(1)
人格と品性に問題のある石原慎太郎
石原慎太郎は,自分は〈小説家で1流だ〉と公言しているが,専門家の判断ではその評価がわかれ,三島由紀夫などに比較して3流以下だとするみかたもある。石原の小説が本当に1流なら,現在でも書肆の店頭にいつも平積みでもされて販売されているはずである。だが,本稿の執筆に当たって筆者が石原の著作を入手しようとしたが,書店で直接入手できたものはすくなかった。もちろん,最近における出版業界の事情を勘案すべき余地もあるが,そのような出版事情であった。
本多勝一は,「ウソつき」と「卑劣な小心者」とをこねて団子にしたような男が石原慎太郎だと,糾弾している。1956年「芥川賞」をうけた石原慎太郎『太陽の季節』〔原作は1955年7月『文学界』に公表〕は,基本的には文春が下選びした作品について,文春が選んだ「選者」たちが審査したものである。
『太陽の季節』の末尾に載せられている奥野健男「解説」は,戦争も革命もない無事平穏な時代に生きてきた石原慎太郎は,スポーツのなかに,死と直面する局限状況をみいだしている,と褒めあげていた(石原慎太郎『太陽の季節』文藝春秋,昭和32年,285頁)。しかし,石原小説に関するこの評価と,現在まで彼がのこしてきた軌跡とを突きあわせて観察すると,「戦争も革命もない無事平穏な時代」しかしらない石原は,本当は「死と直面する局限状況」にただ憧れていたお坊ちゃんにすぎないことがわかる。
本多勝一は,石原慎太郎の人間性や品格にかかわる,つぎのような諸事実を指摘している。
a) ベトナム戦争に取材に出かけた石原であったが,最前線従軍さえできず,安全地帯にいただけで,いっぱしの取材をしたかのように事後報告していた。
b) ヨット世界一周をなしとげた堀江謙一氏に対してそれを嫉妬する石原は,ヨットマンの立場で世界一周捏造説を断定的にとなえた。もっとも,堀江氏の快挙を映画化したさい,その主役は石原慎太郎の弟である裕次郎が演じた。
c) 南京大虐殺を中国がわの「つくり話」「うそ」と全否定した石原だったが,その後秘かに部分否定説に変更し,みずから「うそつき」であることを暴露した。
問題は,そんな石原慎太郎都知事を支持する国辱的日本人がすくなくないことである(以上は,本多勝一「石原慎太郎の人生」『週間金曜日』第322号,2000年7月7日参照)。
−−要は,前段のa)は,作家的活動に関連して要求されることもある〈真の勇気〉が石原には備わっていなかったこと,b)は,ヨットマンであることを,自分の書き物を売るための材料にもしてきた〈海の男〉が,意外と嫉妬深い小心者・小物であり,マッチョぶりを誇ってきたのは虚勢であったこと,c)は,煽動家に特有である強弁・詭弁,虚言・妄論などを平気でつかっていたこと,などが明々白々である。
(2)
三国人ということば「再論」−その歴史的背景−
「不法入国の三国人,外国人」という差別語の駆使は,フライングを平気でおかす石原流ポピュラリズム〔大衆煽動主義〕手法のダシにつかわれ,また,アメリカに対して抱く石原の劣等感の裏返しとして「外の外国人」,つまり中国や北朝鮮への敵愾心をいっそう煽るものである(姜 尚中・宮崎 学『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由』朝日新聞,2000年,155-156頁)。
「三国人」ということばの歴史的背景には,こういうことがあった(同書,161頁以下参照)。最近,ジャーナリズムで名を馳せている作家,宮崎 学の解説である。
a) 敗戦直後,焼け跡の大都市では,どこでも闇市が叢生し,その空間は一緒の「解放区」のごとき状態を呈していた。この「解放区」の主人公は,まず東京だけで6万人にのぼるといわれた日本人露天商。その大半は素人,カタギである。それをヤクザが仕切っていた。そして,これら日本人を凌駕する圧倒的パワーを発揮していたのが,強制連行や徴用から解放されて街頭にあふれ出してきた部分をふくむ在日朝鮮人・中国人・台湾省民であった。彼らは「第三国人」とよばれた。
b) かつての帝国本国人であり,いま敗戦国民である日本人は,これら台頭する「第三国人」に優越感と劣等感のいりまじったコンプレックスを強いられていた。一方で,ついこの間まで「劣等」なやつらだとみくだし,あごでつかってきた連中じゃないかという憤ろしい思いを抑えられない。その一方で,おれらは戦争に負けた情けない「敗戦国民」の境遇で,戦勝国がわの「解放国民」であるやつらに我が物顔をされてもしかたないじゃないかという悲しい思いもある。そこにコンプレックスが根を下ろす。
c) 敗戦後の『朝日新聞』もまちがった記事を書いていたように,朝鮮人は,日本に「戦時協力した」のではない。「させられた」のである。だから,その協力を評価してくれなどといっているのではない。むりやり連行してきて「戦時協力」なるものでこきつかったオトシマエをつけてくれ,といっているのだった。それは,日本人が軍部の犠牲になったなどというのとは,まったく次元がちがう。それに,工場や鉱山,建設現場や飯場から解き放たれて行き場のない朝鮮人が,「みずからの生活擁護に急になる」のはあたりまえである。そんなことを理解しないで,日本の「再建途上の苦しみ」を理解しろなどと,当時の新聞は主張していた。
