「両国の内政干渉に対し逆修正要求 する!」と叫ぶ 勝岡寛次著 『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する −歪曲された対日関係史−』 (小学館,2001年8月) |
★ 勝岡寛次先生の紹介
勝岡寛次という人物は,明星大学戦後教育史研究センター専任研究員,明
星大学講師である。上掲の著作は題名からもわかるように,このたび世を騒
がせてきた「つくる会」歴史教科書を支持する立場から逆に,韓国と中国の
歴史教科書の記述内容に対する〈徹底的な批判〉をくわえ,その「歪曲され
た」対日関係史を是正せよ,とせまるものである。
あれあれいつのまにか,日本と韓国・中国の立場が逆転したのかと思いき
や,なんのことはない,2002年度からの中学校用歴史教科書として扶桑社が
企画,文部科学省の検定にも合格し出版された『新しい歴史教科書』に突き
きつけられた,韓国と中国の「理不尽な修正要求に」対抗する提案をするた
め,本書は公表されたのである。
この勝岡の著書を宣伝するつもりはないが,興味ある方は文庫本で廉価版
〔¥580-〕なので,購入し一読するのもよいかもしれない。ただし,読みだ
したら即座にウンザリすること請けあいの図書であることも先刻,断わって
おく。
勝岡『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』は,まえがきの見出し
をこう謳っていた。
「中韓両国の教科書修正要求に逆襲せよ」(同書,まえがき2頁)。
いやはや,戦争でも〔それとも社会病理集団の出入りでも〕おっぱじまっ
たのかと思えるような,勇ましい文句である。
勝岡先生,日本文部科学省による教科書の「検定制度」が韓国・中国の国
定教科書より優れたものという断定のうえで記述し,いささか眉唾ものの議
論を展開する。日本の教科書検定制度が,いかほどまやかしに満ちた本質を
潜在させているかについて,〔このホームページの〕筆者は,前のページで
くわしく説明した。
それでもなお,勝岡先生は,こうおっしゃるのである。
筆者〔勝岡〕は,韓国に対しては将来をそんなに悲観していない。韓国は国定歴史教科書の自由化に,そろそろ踏み切るべきではあるまいか。一気に自由化することがむずかしければ,日本のように検定制度に移行したほうがいい。 |
勝岡『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』190頁。 |
日本の検定制度のほうが数段すぐれた教科書製作の方法だと確信する勝岡
の気持が,よく出ている文章である。くわえて,「日本の教科書は〈教条的
な左翼史観〉の牙城であった。それゆえ,扶桑社の『新しい歴史教科書』の
出現で,やっとその牙城の一角が崩れるか否かの瀬戸際に,いまある」とい
うふうに現状を認識する(同書,190頁)。
いわば,外部の「分からず屋:韓国と中国」〔の歴史教科書〕だけでなく,
〈獅子身中の虫〉である国内の「左翼教条主義者」〔の歴史教科書〕も敵に
まわして,「つくる会」およびこれを支持する者たちが戦いを挑んだ,とい
う構図である。
★ 勝岡寛次先生の論法に潜む詭弁
「新しい歴史教科書をつくる会」の構成員に顕著な特徴は,いずれも歴史
学を専門領域としない〈学者・研究者〉が集団をなし〔徒党を組み?〕,歴
史教科書を執筆したことである。
「歴史ではなく物語」だと弁解するにもかかわらず,専門家の目からみる
とこの素人集団のつくった歴史教科書は,学問・科学の基本的な作法とは無
縁の情緒的感傷にふけった記述が多い。
勝岡先生も自身をこう明言する。「筆者は占領下の教育改革を専門とする
者で,歴史教科書の専門家ではない」(勝岡,前掲書,188頁)。
論争的な言説においてする勝岡講師の文献引照は,例によって「自説に都
合のよい」ものだけを挙げるやりかたである。韓国関係では,安秉直ソウル
大学教授,崔吉城,在日化している韓国人1世呉善花などの論説に触れ,韓
国人がわからは,好都合な主張ばかり参照する。
勝岡『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』は,第3部に「歴史教
科書をめぐる韓国・中国の学者との論争」を載せている。
韓国〔正確には在日出身韓国人〕の常葉学園大学〔前静岡県立大学〕教授
金 両基と,中国出身の法政大学助教授趙 宏偉が,その対談〔論争〕の相
手である。
−−〔このホームページの〕筆者は,勝岡先生の勇気と度量に敬意を表す
る。なぜなら,そうした「韓国・中国・日本の気鋭の学者がぶつかりあった」
(同書,173頁)対話で,勝岡先生は,完全というか圧倒的に金教授と趙助
教授に〈判定負け〉したと評定できるからである。
筆者がなぜ,そのような判定を下すか説明しよう。
勝岡は,韓国・中国から日本の検定歴史教科書〔→「つくる会」歴史教科
書〕の書きなおしを要求されるくらいなら,日本も逆に,韓国・中国の国定
歴史教科書に書きなおしを要求すべきだと主張する。しかし,そういう要求
のやりとりにもかかわらず,
「それは判断の問題です。日本人が判断すればいい話です」(同書,185
頁)。
といいのがれ〔遁辞〕を吐いていた。この論法は,逆にも敷衍できる。
韓国・中国の歴史教科書に対する〈勝岡先生たちの提起する逆要求:記述
修正〉に対しては,「それは判断の問題です。韓国人・中国人が判断すれば
いい話です」と返されたら,勝岡〔ら〕は一言も反論できない。
★ 高橋史朗先生の「解説」
勝岡先生の同僚である高橋史朗先生は,勝岡のこの著作に「解説」を寄せ
ている。
中国・韓国による教科書是正要求がおこなわれる以前,過去四半世紀にわ
たって日本国民のしらないところで,韓国から事実上の検定が,日本の文部
〔科学〕省・外務省をつうじて是正を要求し,教科書会社がこれに応じてき
た。高橋先生は,これはまことに驚くべきことだと批判する(勝岡,前掲書,
高橋史朗「解説」246頁)。
最近まで「新しい歴史教科書をつくる会」が,自分たちの要求をとおすた
め多大な精力をついやして関係方面に圧力をかける運動をし,政府与党筋や
財界の人々より精神的および財政的な応援もえて,教科書会社に歴史記述の
変更を裏口から強くせまってきた事実は脇に押しのけておきながら,前段の
ような他国〔教科書〕への〈批判〉をくりだしている。この身勝手さは,い
ったい,なにに原因するのか。「つくる会」の体質がわかる。
そして,高橋史朗先生さらにいわく,日本政府関係当局は「情報を国民に
公開するよう強く求めたい」と(同書,同所,247頁)。笑止千万というか吹
き出したくなるような屁理屈を駆使するのもいい加減にしてほしいと感じる
のは,筆者だけではないだろう。
教科書検定に関する「情報を国民に公開せよ」と求めてきたのは,「つく
る会」が目の敵にする〈教条的な左翼史観〉に立ち教科書を執筆した著者た
ちもまったく同じであって,だいぶ以前より文部〔科学〕省との長いやりと
りが展開されてきた。
「つくる会」とは以心伝心の間柄にある前文部科学大臣町村信孝は,教科
書検定の権限を有する省庁の最高責任者として,日本国の主体性を強調して
いた。そうであるならば,日本政府関係省庁が仮りにでも,韓国の〈事実上
の歴史教科書検定〉をうけたと認められるような事実があったとしたら,町
村信孝〔など該当する歴代文部大臣〕は,きびしく批判されてしかるべきで
はないか。
−−勝岡および高橋先生流の筆法というか論法は,ただ他者の立場を歪曲
するだけでなく,自陣営の立場も平気で歪曲して〔ゴマカシテ〕憚らない。
結局,歪曲だらけで,暴論,妄論,極論を跳梁跋扈させる論旨(?)がめ
だつのが,勝岡先生の御本。子どものケンカみたいな次元にとどまる高橋先
生の「解説」の御説。
「みる位置によって富士山のみえかたが異なるように,歴史観は民族の立
場によって異なる」(同書,同所,247頁)。ごもっともである。けれども,
富士山の頂上をめざして皆で登ろうではないか。そして,頂上から各自・各
国の立っていた地点を,いっしょに眺めなおそうではないか。ごいっしょに
頂上に立つのは,お嫌でしょうか。
★『中央公論』上における「つくる会」主張の検討(その1)
『中央公論』2001年9月号は,連続特集「歴史教科書論争を解体する」を
編んでいる。
その連続特集A,松本健一(麗澤大学教授)「世界史的潮流としてのナシ
ョナリズム−東アジア諸国も書き直し始めた」に聞こう(引用頁は省略)。
1) 松本はまず,「新しい教科書をつくる会」が1997年に設立されたとき,
入会の誘いをうけたが断わった。その理由は,同会の中心メンバーとなる自
由主義史観研究会(藤岡信勝氏主宰)の歴史認識に,とうてい同意できない
と思ったからだと述べる。
2) 松本は,大東亜戦争が「侵略」であったというのは,戦後の東京裁判
史観にほかならないとする「つくる会」の「論理」に対して,異論を提起す
る。すなわち,大東亜戦争およびこれに先行する満州事変が「侵略」である
という歴史認識は,東京裁判=〈勝者の裁き〉によってはじまったのではな
く,満州事変が国際法あるいは世界史のベクトルにそむいた「侵略」である
という歴史認識は,この事件が発した当時からすでに国際常識化していた,
と説明する。
3) 松本は「つくる会」の主要メンバーである西尾幹二(会長),高橋史
朗(副会長),川勝平太などとは古い知りあいである。しかし,日本のナシ
ョナリズムの文脈によって歴史が書かれていても,その日本のナショナリズ
ムがかつてどこでまちがいを犯したのか,それがどこにも書かれていない,
と指摘する。
4) 松本は,風土や歴史のちがいによってナショナリティを異にする国同
士が歴史認識を「共有」するなどということは,どだい無理だと考える。も
し歴史認識が共有できるとするなら,それはふたつの国がひとつになってし
まうばあいか,あるいは両者がよりおおきなイデオロギーのもとに自己をし
