石原良純は,石原慎太郎都知事の二男,
俳優である。舞台のほか気象予報士でも活
躍中である。
★ 石原家の性格
石原慎太郎の次男である石原良純は,石
原家を生き生きと描いたこの本を公表した。
さて本書『石原家の人びと』は,本ホー
ムページですでに引用紹介したように ,
「サザエさんの『磯野家とウチ〔石原家〕
は似ている……,昭和の家族だ』などと眠
たい結論を書く。三国人発言や自衛隊パレ
ードの先頭に立つ『磯野波平』なんて,現
実にいるわけねえだろ,そんなやつ」
と,こっぴどく酷評されていた。
最近になってようやく本書を一読できた
筆者は,同書の最後部に現われるその記述
とはきわめて対照的な一句が,冒頭部(プ
ロローグ)にあることに気づいた。
良純いわく「僕の知る家族像は,日本の
典型的な家族とはかなり趣を異にしている
のかもしれない」と(同書,10頁)。これはも
ちろん,石原家のことをさしていわれたも
のである。
このように,冒頭部にある記述と最後部
にある記述は,ご覧のようにまったく性質
を「異にしている」。
★ サザエさんちの登場
フジテレビで,アニメーション『サザエ
さん』の第1回めが放送されたのは, 1969
年10月5日である。
『サザエさん』アニメーションの原作で
ある漫画『サザエさん』は, 1946年に, 九
州の『夕刊フクニチ』という新聞に連載さ
れたのがはじまりである。
作者の長谷川町子が,仕事を依頼されて
から,どんな内容にするか,妹と一緒に毎
日海岸を散歩しながら考えていたので,登
場人物が,みんな海産物の名前になったと
いうことである。
そして,1949年から1974年まで,なんと
25年もの永きに渡り,サザエさん一家は,
東京の朝日新聞に連載された。
(http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/sazaesan/
2001年11月24日 検索)
海に因縁が深いところは,石原家と磯野
家に共通性がありそうだが,現実生活の内
容では,おおちがいである。むろん,石原
家は現実であり,磯野家は虚構である。
とはいえ,磯野家のイメージは,昭和20
〜30年代に形成された日本社会の中間層サ
ラリーマン家庭の平均的なそれである。
「石原裕次郎」の実兄である石原慎太郎
は,磯野家という当時形成された平均的な
日本家庭のイメージとは,全然異なる。
その意味では,慎太郎を父とした良純が
自身の家庭を称して,
a) 磯野家とウチ〔石原家〕は似ている
というべきか,それとも,
b) 日本の典型的な家族とはかなり趣を
異にしている
というべきか,そのどちらがより的確かと
いえば,即座に b) だと断言できる。
以上のことは,本書『石原家の人びと』
を読めばよくわかる。良純が子どものころ,
日本に2台しかなかったベンツの高級車の
所有者の1人が,叔父の映画俳優石原裕次
郎であった。もう1人のその所有者は,プ
ロレスラーの力道山であったという(62頁)。
そのことだけみても,磯野家と石原家が
〈似ている〉などと形容するのは,見当外
れもいいところ,おおきなまちがいである。
良純はまず,自分の父:慎太郎をこう描
いている。
「それにしても人を怒鳴ったり,大声出
したりするのは健康に良いらしい。肩も凝
らなければ,ストレス発散にもなる」(16頁)。
東京都知事になってからの石原慎太郎の
言動もまさに,そのとおりであって,傍若
無人ぶりを謳歌する姿に映る。周囲の人々
がどのくらい迷惑し,傷ついているか無頓
着にそのように言動するのが,石原慎太郎
の実像である。
「長男とその他の兄弟を区別する,長男
優遇の生活習慣は,昔も今も石原家には歴
然と存在している」(28頁)。
「“兄弟の順序をはっきりさせろ”なん
てのも,腹が立つ。家長意識の強い長男で
ある親父の,長男優遇主義がうかがえる」
(103頁) 。
以上2段落の説明は,石原慎太郎の封建
意識・女性蔑視の皮膚感覚を伝えている。
だから,良純はこうも記述している。
「女,子供の夕食は6時,親父は7時,
