をいう資格はあるが,国会議員ではなくなった立場:都知事なのに,あたかも政府閣僚の1人でもあるかのようなものいいをするのが石原である。

 石原は,いったい,どこの,何様のつもりか?

 東京都知事の地位に就き,こちらの仕事だけでもたいへん重大な任務を引きうけている人間が,朋友の選挙応援演説のついでに無責任にも「憎い北朝鮮をやっつけろ!」,その北朝鮮と交渉しているあの田中審議官のやりかたが気に食わない,だからこの外交官は「テロをうけて当然」と,オダを上げて勇ましく叫ぶ「ポピュリズムが目前に展開された」。それでも,なんといっても「石原発言を支持する都民〔住民・日本国民〕がいる」のである。

 すでに,在日朝鮮人系金融機関や在日本朝鮮人総連合会関係の建物には爆発物などがしかけられる未遂事件が多発している。また,朝鮮学校にかよう学生たち〔それも初級部・中級部の子どもたち〕に対する暴力的行為をふくむ嫌がらせも頻発している。朝鮮学校にかよう子どもたちは最近,恐怖におののきながら通学している状況にある。

 半世紀以上もまえの国の風景が,いま,再現されているとみるべきか?

 いま,旧日帝であった日本国の戦争責任として,可及的速やかに実現しなければならない重要な課題がある。それは,北朝鮮との国交正常化である。最近の日本にとっては憎くてしようのない国が北朝鮮であって,拉致問題の全面的解決がなされなければ,国交の正常化など絶対してはいけないというのは,既述の関連論点に関するくわしい考察からみても,自国の戦責問題を忘れた〈一方的な極論〉である

 もっと歴史の現実に学ぶべきである。つまり,「そのようなことをとことんいいたてていたら」,日韓(韓国からみて)の国交回復もありえなかったし,さらに日中国交(中国からみて)の正常化も実現できなかったからである。日本政府外務省審議官田中 均による北朝鮮との外交交渉は,なにを狙っていたのか,もう一度よく考えてみたいものである。

 


    =2003年9月13,14日,21日  記 述= 




犯罪容認と取られる」石原都知事,都議会答弁


田中審議官,万死に値する」といった石原都知事

 

 「田中 均なる者の売国行為は万死に値するからああいう表現をした」。「片言隻句にバカなメディアがダボハゼのごとく食いついた」――。

 東京都の石原慎太郎知事は2003年9月25日の都議会で,外務省の田中 均・外務審議官宅の不審物事件にからみ,「爆弾をしかけられて当然だ」などと発言したことについて質問され,こう述べた。

 共産党の吉田信夫議員らが発言をただしたのに対し,知事は「いかなるテロも容認できないことは法治国家にあっては論をまたない」と答えつつ,従来の外務省批判を展開した。田中審議官については「売国だと思う。だから万死に値するということで,ああいう表現をした」。

 さらに,自分の発言について「ゴルフでいえばパーオン。国民はこれをきっかけに外務省が何をやったか認識しなおしてくれた」と自賛した。

 また,知事は北朝鮮による拉致を語るなかで,「年寄りだからって曽我(ひとみ)さんのお母さんなんて殺されたんでしょ,その場で」とも発言した。

 なお,曽我さんの母ミヨシさんは曽我さんとともに拉致されたが,安否は確認されていない。閉会後,この点について記者団が「配慮が足りないのでは」とたずねたのに対し,知事は「そういわれれば,申しわけないと思う」などと答えた。

 この日は,発言が問題になってからはじめての議会だった。与党の自民や公明には知事擁護論が強く,質問した議員に「そんなことを聞くほうがおかしい」などと,はげしいヤジが飛ぶ場面もあった(『朝日新聞』2003年9月26日朝刊)

 −−以上,外務省審議官の田中 均氏は「売国行為」をしたから「殺されてよい」。自分の片言隻句をとりあげたマスコミは「バカ」だといってのける石原慎太郎の言説は,調子に乗りすぎたというよりも,もはや狂人であるかのような口吻である。

