佐々 淳行 なる 人物 について
● 佐々淳行と石原慎太郎の仲 ● ・石原慎太郎に親しい人物として,佐々淳行(さっさ・あつゆき)が登場していた。 ・この佐々淳行は主に,警察庁官僚を長く勤めてきた人物である。石原慎太郎の発言にいちいち賛同する。 ・東京では〔最近治安のよくなったニューヨークと〕逆に,夜の六本木や新宿・新大久保周辺は不良外国人や売春婦などの天国となり,中国マフィアの集団強盗や殺人事件などが多発する物騒な街に変貌しつつあることは,本当に残念なことだ。石原慎太郎都知事の蛮勇を期待している(佐々淳行『わが上司後藤田正晴』文藝春秋,2000年4月,60頁)。 |
・断わるまでもなくこれは,元警察庁高級官僚:佐々淳行の発言である。ずいぶん無責任なことばが羅列されている。ついこのあいだまでは,世界中でいちばん優秀,規律ある組織,犯罪検挙率も高率だと喧伝されていた日本警察である。それがいまでは,大東京の中心部・繁華街に,如上のような〈犯罪集団〉をかかえる都市になった,と嘆いている。 ・だが,まるで他人事の話である。東京の実態が上述の表現どおりであるとすれば,そんな東京に誰がした。警視庁はなにをやっていたのか?
・結局は「こまったときの石原慎太郎頼み」というわけか? ・いったいどういう人かしらべた。また著作もあるので,何冊も読んでみた。慶応義塾大学法学部での講義録も公刊している。 ・この人の感覚は,「国家危機管理」問題に関してすぐれたものがあり,日本という国家のその面における体たらくを指摘し,危機感に欠けるこの国に警告を発してやまない。 ・だがこの人,石原慎太郎の「第3国人」発言を当然のようにうけとめ,なにもとがめるようなところがない。なぜかといえば,警察高級官僚として,韓国・朝鮮人に対する差別意識が骨の髄まで〔無意識的に!?〕染みついているからである。 ・佐々淳行はまた,日本人・日本民族である点で,よくも悪くも旧き伝統に囚われている側面をはばかるところなく披露している。 ・最近は,この人,テレビや新聞・雑誌などにもよく登場する。 ・佐々淳行『ポリティコ・ミリタリーのすすめ−日本の安全保障行政の現場から−慶応義塾大学講義録』(都市出版株式会社,1994年)を紹介しよう。 ・本書カバーに紹介されている経歴を,まず引用する。本人の顔写真の下には,元内閣安全保障室長だったと紹介されている。
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1930年 | 東京に生まれる。 |
1954年 | 東京大学法学部卒業後,国家地方警察本部(現警察庁)に入庁。 |
1965年より | 在香港日本総領事館領事。帰国後,警察庁外事・警備・人事課長を経て, |
1975年より | 三重県警本部長。 |
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防衛庁へ出向,教育参事官・人事教育局長,官房長・防衛施設庁長官を歴任。 |
1986年 | 初代内閣安全保障室長に就任。 |
1989年 | 昭和天皇「大喪の礼」警備担当実行委員を務める。同年 退官。。 |
以 後 | 危機管理の第1人者として執筆,講演活動をおこなう傍ら,日本国際救援行動委員会理事長として海外ボランティア活動にとりくんでいる。 |
教 歴 | 1993年,1994年慶応義塾大学法学部非常勤講師として「日本の安全保障行政」を講義。 |
主 著 | 『危機の政治学』新潮社,『完本危機管理のノウハウ』『東大落城』(文藝春秋)など,多数ある。 |
