第１章「各紙の報道：2002年４月21日前後から」 『朝日新聞』 小泉首相，靖国参拝は８月15日を避ける方向 小泉首相は2002年４月17日，靖国神社で22，23日の両日おこなわれる春季例大祭について「案内状はいただいたが，欠席の通知を出させていただいた」と記者団に語り，参拝しないことを明らかにした。 これに関連して首相周辺は17日，今年の首相の靖国参拝について「いかないことは絶対あり得ない。（時期は）８月はいかなくてもいい。春か秋の大祭にいくのが自然な姿だ」と語った。 そのうえで「選択肢は（８月）13日から16日と，春か秋の例大祭。それ以外は意味がない」と述べ，８月15日を避けて，その前後か秋季例大祭に参拝すべきだとの考えをしめした（以上は，４月17日報道）。 小泉首相，突然の靖国参拝－－「８月15日参拝はしない」 小泉純一郎首相は４月21日朝，春の例大祭がはじまった東京・九段の靖国神社を参拝した。小泉首相は参拝後，記者団に対し内閣総理大臣として参拝し，献花料として３万円をポケットマネーから支払ったことを明らかにした。 また，終戦記念日など８月の靖国参拝については「ありません。１年１度です」と明言した。 首相は突然の靖国参拝について，「今日の日本の平和と発展は戦争によって尊い命を犠牲にされた方のうえにある。政治家として一番大事なのは平和と繁栄を維持し，二度と戦争を起こさないことだ。そういう意味をこめて，今日，参拝した」と述べた。とくにこの日を選んだ理由については「内外に不安や警戒の念を抱かれず，真情をこめて参れる」。 この日の参拝が中国，韓国などに与える影響については「不安や警戒の念を抱くことはないと思っている」と述べ，影響はないとの考えをしめした（以上は，４月21日報道）。 －－筆者のコメント。中国や韓国がどううけとめるかは，あくまで相手国がわの問題である。小泉首相個人の主観的な考えで，自分の行為が「影響がない」などと独りよがりに観念し決めつけることは，アジアの政治家としてみるとき，その基本認識に重大な欠落（誤解あるいは錯綜？）があることを意味する。 アジア近隣のとくに，過去の侵略＝戦争などによって日本の被害をこうむった諸国：人々の気持は，その加害国がわの一方的な評価によって勝手に，「ああであるとか・そうでないとか」と決められるものではないはずである。小泉氏のしめした対アジア諸国：歴史観は，独断・専横であると同時に傲慢・増長である。 「今日の日本の平和と発展は戦争によって尊い命を犠牲にされた方」と小泉氏がいうとき，アジア近隣諸国の戦争犠牲者は念頭にない。このものいいは完全に，日本人・日本国がわの加害者意識を忘れており，ひたすら被害者意識→戦災者意識一辺倒のものである。 「政治家として一番大事なのは平和と繁栄を維持し，二度と戦争を起こさないこと」を願う気持が本当にあるならば，日本の首相が〈靖国参拝〉する行為が実は，隣国の人々の意識においては，過去日本の侵略戦争を彷彿させるほかないことに思いをいたさねばならない。 中国や韓国からのそうした視点＝批判は，いままでなんども指摘・提起されてきたにもかかわらず，小泉氏はそれに対していっさい聞く耳をもたない。 小泉純一郎というこの日本の首相は，口先では反戦的な意識の持ち主であるようにふるまっているが，根っこにある無意識的な心情は，明治以来「日本帝国主義」の伝統精神である〈好戦的な性向〉を表現している。 かつて日本の侵略をうけ戦場にされ，惨禍をこうむった国々の人々からみたばあい，日本の首相が靖国に参拝にいく行為は，戦争に反対する信念をもつ人間の行動などでは，けっしてないのである。このことを，肝に銘じておくべきである。 いずれにせよ，この日本の首相とアジア近隣諸国とのあいだには，埋めることができないような深い〈意識の溝〉がある。 『産経新聞』 小泉首相，靖国神社参拝 小泉純一郎首相は４月21日午前９時半すぎ，東京都・九段北の靖国神社に参拝した。首相の靖国参拝は就任以来，昨年８月13日についで２度め。