 「テロは容認できない」という石原自身が,自分の考えに合わない外交官は「万死に値する」といって「殺されてもしかたない」と,キチガイじみた妄言を吐き,しかも,憚らるところがまったくないのである。

 そもそも「売国」うんぬんの発言じたい,なにを基準にいえばその表現が妥当なのか,あるいはそんなことをいっていいのかという問題すらあるのに,自分の主観的・恣意的な基準を絶対化し,自国の外交官〔高官〕が「売国行為」をする奴なのだから,こいつは死ぬ目に遭ってもかまわないなどと広言するこの男は,もうほとんど狂ったとみるほかない精神状態である。

 この慎太郎,「配慮の足りない発言」を常習とする人間なのである。まだ消息のわからない曽我ひとみさんの母ミヨシさんを「殺されたんでしょ」と決めつけるところなどは,この男「超一流の独断的発想」の最たるものである。その点を指摘されて,「そういわれれば,……」などといって,アワテテ,トボケテ謝るくらいなら,もっと慎重に議会の答弁をすべきである。


 
慎太郎知事が初? 陳謝「配慮に欠けた

 慎太郎太郎知事が陳謝−−。東京都の石原慎太郎知事は2003年9月26日,前日の都議会のなかで拉致問題について「拉致と言うが,誘拐,殺人ですよ。曽我ひとみさんのお母さんも殺されたんでしょ」と発言したことについて,「多くの専門家の意見を聞き,きびしい状況からわたしなりに解釈しての発言だったが,配慮に欠けたものであったと反省している」と述べ,陳謝した(つぎの写真は,http://www.zakzak.co.jp/より)

 この陳謝は,一般質問の答弁に先立ち発言したもので,慎太郎知事は「一日千秋の思いで帰りを待ち望んでいる曽我さんをはじめとする被害者の方々,家族の方々の切実な願いを心ならずも傷つけてしまったことは痛恨の極み。陳謝いたします。ともに被害者の方々の無事の帰還を祈りたいと思います」などと述べた。

 外務省の田中 均外務審議官宅への爆弾テロが「当たりまえだ」と発言した件には,「ゴルフで言えばインテンショナル(意図した)フック」,「投げたルアーにバカなマスコミがダボハゼのように食いついたが,国民は外務省がなにをやっているか認識しなおしたと思う」と,してやったりの表情だった慎太郎知事だが,今度ばかりは勇み足が過ぎたようで−−。

  http://www.zakzak.co.jp/

 イジッパリ,ミエッパリ,イコジの慎太郎君,今回はさすがに形勢不利とみて,素直に謝ったようである。ここで謝っておかないと,それでも大勢いる自分の味方を,すこし敵にまわしかねないからである。味方はなるべく多いほうがいいよね。

 とはいえ,前述にも参照した石原のその謝りかたじたいが,どうも素直に徹したとはいえないものである。どこまでも意地をはったような,自分のいいぶんを正当化する余地を残しておきたいようすが,ありありなのである。

 ふだんは,石原慎太郎に好意的な新聞紙日本経済新聞もさすがに呆れたのか,こう論評していた(『日本経済新聞』2003年9月28日「春秋」欄)

 ことばや思考,文化や表現にも敵と味方をもちこむ発想は,現在も脈々と生きている。石原都知事は,都議会で「売国」や「万死に値する」など大仰な表現で,意に沿わない「敵」へのテロを,再び正当化してみせた。

 爆弾をしかけられて「あったりまえ」発言は,バカなマスコミがダボハゼのように食いつくのをみこした,意図的なものだという。ゴルフでいうインテンショナル(故意の)フックだそうな。〔だが,それは石原自身の〕技量不足によって意図せずに頻発する極端な右曲がりのスライス,と解釈するほうが素直ではないか。

 −−いずれにせよ,石原慎太郎の言動は,「人殺し」を是認する東京都知事の姿を明確に想像させている。人間的にまともな常識の世界をはるかに逸脱してしまい,煉獄のなかに全身を投げこんだかたちで「テロ容認発言」を放ったのである。

