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国連人権委員会と石原慎太郎さん


=主な目次=
 ● 国連人権委員会 【← ジャンプ あり】
 ● 金子 勝教授の石原批判 【← ジャンプ あり】
 ● 教育「通知」問題
 ● 石原的政治手法
 ● 国家至上主義の観念 【← ジャンプ あり】
 ● 石原流「手法」に冷や水
 ● 石原慎太郎は人種差別主義者 【← ジャンプ あり】
 ● 石原慎太郎の本質 【← ジャンプ あり】


 
 
国連人権委員会


 
2001年3月9日の新聞は,8日より,国連の人種差別撤廃委員会によるはじめての対日審査がおこなわれていることを報道した。

 国連同委員会は,2000年4月の 石原慎太郎東京都知事による「三国人発言 に日本政府がなんら対応しないのはおかしい」と批判した。

 また,委員から在日外国人の人権や被差別部落の問題で注文があいついだ。

 特別報告者のロドリゲス委員〔エクアドル〕がまず,人種差別思想を広めるような団体を取り締まる法整備の必要性を強調,日本が人種差別的宣伝・組織・活動の禁止を求めた国際人種差別撤廃条約第4条の履行を「留保している」とし,これについて考えなおすように求めた。

 石原発言については 「差別発言を放置しているのは残念だ」と述べた。

 この3月中旬ごろ委員会は,日本政府への勧告をふくんだ最終見解を採択する(以上,『朝日新聞』2001年3月9日夕刊)

 
2001年3月22日の新聞は,前段に関連する記事をこう報道していた。

 20日,国連の人種差別撤廃委員会は,日本政府に対して人種差別撤廃条約に実効性をもたせる人種差別禁止の特別法を制定するよう勧告した。

 同委員会は,2000年4月の石原都知事の「三国人」発言について,名指しは避けながらも「 公職につく高官による人種差別的な発言」として懸念を表明し,日本政府がこうした問題を放置していることを批判した。

 同委員会はまた,在日韓国・朝鮮人への暴力行為を懸念し,@帰化申請時に日本氏名をうながすような慣行をやめさせる,Aハングルでの教育をうける道を開く,なども勧告した。

 なお,人種差別撤廃条約は,1965年に国際で採択された。国や地方自治体・団体・個人によるあらゆる人種差別の撤廃を目的とし,ホテルや飲食店など一般公衆が利用する場所も対象となる。日本は1995年12月に加入した(以上,『朝日新聞』2001年3月22日朝刊)

 人種差別撤廃条約の第4条は,「人種的優越主義に基づく差別及び扇動の禁止」を内容とする。

 1945年8月まで日本が,この条文に完璧に反する帝国主義理念をいだき,アジア各国への侵略をおこなってきた。その後,半世紀以上経過した現在でもその第4条を履行しようとしない,と指摘されているのである

 それでは日本はなぜ,同条約第4条を履行したがらないのか。ヒントは天皇・天皇制の問題にある。石原慎太郎という人物も天皇制を否定しない。日本はかつて,この国の優越性を盛んに誇った。その根拠とされたのが,天皇という存在と天皇制というしくみである。



 以上に紹介した国連の人種差別撤廃委員会に関する新聞報道は,石原慎太郎のことを「名指し」するものではなかったが早速,この御仁,敏感に反応した。

 「公職の高官による人種差別的な発言」との懸念が石原に対する表明だとうけとめたご当人のことなので,
3月23日の定例記者会見で「国連の機関が前後の事情を承知しているのかしらないけれど,ものごとを正確に把握せずにそういう発言を軽々にしないほうがいいと思う」と述べ,不満をしめした。

 石原知事は,自分の「三国人発言」が問題になったのは,歪曲した報道をしたマスコミの責任だとし,「面白く書き立てて,それがそのまま国連にうけとめられてそういうコメントを発せられても,冷静に精緻してからものをおっしゃいという以外にない」と語った
(この段,『朝日新聞』2001年3月24日朝刊)

 石原のこの反コメントじたい実は,「天に唾する」発言である。「三国人」発言が問題となったとき,自分の発言を弁明する石原の態度は,しどろもどろであった。そもそも,「三国人発言」にさいして「 冷静に精緻してからものをおっしゃ」る必要を痛切に実感していたのは,この人であったはずである。

 在日外国人それも韓国・朝鮮人や中国・台湾人たちが石原の発言に強い差別観を感じたのは,すこしも過剰な反応ではない。石原の発言をとおして,日本社会に根強くにのこっている外国人差別の感覚・思想をあらためて,集約的・代表的に感得したのである。

 在日外国人問題の,「前後の事情を承知しているのかしらないけれど」も,「ものごとを正確に把握せずにそういう発言を軽々にしないほうがいいと思う」というべき相手はまさに,石原慎太郎という東京都知事自身である。骨の髄まで浸透した差別的意識を強烈にもつ人物が,大都市東京の長を努めている。

 しかも,この人物の根っこにある差別観は,外国人に対するものだけでなく,そのほか多くの人々〔女性・身障者・貧者など弱者の立場にいる者〕すべてに満遍なく,配給されるものであった。筆者のこのホームページは,ほかの頁でそのことを,ウンザリするくらいくわしく説明を重ねている。

 日本はいま,まことに恥ずかしい国になっている。西のほうの大都市ではみっともない府知事をだいぶ以前にノック・アウトし,くびにしたが,東のほうではまだまだ慎重のようである。



 以上の書きこみをして1週間も経たない時点でさらに,つぎのような記事が新聞に報道された
(『朝日新聞』2001年3月29日朝刊,『日本経済新聞』同日参照)

 −−外国人の意見を東京都政に反映させるために設置された石原慎太郎都知事の私的諮問機関「外国人都民会議」が
3月28日,報告書をまとめ,つぎのように報告した。

 石原知事の「三国人発言」についての「強い挫折感は全員に共通しており,会議の存在理由そのものに疑問を抱くほどの衝撃をうけた」と指摘し,とくに「知事の具体的な政策に対する評価が高いだけにとても残念」と述べる。

 同会議は,石原知事が就任した直後の1999年5月に都内で生活する25人の外国人をメンバーに発足し,2年間の議論を報告書にまとめた。報告書の冒頭で「外国籍の住民が抱えるいろいろな悩みの奥底には根深い差別意識が存在する」としたうえで,「そのことを さらに痛感させたのは知事の例の“三国人”発言」と指摘し,その発言をあらためて批判した。

 −−上述,日本社会のなかに「根深い差別意識が存在する」事実は,石原慎太郎という人物に象徴されている。

 石原〈都知事〉の『私的』諮問機関である「外国人都民会議」が,ほかでもない,この大東京の首長の精神中にとぐろを巻く“人種的・民族的な差別観”を指摘,批判した。われわれ〔日本人および外国人〕は,この構図を,いったいどのようにうけとめればよいのだろうか?