たがわせてしまうばあいか,どちらかだろう(筆者注記:かつて日本帝国主
義がやってきたことがそれである)。
つまり,ナショナリティの異なる国同士にできることは,歴史認識を「共
有」するのではなくて,そのちがいを相互に「理解」する,ということであ
る。そのような認識の立場において日韓合同学術会議は,これまで韓国が日
本近代史の議論しにくい論点さえ採りあげてきた。
5) ナショナリズムがネーション〔民族‐国家‐国民〕の自己主張である
かぎり,今日のように「自分の国」とはなにかが,世界史的に問いなおされ
ている状況下にあっては,それぞれの国においてナショナリズムの色彩の濃
い歴史教科書がつくられて当然である。
6) しかしそのばあい,日本はかつてそのネーションの自己主張において,
欧米列強(パワーズ)と対抗するためにアジアを踏台にする,という失敗を
犯した。とすれば,日本ナショナリズムはどこで失敗したのかを明らかにす
ることが,日本の歴史の書きなおしにおいて忘れられてはならない。
−−松本の論及は,19世紀末期から20世紀の世界史の動向を適切に把握し,
社会科学的に真正面より問題の所在がどこにあるか指摘する。「つくる会」
の立場じたいが「侵略」を認めないことに異論を呈示する。異国間において
は,歴史認識の「共有」は無理でも「相互理解は可能だ」と主張する。
筆者は,「つくる会」は「自分の国」の歴史からのみ「日本」をせまくみ
ており,いまは,そうした〈歴史観〉がまさに,世界史的眺望をもって問い
なおされるほかない環境条件におかれているにもかかわらず,過去の日本の
失敗をかえりみないどころか,日本のナショナリズムを狭窄的視野で再評価
しようとするこの会に関して,基本的な問題性を感得する。
松本は,「つくる会」の有力な主要メンバーには親しい友人が何人もいる
が,その誘いを断わって入会しなかったというのである。
筆者は,前段の勝岡寛次が富士山を眺める位置のちがいにとどまって,そ
のちがいを乗りこえるための相互理解まで歩をすすめようとしない依怙地を
指摘した。「つくる会」の人々が固執するこの問題性は,松本健一も明確に
示唆するところであった。
★『中央公論』上における「つくる会」主張の検討(その2)
『中央公論』2001年9月号の,連続特集「歴史教科書論争を解体する」,
そのAに掲載されたつぎの論稿は,三島憲一「戦後ドイツの論争と軌跡−は
かない『文化共同体』の夢」である。
1)「つくる会」「新しい歴史教科書」,このところ威勢のいい新皇道派も
しくは〈ニュー・ヤマティスト〉ともいうべき人々の議論は,かの1947年の
冒頭陳述〔東京裁判弁護人清瀬一郎のそれ〕に基本的になにも付けくわえて
いない。その個性のなさ,想像力の乏しさは,伝統を重視する彼らの本位か
もしれない。とはいえ,本当に驚くべきは,そうした発想と議論が,50年以
上も連綿とつづいていることである。
2) つくる会「歴史教科書」は,ベルサイユ条約(1919年)で日本が提出
した人種差別撤廃案が破棄された記述には,西欧による人種差別への恨みが
深かったことをうかがわせる。ところが,「アジアはひとつ」という岡倉天
心のことばと思想のとおり,アジアをひとつとみて,しかも日本をその覇者
に位置づける発想も随所にある。
三島は問う。ひとつであるはずのアジアのなかで,韓国人への,中国人へ
の文化的かつエスニックな差別は無視していいのだろうか。ベルサイユ講和
会議のころ,日本は中国で人種差別をしていなかっただろうか,と。
3) 文化に関しても,アジアの東端の日本には,インドや中国のさまざま
な要素が流れこんで,たぐいまれな総合に達したという,岡倉や和辻哲郎が
苦労してつくりあげた物語も,「隠れたメインストリーム」に属する。実は,
この物語は和辻が『風土』のなかで暗黙のうちに認めているとおり,19世紀
ドイツの物語の日本版である。古代ギリシャの精華がドイツに吸収されてい
るという嘘の日本版である。
筆者はこのように,「日本文化は世界の文化総合版である」という論説に
相当する「日本の経営学説」に接してきた研究者として,こういう議論を紹
介しておく。
かつては,ドイツ経営経済学とアメリカ経営管理学の統合による真の経営学の確立ということが主張されていた。だが,残念ながら,それは今日にいたっても実現されていない。しかし,いま必要なことは,ドイツ経営学とアメリカ経営学の統合ということではない。それは事実上無理であるし,意味もない。まずなによりもさきに考えなければならないことは,マネジメント研究内部での諸方法の統合は可能かということであり,どうすれば……。 |
経営学史学会編『組織・管理研究の百年』文眞堂,2001年,佐々木恒男「経営学研究における方法論的反省の必要性」10頁。 |
佐々木恒男先生は,筆者のしりあいの同業者であるが,ここで「無理であ
り意味も必要もない」と完璧に批判された,つまり「米独経営学の統合によ
る真の経営学の確立」という立場を提唱したあまりに〈高名な〉この経営学
者も,いまではすでに故人である。
「真の経営学」を理論的に志向してきたその経営学者は,経営学界ではし
らない者がなく,またきわめて高い権威的立場も保持していた。現役時代の
この学者に対して,面と向かい批判をくわえることのできた同じ専門領域の
研究者の数は,きわめてすくない。片手で数えてもその指が何本かあまる。
筆者は,斯学界では高度な理論を創造したと高く評価されてきたその経営
学者に,四半世紀まえよりずっとつづけて批判をくわえ,反批判ももらい,
論争をしたことがある。
もちろん当初,当人は現役で活躍中であったから〔戦後は滋賀大学・京都
大学・名古屋市立大学などの教授〕,それはもう猛烈な反発があった。しか
も,筆者が「経営学者の戦争責任」にもかかわる論点を提起したゆえ,その
反発内容は並たいていのものではなかった。
筆者がこの経営学者を批判した理由は,旧満州国の建国大学で「大東亜戦
争」を聖戦視する経営学説,すなわち,前掲の「統合による真の経営学」を
形成しようとしてきた点にあった。戦争の時代における〈日本的学説〉であ
った統合理論=「真の経営学」説は,1945年以前の国体的な歴史観にこそ,
生誕の事由=秘密を求めることができたのである(くわしくは,拙著『歴史
のなかの経営学』白桃書房,2000年3月の参照を望みたい)。
以上の記述は,「つくる会」新しい歴史教科書の問題は,教育の領域だけ
に限定されえない広がり=共通性を有することを教えている。
ところで,佐々木恒男先生は,当該の有名な経営学者が現役の時期には一
言も批判しなかった。後難を恐れたのか。今回〔2000年5月開催の某学会で〕
はじめて,この学界において〔過去〕非常なる権威をもっていた先生にむか
って,決定的ともいえる否認宣言を差しむけたのである。
だが,当該の学者はもうこの世にはいない。せっかくだがその学的勇断は,
意味を半減させるどころか,ほとんど迫力を感じさせない。その偉い先生が
存命中にいってこそ,意義のある批判ではなかったか。
筆者は,その学者が現役ばりばりのころ,正面きって彼に批判を放ったが
ため,経営学会〔学界〕内では非常な悪評を買った。親切に忠告をしてくれ
た人の話では,「日本の学界(学会)ではえらい先生を批判〔言挙げ〕した
りしてはいけない」〔タブー?〕とのことであった。最近の筆者は,こうし
た〈もののみかた〉じたいに対しても,批判をくわえることにしている。
いずれにせよ,経営学界〔学会〕においても,新しい歴史教科書をめぐる
問題に類似した検討課題がある。
−−三島憲一の論及にもどろう。
4) 日本で50年以上つづき,いま威勢よく噴きだしている伏流は,はじめ
のうちはドイツでも,日本に勝るとも劣らず強かったし,現在もある。酒の
席での「隠れた解釈パターン」も連綿とつづいている。過去に関して,旧西
ドイツが採った日本と異なった政治的選択と社会的雰囲気は,実は熾烈な論
争の結果なのである。それでも,くりかえし,くりかえし過去の弁護論〔反
自虐史観?〕が噴きだすのである。
もともとドイツは,自分たちの文化や生活様式がいちばん合理的で優れて
いる,という信仰にもひとしい気持が根強い。そうした文化的レイシズムの
背景のうえに,戦後は,東西冷戦のなかで,古き良きヨーロッパの文化や精
神への回帰が,圧倒的な反共精神と癒着しつつ起きた。
当時,第2次大戦の思い出として語られるのは,強制収容所よりももっぱ
ら,戦争末期のポーランド地区で押しよせる赤軍からの西への脱出行であり,
1500万人にのぼる東方からの引揚者の苦労話であり,そしてなによりも,戦
争末期の赤軍による婦女暴行であった。
日本では清瀬一郎の冒頭陳述以来,伏流としてひたひた浸透していたもの
が,旧西ドイツでは,伏流ではなく,はっきりと表に出て,ほとんどすべて
を巻きこみ滔々と流れ出ていた。
−−ここで三島の指示する論旨をはずさない考慮をしておき断わるなら,
上述のドイツと同じぐあいに日本でも,戦争に関する思い出が語られてきた
ことも指摘しておくべきだろう。
いまもなお,「国体の精華」「万世一系」の帝国日本:〈神の国〉を誇る。
戦前‐戦後の一貫した反共精神もある〔旧治安維持法の取締対象はこの2点
を主軸とした〕,そして,戦争の被害ばかり〔被爆・空襲,引揚などの〕を
強調する。前後の因果に関する分析観念を欠いた,このような歴史回顧観が
盛んなのある。
5) 当初,とくに1960年代前半までドイツでは,ファシズムの過去を問う
仕事がおおきな影響力を発揮することはできなかった。しかしそれ以降,過
去にフタをしようとする「終戦直後から60年代前半にかけての主流」と「伏
流としての批判勢力」が激突することは避けられなかった。
6) 経営学の関連問題にもなるが,フォルクスワーゲンやIGファルベン,
ダイムラーベンツなどの製造業,そしてドイツ銀行をはじめとする大銀行の
ナチ時代の歴史がしらべあげられていった。計算とモラルのいりまじった決
断から資料室を公開する企業幹部も出てきた。