 この男は,「勇み足が過ぎ」るだけでなく,「配慮に欠け」て人を「傷つけてしまったこと」などを,年中〔年がら年中の〕行事とする。むしろ,それが特技的悪癖だといってよい。

 だからこの男,そのいいすぎを神妙に謝罪したと思ったら「その舌の根も乾かないうち」にまた,こういってのけた。


150人近い同胞,多分殺された」石原知事,観閲式で

 東京都の石原慎太郎知事は2003年10月5日,埼玉県の陸上自衛隊朝霞訓練場であった観閲式の祝辞で北朝鮮による拉致事件に触れ,「過去25年間,政府がほったらかしにしてきたが,状況証拠からいえば,150人近い同胞が拉致され,多分,まあ,殺害されたんでしょう」と述べた。

 石原知事は9月25日の都議会で曽我ひとみさんの母について「殺されたんでしょ,その場で」などと述べ,翌日の議会で「配慮に欠けた」と謝罪したばかりである。

 石原知事は,危機管理のありかたを語るなかで拉致問題に触れ,「解決のためにいまの政府が必死でスムーズに動いているとは思えない」などと,政府批判を展開した。

 知事は,自民党総裁選の応援演説などでも「150人拉致されて帰ってこない。ほとんど死んでるでしょう」などと述べていた (『朝日新聞』2003年10月6日朝刊)

 この男のいつもの悪い癖は,世の中「すべての現象の本質」については自分がいちばんよくしっているのだと,勝手な思いこみをしてきたことである。

 この男はすでに『「配慮に欠けた」と謝罪したばかり』なのに,10日も経ったらまたもや,まったく同質のそうした「思慮を欠いた発言」を平気でおこなう。

 慎太郎に問う。それでいて,自身は「拉致問題のため必死でスムーズに動いている〔しゃべっている?〕」つもりなのか。思いあがりもはなはだしい。

 「石原発言」を聞いていると,いつものことだが慎太郎という男は,自覚的な言説であればこれは「確信犯的に作為:悪意をみなぎらせた人物」だということになる。また,それが自覚のない言説であれば,ほとんど「人格破綻者」の発露させた狂信的言辞を思わせる。

 −−しかし,なにゆえ「埼玉県の陸上自衛隊朝霞訓練場であった観閲式の祝辞」に石原慎太郎都知事が登場してこなければいけないのか。いくら,東京都が近いからといってもおかしい。

 防衛庁長官以下幹部が大勢いるではないか。埼玉県知事(前民主党国会議員)ではいけないのか? この調子というかやりかたでいったら,北海道や沖縄県の陸上(海上)自衛隊の観閲式にも慎太郎知事がお出ましになるのか?

 なにか,すごく変ではないか?

 

 −−ノンフィクション作家吉田 司は,最近の極端にいたった石原発言を,つぎのように警告している(『朝日新聞』2003年9月24日夕刊「石原発言と30年代状況−漂流する国民精神−」)


 またやった。困った御人
(おひと)だ。外務省の田中 均審議官宅に時限式発火装置がしかけられた事件で,「爆弾がしかけられた当たりまえだ」と北朝鮮“軟弱外交”をなじった石原慎太郎都知事のことである。

 谷垣禎一国家公安委員長(当時)が「テロを容認するかのごとき発言」(2003年9月12日)と批判し,保守系の産経新聞までが「これは明らかにいいすぎであろう。……口がすべった部分を潔く撤回するほうが賢明」と警告のホイッスルを鳴らし,波紋が広がっている。

 ただし「口がすべった」のではない。石原都知事が〈ことばの確信犯〉であることは,誰でもしっている。これまでも「三国人発言」や「ババア発言」,「(北朝鮮と)堂々と戦争したっていい」発言など,危険だが,日本人の「時代閉塞」気分をスカッとさせる〈ことばの爆発物〉を,バカバカ爆発させている。

