2002年夏‐秋‐冬に考える外交政治問題
-オキナワと有事法制法案- |
-主 要 目 次- |
■日本敗戦 と 昭和天皇■ |
■ 日本敗戦 と 昭和天皇
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① 昭和天皇とマッカーサー元帥のなさぬ仲
裕仁氏は敗戦後,自身の「天皇責任の追及」をのがれるため,アメリカ軍への〈献上品〉として沖縄を差しだしたのである。彼はまた,「単独講和条約」の早期締結に向けて,アメリカ政府へ向けてメッセージを送り,激励した。 その講和条約の発効日は,1952年4月28日であるが,沖縄ではこの日はいまでも「屈辱の日」とよばれている(伊藤成彦『物語日本国憲法第九条』影書房,2001年,182頁)。 |
梅林宏道『在日米軍』岩波書店,2002年,37頁,図1-2。 |
【参考文献】 ここで,沖縄県出身の国際政治学者,我部政明『日米安保を考え直す』(講談社現代新書,2002年5月)の一読を薦めておきたい。本書は,日本人あるいは日本に住む人々にとって重大な問題である「在日米軍〔基地〕」を,肝心な論点を外さず的確に考察した新書である。 |
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民間航空機の航空路を狭めている自衛隊機や米軍機の「訓練空域」について,国土交通省は訓練がおこなわれていない時間帯に民間機が通過できるようにする制度の概要をまとめ,防衛庁や米軍と最終調整にはいった。 防衛庁と米軍の職員が,2005年に同省が新設する管制センターに常駐,訓練のない年間約120日について,利用できる空域や時間帯の情報を事前にうけとり,航空各社に連絡する。民間機の飛行時間の短縮や燃料節約にくわえ,異常接近(ニアミス)事故の一因でもある「空の混雑」の解消も図れるという。 ● 新制度では,2005年10月に運用を開始する航空交通管理センター(福岡県)で日本周辺の空域を一元管理する。 そこに常駐する自衛隊と米軍の職員から,国交省の管制官が,前日までに自衛隊の訓練空域や米軍以外の飛行を禁止する制限空域の使用状況について説明をうけ,通過可能な空域を設定,航空各社に周知する。 この結果,航空各社は離陸準備前に最短距離の経路を設定できることになる。訓練空域を避ける必要がなくなるため,「混雑空域の安全性も高まる」(同省航空局)という。防衛庁も米軍も,同省の提案に前向きだという。 航空各社の試算では,羽田と九州・沖縄を結ぶ路線では片道10分前後短くなり,年間の燃料費で約30億~20億円が節約できるという。 ● 現在,民間機は訓練空域を避けるために日本上空をジグザグに飛行している。 たとえば羽田発那覇行きは,静岡県焼津沖で自衛隊空域を避けるため,いったん沖合に抜ける。一方,韓国・釜山から成田に向かう便は日本海上の自衛隊空域を避けるため,島根県上空付近から焼津に向かう。 そのため,焼津沖は羽田発着便と成田発着便の一部が交差する有数の混雑空域になっており,2001年1月には日航機同士のニアミス事故が発生,乗員乗客計100人が重軽傷を負った。 国交省によると,自衛隊は週末や盆休み,年末年始には訓練がなく,新制度では年間約120日は訓練空域を通過できることになる。航空各社は「訓練がないのは利用客が多い繁忙期で,新制度の効果はおおきい」と期待している。 ◇ 〈訓練空域〉 自衛隊や米軍が管理し,軍用機の訓練飛行などに使用している。日本をとりかこむように点在しており,飛行高度などで細かく分けられている。1971年に岩手県雫石町上空で全日空機と航空自衛隊の戦闘機が空中衝突し,全日空機の乗客・乗員162人が死亡した「雫石事故」を契機に,再発防止をめざして軍用機と民間機の完全分離が閣議決定された。 --在日米軍や日本の航空自衛隊が訓練用に占有している日本全国周辺の諸空域が,民間機の航空路を圧迫‐制約し,不便‐不経済をかけているだけでなく,事故を起こさせる原因にもなっている。 とりわけ,沖縄県周辺の訓練空域は,アメリカ軍の専用である事実が上掲の図解をみればよく理解できる。軍事上のこのような従属関係をみせつけられて,日米〔米日〕関係が対等だと思う人はいない。
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「イージス4艦の名称」
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「こ
ん ご う」 〔戦艦「金剛」〕 |
「き
り し ま」 〔戦艦「霧島」〕 |
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「みょうこう」 〔重巡洋艦「妙高」〕 |
「ちょうかい」 〔重巡洋艦「鳥海」〕 |
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●1 インターネットより適当に拾ってきた写真。画像の情報容量により精粗の面で不揃いのある点は,ご勘弁願いたい。もともと,上方の3葉は防衛庁(海上自衛隊)より提供されていたものと思われる。また,下掲の1葉はアマチュア・カメラマン撮影のものである。 ●2 船体前方の番号をしらべれば艦船名は判明する。上掲の2葉は,後掲の「基本装備・戦闘能力」を念頭において眺めると,〈全速前進で航行中〉の写真と推測する。 ●3 そこで,『徹底図解 陸海空自衛隊-日本の防衛戦略を担う精鋭たち-』成美堂出版,2002年8月を参照すると,艦艇番号 174 は「きりしま」 175 は「みょうこう」 であることがわかった。 このうち前掲 175「みょうこう」の写真は,この『徹底図解 陸海空自衛隊』にも収録されている。 ●4 『平成14年版 防衛白書』財務省印刷局,平成14年9月「付録資料 CD-ROM」に収録された写真にある「艦艇番号 173のイージス艦」は, 「こんごう」 である。 その「付録資料 CD-ROM」に掲載された「こんごう」の写真は,コピーができない画像に処理されている。しかし,下記のホームページから,同じ写真が入手できた。 http://www.jda.go.jp/JMSDF/data/equip/photo/kongo.htm ●5 艦艇番号176 となる「ちょうかい」の写真は,下記のホームページから入手できた。 要は,『平成14年版 防衛白書』のなかには,イージス艦全4隻の艦影が用意されておらず,「ちょうかい」のみ前段のような処理がほどこされたかたちで提供されている。