参拝後に首相は「（靖国参拝は）１年に１度だ」と述べ，８月15日の終戦記念日やその前後の参拝は見送る意向を表明した。靖国神社では４月22日から「春季例大祭」が予定されており，例大祭に合わせた参拝となった。 首相は参拝後に記者団に「熟慮のうえ，参拝した」と強調，「参拝目的は明治維新以来，わが国の歴史で国のために命をささげられた方々全体に衷心から追悼を行うことだ」と述べた。首相周辺は同日，「私的な参拝」との認識をしめした。 首相は終戦記念日前後の「８月参拝」に反対する中国などに配慮した格好。だが，とくに今年は日中国交正常化30周年の節目の年に当たり，日韓両国が共催するサッカー・ワールドカップ（Ｗ杯）を５月に控えていることから，中国，韓国の反応が注目される。 首相は参拝後に「所感」を発表，「長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝し，追悼の誠をささげることは自然だ」と指摘し，「例大祭に合わせて参拝することによって私の真情を率直に表すことができると考えた」と国民の理解を求めた。 首相は靖国神社の「春の例大祭」について，今月にはいって「今年は欠席する」と神社側に通知していたが，靖国神社に出発するさい，首相は「いまが一番いいから」と記者団に述べた。 だが，自民党幹部らに靖国参拝の連絡があったのは〔４月21日の〕「けさだ」とされており，与野党関係者にも「唐突だ」との戸惑いや懸念が広がっている。 今年の靖国参拝について首相はこれまで「状況をみて判断する」と，慎重に対応する考えを再三強調。首相周辺は中国や韓国への配慮から「秋の例大祭」の参拝などを検討していた。 首相は午前８時20分過ぎに首相官邸を出発し，８時半前に靖国神社に到着。９時39分に参拝した（以上は，４月21日報道） －－筆者のコメント。小泉氏は，いったいなにを熟慮したというのか。昨年８月13日に〈決行〉した靖国神社参拝のときは「熟慮に熟慮を重ねて」といっていたが，今年は「熟慮」なることばは１回（！）しか出ていない。熟慮が足りないのではないか。 「国のために命をささげられた方々全体」という表現をもちだすならば，この国際時代，ワールドカップも韓日両国での共催する時代であるからには，その国とは自国＝日本のことだけであってはならないだろう。 明治以来，日本という「国のために命をささげた人々」と，この「日本のアジア侵略・戦争のため命をうばわれ・落とした人々」との共通性と異質性とに思いをいたさない小泉氏の思考方式は，熟慮とは縁遠いものである。 「靖国神社に参拝し，追悼の誠をささげることは自然だ」という理屈は，手前勝手なものである。「今年は日中国交正常化30周年の節目の年に当た」るときに，靖国に参拝する宗教行為は，相手の神経を逆撫でするものである。 小泉氏は，「長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝し，追悼の誠をささげることは自然だ」といった。そうだとすると，靖国神社は実質，日本国営の宗教施設であり，また，日本国民が民主主義的に認めた戦没者慰霊場でもある，という考えなのか？ 「〈私的な参拝〉との認識」というにいたっては，ほとんど詭弁に近い申し開きである。こういう強弁は，首相の職位をはなれ，まったく個人の行為として靖国に参拝するとき口にするのが適当である。 つぎの「靖国神社」自身による〈例大祭〉に関する説明は，歴史の実態を隠蔽したウソである。 『戦歿者２４６万６千余柱の〈みたま〉のご冥福と，平和を祈念する祭である』。 正確にいうと，靖国神社の「春季‐秋季例大祭」は，日本国・日本人の平和を願ってはいるのだろうが，他国人のそれを視圏のそとに追いやった，自民族中心主義の宗教行事である。 明治以降における日本の歴史を回顧すればすぐに判明することだが，日本一国の平和・安穏・静寂・幸せは，反転させられて，アジアの他国に不安・不幸・軋轢・戦争・生き地獄を生起させてきた。この歴史に目を閉じ記憶から追放させる宗教行事のひとつが，靖国神社の例大祭である。 2002年春季例大祭の４月22日(月) 「当日祭」には，午前10時半過ぎに天皇の使いが勅使としてきて，天皇よりの幣物を供え，祭文を奏じ，参拝する。 〔ちなみに，小泉氏が参拝した前日の21日は「清祓」，→祭典の準備を完了し清めの祓いをする儀式をおこなう日であった〕。 靖国神社の〈例大祭〉にはそのように，天皇の使者が送られてくる。 日本における民主主義の最高責任者である小泉首相が靖国神社に参拝にいき，この宗教施設に鎮座まします神々に頭を垂れという宗教的行為は，政教分離の原則を完全に破るものである。「私的な参拝」との認識をしめした首相周辺の見解は，噴飯ものである。私人で参拝にいくなら，それなりにべつのやりかたもある。そもそも個人で参拝にいくことは，いつどのようにであれ，純一郎の自由である。 自分の考えをこの日本という国に住むすべての人間にまで押しつけ，しかも，それが自然な行為だなどとこじつけるのは，大概にすべきである。本ホームページの他所でもうんざりするほど論じてきたが，靖国神社の本質は《戦争神社： war (military) shrine 》である。 