 
2001年3月29日の新聞広告に,石原慎太郎著『いま魂の教育』光文社発行が広告されていた。その宣伝での謳い文句は,慎太郎さんにそっくりそのまま返上すべき筋合のものである。

 いわく,
「物で栄えて心で滅びる日本を救うには,物を超えた存在を,親が子どもに伝える〈魂の教育〉しかありえない」と。

 石原慎太郎は,意識的と無意識的とを問わず,
「物を超えた存在」=外国人差別「意識」を扇動し,排外主義を当然とする心情の持ち主である。「日本の崩壊を救う唯一の手立て」を,このレイシストに教えてもらわねばならないほど,日本に住む人々の人心が荒廃,深刻化し,方向喪失している,ということか。

 潜在意識における石原の混濁した精神は,〈反面教師にもつかえない〉くらいひどいといえる。裕福な家庭に生まれ,なにひとつ不自由なく育ち,大人(父親)になってからは,封建的家長の恣意性を自分の子どもたちに思う存分ふるってきた。このことは,彼の著作のなかに書いてあることである。

 つまり,
〈魂の教育〉が切実であり,いちばん必要とされているのは,ほかならぬこの慎太郎君自身である。

 今回公表の著作,石原『いま魂の教育』の広告宣伝には, 瀬戸内寂聴さんが推薦の辞を送っているようだが,このオバサンに失望した。いままで彼女にもっていたイメージが壊れてしまった。

 
「石原慎太郎→子どもたち」という直接の間柄〔自分の家庭のこと〕でも,それほどうまく教育をしてきたといえない,いいかえれば,他人におすそわけを〔誇ること〕ができるような教育実績もない自称一流小説家に,教育論を口幅ったく説く資格があるのか。

 
「石原慎太郎→文部科学省→教育機関→子どもたち」という,考えただけでもぞっとするような経路〔上下関係〕,すなわち,万が一でも彼が日本の首相になったばあいを想定すると,国家的な教育政策は,いったいどうなるだろうか。

 もっとも,現在日本の教育実態は,石原の手に負えるような生やさしいものではない。とはいえ,この現状に文句を付けるだけのことなら,この人にうってつけである。今回著作の公表はその点で,非常に時宜にかなっているかもしれない。



 
「石原慎太郎氏のきわめて身勝手な論法」の駆使は,「九州新幹線をめぐるJR九州とのやりとり」,および「首都機能移転問題に関する態度」にも鮮明に出ている (『毎日新聞』ホームページより引用,2001年3月23日・27日,12月8日・15日より



 
=整備新幹線:九州各県知事らの反発に石原都知事が反論(2001.03.23)

 整備新幹線予算に対する石原慎太郎・東京都知事の批判について九州各県の知事らが反発している問題で,石原知事は23日,「常識で考えたって採算が合うわけない。文句言っている知事が八代から鹿児島まで毎日毎日,新幹線に乗ったらどうか」と反論した。

 石原知事は九州新幹線をはじめとする整備新幹線について「不良債権」「一握りの政治家の利益誘導」と批判を繰り返してきた。

 これに対し須賀龍郎・鹿児島県知事が県議会で「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」と反発。熊本,鹿児島県議会も抗議決議をするなど波紋が広がっている。

 石原知事は23日の会見で「私は国家的見地で言っている。その金を東京だけに使えと言っているわけじゃない。国民の大事な預金をどんどん不良資産に変えている。国家財政が破たん寸前の時に,与党の責任はああいうところにある」とまくし立てた。九州からの批判についても「議論をしたらいい。国民がどっちに軍配上げるか,これから先の話だ」と述べた。



 
=JR九州田中社長:石原都知事の九州新幹線批判に反論(2001.03.27)

 九州旅客鉄道(JR九州)の田中浩二社長は27日の定例会見で,九州新幹線を「不良債権」「文句言っている知事が八代から鹿児島まで新幹線に乗ったらどうか」などと発言した
石原慎太郎・東京都知事に対し,「最近の言動は大衆迎合の政治家と言わざるを得ない」と批判した。

 田中社長は,沿線自治体の人口を基に「九州新幹線(博多〜西鹿児島)は 318万人。東北(盛岡〜新青森)の89万人,北陸(長野〜金沢)の 152万人より多い。全線開通すれば,1日当たりの全線平均乗客数は1万8000人が見込める」と指摘した上で,「整備新幹線が公共事業費に占める割合は極めて低く不良債権化はしないし,需要は十分見込める」と反論した。

 また,「博多から鹿児島まで造るなら分かるが,鹿児島からとりあえず八代まで造ろうとしている」との石原発言に対し,田中社長は「石原都知事が運輸大臣だった時に決まったことで,
自分が決めておきながら批判するのはいかがなものか」と語気を強めた。



 
=首都機能移転,11年前は賛成してた? 「証拠写真」で石原知事追及?(2001.12.8)

 
2001年12月7日,首都機能移転問題を審議する衆院の国会等移転特別委員会(永井英慈委員長)は,東京都の石原慎太郎知事が同委員会の参考人招致で「事実と異なる発言をした疑いがある」として,弁明を求めることを決めた。

 石原知事は,11年前におこなわれた国会の首都機能移転決議を「ばかな」と批判したが,当時衆院議員だった知事本人が賛成していた可能性が浮上した。石原知事は「記憶が定かでない」としている。

 石原知事は,
11月21日におこなわれた同委員会に参考人として出席。1990年11月7日におこなわれた決議案採決について「自民党で座った(反対した)のは私をふくめて4人」と述べた。さらに「とりあえず首都を移すという,こんなばかな決議をした国会というのは,世界中ないよ」「一種の暗黒裁判」などと歯にきぬ着せぬ発言をくりかえした。