同型艦である4隻は,あえて全部を写真で紹介する必要はない,というのだろうか? http://www6.ocn.ne.jp/~sam7h/aegis_chokai.htm ●6 海上自衛隊は,各種艦艇〔軍艦〕の名称を「ひらかな」に表記している。これは,戦前における日本海軍との連続性をすこしでも薄めよう〔あるいはたもとう!〕とする意図がこめられているせいかもしれない。しかし,漢字で軍艦名をつけたほうが〈それらしく:勇ましく〉感じるのは,筆者だけの印象ではなく,誰にでも共感をえられる点だと思う。 海上自衛隊の各種艦艇を紹介するあるホームページを閲覧していたら,「軍艦マーチ」の音声を流すものに出会った。軍艦を紹介するページなのだから,そのBGM:効果音楽には,戦後の日本社会に普及したパチンコ屋でよく流されてきた「勇壮なマーチ」が,よりふさわしいというわけである。 もっとも,旧日本海軍は壊滅した。さらに,パチンコ屋でクロガネ球に挑戦するお客の大部分は,敗退する確率に宿命づけられている。パチンコ産業は,個々の会社・店舗においては栄枯盛衰をたどるものとはいえ,依然,今日も健在である。 |
【イージス艦の基本兵装と戦闘能力】 |
● 最新鋭レーダーとミサイルシステムを装備し,ミサイル・戦闘機など同時に,あらゆる方向から襲ってくる最大200個の目標をキャッチでき,10個以上の目標に自動的に対処,迎撃できる。 ■ 基準排水量 7,250 トン ■ 全 長 161 m ■ 最大幅 21 m ■ 深 さ 12 m ■ 喫 水 6.2 m ■ エンジン ガスタービン4基2軸 10万馬力 ■ 速 力 30 ノット ■ 乗 員 300 名 ■ 兵 装 ・Mk41VLS(スタンダードSAM, アスロックSUM) 2基 ・ハープーンSSM4連装発射装置 2基 ・127 ㎜ 単装速射砲 1基 ・ 20 ㎜ CIW 2基 ・3連装短魚雷発射管 2基 ・イージス装置一式 ・電波探知妨害装置 一式 ・対潜情報処理装置 一式 ■ 同型艦 - きりしま,みょうこう こんごう,ちょうかい ★★ 2002年12月5日の新聞朝刊は,小泉首相〔つまり日本政府〕がイージス艦のインド洋・ペルシャ湾への派遣を決めた,と報道した。そのさい「イージス艦の装備」などの解説に用意された図解が,つぎに参照するものである。 前段の文章の説明よりも数段わかりやすいので,さらにここに追加,かかげておく。
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出所)『朝日新聞』2002年12月5日朝刊。なお,艦艇番号173は「こんごう」,174は「きりしま」のものであった。 |
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【解
説】 ★1 防衛庁長官の詭弁 2002年12月4日,石破 茂防衛庁長官は「イージス艦のインド洋への派遣」について,「イージス艦を出すことと米軍のイラク攻撃は連関していない」と強調した。 日本国陸海空軍の最高司令官が,このような「子供だましみたいなたわいないこと」を,平然といってのける。しかも,このたぐいの発言がなんとはなしにまかりとおる「この国」……。 一体‐全体,国民・市民・住民たちは,どのような顔をして聞いているのかみたいものである。 「米軍のイラク攻撃」と,その「後方に控え支援する」ために「日本の海上自衛隊のイージス艦を出すこと」が,どうして「連関していない」のか? 不思議なことを口にする長官である。イージス艦は,インド洋までなにをしにいくのか? まず,アメリカがもしかしたら,イラクを「攻撃するかもしれない」。こういう政治外交的に重大・緊要な問題がある。いいかえれば,アメリカにとってせっぱつまった軍事的な必要性が背景にある。 さらには,そのアメリカにせかされたからこそ,海上自衛隊の〈虎の子〉イージス艦1隻を,日本は出すことにした。それなのに,叙上のごとき「程度の悪い」稚拙な理屈:「イラク攻撃と連関していない」を,恥じらいもなくもちだす一国の国防長官がいる。はてしなくも愚かしく,かつ信じられない情景である。 石破長官のいうごとき理屈は,ふつう「理屈にならない理屈」と称され,一蹴されるべきものである。
民主党は最近,11月末から12月初め,鳩山由紀夫代表が自由党などほかの野党との「統一会派‐新党」構想を提唱したため,鳩山代表の独断・独走に反撥した党内は大混乱となった。その結果,12月3日の「鳩山代表の辞任表明」となった。 小泉首相は,野党第1党「民主党」のそうした混乱ぶり:「対岸の火事」をみながら,12月4日,「イージス艦のインド洋への派遣」に踏み切った感もある。
関係してはとくに,2002年「11月19日に海上自衛隊の派遣期間を延長したさいにイージス艦派遣を見送ってから2週間で政府が派遣を決めたのは,米軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のシンボルとする思惑が色濃い」と指摘されている。 すなわち,「イージス艦派遣は対米支援強化のシンボル」であり,「米軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のシンボル」だというのである。これでは,禅問答にすらならない。結局,前後の脈絡などまったく読みとれない,支離滅裂の「出まかせ的なせりふ」なのである。 イージス艦を純粋に「シンボル」として派遣するというのであれば,さきのいいぶん,「間接支援」ならば,「米軍のイラク攻撃」と「日本の海上自衛隊のイージス艦を出すこと」とは「連関していない」などと,まえもって弁明する余地もないはずである。 イージス艦はシンボルか? 誰の? どの国の? なんのための? こういう愚問にもならぬ実に「くだらない:たわけた反問」を提示しなければならないほうとしては,たまらなくウンザリさせられる。 最新鋭高性能の軍艦「イージス艦」を遠くのインド洋・ペルシャ湾まで派遣するのに,〈軍艦の蜃気楼〉を他国海軍にみせにいくというわけではあるまい。はたまた,自衛隊員:軍人・海将兵たちに〈物見遊山〉をさせるために,インド洋までわざわざこの〈軍艦を派遣する〉というわけでもあるまい。 興味を惹く発言として,イージス艦は冷房が効いて快適な軍艦だと指摘する向きもあった。現地に遊弋する艦艇の上甲板は,80℃にもなるという。鉄の塊だから当然の現象であるが,戦争するのに「快適も不快‐不適も」あるものか。栄光と恥辱にまみれたあの旧日本「帝国の陸海軍」を見習えばよいのである。 ともかく,いうにこと欠いての,屁理屈もほどほどにすべきである。それならば,現在派遣中の艦艇もふくめて海上自衛隊の艦艇を,すべて冷房付きの軍艦に「兵備」を改装工事したうえで,派遣することにしたらどうか?