 ただ,今回の「当たりまえ」発言がより危険視されるのは,それが戦後日本人の深層心理のなかに隠された「1930年代問題」を直撃するからである。

 世界大恐慌が日本にも波及して〈昭和不況〉とよばれたあの時代,時の政権は浜口雄幸ライオン首相,逓信大臣は小泉又次郎(小泉首相の爺さま)だった。

 全国の失業者があふれるなかで,三井財団が円貨でドルを買う投機的行為=「国賊」的行為として国民的憤激をうけ,それが浜口首相狙撃や三井財閥の団 琢磨理事長暗殺,2・26事件や「満洲国」建国へとつながっていった。

 あの日本人の血まみれなアジア侵略への道は,デフレ不況下における国民的憤激と右翼テロの「国賊征伐」「天誅!」思想が手をむすんだときからはじまったのである。

 今回の石原発言は,その1930年代の暗い時代=軍事亡霊の復活に手を貸しかねない点で,一連の発言とはくらべものにならない深刻な質量を内包している

 石原都知事は,よくよく世の中をみまわすべきである。大銀行の不良債権処理や官僚腐敗,北朝鮮拉致問題などをめぐる国民的憤激は,ほぼ1930年代レベルに達した感がある。さらに,左翼崩壊とともに消えたはずの〈行動右翼〉もチラホラ姿を現わした現在,「テロ容認」発言は火に油をそそぐ〈邪悪な力〉をもつとしるべきである

 ◎ ファンタジー性が瓦解

 石原慎太郎という人物は『太陽の季節』以来,封建的権威や常識をあざ笑い,世の中をお騒がせする「トリックスター」(価値紊乱のいたずら者)として大衆的人気を獲得してきた。

 なぜか。口先だけはやたら勇ましいが,本当に現実世界を転覆する実力〈政治力〉をもたないからである。その口ほどでもない無力な〈道化性〉が笑いをさそい,人を楽しませるのだ。

 国会議員25年間で目ぼしい実績はない。

 都知事2期めの現在も,銀行への外形標準課税,お台場カジノ構想など,成功はほとんどない。からっきしダメな道化者だからこそ,日本人の多くが彼を愛し,許しつづけてきたと思う。危険だが安全なファンタジー言語=〈非リアル〉な大言壮語性が,最大の魅力だったと。

 しかし,いまや世の中が「1930年代」に近似したことで,慎太郎のことばのファンタジー性は,急激に瓦解しはじめた。

 たとえば「(北朝鮮と)戦争したっていい」発言は,自衛隊が平和憲法を順守しているからこそ,危険で安全な「価値紊乱」となりうる。ところが,小泉首相は「実質的に自衛隊は軍隊」と発言した(2003年5月20日)

 そうなると,慎太郎の「戦争」発言」は小泉「軍隊」発言とむすばれ,一挙に〈リアル〉化し,単に時代のお先棒をかつぐだけの便乗発言に転落してしまう−−これは明らかに価値紊乱の〈ことばの力〉が時代に乗りこえられ,彼らしいファンタジーが成立しえなくなったことを物語っている。

 だから問題の核心は,慎太郎自身より「時代」のがわにある。いまわれら日本人は,軍隊発言の小泉首相と戦争発言の石原都知事の2人を圧倒的支持で「再選」させ,改憲派の安倍晋三自民党幹事長まで登場した。世界中から日本は「戦争立国」にカジをきったのかと疑われてもしかたない。

 本当にそれでいいのか?

 とくに,自民党総裁選でわれもわれもと,小泉再選の勝ち馬に乗る議員の姿は,無残だった。「構造改革に反対してきた抵抗勢力の人々がどっと首相支持にまわった」(『朝日新聞』2003年9月21日「社説」)。 

 ◎「どどーっと」動く国民

 しかし,それは自民党だけではない。日朝平壤宣言から1年,「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の佐藤勝巳会長は,日本人の北朝鮮認識の変化をこう述べている。

 「かわりようは本当に恐ろしいほどだ。拉致が不確定のときはまったく動かず,確定したらどどーっと高まってきたが,本質はなにもかわっていない」(『朝日新聞』2003年9月13日報道)

 まわりの空気の変化で議員は「どっと」動き,国民も「どどーっと」動く。この信念なき日本人の集団行動に歯止めをかける人物もシステムもないまま,「1930年代」状況は濃縮化していく。