アジア周辺諸国からみて，そこ＝戦争神社にわざわざ日本の首相が参拝する行為は，「国のために命をささげられた方々全体」を慰霊し「衷心から追悼」する気持の表明だとか，戦争を反省することだなどとは，まちがってもいえるわけがない。 明治以来の「わが国（＝日本）の歴史」を，どう把握するかである。19世紀第３四半期から1945年敗戦までの「日本の歴史」は，アジア諸国への侵略と植民地化ばかり：連続である。 日本の兵隊や植民者が１人生命を落とした〔「国のために命をささげられた」〕ら，いったい何人の家族や関係者が涙を流したか。さらに，アジア諸国において，その日本の兵隊のために殺されたり，その植民者のせいで土地をとられてたりした人々にも家族や友人はいたから，この人々もそれ以上に多くの涙を流してきたはずである。 この21世紀の時代，「国のために命をささげられた方々」の全体に対して，「衷心から追悼の誠をささげる」は，ごく当然な精神的行為である。だが，それだけの意見表明では済まされない。その「国」に対位する「死」という概念を国際化し，普遍化していかねばならない。 いつまでも，自分たちの国のことだけを気づかうのであれば，今後期待されていいはずの，アメリカやＥＵに対抗しうるアジア圏政治経済体制の構築にさいして，日本は指導性を発揮できないだろう。 日米安全保障条約のもと，日本がアメリカに軍事行動を制約され指図されている状況は，ある意味でアジア諸国にとって好都合である。いわゆる「ビンのフタ」の役目をアメリカがになっている関係である。 アジアのなかの日本は，経済的な存在としてはいまなお，非常におおきな位置・比重を占め，これからも重要な役目をはたしていかねばならない。いつまでも日本がアジア諸国に信頼されないままなのであれば，21世紀のこれから，日本の政治的な実力・地位はがた落ちにならざるをえないだろう。 過去‐現在の日本とアジア関係を踏まえるとき，靖国神社に参拝する，しかも日本国首相としてそこにいって犯罪国教的な宗教行為を発現させる行為は，アジア諸国とくに近隣諸国の感情を悪化させて当然である。 そうした状況が生じることは明々白々であるのに，それでも「オレは靖国にいくのだ」とこだわるその政治感覚の拙さにおいてはまさに，小泉氏の「変人」ぶりが存分マイナスに発揮されている。 靖国神社の春季「例大祭に合わせて参拝することによって私の真情を率直に表すことができると考えた」と小泉氏はいうが，昨〔2001〕年８月13日の靖国参拝以来，日本の首相としてそこにいくことが，どのような悪影響をアジア諸国に与えるのか，なにも学んでいないどころか，まったく理解できていない。 『読売新聞』 靖国参拝，韓国では「Ｗ杯控え，相当な影響」と速報 韓国の聯合ニュースは４月21日，小泉首相の靖国神社参拝を速報し，「2002年韓日ワールドカップサッカーをわずか１か月後に控え，旧日本軍の太平洋戦争のＡ級戦犯が合祀（ごうし）されている靖国神社を昨年につづき参拝したことは，韓日，中日関係に相当な影響を及ぼすとみられる」と指摘した。 新華社も「アジアの反発招く」と速報 【北京４月21日＝佐伯聡士】 小泉首相の靖国神社参拝について，中国の国営新華社通信は21日午前，「小泉首相が不意の参拝をおこなった」と速報した。そのうえで「参拝は，第２次世界大戦中，日本の野蛮な侵略の犠牲となったアジアの近隣諸国の反発を招くだろう」と指摘した（以上は，４月21日報道）。 －－筆者のコメント。上述のような反応が中国・韓国から出ることはわかりきっていた。 だが，小泉氏は「参拝が中国，韓国などに与える影響については不安や警戒の念を抱くことはないと思っていると述べ，影響はないとの考え」をしめした。これが政治的・外交的な含意をこめた発言であるにせよ，きわめて不用意・不躾な考えであって，しかも相手国の気持・感情など完全にないがしろにしたものである。 『東亜日報』(韓国紙） 韓国政府は４月21日，外交通商部スポークスマンの声明をつうじて「深い遺憾の意」を表明した。このなかで韓国政府は「過去の植民地支配と侵略で，近隣国家にことばに尽くせない惨禍と苦痛を与えた戦犯に対してまで参拝することになり，憂慮せざるをえない」と述べた。 韓国政府は，崔 成泓（チェ・ソンホン）外交通商部長官が，訪米日程を終えて帰国する21日午後，緊急対策会議を開いて，対応を話しあう方針だ。 与野党もそれぞれスポークスマンの論評などを発表して，強い遺憾の意を表明した。 与党民主党の李 洛淵（イ・ナクヨン）スポークスマンは「サッカー・ワールドカップの共同開催を１ヵ月後に控えた時点で，日本の首相が靖国神社を参拝したことは，韓日関係全般に否定的な影響を及ぼすものと懸念される」と述べた。 