ところで,最近〔ベトナム戦争の手痛い経験を経たのち〕のアメリカは,戦争‐戦闘行為で自軍から戦死者が出ることを,神経質なまで恐れている。この点に関しては,アメリカ国民の目がとてもきびしいのである。 しかし,考えてみるに,将兵を消耗品とみなさねばならない国家の軍隊が,最少限の戦死者が出ることさえ恐れるという発想は,きわめて異常である。これをわかりやすくいえば,アメリカの「弱虫」の側面,ないしは「へっぴり腰」の姿勢である。ただし,アメリカは,アメリカ軍による「相手国=敵国・敵集団の死者製造」については,もちろん無頓着〔残虐非道〕である。
さて,今回イージス艦を派遣するに当たって日本政府は,保有する4隻のうち1隻〔「こんごう」か「きりしま」のどちらか〕を派遣することを決定した。 そして,日本政府のその決定をうけた海上自衛隊は,12月5日,第1護衛隊群(横須賀基地)所属のイージス艦「きりしま」を,アメリカ軍支援活動などのために派遣する方針を決定した。 だが,国民‐住民の「血税」大枚をはたいて調達した軍艦を,「シンボル」などとのたまいつつ,米軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のため送りだすという,日本政府関係者の「人を喰った」ような《軍事的発言》を,われわれ納税者=税支払者は,許すことができるか? つぎの防衛庁長官の発言は,「屁理屈にもならない稚拙なコジツケ的な強弁」である。
日本国憲法を遵守すべき日本の軍隊=自衛隊は,集団自衛権の発動・行使にならないためにはどこまでも,アメリカ軍の「褌担ぎ」でいなければならないというのである。 でも,関取クラスの軍備〔実力〕をもつ日本の軍隊=自衛隊が,いつまでも「褌担ぎ」では欲求不満にならないか? だいたい,そうした日本海軍=海上自衛隊〔防衛族議員などもふくむ〕が以前より強くいだいていた〈欲求不満〉を,すこしでもまぎらそうと,イージス艦をインド洋に派遣することにしたのではないか? --もとより,イージス艦の実力=性能・装備をつかわせない,発揮させないかたちでの派遣なら,この軍艦を派遣しても意味がないのではないか。 石破長官は,日本の軍艦〔イージス艦〕が「米艦に『撃て』という事態はない」というが,米艦が「日本の護衛艦に『撃て』という事態はない」とはいっていない。日米の軍事的関係は,そうした主従関係である。 「冷房装置完備の軍艦を派遣します」といういいぐさにいたっては,半世紀もまえ,家庭に冷房が普及していない時代,喫茶店による「集客の謳い文句」である。 とりわけ,防衛庁長官の繰りだす理屈「イージス艦は〈間接支援〉のシンボル」は,無理を承知の「大嘘も方便」のたぐいでしかない。 よくいうではないか,嘘でも何回もしつこく繰りかえし徹底すれば本当になると。 以前,「言語明瞭‐意味 不 明 瞭 」と揶揄される物言いが得意だった「日本の元首相」がいたことを思いだす。 しかしながら,シンボルといっても,しょせん「軍艦は軍艦」である。実際にイージス艦1隻をインド洋まで派遣し,アメリカ軍の作戦目標を手伝わせ,その手足として従属的〔いいなり〕に軍事行動させる。そうこと〔=連関!〕になるにせよ,それなりに膨大‐高額な軍事「経費」(当然日本国負担のそれ)を費消するものである。
なんといっても,イージス艦を作戦地域で直接行動させないのは,自民党関係者も明言するとおり「宝の持ち腐れ」である。アメリカ軍と連繋して運用させてこそ,その兵備‐性能が生きる。 アメリカ軍に対する「イージス艦の〈間接支援〉」〔のシンボル〕とはいっても,両国軍隊が連繋しているという面でみれば,日本の自衛艦も作戦に〈直接参加するのと同然の事態〉を意味することになる。 前線と後方のちがいは,絶対的な差を意味しない。戦争‐戦闘に参加することにかわりはないからである。「背に腹はかえられぬ」というが,アメリカ軍が腹なら日本軍は背である。 イージス艦は,補給用につかう艦艇=軍艦ではない。かといって,補給‐兵站の効率的・継続的な展開こそ実は,軍隊にとって最重要の活動領域でもある。すでに自衛隊の補給艦は派遣させており,アメリカの艦船に対して,やさしくて親切な〈乳母〉役をはたしてきている。 それにしても,イージス艦はいったいなんのためにインド洋に派遣されるのか? 最新鋭‐高性能の軍艦を,伊達や酔狂ではるか遠く海域まで派遣するはずがない。日本の軍人たちは,できればそれをつかってみたくてウズウズしている。当然であろう。 したがって,今回の出来事を説明して石破防衛庁長官のように,「集団的自衛権の発動に当たらない」というのは,詭弁というよりもそれ以前,本意・本音を隠そうとする意図的な「無理無体」,辻褄の合わないいいわけ発言である。 要するに「さきに結論ありき」。 ・「オラが国」のこのイージス「軍艦さ,みてくれ! どんなもんじゃ!」といいたいのである。 ・むろん,可能ならばイージス艦の戦闘性能〔軍艦の兵備〕を存分に試してみたいのでもある。 ・もともと,イージス艦の保有‐配備は「廉い買い物ではなかった」のだから,このさい大いに有効に実戦的な運用をしてみたい,けっしてオモチャなんぞじゃございません,といいたいのである。 ・だが,忘れてならないのは,もしも実際にアメリカ軍がイラクを攻撃したら,軍人は当然のこと,一般人も巻きこまれて多数の死傷者を出すこと必定であり,日本の自衛隊もまちがいなく,直接と間接とシンボルとを問わず,その作戦行動:戦闘行為=殺戮場面に加担する軍事力になることである。 ・今後,アメリカ軍の行動しだいでは,そうした事態の発生が予測される。だからか,いまから予防線を張ったつもりで,イージス艦のインド洋・ペルシャ湾への派遣が「集団的自衛権」の発動‐行使にはならない,と断わっている。まっとうな論理性を完全に欠如させた「この浅知恵的な屁理屈」は,「〈虚偽×詭弁〉の相乗」効果をもって,私たちの目前にその本性をさらしている。 日本政府当局は本来,「テロ対策特別措置法にもとづき海上自衛隊をインド洋に派遣した」はずである。ところが,いつのまにか「アメリカ軍によるイラク攻撃」に備えて「イージス艦派遣をする」という〈すり替え:嘘〉をついている。
