2003年1月14日に早速
靖国に参拝した小泉純一郎の
歴史感覚のなさを叱る。
|
(『朝日新聞』2003年1月15日夕刊「素粒子」) |
|
(『朝日新聞』2004年4月26日朝刊「社説」) |
|
(『朝日新聞』2004年4月27日夕刊「素粒子」) |
主 な 目 次 内 容 |
に関する小泉の発言 ● また,合祀(ごうし)されているA級戦犯を念頭に,「死者に生前の罪まで着せて,死んでも許さないというのは,日本人にはあまりなじまないんじゃないか。こういう気持ちも,外国の方には理解していただきたい」と語り,合祀は参拝の障害にはならないとの認識をしめした。 自民党の仲道俊哉氏が,来年も参拝をするのかと質したのに答えた。 小泉首相は「戦没者に対する敬意と感謝の念をこめて,二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで,靖国神社を毎年参拝している」と従来の説明をくりかえしたうえで,一般の戦没者とA級戦犯を区別しないことを強調した。 これに関連し,福田官房長官は同日午後の記者会見で,「個人の立場で,自らの心情から出た行動ですから,そのことについて政府としてとやかくいうべき筋あいのものではない」と述べるにとどめた。 小泉首相は2001年7月の各党党首討論会(日本記者クラブ主催)でも「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる。死者をそれほど選別しなければならないのか」と発言している。 小泉純一郎首相は2003年1月28日の参院予算委員会で,「(公約違反は)大したことない」発言のダメージを振り払おうと,絶叫調をまじえた長広舌で「改革公約の進展」を強調した。靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)問題では「死者に生前の罪まで着せてむち打つ気持ちは日本人にはなじまない」と言って声をつまらせ,参拝にこだわる心情も訴えた。
小泉純一郎による以上の言動はまさに,日本国総理大臣自身が「宗教の問題に関しては無知蒙昧の徒」であることを証明したといえる。 小泉はいう。「仏様になる。死者をそれほど選別するな」とか「死者に生前の罪まで着せてむち打つ気持ちは日本人にはなじまない」とかいっているが,日本人‐日本民族〔同胞・身内〕においてしか同感をえられないような,単なる「感情論」での反論は大いに問題である。 「死者に生前の罪まで着せて,死んでも許さない」とする意見に,小泉は反対だと述べる。しかし,この理屈は,生きているがわに存在する者のみが放ちうる「勝手ないいぶん」である。これを,アジア諸国の人びと=「外国の方にも理解していただきたい」といっても,逆にかえって,猛反発を食らうだけである。 問われているのはむしろ,小泉のようにいまも生きている者たちの抱く,それも「過去の戦争」に関するところの,敗戦後における「意識のもちよう」なのである。死者にかこつけて,いま生きている者たちの戦後責任をいっさい問うな,というのが彼の意見である。そういう視点に絶対的に立つのであれば,この世の中においては「〈歴史〉というものを想像する」余地などなくなってしまう。 われわれ生きる者はすべて,人生の過程の一瞬ごと・一コマごとにおいて,将来にのこすべき歴史を形成していく創造者である。現在の過去が歴史を蓄積していくとともに,現在は将来の歴史を創造していくものである。創造された歴史は,過去から現在を透視するための鏡である。そうした歴史の連綿とつながる流れを遮断することは,とうていできない相談である。 小泉はいう。「戦没者に対する敬意と感謝の念をこめて,二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで,靖国神社を毎年参拝している」と。ところが反対に,アジア諸国の戦争被害者とその家族や関係者は,こういう考えかたじたいをまっこうより否定し,逆にうけとっている。彼はこの事実が皆目わかっていない。 小泉の抱く「単純な宗教精神」は,はじめからなんの考えもないものである。あまりに無意識的でもあって,いわば「シャーマニズム以前でさえある」。 したがって,彼には「自分の宗教観」をうんぬんする資格すらない。 それでも,小泉純一郎の「素朴な宗教観」は, ◎ アジア侵略の手先・尖兵として派遣され,その結果,「日本帝国という国家の犠牲者〔戦死者・戦病死者〕となった人びと」=「日本人の〈死〉」も, ◎ 過去において日本帝国主義の侵略‐暴虐によって殺された「アジアの被侵略諸国がわにおける数多くの〈死者〉」も, その区別・差異を問おうとする意識すら拒否するだけでなく,それをいきなり遮蔽する情感的な発想にもとづいている。 したがって,小泉純一郎という一国の首相である人物が「個人の立場で,自らの心情から出た〔靖国参拝〕行動ですから,そのことについて政府としてとやかくいうべき筋あいのものではない(福田官房長官)」などといって,済まされることがらではないのである。 まさしくその点〔→個人の立場:心情から出た〔靖国参拝〕行動〕が問題なのであって,韓国や中国からきびしい批判が「日本国首相の靖国参拝」に対して向けられてきたのである。小泉は,いちばん肝心なこの点が全然認識できず,したがって平然と無視もする。その無神経さは並たいていのものではない。 だから,民主党の菅代表は2003年1月28日の記者会見で,靖国神社をめぐる参院予算委員会での小泉首相の発言について,「本質をすり替えている。国家機関である現政権の首相が(A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を)お参りをするのは,(日本の)戦争責任を認めてきたことをくつがえす行動だ。首相という立場でお参りするのはやめたほうがいい」と批判したのである。 http://www.asahi.com/politics/update/0128/011.html もっとも,靖国問題をめぐって民主党菅代表が小泉首相に放った批判「本質をすり替えている」という指摘は,恐らく,小泉純一郎自身の宗教問題に関する理解力をはるかに超えたものなのである。それゆえ,せっかくではあるが,「馬の耳に念仏」あるいは「豚に真珠」あるいはまた「カエルの面にオシッコ」。 筆者はすでになんども,「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社」に着目する方途で,問題の本質をみいだすべきではなく,靖国神社じたいが「戦争〔を奨励する〕神社(war [military] shrine)」でありつづけてきたという「明治以来の歴史的な宗教的施設」性を把握してこそ,この神社の意味が根本面より理解,批判できることを強調してきた。 靖国神社に〈英霊〉となって合祀されている戦没者は主に,旧日本帝国の侵略路線の実績に貢献した兵士にかぎられている。 そこにみてとるべき問題性は,死んでしまえば「仏様となればみな同じだ」などと,詭弁にひとしい,また理屈にもならない弁法でもって,戦争という出来事がもたらすあらゆる種類の犠牲者を,乱暴に一括りしてしまう〈粗雑さ〉である。 「靖国に合祀されてきた戦争犠牲者」は,戦争という出来事がもたらした「あらゆる種類の犠牲者の一部分」にすぎない。「特定の戦争犠牲者」しか祀られていない靖国に参拝にいっても,「あらゆる戦争犠牲者」の魂を慰霊することができるのだといういいかたは,はじめから論理学初歩の誤謬を犯している。無理を承知での強弁である。とはいえ,当人にはそういう「無理という観念がない」から,なお始末が悪い。 靖国神社は,戦没者を〈英霊〉に祀りあげる宗教行為=カラクリをとおして,さらにこんどは,生きるものに対して「死に出向くことを喜んでうけいれるように説得する」ための「宗教的精神を用意した国家的な霊所」である。その意味では,宗教機関として靖国を観察するとき,尋常ならざる,きわめて異様な精神構造‐機能がそこには備えられていることになる。 一言断わっておくが,旧日帝がかつて「侵略の戦争」をしたさい,無慮‐無数殺してきたアジア各国の被害者・被災者たちを,靖国は1人も祀っていないではないか。むろん,靖国は敵国の兵士など祀るわけもなかった。 それでどうして,靖国神社に参拝にいくことをとおして,「すべて仏様となってみな同じだ」などといえるのか? ここまで目茶苦茶をいいきれる神経が示唆するのは,「純一郎の悪い冗談」でなければ,彼が宗教問題については「無識者」でしかないことである。 もう一言断わっておくが,旧日本帝国軍に召集された兵士たちは,「戦争で喜んで死ぬ」覚悟をしたわけではない。彼らはとくに,出征を控えて地元の各種神社にお参りしたさい,必死にこう祈願したのである。 「戦場にいって戦うことになっても,けっして弾に当たりませんように……」。 戦前,母親は子ども(男子)が軍隊にいくとき,その生命の安全を願って,千人(それも女性)から「1人1針」をもらう「千人針」という「お守り〔安全祈願〕」を用意した。戦場で弾に当りたい者など,いるはずがない。それが靖国にいくと,正反対の運命「御国のためには死を恐れるな!」を強要され,その覚悟を決めておけ,と叱咤激励されるのであった。 沖縄県に創設された『平和の楚』は,戦争の悲惨さ・残酷さを記憶しつづけようとする。それは,沖縄戦の戦没者全員の氏名を,漏れなくその碑に刻みこもうと努力してきてもいる。したがって,味方‐敵方,国籍・民族・人種・出身,宗教・思想・信条・イデオロギーなどを超えた慰霊記念碑である。靖国の宗教思想とのちがいは対極的であり,あまりにもきわだっている。 その意味合いでは,小泉首相が今回表白した《靖国》観は,幼稚・低劣・未熟・鈍感に過ぎるだけでなく,不勉強,没論理,曖昧模糊,思考停止の「宗教観以前の独り言:繰り言」に終始したものである。