野党ハンナラ党の南 景弼（ナム・ギョンピル）スポークスマンは「東北アジアの和平を阻害する行為であり，韓国国民を激怒させることだ」と語った。 －－小泉日本首相の靖国神社参拝に対する韓国政府や各政党筋の反応は，以上のように否定的，反発的なものである。 前述のように，相手国のそういう反応が出てくることは，事前に十分予測できたはずである。だが，日本国首相の靖国参拝について，中国や韓国が「不安や警戒の念を抱くことはない」などと，当人自身の思いこみにおいて独善的に断言する「意図的な無神経ぶり」が問題である。 中国や韓国などは，靖国神社にＡ級戦犯が合祀されていることを批判する。けれども，靖国神社は基本的に戦争神社，つまり戦争を督励し，戦争を煽動する神社＝ war（military） shrine である。一国の首相がそこに参拝にいくという行為が，まずもって問題であることをしらねばならない。 日本人・日本民族〔以外のアジア人も一部合祀されているが〕の戦争犠牲者を祭る神道式神社に参拝することは，戦争を反省したり懺悔したりすることをけっして意味しない。その逆である。中国や韓国が日本首相の靖国神社参拝行為を批判・非難する事由は，あまりにも明快である。 それでも，靖国にいくんだといって，実際に今年も〈前倒しでいった〉小泉氏は，確信犯である。小泉氏の宰相としての行動は，21世紀の日中・日韓〔日朝〕などアジア諸国との関係を創造的，建設的に構築する途として，好ましいものではない。 －－つぎは，敗戦直後の昭和20年代前半，ＧＨＱの占領統治支配下に日本があったときの話である。 Ａ級戦犯としてなお勾留されていた岸 信介ら〔児玉誉士夫・笹川良一などをふくむ〕19人は，1948年12月24日，絞首刑をまぬがれ釈放される。その前日，東條英機など７人に絞首刑が執行されていた。12月23日がなんの日であるか，断わるまでもあるまい。 とくに岸は，1957年２月から1960年７月まで，首相の座に就いた。元Ａ級戦犯がその後みごとに政界に復帰して首相の地位に坐った。この国の政治体制のありかたにおいて生じたこの事実に鑑み，Ａ級戦犯が合祀されている靖国神社に小泉現首相が参拝にいく行為を，とくべつ奇異な現象とみなくてもいい余地もありそうである。 田中真紀子は小泉純一郎を「変人」と名付けたが，その〈変人〉ベクトルがどの方向を向いているかが問題である。いずれにしても，靖国神社に関して日本とアジア諸国とのあいだに越えがたい溝がある。今回における小泉による再度の靖国参拝は，その溝をさらに深く掘り下げ，その幅も広げる働きをしたといえる。 『中央日報』(韓国紙） 福田康夫官房長官は４月22日，小泉純一郎首相の靖国神社参拝（21日）について，「公式参拝ではない」と主張した。同氏は記者会見で，「総理大臣たる小泉純一郎という名前で署名した。これをもって公式参拝ということではない」とし，「国家を代表する意味ではない」と述べた。 日本の主要メディアは22日，小泉首相の神社参拝に対し，相反する反応をしめした。朝日，毎日は「憲法に規定された政教分離の原則に反する恐れがある」と非難したのに対し，保守論調の読売，産経は「国家指導者が戦没者を追悼する行為は，その国の伝統と慣習に基づいた国内問題」と支持の立場をしめした。 一方，香港の日刊紙『明報』は22日，「小泉首相が４月中旬に参拝したことは，９月の日中国交30周年記念式典を控えて中国に配慮しながらも，ワールドカップ（Ｗ杯）共同開催を１カ月後に控えた韓国を相対的に軽視した」と論評した。 この日，趙 世衡（チョ・セヒョン）駐日大使は，竹内行夫外務次官に会い，小泉首相の靖国神社参拝に遺憾の意を伝達した。 －－保守論調の読売・産経両紙は「国家指導者が戦没者を追悼する行為は，その国の伝統と慣習に基づいた国内問題」といって憚らない。 だが，1945年８月までのこういう歴史を思いおこすべきである。アジア諸国の植民地や占領地に数多く建立された日本神道の神社，端的には〈鳥居〉に象徴されるそれは，日本の敗戦とともに瞬時に，一挙に破壊されつくした。 「その国の伝統と慣習に基づいた国内問題」であったはずの宗教施設：神道神社を海外にもちだし，押しつけてきたという，過去からつづくそうした経緯においても，日本首相の靖国神社参拝問題は観察されるべきものである。 日本の首相が靖国神社に参拝することは国内問題なのだという理屈はわかりやすい。だが，この理屈じたいは，思考の展開を停止・閉塞させ，歴史の脈絡を遮断・窒息させたものである。 －－たとえば，最近では非常に多くなった核保有国の核実験に反対する日本国および日本国内の関係組織・団体が，「自国の方針と必要にもとづいた国内問題」だといって核実験を強行・実験する国々に対して，けっしてだまってはいないだろう。 ましてや，原水爆実験の問題は，過去においてその被害国・被害者だった事実がなければ反対できないというものではない。原水爆実験に対してはむしろ，普遍的な・原理的な考えをめぐらせてこそ，反対すべきものである。 唯一〔とはいえないが〕の核被爆国である日本だけに，核実験に反対できる資格があるのではない。それと同様に，日本の首相が靖国に参拝にいく行為は，どの国であってもまた誰であっても，問題と感じる者は発言し反対するのである。 いまどき，日本という国内にのみ思考を内閉・蟄居させ，外国の国々や人たちにオレタチのやることにいっさい口出しさせない，そうすることは「内政干渉」だ，いらぬお世話だなどと反発するのはまさに，国際感覚の欠如・不在を象徴する狭隘な精神構造を暴露するものである。 第２章「靖国神社の宗教的な虚妄性」 アメリカは1945年８月，広島と長崎に原爆を投下し，戦時中とはいえ，軍‐民を問わない無差別攻撃をおこない，一般人まで殺す戦闘行為をおこなった。 1937年７月７日，中国の盧溝橋で日中軍が衝突し，日中戦争がはじまった。このあと日本は，本格的な戦時体制にはいることを余儀なくされた。国家総動員が発動されたのは，翌年の４月１日である。 日本が当初「北支事変」〔のちに「支那事変」〕とよんだこの《戦争》は，日本軍が中国を侵略していた戦争をさらに拡大させるものだった。 実は，日本の経営学の歴史に登場する重要人物の１人に，学者ではないが神田孝一という実業人がいる。この人は，昭和10年代になると日本の戦争を大いに激励する文筆活動を開始する。 筆者が最近みつけた資料として，こういうものがあったのである。 1937〔昭和〕年７月の日中戦争開始をうけて，陸軍従軍読売新聞特派記者として中国に派遣されたこの神田孝一は，『北支戦を現地に観る－支那事変従軍記－』（今日の問題社，昭和12年10月）という「パンフレット」にその従軍記を報告した。そのなかに靖国神社に触れた記述がある。 私はこの時はじめて国家といふものに就ての考へが頭に浮かびました。此方には日本の兵士の骸がありました。その近くには支那兵の骸，死骸は同じでありますが，この日本の兵士は，名誉の戦死として，その遺族も家族も国家が充分面倒をみて呉れます。 戦死した人の魂は靖国神社に祀られて一平民の身を以て畏くも 天皇陛下の御親拝を仰ぐことが出来るのでありますが，支那兵の死骸はどこで死んでしまったか，家族も遺族も兄弟も知らない，恐らく中には両親のある支那兵もをりませう。片親だけの支那兵もをりませう，或ひは妻子のある兵隊もをりませうが，政府からも，どこからも何時何処其処で死んだといふ通知は来ないのであります。 結局，これは背後に，戦線の後方に国家といふものが厳然としてある日本は強い。何となれば，兵士は安心して突撃出来る，支那兵は安心して死ねないのであります。それが戦闘力に優劣のある根本原因であらうと，その時沁み沁み思ひました」。 －－靖国神社のこうした信仰は，侵略戦争に駆り立てられた日本の兵士が名誉の戦死をすると，靖国神社に祀られるだけでなく，天皇陛下でさえ彼ら＝「英霊」に頭を垂れてくれる。だから，現人神である天皇に祀られるという至上の名誉をうけられることを肝に銘じて，戦争にいって死ぬことを厭わぬ強い軍人になれ，と教えこまれてきたのである。 日中戦争が大東亜‐太平洋戦争に発展し，広範囲に拡大してしまった諸戦場では，多くの日本の兵士が戦死・戦病死した。だが，彼らの遺骸の一部どころか，遺品すら遺族のもとに返せないほど戦況が不利になっていた。 自分の家族が強制的に兵隊にとられて戦場に送られ，そして戦死したり戦病死したりして喜ぶ者などいやしない。とくに自分の腹を痛めて男の子を生んだ母親は，とりわけそうである。そこで，そうした家族の気持を抑えこみ，否応なしに納得させる宗教装置が靖国神社の精神的からくりであった。 上述で神田孝一もいったとおり，「戦闘力に優劣のある根本要因」に関する確信，すなわち「日本は強い。何となれば，兵士は安心して突撃出来る，支那兵は安心して死ねない」という盲信（！）＝思いちがいをささえた靖国信仰は，いったい，なんのために考えだされた〈精神訓〉であったか。 日本は，中国の土地で戦争・戦闘をしていたのであり，そのなかで神田孝一は，前述のような従軍報告記をしたためたのである。よその国を侵略し戦争をする兵士のためには，その理由をなんとしてでも捻りだし，こじつけ，合理化しなければならなかったのである。 