● 佐々淳行の警察官僚的イデオロギー ● ・佐々淳行はなかなか執筆力のある人。とくに,回顧録的な著作は読ませてもらってたいへんおもしろかった。それも,警察高級官僚「武勇伝」である。部下思いのところも,とってもいい。 ・しかしこの人やはり,下々の大衆というか民衆というか国民というか人民という人々の気持まではおみとうしではない。ましてや,在日外国人に対する意識・視点は,昭和20年代のままである。 ・佐々『ポリティコ・ミリタリーのすすめ』からいくつか引用し,上記の問題点を指摘する。 1)「これで殿下も帝王学をマスターしはじめられたのだな」(22-23頁)。この発言は,現天皇が皇太子時代,沖縄を訪問したさい,沖縄解放同盟の黒ヘルから火炎瓶を投げられた事件に関してのちに,明仁氏が警察関係者にいった〔ふつうはここを「賜った」というが〕ことばに関して,佐々が述べた感想である。 ・日本に〈帝王〉に相当する人間がいるのか問うのは愚問であるが,佐々は真剣な面持ちでそのように語り,感激すらしていた筆致である。民主主義における象徴天皇制の問題いかん。 2)「約27万人ともいわれる在日朝鮮人が日本国内で生活しているという事実,また,かつて朝鮮戦争時に在日朝鮮人団体が治安問題を引きおこし,そのために日本共産党ともども在日朝鮮人総連合会が破壊活動防止法の容疑指定団体となっている歴史的事情や,……」(379頁)。 ・今日にいたって,歴史的事情がどうかわってきたか無頓着に,在日朝鮮人27万人が破壊活動防止法の指定をうける民族集団だとする表現は,非常に誤導的である。この27万人とは,いつのころにおける「朝鮮」籍の在日外国人数をさすか不明であるが,赤ちゃんから100歳近い老人まで在日朝鮮人27万人を,「破防法なる法律」の取締対象の,勘定にいれての発言か。滅相もないことを,軽々にいいすぎる。 ・そうした27万人がみな危険人物だ,ということにはならない点を意識してものいっているなら,これは,故意の誤解どころか,悪質な外国人差別と偏見であり,しかも無知をさらけだした記述である。 ・さらに天下の公党である共産党を敵視し,まともな政治団体とは認めないような書きかたには唖然とする。民主主義社会のなかではどんな思想・信条をもつ政党であっても,これをひとまず認めることは当然である。佐々の観点・頭脳には,警察庁時代の感覚がこびりついている。 ・破防法という法律の非民主主義性を度外視し,この法律の適用団体は文句なくけしからぬという感性である。そもそもの出発点において,法感覚のマヒがみられる。 ・石原慎太郎の発言「第3国人」を当然視する姿勢は,以上のごとき人々〔朝鮮人なら赤子から老人まで〕を取締まるという観点からしか世の中をみることができない,元警察官僚の悲しい性が露呈している。レトリック(修辞学)にこだわる佐々さんにしては(378頁 参照),ずいぶんあやしい,あいまいな表現・記述ではないか。 3) タイ王国の士官学校卒業式には国王が必らず出席し,2千人の卒業生に手ずから卒業証書を渡すことに触れていた(387頁参照)。 ・タイ「王国」にはいまだ「不敬罪」がある。日本の防衛大学校の卒業式には内閣総理大臣が出席し,同じようにすべきだと佐々はいうのであるが,同じたとえるにしても,ほかの国のそれをもってきたほうがよかったのではないか。 ・さすが,天皇が防衛大学校にいって……,とはいっていないが。戦前は,天皇が帝大を優秀な成績で卒業した学生に銀時計をさずけていた。 ・ある個所から,該当する文章を引用する。−−「東京帝大工学部機械工学科を最優秀の成績で卒業し,恩賜の銀時計を拝受した」。 4) 平和の尊さを本当に理解するためには,本質的にはいまだパワー・ポリティックスである国際政治外交の実態を直視し,悲惨な戦争や実相をしらなくてはいけない。戦史を学んで初めて20世紀の世界史を論ずることができる(395頁)。 ・この論述は,戦史に論及するが,現在の日本が外国から侵略をうけることばかり心配する「危機管理」論であって,日本が過去,どのような海外侵略をしてきたのか棚に上げた「戦史」うんぬんである。 5)「戦後の歴史を振りかえてみると,日本人というのは,実に運のいい民族だといわねばなりません」(354頁)。 ・たしかに日本・日本人はそうであったが,他国に運の悪いことをさんざんしてきた歴史〔戦前と戦中〕を振りかえってみることも,ぜひ忘れてほしくないものである。