小泉という日本の宰相においてだけでなく,アジア諸国の人びとに対しても,共感と同情をえられるような,そして,かつての戦争被害者全員を国境を越えて追悼しているとみなされるような「宗教観」〔あるいはこれに相当するような「宗教意識関連的な姿勢」〕を明示できないのであれば,彼が首相をやっているかぎりこれからも,靖国〔神社参拝強行〕問題に関しては,近隣諸国との不協和音を発しつづけるほかない。 靖国問題は,単なる「個人の立場で,自らの心情から出た〔靖国参拝〕行動です(福田官房長官)」などといって収まるわけがない,重大‐深刻な外交上の問題である。 そのうえ,日本がわが〈内政干渉〉などといってムキになって反論するばかりでは,当該問題点に関する本質的な議論がすすまない。それは実に,19~20世紀に積み残してきた「日本国の戦争責任問題」なのである。 わかりやすくいえば,小泉純一郎による靖国参拝は,旧日帝によるアジア侵略という過去〔悪業〕を完全に忘却した,あるいはそれに故意に目を閉じた《自慰的な宗教行為》であって,あるいはまたアジアの諸国‐人びとの「古傷に塩をすりこむ」それである。 アジアの各国がわにいわせれば,前述のごとき被害者がわの「こういう気持ちも,外国〔日本〕の方には理解していただきたい」(これは小泉の発言内容である)と語ることになるのではないか。自分=小泉の気持をアジアの人びとに理解してほしいなら,アジアの人びとの気持も理解しようとする姿勢が不可欠である。
|
首相として3度目 ■
2002年は,5,6月の日韓共催のサッカーW杯や9月の日中国交正常化30周年への影響を懸念して,4月の同神社の春季例大祭に合わせて参拝したが,今年はさらに時期を前倒しした。 首相としては,中韓両国などに一定の配慮をしたものとみられるが,両国は首相の参拝じたいに反対しており,日中,日韓関係がギクシャクする可能性がおおきい。 参拝に先立ち首相は,「お正月ですし。新たな気持ちでいく。平和のありがたさをかみしめて,二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝したいと思います」と官邸で記者団に述べた。 また,中国や韓国の反発については「これまでも(両国には)説明しています。日中,日韓の友好に変わりはない。今後とも変わりはないということを理解してもらいたい」と語った。 小泉首相は2002年12月,今年の靖国参拝について「参拝します」と明言していた。時期については触れなかったが,昨年と同様,4月の春季例大祭に合わせるのではないかとの観測が出ていた。 首相の過去2回の参拝に対しては,中国や韓国が反発。とくに中国の江沢民国家主席は2度目の参拝のあと,「絶対に許すことはできない」などと再三にわたって強い不快感を表明しており,国交正常化30周年にあわせて昨秋に予定されていた小泉首相の訪中も,延期されたまま実現のめどは立っていない。 中国では2003年3月にも開かれる全国人民代表大会(全人代)で,胡 錦涛国家主席や温 家宝首相といった新しい国家指導部の顔ぶれが決まるみとおし。 韓国でも,2月末に盧武鉉氏が大統領に就任する。小泉首相としては,こうした一連の日程の前に今年の参拝をすませ,両国の新指導部との関係に与える影響を,最小限にとどめようとの狙いがあったものとみられる。 一昨年の首相の靖国神社参拝をきっかけに発足した福田官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(座長・今井敬新日鉄会長)は2002年12月,「国立の無宗教の戦没者追悼施設が必要だと考えるが,最終的には政府の責任で判断されるべきだ」などとする報告書をまとめた。 だが,首相自身は施設建設に消極的なうえ与党内にも反対が強く,新しい追悼施設ができる見通しはない。 http://www.asahi.com/politics/update/0114/004.html 筆者にいわせれば,「平和のありがたさをかみしめて,二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで靖国神社に参拝」することは,過去の戦争で甚大な被害をこうむった東アジア諸国にとって,とうてい許すことのできない神道宗教的行為にもとづく暴言なのである。 さらには,「お正月ですし……」などと,とってつけたような [トボケタようにも聞こえる文句] は,まったくの蛇足ともいってよいタワゴトである。 いままで,さんざん論じてきた点なので,ここでは一言で片づけておきたい。 靖国神社は「戦争神社:
war (military)
shrine」である。だから,「戦勝祈願」以外の理由をつけてこの神社に参拝にいくのは,嘘の説明にしかならない。 |
■
靖国参拝-首相の外交感覚を疑う ■
(『朝日新聞』2003年1月15日朝刊「社説」全文を引用)
日本は,いま北朝鮮の核問題をめぐって重要な局面にある。北朝鮮に核不拡散条約(NPT)脱退宣言を撤回させ,さらには核開発計画を破棄させるために,各国との連携が欠かせないときだ。 そのための重要な相手である韓国や中国との関係に,今回の靖国参拝がどれほど悪影響をもたらすことか。首相が分からないはずはあるまい。 北朝鮮問題で首相は,日米韓の連携を強調してきた。政府は中・ロなどとくわえた,新たな枠組も構想している。だが,これでは首相みずから水を差すようなものだ。 まして,川口外相が1月15日から訪韓し,金 大中大統領や,盧 武鉉次期大統領と会談しようという矢先である。北朝鮮への対応に集中すべき大切な会談なのに,参拝問題で釈明せざるをえまい。貴重な時間を無駄にするとしかいいようがない。 中国とのあいだでは,ただでさえ首脳外交が滞ったままである。それも,昨年4月の首相の靖国参拝が尾を引いているからだ。 昨年は日中国交正常化30年の節目にもかかわらず,首相訪中は先送りになった。 首相は「お正月ですし。新たな気持ちで」と語ったが,それで済む話ではないし,そこまで気軽に考えたはずもない。 2月以降には,韓国も中国も新政権が発足する。ならば,そのまえに参拝した方が悪影響を小さくできて,得策だと考えたのかもしれない。国会が閉会中ということもあるだろう。 だが,それは甘い。参拝に対して韓国や中国がただちに反発したのをみるだけでも,首相の外交感覚には大いに疑問がある。 首相は昨年から,今年も参拝するといっていた。個人的な思いやこだわりはそれぞれあろうが,それだけで済まないのが一国の首相という立場である。 靖国神社は戦前,しだいに軍国主義,国家主義の象徴となった。国民を戦争に動員し,戦意をあおる役割をはたした。東条英機元首相らA級戦犯も祀られている。 だからこそ,国民すべてがわだかまりなく靖国神社にもうでて,戦争で犠牲になった人たちを悼むわけにはいかないのだし,周辺国も納得しないのだ。 首相の公式行事的な靖国参拝は,憲法の政教分離の原則から考えても疑義がある。 そうしたことから,官房長官の懇談会が昨年末に無宗教で,しがらみのない新施設建設を提言したのである。首相が実現をめざすべきものだ。 しかし,首相が靖国参拝にこだわれば,新施設の構想も振り出しにもどる。 首相は歴史的な目配りを欠いているうえに,外交的な感覚をうしなっている。 この参拝は,いったいなんの益を考えてのことなのか。理解できない。 |
|
■ 香港『大公報』が社説を発表して,
小泉首相の靖国参拝を批判
■
同紙「社説」は,「日本政治の右寄り化を戒める」と題された社説において,「日本首相は中国を含めてアジア隣国の反対にもかかわらず,公開的に靖国神社を参拝し,中国国民の感情を傷つけ,中日関係を損なった一方,日本及び日本のトップの国際的なイメージをもくずした」と指摘した。 「ここ数年来,日本の政治舞台で右寄りの色合いが日増しに強まっている。小泉内閣は執権以来,国内政治の需要に応え靖国神社を参拝したが,これは,日本が平和の道に沿って発展していくことに利はひとつもなく,弊害ばかり与えている」と論じた。 さらに同紙は,歴史問題にありのまま対応するのが,中日関係を構築する政治的な土台であり,両国が未来へ向かう根底でもあると述べ,日本政府には,中国などのアジア隣国が小泉氏の靖国参拝に対する重大な関心を重んじて,過ちを正しくすることで,同類事件の発生を回避するようよびかけた。 |
http://www.dspr.xinhua.org/200204/aaa123222719_1.htm# |
以下にその一例を紹介するが,前段に引照した香港『大公報』「社説」の2003年版を,再び紹介する。 |
■
再び,香港『大公報』が社説を発表して,
小泉首相の靖国参拝を批判
■