 ところが,同委員会で調査したところ,新聞社が保管していた写真に,当時の石原知事の議席で起立している男性議員の姿が写っていたという。委員会終了後に記者会見した永井委員長は,「決議に反対したことを前提に陳述しており,事実なら国会の権威を失墜させる」と語った。知事に文書で事実確認を申しいれる。

 これに対して石原知事は,
12月7日の記者会見で,「あの時は座っていたと信じていたんですが……」と,物証を突きつけられての“逆襲”にとまどいながらも,「移転には断固反対」と述べた。



 
=衆院特別委が抗議文 11年前の賛成疑惑で(2001.12.15)

 
2001年12月14日,首都移転に反対する東京都の石原慎太郎知事が,衆院議員時代の11年前,国会の首都機能移転決議に賛成していた可能性があると指摘される問題で,衆院の国会等移転特別委員会(永井英慈委員長)は,石原知事に対して「参考人として事実と異なる発言をした疑いがあり,発言内容が国会の権威を失墜させた」として抗議文を提出した。

 石原知事は
11月21日の同委員会に参考人として出席。1990年11月におこなわれた国会の首都機能移転決議の起立採決について,「自民党で座った(反対した)のは私をふくめて4人」などと発言し,決議を「ばかな」と批判した。その後,同委員会で調べたところ,石原知事が起立している場面を写した写真を新聞社が保管していることが分かった。

 抗議文は,「もし起立していたのなら発言と事実が異なるうえ,知事の主張を根底から覆すもの」と指摘。同委員会は,新聞社からとり寄せた写真を抗議文とともに都庁に提出。さらに,永井委員長から「品格ある言葉づかいを」などとたしなめられたのちも,石原知事が歯にきぬ着せぬ発言を繰りかえしたことも問題視しており,「委員会の品位を汚し,権威を失墜させた」としている。

 これに対して石原知事は12月14日の定例会見で,採決時の写真をみたことを明かし,「それでもあのとき,反対したと思う。シャッターがいずれの時点で切られたのかよく分からないが,(ほかの衆院議員が座っているのを)確かめようと思って立ったのかもしれない。立ったようにみえるが,それ以上いいようがない」と述べた。しかし「いずれにしろ反対は反対なんだよ」と語気強く締めくくった。



 
−−さてみなさん,これらを読んでみて,どう感じますか?

 −−さきに指摘した「天に唾する」発言は,石原の得意とする言動パターン。

 −−そのつど「顧みて他をいい」,「平然と前言を翻して」「恥じることのない」,この人の常套的言辞。


 −−国会で「起立したら賛成」という採決のとき,わざわざ 「ほかの衆院議員が座っているのを確かめようと思って
立ったのかもしれない。立ったようにみえる が,それ以上いいようがない」などというのは,幼児次元の屁理屈である

 −− ともかく,都知事が 「
国家的見地で言っている」!  のだそうです。



 最近,石原慎太郎を首相に就任させたいという世論が盛りあがっている。たとえば月刊誌『論座』2001年5月号に掲載された作家 石川 好との対談で本人も,首相に意欲をしめしている。

 石原都知事は「首相になってやれることを」を聞かれると,「うっかりしゃべったら,なれるものもなれないかもしれない」とかわした
(『朝日新聞』2001年4月5日朝刊)

 それはそうである。
この人,なにかうっかりしゃべると必らず,物議をかもすのが得意技だからである。くりかえし断わっておくが,その点〔石原の短所・欠陥〕は,このホームページが口を酸っぱくして話してきたものである。

 要するに,一国宰相の器ではないのが石原慎太郎君。



 
金子 勝教授の石原批判


 低迷し混沌とした日本経済に対して適切な論評をくわえている金子 勝〔慶應義塾大学教授〕は,外形標準課税を東京都で実施した石原知事の手法,いわゆる「石原新税」を,こう批判している。

 この引用が意味するのは,
石原慎太郎のような人物が表舞台で活躍できる時代背景に注意・警戒すべきだ,という点にある。その意味では石原は,時代の流れがよどむなかで発酵した「泡」かもしれない。しかも,有毒ガスを発生し放出させるそれである。

 「石原新税」が問題なのは,その手法にある。

 ひとつは,住民を置き去りにして密室のなかでわずかの人数で決定するやりかたは,どうみても地方自治的とはいえない。

 いまひとつは,銀行だけを狙い打ちにしたバッシング手法である。 それは,あとに問題となった石原都知事の 「三国人」発言にもつながっている。

 両者は,
問題の本質から目をそらし庶民の気分や感情を煽るポピュリスト的手法という点で根は同じだから,それは,一種のファッショの先駆的形態といってよい。

 御用学者の主流経済学者もふくめて,この「国」はひどい無責任体制になっている。人々の不信感が徐々につのってゆく。

 そして,政治家も経営者も官僚も学者も,誰も信じられなくなったとき,「石原的なるもの」が立ち上がってゆく。

 トップ・エリートたちのモラルハザードは経済的打撃だけでなく,さらに政治的・社会的秩序も危うくしてゆくのである
(金子 勝『日本再生論−〈市場〉対〈政府〉を超えて−』日本放送協会,2000年,107頁,108頁)

 金子 勝は,「
石原が問題なのは,その手法にある」,「一種のファッショの先駆的形態」だと指摘した。



 
● 石原的政治手法


 
2001年,なにかと話題にこと欠かない石原慎太郎都知事殿,こんどはこういう非難をうけていた。

 −−東京都が,渋谷区のJR原宿駅近くに,警視庁の大規模な留置場を設置する計画を進めている問題について,石原慎太郎知事は11月2日の定例会見で,「警察署の建て替えに合わせて,ここだけでなく都内数カ所に設ける」と語り,計画を変更する考えのないことを明らかにした。

 都の計画は渋谷区神宮前1の社会事業大学跡地(約2万4000平方メートル)の中に2棟のビルを建て,そのうちの1棟を原宿署新庁舎と留置場(約600人収容),射撃場にする構想。

 地元住民が11月1日,都知事と都議会議長あてに反対署名を提出するなど反対運動が高まっている。

 石原知事は「近年犯罪が増えて安全神話が崩れてきており,治安に対する都民の不安や懸念が高まっている」と強調。「(反対は)地域のエゴ。都民,国民の1人として頭を冷静にして判断してほしい」と話した
(『日本経済新聞』2001年11月2日)