……小泉政権はただちに解散総選挙し,日本の全「国民‐市民‐住民」にその信を問え。
2002年12月7日新聞の報道は,つぎの記事を掲載した。
海上自衛隊の艦艇=軍艦をインド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾に派遣していても,また同時に,「アメリカ軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のシンボル」にすぎないと「いいわけする前提」を踏まえたとしても, ペルシャ湾を航行する日本の油送船(タンカー)が攻撃されるかもしれない」という「臨戦‐有事‐戦時的な緊急事態」が予想されるときは,自衛隊法82条の海上警備行動を発令することによって,より現実的に緊急事態を想定しておかねばならないというのである。 それでは万が一,ペルシャ湾で日本の油送船(タンカー)が敵の攻撃をうけたとき,前段のごとき「アメリカ軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のシンボル:日本のイージス艦」は,「個別的自衛権」にしたがい自国の関係艦船を守る=自衛することになるのか。 ★8-2 戦争したい海上自衛隊 上述の事態を敷衍すると,インド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾に艦船を航行させている各国はすべて,護衛のための軍艦を派遣しなければならなくなる。ふつう商船関係は,戦闘が展開される海域からは事前に退避するのが常道ではないのか。 インド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾では自衛艦が「海上警備行動」するから,日本のタンカーは,その海域を安心して航行できる。仮りに攻撃をうけたばあい,「海上警備行動」に当たっている日本の自衛艦が反撃‐迎撃することになる。だが,もしもそういう事態が生じたとき日本は,イラクと戦争状態に入ったことになる。 インド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾の海域で,日本のタンカーが攻撃をうけるような事態は,アメリカ軍がイラクと戦争状態のときでしかないだろう。だとすれば,日本の軍艦がイラクと戦闘を交わすことは,アメリカ軍との共同作戦とならざるをえない。このときは「集団的自衛権」の発動・行使状態である。 ★8-3 関取の「褌担ぎ」 結局,防衛庁長官の「アメリカ軍のイラク攻撃に対する〈間接支援〉のシンボル」という説明は,「口先三寸の出まかせ」もしくは「三百代言」的な「真っ赤な嘘」である。 以前より日本の軍隊:海上自衛隊の艦船は,もうりっぱに,アメリカ海軍との共同作戦を実施してきている。 海上自衛隊の補給艦がアメリカ海軍の艦艇に燃料を補給する両国軍隊の関係は,売買契約にもとづく商行為ではなく,純粋に軍事的同盟関係の間柄において実行されている。 日本の補給艦がただで,アメリカ海軍の艦艇に燃料を補給してあげるだけなら,なんの意味もない。そこには,日米両軍の密接な軍事的連携が控えてこそなのである。 日本の「自衛隊という軍隊」は,日本の国土やその近隣海域を防衛=自衛するために存在したのではなく,アメリカ軍の後衛:「褌担ぎ」のためであれば,日本を遠くはなれたインド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾まで海上自衛隊の軍艦を派遣するものだ,という実情が理解できる。 前防衛庁長官中谷 元に替わって登場した現防衛庁長官石破 茂はきっと,アメリカ政府および軍当局にとってまことに好ましい,おメガネにかなった「日本の与党政治家」「防衛族議員」だと,高く評価されるにちがいない。 ★8-4 米軍御用達軍団:自衛隊 自衛隊はその本体:実態にふさわしいものに名称を変更したらよい。たとえば,「米軍御用達日本国〈傭兵〉軍団」はどうか? 「日光猿軍団」よりははるかに強力な武装軍団であることだけは請け負う。 この日本の傭兵軍団は,日本の国家予算約47兆5千億円のうち5兆円近い金額を自衛隊:軍事費に費消している。それ以外にも在日米軍に対する「思いやり予算」もあった。 さらに,日本国内に半世紀以上も長きにわたって駐留しつづけるこの外国の軍隊に対しては,日本国政府が別途充当し支出する予算費目もいくつかある。 念のためいっておくが,その外国の軍隊は日本国に雇われている傭兵部隊ではなく,この日本国の自衛隊がその軍隊の傭兵的な地位におかれているのである。 イージス艦は,1隻の建造費が1200~1400億円かかるといわれている。アメリカが60隻,日本が4隻,スペインが1隻をそれぞれ保有する。 日本は老朽化段階を迎えるイージス艦1隻を新造し交替させる予定もあり,さらに2隻を新造する計画もあるという。 ★8-5 日本の常識の健全さ イージス艦の派遣については,一般市民の常識的でまともな批判がある。こういう。 予想されるアメリカのイラク攻撃を支援することは,集団的「攻撃」であっても「自衛」とはいえまい。アフガニスタン攻撃のさいの支援は,テロリストに対する戦いと位置づけて合法化した。 しかし,アメリカのいうアルカイダとイラクとの関連は,信頼できる証拠がしめされていない。なのにイラク攻撃をも対テロ戦争とみなし,これを支援することはテロ対策特別措置法をもって良しとはいえない。 