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石原慎太郎アドルフ・ヒトラー
多 少 似ている現象



 

  

=このページの 目 次 = 
 
★1 政治と大衆


★5 出張中は石原慎太郎か都知事か


★6 生物学に無知な人


★7 最近の執筆状況



★8 フジモリ問題〔1〕



★9 フジモリ問題〔2〕



★10 フジモリ問題〔3〕

 
★ そ の ほ か

 

★2 ヒトラーの独裁

★3 理想のお父さんは慎太郎か?

★4 放言居士の面目

 

 ★1 政治と大衆

  ひと昔まえ,元警視総監で国会議員になって法務大臣も勤めたことのある秦野 章は,「このていどの国民にはこのていどの政治」と発言してヒンシュクを買ったことがあるが,政治はやはり国民の反映ではないのか(飯島 勲『代議士秘書』講談社文庫,2001年,272頁)

 秦野のその発言は,いままでもよく指摘されたことのある政治学的な常套句であって,秦野の発言としてだけがヒンシュクを買うというのは,ずいぶんおかしな話である。

 1933年合法的に政権を獲得したナチがその後も独裁の地位を維持しえたのは,大衆の期待する政策を実行し,かつ成果を挙げていることを大衆にしめしえたことにあったM.バーリ/W.ヴィッパーマン,柴田敬二訳『人種主義国家』刀水書房〔訳者あとがき〕225頁)

 石原慎太郎が東京都に立地する預金量5兆円以上の大銀行に特別の税金を課したり〔外形標準課税〕,ディーゼルエンジンから出た真っ黒な排出物をペットボトルに入れ用意し,テレビに出演してこれを振りまわしながら大衆に訴えたりするやりかた,あるいは調子に乗って,「不法に滞在している〔第〕三国人」が異常に多くの犯罪を犯していると,根拠のないデマを流したりする言動にかかわって,つぎの議論を参考にしたい。

 −−小林直樹『痛快! 憲法学』(集英社インターナショナル,2001年)は,古代ローマがのちにローマ帝国に変貌した原因を,こう解説している。

 1) ローマの輝かしき共和制は1人の男によって,あえなく「殺されて」しまった。

 2) その男とは,ガイウス・ユリウス・カエサル。

 3) 紀元前44年,カエサルはディクタトル,すなわち終身独裁官に就任し,ローマの軍事・政治のすべての権力を握る。このときをもってローマの共和制は死に,帝国への道を歩むことになる。カエサルの甥であったオクタウィアヌスが初代ローマ帝国の皇帝となったのは,紀元前27年のことである。

 4) さて「共和国」殺しのカエサルは,いかにして独裁権力を握ったか。その答えは,プラトンやアリストテレスのいう〈貧乏人の政治〉にあった。すなわち,カエサルは貧しいローマの平民たちの圧倒的な支持によって,共和制を乗っとったのである。いいかえれば,平民たちはみずから共和制をカエサルに差しだしたのである。

 5) 名門の家に生まれたカエサルは,大衆にアピールする行動をつぎつぎとおこなうことで,ローマの政界で力を握っていった。

 6) 紀元前59年に執行官に就任すると,

 ・国有地を貧しい平民たちに分配する法律を成立させた。
  
 ・さらに,軍司令官としてガリア,ブリタリアへの遠征を大成功させた。
 
 ・しかも,彼はだいへんな雄弁家であったから,大衆から絶大な人気があった。

 7) 紀元前49年,ローマに自分の軍隊をいれて,反対派を倒して政治の実権を握る。このとき彼が「賽は投げられた」と叫んで,ルビコン川をわたった故事はあまりに有名であるが,そのカエサルの軍勢をローマの大衆は歓呼で迎えた。カエサルはのちにブルータスらによって暗殺されるわけだが,カエサルが死んでも,ローマの共和制は復活しなかった。そのまま一直線にローマは,皇帝が治める帝国に変貌してしまうのであった(以上,小林,156頁より)

 

 ★2 ヒトラーの独裁

 −−アドルフ・ヒトラーは1933年3月23日,ワイマール憲法を殺して,ドイツの独裁者になる。彼は軍事クーデタでその地位に就いたのではない。カエサルやナポレオンと同様,大衆の歓呼に迎えられて,総統になったのである。ヒトラーはまさしく,民主主義が産みだした独裁者なのである。

 第1次大戦後のドイツは巨額の賠償金のため苦しんでおり,ドイツ経済は崩壊直前であった。世界恐慌に対しては世界中のどの政治家も1人として,なにをしていいか分からなかった。世界規模の不況は,歴史はじまって以来のことであった。

 ところが,そんななか,世界でただ1人例外がいた。それがヒトラーだった。ヒトラーはドイツ国民に対して,「ナチスならドイツを救うことができる」と断言した。そのナチスに庶民の期待が高まったのは当然といえば当然である。

 かくして,ヒトラーが1933年1月30日にドイツ首相に任命されたのち,独裁権力をえるために,なんども人民投票を実施した。ヒトラーもカエサルと同じように演説の天才である。ヒトラーの話を聞くと,ドイツの国民はみな興奮した。彼に任せておけば,ドイツはきっとよみがえる。こう信じた人が圧倒的に多かった。人民投票をおこなうたびにナチスとヒトラーの政権基盤はどんどん固まっていった。

 そうしてついにヒトラーは第3帝国の独裁者となることに成功した(以上,175頁より)
 
 −−第1次大戦後にドイツは手痛い敗北を喫したため,社会の権威はまったくなく,皇帝は逃げだすわ,宗教は力をうしなうわ,旧来の権威がすべて力をうしなってしまった。その結果,第1次大戦後のドイツは急性アノミー状態にあった。若者たちは愚連隊になって暴れまわるし,エロ・グロ・ナンセンスが流行するようになる。大人たちは無気力になって,そうした社会の無秩序を抑えることもできなくなり,経済はますます駄目になった。

 そこで現われてきたのが,オーストリア人のヒトラーである。彼は既成の権威をすべて否定し,ナチズムこそが権威であるとした。権威をうしなって久しかったドイツ人は老いも若きも,みな彼に飛びついた。

 精神分析学者のエーリッヒ・フロムは「父なき社会」がヒトラーを産んだといっているが,まさにヒトラーはドイツの父になった。だからこそ,彼を支持する人々があれほど現われたのである(以上,267-277頁より)

 

 ★3 理想のお父さんは慎太郎か?

 賢明なる読者のみなさん,ここまで説明すれば,筆者のいいたいことはすでに理解していただけるものと思う。

 以前,ある俳優が「理想のお父さん像」第1位という名誉ある評判をとったことがある。ところが最近は,その地位に一番ふさわしい人物に石原慎太郎が顔を出しており,マスコミや言論界もしばしばとりあげるので,ご当人もまんざらではないようすであり,もうすっかりその気になってい
る。

 かつて,スバルタ教育の必要性を書いた本を刊行したこともある石原慎太郎だから,早速,こういう題名を付けた著作を再び公表した。

 『いま魂の教育』(光文社,2001年3月30日初版)である。

 筆者は,20世紀前半に登場したヒトラーに,石原人気を匹敵させる考えなど,毛頭ない。石原をミニミニ版ヒトラーとしたゆえんである。スケールがあまりにもケタ違いである。もちろん,石原はとても矮小,ヒトラーは被害きわめて甚大。

 だが,このごろ日本は,経済は不調のまま,社会は不安だらけ,政治は小泉純チャン頼み,文化・伝統に自信がもてないなど,なにやら「ワラにもすがりたい」ような心理状態におかれている人々が数多く控えている。

 このように不安定,不満に満ち満ちた社会情勢である。なにかのきっかけでその吐け口がどこかにみつかるならば,そこにむけて一気に,カタルシス作用を求める暴流が発生しかねない。その意味では,石原慎太郎が「第三国人」差別発言をしたのはまさに,そのデマ〔=流言蜚語〕効果を意識的に煽ったというべきであり,非常に悪質な言動である。

 いまとなってわざわざ,石原慎太郎に『魂の教育』をしてもらわねばならないほど,現在日本の大衆意識が低水準であり,民主主義の成熟度も発展途上だとすれば,これはまことにうら悲しい状況である。

 むしろ,日本の大衆諸氏とくに,東京都民は次回の都知事選挙で〔もし再出馬するならこの〕石原慎太郎を落選させるべきである。そして逆に,石原の「魂を教育」すべきではないか。

 それがせめてもの都民意識の良識の発露であり,とりわけアジア諸国の人々に対して,日本市民意識の健全性を誇る絶好の機会とすべきではないだろうか。

 

 ★4 放言居士の面目

 毎日新聞をインターネットでのぞいていたら,石原慎太郎に関するつぎの記事が出ていた。

 石原慎太郎というわがままな人格・ぞんざいな人間性の持ち主が,いかほど身勝手な放言ばかりするか,この記事をとおしてさらに確認できる。ミニミニ版ヒトラーのゆえんが如実に表現されている。
 

 大橋巨泉氏:民主党から立候補を正式表明 参院選比例代表』
                        −2001.06.26 −

 元テレビタレントの大橋巨泉氏(67)が6月26日,米ロサンゼルスで民主党の菅直人幹事長と共同記者会見し,同党公認候補として参院選比例代表への立候補を正式表明した。会見は東京・大手町のKDDIホールでも衛星中継され,大橋氏は「小泉純一郎首相という過去をすべてあいまいにしてしまうような政治姿勢の持ち主に,無批判にフィーバーが起こるような政治状況にくぎを刺し,冷静な民主主義を取り戻したい」と語った ([毎日新聞 6月26日]2001-06-26-11:18 )。 


  石原都知事:大橋巨泉さんを批判 知名度だけの選挙は冒とく』
                        −2001.06.29−

  東京都の石原慎太郎知事は29日の会見で,参院選の比例代表で民主党からの出馬表明した大橋巨泉さんが,日本での選挙活動をほとんど行わないとしていることについて「どんな選挙であろうと,街頭に立って生の声で投票者に訴えるのが,政治家の仕事だと思う。外国に行っていて,自分の知名度だけで選挙するってのは,選挙に対する冒とくだと思う」と批判した。石原知事は1968年の参院選に当時の全国区から出馬し当選している([毎日新聞 6月29日]2001-06-29-20:05 )  

 こういう発言はふつう「天につばする」行為,あるいは「顧みて他をいう」たぐいの典型的な言動だといってよい。

  いったい,なにがおかしいかというとまず「街頭に立って生の声で投票者に訴えるのが,政治家の仕事だ」と批判するが,参議院比例代表区から立候補することになった大橋巨泉に対して,ずいぶん性急な非難である。石原のいつもの悪い癖が出ている。

  「生の声で投票者に訴える」ためには選挙で「街頭に立ってる」ことが絶対不可欠だといいたいのか?