今回の靖国参拝は,小泉首相の就任以来3回めになる。2002年同様に,8月15日というもっともデリケートな日を避けたうえ「平和を祈願するため」といっているが,問題の本質はまったくかわっていない。 小泉首相は,自身の国際社会でのイメージをいちじるしく損なったと同時に,日本と中国,さらにはアジア諸国との関係にマイナスの影響を与えた。 靖国参拝は香港,マカオ,台湾の同胞をふくむすべての中国人民の感情をきわめておおきく傷つけ,人々に苦痛の歴史を思いおこさせた。中国人民は,日本軍国主義が発動した斟酌戦争の最大の被害者である。 軍国主義と侵略戦争の象徴である靖国神社に,首相として3度も参拝したことは,道理と正義への挑戦だ。被害をうけた国家と国民を再び蔑視して傷つけることであり,罪を認めていないことの表われでもある。 小泉首相が口で侵略を認め反省しているというのは偽りで,ただ各方面からの反対の声に対処するためにすぎない。参拝を「平和を祈願するため」とするのは,平和への冒涜ともいえる。 小泉首相が靖国神社参拝にこの時期をえらんだのは,偶然ではない。国内の政治・経済の深刻な状況が背景にある。小泉首相は就任以来,全力で改革路線を推しすすめてきたが,日本の景気はますます悪化し,企業はつぎつぎと倒産,失業率も高くなり,経済政策の失敗が明らかになった。 小泉首相の支持率も下がり,与党内でも批判の声があちこちで上がっている。9月の自民党総裁選を控え,国内の右傾化する政治状況のなかで,新年を迎えてぐずぐずしないで靖国神社に参拝し,右派勢力の支持をとりつけようとしたのだ。 日本は,中国やアジア諸国の人々の平和を求める声に真剣に耳を傾けて過ちを正し,「歴史を鑑(かがみ)とし,未来に目を向ける」という正しい道にもどらなければならない。 |
『朝日新聞』2003年1月20日朝刊に転載紹介された香港『大公報』の「社説」. |
|
■
宗主国に金や謝罪求める国があるか」
江藤隆美代議士発言
■
「この国の歴史がわかっていないから,こうなる。かつての宗主国に,金や謝罪を要求する国がありますか」と述べた。党支部主催の新春パーティーのあいさつのなかで言及した。 小泉首相の靖国神社参拝を非難したアジア諸国の対応についても,「ロシアを訪問した首相は,赤の広場で軍人の慰霊碑に参った。なぜ靖国参拝に文句をいわれるのか。内政干渉だ」と批判した。 江藤氏は総務庁長官だった1995年,「植民地で日本は韓国によいこともした」と発言し,長官を辞任した経緯がある。 |
http://www.asahi.com/politics/update/0118/002.html |
●
江藤隆美を批判する ●
かつての宗主国「日本帝国」は,その植民地‐支配地域から「金・銀・財宝」(鉱物資源から国宝級の諸財産まで)のみならず,その他のあらゆる物的資源,のちには人的資源=人間の生命も収奪してきた〔無数の人々を虫けら同然に殺してきた〕。 日本は,過去の植民地支配問題として,なおのこされている「北朝鮮との半世紀以上にわたる〈断絶状態〉」を,早急に解決しなければならない立場におかれている。 現在まで両国の関係がどのような状態であったかはともかく,北朝鮮との国交回復は緊急性を要する政治的課題であり,それも,植民地時代に関する問題処理とその戦後補償ともいうべき懸案事項をかかえている。 だから,2002年9月17日小泉純一郎日本首相がわざわざ北朝鮮まで出向き,「先方の2代めの独裁者〈金 正日〉」なる人物と直接交渉,ひとまず「日朝平壌宣言」をとりまとめてきた。 小泉首相は,日本の代表者として北朝鮮を訪問,会談した結果,北朝鮮に対しては明確に,一定の「謝罪」をした。これからの交渉しだいの話しではあるが,「金」や「物」についても,なんらかのかたちで解決する方途をさぐることになったはずである。このことは,規定方針といってもよいものであった。 敗戦後の日本国政府が,かつて「大東亜共栄圏」地域にのこしてきた「旧日本帝国の重たい負債」を,戦争賠償や経済援助のかたちで,アジアの関係各国に対して償ってきたことは,あえて指摘するまでもない歴史的な事実である。 現日本政府は,上述のごとき「戦争賠償や経済援助」に相当する償いを,北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕に対してだけは,まだ実行していない。だいぶ遅れてしまっているが,これからそれをはたそうとしているにすぎない。 そうした日本国総代表小泉純一郎首相による外交交渉の経過をとらえて,北朝鮮がかつての「宗主国に,金や謝罪を要求する国があるか」と文句をつけたのが,あのきわめて「品のない」悪相の,しかも退職を目前に控えた「1925年4月10日生まれの〈頑迷固陋〉な老国会議員」,江藤隆美であった。 かつての日本帝国に,「宗主国」と称せるほど品位や威厳,度量,優雅さがあったかといえば,とんでもない,2流帝国主義の基本的作法さえもっていなかったことを指摘しておかねばならない。 江藤隆美なる人物は,そうした過去の汚物・残飯・吐瀉物的な帝国思想を全身に浴びたまま,今日まで生き延びてきたこの国の「選良」,つまり「国会議員」なのである。 江藤は,「日本の靖国神社参拝」と「ロシア:赤の広場で軍人の慰霊碑に参ること」とをくらべ,「なぜ靖国参拝に文句をいわれるのか,内政干渉だ」とのたまう。 だが,両者「日本の靖国」と「ロシアの慰霊碑」の歴史的由来:ちがいを棚上げして〔それをろくに理解もできずに〕,闇雲に単純比較し,非難する発想=暴論じたいこそ,無知蒙昧か,やっとこさ生半可な知識しかない者が,やつあたり的に吐き散らす妄論なのである。 逆に問おう。それでは,旧日帝が植民地諸国でやってきたことは内政干渉か,と問われれば相違なくそうだといえる。植民地における暴力的な統治支配は,すべてが帝国主義的ルールに則った内政干渉であったといえる。たとえ,帝国主義が植民地に対して武力で威圧しながら「政治的な条約」をむすんで実行したことだったにせよ,そう断定するほかないのである。 そもそも,江藤隆美の「内政干渉」という用語の「つかいかた」が乱暴なのである。江藤のいいぶんに限定していうなら,内政干渉→「こうしろ」だとか「ああしろ」だとかという点を問題にする以前において,その概念の理解じたいが目茶苦茶,粗雑である。お話しにならない浅薄さ,粗忽さ,デタラメさばかりが目立つのである。 江藤議員,それでは,日米安保条約下において日常茶飯事であるアメリカの「日本に対する〈内政干渉〉」には,怒らなくてもよろしいのか? 現在,日本はアメリカを「宗主国みたいに仰ぎみている属国」にも映るが,いかがであろうか? アメリカにはまともに口もきけない「江藤のようなタイプの日本の政治家」にかぎって,アジア諸国の人々が日本に対して多少でも批判的になにかいうとすぐに「内政干渉」だとかわめきちらすのである。欧米への劣等感をアジアへの優越感で均衡させうる〔穴埋めできる〕かどうか疑問だが,それにしてもずいぶん情けない情動現象である。 日本の政治家もいろいろな人材がいると思うが,これほど教養のなさ・野卑・下品さを発散させている人間もいない。敗戦の1945年,江藤はちょうど二十歳になった。この人は,軍国主義時代の帝国主義的・封建主義的な奴隷教育が骨の髄まで染みこんでしまい,いまもなお抜けていない反動国粋主義の持主である。 もっとも,宮崎県の衆議院第2選挙区から選出された「江藤隆美のホームページ」をのぞくと,憂国の士だとか本当に国の将来を考えるとかいうタイプの政治家ではないことがよくわかる。
江藤隆美なる政治家は「故郷」=宮崎県の利益・利害をもっぱら追求する政治屋である。国家経綸を高所大所から論じたり,日本の政治家として世界の平和・繁栄のためにも活動してきた人物とは思えない。 江藤は,いわゆる「道路族」議員である。上述の内容は,宮崎県選出10回の国会議員に課せられた任務は主に,地元に道路をつくることであって,国会議員としての具体的な存在意義もその仕事にあったことを教えている。 江藤のいう「よい国」とは「よい宮崎県」のことを意味する。したがって,「国民」とは「宮崎県民」のことになる。「国民1人ひとりが不平等感,劣等感を感じ」ることは,「宮崎県民の1人ひとりが不平等感,劣等感を感じ」ることである。 それゆえ,江藤隆美という国会議員の力点をおく政治活動の目標は,「宮崎県に道路網を整備し,地場産業を育成し働く場所をつくる」ことによって,「宮崎県民の1人ひとりが不平等感,劣等感を感じ」ることを除去する点に向けられている。
前段で筆者は,国会議員江藤隆美のいう「よい国」とは「よい宮崎県」のことを意味する,と記述した。さらにより正確にいうならば,江藤のいうべき「よい国・宮崎県」とは「江藤個人にとってよい国・宮崎県」にちがいない。 ここまで書いてきて,筆者は,はたと思いついた点がある。 それは,宮崎県のおかれた地政的な位置関係のことである。この県は,日本の都道府県のなかでもとくに,国際関係的見地を要求されないで済む地理的位置におかれている。この位置に関する指摘は,同じ九州地方でも比較の材料に福岡県‐長崎県‐鹿児島県などを出して考えてみれば,得心のいくところとなる。端的にいえば,国際性をもつ必要が切実にはない県が,この宮崎県かもしれないからである。