d) 以上には,当時の平均的日本人の在日朝鮮人に対するコンプレックスに満ちたみかたが代弁されている。日本の困難な状況をわきまえない不届き者という感情と,それのパワーに対する恐怖,みずからの無力に対する悲しみがないまぜになっている。
e)
敗戦後,東京でも国有地・都有地を実力で占拠し,各民族ごとに自警団・保安隊・自治隊などの名称のもとに若者を中心とする武装集団を確立している。彼らは刀剣だけでなく銃も装備していた。そして,これまで抑圧されていたがゆえに強められた民族的団結心を発揮して強固な組織を形成した。
さらに,その特別な地位を活かして,独自の物資供給ルートを確立し,納税の点でも利点を活用した。彼らは,日本人露天商には手にはいりにく砂糖や白米などの禁制品もあつかい,税金もたくみに逃れることができたのである。
ここに,国籍を問わず当時日本列島に生きるものすべてが直面していた生きんがための物資獲得の闘いのうえで,日本人と「第三国人」とのあいだに,ある種のハンディが現われたのである。そのハンディが,単なる精神的なコンプレックスにとどまらず,食うことにむすびついた,物質的な,よりむきだしの怨念をつくりだすことにつながっていったわけである。とくに,欲望が渦巻き,実力が勝負の闇市のような世界では,この要素がきわめて濃厚になるのは当然である。
f) こうして,解放区状態の闇市において生まれていた,日本人ヤクザ,朝鮮系・中国系の「第三国人」武装集団,そしてようやく無政府状態の整序に乗りだしつつあった警察・占領軍とのあいだの,三つ巴・四つ巴の実力による対抗関係は,敗戦国民・日本人の精神的コンプレックスと物質的怨念を単純明快な暴力のうえに投影するものとなっていた。それは自然ななりゆきであった。ここに,日本の警察がヤクザを暴力装置としてつかうという関係が成立した。その対抗関係には民族意識,差別・被差別意識が介在していたことは否定できない。
g) 民族意識・差別意識はたしかに介在していた。それはだが,そのもうひとつ底に,「日本人の野郎め」「朝鮮人のくせに」という意識を突きぬけた,両方ともども「どっこい生きている」,要は力と意地を張りあいだという,ある種「健康」な裸の個,裸の集団の対抗意識が,そこにはあったのではなかろうか。それは民族と民族との怨念の抗争という以前に,むしろ生きんがための裸同士のぶつかりあいであったかもしれない。実際,朝鮮人の警察署襲撃と闘ったヤクザのがわには多数の在日朝鮮人がくわわっていたのである。
h) 問題は,敗戦後の日本社会におけるものではない。現在のそれなのである。すなわち,今日における石原「三国人」発言には,その〈ある種の健康さ〉がなく,それを支持する大衆の意識にもそれはみられない。「不健康な社会」「鈍感な社会」では,石原は「ホンネをいってくれた」という喝采がみられるが,それは理の曲非をべつにして,敗戦直後の「第三国人」に対するタツキ〔方便〕を脅かされていた闇市の露天商がヤクザに送った喝采の「ホンネ」とは,まったくわけがちがう。
i) 今日の日本と在日アジア人とのあいだに生まれている軋轢は,裸の個,裸の集団のぶつかりあいがつくりだしているものではない。基本的に管理された多数派の感性が異物に対して抱く違和感が生みだしている軋轢である。「不健康な社会」「鈍感な社会」では,みずからに挑戦してくる者は,裸の個,裸の集団ではなく,秩序に対する異物という抽象的なもの,のっぺらぼうなものとしてとらえられる。私の生活を脅かすあの外国人,この外国人ではなく「不法〔滞在〕外国人」という異物像となる。そして,異物は排除されなければならない。そういう鈍感な反応しか,その社会はしめしえない。
j) 石原「三国人」発言は,そうしたデオドラントな(deodorant,防臭剤)管理社会の感性に立脚したものでしかしない。案の定,それに惹起されたのは,鈍感な異物排除の反応にほかならなかった。そしてそれが,官僚支配の管理社会にたてつく「異物」であるかのような顔をして登場している石原によって提起されたところに問題がある。
そのようななかにあって,「秩序を乱す」在日アジア人をめぐる感情からは,敗戦直後の「第三国人」との対抗にあった裸の「健康」な要素がまったく欠落し,敗戦によるコンプレックスの要素もぬぐいさられ,のこるのは尊大な差別感情のみである。その本来,不健康で鈍感な感情の吐露を,威勢のいいアニサンの啖呵であるかのように喝采している者たちがいる。喝采している者の多くは,すこしも威勢のよくない,社内暴力をみてみぬふりするような「市民」たちである。
これが石原「三国人」発言をめぐる日本の光景である。これは「柔らかな全体主義社会」である。
(3)
石原効果−発言の犯罪性−
2000年7月19日『朝日新聞』有閑のコラム「窓」は,こういう事例をとりあげていた。以下に,その全文を参照する。