 日本の選挙は街宣車を街に繰りしてやたらがなりたてる。ウルサイことこのうえない。もうすこし静かに運動できないものか,そういう印象を抱く人は,けっして筆者だけではないだろう。

 つぎに,石原慎太郎に特有である「自分と同じように人気のある・著名な」人物に対するはげしい嫉妬心がチラホラみえる。要するに,人気があってほしいのはただ自分1人だけ,ほかにそういう人がいてはこまるのである。実はこの自分も,30年以上まえ参議院全国区に立候補して「自分の知名度だけで選挙するって」ことで,上手に当選できたはずである。

 まさにその本質的な点で自分と同じか似たような路線で選挙をやる他者は許せない,とでもいうつもりか。

 −−なんといっても,自分が「大将,元帥,イヨッ 大統領!……」でいたいのが,この人。

 さらに,石原都知事の前任者であった青島幸男は,都知事選挙のとき街頭には立たない戦術をとって自宅に引きこもり,それでもみごとに当選した。青島都政の成果いかんを問うのはヤボなので,ここではとくに触れない。

 しかしながら,「街頭に立って」選挙活動したこともある慎太郎自身〔など〕を絶対的に正当化し,そのようにやらない候補者〔大橋巨泉や青島幸男など〕を,軽率かつ無邪気に「選挙に対する冒とく」などと断罪できる石原の勇気=無謀=「ことばの暴力」は,いやはや,さすがにたいしたものである。


 ちなみに青島幸男は,都知事在任中に実施されたある選挙のさい,こんどの参議院選挙で大橋巨泉が公認をうける〈民主党〉を支持,応援したことも付記しておく。

 

 ★5 出張中は石原慎太郎か都知事か

 石原慎太郎は,2001年6月に実施された都議選の最中,11日からガラパコス諸島に11日間出張した。この出張の目的・課題が不明ゆえ批判も提起されていた(『日本経済新聞』2001年6月1日「大機小機」欄参照)。特定の支持政党を基盤にもたない石原都知事とはいえ,たいそう不可解な行動であった。

 もっともそれは,「不可解な行動」であることにおいてなにか,特別の意味づけを周囲にアピールしつつ,もったいつけようとする,いいかえれば,凡人にはちょっと理解しがたい「石原一流のつもりのスノビズム〔俗物趣味〕」の発露かもしれない。

 また,東京都の石原慎太郎知事は,7月7日から3日間の日程で,副知事らとともに宮崎市へ出張する。みやざき臨海公園のオープン記念式典とヨットレースに参加するためだという。

 都港湾局によると,5月に招待を受け,6月末になって知事側から「行く方向で検討してほしい」といい,公費での出張が実現したという。

 石原知事は俳優の舘ひろしさんの船に乗る。「利用者の立場で施設やレースを視察する」というが,都職員からは「ヨット好きはわかるが,本当に視察なの? 」の声も出ている。(http://www.asahi.com/politics/update/0704/012.html.
   2001/07/04 22:52)

 都知事は,お江戸を自由気ままに経営できるつもり,超独裁ワンマン社長の気分である。それでいて,配下の眼に映る姿としては〈公私混同にしかみえない公務出張〉をする。東京都都知事の執務状況を監視する機関が必要である。知事も公務員であり,税金の禄を食む点で,一般の都職員となんらちがいはないはずである。この一線が石原の視線にはいっていない。


後日談】 東京都知事石原慎太郎は,宮崎市への出張中につぎのような言動をのこした

 東京都の石原慎太郎知事が出張先の宮崎市で報道陣の取材に立腹し,7月8日午前,残りの日程をすべてキャンセルして帰京した。

 石原知事は7日,宮崎県の招待を受け,公務出張扱いで宮崎市入り。県が宮崎港内に建設したマリーナや海水浴場などを視察した。予定では8日もマリーナのオープン記念ヨットレースに俳優の舘ひろしさん所有のヨットで参加,9日午前に帰京するはずだった。

 ところが7日夜,宮崎市内であったレース前夜祭に参加した後,報道陣から「公務出張でのヨットレース参加に疑問の声もあがっているが」との質問が出たことに立腹。知事は「私は(宮崎県が)来てくれというから来た。ついでにヨットに乗るのがどこが悪いんですか」などとまくしたてたあと「君ら(報道陣)が悪い。帰る」と吐き捨て,会場をあとにした。宮崎県などが慰留したが取り合わなかったという毎日新聞7月8日]01-07-08-13:28 )

 東京都の石原慎太郎知事が出張先の宮崎市で報道陣の取材に立腹し,7月8日午前,残りの日程をキャンセルして帰京した。招待した宮崎県側は「訳の分からぬまま帰ってしまった」と困惑顔だ。

 石原知事は7日,宮崎港(宮崎市)内のマリーナの完成記念式典に出席し,大型リゾート施設・シーガイアなどを視察。8日は記念のヨットレースに俳優,舘ひろしさんのヨットで参加し9日に帰京する予定だった。

 ところが7日夜,レース前夜祭に参加した後,報道陣から「公務出張でのヨットレース参加に批判も上がっている」と質問されたことに立腹。知事は「私は来てくれというから来た。ついでにヨットに乗るのがどこが悪いのか」などとまくしたてたあと「君ら(記者)が悪い。帰る」と吐き捨て会場を立ち去った。宮崎県側の説得にも応じなかったという。

 宮崎県は「マリーナのPRに」と招待。レース実行委も「ぜひレースにも出てほしい」と無料での出場を持ちかけ,石原知事も応じた。旅費は「視察など公務も含まれている」として東京都が出張扱いで負担した。

 宮崎県港湾課の石貫国郎・空港・ポートセールス対策監は「事情が十分分からないうちに(知事は)帰ってしまった」とぼうぜん。ヨットレースの日高耕平実行委員長は「知事の来県は宮崎のPRの絶好の機会だったのに。残念だ」と話している ([毎日新聞7月9日] 2001-07-09-11:46 )

 以上の言動にもみられる石原慎太郎の特性は,自分の気に食わない質問をひとつでもされるといきなりイキリ立ち,「このように自分を怒らせる他人が悪いのだ」文句をいいつのる反応〔→「君ら(報道陣)が悪い。帰る」〕によく出ている。これには,次段に言及するような男のヒステリー,いいかえると,オステリー症状》(関連事情は後述)がいちじるしい。

 こうした石原の行動パターンには,ワンマン独裁的に〈すべてのもの〉を仕切りらないと我慢ができない,彼のわがまま精神が投影されている。

 それでもやはり,石原自身,今回の「公務出張でのヨットレース参加に批判も上がっている」ことが気になっていた。それゆえ,その点をあらためて指摘されると,これへの彼流の「過剰反応」を一気に吹き出し,「ボクはもうおうちに帰る」といわしめたのである。

 宮崎県がわの担当者がかわいそうである。→「事情が十分分からないうちに(知事は)帰ってしまったとぼうぜん……」。

 筆者はこう感じる。石原の性格をあるていどしっていれば,それほど呆然とするような「石原慎太郎の光景」ではない,と。あれもこれも,なんでもかんでも,この人の年中行事的行動というか,いつものビョーキみたいというか「間欠熱の発症」なのだから……。

 【付 記】  なお,民主党の菅直人幹事長は7月6日の札幌市内での記者会見で,参院選比例区に同党公認で立つタレントの大橋巨泉氏が9日に帰国し,公示日の12日に東京都内で街頭演説することを明らかにした。大橋氏は仕事の都合で帰国せずに選挙に臨む予定だったが,党内外の批判を受けて方針を変更した,と報じられている。

 【補 記】 東京都の石原慎太郎知事が公費参加の是非をとわれ,宮崎市のヨットレース参加をとやめた問題で,レース実行委員会は7月18日,質問者が所属する宮崎放送への抗議声明を発表した『朝日新聞』2001年7月19日朝刊)

 【後 記】 その後わかった話である。石原慎太郎は宮崎市への公務出張に関して,ヨットレース参加は公務とは別日程であって,このレースに「〔ウッ?(筆者注記)〕を添えようと思って」参加を予定したもの,と説明していた。

 しかし,東京都の関係当局は,宮崎市への都知事出張は「自治体交流の一環で全日程が公務であった」と説明する。そうだとすると,都知事自身,宮崎を訪れた時点で出張目的が整理できていなかった,といわざるをえない(『毎日新聞』2001年8月12日朝刊参照)

 ところで,「全日程が公務出張」目的であったならば,途中で帰ってしまった都知事殿,その分の出張旅費は返還したのでしょうか。

 

 ★6 生物学に無知な人

 2001年7月1日日曜日のテレビ番組(テレビ朝日「サンデープロジェクト」)に出演した石原慎太郎は,外務省職員と対立している田中真紀子外務大臣を,こう表現した(『朝日新聞』2001年7月2日朝刊参照)

 a)「更年期じゃないの。もう年か。ちょっとヒステリックだよね」

 b)「劣性遺伝だよ。あれは……」

 a)に出た「更年期」とは,女性が成熟期から老年期へ移行する時期,あるいは閉経の前後数年をさし,ふつう40〜55歳ごろまでをいう。田中真紀子の生年月日は,昭和19=1944年1月14日であり,平均的に判断するともう「更年期」を終えた年齢の女性である。