--先述の論点にもどろう。 江藤のように「植民地で日本は韓国によいこともした」などといいはる発言は,近隣諸国との付き合い=「外交‐政治面での善隣・友好の交流」を不可能にしてしまうだけでなく,「経済‐文化面の交易・親善」さえ妨げかねないものである。 それどころか,江藤のいいぶんは,これまで長年の努力を重ねつくりあげてきた,東アジア各国との国際関係をぶちこわすかもしれない〈不逞・無礼・不躾〉なものである。 ごくたまには,昔日本の植民地だった国々・地域の人間であっても,日本人に対して「日帝はよいこともした」といってくれる者が,いないわけではない。韓国人や台湾人の物書きでそういうタイプの人間がいる。日本で彼らは,一部陣営の人びとから大歓迎される書物を,保守・右翼・国粋的な書肆から出版してもらっている。 しかし,植民地において被支配者の位置に立たされ,差別・抑圧・暴虐をうけ,搾取・収奪・殺人され,不幸・悲劇・悲惨・絶望の目に遭わされてきた人々たちにとっては,その99%以上百%近くが「日帝は悪いことをした」といってきた。 それなのに,日本人の一部,それも錯乱的・狂信的な歴史感覚の持主,そして,保守右翼国粋の人士である江藤隆美のような頑迷者は,「日帝はよいこともした」と断言する。こういう表現は当然,「日帝は悪いことをした」という歴史的展開と裏腹の関係でいわれてきたものにまちがいない。 つぎの枠内に参照する写真は,江藤隆美を国会議員に選出してきた宮崎県〔江藤は第2区選出〕宮崎市〔第1区〕に建てられた「旧日帝による大東亜侵略戦争を正当化する記念塔」である。
旧日帝の侵略をうけたアジア諸国,およびその国々の人たちの目に映るこの「平和の塔」は,かつての侵略戦争を如実に表現するオブジェ:「血まみれの塔」となる。この塔の外壁全体には,侵略戦争をおこなっていったさいこの国が全身に浴びた「返り血」が血糊となってこびりついている。
|
さてここで論及を小泉純一郎首相の話にもどそう。
●
小泉純一郎を批判する ●
その意味で小泉純一郎なる人物は,単なる〈変人〉ではなく,日本の旧い類型に属する「化石型」の政治家である。 靖国神社は,戦争神社(war [military] shrine)である。いわば「死に神」が「生ける大衆」に向かって「国家のために有為に死ぬ」ために必要な宗教精神を強要する神社が,靖国なのである。 「国家のため」であれば,死というものを「はてしなく強要する」「死に神」が鎮座まします神社が,靖国である。このことを,小泉は百も〔千も万も〕承知のうえで参拝にいっている。そう解釈するほかない。 すでにほかのページでもなんどか指摘したことだが,旧日帝は,軍人たちを「鴻毛より軽い生命」だといってのけ,「一銭五厘」の召集ハガキで日本人男子を兵舎に収容し,アジア諸国への侵略先兵として派遣した。そして,死んだら「靖国神社」に「英霊」として合祀されるのだから満足せよ,死を覚悟して喜んで戦地へ臨めと命じたのである。 自分の息子や夫,兄弟が戦争にいって死ぬことを喜ぶ者が,いるわけがないではないか。しかし,明治以来,靖国神社はその逆理を強制するため,日本国家が設置した公営の宗教施設である。 2)旧日本帝国は,明治以来-1945年敗戦まで,東アジア諸国を侵略してきた。そのため日本の庶民たちが軍隊に駆り出された。戦争であったから当然,死者がたくさん出る。 1945年8月の敗戦まで,日本が繰りかえしてきた「戦争‐戦闘‐紛争の場」において,戦死〔など〕した旧日本軍の将兵たちが,そしてさらに,東京裁判で死刑にされたA級戦犯などの《霊》など2百数十万柱が,そこには祀ってあると信じられている。 そうした靖国のもつ実体,宗教的な意味を観察すればすぐわかるように,かつて日本帝国の軍事的侵略をうけ,多大な被害をこうむった東アジア諸国からみると,その将兵たちの「死者」を祀る神社は,存在じたいからして許しがたいものである。 日本人自身にとっても深刻な問題を提示する靖国に祀られている「英霊」たちは,アジア侵略の手先になることを強制され,アジアの人びとに残虐のかぎりをつくしてきた。アジアの被害者たちにとって,過去の怨念が積もりつもった相手=「英霊」を造り祀る場所=「靖国」神社が,どんな施設に映るかいうまでもないことである。
敗戦直後,植民地地域に設置されていた数百にもなる日本の神道式神社すべてが,被支配者だった人びとの手によって,瞬時に破壊しつくされた事実に思いをいたすべきである。 3)すでに天皇家歴代の〈一神〉と祀られている昭和〔裕仁〕天皇が生存中,東條英機らA級戦犯を合祀したあとの靖国神社に参拝できなくなった事由は,明らかである。 ヒロヒト天皇にとっては,自身の犯した大罪を代わりに背負い霊界に旅立ってくれた「東條英機たちの霊」に対して「頭を垂れるという宗教儀式」=「上下関係の逆転:逆立ち」は,身震いするほどおぞましいものとなるのである。 靖国神社という宗教施設は,相手を殺しにいかねばならない「戦い」に出征していく人に対して,その戦いにおいては,自分自身も「すすんで死ねる勇気と覚悟」を与える場所,いいかえれば「戦争を謳歌できる精神的準備」を提供するための霊所なのである。 4)天皇が「靖国に参拝にいく」といってはみても,戦争にかかわって「彼自身が死ぬこと」は,唯一除外とされねばならないことだったし,かつまた絶対に,そうあってはならないことだったのである。なぜなら彼は,日本帝国臣民たちに対して「戦争で死ぬように督励」しなければならない「高みの立場」=「生き神」の位置に立っていたからである。 だから,ヒロヒト天皇のために死んだ《忠臣》東條英機らの霊にへりくだるような関係をもたらす礼拝形式は,皇室関係者としてはけっしてあってはならない「驚天動地」=絶対あってはならない「禁忌」だったといえる。というのも,それでは,神国「日本」帝国の「天皇と臣民とのあいだ」における神的秩序が維持できなくなってしまうからである。 戦前は国家機関であった靖国神社のことである〔陸軍(および海軍)の公的宗教施設だった〕。いまもなお,戦争で死んだ人びとの霊を「英霊」として祀りつづける機能を捨てていない靖国に参拝にいくことの意味を,小泉純一郎がしらないわけがない。 結局「靖国参拝」は,宗教的次元における意味をもった政治家の行為となる。したがって,上段の社説も「公式行事的な靖国参拝は,憲法の政教分離の原則から考えても疑義がある」と指摘したのである。 |
■
防衛大綱の見直し議論加速の考えを表明
石破防衛庁長官 ■
【文中「--以下の文章」は筆者のコメント】
同日夜(同14日未明),同市内で同行記者団に対して「前回の大綱から7年経ち,日本の防衛をとりまく環境はおおきく変化した。諸外国も適時適切にみなおしをしており,もし,国民が必要とするなら急がなくてはいけない」などと語り,日本の防衛力の基本計画を定める「防衛大綱」みなおしに向け,庁内の議論を加速させていく考えを表明した。 【筆者のコメント--石破防衛庁長官のいう国民とは,正確に表現するならば,石破 茂という政治家自身を意味する。さらには,自民党防衛族議員→防衛庁関係の国家官僚:高官のみを意味する。】 石破氏は,現在の防衛大綱が策定されて以降の情勢の変化として,つぎのものなどをあげた。 a) 国家ではないテロ組織などによる「新たな脅威」の出現 b) 国際協調による平和と安定の追求 c) 軍事科学技術の世界的な進歩 d) 自衛隊の任務の多様化 そのうえで,防衛庁が2001年9月から,防衛大綱のみなおしを前提にすすめている「防衛力のありかた検討会議」の議論を「防衛庁としての方向性を出すべく,急速に本格化させる」と強調した。 【筆者のコメント--石破長官は,アメリカの子分国家である立場から上記の防衛大綱策定以降の情勢に合わせた自衛隊の軍備強化を強調している。】 石破氏はさらに,議論すべき主な課題としては,つぎの5点をあげた。 a) 陸,海,空の3自衛隊の統合運用の具体的な態勢 b) ミサイル防衛(MD),サイバーテロ対策など,新たな脅威への対応 c) 国連平和維持活動(PKO)の本来任務化の検討など,自衛隊の任務・役割のみなおし d) 3自衛隊の装備や情報の共有 e) 技術水準やコスト削減をめざした防衛庁と防衛産業のありかたのみなおし 【筆者のコメント--石破長官は,日本国の防衛庁組織の強化,いいかえれば,軍隊としての自衛隊を,より本来の形態と機能を有する実態・内容に高度化したいという意図が明白である。】 石破氏は合わせて,5年ごとの防衛力の整備計画を定めた中期防衛力整備計画(中期防,2001年度~2005年度)も,今年みなおされる予定であることに関連して,「大綱のまえの中期防で新たな芽は出しておきたい」と指摘し,中期防のみなおしも,将来の防衛大綱のみなおしを念頭にすすめていく考えををしめした。 現在の防衛大綱は1995年,東西冷戦の終結にくわえ,大規模災害への対応といった自衛隊任務の多様化などをうけて,約20年ぶりにみなおされた。新大綱の策定には,政府の安全保障会議を経て,閣議決定が必要になる。 【筆者のコメント(Ⅰ)--日本国の周囲をみまわすとき,防衛庁がこの国を守るためには,いったいなにをしなければならないのか,という点を冷静に観察する必要がある。】 ロシアは日本に,どう対する国か? 中国は今後,軍備水準を高め,日米安保条約体制にどう対抗してくるか? 北朝鮮は,ミサイル発射という脅し以外に日本に対して軍事的に出る可能性はあるか? 韓国は,日本の軍備強化をどのようにみているか?