ましては憲法9条を顧みれば,イージス艦という高い戦闘能力をもった軍艦を他国へ攻撃に参加させるような行為は許されない。 日本は憲法からどこまで遠ざかってしまうのか。泳ぎの達者でない者が,はるかに岸を振りかえったときのような不安を覚える(『朝日新聞』2002年12月7日朝刊「声」)。 ★8-6 想像力の欠如 大衆紙『読売新聞』と『産経新聞』と踵を接して「イケイケドンドン」組のマスコミ新聞である『日本経済新聞』は,今回における日本のイージス艦派遣決定に関する「軍事的問題」を,つぎのように解説している。 インド洋で国籍不明の航空機やミサイルが他国の艦艇を襲い,日本のイージス艦がそれを探知して迎撃したばあい,憲法違反となる。 逆に,海自のイージス艦が攻撃を探知しておきながら迎撃しなければ,他国艦艇を見殺しにしたという国際的批難をうける。 「保有はするが行使はできない」という,他国には理解しがたい集団的自衛権をめぐる日本独特の憲法解釈を改め,各国との共同作戦を円滑にできるようにするか,国際的非難を覚悟のうえで,集団的自衛権の行使を自制する戦後日本の「伝統」を守るか--日本が今後とりうる選択肢は,2つあるといえる(『日本経済新聞』2002年12月7日「高い防空能力 日本,イージス艦派遣)。 --この論説は,日本の海上自衛隊が共同作戦を展開する相手を,「他国」とか「各国」とか表現しているが,これを,実質「アメリカ合衆国」といわないで解説するところが非常に誤導的(ミスリーディング)である。 また,イラクではなく,北朝鮮がアメリカの攻撃予定の国だったばあいでも〔1994年の「北朝鮮核疑惑」問題のときはアメリカが攻撃をする寸前までいったが,韓国(当時,金 泳三大統領)などの懸命な反対もあって思いとどまった〕,「他国」とか「各国」とか表現してみてもその実質は「アメリカ合衆国」1国のみである。 --日本経済新聞の論説は,日本政府の応援団でありエールを送っているポーズに映る。だいたい,自国の周辺海域にアメリカ海軍の艦艇がうようよ浮かんで軍事行動しているサマをみて,海域周辺の「他国‐各国」がどのような気持でいるかを想像してみたことがあるのか。 ・一口で「インド洋」というが,地図を拡げてみたのか? 日本の自衛隊はいつから大日本帝国海軍に生まれかわったつもりなのか? ・「他国には理解しがたい集団的自衛権をめぐる日本独特の憲法解釈」に触れているが,これを授けた国はそもそもどの国だったか? それはいうまでもなく,「国際的非難を覚悟のうえで,集団的自衛権の行使を自制する戦後日本の〈伝統〉」を与えてくれたその国のことである。
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アメリカの中東政策,さらには『自国(アメリカ)本位の二重基準〔ダブル・スタンダード〕』の政策にこそ,今回の事件を生みだした根本的な原因がある。事件の再発を防ぐもっとも重要なとりくみは,この原因をとりのぞくことに向けられねばならない(10頁)
『日本経済新聞』の論説はその後も,アメリカ政府の対イラク姿勢を擁護・支持する姿勢をみせている。こういう(2002年11月25日「風見鶏」)。
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1990年代までに海上保安庁の能力は,「日本有事」のさい自衛隊と一体に運用され,海上自衛隊〔と米海軍〕の従的な任務,沿岸監視や臨検など治安維持をうけもたされる法的枠組を確立してきた。同年代になると「国際緊急援助隊法」や「PKO協力法」制定にともない,自衛隊とともに海外派遣任務も与えられている(188頁)。
2)「海保装備の軍事化」 1999年能登半島沖と2001年奄美大島沖の「不審船事件」に直面して,日本政府当局の国境管理‐海上治安維持の基本方針は,警察的対処から軍隊的対処へとおおきく変換した。2つの事件に関しては,つぎの明確な相違点がある。 a) 発生地点における〈領海内〉と〈公海上〉。 b) 武器の用いかたにおける〈逃走阻止‐威嚇射撃〉と,撃沈につながる〈船体‐危害射撃〉。 c) 一方は,領海侵犯という〈国内法における不法行為〉の次元で論じられるが,他方は〈国際法の領域に帰属〉し,日本には今回,国際海洋港条約にもとづく限定された「主権的権利」しか有しない。2隻の不審船を,同一文脈でとらえる無理がある。
① 海上保安庁および防衛庁は,不審船を視認したばあい,すみやかに相互通報すること。 ② 状況により官邸対策室を設置するとともに,必要に応じ関係閣僚会議を開催し,対応について協議すること。 ③ 巡視船艇の能力の強化など,海上保安庁などの対応能力の整備を図ること。 ④ 海上保安庁および自衛隊のあいだの共同対処マニュアルの整備など,具体的な運用容量の充実を図ること。
① 外国船舶と思料される船舶が,我が国領海内で無害航行でない航行をおこなっている。 ② 放置すれば将来繰りかえしおこなわれる蓋然性がある。 ③ 我が国領域内における重大凶悪犯罪の準備のための疑いを払拭できない。 ④ 当該船舶を停船させて立ち入り検査をしなければならない,将来の重大凶悪犯罪の予防ができない。
アメリカの催促をうけて,日本政府がその成立を狙っているのが「有事法制〔法案〕」であり,その眼目は「在日米軍を守り協力する目的」である。自衛隊の海外派遣は当然の任務である。並行してなかでも,現在の日本国内において「おこると想定したら一番おこりやすい事件」は,米軍基地へのテロ活動である。また,日本国内じたい,すなわち日本人関係自身から,反「アメリカ」・反「在日米軍」として発生する事件にも備えねばならない。日本政府と在日米軍は現実的に,そういう想定のもとに対処している。 毎日新聞が報じた「国内治安出動訓練」は,地元の北海道新聞も当然,記事にしている。ここに紹介しよう。 |