 −−石原慎太郎が女性をつかまえて「更年期」だからと云々し〈非難・攻撃〉するやりかたは,二重の意味で,女性に対して深い差別意識を抱く「彼に特有の歪んだ精神病理」を表白するものである。

 ★女性はみな,更年期を迎える。このことは,女性という範疇に属する人間の生涯において不可避に生じる生理的・肉体的な必然現象である。したがって,これを材料にして特定の「女性を非難・攻撃する」言動は,まことに非人間的,卑劣な行為=差別そのものである。

 石原の口から放たれた表現はまさしく,女性を真正面より差別することばづかいであり,ひいては男性もふくめた人間全体すら,〔石原の表現に倣えば〕「冒涜(ボウトク)」するものである。

 「人間はその本人の意志や努力でどうにも変えられない出自によって差別されてはならない−−これは絶対的な真理です」(ことばと女を考える会編『国語辞典にみる女性差別』三一書房,1985年,227頁)
      
 この引用中で,女性にとっての「出自=差別されてはならない絶対的な真理」とは,生まれたときから体内に生物的・遺伝子的に仕組まれた生理構造:機能的な特性のことである。女性に対するる,骨髄まで浸潤した「石原の病」=「オンナを平然と差別するこのオトコの意識」は,救いがたいほど悪辣・固陋であり,無知蒙昧でもあることを教える。

 ★一般的に「ヒステリー」とは,女性がカッとなって泣いたりわめいたりする状態を思い浮かべる〔石原の認識はこのレベルだった〕が,この「ヒステリー」とは,身体的な欠陥はないのに,心に原因があって症状が出る病気の名で,心身症の一種のことである。
 
 最近もなお現役の小説家として長編小説を書いたと聞く石原慎太郎である。それにしては,この「ヒステリック」なる表現をもって田中真紀子批判を繰りだすとは,ずいぶん無理解,粗忽,乱暴である。

 b)に出た「劣性遺伝」を,生物学的に正確にいうと,こうなる。

 ★「対立する形質をもつ両親の交配で,子に現われる形質に対して現われない形質をいう」

 真紀子批判に急なあまり慎太郎は,「劣性遺伝」の本質的理解およびその用法を常識的・素人的にとりちがえるどころが,根本的・意図的にすりかえる見解を披露した。恥ずかしいかぎりである。

 石原は自分を称して「一流の小説家だ」と自慢してきた。小説家という人のなかには,それほどに無知で愚かな者もいるのか。それも,一流と自称する人士にかぎってそういういい加減な論法が許されるとでもいうのか。

 前述のように,「劣性遺伝」とは「現われない形質」のことであった。

 なお,そのうち「劣性」とは,遺伝する形質で,雑種1代には現われず,潜在して子孫に現われる形質のことをいう〔以上,日本語辞典にたいてい出ている説明である〕

 ここで注意すべきは,「劣性」ということばをめぐって,勝手な誤解をしないことである。

 だから,生物遺伝学的にこの世においてもともと「〔真紀〕子には現われない〈劣性遺伝」の現象のことなのに,わざわざこれをもってする田中真紀子批判」は,完全に「的を外した」「砂上の楼閣」的な論評である。

 百歩ゆずって仮に,石原の俗流的な妄論がまぐれで正鵠を射たとしたら,田中真紀子外相に日本の外交はとても任せられないはずであり,小泉純一郎首相の重大なミスキャストだということになる。

 いずれにせよ,石原慎太郎都知事が田中真紀子外相にむけて放った「更年期・ヒステリックだ」「あれは劣性遺伝の子」というような「論評」は,一言でいって,素人的・感情的な中傷・非難であり,それこそ,聞くに堪えない口汚い「口撃」である。

 あらためてここで,石原自身の口汚さと品位のなさが立証される。

 繰りかえそう。つづく段落にも出てくるが,もとより,父親〔田中角栄〕を勝手に「人たらし」だと決めつけたうえで〔それは本当のところ〈金力〉ではなかったか? 実は国会議員時代の石原慎太郎にいちばん欠けていたものでもあった〕,その娘:真紀子にそれが欠けることをとらえ劣性遺伝だとすりかえて表現した慎太郎の口調が,まったくデタラメな比喩なのである。

 一時的結論石原に対して,つぎのようにいってよい。
 

 ・もう か。 ちょっと オス テリックだ よね !
 
 ・悪の 優性遺伝 だよ。あ・れ・は…… 



 −−以上の論旨に関して,より公平を期するためには,田中真紀子外相の個性なり資質なりをしることも必要である。すでに,総合雑誌や単行本は,彼女のことを面白おかしく書いているが,筆者は,つぎを紹介しておきたい。

 上杉 隆〔ニューヨークタイムズ東京支局取材記者〕執筆 「淋しき伏魔殿の女王」『文藝春秋』2001年8月号,128-136頁に掲載。

  −−前々段の内容を筆者が書きこんでから4,5日経ってからみた,毎日新聞(インターネットの記事)は,このたびにおける石原慎太郎の発言を,こう報じていた。

  石原都知事:田中外相を不穏当な表現で批判 テレビ番組で』
                  2001.07.01−

 東京都の石原慎太郎知事は1日,テレビ朝日の番組で,外務官僚との対立が続く田中真紀子外相について「更年期(障害)じゃないの。ちょっとヒステリックだよね」と不穏当な表現で批判した。さらに「おやじ(故田中角栄元首相)は人たらしの天才だったけど,(外相は)劣性遺伝だね」と述べた。

 また石原知事は,小泉純一郎首相から「抵抗は自民党のなかからある。予算編成がうまくいかなかったら,次の国会で(解散を)やる」と聞かされたことを紹介し,「秋口に下手をすれば解散はある」と述べた([毎日新聞7月1日]2001-07-01-21:49 )

 石原慎太郎というこの人物,あまりにも調子に乗りすぎ,いいたい放題も度を越している。

 今回の石原放言はとくに,人間存在・人格性の根源,その人類普遍的な次元・真理にむけて,露骨な侮蔑感や無教養な差別観をあけすけに吐いている。これは,まったく許しがたい傲慢・僣越・脱線であり,〔石原流にいうなら〕他者に対する完全な「冒とく」である。

 以前より筆者が指摘してきたことだが,石原慎太郎の諸言動に対する各報道機関の筆鋒は,毎日新聞もふくめて〈へっぴり腰〉もいいところである。

 今回の発言は,マスコミ・言論方面のとりあつかいかたいかんによっては,この都知事にとって命取りとなりうるべき〈重大・深刻な・逸脱した中身だ〉と,筆者はうけとめている。

 というのは,上記の石原放言は「不穏当な表現」とだけ批判して済まされるような性格の問題ではないからである。

 しかしながら,どうやら日本の言論界においては,「社会の木鐸」たる役目をまっとうにはたせるマスコミ・報道機関など,皆無らしい。


 ◎ 2001年7月7日の新聞に,こういう記事が出た(『朝日新聞』2001年7月7日朝刊)

 『「外相はヒステリー」「女性蔑視」石原知事に抗議』

 石原慎太郎・東京都知事が1日のテレビ番組で,田中真紀子外相について「更年期障害じゃないの。ヒステリックだ」などと発言したことに対し,大学教授らが「女性べっ視的な態度で看過できない」として,石原知事に発言の撤回と謝罪を求める申入書を4日付で送った。

 石原知事はテレビ朝日「サンデープロジェクト」と「スクープ21」でそれぞれ,田中外相と外務省との対立問題について質問され,こたえた。これに対し,岩本美砂子・三重大教授や名古屋市の北村明美弁護士が申入書で「性的な内容で相手を誹謗(ひぼう)することは明らかなセクシュアル・ハラスメント」などと訴えた。

 同社広報部は「発言は不適切な表現で,サンデープロジェクトではキャスターが番組中におわびした」と話している。

 番組中で石原慎太郎のその不適切な表現を関係者が代わっておわびしたというが,いったい,なにを,誰におわびしたのかわかりにくい対応である。生番組でこの勝手な男:石原慎太郎が気ままに放言する行為に対して,事前にきちんとフタをしえないのであれば,そのおわびは無意味である。

 筆者もみているが,テレビに出演する石原慎太郎の姿勢,発言するさいのその間合いは,きわめてわがままなものであって,不規則発言も多い。要するにこの人,増長し,のぼせ上がり,いい気になりすぎている。

 この日本においてまともな見識をもち,事態を正確に把握できているのは「オレ」だけだ,とする慢心の雰囲気がみなぎっている。その高慢さに反感がもたれて当然である。ましてや,上記のような女性誹謗・セクシャルハラスメントをくりだすのであれば,なにをかいわんやである。

 石原慎太郎が根っからの女性差別観の持ち主であり,女性一般に対して強い蔑視的な態度を保持する事実について,筆者はすでにほかのページでも批判してきたところである。


  ◎ 2001年7月19日の出来事として新聞報道は,こういう内容の記事を伝えていた(『朝日新聞』2001年7月20日朝刊)

 −−国連の人種差別撤廃委員会による日本政府への勧告に関連して,国連NGO(非政府組織)の反差別国際連動日本委員会武者小路公秀理事長〕は,以下の3点を求める要望書を田中真紀子外相あて提出した。

・差別禁止法は表現の自由と両立するもので,早急に制定すべきこと。

・被害者が国連機関に直接訴えられる個人通報制度を受諾すべきこと。

石原慎太郎東京都知事「三国人」発言が人種差別撤廃条約違反であることを認めて対処すること。

 2002年12月21日の新聞に,こういう記事が出た(『朝日新聞』2002年12月21日朝刊)