】 【筆者のコメント(Ⅱ)--日本という国,その過去の歴史を振りかえってみよう。】 --古代よりこの国「日本」を侵略しようとした大国は,きわめてまれであって,実際にそのような行為をなしとげた近隣諸国は存在しなかった。 「13世紀にモンゴル部族のチンギス・ハーンがモンゴル高原において,モンゴル系・トルコ系の遊牧諸部族を統一し,モンゴル帝国」を建ててから,1274年:元・高麗軍による第1次日本「征討」(文永の役) 1281年:元・高麗軍による第2次日本「征討」(弘安の役) を,日本は経験している。 日本は,一度めは九州地方の北部をいきなり襲撃されたが,2度めは敵軍を迎え撃つかたちになった。幸い「神風」と名づけた台風〔大嵐〕によって,攻め入ってきた元軍は完全といっていいほど壊滅した。 とはいえ,過去日本における千五百年の歴史をみるかぎり,長期間にわたって〔ひとまず10年以上のそれと考えると〕,日本が全国あるいは一部の地域でも侵略支配されたり,あるいはその後占領統治されたりする目には遭っていない。 唯一,日本の国土全部を支配統治された時代が,第2次世界大戦に敗退したあと,アメリカ軍を中心とする GHQ〔連合軍総司令部〕による「1952年4月28日までの占領期間」であった。 --筆者は,ある学会〔の関東部会〕で研究発表をしたとき,さきに発表をした報告者が「日本は他国に占領統治されたことがない」といってのけるのを聞いて,それはもうびっくり仰天したことがある。 社会科学(経営学)の研究者ですら,そういう政治意識をもっているのだから,日本国民一般の歴史意識では,他国に占領され支配された事実が忘却〔あるいは無視〕されてきたのである。 --いずれにせよ,日本の歴史を回顧してみれば,この国土を他国からの侵略から守る〔防衛する〕ために必要な自衛力〔防衛力〕の水準=実力は,いかなる規模と水準の内容であらねばならないか〔あればよいのか!〕重要な示唆がえられるはずである。 一言でいえば,前述に紹介されたような石破防衛庁長官の公開した「今後における日本の軍備拡大・強化の方途」は,アメリカ軍に「仕えるためのものではない」のであれば,21世紀になってなお,経済面の低迷を抜けきれないどころか,破滅の道にすら向かっているようにもみえるこの国としては,絶対とるべき方途ではない。 ところが,2003年1月15日の新聞は,「空中給油機:日米共同訓練を4月にも実施へ 防衛庁」という,以下のような報道をしていた。 防衛庁は2003年4月下旬にも,初の空中給油訓練を実施する。空中給油機は今年度はじめて発注し,2006年度の納入予定である。米軍の空中給油機を借りて実施するものだが,装備品の納入前に米国と共同訓練をはじめるのは異例といえる。 日米の連携による北東アジア地域の警戒監視体制強化をアピールすることで,核施設再稼働などの動きを強める北朝鮮を牽制する狙いもあるとみられる。 訓練は,在沖縄米軍嘉手納飛行場のKC135空中給油機1機を借り上げ,九州西方の東シナ海上空で,F15戦闘機4機をつかい,8人のパイロットをトレーニングするというものである。 また,航空自衛隊は2003年6月に米国のアラスカでおこなわれる多国間演習「コープサンダー」にF15戦闘機を初参加させるが,アラスカまでの飛行中も,米軍の空中給油機を利用した空中給油訓練を実施する予定である。 空中給油機は,中期防衛力整備計画(中期防,2001~2005年度)で4機を購入する方針が決まっており,1機めは今年度,約240億円で米・ボーイング社に発注した。訓練を前倒しすることで,2007年度からの実用・運用試験期間を短縮,早期の配備をめざす。 防衛庁は,空中給油により,戦闘機などの滞空時間が大幅に延び,防空能力の向上につながるほか,国際緊急援助活動などで海外に輸送機を派遣するばあいも,寄港地を減らせ,現地到着までの日数が短縮できるなどと説明している。
|
http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/868839/8bf392868b8b96fb-0-2.html |
●
防衛庁官僚(高級軍人)を批判する ●
だが,「空中給油により戦闘機などの滞空時間が大幅に延びる」ことに関して, 航空基地に離着陸する回数が減るから騒音低減にもなる」という説明の方法は,枝葉末節であって,完全に本質をはぐらかすものである。 さらには,「国際緊急援助活動などで海外に輸送機を派遣するばあい」といういいわけも,ほぼ同様な説明方法だといえる。 前段の説明のなかには戦闘機〈F15〉しか出ていない。輸送機は大型であり,これに空中空輸するという話しは,筆者は寡聞にしてしらない。 空中給油の本来の目的は,あくまで「戦闘機などの滞空時間が大幅に延び,防空能力の向上」のためであって,上記の説明内容は付け足し風のもの,あるいはごまかしに近いものある。 筆者はだから,ずいぶん不思議なことを述べる防衛庁だと感じた。以前,航空自衛隊では,「足の長い」つまり,燃料補給なしで〔空中給油も当然ふくむが〕長距離を作戦活動できる〔飛べる〕戦闘機を,日本は保有しないと決めていたのである。 しかし,このたびの報道は,従来の防衛庁・航空自衛隊の軍事戦略がごく通常の形態にかわったことを確認させるものであった。 航空自衛隊戦闘機乗員に対して「空中給油」訓練の活動を重ね習熟させるためには,とくにそのための訓練ももっと増やさねばならなくなるゆえ,該当の戦闘機が「航空基地に離着陸する回数が減る」のではなく,逆に「増える」というみかたもできる。 ともかく,自分たち:関係部署の利害・欲望を達成するためには,理屈にもならないヘリクツを性懲りなく多発する日本の軍部官僚の態度である。そこには,非常に質が悪く,正直でないものが感じられる。 防衛庁海上自衛隊では「ヘリ空母」の保有実現を狙っている。これが実現したらつぎは通常型空母がほしい,となること必定である。日本国の防衛〔自衛〕のためになにゆえ,ヘリ空母まで必要なのか。 海上自衛隊では,所有する艦艇〔軍艦〕の排水量をわざとすくなめに表示するため,人間でいえば下着一枚もまとわない「素っ裸な状態での重量」である「基準排水量」で表示するのである。 だが,それでは,通常の任務に従事し活動する軍艦の現実的な排水量を,あえて避けた数字を出すことになる。これもまた,日本の軍艦〔海上自衛艦〕の姿に関する,ずいぶんセコイ,情報開示のしかたではないか。 そこで「各種の排水量」を,つぎに説明する。
|
■
山田 浩『現代アメリカの軍事戦略と日本』
法律文化社,2002年11月の日本軍事論 ■
① 1980年代の米ソ「新冷戦」下における日米防衛協力の進展,そのなかでの自衛隊の質的強化には,明らかに「基盤的防衛力」から「所要防衛力」への転換がうかがえる。さらに,新ガイドラインは「旧安保条約の締結(第1次安保)」,1960年の「安保改正(第2次安保)」につづく「第3次安保(新安保)」だとするみかたが,かつての自民党政治家をはじめ,かなり一般的にみられるものである。 新ガイドラインのもとで日米共同作戦体制が進展することになれば,その困難は十分予想されるにしても,今後ますます重要になるのは日本がわによる主体性の確保である。その具体的内容におけるあいまいさ,アメリカの主導性の強化にあるとすればなおさらである(401-402頁)。 新ガイドラインは,日本への武力攻撃としては,ミサイル攻撃はともあれ冷戦中のような旧ソ連軍型による大量侵攻は想定されていない。もっとも可能性のあるものとしてゲリラ型の奇襲部隊による攻撃が挙げられてきた(404頁)。 ② 後方支援とは,日本政府の憲法第9条解釈でも違憲とされるアメリカ軍の武力行使との一体化,集団的自衛権への踏みこみを避けるために案出された新造語である。