 −−東京都が,JR原宿駅近くに約600人収容の大規模留置場設置を計画している問題で,地元の渋谷区議会は2001年11月9日午後,臨時本会議を開き,計画の白紙撤回を求める意見書を全会一致で採択した。

 意見書は,「渋谷区・地元住民に 事前の協議もないまま,都知事が正式に表明し,『反対は地域エゴ』と発言されたことは誠に遺憾。 信頼関係を踏みにじるようなこの構想は,とうてい容認できない」としている

 採択後,区議の代表7人が都庁を訪れ,石原慎太郎知事あての意見書を安楽進財務局長に手わたした。伊藤毅志議長は,「われわれは留置場の必要性を否定するものではなく,
非民主的な知事の政治手法に強い憤りを感じる」と,都の姿勢を批判した (『日本経済新聞』2001年11月10日)

 
2001年6月の東京都議選まえには,「石原人気」にすり寄る都議会議員も多かった。だが,同年12月定例都議会に石原都知事が提出した議案の一部に,与党的な立場の自民党・公明党などが対決姿勢をしめした。

 都議会が石原知事への対決姿勢をしめすのは異例のことである。その背景には,都議会への根回しをあまりしない知事への「議会軽視」という不満や,2002度予算の配分をめぐる各党の駆け引きにもある
(『朝日新聞』2001年12月5日朝刊)

 「根回しをあまりしない石原知事」の政治手法については,いろいろ解釈の余地もありうる。とはいえ,
この人に特有な,独断と偏見,鼻につくような過信,独善性は徐々に,周囲に理解されはじめている。

 前述,石原都知事の九州新幹線批判にも鮮明に表出していたことであるが,この人が自身の言説でみせる身勝手さは,尋常でない。

 そのことは,本HPの他ページでもさんざん触れてきた点であるが,さらにここで,もう一点重ねていおう。それは,テロリスト心情を抱く石原慎太郎の「おぞましい性(さが)」についてである。

 
桶谷秀昭は,こういう桶谷秀昭『昭和精神史 戦後篇』文藝春秋,平成12年,374-375頁参照)

  −−政治家はことばによって,理性によって統治する。彼の使命は,現実の保全である。これに対して
石原は,ことばを圧殺することによって実行しようとする。彼は,いわば非合理的な衝動そのものにならねばならないので,このような人物は恐らく,テロリストになるほかないだろう〔江藤 淳〕。

 この江藤 淳の予見と危惧は,半ば当たり,半ばはずれた。石原はテロリストになら〔なれ〕なかったが,政治家になった。しかし,文学を捨てることはできず,したがって政治家になりきれなかった。

 本HPは,石原慎太郎という人物にみえ隠れする,不徹底で幼稚な「テロリスト〔そして差別主義者〕性」を,くわしく説明し批判もくわえている
石原:リンク集 をのぞいてほしい)

 
桶谷の言及は,筆者の指摘を実証するものである。



 
● 教育「通知」問題


 学校校週5日制:文科省の導入求める通知に「愚劣」 石原都知事
(『毎日新聞』ホームページより引用,2002年3月12日より)

 完全学校週5日制実現を私立校に指導するよう求める文部科学省から都道府県への通知について,東京都の石原慎太郎知事は12日,「右から左へ,非常に愚劣な通達(通知)を私立に伝達するつもりは毛頭ない」と述べ,拒否する考えをしめした。都議会予算特別委員会で発言した。

 自民党都議から,私学への指導を問われた石原知事は「私がもし私立の学校の主宰者であるならば,絶対に通達(通知)をうけいれない。あるテレビの特集で,5日制について子供ながら首をかしげて自分の学力が落ちることを恐れたり,もっと自分は勉強したいんだと表示していた。そういうものを文部省(文科省)の小役人がどういうふうに斟酌
(しんしゃく)しているのか」とまくし立てた。

 都によると,昨年4月1日現在,都内の私立高235校のうち週5日制を完全実施しているのは51校だけで,過半数を超す129校が週6日制をとっている。都は,国が求める完全週5日制の実施は「学校がみずからの教育方針にもとづき自主的にとりくむべきだ」との立場をとる方針という。

 −−例によってなかなか勇ましい石原流「拒否宣言」の発言である。けれども逆に,東京都知事として自分がかりに,文部科学省が今回出したのと似た通達(通知,内容はどういうものでもよい)を出して,都内の私立高校がそれにしたがわなかったら,この人,いったいどういう顔をするのかみてみたい。

 おそらく激怒するにちがいない。「なんで都知事であるオレのいうことが聞けないんだ。けしからぬ!」とね。他者にはなにも自由を許さないが,ただし,自分だけはなにをどのようにやってもいい。そういうふうにやるのが,石原慎太郎の流儀だったからね!



 ●
国家至上主義の観念


 −−上記の記事を『朝日新聞』
(『朝日新聞』2002年3月13日朝刊)にみると,「学校の完全週5日制について東京都の石原慎太郎知事が12日,『国家にとって致命的』『本質をかまえないポピュリズムだ』とこきおろした」と報道している。

 この人,なにかにつけては「国家」をもちだすことが好きだ。だが,石原にとって「国家の意味する概念」が必ずしも,他者にとって明確ではないことが気になる。

 それはともかく,それでは「都」というものは,いかに定義されるのか,石原慎太郎君に一度,ぜひ聞いてみたいのだが……。

 ましてや,石原慎太郎を批判するための専用用語だと思いこんでいた表現である「大衆迎合主義=ポピュリズム」が,この人自身の口から,ほかを批判するかたちで飛びでてきたのには,いささかならず驚かされた。

 しかし,石原慎太郎に「有事法制」問題に関する態度を聞くと,「〈都〉知事もヘチマもないんだよ。僕はまったく無条件で国に協力する。国あっての東京なんだから」と,国と地方の関係をとらえている
(『朝日新聞』2002年3月10日朝刊「私の有事法制論−東京都知事石原慎太郎,感傷から何も生まれぬ−」より)

 この人たしか,「新しい歴史教科書」問題のときも,国家〔文部科学省〕がわの立場だった。そして,都知事の立場からも実質的基本的に「国家の立場」にある「新しい歴史教科書をつくる会」を応援していた。