 石原知事の「ババア発言」 女性119人が謝罪求め提訴

 2002年12月20日,石原慎太郎東京都知事が雑誌のインタビューなどで女性に差別的な発言をし,精神的被害をうけたとして,東京都内に居住・勤務する20〜70台の女性119人が,石原知事を相手に謝罪広告と慰謝料計1309万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。

  訴状によると,原告がとくに問題にしたのは,「週刊女性」(01年11月6日号)に掲載された発言である。石原知事は,学者の言葉を引用しながら「『文明がもたらした最もあしき有害なものはババア』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です』って」と述べた。

 原告らは,この発言について「女性の生きる価値を生殖機能に収斂(しゅうれん)させる言葉の暴力であり,高齢,子供のいない女性らの社会的名誉を傷つけた」と主張している。

 原告でNGO(非政府組織)「北京JAC」事務局長の永井喜子さん(67歳)は,記者会見で,「女性政策の後退につながりかねず,見逃せない」と話した。

  −−この謝罪要求訴訟をしったある女性(32歳,医師)は,石原慎太郎に対して,「今回の発言をきちんと謝罪して,訂正くださることを望みます」と,新聞投書欄において訴えていた『朝日新聞』2002年12月24日朝刊「声」)

  この男,なんでもいいたい放題,勝手気まま・無礼・不躾はきわまっている。とりわけ,「人間全般および女性全員」に対して放ちつづける〈差別の発言〉は,とうてい許しがたい『差別主義者』の言説である。

  もちろん,品位‐品性も基本的に欠いており,その人間性を疑わせるほかない破廉恥な言動にことかかない。いつ,東京都民は「こんなヒドイ男」を都の「顔」に選んだのか。

  それにしてもこの男,下劣・狷介さばかりめだつ。もう一度いおう。いったい誰が,「民主的な選挙」をとおして,こんなにも低劣で野卑な男:「自分(慎太郎以外すべてに対する)人間差別主義者」を,大東京の知事=代表に送りだしたのか?

 

 

 ★7 最近の執筆状況

 東京都知事石原慎太郎の2000年所得額は,公的年金もうけた所得総額で約3478万円だった。その内訳は知事給与が2278万円,著述業などとしての所得が1071万円,公的年金が129万円(千円以下は切り捨て)。

 石原知事は知事就任日の記者会見で,ボーナスの50%,給料の10%カットを宣言し,条例改正の専決処分をした。これにともなう減収分は年間約700万円にのぼる。

 しかし,作家知事だけであって知事就任後の著作だけでも,「弟」「法華経を生きる」「亡国の徒に問う」など10冊以上ある。月刊誌などの連載も抱える精力的な執筆ぶりで,減収分を上回る印税や原稿料などの所得があった(『朝日新聞』2001年7月2日夕刊)

 −−筆者はこんなホームページで石原慎太郎「論」を批判的に展開しているからその責任上,彼の著作〔小説は除外〕すべて目をとおすことにしている。東京都知事という激務をこなしながらも「精力的な執筆ぶり」なのはいいけれども,肝心の本業のほうがお留守にならないか,他人事へのお節介だが,若干心配するしだいである。

 もっとも,独裁主義行政手腕の発揮を得意とする都知事だから,精力的にマルティ活動の余地を都合することも可能と拝察する。しかし,やはりというべきか,いい加減な作品も出現させている。

 石原慎太郎『生きるという航海』
    (海竜社,平成13〔2001〕年4月14日初版)

という著作は,5月24日で早くも第5刷を数えていた。だが,本書の中身は石原がこれまで公表した諸著作の〈抜き書き〉集である。ずばりいって,こんな本を「買って損した気分」。

 同書「はじめに−『私』の人生の索引」で石原は,こう述べている。「これ1冊で私という人間を理解出来たと思われても困ります。人間の人生なんてそんな簡単なものじゃないのだから」。

 石原『生きるという航海』の内容は,善くいえば,「既作のオムニバス〔寄せ集め:拾い読み〕」であり,悪くいえば,人を小馬鹿にした「印税稼ぎのための駄作」である。筆者のばあい,石原のご高説〔お説教集〕など,耳にタコができるほどに聞き飽きているから,もうウンザリ……。

 それでも,実際に読んでみないと批判もできないから,この商売の辛いところである。

 

 ★8 フジモリ問題〔1〕

 さて,『日本経済新聞』2001年7月5日は,石原慎太郎に関連する,つぎの記事を載せていた。

 ペルーのフジモリ前大統領の義弟で日本の滞在中にビクトル・アリトミ前駐日大使について,ペルー当局が国際刑事警察機構(ICPO)に国際手配を要請した件で,日本がわは4日,アリトミ氏のペルーへの送還は現時点では困難との立場をしめした。

 日本国警察庁は,「国内法に違反していないかぎり身柄は拘束できない」という原則を確認した。外務省も一般論として,「ICPONOの手配に強制力はなく,逮捕まではできない」としている。日本とペルーは犯罪人引渡し条約をむすんでいない。

 アリトミ氏はフジモリ氏の実妹の夫。フジモリ大統領就任にともなって駐日大使となり,罷免とともに昨年11月,辞任。その後は東京都内の石原慎太郎氏の事務所を借りてフジモリ氏を補佐していたが,最近は人前に出ていない。

 −−2000年11月まで9年半もの長期間駐日ペルー大使を勤めたアリトミ氏は,辞任後も日本にそのまま在留している。そして,この人物の日本滞在に手助けをしていたのが石原慎太郎〔事務所〕であった。そういう事情が判明したのである。

 アリトミ氏がフジモリ前大統領と同じように,日本国籍を放棄せずに保持している人物がどうか確認できないが,2000年4月に放たれた石原慎太郎の「〔第〕三国人」発言が「不法に滞在している三国人が多くの凶悪犯罪を犯している」と,煽動的な妄言を放ったことと考え合わせるに,ずいぶん奇妙な印象,つまり首尾一貫しない石原の行為がそこにあるという感じを抱かせる。

 前駐日ペルー大使のアリトミ氏も,また前ペルー大統領フジモリ氏もいまでは,ペルー国と日本国にとって「第三国」人的な存在であるかにみえる。だが,石原慎太郎事務所および日本の関係当局にとっては必ずしもそうではなく,身内意識が非常に強いようにも映る。

 「より濃い」ということか?
 
 だが以前,ペルーの大統領になったフジモリ氏は,自分のこと〔アイデンティティ〕を日本人に問われたとき,母国語のスペイン語でもって,こう答えたのではなかったか。

 「は,日本人ではなく,ペルー人である」と。

 いうなれば当時,ペルーのプレジデントまでなったフジモリ氏は,そうまでいってのけて,自分を育ててくれた国の〈水〉に親しみ,なじんでいた事実・感覚を披露したのである。ところが,いまや〈血〉のつながりのなかに逃げこみ,かくまわれ,庇護された状況にある。しかも,義弟も同伴である。

 ともかく現在,フジモリ氏もアリトミ氏もペルーから重大な国家的犯罪容疑者だと糾弾され,国際手配もされて身柄の引渡しを要求されている。筆者は,そういうことで〈なにか変ですな〉と感想を申している。しかも,この変な点に石原慎太郎〔事務所〕がからんでいたのである。だから,
 
 「なにかすごく,余計に変ですな」!

というふうに,ここでは結論しておく。


 −−なお,フジモリ氏の日本滞在にさいして最初に逗留先〔退避所〕を提唱したのは,作家の三浦朱門の配偶者で,やはり作家の曾野綾子である。単純な極論となるが,石原と曽野:三浦とは同類‐同種‐同属である。

 フジモリは,……モンテシノス〔フジモリの院政をしき,賄賂問題の暴露された人物〕について捜査を命じながら,2000年11月13日にはアジア太平洋経済協力会議への出席を口実にブルネイへと出発し,会議後はなぜか16日にマレーシアに立ち寄って,自分が所有するパナマ企業2社の株をシンガポール証券取引所で売却したのち東京にむかったとされている。

 その後,フジモリは新議長あてに大統領職の辞表を送付し,帰国しないという,奇怪きわまりない,国家元首として恥ずべき行動をとった(広瀬 隆『アメリカの巨大軍需産業』集英社新書,2001年,237頁)

 ペルーのフジモリ前政権による汚職事件を担当しているウガス特別捜査官は,2001年7月6日,地元ラジオとのインタービューで「フジモリ前大統領が国庫から数百万ドルを引き出していたという明白な証拠がある」と述べた。

 同捜査官は,日本政府あてにフジモリ大統領の不正蓄財に関する情報提供を求める文書を送付したものの,返答がなかったことも明らかにした(『日本経済新聞』2001年7月8日)

 2001年7月11日のペルーRPPラジオによると,フジモリ前政権への日本からの寄付金をめぐる疑惑で,フジモリ氏はマキアベロ駐日ペルー大使と元夫人のスサナ・ヒグチ国会議員に対し,寄付金の入金先とされる東京三菱銀行の口座を調べる権利を与える文書を送った。

 前大統領は「口座の調査に全面的に協力する」と表明した(『朝日新聞』2001年7月13日朝刊)

 なにゆえ,石原慎太郎〔事務所〕は,フジモリ・ペルー前大統領と一定のかかわりをもつのか? 