と夕食は別に食べるのが石原家の習いだっ
った」(35頁)。
ありゃ,これは,磯野家の夕食団欒光景
とは,完全にちがうじゃありませんか。磯
野波平像と石原慎太郎像のあいだにある溝
は,そうとう深い。
石原家の家庭団欒のとき,「話題は身の
回りの出来事から,政治,経済,芸能ネタ
までなんでもかまいやしない。まずは,広
く浅い知識が要求される。……いかに面白
い話題を選び,いかに面白く話して聞かせ
るか。内容をデフォルメしたり脚色するの
は,作家の家の食卓では当たりまえのこと。
各自の話術の技量が問われる」(40-41頁)。
この説明は,石原慎太郎「三国人」発言
をささえる石原家の知的環境要因を指摘す
るものである。小説・脚本の領域に属する
ことがらが即,政治・行政の技量に応用さ
れるほかなかった,都知事石原慎太郎の特
性あるいは制約が暗示される。
つぎは,慎太郎が自家で主催するパーテ
ィでの話である。
「ある瞬間に,親父はプイと2階の書斎
へと席を立つ」「しゃべりたいことだけし
ゃべって,嵐のように去っていくのが親父
のやり口」(42頁)。
これでは,人の上に立つ力量があるよう
には,とうていみえない。一匹狼の作家で
あるかぎり,いっこうにかまわないかもし
れないが,政治家・議員を勤めるには不適
な資質である。
さらに良純は,こう書いている。
「親父の行動の基本に,正義感があるこ
とを僕は認める。ところが,その正義感を
裏打ちするのが思いこみと独善的な価値観
だから,いらぬトラブルを招く」(43-44頁)。
石原慎太郎特有の「思いこみと独善的な
価値観」は,筆者が入念に批判しているつ
もりの,石原慎太郎イッシューであった。
いうところの正義感とは,石原的な価値観
を絶対的基準としたものであるから,他者
に通用するものではない。
慎太郎は,配偶者〔妻:女性〕に対して,
非常なワンマン:暴君,よくいえば関白亭
主であるが,「男尊女卑」精神の持ち主で
あることにかわりはない。
そのくせ,「百パーセント子どものこと
は母親任せの親父」である(97頁)。
「数十年,怒鳴られつづけている母親に
も驚くが,怒鳴りつづけている親父にも感
心する」(45頁)。
良純は,父親に変な褒めかたをしている
がこれは,肉親だからこそ,できる褒めか
たである。
★「三国人」発言
2000年4月に慎太郎が放った「三国人」
発言を,良純が「親父の失言問題で,世の
中,大騒ぎだね」といった瞬間,慎太郎は
「目が吊りあがり」,「なにか失言だ。俺
はなにもまちがったことはいっちゃいない。
バカなこというな」,という返事となって,
「かえってきたのがこの怒鳴り声」であっ
た,と書かれている(120頁)。
そのとおりである。石原慎太郎にとって
は,新来の外国人〔中国人〕が密入国だろ
うと,不法滞在であろうと,なんだろうと
毛嫌いする範疇の人々にはいるのである。
だから,上述のように叫ぶのであった。
「第三国人」ということばの歴史的由来
は,作家である石原慎太郎にとって周知の
ことであった。このコトバに含意される差
別・偏見の意味を踏まえたあえての,意図
的な〈失言問題〉であった。
失言だけれどもこれを認めたくない石原
慎太郎のイラダチを,息子の良純の口から
聞くことができたわけである。
1995年4月,国会議員在職25周年表彰
の本会議場の演壇で石原慎太郎は,衆議院
議員を任期の途中で辞任することを表明し
た。
だが,そのときおこなった演説は「ここ
にいる議員は皆バカだ,いっしょにやって
られるか」といわんばかりだったと,良純
は解説している(123頁)。
まことに品位を欠く石原慎太郎の言動の
典型が,そこにみられる。
それにしても,この短気でわがまま,独
り善がりの慎太郎議員は,自身で皆バカと
決めつけるような議員たちと, なぜ,25年
間もの長いあいだ,つきあってこれたのか 。
自称一流作家,石原慎太郎はそんなこと
〔国会議員たちがバカであること〕を十分
理解するまで,なんでまた,25年間:四半
世紀もかけねばならなかったのか?
摩訶不思議 !