 もっとも,石原君にとっては,国家とか地方自治体とかの立場よりも,自分の立場=感情・イデオロギー〔いわゆる
ヘチマのことか?〕がいちばん大切であり,とっておきのものなんだろうが……。



 
● 石原流「手法」に冷や水


 @『朝日新聞』
2002年3月29日朝刊は,石原慎太郎都知事が首相官邸で小泉純一郎首相と会って,「こんどの国会のなかで不審船を引き揚げる決定をしないなら,あなたの内閣を倒しますよ」といった,と報道した。

 その不審船とは,
2001年12月22日「鹿児島県奄美大島沖の日本の漁業海域を航行していた」「国籍不明」だが朝鮮民主主義人民共和国〔北朝鮮〕籍とみられる「漁船を装った」船のことである。この不審船は,現場に急行した日本海上保安庁の巡視船と戦闘状態になり,沈没した(撃沈された?)。

 この石原慎太郎君の発言を聞くと,自分は首相よりもえらい「日本国大統領」のつもりでモノをいっているかのようである。いやはや,それはそれはもう,すごくエライものである。

 A『朝日新聞』
2002年3月27日朝刊「投書欄」は,不審船事件と中国からの覚醒剤密輸をむすびつけ,さらに覚醒剤が引き金となった若者の凶悪な犯罪がおきていることを関連づけて,「これは侵略,戦争ですよ」と語った石原慎太郎を,こう批判する。

 
「関連性のないものをならべる短絡的な主張に,疑問を感じました」

 B 
2002年3月26日以降の新聞は,東京地裁の判決が,外形標準課税条例訴訟で東京都がわに敗訴を下したことに関して,いろいろ報道してきた。関連する記事のなかで東京都のある幹部は,今回の判決で,石原知事の3つの手法が否定されたとみた。

 
1) 情報統制をする密室主義。
 2) スピードを重視するあまり,必要な議論を十分につくさないこと。
 3) 大衆迎合主義。


 以上3点は,すでに本ページでも指摘,批判されてきた
「反民主主義的な石原流政治手法」の最たる特徴であった。

 C その後における石原都知事のいいぶん:反論を聞こう。

 東京都の石原慎太郎知事は3月26日午後1時前,外形標準課税裁判の敗訴をうけた記者会見で,控訴の方針を表明した。

 石原都知事いわく,「都民,国民の意思が無視された。喜ぶのは銀行だけだなあ,という気がします。非常に不本意,承服できませんから控訴します」。

 知事は判決について「かなり変わった裁判官だと聞いていた。精読していないが,一部非常に情念的,感情的なところがあって,あまり冷静な裁判という気がしない」と批判した。

 そのうえで「税財源の分与は棚上げされたまま,地方分権が実質的にすすまない。それを崩すために,東京から引き金を引こうと外形標準課税をやった。それが無視された」と憤った。

 判決のなかで知事の過失が指摘されたことについては,「たぶんに情念的,感情的な感じがしました。いちいち反論することもないでしょう」と述べた。

 東京地裁で今回の訴訟を担当した裁判官は,職責上,石原に対しては「なにもものをいわない立場にある」。だが,「判決の中で〈知事の過失〉が指摘されたこと」をすなおに認めようとしない石原都知事こそ逆に,「情念的,感情的な感じがしました」と思っているかもしれない。

 石原は,自分の意にそぐわない判決を出した人〔今回は「裁判官」〕をつかまえて,しかも,その判決の文書を
「精読」もしないで,担当の判事を「かなり変わった人」など決めつけ,排撃的なものいいをするのは,「冷静」さを欠いた〈いつものやりかた〉である。それは,もういい加減聞き飽きた,彼の倒錯的で猥雑・狷介な常套句でもある。

 もっとも,石原こそ「かなり変わった人〔小説家出身の政治家〕」である事実を否定する人はいない。



 
石原慎太郎は人種差別主義者


 オーストラリアのラトローブ大学教授
杉本良夫は,eメール時評というコラムに,「極右が見た日本」という一文を投稿していた。
 
 
2002年5月8日起きた中国瀋陽の日本領事館亡命事件で,1990年代の後半,オーストラリアにうずまいた移民論争を思いだした。

 ポーリン・ハンソンという女性議員が,アジアからの移民排斥を主張し,ワン・ネーション党という極右政党を設立したころのことである。この政党は最近すっかり衰退したが,オーストラリアが国是とする多文化主義に反発する反動派の論理は,いまも生きている。

 すなわち,われわれを閉鎖的というのなら,
当のアジアの国々の人種主義はどうか。とくに日本をみよ。移民や難民をほとんどうけつけない排他主義の国ではないか。そんな自己弁護が,当時新聞紙上やラジオ番組に続出した。彼らの理想と日本の制度が酷似しているといういいぶんである。

 ワン・ネーション党の主張は,異なる文化からやってきた人たちは,わが国の文化にはなじまないという点がある。
文化論のかたちをとった人種差別である。日本国内に広く流布している,ある種の日本人論に近い
 
 その論法は,ヨーロッパの極右政党にも共通している。彼らにとっても,
日本は模範に近い。外国人に対する閉鎖主義が,大政党の指導者や文化エリートに浸透しているからである。中央がその牙城なので,超保守党が周辺から台頭する必要すらない。

 移民・難民・亡命といった分野にかぎれば,国のシステム全体がヨーロッパや大洋州の極右政党の手本のようだ,という意味で,日本は「極右国家」にみえたりもする。そのことを思うと,心穏やかではいられない
(『朝日新聞』2002年5月29日朝刊)

 さて,杉本良夫の指摘する極右勢力の「文化論のかたちをとった人種差別」にくわえて,
似非生物遺伝学的な偏見に中枢神経を冒された発想がまさしく,石原慎太郎御大の常套的な差別論である

 石原はうかつにも,永住‐定住してきた在日外国人〔在日2・3・4世など〕をまきこみ,差別語として使用されてきた「第3国人」ということばをつかった。この妄言事件は,日本文化の歴史と伝統に十分なじんでいる〈筆者のような人々:日本で生まれ育った者〉を相手にとりあげて,「文化論のかたちをとった人種差別」をおこなうことは,不適切なやりかたであることを,あらためて教えたわけである。