 そこになにか不可解な点を感じとる。世界有数の大都市 Tokyo の首長を勤める公的な人物が,どうして渦中の人物たち,すなわちフジモリ氏,とくにその義弟と今回のような関係を保っているのか。このことは,市井の人々に明確に説明する義務がある。

 やはり,ほかの日本人作家〔夫婦〕が,日本に入国し滞在中のフジモリ前大統領〔この人は二重国籍をもつ〕の面倒をみてきたが,どういう事情があってそういう待遇をおこなってきたのか,日本社会に対してその理由を明かさないのは,考えてみればこれも不可解なことである。

 フジモリ前大統領はいまも,単なる私人ではない。日本に入国したときはペルー国の大統領としてきたのである。しかも,日本滞在中にペルー大統領を辞任するという,きわめて不思議な行動をとっている。このような軌跡をのこした人物に対して,なんの疑念も抱かず,すこしも関心もむけない,というわけにはいかない。


 2001年7月18日朝のラジオ・ニュース(NHK)は,前ペルー大統領フジモリ氏の義弟で前駐日ペルー大使だったアリトミ氏の日本国籍帰化申請が認められた,と報じた。日本政府はこれをもって,ペルー政府からその要求があったアリトミ氏の身柄引き渡しには応じない,という。

 アリトミ氏が日系ペルー人〈何世〉に相当するかはわからないけれども,日本政府のやりかたはずいぶん「えこひいき」である。アリトミ氏の帰化「日本国籍」付与は,いったいどのような認定基準でなされたのか。日本政府のその措置にまとわりつく主観性・恣意性を,外部に納得的に弁解することは非常に困難である。

 フジモリ氏は,日本政府が法務省の方針として認めていない「二重国籍」保有者であった。本来,フジモリ氏はペルー国籍保有者であるから,日本政府当局の行政実務にしたがえば,すでに日本国籍を放棄していなければならなかった。それにもかかわらず,国際政治関係において醜聞〔スキャンダル〕がらみで渦中の人物となった彼らに,いまあえて,そのように身内意識が濃厚と判断される特別な待遇を与えるやりかたは,けっして懸命なものではない。

  なお,関係者の話によると,アリトミ氏はペルーと日本の二重国籍の保有者であった。だが1991年駐日大使になり,同時期に日本国籍を離脱した。昨〔2000〕年11月に大使を辞任したのち,日本国籍の取得を申請していた(この段落は『朝日新聞』2001年7月18日夕刊参照)

 福田康夫官房長官は,7月18日の記者会見で,日本政府がフジモリ前ペルー大統領の義弟であるアリトミ前駐日大使の帰化を認めたことについて「国籍法にしたがって適正に処理したものだ」と強調した。帰化申請から決定までの期間が通常にくらべて短いことから,ペルー政府からの身柄引き渡し要求をかわすのが狙いではないかとのみかたが出ていることに関しては,「特別に理由はない」と否定した(『日本経済新聞』2001年7月19日)

 以上の日本政府による措置に対してペルー政府関係者〔フジモリ前大統領時代の人権侵害を調査する国会委員会のエストラダ委員長は,「日本の名声は危機におちいった」と発言した。ペルーでは,前大統領につづき,公金横領容疑をもたれている前大使をかばった,とのみかたが広まっている。

 ペルーでフジモリ前大統領の引渡しを日本に求める動きが急である。買収や脅迫の容疑で勾留中のモンテシノス元国家情報部顧問が,前大統領との〈共謀〉を証言した。トレド次期大統領は,日本がわに「譲歩しない」と宣言した。日本政府がアリトミ前駐日大使の日本国籍取得を認めたことで,前政権の「腐敗隠し」に協力しているという批判が高まりそうだと観測されている(『朝日新聞』2001年7月19日朝刊)

 

 ★9 フジモリ問題〔2〕

 雑誌『世界』2001年8月号は,「〈ホット・アングル〉ペルー・トレド新政権とフジモリ問題」で,フジモリ前ペルー大統領問題をこう論じている。

 トレドは決戦投票の結果が判明するや,7月28日に予定されている大統領就任式のまえに訪日したいとの意向を表明した。日本政府に対して経済支援の継続を要請するとともに,フジモリ前大統領のペルー引き渡しにむけ,協力を求めたいと述べた。ペルー国民の多くは,フジモリ支持派も反フジモリ派も,フジモリが帰国して説明責任をはたすことを望んでいる。

 フジモリは,以下のような多くの犯罪容疑で告発されている。

 1) 1992年4月5日の「自主クーデター」による民主主義の破壊

 2) 職務放棄

 3) 国連に提供した軍用ヘリコプターの契約料横領疑惑

 4) 政治的影響力の不当行使

 5) モンテシノス夫人宅への不法家宅捜査(証拠品隠滅疑惑)

 6) MIG29戦闘機の購入時の,モンテシノスによる不正手数料取得に関する共謀疑惑

 7) 米州人権委員会から再審を提言された,陸軍情報部隊による超法規的殺害事件である「カントゥータ事件」と「バリオス・アルトス事件」の直接責任容疑

 8) 日本大使公邸占拠事件の武力決着におけるMRTA(トゥパク・アマル革命運動)メンバーの超法規的殺害容疑

 9) 不正蓄財疑惑

 −−日本において一部の政治家や財界人などがフジモリを庇護していることを,ペルーの国民は批判的にみている。

 6月23日のヴェネズエラ当局によるモンテシノスの身柄拘束,そして25日のペルーがわへの引き渡しを経て,ペルーにおいてフジモリ追及が加速することが予想される。一方で,日本政府はフジモリの日本国籍を確認したとして,国内法にもとづき彼をペルーに引き渡さないと主張している。

 狭いナショナリズムに依拠した外交を展開する日本政府の,国際感覚が問われている。

 −−『朝日新聞』2003年3月11日朝刊は,こう報じていた。

 ペルーからの報道によると,国際刑事警察機構(ICPO)は,3月9日までに,アルベルト・フジモリ元ペルー大統領を住民虐殺の容疑で,国際手配する手続をとった。フジモリ氏は日本に滞在し,ペルー政府は身柄引渡を求めているが,日本政府は日本国籍所有者などを理由に応じていない。

 日本国の国籍政策は「二重国籍」を認めない方針である。だが,この方針を無視するかたちで日本国籍ももっていたフジモリ氏をかくまっている。日本政府に対して,またフジモリ個人に対しても「?」を突きつける余地がある。


 本ホームページの筆者のごとき在日外国人〔→韓国籍だが,日本で生まれ育ってきた者,税金をはじめあらゆる義務を日本国籍人と同様にはたしており,かつはたしつつある人間。だから「特別永住」という在留上の権利をいただいているが,そんな権利を特別という点におおきな疑念をいだく〕にとって,日本政府〔および当局〕がフジモリ氏やアリトミ氏の国籍問題発生にさいして与えた処遇は,それこそ法外かつ論外であって,目玉が飛びでるくらい驚く,格別にものすごい超法規的措置というほかない。

 ペルーが日本の援助をうけなければならない立場であることをみすかし,なめたきったような,いいかえれば,外交上において明らかに自国より弱い状況におかれている国に対する日本の傲慢な姿勢が,フジモリ問題をとおして透視できる。

 今回,日本政府のペルー政府に対する外交的な対応は,21世紀にむけた世界政治のなかで日本が今後,リーダーシップを採れるかどうかに関して,試金石を当てられたも同然である。

 日本に滞在中のフジモリ・ペルー前大統領は,2001年7月26日,ホームページを立ち上げた。フジモリ氏は,自身にかけられている疑惑に反論した。政府とメディアによる政治的迫害の犠牲者だと訴えている。トレド次期大統領の就任式を2日後に控えて,反論に転じたのである。

 ホームページのなかでのフジモリ氏はあいからず強気。対外債務の削減や左翼ゲリラ弾圧,インフレ制圧といった,大統領時代の業績をテロップで流し,自画自賛している(『朝日新聞』2001年7月27日朝刊)
 
 ★同上のホームページは,下記のアドレスでみることができる。ただし,使用言語はスペイン語。日本語版も掲示すべきではないか? ペルーにはもう帰らない人なのか? 都合悪くなったら日本人にもどれるとは,たいへん便利な二重国籍である。
 
 http://www.fujimorialberto.com  題名は“Desde Tokyo”〔「東京より」〕 

 インターネットの世界はとかく,この種の一方通行的な言論〔発言〕形態になりやすい〔この点は自戒をこめての印象である〕。


 さて,中央大学法学部の憲法学者長尾一紘は,「『渦』に直面するとき,在日外国人は自由に母国に帰って難を避けることができる」との判断をしめした。そこに指摘される在日外国人とは,数世代にわたって日本に居住してきている「韓国・朝鮮人」を念頭においていた。だが,長尾はこれら〈外国籍〉人には参政権を付与すべきではないという議論を展開するのである(長尾一紘『外国人の参政権』世界思想社,2000年,140頁ほか参照)

 フジモリ・アルベルト氏は,日本在住もしばらく経過したから,〔2001年〕7月29日投票日の参議院選挙に一票を投じる権利を与えられているだろう。彼は,在日外国人2世・3世などがもっていない参政権を,いきなり手にすることができた。

 ※ 在日外国〔韓国・朝鮮〕人=日本における居住実績を実質的にどのくらい評価するのか。  →実質無視で形式重視の処遇
 ※ フジモリ・アルベルト氏  =ベルーにおける居住経歴をどのようにうけとめるのか  →形式重視で実質無視の厚遇

 フジモリ・アルベルト氏のような国籍間にまたがる行動は,21世紀における「外国人の政治参加を憲法上の可能性と限界に関して検証する」長尾先生の学問に対して,きわめてきわどい事例を突きつけたものではないか。

 日本社会とのつながりでみると,在日外国人2世・3世以下とフジモリさんとでは,いったいどちらが「現実的であり実体的であった」か〔過去‐現在について〕,あるいは「ありうる」か〔未来について〕。

 とくに,「在日外国人2世・3世以下」をとらえ,「在日外国人は自由に母国に帰って難を避けることができる」と断定した「長尾の議論」は,噴飯ものである。現実をしらない学者の空論である。

 もっと事実を正確に踏まえ,まともな〈議論〉をしてほしかった。伝統と実績のある中央大学の法学部のことなのであるが,最近は教員の学的水準がだいぶ落ちてきたように映るのは残念……。