戦争－戦場－戦闘において，兵士＝人間の命は単なる消耗品である。だから，兵隊自身にはもちろんのこと，彼の家族や友人たちにも当然，「彼が死ぬこと」を事前にちゃんと納得させておかねばならない。 死ぬことじたいが避けえない戦争－戦場－戦闘であれば，その点については，必須・不可避の理屈として「死んでも浮かぶ瀬」があることを理解してもらったうえで，戦争・戦地に勇躍・果敢に出陣してもらえる〔支障なく戦場に送り出せる〕強い兵士を用意しなければならない。 そこで，靖国神社の国家宗教的な精神的役割が期待され，発揮されるのである。戦死した人の魂は靖国神社に祀られ， 『一平民の身を以て畏くも 天皇陛下の御親拝を仰ぐことが出来る』ことを無上の栄誉とすべき日本の兵士たちであったからこそ，まさしく，強い兵隊たりうるとしたのである。 だが，「戦線の後方に国家といふものが厳然としてある日本は強い」はずだったけれども，この国はあの戦争に敗北した。 天皇を神に祀る神州：日本帝国だったが，戦争で死んだ兵士に対してはその生き神様でさえ，靖国神社にいって頭を垂れ祀ってくれるのだ。そういう「宗教意識上の精神的な上下の関係：虚偽のカラクリ」を心に刻みこまれた兵隊は，戦場へ勇躍赴くべきこと，そして，国のために死ぬことを寸毫も恐れないことを徹底的に教えこまれた。 1930〔昭和５〕年生まれ日本共産党中央委員会議長の不破哲三は，敗戦の1945〔昭和20〕年８月までれっきとした帝国臣民意識の所有者だった自身を，こう回顧している。 ８月14日，明日は敗戦の放送があるという情報がどこからか私たちのところにも流れてきたが，私は頭から問題にしなかった。現実にどんな状況を目にしても，日本は敗けるはずがないと国民に思いこませるのが，「神国」思想だった。それゆえ，日本の敗戦は「神の国」思想で育てあげられた私たちにとっては，本当の衝撃であった。 その私たちにとって，８月以後，日本の戦争が不正義の戦争：侵略戦争だったということを，まぎれもない歴史の事実をもってしらされたことは，それ以上の衝撃で，子どもながらに，価値観の百八十度の転換を経験した，歴史的な一時期であった（不破哲三『歴史教科書と日本の戦争』小学館，2002年，125-126頁）。 現在は日本共産党の最高指導者である不破哲三もかつては，旧日本帝国臣民の優越意識を骨の髄まで叩きこまれ，「日本は天皇を神とする国」だと本当に信じていた事実が語られている。日本を神州とまちがえて観念させるそうした宗教的：オカルト的な精神を，施設面において具象する建築物が〈靖国神社〉であった。 それでは，敗戦まで国営・国定の宗教機関であった靖国神社が，いまでは単なるひとつの宗教法人になったからといって，はたして，それ以前の宗教的な教義を変更させたのかというと，まったくそうではないのである。 さて，2002年４月21日の靖国神社参拝に関して小泉首相は，「わが国の歴史で国のために命をささげられた方々全体に衷心から追悼をおこなうこと」がその目的だといった。 しかし，先段の神田孝一「従軍報告記」に関する論及からも理解できるように，靖国神社に関する小泉首相の認識は明らかに，過去における日本の侵略戦争を，国家の代表者として当然の行為とみなし是認するものとなる。 だから，中国や韓国などが日本の首相による靖国神社参拝に大反発し，批判したのである。こんな簡単な理屈が理解できないのであれば，結局，公人＝小泉首相の意図的・作為的な靖国行きと観察されるほかないだろう。 つまり，現在の日本国総理大臣である小泉純一郎は，明治以来における過去日本の侵略：戦争すべてについて，反省もなにもしていないと断定せざるをえない。そんな時代錯誤の帝国意識をもってしては，21世紀におけるアジア‐太平洋地域各国との外交関係を，友好裡に構築・展開することはとうていできない。 日本帝国主義時代の旧態依然たる封建意識をそのまま引きずっているのが小泉純一郎である。そうみなされて，当然である。ちなみに小泉の生年月日は，1942〔昭和17〕年１月８日である。 不破哲三とほぼ同じ年齢層の日本人は，1945年の敗戦時にみせつけられた大人たちのみぐるしい〈変身：転向〉，いいかえれば「国家全体主義」から「大衆民主主義」への急転身ぶりを目の当たりにさせられて，人間＝大人「不信」になってしまった者も多くいる。 純一郎はそのときまだ３歳。人間，体験というものを直接しなければ物事の真相が理解できないというのでは，なにか寂しい。彼はその出自からみても，日本が侵略戦争を重ねてきたという歴史認識を拒む政治家である。日本政府は正式に，アジア諸国に対する侵略戦争を認めてきたのではなかったか。 