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「任務に支障があるので明かせない」。両庁とも,記者会見はしたものの,口は極めて重かった。訓練を担当した防衛庁運用局は,武装工作員の人数,武装程度,重要施設の場所や出動する自衛隊,警察の部隊規模など一切,公表しなかった。 ただ,今回の訓練については「道内の実際にある重要施設を想定し,侵入認知から最終的な鎮圧まで具体的なシナリオはある」と述べ,民間人被害の想定も否定はしなかった。本道が初訓練のモデルケースに据えられたのは,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から亡命した元武装工作員などが著作の中で,北海道沿岸の上陸地などを指摘していることも関係しているとみられる。 警察は民間人の避難誘導や検問など後方支援が中心に,自衛隊は武装工作員鎮圧の前面に出ることが想定され,その役割分担を確認するのも,今回の訓練の目的だったとみられる。 この図上訓練に先立って,陸自は今年7月,第7師団(千歳市)で陸自として初めて市街地に侵入した武装工作員の鎮圧を目的にした治安出動訓練を行った。「機関銃など警察の対処能力を超える武器を有した武装工作員が立てこもった建物を攻撃し,工作員らを掃討する」というシナリオだった。 陸自が治安出動訓練を行うのは,安保闘争の終えんで騒乱鎮圧に向けた訓練を休止した1970年代半ば以来,四半世紀ぶりという。陸上幕僚監部は第7師団の訓練について「騒乱を想定した訓練は時代の流れで必要なくなったが,武装工作員対処という新たな危機を前提に治安出動訓練を行うのは当然」と話し,今後も訓練の回数を重ねる考えを示している。 |
『北海道新聞』2002年11月19日〔00 : 42〕 |
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訓練には道警と北部方面隊から,警備部長や防衛部長ら各20人ずつが参加した。同日午前九時すぎから,道警本部内の会議室で,2メートル四方の北海道地図を挟んで両組織の参加者が向かい合って座り,図上演習が繰り返された。同日午後5時に終了予定。全国の警察,自衛隊関係者ら60人も視察に訪れた。 訓練は「機関銃やロケット砲など強力な武器を持つ武装工作員が本道に上陸。警察だけでは対応できない状況に陥り,北部方面隊が治安出動した」という想定。工作員の武装状況や人数の把握といった初期段階から,住民の避難誘導,ライフラインなど重要施設の防護,武装工作員の追跡と鎮圧など最終段階まで,両組織の役割分担や相互連携の基本事項を確認した。 一方,道警本部の正面玄関前には,市民団体のメンバー十数人が集まり,「治安出動訓練を許さない」などと気勢を上げた。 治安出動は自衛隊法七八条などで規定され,警察力では対応できない緊急事態に内閣総理大臣の命令で自衛隊が出動できる。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル「テポドン」発射や工作船事件などを受け,2000年12月,自衛隊と警察間で締結された「治安出動に関する協定」が46年ぶりに改定。旧協定は暴動鎮圧などを想定していたが,現在の協定は武装工作員によるテロ活動も対象となっている。今後,全国各地で共同訓練の実施を検討している。 |
『北海道新聞』2002年11月18日〔11 : 30〕 |
「悪の枢軸3国」とアメリカが決めつけたうちの1国が北朝鮮であることは,周知のことがらである。北海道新聞が上記で報道した内容は,明らかに北朝鮮の工作船ならぬ「工作員」に対する「治安出動訓練」が主目的である。もちろん,国内で予想される暴動・騒乱を念頭においた訓練でもある。
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■ 米軍が核兵器をつかうといったら,同盟国日本はなんとするか ■
朝 鮮,1950-1953年。 ガテマラ,1954年,1967-69年。 インドネシア,1958年。 キューバ,1959-1960年。 ベルギー領コンゴ,1964年。 ぺルー,1965年。 ラオス,1964-1973年。 ベトナム,1961-1973年。 カンボジア,1969-1970年。 グレナダ,1983年。 リビア,1986年。 エルサルバドル,1980年代年。 ニカラグア,1980年代。 パナマ,1989 年。 イラク,1991-1999年。 ボスニア,1995年。 スーダン,1998年。 ユーゴスラビア,1999年。 アフガニスタン,現在。
「アメリカこそ,主要なテロリスト国家である」(15頁)。「西側は敵の選びかたにおいて普遍的,世界的である。判定基準は,服従しているか否かであり,権力に奉仕しているか否かであって,宗教のいかんではない」(22頁)。
●1「テロの帝王:アメリカ合衆国」 アメリカは「民主主義と自由〔の女神〕と移民の国」である。しかし同時に,上述に記録されているごとき帝国主義的横暴を,性懲りもなく,継続的におこなってきた国である。9・11事件の直後,ブッシュ大統領が思わず「十字軍」と口走ったあと,これを「無限の正義」にあわてていいなおしたとはいえ,いずれのことばも,世界中で卓抜した軍事力‐経済力‐政治力を保有するアメリカ帝国の,「途方もない《独善的・狂信的精神:態度》」を正直に吐露するものであった。
敗戦後における日本政治史の深層底流にも,アメリカの光と影が色濃く落ちている。昭和20年代におきた「下山事件」(1949年7月6日),「三鷹事件」(1949年7月15日),「松川事件」(1949年8月17日)はなぜか,そのすべてに共通して,国鉄〔現在のJR〕の現場がからむ怪奇事件であった。しかし,いまではまちがいなく,アメリカ占領軍関係筋の策謀による事件と推測されている。昭和40年代になると,田中角栄を追い落とすために「ロッキード事件」(1976年2月5日日本で報道開始)がおこされた。これも,日‐米関係を都合よくかえようとアメリカ政府筋がたくらんだ,国際政治的な陰謀事件であった。