 実は,スタートラインが完全にちがう両範疇:『在日外国人2世・3世以下とフジモリさん』をただちにならべて比較する「筆者の論法」じたい,問題の設定方法に関して〈おかしいもの〉がふくまれていた。したがって,それらをもって,いかほど意味ある議論ができるのか枠組の有効性において疑問もあった。だが,あえて両範疇を俎上に乗せ記述してみた。

 とはいえ,ペルー社会のなかでフジモリ氏が構築してきた経歴問題と,在日する外国人たちの生活実績とを歴史的,文化的に比較することは,有意義たりうる。ただ,最近までごく短期間だけ日本に滞在・居住するフジモリ氏と在日たちの存在とをくらべるに,これは一面では,まちがいなく異相の課題ではありながら,他面ではまた,なんらかの意味において近接する要素もあるのである。

 それなのに,このフジモリ氏には〔ともかく日本国籍をもつ人だから〕無条件で参政権があるという事象は,いかにもうさん臭い法的な待遇のしかたではないか。この人はいまやすでに,日本の〈民主主義〉を構成する一員だというわけである。

 しかし,この議論は逆立ちしている。こういうことである。

 a) 中大教授長尾一紘は,日本国有事のさい「在日外国人は自由に母国に帰って難を避けることができる」といったが,これは「実際においてはそれこそ高度に非現実的な仮定」である。

 b) それでも,そうした「非現実的な仮定」にもとづきつつ「〈日本に居住する外国籍人〉には参政権を付与すべきではない」という排外主義の考えかたを,長尾はしめしたのである。

 c) 結局,「在日外国人:日本に長く居住する外国籍人:定住外国人」を「日本の〈民主主義〉を構成する一員とすべきではない」という長尾の「立論」は,無理を承知でなければまちがいなく,「学者らしくない一定の予断」と「好悪の感情に類する特定の価値観」を露出させている。

 長尾はどこまでも「仮想的に論断」したのである。日本国有事のさい在日外国〔韓国・朝鮮〕人は,「フジモリ氏がペルーを逃げ出したように,この日本から母国に逃げ帰る」と決めつけた。この発想そのものが現実離れなのである。

 長尾の主張は,在日外国人がこれまで営々と築きあげてきた歴史的蓄積とその生活実態を完全に無視している。それは,まず社会科学的な考察を用意も媒介もせず,つぎに法学的に基本的な検討を欠き,なによりも最低限必要な実証的根拠さえ欠いた議論を展開していた。一言でいって,学術書のなかで学問的根拠を挙証しえない〈独断偏見〉を披露していた。

 要するに,〈日本の〉民主主義を構成する人々〔民草〕としてみるさい,他国の大統領だった日本〔とペルーとの二重〕国籍人フジモリ氏よりも,在日1世の時代からこの地に住みつづけている2・3世以下の外国籍人のほうが,参政権を保持しうる適格性をより高度にかつ実質的に保持している。

 在日外国人の参政権問題は,戦前‐戦中‐戦後における関連事情を専門的立場より克明に考察したうえで議論すべきものである。ここでは,その歴史的経緯に触れることはできない。けれども,当該の論点に関して,過去のいきさつをあまりにも無視するだけでなく,現状についてすらろくにしらずに「素人的な思い」を吐く法学者〔憲法学者〕がいたのである。

 専門外の人間ではあっても筆者は,在日外国人の参政権問題〔など〕については,学問的な関与を少なからずおこなってきた。それゆえ,その憲法学者による「とうていまともな議論とはいえない浅薄な暴論〔というよりも論〕」に対しては,できる範囲内での批判をくわえてみたしだいである。


 −−フジモリ氏は依然,ペルー国籍も保有している。日本政府に対して,ペルー政府がアルベルト・フジモリ(フジモリ・アルベルトではなく)を送還せよ〔引き渡せ〕,と要請する根拠である。

 日本政府は「形式と実質」のどちらをとるのか。在日外国人たちには,形式を逆手にとって実質をないがしろにするが,フジモリ問題では,形式を活用〔悪用〕して実質を捏造しつつある。こういう使い分けというか「嘘も方便」というべき作法は,周囲の人々に義憤の気持を喚起させるに十分な不合理・不誠実である。



 
アルベルト・フジモリの母ムツエさんは,病気療養のため2001年4月ごろから日本に滞在しているという
(『朝日新聞』2001年8月1日夕刊)。
 

  『日本経済新聞』2003年1月12日は,こういう特集記事を載せた。

  日本大使館公邸人質事件からほぼ4年が経過した2000年11月,その人質事件よりも数倍おおきな衝撃が,ペルーの日系人社会を襲った。フジモリ大統領の突然の辞任表明である。

  フジモリ大統領はそのため国会で罷免されたうえ,職務放棄などの罪で訴追された。しかも,帰国せずに日本で暮らすことには当然,批判も噴出した。そして,攻撃の矛先は,ペルーの日系人らにも容赦なく向けられた。

  「第2次世界大戦前の排日運動に次ぐ日系人への試練だった」。

  「フジモリ時代」はその後そのように,ペルー国における日系人らの人生をひどく翻弄したのである。だが,日系人らの声をしってかしらずかフジモリ氏は,3年後の次期大統領戦況への出馬を宣言し,復権に向けた準備をしている。

  −−いまとなってみれば,フジモリ・ペルー元大統領の辞任とそれ以後における行動軌跡は,関係者や周囲に対しては,はた迷惑もいいところであった。

  それは,はっきりいって自分勝手,手前勝手,我利我欲丸出し,破廉恥,厚顔無恥そのものだった。そもそも,日本人としての誇り,古き良き時代の「武士の魂」は,あったのか。それは,いったいどこへ消えていってしまったのか?

  またフジモリ氏には,ペルー人としての誇りが本当にあったのか?  彼はかつて,ペルー人である自分の立場を,自信をもって高唱していたけれども,それもただ単に,ペルー国大統領の地位にこだわるがゆえ,だけのことであったのか?

  もっとも,日本〔←たしか母国?……だったけ,〕に逃げてきたそんな〈ミジメナ〉元大統領を,かわいい身内だとみなし,一生懸命かばっていたこの国の「愚かな有名作家たち」もいた。この作家たち,どのような「気持」でフジモリ氏を援助してきたのか?  その気がしれない。

 

 ★10 フジモリ問題〔3〕

  「援助」ということばが出てきたところで,古森義久『「ODA」再考』(PHP研究所,2002年)という著作が,セニョール・フジモりの祖国〔だった〕ペルーに言及している1節を紹介しよう。

  ちなみに,ペルーへの近年のODA実績をみると,フジモリ政権が登場した初年度の1991年には,それまで毎年平均20億円ほどだった日本のODAは一挙に615億円と,異様な急増を記録している。それ以降も,フジモリ政権に対して年間600億円,500億円という高額が与えられた。

  しかも,その内容がフジモリ政権に直接,資金を提供する「対外債務繰り延べ」とか「金融セクター調整」という名目の形式が圧倒的に多い。大型の資金が政権にそっくりわたされているのである。

  住民の福祉に直接,役立つ草の根タイプの福祉の無償プロジェクト援助はきわめてすくない。政権のパワーや資金力を強めるタイプの援助ばかりなのである。これでは,テロリストの講義にも3分の利ということになりかねない(同書,209-210頁)

  この元大統領,結局「祖国の国政」に失敗したあげく,母国の日本に逃げこんできた。しかし,さすが日本はフジモリ君の「母国」である。任期中途で職務を放擲し,逃亡してきた「無責任な《日系ペルー人》の大統領」を,亡命者として温かく迎えいれた。

 −−2003年5月29日の新聞は,「フジモリ元大統領を聴取 ペルー政府要請で東京地検」という見出しで,こう報道した。  

 東京地検は2003年5月28日,国際捜査共助法にもとづくペルー政府からの協力要請をうけ,アルベルト・フジモリ元ペルー大統領から事情を聴いた。

 ペルー軍特殊部隊が民間人15人を左翼ゲリラの協力者などとまちがえて殺した1991年の事件で,フジモリ元大統領は指揮命令を出していたとして国際手配をうけている。同地検は,こうした容疑などについて広範囲に説明を求めたとみられる。

 ペルー政府はフジモリ氏の身柄引き渡しも求めているが,日本政府はフジモリ氏が日本国籍をもっていることなどを理由に応じておらず,今後も実現する可能性はないという。

 フジモリ氏は2000年11月,外遊中に来日して辞表を国会議長に送付した。その後,ペルー国会に罷免され,そのまま日本に滞在している。

 http://www.asahi.com/national/update/0529/017.html 

 いずれにせよフジモリ氏は,日本国政府自身が正式に認めていない「2重国籍」の保持を活用(悪用!?)することで,犯罪容疑者として身柄をペルー政府に拘束されることを逃れている。日本政府当局の,そうしたご都合主義的な使い分け,いいかえれば「ダブルスタンダード:二枚舌」の介在・駆使は明らかである。

 −−2003年6月15日の新聞は,「ペルー政府がフジモリ氏の引き渡しを日本政府に請求した」ことを報じた。

 ペルーからの報道によると,同国のバグネル外相は15日,日本に滞在しているフジモリ元大統領について,7月中に日本政府に正式な身柄引き渡し請求をおこなうことを明らかにした。ただ,フジモリ氏が日本国籍をもっていることを理由に,日本政府が引き渡しに消極的なことから,国際司法裁判所への提訴も視野に入れていることも明らかにした。

 http://www.asahi.com/international/update/0616/004.html

   −−2003年7月15日の新聞は,「ペルー政府支持低迷の現政権 フジモリ氏引き渡し請求へ 存続かけて追及」という記事を載せていた(『朝日新聞』2003年7月15日朝刊)

 そのなかに,こういう一段があった。フジモリ派元国会議員で,大使公邸人質事件で人質になった日系2世サムエル・マツダさん(62歳)は,「大統領選に再度出馬するなど,ペルー国民は絶対に許さない」という。

 「自分の身を守るため,日本国籍をもち出して日本人だと宣言した人が,なぜペルーの大統領に再びなるなどといえるのか」。

 日本への《逃亡》に対するペルー国民の目はきびしい。

 マツダさんは「日系人がペルーで築きあげた信用をこれ以上,壊してほしくない」といった。

 −−日本に逃げてきた「日系ペルー人のペルー国前大統領」だったフジモリ氏を,日本にかくまい,保護し,応援している一部の人士は,南米のその国における「日系人の評判を引き下げる」のに一役買っているが,このことにわずかでも気づいているのか?