7) もちろん,過去をめぐる議論は,つねにはげしい対立と抗争をともな
い,多くの友情や人間関係が壊れ,人の和が機能しなくなることもあった。
だが,現代の社会とはそういう社会である。人の和のために,おおきな問題
に関する意見を引っこめていたら,一歩もさきにはいかない〔筆者注記:さ
きほど関説した「経営学会における筆者の話」を,再び想起してほしい〕。
8) 国家が解釈についての統一体となり,価値の目標をかかげることは,
現代は不可能である。ナチスの無理と強圧を思いだすまでもない。ナチスの
失敗から学び,統一的世界観とはべつの次元で,過去についてのある種の合
意が徐々に形成されてきた。過去について,世界観と次元のちがうところで
妥協ではない合意が働く場があるのが現代の可能性であることは,日本でも
しる必要がある。
9) 虐殺の過去に目を閉ざすがわは,自分たちの偉大な文化を論じ,逆に
蛮行を蛮行としてみとめ,補償と陳謝を当然とする人々は,徹底した個人保
護の思想に立っている。生活態度も権利を重視し,自己自身の安定と快楽も
放棄しない。国民を文化的共同体とみなすような思考からはとっくに縁を切
っている。
−−現代日本の若者の生活感覚,行動形態をみるとき,半世紀以上まえま
でにしつらえられた日本文化の伝統・特性が,完全に過去のものとなってし
まったことが実感できる。国際交流の盛んな今日,若者たちはもう,「人の
和」や「文化的共同体とみなす」意識をもたない。「国民国家」の精神価値
観に代替し,これを超克する〈なにものか〉が要求される時代である。
10)「つくる会」の人々が,なにゆえ執拗に過去との連続性をみせ,それ
にこだわるのか。ひとつは,「彼ら自身が文化と国家について共同体思考」
をもち,またそうした思考が彼らに権威と利益を与えてくれるからであり,
ふたつは,「西洋に対する根強いルサンチマン」である。
「右翼美談集の在庫一掃」をしたのが今回の「つくる会」の教科書である。
悪しきロマン主義と権威の癒着がナツメロを歌わせるのである。だが,これ
がポイントだが−それをバネとして推進される資本主義的近代化自身が逆に
それを食いつくしていき,維持できなくなるという逆説を宿している。
そうだとするならば,社会契約論的なデモクラシー国家の思想しかのこる
道はないはずである。それが過去へと目をむけさせる唯一の方途である。
いまは,国家は個人の権利を守るために存在するという考えかたが主流に
なりつつある。そういったときに,白だの,黄色だのと大時代なことばをつ
かうのは,単純な思考のミスである。欧米,あるいは白人という概念でくく
り,それに対抗するアジア,東洋,あるいは日本という図式に頼るのは,19
世紀のヘゲモニー思考である。もうとっくに存在しなくなったヨーロッパを
相手に一戦を挑むドン・キホーテである。
−−以上の説明は,時代の進展とくに,資本主義のいっそうの発達,つま
り企業経営の国際的展開によって,「つくる会」の思考方式がますます妥当
性をうしないつつある〈歴史的事実〉に触れている。経営学を研究する筆者
などには,たいそうわかりやすい解説である。ここまで三島の見解を聞いて
くると,「つくる会」のみなさんの抱く意識の時代錯誤性がいよいよ鮮明化
する。
11) ドイツの経験と日本の手前味噌的歴史観から逆に,どうすべきかが浮
き上がってくる。手短にいえば,ラディカルな個人主義によって文化主義と
手を切り,個人保護の思想によって国家のヘゲモニー思考と訣別することで
ある。そうすれば「つくる会」の教科書のような議論は,春の淡雪のように
消えていくだろう。
12) 現代ヨーロッパにはなおも珍奇なものがたくさんある。それは,外国
人の国籍取得や二重国籍であり,職場の男女平等を監視するオンブズマン制
度であり,従業員の職場での権利主張を可能とする従業員協議会であり,最
低3週間は連続してとれる休暇の実践であり,要職における女性の割当制で
あり,同性愛同士の結婚である。
すべて欧米各国と同じように実現しているわけではないが,流れはハッキ
リしている。どれもヘゲモニー思考とはべつの次元でこの50年間に達成され
た個人保護の成果である。過去に不法に殺された個人へのまなざしもここか
ら生まれる。
「プロパガンダ・システムの典型は,自分たちの国民はある種の理想や原
理,しかもすべからくたいそうご立派な理想や原理にしたがっているのだ,
といいはるところにある」。
−−筆者は,日本で生まれ育ってきた人間であり,半世紀以上も在日「外
国」人というものをやってきた。だが,もういい加減,在日「日本」人とし
て「参政権」「市民権」をえていいころだと痛感する。「帰化」? いった
い,なにに帰化しろというのか。植物ではない。日本の同化などはじめから
しておらず,日本人そのものとして,生まれ育ってきた。そんなことをいわ
れる筋合はないし,いささかならず「ドウカ」と疑問も感じる。
それなのに,日本の土地に本拠をおいている「在日」に対して,海外〔旅
行や祖国訪問〕に出かけるさい,この日本に一度も入国もしたこともないこ
の人々に対して「再入国」許可をえてからでないといけない〔そうしないと
永久に〈帰国〉できなくなる〕,などという法制上のフィクション=無法を
押しつけている。このような法的な無理無体は,もうたいていにすべきでは
ないか。
日本政府代表は「自国」とは「国籍国」であると説明したが,規約人権委員会は「自国」とは「国籍国」と解釈されるべきでないことを述べて,とりわけ第2世代以降の在日コリアン等については,再入国許可制度を廃止するように求めた。 2世代,3世代,4世代にわたって日本に住んでいる人々が,法的にはなお外国人であっても,日本を自国として主張することができることはたしかです。再入国に対する制約が存在するのは,なぜでしょうか。 委員会は,締約国に対して,「自国」ということばは「国籍国」と同義ではないということを想起するように求める。そして,委員会は締約国に対して,日本で生まれたコリア系の人のような永住者については,再入国の許可を取得する必要性を廃止することを強く要請する。 |
日本弁護士連合会編『日本の人権−21世紀への課題』現代人文社,1999年,273頁,216頁,254頁。 |
在日し永住する韓国・朝鮮人を実質で保護する国家は,日本国である。国
籍の形式的差異のみを事由にいままで,在日たちを「人間あつかい」してこ
なかった,見事なまでのこの国の「偏屈な歴史」を恥じないでよいのか。
ということで,在日外国人問題について現在,筆者の考えている国籍問題
の解決方法は,われわれ〔特別永住権〕をもつ外国籍の人々には,当面〈二
重国籍〉を与えるべきだ,というものである。
★『中央公論』上における「つくる会」主張の検討(その3)
『中央公論』2001年9月号の,連続特集「歴史教科書論争を解体する」,
そのAに掲載されたつぎの論稿は,養老孟司「ありがたき中立−検定という
馬鹿さ加減」である。
1) 教科書にはもうウンザリだ。そう思う人も多い。
2) 検定そのものは,本来中立的なものであるはずである。ところが,そ
の検定制度のため中国や韓国とのあいだで政治問題が生じるというのは,検
定じたいが政治的ということを実質的に意味する。
3) 国が検定することは,中国や韓国の常識からすれば,国が許可するこ
とを意味する。この制度は正しくない。なぜ,検定という制度をいつまでも
温存しておくのか。
4) 教科書をつくるのは,民間の業者の仕事である。そういう人たちが,
われわれがちゃんとやりますから,国は余計な口出しをしないでくださいと
いうべきであろう。「つくる会」だって,話が民間だけなら,なんの問題も
なかったはずです。
どんな歴史教科書をつくり,どの教科書を使うか,それはまさに教師の仕
事の範囲であり,学校の仕事の範囲ではないか。それを文部科学省〔や自治
体(筆者注記)〕があれこれ指図する必要などない。実際に教科書を書くの
は学校の先生方である。文部科学省が書くわけではない。
検定を廃止することで,いったいなにを恐れているのか。なにも恐れるこ
とはあるまい。日本の教科書は国民の意見でつくられるもので,国民にはさ
まざまな意見があり,教科書の内容もさまざまである。それでどこがいけな
いのか。
5) 教科書なんて,子どもに与える影響は1%であろう。むろんその数字
に根拠はない。しかし,子どもがテレビをみている時間と,教科書をみてい
る時間を比較したら,比率はそんなものではないかと想像する。その教科書
を「国が検定」して,外国とのあいだで国際問題をおこす。これを馬鹿とい
わずして,なんといえばいいのか。
6)「つくる会」は政治的行為になることを「理解して」新しい教科書をつ
くったはずである。それをしらない,気づかなかったとはいわせない。つま
り検定は政治的に利用されたのである。
7) 教育に関するルールとしておくべきは,その意味での政治的行為の排
除である。教育は中立であるべきである。しかし,政治的に中立であること
は意外とむずかしい。対立する見解があるときには,どちらかに荷担するほ
うが簡単である。教育に要求するのは当たりまえだが,そういうときの中立
である。
8) 人々は「国」というが,そんなものははたしてあるか,という気持を
しばしばもつ。学徒出陣を命じたのは国である。検定をやっているのも国で
ある。そんな実体がはたして,どこにあるのか。検定をする人たちがあり,
碑を建立したい人たちがあり,それを断わる人たちがある。それだけではな
いのか。
あなたはどちらか。それを大衆の面前で訊ねれば,つるし上げになる。ど
ういう意見をもとうが,それはかまわない。しかし,すべては国ではなく人
のする行為だということ,それだけは記憶してほしい。
−−養老は,教科書検定制度を馬鹿なものだと断定する。さらに,この制
度をテコに政治的行為をする「つくる会」〔など〕を批難する。要するに,
国家が教科書を決める制度は〈やめてしまえ!〉というのである。