ね,そうではありませんか,佐々さん! 6) まさに「危機管理に先例なし」であり,すべての危機管理対象の事件事故は千差万別である。それはなにも「北朝鮮,韓国を武力攻撃」という軍事危機のシナリオである必要はない(391頁,389頁)。 ・これは佐々の得意な本題。けれども,21世紀「危機管理」はさらにどうなるのかな? 7)「永年勤続表彰や勲章がなくても天皇皇后陛下から御嘉賞のことばがあれば,これに過ぐる名誉なしと満足した」(27頁)。 ・これは佐々の不得意な論点だろう。なぜって? ・佐々の正直な意識では,天皇・天皇制は別格の位置にあるようだ。 ・民主主義より天皇・天皇制を上位においたこの国は,かつておおきなまちがいを犯した。こういう問題に関係なく,前述のような気持になれる(満足する)ところが本当に,「実に運のいい〔幸せな〕民族〔佐々さん〕だといわねばなりません」ね。 ・だが,佐々のそうしたものいいがそもそも,「民主主義」とは水と油の関係にあり,無理もある。 ・日本の天皇・天皇制は,いったいなんであるか。はたして,佐々に,それを批判的にみる目があるのか? ないだろう。そこが問題である。 ・ともかく佐々は,幸せな人かもしれない。悩まなくてもいいのだから……,天皇・天皇制についてね。私〔裴〕なんか,この問題で,いつも悩まされているけどね……。 【2000年10月19日,記述】 |
・石原慎太郎のような人物が東京都知事に選ばれる時代背景を,すこし説明しよう。 ・戦後日本の思想史的な状況について,筑波大学社会科学系教授駒井 洋は,こう述べる。 ・アメリカとソ連の対立という東西の冷戦構造のもとで日本はアメリカの反共戦略に加担し,その結果としてアジアへの侵略という戦争責任を不問にされたばかりでなく,アジアへの関心は極端に低下した。 ・戦争放棄を誓う平和な日本国民というイメージをもつ日本国憲法の理念の裏面には,アメリカ以外の外部世界とのほぼ全面的な遮断があった。ここでは,よそ者としての在日韓国・朝鮮人は,できれば退去させたい異分子として国家権力による厳重な監視下におかれた。戦後体制のこのような確立に,定住農民のみから構成され,住民としてはよそ者を徹底的に排除する柳田民俗学のムラと常民のイデオロギーがおおきな影響を与えたことは疑いえない(駒井 洋編著『日本的知の死と再生−集団主義の解体−』ミネルヴァ書房,2000年,335頁)。 |
・最近台頭してきた「自由主義史観」を批判する,東京大学名誉教授石田 雄は,こう述べる。 ・こうした急速な歴史修正主義の台頭をささえる社会心理学的基盤としては,新ガイドライン関連法に代表されるあまりにも露骨な〔日本のアメリカ〕従属への不満,グローバリゼーションの名による自由市場至上主義によるリストラ,その他生活の脅威に対する不安がある。こうした社会的不安がどの方向に誘導されるかは,今日当面している重大な岐路をなしている。 ・すなわち一方の可能性としては,従属的ナショナリズムのひとつの共通傾向として,外国人労働者排撃や弱い隣国への抑圧移譲という排外主義的方向に利用されることが考えられる。これに対して,この同じ不安は,グローバリゼーションの脅威を第3世界にも共通するものとしてうけとめ,彼らとの連帯とのもとに従属性そのものを問いなおすというかたちで,より普遍主義的な解決を求める起動力ともなる可能性をふくんでいる(石田 雄『記憶と忘却の政治学−同化政策・戦争責任・集合的記憶−』明石書店,2000年,262-263頁。〔 〕内補足は筆者)。 |
・駒井 洋の指摘する論点は,過去から日本がかかえてきた内部社会的な問題要因を意味し,石田 雄のそれは,現在・将来にむけて日本が対面する内外の課題を示唆する。 ・石原慎太郎や佐々淳行の発言に読みとれる「方向性」が,どこを向いているか,おのずと明らかである。 【2000年10月26日,記述】 |
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