筆者はすでに,日本国憲法第9条が完全に絞め殺されつつあると断定した。小泉純一郎は,この「第9条」の最後の息の根を止めようとしているだけでなく,さらにはその葬儀委員長さえ務めるつもりでいる。
要するに,主体的独立性ある一国としてもつべき「最低限の矜持=誇り」を,日本国は欠いている。アメリカに対する「卑屈で服従的な小国的態度」と,そのほか諸国に対する「狭窄的視野で驕慢的な対応」ばかりめだつ,そういう国,日本。それでは,この地球の上に存立する諸国家とくに,近隣のアジアから尊敬をえて,今後における国家間の善隣‐友好関係を構築することはむずかしい。2002年に日中国交30周年を迎えたが,この節目の年はなにを意味しているか,一考の価値がある。
日本国憲法第9条の根本精神は元来,アメリカが自国の都合〔敗戦後当初の日本統治方針〕があったとはいえ,敗戦直後の日本に対して押しつけるかたちで設置してくれた「理想的な平和憲法の〈核心〉」である。「平和憲法」の真の意義はまさに,いまのような時機にこそ,最大限に活用されるべきものではないか。いうまでもなく,その根本精神を教えてくれた国こそ,「アメリカ合衆国」である。いまでは反面教師に堕落したアメリカさんに,その平和憲法の存在意義を,とくと教えてあげるべき時期である。
この国が本来もっている実力〔軍事力ではなく,第1に経済力,第2政治力(NPOもふくむ),第3文化力などのこと〕を主体的に発揮させ,アメリカの向こうを張るぐらいの気概をもって,世界平和のために外交手腕を発揮する覚悟はないのか。鉄砲を担いだ兵隊やミサイルを積んだ軍艦を繰りだすことだけが,国際貢献としてやるべきことではない。
1991年1月17日,イラクに対する攻撃で開始された湾岸戦争で日本は 130億ドル,日本国民1人当たり1万3千円,4人家族で5万円以上,全戦費の2割もの負担をした。だが,日本の評価はひどく悪く,アメリカ議会は「ペーパー・アライ(paper ally)」と呼んだ。アメリカ議会には,湾岸戦争への貢献度の低い国からの輸入品には課徴金をかけるという「貢献不足制裁法案」まで提出された。
にもかかわらず,アメリカやクウェートは,日本の圧倒的で多大な貢献〔日本の国土じたいも提供していた〕を,ろくに評価も感謝もせず,ずいぶんないがしろにした。それとは対照的に,当の日本国民〔と住民〕のほうときたらまるで,返済期限を超過した借金をようやく貸主に返せたかのように「恐れ入っている」だけだった。
こういうことである。日本は「平和憲法をもつ国としての理念や立場」にふさわしい「軍事的対応」かどうか疑念が大いにあったものの,湾岸戦争が開始されてから,アメリカの子分格の国として絶対不可欠の経済的貢献をおこない,合わせてものすごい軍事協力をしたのである。
なかんずく日本は,1991年1月の湾岸戦争に対する「日本の並々ならぬ貢献」を,世界にむけてしっかり宣伝‐弘報活動してこなかった。いいかえれば,この国の存在意義を,世界各国に向かって十分に理解・認識させるための国家戦略が,完璧といっていいほど欠落していた。問題の焦点は,そうした日本の国家戦略のありかた,換言するならその全面的な欠如にみいだせる。
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■ 日本国憲法の意義をみいだし活かす時期 ■
アフガニスタンを実効支配していたタリバン政権に対して,オサマ・ラディンの引きわたしを要求したアメリカは,それがうけいれられないとみるや,タリバン政権に対して「自衛権」の名のもとに武力攻撃をおこなった。アメリカのこのような行動は,従来の国際法の「自衛権」の考えかたからすれば容認しがたいものである(237頁)。
9・11事件に即していえば,そもそもオサマ・ラディンが首謀者であるかどうかも必ずしも明確ではない。仮りに,アフガニスタンのタリバン政権が彼を匿ったとしても,そのことを理由として安保理事会が,タリバン政権に対する武力行使を憲章第7章にもとづいておこなうことは,適切ではない。
結局,日本政府が9・11事件以後おこなったテロ対策特別措置法や有事関連法案の国会提案は,国際社会の緊張を緩和させるものではなく,むしろ国際社会における「暴力の連鎖」の一翼をにない,国際的な緊張を強める役割をはたしている。それは,国内的にも憲法の基本原則を脅かす重大な危険性をはらんでいる(251頁)。
「文明間の対話」や「構造的暴力」の国際的な解消をめざす日本国憲法の立場は,9・11事件以後の世界においてテロを防止するうえで,十分に積極的な意味をもちうると思われる。日本国憲法の基本的視点に立って,いっさいのテロを否認するとともに,テロの根元のひとつになっている「構造的暴力の解消」に向けて,地味で辛抱強い努力をつづけていく以外に選択の道はなく,また,そのような平和憲法の立場を内外に積極的に広めていくことは,まさに今日的な意義を有するものと思われる(243頁,244頁)。
有事=戦争の備えをするのではなく,平和のための備えをすることこそが,いま求められている。戦争放棄‐戦力不保持‐平和的生存権を規範内容とする日本国憲法の平和主義は,このような国際社会において,ますます存在意義をもちうるものと思われる。それを積極的に活用していくかどうかは,ひとえに私たち市民の「不断の努力」にかかっている(252頁)。 |
■ 民主主義の真価が問われる日本 ■