筆者の手元にある日本史年表は，1995年８月15日をこう記述している。「戦後50年の〔村山富市〕首相談話：『植民地支配と侵略』につきアジア諸国に『お詫び』を表明」。 旧日帝によるアジア「植民地化と侵略戦争」にさいして，その宗教的随伴者かつ精神的推進者となったのが「神道神社」である。 ところが小泉は，過去日本の侵略戦争とはいまなお「一番縁の深い靖国神社」に参拝して，その手先になった〈英霊〉〔あるいは，それにさせられた戦没者〕を慰霊し，そのうえで自国の平和と繁栄を願うのだと，完全に筋ちがいの自説を披露した。 だが，その神社でなされる宗教的な行為＝参拝が，アジア諸国・人々に対して，いったいどんな「悪意」「残虐」を意味するのか。この点について彼は，皆目知識をもちあわせていないか，あるいは，意図してその重大な歴史的因縁に無知なふりをしているかである。 第３章「その後の報道など」 1) 小泉純一郎首相は４月24日昼，中国が首相の靖国神社参拝に抗議して中谷 元・防衛庁長官の訪中受け入れを延期したことについて，「中国には中国の事情があるから，中国の立場を尊重したい」と記者団に述べた。 これに関連して，福田康夫官房長官は記者会見で「安全保障分野での日中両国の対話強化は，信頼関係を緊密化する意味で大変大事だ。（中谷長官の訪中は）いずれおこなわれると考えている」と，中国側の対応を楽観視していることを示唆した。さらに，不審船引き揚げ調査や日中国交正常化30周年記念行事に関しては「まったく影響はないと思う」と語った。 また，川口順子外相は衆院外務委員会で「（訪中延期は）残念だ。未来志向の友好関係が深まるよう努力するのが私の務めだ」と語った。 以上，日本政府要人による事後の発言内容は，相手国を舐めたような，ずいぶんタカをくくったもののいいかたである。 中国が上記のように，最初から〈好意的〉にうけとめてくれて，なにかものをいってくれるならともかくも，自国〔日本〕のほうからわざわざ物議をかもすタネを蒔いておきながら，相手国の出方まで勝手に自国に都合よくさきどりし，一方的に解釈して政府要人たちが意見を表明するところなどは，まことに無礼千万な態度である。 2) 韓国の大学で教鞭をとる保坂祐二は，『日本人に絶対にやられるな』（韓国での出版図書）という著作のなかで，小泉純一郎首相に関してこう述べている。 西尾幹二らの「新しい歴史教科書をつくる会」を裏で積極的に支援した小泉首相は，それだけでは飽き足らず，戦犯の位牌が安置された靖国神社の参拝を強行した〔2001年８月13日参拝のこと〕。その後，それをごまかすため，韓国や中国など反発が強かった国々を歴訪し，なだめすかそうとしている 今回〔今年：2002年４月21日〕の靖国参拝の直前，小泉首相は11～13日の日程で中国の海南島を訪れ「博鰲（ボーアオ）・アジア・フォーラム」の第１回年次総会に出席し，基調講演をおこない，中国の朱鎔基首相やタイのタクシン首相らと会談した。 アジア外交が点から面へ広がりつつある。首相の同行筋はアジア訪問をこう評した。対中外交では靖国神社参拝の問題などで火消しにまわらざるをえなかった昨年と異なり，今年は「攻勢」に転じる姿勢をしめしている（『毎日新聞』2002年４月14日朝刊）。 まさか，靖国神社参拝の問題では昨年「守勢」だったが，今年は「攻勢」に出たというわけではあるまい。とはいえ，小泉純一郎の戦争観・靖国神社観は「衣の下に鎧がみえる」と形容すべきものである。 小泉首相の靖国神社観をもってすれば今後も，アジア近隣諸国とのあいだで発生しやすい〈不和・軋轢〉の原因を，根絶することはできない。アジア近隣諸国との関係は，小泉自身の脳細胞に刻みこまれている「戦前型国家主義イデオロギー」が基本に働いているかぎり，火種をかかえたまま事態を推移させるほかない。 石堂清倫は，こう語る。－－今日，日本の政治上層は，過去の戦争の聖化しようと図っている。そして，歴史事実をつくりかえ，侵略を正当なものと書きかえた教科書を，近隣諸国の人びとの批判のまえに，多少は表現をゆるめるかたちをとって公認している（石堂清倫『20世紀の意味』平凡社，2001年，215頁）。 3) 「南方に散った父の無念を思う」という新聞投書を寄せた65歳の警備員は，小泉首相にこうせまる。 靖国神社は，こと志と異なった，むなしき魂のその無念さを，正面からみすえて慰霊し，誤った国策による〈あったままの姿〉を伝えようとしていない。 小泉首相，多くの戦死・戦病死者の事実を，どのようにして後世に伝えたらよいのか（『朝日新聞』2002年４月26日朝刊）。 