後方支援とは「兵站(logistics)」として総括される領域にほかならない。 アメリカ軍の戦略上の定義は,前線の戦闘地域と後方の兵站との区別はなされるが,それはあくまで概念上の相違にとどまり,実際には両者はひとつの戦争行為のなかで不可分な関係をもつ行動と理解されている。だが,周辺事態法では,自衛隊の対米支援が,前線の戦闘地域とは区別された後方地域での行動であることが強調された。 なぜ,それにこだわるかといえば,日本領域の公海‐公空における自衛隊の支援活動が,アメリカ軍の戦闘行為〔武力行使〕と一体化することになれば,自衛隊の行動に対する違憲の非難は避けられないからである(413頁)。 ③ だが,前線の戦闘行為と後方支援とを明確に線引きすることはおよそ不可能である。自民党はそんな大事なことを憲法との関係を明らかにすることなしに,いい加減なごまかしで武力行使やそれに関連する行動をなしくずし的に拡大しようとしている(414頁)。 周辺事態法では,支援活動を中断しなければならない。また,事後に不承認の議決があれば,後方地域支援(捜索活動もふくむ)は終了されるとある。はたして,それは可能か。日本独自の判断での撤収はできない。もしそれを強行すれば日米関係は決定的に悪化し,日米安保体制は恐らく崩壊する(415頁)。 アメリカの戦争法規では,兵站活動はもちろん,兵站をささえる施設も攻撃目標となると指摘されている。ところが,日本政府関係者は,あたかもそうではないかのように「口先のいいのがれ」をしてきた(415-416頁)。 ④ 湾岸戦争の後始末として,日本の海上自衛隊の掃海能力が高く評価され,日米掃海共同訓練でも海自の隻数は圧倒的で,アメリカ軍の協力要請が今後ともますます強まることは確実である。 そこで,紛争国が放棄した機雷は「海に浮かぶ危険なゴミ」であり,これを除去するのはなんら武力行使に該当しない。しかし,これがそのまま周辺事態の掃海に当てはまるかといえば,明らかに問題がある。 第1にどうやって「遺棄機雷」と認定するのか。公海上に浮かぶ機雷がすべて遺棄されたものとはかぎらず,掃海活動が相手国に武力行使とうけとめられる危険性がある(418頁)。 --1999年,新ガイドライン制定にともない,法改正の第1弾「周辺事態法」が成立した。 この法律によって日本政府は,地方自治体や一般民間人を「一般的な協力義務」(政府解説)として,アメリカ軍のおこなう戦争に動員することができるようになった。 日本政府の関係筋では以後,この法律「周辺事態法」を実効あらしめるために,日本の自衛隊だけでなくアメリカ軍のための「有事立法」も公然と研究がおこなわれてきた。そして,2003年1月に開催された第156回国会(常会:1月20日から6月18日までの150日間)でも,「有事法制」法案が継続して審議されることになった。 いうまでもなく日本は,「欧米先進」諸国と並んで世界有数の「西側」先進国となっている。この国が,アメリカのいいなりになって軍事活動する自衛隊づくりにやっきになっているかのように映るから,事態はただならぬ様相である。 もっとも,「いちおう独立国」である日本国は,世界でも高水準の軍備〔イージス艦や最新鋭の戦闘機など〕をもっているのであるから,アメリカ軍に「顎でつかわれる」ごとき関係〔印象〕を周辺諸国にさらけ出すのは,なるべく回避しておきたい。 かといって,日本の自衛隊は実質において,アメリカ軍という〈矛〉の〈盾〉の働きをするのだという,どうみても軍事戦略には《矛盾》でしかない理屈をいつまでも正面にかかげるのは,あいかわらず不正直な説明である。 同じ敗戦国であってもドイツ国防軍と日本の自衛隊の差異は,アメリカ軍との従属‐対応‐関係のありかたにおいて,それこそ雲泥の差がある。日本の自衛隊とてもちろん,自国の強い主体性のもとに軍事活動をしようとする欲望をもっているし,現にその方向を懸命にさぐってきている。 さて,小田 実の最近作『戦争か,平和か-「9月11日」以後の世界を考える-』大月書店,2002年12月は,こう主張している。 1) 9・11以後の世界に「戦争主義」だけが横行している。 2)「平和主義」を定めた憲法をもっている国は日本である。 3)「良心的軍事拒否国家」に未来を見定めるべきだ。
--小田の本書から興味ある箇所を引照しよう。いずれも,イラク攻撃を決めこんでいるアメリカ合衆国〔小田は「合州国」と表記〕,そしてこの帝国的民主主義国に追従しかできない日本国に対する,根幹的な批判を提示したものである。 ★1 アメリカの属国「日本」 「軍事にあっては,力の強いがわが弱いがわの優位に立って支配する。世界の強者アメリカ合州国が戦後,万事,日本の優位に立ってきて不思議はない。優位は政治・経済・国全体のありかたにおよぶ」。「軍事を最優先課題とする〈安保〉という名の軍事条約が国全体のありかたまで,いかに力をおよぼしているかの事実だ。強国が強いる軍事条約は国の政治の基本の憲法をも左右する力をもつ」(181-182頁)。 「アメリカ合州国がつくり出した有事に対して,今,世界がオタオタしながらついていっている。これが今日の世界のさまです。そのオタオタしながらついていっているなかの最先鋒が,日本です」(10頁)。 「有事法制ができれば,日本は完全にアメリカの〈属国〉になります。ヨーロッパ諸国は異論があってなかなか〈属国〉になろうとはしない。アメリカの一番忠実な部下が,戦後の歴史のなかでまちがいなく日本だったのですが,〈9・11以後,日本ではさらに完全にアメリカにつき,したがい,ささえる体制ができあがりつつある。〈有事法制〉が完全にできあがれば,アメリカはそれに乗っかって,いくらでも有事の拡大ができる。その認識を私たちはもつべきです」(14頁)。 「日本がアメリカ合州国の尻馬にのって〈正義の戦争〉の後方支援を務めることは,アメリカ合州国の〈核〉攻撃,〈核戦争〉の協力者,いや〈共犯者〉になることです。これでは世界で唯一の被爆国が〈核〉攻撃,〈核〉戦争をする国になる。いったい,これはなんだという気がします」(180頁)。 「今日でも,たとえばイラクが日本を攻めにかかってくるとはいくらなんでも想定されていません。そこでの理屈づけがなんであれ,そのはるか彼方の〈××〉--イラクに向かって,日本はアメリカ合州国の尻馬に乗って攻めにいきます」。「いや,これは〈攻撃〉とはちがう,ただの〈後方支援〉だといってみても,先方--攻撃されるがわからみれば,ことは同じです。自分を攻撃してくるアメリカ合州国の戦列に日本は連なってみえます」(156頁)。
「下手をすると,ベトナム戦争においてアメリカ合州国の〈共犯者〉としての〈侵略〉の〈加害者〉であった事態をくりかえすことになるのではないか」(183頁)。
★2 「アメリカ=関東軍」の隷下国「日本」 「いま,アメリカ合州国という名の〈関東軍〉の暴走は自由の国,そのはずのアメリカ合州国内部の自由の弾圧,人権の蹂躙などさまざまに民主主義国ならざる事態を惹きおこしつつあります」(小田『戦争か,平和か』へもどって,148頁)。 「日本はいま,経済困難におちいっています。そのために聖域なき〈構造改革が必要だと,首相は叫び上げています。大銀行,大企業といえども,必要あらばつぶす--とまでいっています。しかし〈聖域〉はひとつあります。それは軍備,自衛隊についてです。どうして〈構造改革〉は,そこまで踏みこんで,軍事費を大幅に削減しようとしないのか。軍事費の多くは,いま,アメリカ合州国の際限ない〈関東軍〉行動の〈後方支援〉にとって必要なものになってきているのではないでしょうか」(190頁)。 「有事というと,なんとなくきれいなことばに聞こえるけれど,実質は戦時体制下です。戦時をつくり出したのは〈関東軍〉。〈関東軍〉が戦時を日本の国内にもちこむ。戦時にふさわしいものをつくれ,法制度の社会全体も。これが軍国主義です。日本はそうなっていった。歴史がそれをよくしめしています」(19頁)。 「かつての植民地,半植民地の支配者,西欧諸国とその驥尾に付してみずからの帝国主義を実践した日本の支配は完全に消滅したことになったか。また,西欧,日本が加害の過去を根本的に反省し,その反省のうえに被害者の植民地,半植民地とともに対等,平等の立場で新しい世界の構築に尽力してきたか。ふたつとも疑問だ」(90頁)。