−−「おまえようなバカは 日本から 早く出ていけ 石原都知事は 外国人は犯罪者だ といったそうだ おまえも犯罪者だ この国からから早く出ていけ おまえのようなバカに 日本に住む権利はない 帰るのが いやなら 死ね」
異様な文面である。ワープロで,太くおおきな字をつかってうたれたこの手紙が,東京都内に下宿するドイツ人女子留学生ロッテさん〔仮名〕にとどいたのは,6月下旬だった。もとより,差出人の名前はない。手がかりらしきものといえば,消印に石神井〔東京都練馬区の地名〕があるだけだ。警察にもとどけたが,これだけでは脅迫とはいえないと,とりあげてもらえなかった。
ロッテさんはすっかりおびえてしまった。どこの誰ともわからぬ相手に,名前や住所をしられているのも気味悪い。しりあいのドイツ人の家庭に急遽引っ越す騒ぎとなった。
ロッテさんは,日本文学の専攻で,都内の大学図書館にかよっていた。この国の文化を学びにきていて,こんな目にあう。日本のイメージにとっても残念なことである。
都知事の石原慎太郎が陸上自衛隊の式典でおこなった発言の余波が尾を引いている。石原本人は,外国人はみな犯罪者だ,などとはいっていない。しかし,調子に乗って,話をそんなふうにひろげる手合いは,必らず出てくる。
人はみな,悩みや欲求不満がある。自分なりに心の整理をつけるのが大人の態度だが,それができない人もいる。社会に不満がたまる。「悪いのは外国人だ」と,誰かが決めつける。そうだ,そうだと,付和雷同の合唱がおきる。歴史でくりかえされた光景である。
人々の不満を刺激して一時の人気を博す。そういう扇動者の振る舞いに,石原の言動もどこか似ている。
a) 筆者にいわせると石原は実は,このような庶民・大衆の反応が出てくることを,秘かにあるいはあからさまに期待している人物である。本稿全体が明らかにしたように,外国人に犯罪者が多いという事実無根の「デマ」を真実であるかのように喧伝したのは,都知事である石原慎太郎であった。
b) この人物は本当に,本物の差別排外主義者〔レイシスト〕である。「石原はファシストだ」という指弾も文句なく当たっている。
(4)「北鮮」発言−くりかえされる差別的言辞−
2000年7月19日開催された「石原都知事と議論する会」のなかで,石原は朝鮮民主主義人民共和国〔北朝鮮〕を「北鮮」とよんだ。具体的には「おおきな衝撃にテポドンという北鮮のミサイルを撃ちこまれたと思ったそうだ」,「北鮮はなかなかややこしい存在ですが」などと語った。一方,同日あった外国人都民の意見を都政に反映させる「外国人都民会議」では,石原都知事の「三国人」発言に対する批判があいついだ。北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕をこの略称名や正式名でよばず,「北鮮」と「朝」を省略するのは「植民地時代につくり出された蔑称的表現」との声が強いのである(『朝日新聞』2000年7月20日朝刊)。
a) 古い意識をもつ一部の日本人は,北朝鮮をあいかわらず「北鮮」とよんで憚らない。この〈蔑称〉表現は,いままで韓国がわが北朝鮮のことを「北韓」とよび,北朝鮮が韓国のことを「南朝鮮」とよんできた関連性を念頭におき,批判しておく必要がある。
b) 旧日帝が,植民地時代における朝鮮を地域的に区別して指称するさい,北朝鮮と南朝鮮を「北朝」や「南朝」とよばなかった理由は,この字面をみれば一目瞭然である。朝鮮の「朝」ではなく「鮮」をとって「北鮮」「南鮮」と呼称したり,朝鮮へいくことを「渡鮮」と表現したりしたわけは,宗主国が被支配国に対する格づけを押しつけた表現なのである。したがってそこには,あからさまに差別の観念をしみこませた序列関係を誇示する意図もあった。
c) 関係者がとても嫌い,いやがる「北鮮」という差別表現を,石原は臆面もなく平然と駆使している。この人にいわせると,この「北鮮」なる用語も,「三国人」発言のときと同じように差別の気持などなくつかっているのだ,ということになる。
d) だが,真相はちがう。彼は北朝鮮を毛嫌いしているし,「三国人」概念をつかったときも,このことばにまつわる歴史的因縁をよくしっていながら,しかもこのことばを差別する意図をこめてつかっていた。そのときと同様に,「北鮮」という差別語をまたもや振りかざし,得意満面になっている。その骨髄まで浸潤した対アジア=朝鮮人に対する差別意識は,救いがたいほどに病的である。
e) 北朝鮮を最大の仮想敵国におき,日本の外交政治にかかわる歴史的責任を棚上げしようとする姑息な姿勢を,根本から批判した文献がある。北川広和『北朝鮮バッシング』(緑風出版,2000年5月)は,「あまりに異常な北朝鮮バッシングを批判し,日本政府・マスコミのその狙いがどのへんにあるかを解説した著作である。
北川は,日朝両国間の基本関係を,つぎのように説明する。
f-1) 日本政府は,植民地支配がまちがいであったと認めたくない〔1965年6月に調印された日韓基本条約および付則協定によって両国の関係が正常化されたときと同じ態度である(筆者注記)〕。賠償金・保証金など払いたくないという,日本がわのホンネがみえかくれしている。