−−検定制度に関連させて養老が指摘したことがら,それは,「国」がや
るとはいっても,実質は特定の「人たち」が関与してやるものだという解釈
を聞いて,筆者は前掲に挙げた自著のなかで引用したある一句を思いだした。
該当の引用箇所は,かつて正統派のマルキストだった経営学者がその後,
自分の立場を変質させていく過程で,旧套派からうけた容赦ない非難・攻撃
に反論した文章中の一句である。
自分が民主的であって他が非民主的,自分が科学的であって他は非科学的,自分の理論は正しい理論であって他はそうではない,ということを決めるのは誰か。労働者階級とか,人民とか,とでもいうのであろうか。 実際にはある集団とか,ある党とかである。だが,結局そのようなことを決めているのは誰か,個人とその同調者なのである。 だが,そのようなことは,マルクスの理論,マルクスの思想そのものとは無縁である。マルクス自身は,このような態度をとることをもっとも嫌った人間である。 |
三戸 公『自由と必然−わが経営学の探究−』文眞堂,昭和54年,145頁。 |
国や自治体であろうが政党組織であろうがその核心には,特定の人間や集
団,そして個人〔とその同調者〕が控えている。彼らが決定的な影響力を発
揮させたり,そのためときに害悪をもたらしたりもする。これは世において
は,つねにおこる現象である。
かといって,今回の教科書問題に端的にみられるごとく,そういう社会力
学のなかに発生する〔「つくる会」の盲動のような〕政治的駆け引きを拱手
傍観するわけにいかない。西尾幹二らの組織的政治行動は,日本における民
主主義の成熟度を計るかっこうの材料である。
★『中央公論』上における「つくる会」主張の検討(その4)
『中央公論』2001年9月号の,連続特集「歴史教科書論争を解体する」,
そのAにさらに掲載された論稿は,村井淳志「もう一つの『新しい歴史教科
書』を提案する」である。
1)「つくる会」歴史教科書の検定合格を機に,一気に再燃した賛否両派の
はげしい応酬がつづいている。ただ,議論がはげしさを増すほど細部をめぐ
る煩瑣な争いとなり,子どもや教育現場からかけはなれた議論になってしま
うのは,本当に残念である。そこをなんとか,論点を教育現場に引きもどし
たい。
2) 日本には,「つくる会」のような歴史観に共鳴し,それにそった歴史
叙述を求める読者・学習者が,無視できないで存在する。「つくる会」教科
書を批判する人たちは,現行の中学校歴史教科書をどう思っているのか。現
在の貧弱な歴史教育の,すくなくとも一端の責任が現行教科書にあることは
自明である。
「つくる会」教科書を批判するあまり,現行の教科書や歴史教育に対する
批判意識を欠いてしまうとすれば,社会嫌いの傾向を強める学習者からは完
全に遊離してしまう。こちらのほうにこそ,危機感をもつべきだろう。
3)「焦点は教科書作品の創作競争」である。「教科書は正しい=深く考え
なおす必要はない」という,歴史学習にとって致命的な前提を打破したい。
近現代史は,学界でも市民意識のレベルでも論争的な主題なのだから,論
争的であるという性格をきちんと保存したまま,子どもたちに提示すべきで
ある。
−−以上の議論をとおして,日本における教科書がどうあるべきか透視で
きる。「つくる会」の思想・立場に近いはずの谷沢永一が,西尾幹二ら同会
の幹部たちを激越な調子で,攻撃的な批判をくわえたさい,村井と同様の意
見を開陳していた(谷沢永一『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』ビ
ジネス社,2001年6月参照)。
つまりそれは,教科書に対する国家検定制度をやめて自由化したらよい,
とするものであった。
★ 教科書制度はみなおしの時期である。
学校教育学を専攻する佐藤 学東京大学教授は,「新しい歴史教科書をつ
くる会」の教科書(扶桑社)の検定と採択をめぐる一連の事態は,現行の教
科書制度がかかえる問題をあらためて明らかにした,と分析する(『朝日新
聞』2001年9月13日夕刊「文化」欄)。
1) 学問の自由と友好のため「検定」は廃止を。……そもそも教科書が深
刻な外交問題に発展したのは,日本政府としては侵略戦争の事実を認める公
式見解にかわりがないと言明しつつ,文部科学省が「近隣諸国条項」を事実
上反故にして「つくる会」の教科書を検定で合格させた点にある。
文部科学省は,検定において「つくる会」の『歴史』に137カ所〔『公民』
には99カ所〕の修正意見を付して対処したが,最終的には「歴史認識等の是
非を判断すること」はできない(町村信孝前文部科学大臣の「談話」)とい
う判断によって,この2つの教科書を検定で合格と判定した。この対処はい
くつも矛盾をふくんでいた。
@ 他教科の教科書では「検定不合格」を出しながら,なぜ膨大な修正を必要とした「つくる会」の教科書を,修正に手を貸してまで合格させたのかが不透明である。 |
A 歴史学の「客観的な学問的成果」に照らして「合格」にしたという文部科学大臣の「談話」にもかかわらず,「つくる会」の歴史教科書は神話を史実と同列に叙述しているし,歴史学者が指摘しているように,修正意見が付されないままで残存した誤りは数十カ所におよんでいる。 |
2) 公共性と民主主義のために認可制に移行へ。……検定制度をつづける
かぎり,日本政府も文部科学省も外交問題の責任をのがれえないことを,確
認しておく必要がある。学問・思想・表現と教育の自由を保障するためにも,
近隣諸国との友好関係を回復するためにも,検定制度はただちに廃止すべき
である。
佐藤はこういう。文部科学省がゆるやかな最低基準をしめす学習指導要領
を定めたうえで,都道府県教育委員会に行政から独立した教科書の認可委員
会を設置する制度に移行すべきである。
歴史や公民の教科書の認可においては,好戦的な教科書を排し,特定の政
治や宗教や民族を攻撃しないという基準を設定するだけで,教育の公共性と
国際性は保障しうるし,現在よりもはるかに多様で個性的な教科書が出現す
る可能性がひらかれる。
3) 政治的介入を避けるために教師による選択を。……「つくる会」の教
科書をめぐっては採択における政治的介入も深刻であった。「つくる会」の
運動を中心とする請願が2百以上の地方議会で可決され,教科書採択は,一
挙に政争の舞台となった。今回は市民運動の高揚によって,大半の教育委員
会において首長や議員による政治的介入に抵抗することができたが,教科書
採択が政争によって混乱する事態は,今後はどうしても避ける必要がある。
任命制の教育委員会を公選制にもどすことによって解決をはかる意見も提
出されているが,むしろ,教師による選択の自由を拡大する方向で解決する
必要がある。教育の専門家である教師の判断によって教科書を選択するのは,
世界の常識である。
4) 貧弱な内容をあらためるために無償から備品へ。……欧米のように教
科書を学校の備品図書とすれば,現行の予算枠でも1冊に5倍以上の予算を
当てることが可能である。
日本では小学校と中学校と高校でそれぞれ1年「通史」をくりかえし教え
ている。この特殊事情が,国家中心の歴史教育と暗記中心の歴史学習の背景
にある。教育内容の編成をかえれば,「主題」を中心とする歴史を市民的教
養として豊かに学ことも可能である。
5) 教科書をめぐる制度全般をみなおす良い機会である。現状をすこしで
も改善する改革を望みたい。
−−以上,日本の教科書問題に関する佐藤の提言は,妥当なものである。
もちろん,「つくる会」の構成員たちにいわせれば,滅相もない提案ばかり
である。つまり,佐藤の議論は「つくる会」の狙いをことごとく無に帰せし
める方向を採っている。
すでに触れてきた点であるが,1)に言及されている前文部科学大臣町村信
孝の,いかにも政治屋的な欺瞞の姿勢は明らかに,「つくる会」の教科書を
国家が支援した事実を示唆する。「つくる会」のある人は,公民教科書が文
部科学省の教科書検定審議官のお褒めを賜わったと,自慢していた。国家の
期待する倫理・道徳観を記述する内容であることを,口に出して誇る「つく
る会」構成員の気持が透けてみえる。
「つくる会」歴史教科書において深刻な問題は,2)にあった点,「好戦的
な教科書を排し,特定の政治や宗教や民族を攻撃しないという基準」に,あ
えて挑戦するごとき筆致を駆使していたことである。いまどき,たっぷり1
世紀は遅れた中身の歴史教科書:「国家の歴史」を創作して,いかほどに未
来教育的な価値がありうるのか。
西尾幹二さんは西ドイツに留学したとき,かつてイギリスに留学した夏目
漱石が感じたのと同類の気分を味わってきた,という情報もある。その腹い
せでもあるまいに,アジア諸国に対してはせめて,そのコンプレックスを裏
がえしにではなかろうに,その意趣返しをしようとするような構図〔江戸の
仇を長崎で討つようなそれ〕は,笑うにも笑えないほどみじめな姿に映る。
西尾など「つくる会」でとくに問題なのは,自集団は自作教科書を採用さ
せるべく猛烈な政治的運動をしていながら,これに対抗するために遅れて出
現してきた市民運動的な諸集団をとらえて,政治的な動きでありけしからぬ
と,口汚く非難したことである。
3)に記述されたように,なりふりかまわぬ政治的な採択促進運動をしてま
で,なにゆえ「つくる会」の歴史・公民教科書を子どもたちに使用させねば
ならない,と考えるのか?
「つくる会」のメンバーを完璧といっていいほど馬鹿あつかいし,彼らの
つくった歴史教科書の程度の悪さをあばいた谷沢永一も,「教科書に対する
国家検定制度をやめて自由化したらよい」と結論していた。
教育学者佐藤 学も指摘するように,教科書の選択は現場の専門家である
〈教師の判断〉に任せるのが,4)に書かれているように〔すくなくとも先進
国の意識・自負のある国であれば〕世界の常識である。
−−後述にも登場する人物橋爪大三郎は,その「世界の常識」にしたがう
教科書の製作‐採択制度を主張する(夏目書房編集部編『どうちがうの?