 そこで石原がもちだした「差別のための論理づけ」は,歴史遡及的にみてあたかも,学問的(?)根拠があるかのようにうけとれるDNA〔遺伝子情報〕をもちだすことだった。彼のきわめて非科学的なDNA「論」は,執筆してきた著作のなかにも散見されるが,学問上の議論としてみるとき,とうてい堪えがたい素人的で,粗笨なものだった。

 ご当人はそれでも,「一流作家」である自負もあってか,DNA論によってしきりに,日本人・日本民族の優秀性・卓抜性をとなえた。つまり,他民族はその反極にあることになるのである。

 だが,そういう噴飯ものの議論の煽動的な展開ではあっても,学問・理論に裏づけられた反証や批判点とは無縁の庶民たちは,石原の勇猛な論調につられがちであって,どうしても賛同する気分に走りがちである。
 
 杉本良夫と同じ国:オーストラリアに住む森巣 博〔作家〕は,「極右とよぶ基準はなにか」を論じている
(『朝日新聞』2002年6月2日朝刊「私の視点」より)

 森巣はまず,
2002年4月末の日本にきたとき,東京で石原慎太郎都知事の支持率が78%もあると聞き,ひっくりかえったと述べる。その直後,石原は都知事の2期めを狙うと答えていた。「石原新党」の旗揚げの噂も途絶えることがない。

 しかし,森巣は,ちょっと待ってほしいと断わり,こういう。
石原新党には「極右」という形容を,日本のメディアはかぶせないのだろうか? 

 フランスのルペン氏,オースリアのハイダー氏,オーストラリアの〔前述〕ハンセン氏,そして先日,動物保護の過激な活動家に暗殺されたオランダのフォルタイン氏などの率いる政党に,日本のメディアは必らず
「極右」という冠を付けるのではなかっただろうか?

 フォルタイン氏などは,「同性愛者権」「ドラッグ使用の合法化」を政策としてかかげ,表現は悪いが「進歩」的政治家であるにもかかわらず,日本のみならず世界中のメディアから
「極右」と指定された。なぜ,彼ら‐彼女らは「極右」と指定されたのか? 理由は簡単である。「民族の固有な性格・価値」の存在を信じ,移民排斥につながる主張をしたからである。

 一方,石原都知事は
「国家社会なり民族の個性を象徴する垂直な倫理,垂直な価値観」(『毎日新聞』2001年8月12日)の存在を信じているだけでない。前記の「極右」政治家たちが躊躇する一線を,いともたやすく跳びこしながら,涼しい顔をしている

 「日本よ,内なる防衛を」と題された新聞コラムで,凶悪な手口の犯罪を中国人がおこなったと紹介したのちに,「こうした
民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質がかえられていく」(『産経新聞』2001年5月8日)と,石原都知事ははげしく警鐘を鳴らした。

 DNAとは,つまり本人がいかに努力しようが,不変の因子であろう。そしてそれは子孫に遺伝する。「民族的」ということばを載せてはいるが,
その主張は明瞭な「人種論」である。これは,ルペン氏やハイダー氏ら「極右」たちですら,〔私的にはどうあれ〕公式的にはけっして主張できない「論」である。なぜなら,そうした発言を公共の場ですれば,「人種差別煽動・助長行為」として起訴されてしまうからである。堀の内側で,永いあいだ,しゃがまなければならない。

 ところが石原都知事は,前出のコラムを以下のようにしめくくっている。「将来の日本社会に禍根をのこさぬためにも,われわれはいまこそ
自力でせまりくるものの排除に努める以外ありはしまい」。

 ルペン氏やハイダー氏の率いる政党には
「極右」の形容を必らずかぶせる日本のメディアは,しかし石原都知事のDNA発言をほとんど問題化してこなかった。「石原新党」は,あくまで「石原新党」のままである。これはいったい,なぜなのか?

 森巣は,以上のように石原批判をくりだしたのち,
石原慎太郎に関する報道にはマスコミによる言論誘導があるのか,と疑いをかけている。そして,「この素朴な疑問に,関係者各位は応答責任があると考える。ぜひ理由を教えていただきたいものだ」と結論する。

 −−日本という国のなかでの特有の政治意識,あるいは日本の社会に特徴的な価値観は,世界がグローバル化した時代における「島国の意味」というものの急転に,まだ十分気がついていないかのようである。

 2050年のころ日本の人口は,いま〔2002年〕の1億3千万人近くが1億人まで落ちこむと予測されている。つまり,石原が「日本〔民族〕よ,内なる防衛を!」などと叫ぶ間もなく,「慎太郎いうところ」の〈ヤマト民族
(?)的DNAを肉体に刻みこんだ日本人の絶対数〉は,あと2〜3年経ったら,これまでの微増だった趨勢から減少の時期を迎えることになる。

■ 合計特殊出生率1.43 という水準 ■
 
 仮に,1996〔平成8〕年における女性の年齢別出生率(合計特殊出生率1.43),出生性比(女性100に対して男性 105.2)および死亡率(平均寿命男:77.01歳,女:83.59歳)がずっとつづいたばあいの状況を,あえて計算してみると,日本の人口は,2100年ころには約4,900万人,2500年ころには約30万人,3000年ころには約500人,3500年ころには約1人という計算になる。
 
  http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/karini-1996.htm

 ちなみに,最近における日本における国際結婚の実数は,5%近くにまでせまりつつある。つまり,20組誕生する新しい夫婦のうち1組が国際結婚の時代である。だが,日本社会では男女とも全般的に,結婚への意欲を低下させており,くわえて結婚するための現実的な生活条件も悪化している。

 時代は21世紀にはいっているが,20世紀からの連続上,日本における出生率は最低の水準まで下がっている。最近の日本において,「1人の女性が生涯に産む子供の数をしめす合計特殊出生率(出生率)」は,
1999年1.342000年1.362001年1.33 であった。

■ 日本大学人口研究所〈出生率1.24 〉という推計 ■
 
 1人の女性が生涯に生む子供の数〔合計特殊出生率〕は,2017年に 1.24 となり,日本政府の推計を超えて下がる。日本大学人口研究所がこんな推計をまとめた。

 同研究所は,晩婚・未婚化の傾向がつづくとみて,今後における日本の出生率を推計した
〔筆者注記:上記で「女性」とは日本国籍人のみを指すのかどうか不詳である〕

 日本政府は,晩婚化傾向はいずれ止まり,2007年の出生率は 1.31 を底に上昇に転じ,長期化すると推計した。これに対し日大人口研は,出生率の低下は長期化すると予測している。