そういうしだいであるから,「なるほど
親父には味方も多いが,敵も多いのも頷け
る」(145頁)。
良純はまた,こうも記述する。
「元来,友達が多いとは思えない親父に
とって……」(20頁)。
この点はコメントの余地もないだろう。
自民党所属の国会議員としての25年間, 領
袖となって一定の派閥を形成も維持もでき
なかった,石原慎太郎の人間的な限界がの
ぞけるようである。
ところで,「親父には味方も多いが」と
いう記述と「元来,友達が多いとはいえな
い」という記述は,どのようにむすびつけ
て解釈すればよいだろうか。
ひとまず,味方=友達とただちに付会す
るわけにもいかないだろう。これは,好意
的な解釈である。
★ む す び
石原良純『石原家の人びと』は,石原家
の歴史とその特徴を正直に叙述してくれた,
その意味では,同家の内情を赤裸々に打ち
明けてくれた好著である。
★ 付 節 −石原家の内情−
@ 石原良純は石原慎太郎の次男坊であ
るが,長男の石原伸晃 (1957年生まれ)は,現
政権下で行政改革担当・規制改革担当大臣
を勤めている。出身は神奈川県,東京8区
選出の衆議院議員で,当選4回である。
つぎは,石原伸晃の顔写真である。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/18isihara.html より。
最近(2001年11月ころとする),この大
臣,いわゆる自民党内の「抵抗勢力」の勢
いに押され気味で,小泉純一郎の「聖域な
き構造改革」に対する先頭旗手の役割をき
ちんとはたしうるかどうか,危ぶまれてい
る。
そこで新聞のあるコラムに,つぎのよう
なエールがかかげられた(『朝日新聞』2001年11
月22日朝刊「かたえくぼ」) 。
『弱腰行革相』 気をつけ! 前へ進め。
−−石原都知事
勇ましいオヤジの声援はとても心強いか
ぎりである。
猛親の愛情は,無限大。
石原伸晃の御年は(2001年で),満44歳。
石原行政改革担当相が 「坊ちゃん大臣」
といわれているていたらく……(『日本経済新
聞』2002年1月11日「大機小機」参照) 。
−−石原慎太郎の旧著『スパルタ教育』
(昭和44〔1969〕年)は,
「おやじは財産を残さない」
「父親は子どもを抱いてはならない」
と,他者にきびしく諭していた。
ところが,自分の息子たちのことになる
やとたんに,自説の提唱はきれいさっぱり
忘れ,ベタベタに甘々の態度である。
自称一流作家も,自分と血のつながりの
ある「肉親:息子への愛情」のことにかぎ
っては,盲目となり,例外あつかいする。
いい気なものである。自己矛盾‐自家撞
着もきわまっている。
その証拠は次段の記述に説明されている。
副島隆彦『テロ世界戦争と日本の行方』
(弓立社,2001年11月) は,以下のよう
な裏話を暴露している。
1) 石原慎太郎は,じきじき小泉純一郎
に会いにいって,「うちの息子をどうか大
臣にしてくれ」と頼みこんだ。それで,伸
晃大臣が誕生した。
父:慎太郎は,実際に長男:伸晃の閣僚
入りが決まったときに,声を上げてうれし
泣きしたと伝えられている。
副島隆彦は石原慎太郎をこう叱る。「子
を思う親心だから自然なものだ,で済まさ
れるか」と。
石原慎太郎は,小泉に「息子をよろしく
頼む」と頭を下げた時点で,自分が首相に
なる目を諦めたのだ,と判定すべきだろう
(同書,58-59頁) 。
2) 石原慎太郎は,私〔副島隆彦〕の後
追いをして,週刊誌やテレビで,「日本は
アメリカの属国だ」とか「米国債を売ると
いう手段を日本はもっている」といいだし
た(同書,127頁)。
3) 石原慎太郎は「嫌米」のふりを装っ
て,アメリカにすり寄る二重人格である。
これをみぬかねば,政治分析家としては死
を意味する(同書,168頁)。
たしかにそうである。石原慎太郎の中国
嫌いは定評がある。アメリカの世界政治戦
略にとって,石原の政治感覚は便利,有用
であって,非常に使い勝手のよいものであ
る。はたして,石原自身にそういう対米認
識があるかどうか,である。
4) 私〔副島〕は石原慎太郎が人間的に
嫌いです。政治家としての石原さんは,私
〔副島〕ごときではとてもかないません。
しかし,評論家・言論人としての石原さん
は,ずるい人です(同書,291頁)。