新しい歴史教科書 vs いままでの歴史教科書』夏目書房,2001年,144-145
頁)。
・第1に,政府〔国家権力〕が,教科書の編集に関与しないという原則を
つらぬく。
・第2に,歴史と歴史教科書の多様性にたじろがず,むしろよいことだと
うけとめる。
・第3に,歴史は現在をよりよく生きるためのものだと,はっきり認識す
る。
「つくる会」の自作教科書採択運動はまさに,時代の流れにおおきく棹さ
すだけでなく,うしろむきの〔21世紀ではなく19世紀を向いた〕価値観を感
じさせる。「つくる会」の存在じたい,日本国内でなお根絶できない「ひと
つの醜態」である。
日本は19世紀後半から20世紀末葉まで,資本主義の道を推しすすめるのに
成功し,それなりの繁栄を達成できた。だが,最近面白くないこの国の実状
にかこまれるなかで,回顧趣味でもあるまいに,アジア近隣諸国の人たちを
みくだす「歴史教科書」を,しかも神話的根拠にもとづいて製作する精神構
造そのものが,なにかとてもみじめな光景ではないか。
2001年9月11日〔現地時間〕朝9時ごろ,アメリカのニューヨーク・マン
ハッタン島南部に建っている世界貿易センタービル2棟に,イスラム原理主
義者の仕業と推測されるハイジャック旅客機2機の突入事件があった。いま
のところ,犠牲者数が何千人になるのか予想すらつかない段階である。
イスラム原理主義派のテロ決行者は,アメリカ人を標的にしたはずだが,
テロリズムの決行したことであるから,世界貿易センタービルに仕事場をも
つ世界中の労働者・サラリーマン諸氏を無差別に殺戮することになった。こ
のビルに集まって仕事をしている人々は,世界中からアメリカにきて国際的
な業務に従事している。
この世界貿易センタービルにかかわる話に限定されないが,われわれはい
まや,国際的次元において生活するほかない時代に生きている。この時代に
あって,近隣諸国とその人々をむやみに軽侮したり,自分たちの優越をわけ
もなくひたすら煽るような教科書を子どもたちに与えて,それこそ「日本の
国益」にかなう教育ができるというのか。
★ 靖国神社問題 と「つくる会」と 石原慎太郎
ドイツ文学を専攻する西尾幹二先生には,こういうドイツ政治家のことば
を紹介しておく。
ドイツのフィッシャー外相は,ナチスドイツによって虐殺されたユダヤ人
の慰霊碑を建てたのは,「ドイツの国益を守るためである。犠牲者のためだ
けではない」といってのけた。
このくらい本当の意味での「〈腹〉のある識者」が「つくる会」に1人で
もいるのか。いないだろう。日本は過去,アジア諸国に対してそれほど悪い
ことはしていない,むしろオマエタチの国定教科書のほうが偏向している,
これを修正せよと,ムキになって怒鳴りまくっているだけではないのか。
とりわけ欧米各国は,日本の為政者が東アジア圏内でいままでと同じに,
指導力のない国家体質をいつまでつづけるのかと,非常に危惧している。
新しく首相に就任した人物が,初の所信声明演説でわざわざ,終戦〔=敗
戦〕の日に靖国神社に参拝する,と公言した。「政教分離の原則」に「違反
する行動」を「事前に予定している」などと,平気で口にする政治家を頭に
戴いているような国である。この国ではいまだ,まともな民主主義は画餅で
あるのか?
靖国神社は宗教施設である。ここに政治家が参拝するのは宗教行為である。
こんな簡単なことがわからないことじたい,そもそもおかしいのである。参
拝のしかたをかえたり省略したり,はたまた,「公人」だの「私人」だの区
別になにかとくべつの意味があるかのように勝手に解釈したりすることは,
本質問題からかけはなれた些末事である。
いまから15年まえの8月15日,靖国に参拝したその〈時の首相〉は,アジ
ア諸国に猛反発を巻きおこし,その後参拝できなくなった。その元首相はい
まも健在であり,現在の首相が来年以降も靖国に〔もちろん8月15日に〕参
拝しつづけることを強く期待する。なぜなら彼は,靖国神社参拝をやめてか
らその後抱いてきた悔しさを,後輩首相の決断・実行によってきっと癒せる,
と思っているからである。
しかし,近隣諸国からみたばあい,日本国首相が「敗戦の日」に靖国神社
に参拝する行為は,「日本は戦争など反省していない」「アジア諸国を侵略
した事実を認めない」「1945年8月15日以前の国家意識に舞いもどるもので
ある」などと,批判されるのである。このことに現首相の小泉純一郎が鈍感
であり,その問題性を事前に読みとる力量もなかった。過去の歴史を広い視
野のなかで認識する力が決定的に不足していた。あの戦争の時代におきた出
来事に関する,この国の最高指導者たちの知識・意識の乏しさ・貧しさ〔無
視・等閑視〕は,目をおおいたくなる。
敗戦後半世紀以上経過した今日の日本がなお,ドイツとは異なり,戦責問
題にいつまでもみとおしをつけられないまま,清算もできず,教訓もえられ
ないでいる。このたびにおける,「つくる会」の「新しい歴史教科書」騒動
は,そうした日本という国の精神状態を,みごとなまでに反映するひとつの
現象である。
日本経済新聞編集委員の田勢康弘は,2001年8月13日に前倒しして小泉首
相が靖国神社に参拝した行為を,こう論評している。
やはり15日でなくてよかったと思う。強行していれば,アジアでの孤立は避けられず,修復にはかなりの努力と時間が必要になっただろう。 外交は,正論を主張していればそれで済むものではない。相手につけこむすきを与えないことが大事なのだ。日本にとって重要な国々が反発することがわかりきっているのに,あとで修復すればいいというのでは戦略がなさすぎる。と,ここまで書いたところで,このていどの表現でさえ,抗議の手紙が殺到する日本社会の偏狭さを考えずにはいられない。多様な価値観を認めないと社会は,健全とはいえないと思う。 |
『日本経済新聞』2001年8月20日「風見鶏」欄。 |
日本経済新聞社路線の特徴が出ている論説である。参拝じたいは認めてい
る。それも外交戦略上の一問題だというのである。首相の靖国参拝が「正論」
〔正当な国家元首の〈宗教〉行為〕に類するものだといいたげな論調でもあ
る。しかし,問題が外交の機微に触れる点を指摘するのは評価できる。教科
書問題にも関連する「日本社会の偏狭さ」に言及する点もよい。
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店,2001年)は,天皇と伊
勢神宮との関係を,こう記述する。戦後の話である。
「公式には宗教と政治が分離されたにもかかわらず,依然として天皇は日
本特有の宗教たる神道の大祭主であり,宮中では神道の密儀をおこない,皇
室の先祖神をまつる伊勢神宮に参拝しつづけた」(『同書 下』5頁)。
日本は1945年8月15日まで,伊勢神宮に参拝する天皇を〈現人神〉を祭り
あげ,この生き神のためにこそ滅私奉公できる〔→「国のために文句なく死
ねる」〕臣民を育成しようとしてきた。靖国神社は,国家=天皇への臣民の
絶対的な服従心を育てるに当たって,その精神的な加護を与えるための宗教
機関であった。いわば,天皇教を宗教観念的に納得させ強制するための,も
うひとつの日本〈国立の神社〉であった。
靖国神社が明治時代にはいって,どのような経緯で造られたか,きちんと
理解しておくべきである。このような神社が現代においても維持されている。
戦前の靖国神社は,国家の管理下におかれていた。この神社には過去の戦争
などの犠牲者を〈英霊〉として祀ってあり,その後も自衛隊関係者を祀って
きている。そこにおいてはひとまず,8月15日という日付は意味がない。断
わっておくまでもないが,現在の靖国神社は宗教法人である。
2001年8月15日,靖国神社を参拝した石原慎太郎都知事は,13日に参拝し
た小泉首相の〔熟慮に熟慮を重ねて決めたという参拝の〕やりかたを「残念
だね。足して2で割るような方法は姑息で,うしなうものはあってもえるも
のはなかったと思うね。日本の外交はますますあなどられた」,と語ってい
た(『毎日新聞』2001年8月15日夕刊)。
さらに石原は,「12月8日(太平洋戦争開戦日)にお参りするなら問題で
あるが,8月15日は敗戦記念日。戦争を反省して過ちをくりかえすまいとホ
ゾを固めるためのいい機会である」などとも語った(『毎日新聞』2001年8月
18日朝刊)。
もっとも,石原慎太郎や小泉純一郎らは本当のところ,1945〔昭和20〕年
8月15日を区切りにする意識がなく,もとよりそのつもりもない。この日は
むしろ「怨念」の積もりに積もった〈日付〉〔戦争に負けてしまったその日〕
なのである。だから,靖国神社に参拝するのである。
よくいわれることだが,戦没者は「犬死に」「むだ死に」ではない,そう
は思いたくない,というのである。しかし,あの戦争で生命を奪われたのは
人間だけではない。「犬(軍用犬)」もたくさん死んだ。日中戦争以降だけ
でも,軍馬にとられた馬たちも十万匹以上が殺された。
昭和12年の日中戦争から20年の終戦まで,中国大陸のみで24万頭の馬が出征し,終戦当時生存していた馬は12万4000頭であった。 |
http://city.hokkai.or.jp/~uma/history/second3.html |
日清戦争にまでさかのぼって,それ以降における軍馬の死数を計算すると,
80万頭になる。
また,第2次大戦敗戦時,海外に1万頭近くいた軍用犬は1頭も生還でき
なかった。
犬や馬がそうであったように,人間も非常に多くの者たちが〈犬死に〉あ
るいは〈馬死に〉にさせられ,無駄な横死をさせられたのである。
旧日本軍の戦死者の230万人のうち,餓死者が140万人もいた。このことは,
旧日帝の戦争指導の体たらくの現われである。靖国神社にお参りにいって,
そのなにをつぐなえるというのか。だれのために靖国があったか,いわずと
しれたことである。国家のためにであり,個人のためにではない。こんな時
代遅れの神社=宗教が存在することじたい,〔プロ野球巨人軍長嶋監督の口