「要するに,イギリスとかフランスとかアメリカとか,はたまたロシアとか,他の有名国もほかの国に攻めいって,植民地にしたのだ,殺戮したのだし,泥棒したのだ,日本が同じことをやってなぜ悪い,につきるからです〔先述に出てきた江藤隆美の妄言はその実例である〕。まったく目クソ鼻クソを笑うのたぐいで,目くそ,鼻クソの日本に誇りをもて,愛国心をもて,といわれてもしかたないことです。私は,こんなことを居丈高にいわれている日本の若者たちがつくづくかわいそうな気がします」(202頁)。 ★3 アメリカと天皇国「日本」 「天皇にしろ,責任ある人物が殺戮の対象にならずに責任のない,すくなくとも彼らにくらべればはるかに責任のない,遠いただの兵士,人間が殺される」(106頁)。 「現代の戦争で殺された人間には,民間人が圧倒的に多いことです」(31頁)。 「アメリカ合州国は不正義の戦争の最高責任者の天皇の〈戦争犯罪〉を裁判にかけて追及することはしませんでしたし,もちろん,原爆投下という〈戦争犯罪〉の最高責任者のトルーマン大統領の責任を問うことをしなかった」(87頁)。 ★4 正義の戦争の欺瞞性,対する平和主義 「〈正義の戦争〉をするがわは,〈不正義の戦争をする〉がわを敵として戦う。この敵はあらゆる不正義の手段・武器をつかう。〈正義の戦争〉がわは,この敵になんとしてでも勝たなければならない。敵が不正義の手段・武器をつかうなら,こちらもそれを凌駕する不正義の手段・武器をつかう。つかって勝つ。しかし,それは〈正義の戦争〉が,敵が毒ガスをつかうなら,生物兵器でくるなら,こちらは核兵器だ。核兵器で一挙に何十万人,何百万人を殺す。それでも殺すがわはすこしは生きのび,勝利をおらびあげることができるかもしれない。しかし,殺される何十万人,何百万人にとって,これは〈正義の戦争〉か,そのときの〈正義〉とはいったいなにか」(113頁)。 「〈民主主義と軍隊は両立しない〉という認識を世界ではじめて根本に据えたのが,日本の戦後の憲法-〈平和憲法〉だったと考えます」(131頁)。
「いま,私たち日本の市民がすべきことは,せっかち,やみくもに〈改憲〉を論じ,動くより,あるいはただ〈護憲〉を叫ぶより,〈平和主義〉の原点に立ちもどって,いかに日本が〈良心的軍事拒否国家〉として〈市民的奉仕活動〉の〈平和主義〉の実践をおこないうるかを真摯に考え,論じ,実践することだ。国を挙げての難民救済,世界の〈反核〉の実現,〈途上国〉の債務の軽減,解消,平和交渉の仲介,実現,あるいは個人の〈良心的兵役拒否〉と組みあわせての若者たちの災害救援--なすべきことは山とある。それは世界を助ける。平和に貢献する」(151頁)。 ★5 国民概念と市民概念の相違点 「〈市民〉は本質的に〈平和主義〉です。〈平和主義〉で存在し,生きていくものとしてある。この本質的に戦争をしない,無防備な〈市民〉は,もし〈国家〉の軍事力であれ〈テロリスト〉のそれであれ,軍事力で攻撃されれば,ただ〈殺される〉存在です。自分が殺されないために,それこそ世界全体のありかたを,〈国家〉の〈われら〉中心のものから,〈社会〉の〈われ=われ=われ……〉中心の〈平和主義〉の世界に〈市民〉自身の努力によってかえなければならない」(220頁)。 「〈国民〉と〈市民〉の乖離がこれもまた〈民主主義と自由〉の歴史ある,アメリカ合州国よりさらに古いその歴史を誇るイギリスのロンドンで,最近もっとも明確にみられたことです。……2002年9月28日,ロンドンで過去最大のデモ行進といわれる警察発表で15万人参加(主催者発表では40万人)の〈反戦デモ〉がおこなわれました。……とくに書いておきたいのは,そこでの集会にも参加して演説したロンドン市長が,ロンドン市民よ,このデモ行進に参加して,反戦の叫びをあげよ,とデモ行進に先立って発言したことだ。市長みずからが,イラク攻撃にアメリカ合州国につきしたがってすすもうとするイギリスの〈国民〉であるよりは,戦争に反対する〈市民〉であれと叫びかけていました」(218-219頁)。 「〈市民〉は本質的に民主主義,自由を求めます。そして,この〈市民〉の本質的な民主主義は〈市民〉の本質的な平和主義とむすびついた民主主義です」(221頁)。 「そうした〈市民〉の〈われ=われ=われ……〉の〈グローバリゼーション〉を,強力な〈国家〉を中心としてかたちづくられる政治・経済・軍事・文化にわたっての〈グローバリゼーション〉の強行‐強制のなかで,それこそ〈われ=われ=われ……〉は,いまなによりも必要としています。〈市民〉の〈われ=われ=われ……〉の〈グローバリゼーション〉を欠くとき,それが十分に形成,維持されないばあい,〈市民〉はそれぞれの社会で〈国家〉〈国民〉の名のもとに押さえつけられ,奪われ,棄てられる。いま,すでに世界はそのきざしをみせています」(220頁)。 ★6 日本は殺すがわに立つ国か? 「〈殺してはならない〉はその本質において,〈殺す〉がわ,〈する〉がわの倫理・論理です。それに対して,〈殺されてはならない〉は,〈殺される〉がわ,〈される〉がわの倫理・論理,あるいはあくまで〈殺される〉がわ,〈される〉がわに立とうとする倫理・論理です。人間はいかなる理由,大義名分にもとづこうと殺されてはならないのです」(230頁)。 以上,小田 実『戦争か,平和か-「9月11日」以後の世界を考える-』の主張は,筆者がこのホームページ〔のほかのページ〕のなかですでに披露した見解につうじるものである。小田〔や和田〕のような見解に対する反論・反撥としてよく登場する意見は,ある一定のかたちをまとったもの〔ワンパターン〕であるから,ここではとりあえず論及しないでおく。 つぎに,武藤一羊『帝国の支配/民衆の連合-グローバル時代の戦争と平和か-』社会評論社,2003年2月は,日本政府およびその代表者である小泉純一郎首相を,こう批判する。 なお,以下に参照する同書の文章は,アメリカ「帝国」によるアフガニスタンに対する戦争行為を非難したものであるけれども,2003月3月20日,サダム・フセインが独裁‐支配するイラクに対して開始された米英の戦争行為についても,まったく同じに妥当する内容である(同書,60-61頁)。若干,筆者の議論〔「--」以下 黒字の部分〕も添えるかたちでの記述となる。 1) この戦争は,戦場となるアフガニスタンの民衆に対する理不尽な非人道的行為である。攻撃を軍事目標にかぎるなどいうのは,末梢的なことにすぎない。自国を襲った「テロリスト」を捕らえるために,20年にわたる戦争と干ばつによる飢餓と抑圧に疲弊したその民〔彼ら・彼女らはテロリストではない〕を,もう一度戦火に巻きこんだのである。 すでに 650万人が難民となっている国で,新たにおびただしい民衆を難民化し,社会を破壊する。そして,お手盛りの親米政権を据えつける。爆弾といっしょに食料を投下するおぞましさ,世界一豊かな国が世界でもっとも貧しい国に高度ハイテク兵器を動員して襲いかかり,得々として戦果を発表する光景に,私はことばをうしなう。 --さて,こんどの,2003年3月20日にはじまったイラクに対する米英連合軍の侵攻は,一方的に優勢な展開をみたのち,こういう結末となった。 ブッシュ米大統領は,米東部夏時間5月1日夜(日本時間2日午前),カリフォルニア州沖を航行中の空母エイブラハム・リンカーン艦上から全米に向けて演説し,イラク戦争開戦から6週間で,大規模な戦闘作戦の終結と「戦闘での勝利」を宣言した。