 日大の推計どおり出生率が下がるとすれば2025年には厚生年金保険料は,基礎年金の国庫負担割合が3分の1のばあいで月収の約31.3%となり,政府計画よりも3%強,高い水準まで上げなければ,現在の給付水準を維持できなくなる。

 『日本経済新聞』2002年10月29日。

 ある国における人口の動向は,出生率が最低
2.08 あれば維持できるが,これ以上ないとその国の人口は減少する。もっとも,上記の日本の数値〔2001年の1.33〕に外国籍人の出生数がふくまれているかどうか,このことは前述のとおり,筆者にはわからない点である。

 石原は,日本に侵入をめざす外国人・他民族を排除することによってこそ,「将来の日本社会に禍根を」排除し,「いまこそ自力でせまりくるもの」に対抗できるのだとアジッテはいるが,日本の国内に山積する人口問題
(せまりくる急速な減少傾向)すら,いっこうに解決するみこみがない状況である。

 しかも,肝心要のお膝元:
東京都〔もちろん都知事は石原慎太郎さんのところ〕の出生率は,なんと1.05 である。これでは,慎ちゃんも大いに焦るわけである。日本民族ならぬ都民族消滅の危機は間近か? 

 もっとも,石原都知事が都民の出生率向上に具体的な対策を講じたという話は,寡聞にして聞かない。都知事の立場にあっても積極的に国政に口出しするのが大好きな石原君,いったいこれ〔都民「出生率」の〕現状はどうしたことか? 都には首都としての特殊事情がある,などとはいわせませんぞ!

 いずれにせよ人口統計上,日本の国勢力のそのような低下をどのように食いとめるか,むしろこれに早急にとりくむことのほうが,非常に重大な課題である。そうでもしなければ,いずれアジア方面から若くて元気な労働者=人間を相当数入国させ,共生することにでもしなければ,この国:日本は,アジア大陸の周辺にぽつんと位置するだけの一島国にまで,一挙に格落ちしてしまうだろう。

 1990年代以降,日本社会の活力は全体的に低下しつつあり,絶対的な凋落の傾向さえうかがえる。だから,このさい八つ当たり的発想でもって,日本経済における一般的な不振の原因を他者・他国のせいにするのも,ひとつの手である。

 とはいっても,特定の他国家・他民族を排斥することをとおしてしか,同胞‐自国の空元気をよびもどせないのは,本当に貧弱な感性の現われではないか。このようにひねくれて〈倒錯した観念〉は,単に「ためにする屁理屈」を増長させるだけでなく,偏見の感情や差別の気分を当然視する社会環境も醸成させる。

 石原慎太郎によるDNA「論」に関して筆者は,ほかのページでも,もっとくわしい批判をくわえているので,こちらもぜひ一読してほしい。

 この国には,石原慎太郎ていどのアジテーターにうっかり乗せられるような「DNA:遺伝情報因子の持ち主がいる」が大勢いるとは思いたくない
〔ここでは石原流の表現をあえて真似てみた〕

 しかし,日本社会は,現状においてますます亢進し蓄積しつつある欲求不満・生活不安のはけ口を,石原慎太郎の挑発的な妄言に共鳴し迎合することをとおして,すこしでも解消,鬱憤晴らしするかのようにも映るのである。

 外国(オーストラリア)に住んでいる日本人作家の森巣 博は実は,
日本のマスコミ〔メディア〕も石原慎太郎と同列ではないかと心配している。石原慎太郎が人種差別主義者である事実は,グローバル的基準で判断すれば,あまりにも当たりまえのことといえる。

 
J.W.フルブライト『権力の驕りに抗して』(日経ビジネス文庫,2002年5月)を公刊した解説者は,日本社会の現状に関して,こういう心配をしている。

 日本で「国際化の時代」がいわれて久しいが,私たちの異文化理解がはたしてどこまですすんでいるだろうか。最近ではむしろ,「お金持ち日本人客」の傍若無人な振るまい・傲慢な態度に批判が起き,日本人が海外で嫌われ,馬鹿にされる事例がめだつようになっている。

 国内でも年々増える外国人に「犯罪が増え,治安が悪くなったのは外国人のせいだ」と反発する声も聞こえるようになった。周囲に外国人が増えることを否定的にとらえ,とくにアジアやアフリカからきた留学生・労働者を蔑視する民族差別がまだ根強くあるのではないか(同書,「解説」192頁)

 −−以上のうち,日本国内において最近とくに,〈人種偏見と民族差別〉を意図的に煽り立ててきた中心人物は,まちがいなく石原慎太郎である。



 
石原慎太郎の本質


 2002年8月29日『朝日新聞』夕刊「論壇時評」は,9月1日に投票日を迎える長野県知事選にかかわって,田中康夫前長野県知事と石原慎太郎東京都知事を比較検討している。

 田中康夫前知事を否定する人は,ずいぶん強いことばをつかい,なかには「
緑のファシズム」と批判する論者もいる。世論に敏感な田中前知事のショーマンシップや広報と,言論統制のもとですすめられたナチス・ドイツの世論操作とを同列に議論するのは,誇張というよりも暴言である。

 田中康夫前知事に関する踏みんだ分析がすくない理由は,なにか。既存の政治への全面的な不信と「特別あつかいしない政治」への期待がどれほど世論のなかにあるのか,それは,田中前知事に世論の与えた支持がしめしている。政治家や官僚,学者,さらに新聞や総合雑誌をふくむ政治業界が,実は「特別あつかい」に慣れてしまったのではないか。

 田中康夫前知事への距離のおきかたにくらべると,石原慎太郎都知事に向ける総合雑誌のまなざしは,驚くほど温かい。たとえば,石原都知事には,ヨーロッパのルペン
(フランス)やハイダー(オーストリア)などの右派の政治家とはちがう「正統派の雄大な歴史観」があるとして,19世紀イギリスの大政治家ディズレーリに石原都知事をなぞらえている。これはひいきの引き倒しである。

 石原慎太郎には「他民族への排他的な感情はない」という識者もいるが,民族や地域を対照して考えることは,彼の発想の根本にある。「石原の登場によっていよいよ日本も全体主義の時代に突入する」という懸念すらあるのに,である。