f-2) 日朝関係間に国交がないのは,北朝鮮のミサイル問題や拉致疑惑のためではない。日本が朝鮮を不法・不当に植民地支配したからであり,戦後も敵視政策をとって植民地支配に対する謝罪も償いも拒んできたためである。したがって,日朝交渉は植民地支配の清算が原点となる。日本は加害者であり,朝鮮は被害者なのである。この原点をひとつひとつ具体的に確認しながら交渉をすすめることが,本来の意味での正常化への道である〔筆者注,韓国に賠償金に相当するものを補償したから,北朝鮮にその必要がないとするのは姑息な態度である〕。
g)
いずれにせよ石原は差別用語の使用を公言する。被差別部落出身者や身体障碍者に関することばは,「ある状況を説明するのにいちばん直截な,日本語として成熟したことばまでが,たまたま肉体的にハンディキャップを負った人々の呼称をふくんでいるだけで否定されることは,非文化的だし,野蛮だ。私はつかう」と,依怙地になってつぱっている。
この発言をみてもわかるように,石原は「文化」という楯をふりかざして,差別用語の使用を合理化する。差別されるがわの痛みを理解していない。「三国人」発言についても「差別語」ではないと強弁し,結局謝罪しなかった〔この点は本稿の最後部で言及した(筆者注記)〕(石原慎太郎研究会著『石原慎太郎猛語録』現代書館,2000年,130-131頁参照)。
「差別と偏見を否定しながら,差別と偏見をおこなうのが石原流である」。
「まさに石原がどう否定しようと,帰化人や在日外国人に対する彼の差別と偏見に満ちた言動を物語っている」(同上書,234頁)。
要するに,石原慎太郎の個人的な気分では,日本における〈ことばの文化〉に関する価値観をとりしきれる有資格者のつもりなのである。その意味でも彼は,ファシスト〔独裁主義者〕,ディスクリミニスト〔民族・弱者差別排外主義者〕,レイシスト〔人種・民族主義者〕,ウルトラ・ナショナリスト(極右国粋主義者),ポピュラリスト〔大衆扇動主義者〕たる面目躍如である。
本稿「本論」の末尾で筆者がこの男をとらえて,「徹底的に批判されるべきゆえん」と言及した意味は,よりいっそう明白である。
四半世紀ものあいだ,自民党内にとどまって国会議員を勤めてきた石原慎太郎であったけれども,集団主義的な派閥政治を談合的におこなう〔その意味では,独裁主義的でも暴力装置的でもない〕この政党にとうとうなじめなかったのは,そのような人格・品性・資質・個性によるところがおおきかった。
もっとも,自民党からスピンオフし,なにかの独裁党でもいい,これを設置できるような度量も勇気も,また人徳も資金調達力も,それこそないないづくしの男であった。あるのはただ,鼻持ちならないエリート意識に裏打ちされた傲慢な,唯我独尊の精神構造だけだった。
ところが,東京都知事の地位は,石原が本来より保持していた独裁者的政治家の手腕を発揮できそうな,最後の最後といっていい政治的活躍の場である。ようやく彼がたどりつけた都知事の舞台である。早速彼は〈大立ちまわり〉をはじめたのである。映画俳優ではないのだから,なにも弟の真似をすることはないと思うのだが。
「お山の大将,ただ1人」とはまさしく,よくいったものである。
東京は日本の目玉,日本を代表する大都市,世界有数の一大都市である。この近代都市の首長にファシストを選んだ都民は,この人物石原慎太郎を介して世界中に東京=日本が注視され,しかも悪いイメージをふりまいていることを意識しておかねばならない。石原の派手な演技に拍手喝采など送っているようなら,いずれ自分たちの首にも縄が掛けられ,この男に引きまわされかねないことを用心すべきである。
h) 前掲,石原慎太郎研究会著『石原慎太郎猛語録』は,結論部でこう警告している。
「ホンネをズバズバ話す。裏と表がない。即断即決,即実行型。これまでの政治家,首長にないタイプであり,そこがまた,人を引きつけている。しかし,それは独裁政治家,ファシスト政治家に転化しやすいタイプでもある。さらに社会的な危機が深まれば,テロと戦争を容認する恐怖政治,恐怖支配に化ける危険性を指摘しなければならない」。
石原の放つ放言・妄言・暴論のたぐいに露顕している差別的排外の基本精神は,けっして許容するわけにいかないものである。なぜなら,石原慎太郎という男は,民主主義の基本精神とは絶対にあいいれない精神構造を構えているからであり,これが彼の根っこ〈すべて〉を形成しているからでもある。
i)
アドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツ全体主義独裁政治は,世界侵略路線をすすめると同時に,軍国体制を推進するのに邪魔〔効率的でない〕とみなした範疇〔異人種・他民族,各種多様な身体・精神障碍者など〕に属する多くの人々を疎外し抹殺した。