真似をすれば〕「ミラクル」的ではないのか。
石原慎太郎や「つくる会」の人たちが「負けた」「戦争を反省して過ちを
くりかえすまい」と語るのは,けっして,アジア諸国への侵略やそれによっ
て与えた惨禍を〈反省〉しているからではなく,大東亜戦争=太平洋戦争に
敗れた悔しさを,ただ内的,自慰的に癒したいにすぎない。
日本の要人による8月15日靖国神社参拝に対して,アジア近隣諸国が猛烈
に反対する事態など,かまわずほっとけというのが,石原慎太郎や「つくる
会」らのいいぶんである。靖国参拝に関する,上述のような身勝手な理屈づ
けは,あの戦争によってもたらされた自他双方における甚大な不幸・惨状に
目をつむり,戦争を讃美する考えである。
石原慎太郎や「つくる会」などと考えを同じにする人々は,あの戦争に日
本がもしも勝利していたらきっと,12月8日に靖国に参拝するようになった
だろう。もちろん,そうはならなかったが,そうなったと想定してみると,
東アジアから東南アジア一帯は,大野蛮帝国の支配下におかれ,その後植民
地解放戦争が澎湃と巻きおこる事態になったかもしれない,と想定できる。
日本の首都:「大東京の都知事」は石原慎太郎であるが,この人物,「つ
くる会」の熱心な応援団である。日本を代表する大都市の知事の存在が,こ
の国の痼疾である靖国問題や教科書問題をこじらす悪因となっている。この
ような知事が得意になって「外国人差別」の言辞を吐きながら,また社会的
弱者たちを軽視し排斥する姿勢をみせながら,大都会の行政運営にたずさわ
るという〈異様な風景〉が演出されている。
−−東京都民のみなさん,「シンタロウ」人気が「蜃気楼」幻想であるこ
とを早くみぬいてほしい。もっとも,石原慎太郎そのものは単なるシンキロ
ウ現象ではなく,非常な害悪を現実的に発揮しつつある独裁家なのである。
なお,筆者の実家〔東京都足立区〕に暮らす血縁者たちは,東京都がまだ
市制であったころからそこに住みつづけているが〔数えて何年間彼らがそこ
で生活してきたかはあえていわない〕,残念ながら在日外国人であるため都
政の一票をもてないままでいる。
靖国神社の問題は,日本社会に広く敷衍されていくべき問題である。宗教
と企業経営とが関連する問題を考察した,つぎの文献を挙げておく。
・中牧弘允『むかし大名,いま会社−企業と宗教−』淡交社,平成4年。
★ 天皇制「民主主義」の歴史的な意味
−立憲君主制を口にする憲法学者−
「新しい歴史教科書をつくる会」の構成員の1人,高崎経済大学助教授八
木秀次は,『新しい歴史教科書』とともに文部科学省の教科書検定を申請し
た『新しい公民教科書』に関して,こういっていた。
公民教科書の申請本段階では,日本の現行憲法体制は「立憲君主制」であ
り,天皇を立憲君主制であると明記したが,これは修正を求められたと(西
尾幹二編『新しい歴史教科書を「つくる会」の主張』(徳間書店,2001年6
月)。
「日本は立憲君主制の国だ」とみる憲法解釈は,噴飯物に聞こえる。しか
し,現行の日本国憲法に固有の矛盾,中途半端さ,いいかえれば,民主主義
的憲法として用意されたはずの法律が,第1〜8条において,封建遺制的な
天皇・天皇制に関する条項をかかげている事実をみるに,その解釈は,けっ
して唐突な見解ではないことがわかる。
敗戦後,連合軍総司令部やダグラス・マッカーサーの個人的な都合・駆け
引きのせいで,そのようにとんでもない不純物をまぜこんだ非民主的な憲法
が,いまも現役なのである。
なかんずく「つくる会」の構成員たちは,共和制とは〈水と油〉の関係,
絶対あいいれない要素を内包した現行憲法体制を,これはこれでよしとみな
し,さらに「時代がかった」というか「時代遅れ」の頑迷な感覚をもって,
憲法をうけとめている。
立憲君主制とは,三権分立の原則を認めた憲法にしたがって,君主の権力が 一定の制約をうける政治体制のことを意味する。絶対君主が市民階級の台頭と妥協した結果生まれたものであり,制限君主制といえる。 |
尚学図書編『国語大辞典』小学館,昭和56年,2461頁参照。 |
日本の外務省あたりは,外国に設置された公館内では,天皇がまるで日本
の君主〔元首〕であるかのように演技し,奉っている。天皇夫妻のお写真を
飾ってある部屋でこれに尻をむけた角度で立ったり歩いたりしたら,大目玉
を食らうと聞く。外務省は,天皇が日本の元首であるかのように誤解される
ことを歓迎するばかりでなく,そのように誤導的にふるまうことを好む。
大正年間につくられた国家議事堂〔天皇の住居から南西の位置にそびえる
1936(昭和11)年完成の白亜の建物〕は,天皇を特別あつかいする構造で建
築されていた。いまもそのまま,利用している。
国会議員が付ける議員バッチも,衆議院よりも参議院〔昔の貴族院!〕の
もののほうが,直径で3ミリおおきいそうである。参議院の存在価値がたび
たびボロクソにけなされるのとは対照的に,歴史発生的には元貴族院であっ
た〔議員は皇族・華族・勅選・多額納税者・帝国学士院会員議員などから構
成され〕参議院のほうが〈格が上〉というわけであり,いまもその残影をと
どめている。
「天皇の国事行為」というものが,民主主義の国会運営に必要かどうか考
えてみればいいのである。なくてもいいものを,いつまでも「シッポ」のご
とくぶら下げているから,20世紀後半の一時期“ Japan is number 1 ”の
「経済大国」だとほめそやされても,いつまで経っても政治・外交面では2
〜3流あつかいされつづけたあげく,結局,何「周回遅れ」での西側先進諸
国の一員にしかなれなかったのではないか。
猿が進歩して人間になったといわれるが,シッポがシャッポに化けて居す
わっているような国では,民主主義のまともな定着は,なかなかおぼつかな
いだろう。猿から人間への進歩という問題においては,ミッシングリンクが
介在しているが,日本における天皇制と民主主義とのあいだには,なにもな
い。ただし,目にはみえないはずのシッポが観念の世界のなかにぶら下がっ
ており,これが本来みえるものまでみえなく〔遮蔽〕している。
ところで,日本の肝心な経済について21世紀を展望すると,必ずしも明る
くはない。近隣の中国やアジアの諸国,あるいはインドなども,これから大
いにのしてくる可能性がある。日本は今後,世界全体に占める国土面積ある
いは人口の比率〔身の丈〕くらいに合った経済力しかもてなくなる恐れすら
ある。
近い時期,日本社会には高齢化の加速化とともに人口の急激な減少がやっ
てくる。国際関係方面ではすでに,日本バッシングならぬ日本パッシングす
ら生じている。日本が世界各国に相手にされるのは,金があるときだけなの
か。
ともかく,日本という国が金持ちのうちはまだ,各国が一流国として相手
をしてくれるかもしれない。だが,「つくる会」のように1世紀以上も昔の
ふるぼけた歴史観・世界観にしがみつき,いつもまでも陶酔しているような
国のままでは,世界中からコケにされる国になりそうな危険性もある。そう
なったらもう,救いようのない事態を迎える。
日本の警察のかかえる問題を論じたある識者は,今後における日本社会を
こう懸念する。
最近の日本は,政治にも経済にも社会にも,新世紀にはいって国家じたい
総崩れの観がますます深まっている。もはや,余力をもって「自己改革」で
きるほどの体力までも,うしなったようである。「うしなって安定」という
わけではないが,「現状追認」,そして,ごくふつうの「保身」ともいえる
「私的なるもの」が,いまの日本という,国のありようをささえている。だ
が,はたしてそこに未来があるのか。私たち個人が自分ひとりで,自分の力
量で判断すべき瞬間〔とき〕が遠からずあるはずである(川邊克朗『日本の
警察』集英社,2001年,248頁)。
20世紀のあいだ,日本は結局,東アジアの隣国と十分に健全な関係を構築することができなかった。21世紀はこの轍をくりかえしてはならないはずだった。ところが政府は国内の政治ゲームに埋没し,絶好のチャンスをみずからの愚策によって喪失しつつある。 東アジアとの関係改善なくして国内の構造改革もありえない。自身を東アジアと世界のなかで相対化する意識と行動がないかぎり,日本は自滅する。 |
『朝日新聞』2001年8月21日夕刊,国分良成「世界の中で自己相対化を−靖国参拝で悪化 日韓・日中関係−」。 |
八木秀次先生,現代の日本を「立憲君主制」と解釈できるといったのは,
まさか天皇・天皇制をかつぎあげるためでないと思いたいが,その口調を聞
いていると,必ずしもそうではなさそうである。21世紀のいったいどこまで,
今日に生きる化石=封建遺制を引きずっていきたいのか。それとも,八木先
生のほうが引きずられている,といったほうが正解か。
天皇・天皇制と民主主義は両立しうるのか? もっと突きつめて考えるべ
きではないか。
★ 橋爪大三郎の「つくる会」批判など
橋爪大三郎東京工業大学教授(社会学専攻)は,「21世紀文明はどこへ
むかうのか」という論稿のなかで,「つくる会」諸氏のアナクロ的世界観を
的確に位置づけている。
日本は,近代天皇制を形成して,そのもとで急速な工業化をすすめた。ソ
連のマルクス主義,日本の天皇制に共通するものは,それが疑似キリスト教
的なイデオロギーであることである。すなわち,ソ連や日本は,西欧文明に
対する異質な対抗者というよりも,その正統ではない傍流の追随者にすぎな
かった(比較文明学会編『比較文明』第16号,2000年,11月,「同稿」9頁)。
−−明治以降の日本神道は,宗教儀式をとりおこなう神職〔神主・神官〕
の姿を,キリスト教の牧会者〔牧師〕のそれに真似させた。だから,その後
国家神道とよばれることになった宗教神道が,とりわけ目の敵にしなければ
ならなかった他宗教のひとつにキリスト教がなった。自分が手本にしてみた
宗教には,けっしてめだってほしくない,というわけであった。
−−「つくる会」およびこの会を支持する人たちは,橋爪大三郎のように