 石原発言が危険なのではない。戦争や軍隊への歴史認識をうしなって,歯止めなく漂流する国民精神が危険なのである。

 以上,ノンフィクション作家吉田 司による石原慎太郎批判論は,的を射た論説である。したがって,ここで筆者がとくにつけ足すべきコメントはない。ただ,佐藤勝巳という人間に関する言及については,一言いわせてもらおう。

 佐藤勝巳はかつて,日本人妻もふくめた在日朝鮮人を北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕に送出(送還)する事業に対して,精一杯協力してきた人物である。当時,日本国がわの担当機関は日赤であった。この日赤と佐藤がそのころ抱いていた「イデオロギー」との「とりあわせ」が意味深長であり,たいそう興味深い。

 そしていま,佐藤勝巳は逆に,北朝鮮による日本人拉致被害者とその家族を熱心に応援し,金 正日君を宿敵のように罵倒する人物となった。もっとも昔は,正日チャンの父上である金 日成さんの要望に誠実に答える方向で仕事をなし,在日朝鮮人「北朝鮮帰還:やっかい払い」事業の推進に熱誠をもって挺身していた。

 佐藤の行跡がそのようにつくってきた「二重に捻転した価値観の姿容」に見透かせる真の本性は,180度かわったようで〔→過去:北朝鮮大好き,現在:北朝鮮大嫌い〕,実はなにもかわっていない。佐藤のいった表現,つまり「かわりようは本当に恐ろしいほどだ。……〔だが〕本質はなにもかわっていない」という点は,まさに彼自身に関してこそ妥当するものなのである。

 佐藤にとっての北朝鮮は,そのときどきに変化する「自分の単なるイデオロギー」の「玩具」だったのか? そのため,その過程においては,自民族である日本人たちもその玩具にしたあげく,弄んでいたのではないか? 

 過去おいて佐藤は,在日朝鮮人のために奉仕してきたつもりだろうが,彼らに対して,とりかえしのつかない不幸と悲惨をもたらすことではその主役を演じていた。だが,こんどは日本人拉致被害者のために猛烈に働きながら,在日朝鮮人などが日本社会でイジメに遭って当然というような雰囲気づくりに邁進してきた。北朝鮮への戦争さえ辞すな,とけしかけている。いつからこの人はそんなに好戦的な人間になったのか。

 自分の信念・考えに忠実に行動しているはずの「佐藤の政治的な活動」は,他者=在日朝鮮人にとっては非常な災厄と困難をもたらしつづけている。人間の主観的確信の結果が生んだ「他者への加害」をまともに意識しない佐藤のロビースト的な活躍が,朝鮮人のみならず日本人にも耐えがたい害悪を振りまいてきた歴史をよく認識しておくべきところである。

 いわば,過去に自分が犯した錯誤を佐藤が悔悟し,それを挽回するためと当人が思いこんでさらにおこなう行動は,周囲に多大な迷惑を拡散するばかりであって,ますます負の効果を再生産している最中なのである。

   −−日本は「北朝鮮に武力行使をしろ」といって憚らない佐藤勝巳石原慎太郎に対しては,イラク問題の研究専門家酒井啓子(アジア経済研究所員)の記述を,つぎに紹介しておく(『朝日新聞』2003年9月26日朝刊「読み・解く−国際情勢,酒井啓子『だから言ったじゃない』」)


 やれやれ,9・11事件後の米国民のトラウマ解消のために,ブッシュ政権はつぎつぎに海外で対テロ戦争をしかけていく,ということか。

 しかし,本当に払拭すべきトラウマは,むしろ,力づくの「対テロ戦争」によって世界中で暴力の応酬が日常茶飯事になってしまったことではないか。

 パレスチナでは,イスラエル政府がアラファット・パレスチナ解放機構(PLO)議長を西岸地区から追放すると決定し,「殺してでも排除する」という暴言まで飛び出した。ビンラディン,フセインにつづいて,「アラファットもテロリストだから」力づくでやっつけてもかまわない,というイスラエルの論理には呆れる。