さて石原都知事は,東京都が策定中の「人権施策推進のための指針」の骨子から,原案にあった「同性愛者」が施策の対象から削除されたことについて,2000年7月18日の記者会見で「私の好みで決める問題ではないので,もう一回庁議にかけたうえで考えましょう。都民にもぜひ意見を聞かせてほしい」と語り,再検討を約束した。
石原は,同性愛者の人権問題について「特殊な性状をもっている人はみた目にはわからないから,どういうかたちで人権が棄損されるケースがあるのか想像がおよばない。実感にとぼしい問題だ。私はヘテロ(異性愛)だから」と述べ,「むずかしい問題だからもすこしじっくり考えましょう」といっていた(『朝日新聞』2000年7月19日朝刊)。
この報道を聞くかぎり石原は,「自分の実感」〔→「私の好み:自身は特殊な性状ではなく,ヘテロ(異性愛)」だということ〕をだいじにする人のようである。同性愛者を「特殊な性状」だと把握するならば,異性愛は「普遍の性状」あるいは「正常な性状」だというふくみを隠しきれない。被差別部落のことを「特殊部落」と称してきた事実を指摘するまでもないだろう。
「〔第〕三国人」発言のときもそうであったことだが,このことばを投げかけられた在日韓国・朝鮮人たちが,いかほど深い悲しみをもったか,さらに強烈な反発さえ抱いたかについては,しかし,きわめて鈍感な精神でしか,石原は反応できていなかった。
石原は,「感性そのもの,そして想像する力をかくべつ大切にしなければならない小説家」出身の知事であったはずである。とはいえ,どんな人間にも知識・理解,感性・感覚に限界がある。「実感にとぼしく想像がおよばない問題」が自分にもあると正直に告白できたのであれば,〈実感し想像する力〉において重大な欠落をきたし,おおきな過誤を犯したのが「〔第〕三国人」発言であったことを,石原はすなおに認めなければならない。
もっとも本論でも触れたように,「〔第〕三国人」発言をおこなったさい,石原自身が「実感と想像力において重大な欠落をきたしていた」わけではけっしてない。つまり彼は,「〔第〕三国人」の歴史的含意をよくしっていたにもかかわらず,半世紀も経ったいまとなって,差別語として定評のあったこの〈過去のことば〉を意図的にもちだしていたのである。
だから,石原の精神底面に魔性のように潜んでいる差別意識は,一般大衆に絶大な〈ミーハー〉的人気のあるこの人物が振りまいたものだけに,日本社会に救いがたいほど害悪性を広める効果をもたらしたといえる。
(5)
石原慎太郎の友人佐々淳行の政治感覚「批判」
主に国家警察高級官僚を長く勤めてきた佐々淳行は石原都知事の友人であり,「〔第〕3国人」発言に賛同の意向をみせてもいた。東大法学部卒の有能・優秀な官僚である佐々は,自分の経歴を活かして書いた著作物を何冊も公刊している。だが,現場官僚的な感覚でものをいう佐々の発言は,はしなくも,みのがしがたい稚拙な政治・外交知識を露呈させている。
つぎの文章を引用し,その問題点を指摘しておく。
〔A〕「日朝国交正常化交渉は,開かれたり中止になったり,遅々として進まない。不仲だった隣人と仲直りするのは結構だが,“戦後50年の謝罪と償い”を要求する北朝鮮の理不尽な態度と,これに迎合する一部の声には我慢がならない」(佐々淳行『謎の独裁者・金正日−テポドン・諜報・テロ・拉致−』文藝春秋,1999年,55頁)。
a)
北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕が日本と「不仲だった隣人」であるというが,なぜいままで両国は「不仲」だったのか。戦前‐戦中‐戦後と経過する歴史的背景のなかで生起した諸事情・諸原因に直接触れえない佐々の執筆姿勢が,そもそも不可解である。→歴史関係において,なにがいちばん本質的で重要な要因であるかという点の議論を,故意に回避しようとする「逃げの姿勢」,あるいはそれに「無知の理性」がある。
b) 韓国〔旧大韓帝国〕・朝鮮を旧日本帝国主義が植民地にした事実をうけて,いまだ日本と国交を樹立していない北朝鮮が,両国間の国交を〈正常化〉するための不可欠の条件として,“戦後50年の謝罪と償い”を日本に要求することがどうして「理不尽」なのか,これはまたきわめて非常識で不可解な見解である。→国際政治に関する現実的感覚〔基礎知識〕において,みのがしがたい不公平,および特定知識の欠如がみられる。
c) 北朝鮮の立場を支持する人士が日本人のなかにいるのは,日本が民主主義の国であり,思想・信条の自由が保障されていることの証左である。警察官僚を忠実に勤めてきた人間である佐々が,そういった人々の声を北朝鮮に迎合する「我慢ならない」現象と指弾するのは,理解できない感情ではないけども,しかし,「社会主義国家体制」をとる国家を支持する人間を,ひたすら蛇蝎視する態度じたい問題である。
以上は,前項(4)北川広和『北朝鮮バッシング』が指摘するとおりの問題性なのである。つまり佐々も,北朝鮮に対する過去の植民地支配責任を認めたがらず,国交回復後に予想される戦後補償の請求に応えることなど,これぽっちも考えたくもないという感性をもっている。