ソ連と日本をいっしょくくって論じるのは〈不敬〉だと,心情的に反発する
かもしれない。しかし問題は,そう思うとか・ちがうとかいう観念の次元に
ではなく,歴史のなかでくりひろげられた史実〔できれば真実〕を直視しよ
ようとするところにある。
マルクスやレーニンが革命によって社会主義国家体制を築きあげたソ連は,
70数年間しかもたなかったのに対して,日本の国体は,2千6百年以上も連
綿とつづいている。それに,ソ連はロマノフ王朝の家系を絶滅させて成立し
た。その比較の対象に,伝統あるヤマト「皇室の血統」をもちだすことは失
礼だ,日本はいまも高貴な天皇家が断絶もせず存在しており,全然異なるも
のだなどといって,不機嫌になる必要はない。
しかし,日本の皇室が〈万世一系〉であるという神話=物語はさておき,
現状のように,日本の民主主義のうえに古代史的遺制が重しとなってのしか
かるかたちで一国が維持されている形態は,問題である。昭和天皇,その奥
さんのお墓は〈古墳〉である。旦那さんは百億円以上,奥さんは十億円単位
で,しかも,われわれの支払った血税を当てて葬式を出し,お墓も造った。
皇族の各員にも平民なみにプライバシーがあるというなら,税金をつかっ
て彼らの墓を造ってあげる日本という国家は,いったいなんなのかと疑問を
抱かれて当然である。
ちなみに,武蔵陵墓地内にある昭和天皇の陵名は,武蔵野陵(むさしのの
みささぎ)と定められたという。つぎの囲み内の説明は,ある絵はがきに添
えられた説明文である。
多摩丘陵に天皇家の墓所があります。大正・昭和の両天皇のお墓は石で被われた「円墳」です。明るく解放的な昭和天皇の墓所に比べて,大正天皇の墓所が石段のうえにあって威圧的なのは時代背景の違いでしょう。緑に囲まれ綺麗に整備されていますが,高尾山に近い場所柄ハイキング姿の訪問者が多いようです。 |
戦前の庶民は恐らく,天皇家の墓所に簡単に参ることなどできなかったも
のと推測する。上記の説明は,昭和天皇の墓は〈象徴天皇〉にふさわしい造
りだとの説明である。
近代天皇制は,明治以降の人為的な創作物である。それは,日本帝国主義
がアジア諸国を侵略するさい必要となった〈国家体制の精神的支柱〉である。
それはまた,近代的な国民国家イデオロギーを形成するために,古代史的神
話を捏造,再編成して用意されたものである。
近代天皇制はこれを正当化しようにも,物語風以上にはそれを語ることが
できない。このことは必然の道理であった。国民の教育において,顕教と密
教の弁別が必要とされた理由がわかる。なによりも近代天皇制としての日本
帝国は,封建制の近代的編成版であった。まっとうな民主主義は,そこに爪
先を引っかけておくくらいが,精一杯できることであった。
「つくる会」が生徒に教えよといっているのは,こういうことである。
つまり,教育と宗教の分離をしないでよい。「顕教(けんぎょう)」だけ
で教え,「密教(みっきょう)」は文字どおりの秘密にしておけ,という考
えかたである。いまどき,このような非科学的・反学問的な非常識=「庶民
を愚民視する」見地をひけらかして恥じない,一群の大学教員らが存在する。
辞書に出ている,顕教と密教の意味を参照しよう。いずれも,仏教用語で
ある。
◎「顕 教」とは,言語などであらわに,わかりやすく説き,しめす教えのこと。 |
◎「密 教」とは,一般には,その教えが大菩薩でさえもしりつくすことのできないほど,最高深遠なもののこと。 |
「日本は神の国である」といったのは,森 喜朗前総理大臣である。だが,
この人がいったつもり〔多分,当人はほとんど識別できていない〕のそれは,
「顕教」の次元にとどまっていて,「密教」の次元まで到達していない。
宗教教義を教える場所は,学校教育にはない。また「つくる会」の構成員
は大学教員が中心であるが,もしかするとこの人たちは,自分たちだけが密
教を研究しており,そのほか下々には顕教を教えておけばよいとでも考えて
いるのだろうか。
もっとも,「つくる会」の先生らの頭脳のなかでは,密教と顕教の区分が
できていない。両教が混同されているというよりも,はじめから一緒くた,
まぜこぜになっている。そのうえ,自分たちの信じる密教的な教説を他者に
説明する段階になると,歴史学の素人である点をかくさないので,いろいろ
ボロを出しつづける。
すでに,その氏名を出した谷沢永一にいわせれば,それはもうボロクソで
あって,こんな学識のない「つくる会」の連中に日本の歴史のなにが書ける
か,という調子であった。
大学教員を職業とする成員の多い「つくる会」のことであり,学界に籍を
おくものとして,専門的に責任をもてない論説を展開することがルール違反
であることは,よく承知しているはずである。
しかし,「新しい歴史教科書」は,顕教の立場でよいとする立場・思想に
立つゆえ,素人集団の「つくる会」が歴史教科書を〈言語などであらわに,
わかりやすく説き,しめす〉教科書として製作した,それも憂国の至情に駆
られてのことだ,というのである。
したがって「新しい歴史教科書」は,自民族に都合のよいことだけ書き,
「自虐史観」にならないように配慮し,過去のアジア侵略などという日本に
よる「加虐」の歴史側面など触れなくてよろしい。真実の歴史に接近しよう
とするよりも,歴史を〈物語〉として自分たちの思いたいように描けばよい,
と主張する。
明治以来の旧日帝によるアジア侵略の歴史を描くことが,どうして「自虐」
史観になるのか意味不詳である。外国で「殺人・強盗」を犯してきた者が,
それは実は,貴国のために「ボランティアー活動」をするうえで〔「旧日帝
は植民地でよいこともした」というお決まりの文句のこと〕挙げえた成果で
す,などと開きなおる態度につうじるものである。
けれども「つくる会」の先生方は,真剣にそう思いこんでいる。アジア諸
国が帝国日本に侵略されるようなダメな国々ばかりだった,といってのける
のである。だから,近隣諸国から猛反発と強烈な批判が噴出したのは,あま
りにも当然な反応である。
しかしながら,21世紀のこれから,アジア諸国がどのように成長,発展す
るか,さきまわりしてよくよく考え,つきあっていったほうがいいのではな
いか。前世紀での後半期にはもう通用しなくなっていた歴史観をふりまわす
のは,やめたほうが得策では?
東アジアとの関係改善が,すなわち国内の構造改革となり,東アジアと世
界のなかで自身を相対化する意識をもち,行動しないと日本は自滅する,と
先述で警告していた慶応義塾大学国分良成先生(東アジア国際関係専攻)の
意見は,至当である。
「つくる会」の先生たちは,21世紀のいま,19世紀に郷愁を抱いている。
こういう姿勢だから,時代錯誤。
★ 敗戦後を生き延びた一家族集団
1945年8月15日がきた。この日付の意味をあらためて考えよう。ここで,
青木 透『北村透谷−彼方への夢−』(丸善株式会社,平成6年)を引照す
る。
第2次世界大戦後,日本の民主主義がアメリカ占領軍によって〈上から〉
もたらされた。これは,明治時代に大日本帝国憲法が伊藤博文らによっても
たらされた状況に似ている。どちらも〈下から〉の民衆によって勝ちとられ
たものではない。
アメリカ占領軍の戦後政策はたしかに,治安維持法を撤廃し,財閥解体・
農地改革などを推進した。しかし,本当にそうだろうか。みせかけの民主主
義的政策ではなかったのか。
1949年には,各地方自治体が公安条例を制定し,その翌年,本格的なレッ
ドパージがはじまった。アメリカにおけるマッカーシズムの影響を,日本は
たやすくうける場所にあった。このことを考えただけでも,戦後民主主義の
虚偽はみてとれる〔そういえば,公務員の労働争議権が剥奪されたのもその
ころだった(筆者注記)〕。
「革命にあらず,移動なり」。このことばが脈々と生きつづけている不幸
を,われわれは体現しているのではないか。権力者たちの都合のいいように
移動しているだけなのである(同書,19-20頁)。
〈自由〉のない民主主義とは,いったいどのようなものか。隠蔽された管
理システム。イェーリングは『権利のための闘争』をのこした。真の〈自由〉
を手にいれるためのは,闘う必要がある。閉ざされているのは,言語空間だ
けではない。現在のような豊かさのなかの〈孤独〉とは,いったいなんなの
か。みせかけの豊かさ。そのなかにあっての,精神の貧困。北村透谷の時代
より,いまのほうが歪(いびつ)になっている。歪んでしまった心。
「革命にあらず,移動なり」と喝破した透谷の意志を継ぐことは,可能だ
ろうか?(同書,22頁)。
青木 透の〈日本の民主主義〉再考は,敗戦後いくたもの紆余曲折を経て
その後に生きのびる術を獲得した,裕仁および天皇一族にとっての,昭和20
年代の意味を示唆する。つまり,昭和天皇は,昭和20年代前半は「革命」の
恐怖に〔「断頭台」に登るかもしれない(!)と〕おののいたけれども,しば
らくして,その危険だった時期を「移動」するだけで済むことをマッカーサ
ーからしらされて,ようやく安堵したのである。
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店,2001年)は,天皇と伊
勢神宮との関係を,こう記述していた。ここに再度,同じ箇所を参照する。
公式には宗教と政治が分離されたにもかかわらず,依然として天皇は日本特有の宗教たる神道の大祭主であり,宮中では神道の密儀をおこない,皇室の先祖神をまつる伊勢神宮に参拝しつづけた。 |
ダワー『敗北を抱きしめて 下』5頁。 |
昭和20年代前半,皇室一族がキリスト教にしめした関心は,とてもニセモ
ノにみえなかった。しかし,それからだいぶ時が経過しておきたある出来事,
つまり,現在の平成天皇の実弟が義姉〔美智子〕とキリスト教談義をしたこ
とをしった,昭和天皇夫妻が激怒したそれは有名である。なるほど,連合軍
総司令部統治下の時期,天皇家の人々が関心をしめしたキリスト教は,お護
りがわりにあつかわれたこととなる。
ソ連邦がロシア革命によって生誕し,その後,ソ連邦がロシア連邦に舞い