 だが,「襲撃されて当たりまえ」と広言して憚らない都知事を抱えるわが国も,あまり他人のことをいえた義理ではないのかも。

  −−つぎに紹介する『朝日新聞』2003年9月28日日曜日朝刊の「社説」は,「片言隻句にバカなメディアがダボハゼのごとく食いつくいた」と石原慎太郎にこきおろされたそのメディアの反論である。


 ■ 石原知事へ――ダボハゼからのお返事

   拝 啓 石原慎太郎様

 外務省の田中 均外務審議官の自宅で発火物がみつかった事件について,あなたが「爆弾をしかけられて当たりまえ」と述べられてからしばらくたちました。いまだ取り消しや謝罪をされていないところをみると,あのお考えにかわりはないのでしょうか。

 「テロを容認するわけがない」とおっしゃったのにはすこし安心しました。しかし,最初の発言が生きているかぎり,犯人や暴力を好む人たちを勇気づけていることにかわりはありません。

 先日は都議会で「片言隻句に飛びつくばかなメディアがダボハゼのごとく食いつく」と,あなたを批判するメディアにも矛先を向けられました。そこまでいわれて引き下がるわけにはいきません。

 田中氏ら外務省の対北朝鮮外交がよほどお気に召さないのか,あなたの批判の言葉は「万死に値する」「売国だ」と穏やかではありません。

 しかし,日朝首脳会談を目前に控えた2002年9月6日の記者会見で,首脳会談を「とてもいいことだと思う。うしなうものはなにもないね」と評された。それと最近の批判はどう整合するのでしょう

 もちろん,外務省の対応にも問題はあります。しかし,首脳会談によって,北朝鮮が拉致を認め5人の被害者の帰国が実現したのです。あの首脳会談がなければ,いまだに事実はベールに包まれていたでしょう。そのことは正当に評価したほうがよいと思います。それも否定するのですか。

 「外務省は拉致問題について25年間,なにもしなかった」というご指摘にも首をかしげたくなります。拉致問題に対する政府の対応が不十分だったことはそのとおりでしょうが,25年間なにもしなかったというのは明らかにいいすぎです。

 1991年にはじまった日朝国交正常化交渉で,日本がわは大韓航空機爆破事件の犯人に日本語を教えたとされる日本人女性「李 恩恵」について,事実関係を明らかにするよう繰りかえし求めています。

 2000年には拉致問題を「国交正常化のために避けてとおれない」と正面からとりあげました。

 ところで,あなたはどうでしょう25年間にわたって国会議員を務められましたが,本会議や委員会の議事録を検索するかぎり,拉致問題に関する発言はみあたりません。1999年に政治活動を回想した『国家なる幻影』を出版されましたね。そこにも拉致問題への言及はありません。

 田中氏が首相らの意向を無視して好き勝手に外交を展開しているという批判も不思議です。田中氏を重用している政府の最高責任者は首相です。納得できないなら,堂々と小泉批判をされてはどうですか

 ともかく,いたずらに社会不安を煽るような言動はおやめになり,住民が安心して住むことのできる社会をつくることに専念していただきたいと思います。それが知事の最大の仕事ですから。

 以上,朝日新聞「社説」による石原慎太郎〔都知事〕批判は,すでに筆者が批判した点もふくんでいる。

 たとえば,石原が田中 均外務審議官を非難するなら,日本国家の最高責任権者である小泉首相もその同じ対象にしなければならない。つまり,ジュンちゃん宅にも「爆弾がしかけられて当たりまえ」ということが論理必然的ではないか,ということがそのひとつである。

 慎太郎君は実は,北朝鮮問題には関心をもたないまま,国会議員時代の25年間を過ごしてきた。けれども,東京都知事となってから急に,しかも最近にわかに浮上してきた日本人拉致問題に目覚めさせられたのかのように,そして,それに関してたたみかけるかのように,あれこれ〈問題発言〉を投じている。