〔B〕「朝鮮戦争のさいの火炎ビン闘争で殉職し,傷つき,幾多のスパイ事件捜査で苦労し,しかも沈黙している多くの元警察官に代わって,『冗談じゃねえや,迷惑したのはこっちだ。そっちこそ謝って償いをしろ』と叫びたい」(佐々,前掲書,55頁)。
a)「朝鮮戦争時,日本でおきた火炎ビン闘争」「幾多のスパイ事件」とは,在日朝鮮人などが関与した事件のことをさすらしい。筆者は,過去に日帝が植民地にした朝鮮でおこなってきた支配政策の「成果」と,敗戦後日本における如上の事件などで殉職した警察犠牲者の「問題」を等置する佐々の政治・外交感覚に,未熟さと幼稚性を感じとる。
b) 佐々の指摘するそのふたつの問題は,@国家間において国際政治史的にさらに検討されるべきそれと,A国家内において国政の次元に限定して吟味されるべきそれとである。とくにAの問題は,B敗戦後在日する外国人とされた韓国・朝鮮人問題でもある。
c)
したがって,両問題はそうした戦前‐戦中の歴史的背景要因と戦後国際政治関係のいりくんだ性格を有しているものゆえ,無条件に混同して論じるならばそれこそ「味噌と糞もいっしょにする」議論になってしまい,いたずらに論点を錯綜させ混濁させるほかない。
d) 一時期,外交官として外国に派遣されたこともある佐々淳行だが,その発言をきくと,ちまたに横行している「北朝鮮バッシング」の域をすこしも出ておらず,庶民感情を煽るような意見がほとんどであり,警察官僚を長いあいだ勤めあげてきた〈専門家の視点〉あるいは〈読みの深さ〉は,残念ながらその片鱗さえさがし出すことがむずかしい。
「テポドン・諜報・テロ・拉致」問題をやたら強調するかたちでしか,日本との外交〔国交正常化〕を焦点とする対北朝鮮問題を観察できない佐々の姿勢は,ケンカ好きのチンピラやくざの啖呵・虚勢とかわりない。もちろん,この「テポドン・諜報・テロ・拉致」に類する問題が,両国間における政治・外交関係において重大でないことはない。
d)-1) とはいえ,かつての日帝によるアジア侵略路線も,「テポドン・諜報・テロ・拉致」に類する「兵器・武力・謀略・陰謀」などをどんどん駆使し,おこなわれていたことではなかったか?
d)-2) 日本はそうしながら,侵略の歩をすすめていったアジア諸国に対して砲艦外交を展開し,欧米の諸帝国ともつきあい,帝国主義路線においてたがいにしのぎを削っていたのではないか?
d)-3) 現在,世界の警察官の地位を自他ともに認め,世界の政治・外交において主導権をにぎっているアメリカ合衆国も,結局「テポドン・諜報・テロ・拉致」に類する「兵器・武力・謀略・陰謀」などを無造作につかいまくる,いちばん身勝手な軍事大国ではないか?
e) 殉職した日本人警察官の命は都合何名だったというのか。それをいうなら,旧日帝に殺された朝鮮人は何十何万何千何百何十何名かご存じか。佐々の口つきをまねていおう。「冗談じゃねえや,迷惑したのはどっちだ」「数でくらべたら,てんでえ,話にもならねえや」(佐々淳行と同じに筆者も在日ながら,江戸っ子よ!)。
約50年まえのこと〔昭和20年代,日本人警察官が在日朝鮮人関係方面にうけたという被害〕を糾弾するなら,約55年まえまでのこと〔戦前‐戦時中,奴隷的に使役され殺された多くの朝鮮人の被害〕や,そして,最近までの在日韓国・朝鮮人に対する抑圧・差別問題〔政治的権利の剥奪および生活・人権の無視〕も想起しておかねば,不公平どころか,不公正である。
あえて,こういう比較のしかたをしてみた。佐々淳行の力んで強調するようなものは,なにやらずいぶん影がうすくなりはしないか。ただし断っておくが,筆者がいまここにしめした比較法は,佐々淳行のいいぶんにまで次元をわざと落とし,調子を合わせていったものである。
佐々淳行の尊敬する後藤田正晴は「省益を忘れ,国益を想え」と訓示していた。誰のものであれ,人間の命に軽重の差をつけることはできない。とはいえ,敗戦後に警察庁が在日朝鮮人関係方面からうけたとする人的損害に,敗戦まで朝鮮人が民族的単位でこうむってきた甚大な被害を交叉させる発想は,あまりにも短絡とのそしりをのがれえない。
いずれにしても,歴史的に背景のおおきく異なる問題要因を強引に比較したり,しかも両者を単純に相殺させたいかのように発言したりするのは,軽率に過ぎるというほかない。
−−警察組織内における人間関係の綾にはくわしい能吏佐々淳行であるが,歴史の解釈,外交の機微,政治の裏表などに関する冷静な把握,客観的な解明は苦手にみえる。警察官僚の生態学を知悉している佐々ではあるが,政治・外交の微妙・難解・駆引にうとく,この点における自己の認識が甘い。警備公安警察方面において有能・有為な人材〔危機管理用の抜群に優秀な「指揮官」〕だったからといって,国際的政治の場にかかわる情勢分析に不得手なばあいは,問題の性質に応じては潔く禁欲すべきであり,より慎重な態度が要求される。佐々は,外交官でも政治家でもなく,どこまでも警察庁の高級官僚であった。
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(6)