−−筆者は,副島隆彦〔常葉学園大学教
員;小室直樹の弟子〕の基本姿勢を,学究
仲間として評価する。もちろん,彼の展開
する論旨すべてに賛同できるわけではない
が,真理を探究し,事実の深淵を闡明する
方向性は,貴重である。
A 東京都の図書館政策に関しては,東
京都立高校で働くある司書職員が,こうい
う懸念を提示していた(『朝日新聞』2001年11月18
日朝刊「声」) 。
「都立図書館では,多摩図書館が14万冊
の資料を手放し,今後,都立3図書館で同
じ本は1冊しか所蔵しなくなるとか。こん
なことで都内各地からの資料要請にこたえ
ることができるのだろうか。いったい,東
京都はなにを考えているのかと,その図書
館政策を疑ってしまう」。
「都内の中小図書館にとって,都立図書
館はいわば『図書館の図書館』たる存在で
ある。個人利用者と同じように地域の図書
館も学校図書館も,都立図書館を頼りにし
ている」。
「その自覚に立って,都は,作家を知事
にもつ自治体として恥ずかしくない図書館
政策をすすめてほしいと思っている」。
−−都立高校図書館の司書は,このよう
に東京都の図書館政策を批判した。ミニ・ヒト
ラー版 作家知事の統治下にある東京都で,た
いへん勇気ある発言=批判をしてくれたと
思う。
当の石原都知事は,こういう意見を聞い
てどう感じるか。気に食わないことをいう
奴がいると,またわめき,ガナリたてるか。
それとも,問題は問題として虚心坦懐にこ
の意見を拝聴することができるか。
東京都にかぎらず財政難の地方自治体が
多いが,知事在職中のいまもなお,作品を
公表している作家:石原慎太郎にとって,
たいそう耳が痛い「都立図書館」に対する
批判ではないか。
その関連では,「元作家の都知事」とい
いきったら語弊のあるのが,石原慎太郎で
ある。
B 2001年11月13日,東京都新宿区長
の小野田隆は,新宿区環境衛生協会連合会
の定期総会の席上,
「今,新宿は怖い街だとの評判が立って
いて困っている。この要因をつくっている
のは新宿での犯罪の7割を占めている『三
国人』犯罪である」などと発言した。
それに対しては,在日同胞らから「多数
の外国籍住民が暮らす新宿区長としてきわ
めて不適切」として,批判する声があがっ
ている。
新宿区長のこの発言の撤回を求め,「石
原やめろネットワーク」の辛 淑玉らが,
新宿区役所を訪れ,抗議の申しいれをおこ
なった (『統一日報』2001年11月20日)。
小野田隆新宿区長がいう「新宿の犯罪の
7割を占めている『三国人』」の犯罪とは,
統計上なにを母集団にしていうものか,な
お,よくわかりにくい要因がある。
だが,新宿の繁華街をかかえる新宿「区」
の特殊事情に関連させて,しかも従来,差
別語として定評のあった「〔第〕三国人」
という用語(石原慎太郎が再びもちだすま
ではほとんど死語化していたもの)をつか
って〈特定の外国人〉を表現した点は,意
図的,煽動的であり,はなはだしく悪質で
ある。
現在の日本国東京都新宿区において,も
し「三国人」ということばを使用するばあ
い,
「第1国」人とは,誰のことであり,
「第2国」人は,どこにおり,
「第3国」人とは,ここまで言及された
人びとに向けることばとして,はたして適
切か,など疑問が出てくる。
簡単にいえば,現状の日本社会において
は,「第2国」人に相当する社会集団が存
在しない。
また,石原慎太郎は2000年4月に「三国
人」なることばを放って批判されたさい,
その弁明の記者会見において,「永住する
在日」外国人たちは,それには当たらない
といって,逃げを打った。
そうすると若干,無理強いの解釈になる
かもしれないが,その範疇に属する外国人
たちは,それこそ,名誉「第1国」=日本
〔国籍〕人だといっていいのか。
そこで,こういう思考を展開しよう。
まず,「第2国」人なる範疇・集団がそ
もそも,この日本のなかのどこにもみい出
すことができない。
だから,いきなりつづけて「第3国」人
ということばを用いるのは,たいへんおか
しいことになる。
すなわち,現在の日本では,第1国→第
2国→第3国のうち, 第2国 めに相当する
実体がみつからないという,論理の展開に
おける不完全性に注目しなければならない。
以上のように〈差別語〉の論理構成面に
おいて必至であり,また特有でもある無理