 ははぁー,そうすると,2000年4月9日の「第三国人」発言は,その伏線だったかもしれないですな。慎太郎君は,自分が個人的に嫌いな国々の政治的論点になると,どうしても我を忘れ,無我夢中になってしまう性向がある。そのため,つい〔あるいはまた意図的になのだが〕「差別‐偏見」の発言を噴出させるという特技,正確にいうと彼(君)に固有の悪癖を再度露呈させたのである。

 今回,田中審議官に向けられた石原の発言は,「万死に値する」「売国だ」から「テロをうけて当たりまえ」「殺されても当然」というきわめて物騒な《ただならぬ中身》を放出していた。

 いわば,都知事のお面をとった〈シンタロウ〉が,精神狭量な「テロリストの地(鬼面)」を現わした。それだけでなく,事後においても基本的にその発言じたいを撤回しない,といいはるような「狂人ぶりさえしめした」のである。

 慎太郎君は,2002年9月17日にもたれた日朝平壤会談以後における両国間外交関係の情勢変質をうけて,日本人拉致問題に関しては,なにやらとても勇ましくというか,やたらやかましく,あれこれと積極的な発言〔というよりも暴言・妄言のたぐい〕を放ってきた。

 そうした石原の言動は,機会主義者(オポチュニスト)大衆迎合主義(ポピュリズム)をかけあわせた,調子ばかりよい時論便乗的な放言であって,国家次元の政治の理念とその行動のありかたを慎重に配慮しようとする,ひとかけらの思想もない

 そこで,である。石原君は,東京都立大学〔あるいは都立管轄のどの大学でもよい〕に社会人入学でもして,神学哲学法学政治学社会学経済学経営学心理学行動科学などを,もう一度よーく勉強しなおしたら,いかがか。帝王学を学ぶのに,いまからでも「遅い」ということはない。

 彼においては,東京都の帝王たるべき「学」がない。そのくせ,振るまいだけは「帝王」ぶっている。民主主義で選ばれた都知事が帝王のように振まっていけないことは,当然である。だが,自分が帝王もどきの行政や言動をしたいならば,すこしは帝王学的素養も身につけておくべきである。

 いずれにせよ石原は,日本国政府の国益・方針にしたがい外交上の任務を遂行しているはずの外務省高官の仕事:やりかたが,都知事=自分の考えに合わず気にも入らないのだといって,「万死に値する」「売国だ」から「テロをうけて当たりまえ」「殺されても当然」と断言した。

 しかしながら,そうした〈野蛮な意見=テロの考え〉を広言してやまない大東京の首長:都知事の首が飛ばず,安泰そのものなのである。誰がいったい,こんなチンピラまがいの「〈 ベ ビ ー 〉級4流知事」を,東京都の親分に選んだのか!

 いまのところは,マッカーサー元帥にあやかって,東京都知事の精神年齢は12歳の「 ボ  ク ちゃん」程度だと評価しておく。あぶなっかしいこと,このうえないしだいである。


 ★!★ 2年ほどまえだったか,「自民党をぶっこわす!」といっていたけれども,いまだ党内各派閥さえろくに壊せないこの国の首相が現在する。

 ★!★ 2期めに入った都知事だが,東京の問題点の「なに」をブッコワスことができ,その「なに」を改善・改良することができたのか?

 −−先述のように,ノンフィクション作家吉田 司は,石原都知事2期めの現在まで,行政面に業績において目ぼしい「成功はほとんどない」と評価していた。そういえば,国会議員時代25年間における石原の業績もさみしいかぎりのものだった。

 ただひとつだけ,まあ目ぼしいというか,やたら目だつ点があった。それは,つぎの点である。

 吉田は,慎太郎最大の魅力は「道化者の危険だが安全なファンタジー言語=〈非リアル〉な大言壮語性」だけだ,と喝破してもいた。しかし,いまの慎太郎は,テロリストまがいに「やたら勇ましくかつ乱暴に妄言を連発する単なるボケ老人」になり下がった感がある。

 みなさんは,ここまで慎太郎君とつきあってきて,どう再評価するのだろうか?

 


  =2003年9月26日,28日  記 述= 


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