石原の雑な技術・経済観
石原慎太郎などの著作『「NO」と言える日本』シリーズを駄作だと断定した古舘
真『「NO」と言える日本への反論』(明窓出版,1999年)は,石原が都知事に当選したころ公表された著書である。
−−古舘は,石原の論調を,こう批判している。
・きわめて情緒的,感情的な記述が多く,とくに技術的な記述については,著者が科学技術に対して素人のせいもあり,非科学的で,事実とかけはなれたデタラメな説明も多い。一目みただけでまったく素人が書いたとわかるような内容である(同書,まえがき,3頁)。
・石原の論調においてめだって特徴的なのは,「自国に対する自画自賛」や「見境もなく喧嘩する」態度であり,「民族の優劣と技術の優劣はあまり関係ない」のに「技術ナショナリズムにこだわる」それである(同書,76頁)。
・とくに工学的知識では根本的なまちがい・誤解を,石原は犯している(同書,84頁,85頁)。
・性差別思想,「女は男より格下の存在である」と考える表現が石原の記述にはある(同書99頁)。これは,スパルタ教育思想を信奉する石原の教育観にむけられた批判点である。
・石原は『宣戦布告「NO」と言える日本経済』1998年のなかで,中国のことを「シナ」と記述している。『断固「NO」と言える日本』1991年は「シナ」ではなく「中国」と記述していた。古舘はこの変化を,「恐らく中国人に対する当てつけだろう」といっている(同書,195頁)。
・正式名は「中華人民共和国」,その略称を「中国」とよんでいる国家のことを,通常は差別語だと問題視されていることば「シナ」をわざと依怙地になってつかう石原の精神構造は,わがままな童子とかわりない。差別排外主義者である石原の,へそ曲がりで天の邪鬼な根性がまるみえである。
・こんなに悪質で不出来な人間に東京都知事という重役を任せている都民に不安はないのか? 都民は,石原慎太郎という小説家出身の知事の本性をしらないから,いままでとはどこかちがうこの男に都政をゆだねておけば,なにか画期的な仕事をやってくれるものと「ミーハー」的に期待している。
・自己主張の強い石原は,明確に欧米の政治や経済を否定し,けなしまくっている。これだけはっきりした気の強い性格であるにもかかわらず,この人が理想とする日本流のやりかたと称する経済が,はたしてどんなものなのか明確に伝わってこない(同書,212頁)。
・政治家としての石原慎太郎は,どのような思想・信条・立場に立っているのか。
−−もちろん共産主義者ではない。社会民主主義者でもない。アメリカ流の自由競争主義は嫌いである。官僚統制経済〔日本流の政治手法〕も支持しない。いったい「アメリカと喧嘩する」ということ以外に明確な政策がほとんど明らかにされていない(同書,212-213頁参照)。
・われわれは,こういう人物に都政を任せる危険性をしるためには想像力を働かせねばならない。ファシズムの歴史を回顧する必要がある。ファシズムは「自分たち」以外のなににでも反対し,徹底的に排除する。しかも,民族だとか人種だとか国家だとか〔ナチスドイツのばあい〈Blut und Boden:血統と国土〉を異常に高揚させる。弱者への思いやりなどなく,ファシズム的な「合理性」の貫徹に邪魔なものは暴力的に抹殺する。
・古舘は,石原はアメリカ式の弱肉強食経済を非難しているが,日本社会での弱者に対する思いやりで対象あるはずの,弱い生産者・労働者・消費者をなど完全に無視している,と指摘するのである(同書,215頁)。
・もっとも,日本社会のなかで弱者とは無縁な圏内で生まれ育ってきた石原慎太郎という人物は,そのように冷酷非情であり,冷血人間的な発想しかできない。いうなれば,知的ポーズをきどったこの都知事さん,本当は政治感覚においてプロフェッショナルでないばかりでなく,経済知識においても貧弱な常識的理解しかもっていないお方なのである。
・なまじっか,青年〔学生〕時代になんとかという文学賞をいただいたせいかそのまますっかり増長しつづけ,還暦を過ぎた御年になっても「自分だけがいつも一番正しいのだ」という意識をすこしも払拭できていない。この幼児性,唯我独尊性,虚飾性を鼻持ちならないものと感じるのは,けっして筆者だけではないだろう。
(7)
石原発言の意味するもの
今回の石原発言を批判するため急遽出版された著作のうち,内海愛子らの『「三国人」発言と在日外国人−石原都知事発言が意味するもの−』(明石書店,2000年6月25日)は,こう論じていた。
序「排斥か,共生か」 ……ヨーロッパのどこかおおきな首都の首長が,石原のような発言をしたら,その人物はたちまちデマゴーグの非難をあびて,まちがいなくリコールされる。すなわち石原は,マイノリティ〔少数者〕を標的にして,マジョリティ〔多数者〕社会における民族的排外主義を刺激し,低位と憎悪を煽ることによって,みずからの政治的願望・軍事的野望の実現を期そうとしている。