や矛盾,自家撞着は本来,その不可避の性
格なのである。
「第3国人」ということばは,歴史的な
経緯のなかで生まれた差別表現であり,昭
和20年代〔以降〕においてとくに使用され
てきた。
現在の日本において,この「第3国人」
ということばを悪用することになれば,こ
れは歴史的には,差別語の再現である。そ
れゆえ,その「犯罪的な含意」:民族差別
・偏見的な意味に,かくべつ留意しなけれ
ばならない。
よりによって,半世紀も経過した現在に
その古い差別の表現を,わざわざもちだす
という時代錯誤は,使用する本人たちの無
神経も問題であって,いわば二重の意味で
悪辣な言説行為といえる。
要するに,区長たるものが口にすること
ばではないだろう。
以上,新宿区長による「〔第〕三国人」
発言は明らかに,石原慎太郎に悪い影響を
うけた言動である。
いいかえれば,新宿区長は「民族憎悪の
政治的策略家」=石原慎太郎に手もなく引
っかかったのである。
欧米の国々によっては犯罪的発言に当た
る〈ことば遣い〉が,数十万の区民の代表
者である区長の口から堂々と発せられる。
なんと,恐ろしい。この国は……。少数
派〔けっして「新来ではない」外国籍のか
つ民族的な集団〕として存在する在日たち
は,石原都知事や小野田区長のような発言
を聞いて,思わず戦慄するのである。
日本〔人・民族などに属する〕みなさん,
在日の人々のそういう率直な気持=恐怖,
懸念を,ぜひ理解していただきたく思うの
である。
朝日新聞2004年12月7日朝刊は「リッパ
過ぎる石原家に降参」というフリーライター
丸山タケシの一文を掲載した。
丸山は「めまいがするほどリッパ」な石
原サン一家を,こう論評する。これは,テ
レビ朝日開局45周年記念スペシャルドラマ
「弟」というドラマの感想である。
戦後,それほど裕福ではない時代に,地
元・湘南でヨット遊びに興じる石原兄弟。
兄の慎太郎は一橋大学へ進学。やがて作
家に。弟の裕次郎は高校から大学まで慶応
で,映画「狂った過日」で本格的にスクリ
ーンデビュー。
兄弟そろって才能があり,おまけに顔も
よろしい。足は長くて人気者。52歳で急死
した父親は,厳格で仕事一筋。母親は良妻
賢母。
要するになんか,貧乏人を打ちのめすハ
イソ(上流社会)な暮らしぶり。ものすご
い高みにいる石原家の人々を,
「遠いなぁ,オイ」
と見上げた感じ。逆に
いえば見下されてい
る感じもするわけで,「ボンボンだかんな
ァ」とヤサグレた御仁も,視聴者のなかに
はおられたかもしれない。
本項「冒頭」でコメントされた文句をも
う一度,借用しておく。
石原良純は「サザエさんの『磯野家とウ
チ〔石原家〕は似ている……,昭和の家族
だ』などと眠たい結論を書」いた。
けれども,
三国人発言や自衛隊パレ
ードの先頭に立
つ『磯野波平』なんて,現実にいるわけね
えだろ,そんなやつ」。
さて,石原慎太郎には,認知した愛人の子
供を除くと,典子夫人とのあいだに4人の息
子がいる。
本ページのとりあげた二男の良純は,石原
プロモーション所属で,気象予報士。長男は
衆議院議員の伸晃。三男は日本興業銀行勤務
の宏高。四男は画家の延啓。
国会議員となった石原伸晃(いしはら・のぶてる,
1957年4月19日生まれ)に,あらためて触れてみ
たい。
石原伸晃は,慶應義塾大学文学部卒業後,
日本テレビ政治部記者となり,現在は当選回
数連続5回を誇る自由民主党所属衆議院議員
である。いままで,行政改革・規制改革担当
大臣・国土交通大臣・観光立国担当大臣など
を歴任してきた。
現在〔2005年2月〕は,衆議院予算委員,
自民党総務,党金融調査会長,党税制調査会
副会長,党行政改革推進本部特殊法人・独立
行政法人化委員長,などを務めている。
石原伸晃は,2003年9月より2004年9月ま
で国土交通大臣を務めた。そのあいだ,道路
公団の民営化を議論するために設置された
「政府審議委員会道路関係四公団民営化推進
委員会」を主管していたが,2004年10月24
日,日本道路公団の藤井治芳総裁(当時67歳)
を「総裁としての十分な資質がない」などの
理由で解任した。
それに対して藤井前総裁は,2004年12月22
日「前代未聞の異常な処分で,法治主義のも
とでは許しがたい」として,解任の取り消し
を求める訴訟を東京地裁に起こした。