 日本政府も日本政府である。もともと二重国籍を認めない国家的方針をかかげながらも,フジモリ氏に関してはいっさいその点を自問せず,亡命者でもないこの人物を無条件に庇護している。

 もしかすると,日系ペルー人のフジモリ氏をペルー国大統領に返り咲かせたいのか? などと妄想したくもなる……。筆者は,ペルー国の大統領にフジモリ氏が再選されるなどという噴飯事は,ありえないことだと思う。

  『朝日新聞』2003年7月31日朝刊「私の視点」に,フジモリの問題について,弁護士の猿田佐世が投稿していた。

 「軍を権力基盤としたフジモリ政権は,テロ撲滅の名のもとに,人権侵害事件を多数起こしただけではなく,大規模な選挙違反などの犯罪行為にも手を染めた。現在フジモリ氏以外の容疑者は,ペルーで適正な裁判をうけている。フジモリ氏に対しても,すでに5件の刑事追訴がなされ,さらに20数件の捜査がすすめられている。フジモリ氏がみずからを無実だと主張するなら,裁判の場で明らかにすべきである」。

 「日本では,フジモリ氏への追訴はペルー現政権の政治的思惑によるかのようなみかたが流布している。……しかし,ドイツ,イタリアなど10数カ国は,フジモリ氏が入国したら身柄を拘束する意志を表明。中南米諸国の国会の連合組織であるラテンアメリカ議会も日本に引き渡しを要請する決議を採択した」。

 「国際刑事裁判所が設立されるなど,世界的に人権侵害の加害者の免責を許さないという潮流が強まっている。フジモリ氏をかくまうことは,国際社会に逆行し,被害者や遺族の心を踏みにじっていると,日本は気づいたほうがよい」。

 −−日本政府が現在もフジモリ氏をかくまっている理由は,「日本国籍」をもつ人間=日本国民だからという1点につきる。日本政府当局は,二重国籍を認めない方針は棚上げしておきながら,フジモリ氏に都合よいようにかくまってきたのである。

 フジモリ氏の身柄あつかいについては,上述に出てきた諸国ともよく意見を交換し,再考する必要があるのではないか。

 すでに記述したようにフジモリ氏は,2000年11月アジア太平洋経済協力会議への出席を口実にブルネイへと出発し,会議後はなぜかマレーシアに立ち寄って,自分が所有するパナマ企業2社の株をシンガポール証券取引所で売却したのち,東京にむかった,とされている。

 その後,フジモリ氏は新議長あてに大統領職の辞表を送付し,帰国しないという,奇怪きわまりない,国家元首として恥ずべき行動をとったのである。

 フジモリ氏は,ペルー国大統領の立場において犯したと疑われている犯罪的行為が自国で問われることを事前に察知し,国外に逃亡したのである。その逃亡先が故国=日本だったというわけである。この国はフジモリ氏を暖かく迎え懐に抱いている。

 フジモリ氏は,自分は「日系人だがペルー人だと誇らしげに高唱した」こともある。2003年8月5日朝日新聞「社説」は,「大統領まで務めながら二重国籍を利用して,ペルーにもどらないフジモリ氏に対するペルー国民の不満は高まっている。この問題への対応に苦慮している日系社会でも,同氏を支持する声はすくない」と述べている。

 いずれにせよ,いまも「ペルー国民」としてこのペルーという国に暮らしている多くの〈日系人〉たちの気持は,いかばかりか察するにあまりある。日系ペルー人として大統領までのぼりつめたフジモリ氏,ここにいたってもなお〈自分の立場‐生命〉がそんなに大事なのか?

 フジモリ氏は在任中,大統領の権限を越権・乱用して,いったい何人もの人間を殺してきたのか? どこかほかの国への亡命という道をえらばず,日本に逃げこむやりかたを採ったのは,なぜか?

 思いおこそう。−−1996年12月17日,ペルーのリマ市にある日本大使公邸が,フジモリ大統領の経済政策の変更や,収監中のMRTAメンダーの仲間の釈放などを求めた左派ゲリラ「MRTA(トゥパク・アマル革命運動)によって,天皇誕生日祝賀パーティ開催中に占拠された。

 この事件は,1997年4月22日,武力行使によりペルー国軍が日本大使公邸に突入し,人質71人を救出するが,ペルー軍兵士3人とゲリラ・メンバー全員(14人)が死亡する結末となって,解決をみた。

 この日本大使公邸占拠事件が鎮圧されたさい,ペルー軍兵士たちは,投降して無抵抗だったゲリラ・メンバー3人を射殺〔その場で処刑〕した事実が,のちに明らかになっている。この事件に関してだけいっても,その最高指揮官だったフジモリ大統領(当時)の責任が問われて当然である。

 もう一度いおう。なぜ,「新議長あてに大統領職の辞表を送付し,帰国しないという,奇怪きわまりない,国家元首として恥ずべき行動をとった」のか?

 さて,ここでひょんなことをいわせてもらう。フジモリ氏よ! 武士道の精神はどこへいったか。こんなことをいってもムダか。ペルーへ帰国したらきっと生命はないものと覚悟でもしているのか。でも,貴国には裁判制度というものがきちんとあるではないか。それとも,自身の経験律によるといまからその結論がわかっているとでもいうのか。

 猿田佐世弁護士は,こういっていた。「フジモリ氏がみずからを無実だと主張するなら,裁判の場で明らかにすべきである」。 

 

 ★11 フジモリ問題〔4〕

 ニューヨーク発,2005年7月4日共同通信は,こう伝えた。

 ペルーのRPPラジオなどによると,同国政府は7月4日,日本に滞在中のフジモリ元大統領の新たな身分証を発給した。フジモリ氏は帰国して来年の大統領選に出馬するために必要な手続きとして,最近,東京都内のペルー総領事館で身分証更新の申請をしていた。

 リマの外務省で新しい身分証を受けとった二男のケンジ氏は「父が立候補するための必要書類がそろいつつある。満足している」と話した。

 フジモリ氏は軍による市民殺害事件などをめぐって起訴され,ペルー政府は日本に身柄の引き渡しを求めている。難色を示す日本政府を厳しく批判するペルー政府が,フジモリ氏の身分証更新を認めた詳しい経緯は不明である。

 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005070500059&genre=E1&area=Z10

 

 ★12 フジモリ問題〔5〕

 2005年9月15日朝日新聞朝刊は,こう伝えていた。

 フジモリ氏,ペルーの新旅券取得 大統領選へ帰国準備

 ペルー総領事館(東京都)は2005年9月14日,日本滞在中のフジモリ元大統領が申請した旅券を発給したと発表した。リマのフジモリ氏のスポークスマンは「復帰への新たな一歩」とロイター通信に語り,2006年4月のペルー大統領選立候補に向けた帰国準備であることを明らかにした。

 記者会見したエクトル・マタヤナ総領事は「罪に問われているが判決を受けたわけではなく,法律上旅券を所持する権利がある」と説明した。

 事実上の政治亡命をつづけるフジモリ氏には,殺人や公金横領などの容疑での逮捕命令と公職追放の国会決議が出ており,外交旅券も失効していた。逮捕命令は有効で,帰国すれば逮捕される状況という。

 トレド現大統領の支持率低迷で,大統領選に向けた選挙運動は事実上はじまっている。フジモリ氏の選挙運動団体「シ・クンプレ」も2005年5月にリマ中心部で集会を 開き,百数十人が参加。政見放送の放映も認めるよう首相に要請しており,「日本から出馬」などの奇策も検討されているという。

 

 ★13 フジモリ問題〔6〕

 2005年11月上旬になると,フジモリ氏はペルーに帰国して再び大統領になるための準備的行動をはじめた。これまで彼は,石原慎太郎や三浦朱門‐曽野綾子らの援助をうけながら,二重国籍を有する日本にちょうど5年間も身を隠していた。いったい,どのような成算があるのかについては本人にしかわからぬ点だろうが,ペルーに舞いもどって大統領の地位に再度就きたいらしい。

 フジモリ氏は,二重国籍をうまく利用して日本に逃げこみ,日本人の援助者の手助けもえて自身の身を護ることに成功してきた。彼はこのたび,2006年4月に実施予定のペルー大統領選に立候補するため〈帰国〉を試みたのである。

 さて,朝日新聞大阪本社の記者中井大助は【記者ノート】というコラムで,「重国籍認めぬ法律,再考の時期」だと,以下のように主張している(2005年11月17日)

 アルベルト・フジモリ元ペルー大統領がチリで拘束されたことを受け,日本政府は「公正なあつかいを受けられるよう」,チリ政府に要請しているという。フジモリ氏は日本国籍をもっているからだ。大統領時代のフジモリ氏の行動に対する評価はさまざまだが,日本が抱える国籍問題の矛盾が,フジモリ氏をめぐる一件で明らかになったことも,忘れてはいけない。

 ペルー生まれのフジモリ氏はペルー国籍。だが,移民の両親が出生を日本領事館に届けたため,日本国籍も生じた。1985年の国籍法改正以降,日本はこうした二重国籍を認めていない。重国籍となった場合は,2年以内に国籍の選択をせねばならず,未成年の場合は,22歳を選択の年齢としている。

 しかし,出生や婚姻によって,自分の意思とは関係なしに重国籍となった人に国籍放棄を求めることはむずかしい。こうした問題もあってか,日本は法改正後も重国籍を事実上,容認してきた。法務省によると,法改正前から重国籍だった人は2年が経過したか,または22歳になった段階で日本国籍を選択したとみなしている。そして多くの場合は,他国籍があるか否かを探っていない