 急進的な,ときには民族偏見をふくむ政策でも,まるで無害で自然なもののように世論にうけいれさせるのが,ポピュリストの特技である。石原慎太郎にくらべると,急進的な政策を生のままで表現する田中康夫に,ポピュリストの才があるとは思えない。

 石原慎太郎をたたえる声ばかりでないのが救いであるが,石原への「好感」は薄気味悪い。石原慎太郎をディズレーリにに譬え,田中康夫をファシストとよぶ。こんなことは,政治業界だけの出来事だと信じたい。

 −−最近の言論界をみまわすと,石原慎太郎都知事を闇雲に称賛する記事や,やたらヨイショする発言ばかりがめだつ。石原慎太郎には
「他民族への排他的な感情はない」などと虚説をとなえる識者でも,この日本社会に全体主義体制の再来を望みたいなどとは,けっしていわないだろう。

 石原慎太郎におおきな期待を寄せ,日本再生の役割をこの人に任せてみたいと願う人たちには,つぎのような関心をもつことをお願いしたい。

 もしも彼が日本の元首になったら,国政はどのような方向に舵をとり,どのような経済政策をかかげ,どのような社会になるのか。それを予測するには,石原都政となっておこなわれてきた諸施策を,綿密に事後評価すればよいのである。もっと想像力を働かせて具体的にその姿を推測しなければならない。

 石原慎太郎が都知事選挙で公約した政策,あるいは就任後に打ちたて推進しようとした施策は,その後どのような経過をたどり,また成果を上げえたのか否かなど,すでにこまかに観察できる時点にまできている。

 石原慎太郎を支持する人たちにいいたい。「お歳がもう70」にもなっている石原慎太郎の今後に,いったいなにを望むというのであろうか。21世紀の未来を,こんな傲岸不遜で頑迷固陋なオジイチャンに委託せねばならないほど,この国は人材不足になっているのだろうか。

 石原慎太郎がポピュリストの資格を十二分にもつ事実はさておき,
この人物を支持する人たちまでがポピュリストになってはいけない,と思うのである。

 筆者は,他所
(本ホームページ)でもいったことを再度,ここでくりかえしいっておきたい。石原慎太郎が国会議員を勤めた25年間〔→議員活動上いかなる成果をあげ,国政全般に対していかほどの貢献をなしえたか。また,都知事として都民の生活向上のためなにをおこなってきたか〕をみなおし,この自称〈一流作家〉出身の「政治家としての〈二流〉性」に留意すべきである。

 石原慎太郎の口から飛びでてくる,やたらいさましい発言に魅せられている
あなた,さらには,石原〔都知事〕自身が権柄ずくの行動をもってしめしている,実はファシズム的思念の発露に感心しているあなたなどに対しては,こういっておきたい。その言動の裏に潜む本当の危険性,すなわち「民主主義の破壊者たる役目」をみずからすすんで買って出ようとする,この男の,もって生まれた不幸・不吉な素性をよく観察してほしい,と。

 −−2002年9月2日の新聞報道は,「長野知事に田中康夫氏再選」を,こう伝えていた
(同日,各紙参照)

 2002年9月1日,知事不信任に端を発した長野県の出なおし知事選は,投開票がおこなわれ,前知事の田中康夫氏(46:無所属)が,田中氏に批判的な県議や市町村長らの支援をうけた弁護士・長谷川敬子氏(50)ら新人5人(いずれも無所属)を破り,再選をはたした。

 田中康夫
(たなか・やすお,46歳,作家,長野県知事当選2回)の略歴は,東京都武蔵野市出身,一橋大法卒,モービル石油社員を経て作家活動,元神戸市民投票を実現する会代表など。

 
確定得票 〔投票率は 73. 78%(前回 69. 57%)〕

 
当 822,897 票 田中 康夫 無前

 
 406,559   長谷川敬子 無新

     24,261   市川  周 無新

     15,255   中川 暢三 無新

     9,061   三上 誠三 無新

     2,058   福井 富男 無新

 田中康夫前知事のこのたび再当選における得票率は 64. 28%であり,その得票の絶対数は次点候補者の倍以上あった。なお,前回の長野県知事選で,田中前知事が初当選したときの得票率は,49. 09%だった。

 筆者は,
作家として比較することが適当だとは思わないが,石原慎太郎都知事は,同窓後輩に当たる田中康夫県知事を「オレより格下の作家だ」と,無礼千万の言辞を吐いていた。

 石原慎太郎は,今後も同じように
〈大ボラの大見得〉をはりつづけるつもりなのか。そうであるなら,来年〔2003年〕に迎える東京都知事選挙に立候補するさいには,今回の長野県知事選挙で田中康夫がえた「得票」を大幅に上まわる「圧倒的な得票」をえて,めでたく再選されてからにすべきである。

 いいかえれば,次回の都知事選挙で石原慎太郎が再選をめざすとするなら,少なくとも,
全投票数の8割〔80%〕以上の得票率を獲得しておかねばならない。大口をたたくのは,それからにしなさい。

 再選された田中康夫は,前記のとおり,約6割5分〔投票者3人のうち2人〕を得票した。それゆえ,石原流:お得意の大言壮語を放つ舞台を自分自身の手で仕立てるためには,それを凌駕するほどの得票率
〔4人のうち3人などという控えめの数値ではなく,5人のうち4人とおおきく出ること,大差をつけることが絶対不可欠の要件である。

 ちなみに,1999年の東京都知事選挙で石原慎太郎がえた得票数を,次点以下の各候補者といっしょにならべておく〔19名の候補者のうち得票順に上位7名だけをかかげた〕。

 
1 石原 慎太郎   1,664,558 票 無所属

 
2 はとやま 邦夫  851,130   無所属

 3 ますぞえ 要一  836,104   無所属

 
4 明石 康     690,308   無所属

 5 三上 満     661,881   無所属

 6 柿沢 こうじ   632,054   無所属


 
7 ドクター・中松  100,123   無所属

 世界でも有数のビック都市
Tokyo のガバナーになりたい人士が五万(?)といないわけではないけれども,この都知事選で石原慎太郎候補は「漁夫の利」をえた,といわれている。

 なお,上記の
得票数‐得票率について,田中康夫候補のそれと比較することは,ヤボになるから,あえてコメントしない。いわずもがなのことであろう。




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