その後にたどった関連事情の経過にはこま
かく触れられないけれども,ともかく「藤井
総裁の解任:ドタバタ劇」において石原伸晃
のみせた,そのまったくしまらない大臣とし
ての采配ぶり,つまり,無理やり大臣なんか
を担当させられた「洟垂れ小僧:若造のガキ」
が右往左往させられる姿を存分にみせつけら
れ,周囲はもういいかげん呆れはてていたは
ずである。いいかえれば,日本国民やこの国
に在住の人びとは,伸晃坊やのいたらなさ・
未熟さに相当ウンザリさせられたのである。
石原伸晃が大臣の椅子をしとめるに当たっ
ては既述にもあったように,スパルタ教育を
標榜するオヤジ石原慎太郎が,その実現を小
泉純一郎首相に働きかけたという。伸晃大臣
が実現したとき,この慎太郎オヤジ,涙を流
して喜んでいたというのである。
問題なのは,慎太郎がただの子煩悩で親バ
カのオヤジだったということよりも,そのよ
うな手順で「日本国の国土交通省の大臣」が
任命され,その仕事に当たっていたというこ
とである。
しかも,日本道路公団総裁だった藤井治芳
は,自分が渦中の人となったその騒ぎのなか
で,道路公団業務に関する特定の「事実を鮮
明にしたら死人が出るかもしれない」と,石
原伸晃や推進委員会などを恫喝した。
この事実は,テレビなどでも報道されてお
り,われわれの記憶にもよく残っている。そ
うした光景を思いおこすたび,なにせ,伸晃
と芳治とでは役者がちがうな,という印象が
よみがえるのであった。
かといって筆者の評価は,藤井前総裁の立
場・言動を善しとするものでは,けっしてな
い。
とくに自民党の国会議員は,世襲議員だら
けである。
「社団法人マスコミ世論調査研究所」(上田
哲理事長)がこのほどまとめたデータによると,
衆議院の全476議席中,約38%に当たる180議
席が,なんらかのかたちで“世襲”であるこ
とがわかった。
なかでも自民党は,半数を超える議員が2
世,3世のいわゆる世襲議員である。
中曽根康弘元首相と弘文元文相親子のよう
に現役のまま,2議席を占めた例もある。
小泉内閣成立当初外務大臣になった田中真
紀子も,田中角栄元首相の愛娘である。くわ
えて,真紀子の夫:直紀は参議院議員であり,
夫婦で衆参2議席を占めている。
政府・与党の要職を見ても小泉首相は3世
(祖父・又次郎元逓信相,父・純也元防衛庁
長官),福田康夫官房長官が2世(父・赳夫
元首相),安倍晋三官房副長官も3世(祖父
・岸 信介元首相,父・晋太郎元外相),石
原伸晃行革担当相(父・慎太郎都知事),綿
貫民輔衆議院議長(父・佐民衆院議員)と,
ズラリと並ぶ(肩書は当時)。
野党がわでも,鳩山由紀夫民主党代表は,
なんと4世(曽祖父・和夫元衆議院議長,祖
父・一郎元首相,父・威一郎元外相)である。
これにくわえ,実弟は邦夫衆議院議院運営
委員長(自民)と「日本のケネディ家」とま
でいわれる超名門政治家一家としてしられる。
また,小沢一郎自由党党首も2世(父・佐
重喜元運輸相)。2世の羽田孜民主党特別代
表は長男・雄一郎氏が参院議員となり,3代
目になっている。
意外なところでは,共産党の不破哲三議長
も父・上田庄三郎元参議院議員,実兄の上田
耕一郎・元参議院議員。
同研究所では,世襲議員の増加は,小選挙
区比例代表並立制に一因があると,問題提起
している。
世襲議員そのものがいけないといっている
のではない。しかし,ボンボンというべきか,
お坊っちゃまのように子供っぽい2世・3世
議員たちは,親子間において「帝王学」的な
訓練
・教育すら継承されていないことを察知
させるだけであって,与党の政治家:大臣と
しての彼らは,稚拙な行動しかできない。
国会議員世襲化のこんな始末では世も末,
日本の前途はますます暗く,危うくなるばか
りである。
残念なことに,選良であることの自覚のな
い世襲議員たちは,自身の幸運な出自‐出世
を活用したうえで,国政の負託に耐えうる力
量をもちあわせていない。
とりわけ石原伸晃議員のばあい,オヤジの
「スパルタ教育」を本当にうけたのかどうか
疑わせるくらい,情けない大臣采配をみせつ
けてきた。慎太郎の泣きをうけてこの甘チャ
ンのガキを大臣に据えた一国首相の人間鑑識
眼も,たいしたものではなかった点が実証さ
れた。
大臣たって,雛祭りの「右大臣:左大臣」
のごとき,飾り=まつりごと,じゃ,ないん
だぞ!