 2000年にフジモリ氏が日本に「亡命」したさい,この矛盾が明白になった。日本政府は日本国籍を確認し,ペルー政府の引き渡し請求を事実上拒否した。大統領を務めたにもかかわらず,ペルー国籍の存在は不問とされ,フジモリ氏は今でも両国籍を保有する。

 実は,私も日本人の父親と米国人の母親の間に生まれ,日米両国籍をもっている。公職に就いているわけではなく,とくに不都合が生じたこともない一方,両国への入国がいくらかスムーズだということを除くと,これといったメリットもない。

 国籍選択をすべきか,考えたこともある。だが,どちらか一方を選択することは,自分の先祖やアイデンティティーの一部を否定することになるのではないか。こうした思いが強く,重国籍が続いている。

 日本の法律上,微妙な状況であることは間違いない。だが,同じような立場の人は今後増えこそすれ,減ることはないだろう。

 厚生労働省の統計によると,2004年に国内で生まれた子供の約2%にあたる約2万2千人は,父母のどちらかが外国人である。米国やブラジルなど出生地主義の国で生まれた日本人の子供もいれば,婚姻で新たに国籍をえる人もいる。

 こうした人の相当数は,重国籍となっている。それは,国同士の交流が加速度的に進んでいる現代社会の必然の流れで,重国籍を容認している国も多い。しかし残念ながら,この問題は日本であまり議論されていない

 2年後には,国籍法の改正後に生まれ,「選択をしたとみなす」という理論が適用されない重国籍の人たちが,選択の年齢に達し始める。20年間の経過を踏まえ,法律の再改正が検討されてもいい時期だと思う。

 http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000168888880580 

 −−こういう議論を聞くと,筆者のような日本生まれ‐育ちの外国〔籍〕人は,不思議な気分になるほかない。

 くわしい議論はすでにしてきたのでいちいち論及しない。帝国主義時代の旧日本までさかのぼる歴史的な経緯に鑑みれば,いままで日本国籍を有してきていて当然であった〈在日韓国・朝鮮人〉が,現在では「特別永住許可」という「奇妙な在留資格」をもたされている。それに比較して,フジモリ前ペルー大統領の日本在住期間における日本政府の処遇は,不可解なくらい非常に特別であり,二重国籍の問題はみてみぬふりをしてきた。

 日本政府は,日本を出国したフジモリ氏の立場については,つぎのように支離滅裂な発言をしてきた。

 −−関連の経過事情を若干,さきに記述しておくとこうなる。2005年11月07日フジモリ氏は日本を出国,チリのサンティアゴに到着した。2005年11月08日チリ警察はフジモリ氏の身柄を拘束した。同日,チリ内相と会談したペルー使節団はフジモリ氏引き渡し求め,22の容疑で逮捕命令が出ているといった。同日,フジモリ氏は自分のホームページにおいて「日本国民に感謝する旨」のメッセージを記述・公表していた。

 ●−1「フジモリ元大統領,日本とペルーのパスポートを使い分け」〔2005年11月11日報道〕

 〔すでに〕拘束中のフジモリ・元ペルー大統領がチリに向かったさい,経由地のメキシコで日本の旅券を提示していたと,ペルー紙「レプブリカ」が報じた。フジモリ氏はチリ入国のさい,ペルーの旅券を提示したという。国籍を都合よく使い分ける手段だとして,ペルー側の非難を受けそうだ。フジモリ氏が9月にペルーの旅券を〔再〕取得したさい,ペルー政府は「都合よく日本人になったりペルー人になったりする」と批判していた。

 フジモリ氏が乗ったチャーター機がメキシコ・ティフアナの空港に到着した。そのさい,フジモリ氏は日本の旅券を提示したが,機内から出なかったという。メキシコの入管職員はフジモリ氏であることを認識したが,滞在が短時間だったことなどから,そのまま出国を認めた。フジモリ氏の乗った飛行機は約50分で給油を終え,離陸したという。

 http://www.asahi.com/international/update/1111/009.html

 ●−2「公正な扱い,チリに求める フジモリ氏拘束で日本政府」〔2005年11月8日報道〕

 日本政府は11月8日,チリで拘束されたペルーのフジモリ元大統領(67歳)が日本国籍をもつことから,拘束中にチリの法律にのっとり公正なあつかいを受けられるよう,在チリ日本大使館を通じてチリ政府に要請した。

 外務省は拘束の実態について詳細を確認中で,フジモリ氏の健康状態や日本への要望を確認するため,日本の領事が面会できるよう,チリ側に申し入れる方向で検討している。

 麻生太郎外相は8日午前の記者会見で「(フジモリ氏への)領事面会は考えているのか」との質問に「日本政府としては照会したいと思っている」と語った。

 外務省筋によると,フジモリ氏はペルー旅券でチリに入国したとみられ,日本側が領事面会を申し入れた場合のチリ側の対応が注目される。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000100-kyodo-pol

 ●−3「〈フジモリ氏〉『コメントの立場にない』と安倍官房長官」〔2005年11月8日報道〕

 安倍晋三官房長官は11月7日午後の記者会見で,フジモリ元大統領がチリに入国し拘束されたことについて,「政府としてはコメントする立場にない」と語った。また,フジモリ氏が日本のパスポートで日本人として出国したかどうかに関しても,「プライバシーに関することだ」と言及を避けた。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000011-mai-pol

 安倍晋三氏のいうとおり,フジモリ氏の二重国籍を所有するがゆえの「パスポートの使い分け」「プライバシーに関することだ」として,言及を避けられる論点かどうか大いに疑問がある。国籍問題をプライバシーの問題だ,最近はやりの「個人情報保護」の問題だと片づけるわけにはいかない。

 ペルー政府が発行した旅券(パスポート)とともに日本の旅券(パスポート)ももつフジモリ氏は,その2つの旅券を都合よく使いわけていた。この問題に関して,日本国内閣の官房長官が「プライバシーに関することだ」といって言及を避けたのは,責任回避のみえすいた詭弁でしかない。

 安倍氏の論法でいけば,在日する外国〔籍〕人が常時携帯の義務を課せられている外国人登録証も当然,「プライバシーに関することだ」になる。しかし,法務省がこんなにも〈粗雑な論理〉を許すわけがない。安倍氏のいいぶんは噴飯ものである。パスポートはどこの誰が管理しているのか。

 ●−4「日本国民としての権利と義務」

 フジモリ氏はそもそも,日本に亡命というかたちで逃亡生活をしていた5年間,日本国に対する義務をはたしていたのか? 単なる亡命者だったのか? それ以前において彼は,日本国に対する義務をはたしてきた実績があるのか? いわば,彼が日本に逗留してきた期間:5年間は,やらずぼったくりの軌跡を記録してきたに過ぎない。こうした亡命政治家を援助‐交際した石原慎太郎や三浦‐曽野夫妻〔いずれも国粋狂信的な作家であるところが特徴的である〕の気持が理解できない。

 日本政府の発行する旅券を所持していれば,つまり日本国籍人だという事由だけがあれば,日常生活においていままで,この国に対する義務をまったくはたしてこなかった人間であっても,在留していた期間,諸種の権利・保護だけは享有することができたのである。日本在留中のフジモリ氏をかこんできたそうした特別待遇は,とてもではないが納得しえないものである。

 筆者のように,戦前‐戦時期に日本にきた韓国・朝鮮人を父母‐祖父母に有する子孫たちは今日,外国「籍」人として「特別永住」という在留資格をもたされている。しかしながら,その間とくに納税の義務をはじめ,この国に対する各種の義務を多様にはたしてきており,有形・無形を問わずこの国の発展・成長にも大きな貢献・寄与をしてきている。

 それにくらべてフジモリ氏自身は,いったい,この国に対するなにを,貢献・寄与してきたというのか? フジモリ氏は日本移民の系譜にあり,ある意味では日本国が海外に棄民した日本国民の子孫である。彼はりっぱなことに,ペルーの大統領までなった。その間,そのこと以外に彼は,どのような義務をこの国:日本に対してはたしえたというのか? 皆無である。ナッシング!

 ペルーはいうまでもなく,日本の植民地でも属国でもなく,地球の反対側にある独立国である。

 同じ民族内ではよく「よりも濃い」といわれるが〔もっとも同じ民族だからといって皆が同じにとても仲がよいわけではない〕,この日本という国の「」のなかでいっしょに暮らすうち,もはや十分にその「となりとなっている」のが在日する外国人であり,それもとりわけ日本に長いあいだ在留・生活してきている,いいかえればそれ相応の「歴史の蓄積」をもっている「定住韓国・朝鮮人という存在」である。

 ペルーの大統領になったときフジモリ氏は「自分はペルー人だ」と強調した。すなわち,遠くにある日本〔の祖先〕の「」よりも,ペルー人としての経歴:「」のほうが濃い関係にあることを,彼は強く訴えていた。つまり,自分ペルー水臭い関係にはないとする,「ペルー国家」への「忠誠意識」を強調していた。

 このたび,大統領再選を企図するため自国:ペルーに「帰国」しようとしたのは,伊達や酔狂の行動ではないと観察すべきである。

 もしかすると,石原慎太郎君や三浦‐曽野夫妻は,のつながりを水増し的に感じたフジモリ氏に,適当〔いいよう〕に利用されたといえなくもない。同じ日本人,同じ「民族」だからといって無条件に愛し合えるわけでもあるまいに……。むろん,そう思いこむ分には勝手・自由であるが。

 −−以上の議論は,国民‐国家の枠組を再考すべき論点を示唆する。

 


 【最新記述日 2001年8月21日・ほかに随時,若干補筆:2002年12月21日,2003年3月5日・6月1日・8月3日・10日,2005年7月7日・9月18日・12月21日・28日
 
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