もどってはみたものの,その間,資本主義とは無縁の体制で運営されてきた
国家であったがため,〈マフィア‐アングラ資本主義〉を頼りにして生きの
びていくほかないことを,現在のロシアは余儀なくされている。
ロシア‐ソ連のごとき極端な〈革命〉を体験しないで済んだこの国:日本
の「不幸中の幸い」は,その〈移動〉だけで,敗戦とそれ以後における最大
の屈辱をしのぐことができたところにみいだせる。しかし,ここでいう「不
幸」は,庶民が一手に引きうけたのに対して,皇室関係者は「幸い」のほう
ばかりを享受してきた。
庶民と皇族との関係は,以上のように対位的にも比喩できる。
庶民には多種多様な「不幸」があったが,皇室一家には一定の「幸」があ
っただけである。敗戦後,後者が前者の〈象徴〉となった。これは驚くべき
関係である。なぜなら,人間集団を象徴するのが特定の生きた人間:個人と
いう決めかたは,象徴というものの概念の定義を逸脱したものであるからで
ある。
そのうえ,「神」が人間宣言をして「象徴」となったことを契機に,庶民
は過去にこうむった多くの不幸をきれいさっぱり忘れよ(!)というのであ
れば,庶民にとってこれほど不幸なこともないだろう。
さきほど,日本の現行憲法体制をとらえて「立憲君主制」と解釈すべきだ
とのたもうた「つくる会」大学教員がいた。
その教員は,本物の「革命」を体験させられることなしに,いいかえれば
流血の惨事なしに実質的な「革命」を達成できる絶好の機会を捕捉しそこな
ったこの日本を悔やむのではなく,むしろ,封建遺制の近代化版の残置を歓
迎する気持を吐露したのである。そうした感性は,「つくる会」インテリゲ
ンチャーにふさわしい口吻ではあるが,時代をみとおす眼識とは無縁のもの
である。
−−かくして日本は,自国を〈よりまともな民主主義国=共和制国家〉に
脱皮させるための,絶好の機会を捕失した。昨今,その後遺症ともいえる社
会現象がおきている。「新しい歴史教科書をつくる会」の面々による騒動が
それである。
「つくる会」はまさに,日本を代表する「精神の貧困」な「閉ざされた」,
その意味ではみごとなまで,古風な集団である。
今年〔2001年〕に発生し,おおきく問題化した「つくる会」や『新しい教
科書問題』,そして小泉純一郎首相の靖国神社参拝は,「問題の発端はほと
んど日本がわからおきるということ」である。これが「静かなる多数」の気
持を暗くする。以前とはちがう反応をみせる,〈反日〉と〈嫌韓〉の悪循環
をどこで打ち切ればいいのか,考える必要がある(『朝日新聞』2001年8月
24日朝刊,韓 水山「韓国の『静かなる多数』)。
安倍晋三官房副長官は,2001年8月18日愛知県内で開催されたある講演会
のなかで,小泉首相の靖国神社参拝に触れ,「大切なのは,首相在任中は毎
年つづけて参拝することだ。我が国が民主的な自由な国のままだということ
を理解してもらえると思う」と述べた(『朝日新聞』2001年8月19日朝刊)。
この発言を聞いた日本人が,「これほど人を欺くことばを聞いたことがな
い」,「中国や韓国などの近隣諸国は,これまでの日本の政治家の言動をみ
て,軍国主義や侵略戦争肯定の傾向があることを警戒している」,「毎年首
相が靖国神社参拝をくりかえしたら,近隣諸国との摩擦はますます深刻にな
るだけではないか」と心配するのは,もっともなことである(『朝日新聞』
2001年8月24日朝刊「声」欄より)。
民主主義だとか自由だとかいうことば=概念を「なにをやろうが勝手だ」,
「他人にあれこれいわれる筋合はない」という意味にうけとるのが,安倍副
官房長官の真意である。この世襲政治家安倍晋三の発言は,日本における民
主主義の状態・水準を,ごく平均的に,正直に反映するものである。
すでになんどか触れたように,15年間中断されていた日本の首相の靖国神
社参拝は,それ相応の理由があっての〈中断〉であったことに思いをいたす
べきではなかったか。
ベトナム戦争当時,アメリカ国防長官の地位に立って指導したロバート・
マクナマラ(86歳)は,「ベトナム戦争はまちがっていた」と認めていた。
ベトナムへの介入戦争を失敗と反省するこの元高官も,いまでは相当の老齢
に達した人物だが,こう主張する。
「日本も〔国連〕の常任理事国になるべきだ。しかし,そのためには,教
科書問題など歴史問題での隣国との和解にとりくみ,みずからの過去をうけ
いれるべきだ。それが実現するまで中国との関係はきわめてむずかしい」と
述べている(『朝日新聞』2001年8月19日「インタービュー記事:日米−単
独でパワー行使するな−歴史問題,隣国と和解を−」)。
欧米がわは,世界政治力学をにらみながら,日本政府要人の危なっかしい
言動をみまもるだけでなく,つぎのように懸念していることもしっておく余
地がある。
靖国神社はこの夏,世界でもっとも有名な宗教施設のひとつになった。かつての軍国主義の象徴を参拝したのが,国際社会がその改革手腕に強い期待を寄せる小泉純一郎首相だったからである。 中国,韓国をはじめ,日本の大陸政策と軍靴に蹂躙された国々の反発を覚悟のうえであった。だが,参拝とりやめを祈りつつなりゆきを注視しつづけたのが,首相が親密さを強調してやまない同盟国アメリカであり,またヨーロッパ諸国であったことをしらなかったとすれば,その現実感覚の乏しさに,唖然とする。 日韓関係の悪化は,日米韓協調を基礎とするアメリカの朝鮮半島政策をゆさぶり,日本が引きおこした歴史問題はむしろ,中国に外交カードを与える。日本経済を立てなおそうというときに,近隣諸国との摩擦という悪循環をなぜつくるのかと困惑する声を,ヨーロッパの政治家や学者から聞く。 国際感覚の欠如は,日本の構造的な病なのかもしれない。 戦争がもたらした惨禍ゆえに,戦後の日本は史上まれな平和国家として成功した。それにもかかわらず,その平和主義に疑いが向けられ,「なにを考えているのか分からない日本」視されるのはなぜか。 世界の現実と向きあう役割をアメリカにゆだね,その胎内で戦争責任や戦後処理をあいまいに済ませ,国内の安泰を図ってきたゆえであろう。 日本の外交の大問題は「日-日関係」だと論破したのは,戦後日本の国際交流に偉大な足跡をのこした故松本重治である。政治家に外交上の識見が必要とされない悪しき伝統,政治と官僚の対立,国際的な視野を欠いた集団の存在,外交に興味をしめさない日本人じたい。 内政と外交がますます渾然一体となりつつあるいま,日米関係にも楽観を戒めつづけた松本氏の指摘は重い。 |
『朝日新聞』2001年8月19日朝刊「風 ポツダムから−『日日関係』という悲劇−」。 |
2001年の夏も猛暑だった。この盛夏のおり,一国代表たる自身の行動が周
囲にどのような影響を与えるのか,世界的視野に立って総合的に考慮しなけ
ればならない日本の首相に,適切な助言・助力を添えるはずの外務省当局は,
この首相が任命した田中真紀子外相の巻きおこした一騒動,さらに,その原
因ともなった「外務省じたいがかかえていた宿痾」のため,このだいじな時
期にまったく身動きできなくなり,首相を手助けできなかった。
外交不在,内政混乱とも形容したいのが,まさしく,今夏における日本の
政局であった。
三井物産戦略研究所長寺島実郎は,「アメリカ脱却を思想軸に」という点を
主張する。こういう(『朝日新聞』2001年8月21日朝刊「eメール時評」)。
自己主張に対し自己主張をもって封殺する姿勢を「覇道」という。他者の
の主張を余裕をもってつつみこみ,協調のなかに共通利益を実現する姿勢を
「王道」という。現代風にいえば,リーダーの品格である。
いかなる国にも民族の自己主張があっていい。大切なのは,相手からも理
解される「開かれたナショナリズム」である。いま,この国が健全なナショ
ナリズムを燃やすべき対象は近隣のアジアではない。アメリカである。
戦後の日本は,アメリカというフィルターをつうじてのみ世界をみてきた。
冷戦後もこの世界認識を引きずっている。そして,約4万5千人の米軍兵力
と約1010平キロの米軍施設(東京都23区の約1.6倍)が半世紀以上存在しつ
づけて,不思議と思わない感覚の国になってしまった。
アメリカというトラウマから脱却することこそ,真の構造改革の思想軸と
すべきものである。冷戦後の世界システムの再構築のなかで,主体性あるパ
ートナーとしてアメリカに向きあい,アメリカが発信する価値を冷静に吟味
し,世界の安定と反映に向けて敬愛される役割をはたすべきであろう。
−−1998年以降,韓国の金大中大統領は,日本との和解を積極的にすすめ
る外交政策を推進させてきた。それ以降,韓日関係の友好関係は盛りあがり,
日本と韓国の善隣も進展してきた。したがって,国際政治の学者・専門家や,
国際政治を注視してきた関係諸国の当事者は,日本があえて日韓関係〔もち
ろん日中関係も〕をあともどりさせ,悪化させたと観察している。
韓国大統領は日本に〔小泉純一郎がその代表である〕煮え湯を飲まされた
とまで指摘されている。このことを,日本がわはもうすこし敏感・深刻に感
じとる必要がある。
まえの頁でも触れたことだが,もう一度断わっておきたい。
靖国神社はこの夏,世界中に有名となった日本の宗教施設であったが,こ
の神社は,英語でこう表現される。
「靖国神社」〔やすくに じんじゃ〕は,
“ war (military) shrine! ”
★ 憲法学者の小泉首相「靖国神社参拝」批判論
奥平康弘「『首相靖国参拝』に疑義あり」(『潮』2001年9月号)は,靖
国神社=戦争神社に日本の首相が参拝する行為を批判する。この奥平論文は,
当該の論点を明快に論及したものと,批評をうけている。
このページもだいぶ長くなったので,新しいページを用意し,リンクを張
ることした。以下につづくページを参照してほしい。
三橋 健「靖国信仰の原質−神道宗教の立場から靖国信仰の本質にせまる」
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