以上に関して,最近の情勢のなかで緊急の問題である「アメリカによるイラク攻撃の可能性」や「北朝鮮拉致問題」をめぐって,いくつかの意見を聞きながら,さらに議論をすすめてみたい。2002年11月下旬より,イラクの大量破壊兵器を捜索する国連査察団がその任務を遂行しはじめ,また北朝鮮との国交正常化交渉は日本側の対応をうけて停滞を余儀なくされた。この2問題をとおして議論したい。
日本の自衛隊は依然,インド洋に海上自衛隊の艦艇を派遣しつづけ,アメリカの助っ人部隊の役割をはたしている。最近では,護衛艦「はるさめ」(基準排水量4550トン)と補給艦「ときわ」(同8150トン)が,現在インド洋で活躍中の護衛艦など2隻と交代するため,神奈川県横須賀市の海上自衛隊横須賀基地を出港している(『朝日新聞』2002年11月25日夕刊)。さらに,そのつぎの交代用の軍艦としてこんどは,イージス艦を1隻派遣するというのである。
イラクから原油を輸入しているインドのバジパイ首相は,11月21日の演説で,米英の名指しは避けながらも「どの国民も自国の運命や指導者を自分で決める権利があり,自分の考えを他国に強制することはできない」と指摘し,米英軍のイラク攻撃に反対する姿勢をしめした。一方で「イラクが武器を人道的脅威としてつかうなら放棄させるべきだ」とも述べた(『朝日新聞』2002年11月28日朝刊)。
小泉純一郎自民党政権の本質を考えよう。そもそも,みずからが属する政党を否定することでなりたっている《矛盾に満ちた政権》である。首相のやっていることは,政党を衰弱させ,議院内閣制の否定につながるという指摘は,けっして的外れではあるまい。
さて,本当は腹の底で一般大衆〔ミーハー的人々〕を徹底的に小馬鹿にしている「煽動的ポピュラリスト:石原慎太郎」都知事は,『老いてこそ人生』(幻冬舎,2002年6月)などという題名を付けた図書を公刊したりして,「年寄りの冷や水」に懲りずいまなお,政治的関心に「色気」をみせつづけている。
米豪の比較文化・文化多元主義の研究者の,越智道雄『21世紀のアメリカ文明-文化戦争と高度管理社会-』(明石書店,2002年10月)は,イスラムの一部から突出するテロリズムを,以下のように説明する。
近いうちイラクを攻撃するかもしれないアメリカ軍に積極的に協力するのは,兄弟国の間柄にあるイギリスの軍隊だけである。1991年湾岸戦争のときは,アメリカ軍中心とはいえ,国連を足場に多国籍軍を編制し動員できた。だが,今回は,フランスやドイツは距離をおき,警戒的,懐疑的な態度である。そうしたなかで日本のみ,アメリカの意向・指示に唯々諾々追従する。卑屈な姿である。アメリカにとって,これほど御しやすい国は,ほかにみあたらない。敗戦後におけるマッカーサーの12歳児:日本国に対する〈しつけ:教育〉は,ここまでかと呆れるほどみごとに〈盲目的な成果〉を生んできた。→具体例,小泉純一郎日本国総理大臣のアメリカへの優等生的な服従の態度。
もっとも極端な「国益」追求は戦争である。もっとも極端な事実の封印もまた,戦争である。事実をしらされずして,人間が幸福になることはない。国家に秘密が多くなるぶんだけ,人びとの自由の領域は狭められる。戦争はその極限である(鎌田 慧『反骨のジャーナリスト』岩波書店,2002年10月,はじめに-ペンは眠らない-ⅲ頁)。 結局,日本政府‐防衛庁高官は最近,「カネは出しても,人は出さない」といっていた1991年の湾岸戦争当時とは様変わりし,イージス艦の派遣決定で長年の〈抑制〉のタガが,一気にはずれたかのようである(『朝日新聞』2002年12月12日朝刊)。そのタガがはずれかかった「このごろの日本政治‐社会の実相」は,戦前体制:「1930年代から40年代にかけて」に似てきたと,先述のように警告されている。
2002年12月16日午前9時前,「イージス艦」きりしまは,海上自衛隊横須賀基地を出港した。このイージス艦は,近々にイラク攻撃を予定している〈アメリカ軍の助っ人〉として,いいかえれば,インド洋‐アラビア海‐ペルシャ湾において〈軍事行動中のアメリカ海軍艦艇に対する補給任務〉を遂行している「日本海軍〔海上自衛隊〕の補給艦」を護衛するため,当該海域に向けて出港したのである。
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021216it03.htm(左) http://www.asahi.com/national/update/1216/005.htm(右)
『毎日新聞』2002年12月16日夕刊(左) http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=main&NWID=2002121601000043(右) インド洋では現在,日本の海上自衛隊の補給艦2隻,護衛艦3隻が,米英の艦艇に燃料を補給する任務に就いている。 きりしまは,インド洋に到着後,護衛艦「ひえい」と交代し,司令部の役割も引きつぐ。派遣期間は長ければ4カ月のみとおしである。この間,米国によるイラク攻撃が始まる可能性があり,そのばあい,きりしまをふくめた海自艦艇の活動は,イラク攻撃への間接支援をになうかたちになる。 高い情報収集能力をもつイージス艦の派遣は,米艦艇との情報共有につながり,憲法で禁じる集団的自衛権の行使に抵触する懸念から,自民党内からも慎重論が出た。このため,政府は昨年,一度は派遣を見送っていたが,「一般的な情報交換は問題ない」と派遣に踏みきった(毎日新聞2002年12月16日夕刊参照)。
http://www.sankei.co.jp/databox/ntc/infographics/infographics_6.html
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2002年11月24・25・26・27・28日,12月1・8・10・15・17・26日,ほか,記述