T「人種差別撤廃条約からみた東京都知事発言−外国人差別・敵意の扇動と助長−」 ……日本政府外務省はすでに,都知事の発言が人種差別撤廃条約に抵触するか否かについて,検討をはじめている。石原は,「三国人」という差別語を日本社会に復活させる〔「不法入国・滞在の外国人を新たな「三国人」として印象づけた〕という悪魔的行為をおこなった。
U「『第三国人』と歴史認識−占領下の『外国人』の地位と関連して−」 ……戦後闇市と「第三国人」支配の構図のイメージが,1950年代には日本人のあいだに定着していった。アジアへの加害認識を欠いた「第三国人観」に立って,戦後,日本人は「被害者としての記憶」を語りつづけたのである。
V「検証
石原発言−警察庁の来日外国人犯罪分析批判−人種・民族差別や偏見からの脱却を」 ……本章は,警察庁が公表している犯罪統計をめぐって詳細な分析をくわえ,その恣意的な統計操作と意図された差別・偏見を批判している。もっとも問題なのは,そもそも出入国管理法及び難民認定法は,外国人を対象とした行政法であって,日本人には適用されないものであるのに,それらをひとくくりにした合計数で来日外国人犯罪の増加を強調した点である。このやりかたは公平ではなく,意図的な人種差別といって過言ではない〔このことは本論中でもくわしく言及している〕。
結論的にいえば,不法滞在者の凶悪犯検挙率人員は,その絶対数はすくなく,また最近7年間のその数にいちじるしい増加傾向がみられるわけではない。警察庁のいう「不法滞在者が犯罪の温床」となったり,「治安上の脅威」という事実はない。日本社会に居住する人々における犯罪比率の高さの相違は,外国籍であるか否か,あるいは在留資格の相違や有無によるものではなく,この社会での定着度合と,おかれている経済的‐社会的状況によるものなのである。
日本人の犯罪が,日本人であるからおこなわれているわけではないのと同じように,外国人による犯罪も外国人であるからおこなわれているのではない。
入管法でいう行政法規の違反者である「不法滞在者」と,「刑法犯」や「凶悪犯」をひとくくりにして,「なにをするかわからない者」というイメージを浸透させている。これは,人種・民族差別を扇動するものとして警戒すべきである。もし同様な扇動が,海外で暮らす日本人に対してもおこなわれるばあいを想像してみれば,その危険性がわかる。
外国人の「管理と排除」を原則とする入管政策の堅持を目的に,入管と警察は行政機関としてのみずからの存在証明や予算獲得などの利益のため,ことさら外国人犯罪に関する人種・民族差別的な見解を公表し,マスコミも「来日外国人・不法滞在者は犯罪者,凶悪犯」だとみなす人種・民族差別的な報道を無批判につづけている。
X「自衛隊の治安出動を期待する石原都知事−防災演習に名を借りた自衛隊中心の緊急事態演習のねらいは?−」 ……ありもしない事態を想定して軍事力の発動を期待する。その意味において石原の発言はあまりにも滑稽である。一方で,中国を分裂させよとさけび,一方で,中国の核の脅威にそなえて自治体は命を投げだす必要があるといっている。自分と日本という国家に傲慢なまでの自信をもち,他方で,他の民族を徹底して蔑視する,そうした姿勢が東京都の現実の政策に反映されてしまうならば,日本はアジアのなかで孤立せざるをえない。
あとがき ……いま日本社会は「多民族・多文化社会」へとつくりかえていく創造的営為がすすんでいる。そうであるがゆえに,それに対する反動・巻きかえし,あるいはいらだちとして,2000年4月9日の突出した「石原発言」がある。
石原は,外国人が来日するさい「働きには来させても口は出させない」という平凡な保守的言辞を放っている。その規程には,「日本国民による国家」「国益を守る軍隊」の創出という,彼にとっての第1義的課題があることは明白である。その至上課題のためには手段をえらばない,マイノリティを標的にすることも躊躇しないというのが,4月9日の発言の奥底にある真意である。
−−以上,内海ら『「三国人」発言と在日外国人−石原都知事発言が意味するもの−』にくわしく論及した。
昭和20年代〔敗戦後1950年前後〕の日本社会に巻きおこった在日する韓国・朝鮮人,中国・台湾人に対する差別と偏見の意識は,「〔第〕三国人」ということばを扇動的にリバイバル〔復興・再生〕させた石原発言によって,日本社会の底面にひそむ魔性の精神を21世紀を迎える寸前に再び復活させた。その意味では,石原慎太郎という人物は〈禍根と不幸と人的災害〉をふりまく悪魔の化身である。
しかしながら,日本社会・日本人のがわで石原発言を歓迎し,彼のいうなりに誤解し,真実であるかのように勘違いする手合いも多く,始末に悪い。さらに問題の根源に控えるものは,
a)
日本国家の敗戦処理の不十分さ,
b) 戦争責任の決着問題における手抜き,
c)
少数民族〔在日定住外国人〕に対する処遇問題の回避,
などである。
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【以上,2000年7月30日補論】
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