開戦の大義名分とした大量破壊兵器が発見されないことなどから「終戦宣言」はできなかったが,意識的に戦時局面を一段落させ、次期大統領選を視野に入れた内政重視路線に軸足を移そうという狙いとみられる(http://www.mainichi.co.jp/news/article/200305/02e/019.html)。 アメリカは要は,自国の政治的および経済的な利害・関心を至上目的においたうえで,イラク攻撃を実行したのである。イラクの一般大衆に甚大な人的・物的な被害を与えたこの侵略的戦争行為は,イギリスの軍隊を連合軍に駆りだし,あるいは日本やスペインなどの軍艦も出動させておこなわれたものである。 だが,この戦争行為はけっして,イラク在住の国民・民衆のためのものではなかった。米英はじめ日本やスペインなどは,アメリカとイギリスの現代的帝国主義者の主導した戦争行為によって,イラクの人々に対して新たな不幸・災厄をもたらすことに率先協力した。アメリカは,国際的次元のテロ行為によって自国に人的・物的な被害・不幸が生じたとき,それはもうヒステリックになってわめきちらし,その加害者:テロリストを非難した。 しかし,今回の米英両国軍によるイラク侵略戦争は,イラクの一般大衆に千人以上の死者と万人単位の負傷者も出したとみられる。この結果もとらえてブッシュ大統領は,「イラク戦争での大規模な戦闘作戦の終結と〈戦闘での勝利〉を宣言した」つもりか。彼は,いったい「なにに勝利し,なにが終結した」といったのか。自己陶酔,勝手な満足,我利我利亡者的な米国の姿が浮かんでくる。 2)小泉政権が「日本全体」を道連れにして特攻精神で飛びこもうとしているのは,そのような戦争である。ふたつの卑小な動因が彼らの背中を押している。 ひとつは,「国際社会」実はアメリカ,におきざりにされることの恐怖から,飛びきりの忠誠を披瀝したいとする〔純一郎の〕卑屈な動機である。ふたつは,今回の事件を突破口に,戦後平和主義を廃棄して国家中心の社会に日本をつくりかえる過程を,一気呵成に突っ走るという〔民主主義のルールを無視した〕便乗主義の動機である。 小泉自身,「法律的一貫性や整合性を問われれば,返答に窮する」と自認する急ごしらえの報復戦争参戦のために法案を1週間で成立させ,上海 APEC でブッシュに評価してもらうというわけである。 --日本政府,そしてこの国の宰相の卑屈で矮小な民主主義(?)政治精神が問題である。日本という国の21世紀は,20世紀後半に某国に強制されつつ積み上げてきた新憲法の精神とこの基本路線を破壊していく道筋をたどるほかないのか。 小泉政権が成立してからまる2年以上が経った。日本社会の全般的様相は,ただ一筋に悪化していくほかなく,しかもこれに歯止めをかけるような抜本的な対策が〔もちろん政治思想も〕登場するような気配も全然ない。どうして,このような体たらくの政権が維持できているのか不思議である。 いずれにせよ,小泉純一郎という総理総裁の個人的な限界・制約は,明々白々である。なるべく早い選手交代が望まれる。 3)憲法も積み上げられた憲法解釈もいっさい無視して,とにかく自衛隊を戦場に派兵し,アメリカ軍に合流して,その傍らで「旗をみせ」ようとしているのである。 愚劣,浅薄,危険な政治である。なにを問われても小泉は「テロと闘うために日本はできることすべてやる!」と,熱に浮かれたように同じ文句をおらび上げるだけである。そして,法案を審議する国会はその「テロ」の定義も,背景もまったく議論しようとしなかったのである。 「なぜか」という問いそのものが欠如しているのである。 --最近において日本政府は,文部科学省の教育政策をとおして学校の現場で子どもたちに対して,日本という国家に対する「愛国心」を強制する行政管理体制を強めてきている。そのめざすところは明らかであって,小泉純一郎のような人物が一国宰相を勤めながら「国民(!):日本民族(?)」に強要しようとする「国家主義的な価値観」を,そのまま黙って,問答無用に受容する人間=日本人〔!?〕を養成することだといえる。 世界全体のすみずみまで国際化が広く,深く浸透する時代である。にもかかわらず,実質において「自国:一国」にしか通用しえない《愛国心》を一方的に強制して植えこむような,学校現場での国家主義イデオロギー的な教育は,いわゆる「国際人」を育てる方向とは異質の人間類型を育成させることにしかつながらない。 日本政府文部科学省が子どもたちに「愛国心」を強制する教育行政は,以上のごとき疑問に答えうるなにものも,もたない。「愛国心」の必要性に関する理由説明に関してはただ,「他国の人びと」がしめすだろう「異質の愛国心」の心理・心情が理解できるようにするために……というような,実に奇怪な「没主体的」な理屈が消極的に提示されるだけである。 だが,そこに意図され隠されているものは,明治以来の旧日帝的な愛国精神の復活である。いま,日本の学校教育の現場においてのさばりはじめているのは,子どもたちに対して「問い」の創造的な展開を拒むそれである。現状日本における民主主義の状態は,敗戦以降いかほど進展,成長したといえるかおぼつかない事実がみごとに露呈している。 |
■
『朝日新聞』『毎日新聞』vs『読売新聞』『産経新聞』
4大紙の報道姿勢の比較 ■
以上2点の統計資料は,上智大学教授藤田博司ゼミナールの学生たちが,2001年9月12日から10月14日まで,朝日新聞‐毎日新聞‐読売新聞‐産経新聞4紙に掲載された「識者評論」(朝日新聞では「私の視点」)を,「9・11テロに対するアメリカの軍事行動」と「日本の自衛隊の海外派遣」に関して,各紙がどのような意見を載せたかを調べたものである。 この結果をもとに藤田教授は,2002年1月の新聞通信調査会報に「朝日新聞,毎日新聞のほうが,読売新聞,産経新聞にくらべ,より幅広い意見を紹介していた」と報告している。 --この調査資料に関連して筆者の判断をしめすならば,日本経済新聞は一貫して,読売新聞,産経新聞に近い論調であったことを指摘しておく。 筆者は,ふだんの授業のなかで紹介する資料として,新聞のスクラップ〔など〕を多量に配布する。あるとき学生に「先生は朝日新聞を多用する」と指摘されたことがある。授業に提供される「資料としての新聞紙」が偏っている,というのである。ちなみに,筆者の購読している新聞紙は,朝日新聞と日本経済新聞である。当然,この2紙からの記事が多く利用される。 しかし,筆者には反論がある。2001年のことだったと思う。日本皇室の一員である人物が,韓国・朝鮮と日本との歴史的に深い因縁〔もちろん韓国・朝鮮→日本の流れ〕に触れる発言もふくむ記者会見をした。このとき朝日新聞は,その発言部分もとりあげる記事をもって報道していた。しかし,日本経済新聞はその発言部分をまったくとりあげない記事で報道していた。 筆者はともかく,その「皇族記者会見」を報じる日本経済新聞上の該当記事をくまなくみてみた。しかし,日本経済新聞は皇族が発言した内容のうち「その点に関する発言内容」だけについてはまったく無視,記述していないのを確認した。したがって,これはどうもおかしいと感じた。 どうやら日本経済新聞は,日本が韓国・朝鮮と歴史的に深いつきあい,いいかえれば「親密な関係にあった時代が長くあった事実」そのものに目を向けたくないかのようにうけとれる,言論機関としての〈体質〉を備えている。それゆえ再び,なにかがおかしいと感じた。 上掲2表の統計資料は,日本経済新聞を調査の対象にとりあげていない。とはいえ筆者は,「朝日新聞・毎日新聞」社に対峙する布陣に立つ「読売新聞,産経新聞」という新聞社に,ぜひ「日本経済新聞」社をくわえておきたい。 |
※ とりあえず,2003年1月31日まで執筆分に,以後 順次 加筆。