小泉が靖国神社参拝で訴えようとする趣旨は，平和や繁栄を願うため戦没者の慰霊にいくのだ，というところにあった。だがなんどもいうが，こうした靖国に関する観念・認識そのものがまちがいなのである。 4) 『朝日新聞』コラムニスト船橋洋一の分析が参考になる（『朝日新聞』2002年４月25日朝刊）。 春季例大祭に合わせた今回の首相の突然の靖国神社参拝を，韓国主要紙は「電撃参拝」と形容した。 日本の植民地と侵略の被害をうけた国民からすれば，問題は春‐秋か夏かの時期ではない。靖国参拝がここに合祀されているＡ級戦犯に対する参拝を，包摂することともかかわる日本の為政者の歴史認識のありかたである。 しかしながら，筆者は，靖国神社に「Ａ級戦犯が合祀されている」から問題だという観点は，歴史的把握として理解不足であると考える。 国家によって戦争に強制的に動員された一般庶民的な軍人・兵士たちも，アジア諸国で蛮行を〔たとえば〈三光作戦：非戦闘員までも殺しつくし，焼きつくし，奪いつくす〉へ日常的に参加して〕くりかえしてきた。彼らはいわば，Ｂ級・Ｃ級戦犯にもならない，そのほか大勢のミニ戦犯である。 だが，彼らもまた英霊となって靖国合祀されている。だから，「英霊としての本質」においては，Ａ級〔大物〕，Ｂ・Ｃ級〔小物〕，そのほか〔一般軍人・兵卒〕のあいだになにもちがいはないのである。 5) ５月１日朝刊各紙は，４月29日におこなわれた金 大中（キム・デジュン）大統領と日本人記者団との会見要旨を，紹介していた。
しかしながら，日本国首相の靖国参拝に反対するのに，「戦没者への慰労（慰霊）」と「戦犯の合祀」とを識別するという外交的語法〔辞令？〕は，非常に問題である。国家宗教色のない「戦没者慰霊」施設が必要なことは，日本がわでも議論されてきている。 a)「初年兵教育」……日本の軍隊に入営した初年兵は，古年兵からいじめぬかれ，数しれず殴られ，良心や自尊心を徹底的にたたき壊される。「初年兵教育の目的」は人間性の抹殺である。命令でなんでもやれる人間に仕立てるのである。 b)「兵士の教育」……それまでの学校教育は軍国主義であったし，人間性をうしなわせ，民族差別を助長させるのが軍隊組織であった。そしてその大本にあるのが天皇制である。「上官の命令はただちに天皇の命令なりと心得よ」というのは，〈鉄の掟〉として植えこまれたのである。
7) 朝日新聞コラミスト船橋洋一の意見にもどって，さらに聞こう。 やりきれないのは，日本の首相がこんなぎこちないかたちでしか，戦死者に追悼の意を捧げることができないことである。思いついたようにいったり，抜け駆け的にいったり，これが死者に向かいあう姿勢だろうか。 昨年夏の靖国神社参拝まえ，首相は訪仏しシラク大統領と会談したが，そのさい，大統領は「靖国神社に参拝すれば日本のアジアとの関係はむずかしくなり，世界のなかで日本は孤立する危険がある，注意してほしい」と忠告した。この問題では，欧米もアジアもなく，日本は孤立しやすい。 「一方的通行」のことを外交では「一国主義」とよび，中国では単辺主義という。小泉首相の政治手法に潜む単辺主義が，現政権の命とりとなりかねないことを，いま深く危惧する。往々にしてそれは独りよがりにつながり，孤立をもたらす。 筆者は思う。往時の植民地大帝国だったフランスの大統領が忠告してくれたことだけに，さすがその内容には説得力があると。 フランスはかつて，民主主義：市民革命の基本理念〔自由‐平等‐友愛〕をかかげながらもなお帝国主義路線をとりつづけ，多くの植民地を領有していた。日本はその後，八紘一宇の国家理念を標榜し，アジア諸国などを植民地にした。フランスと日本とのあいだにおいて，ちょっぴりだけだが，異なる点があったことは確実である。 8) さて日本政府は，中国政府の具体的な抗議，５月中旬の予定されていた中国海軍軍艇の日本寄港を延期するという通知を「ポーズ」だとうけとめ，小泉首相の靖国参拝の真意を基本的に理解してくれると平静にうけとめようとしている。しかし，日本の外務省は，予想したなかでもっとも悪い対応として，今秋の日中国交正常化30周年の行事に向けた関係修復をめざし，検討にはいった（『朝日新聞』2002年４月24日朝刊）。 小泉首相の靖国参拝の「真意」とは，いったいなにか。中国や韓国がそれを理解してくれるはずなどないではないか。彼は本当のところ，中国や韓国などの「真意」をまるでわかっていない。彼我のあいだには，どうやら，歴史認識において絶対的な相違があるようだ。 過去日本において侵略戦争に出征した日本の軍人・兵卒たちは，「靖国神社〔など〕に参拝してから戦地へ送り出される」という儀式を踏んできた。彼らは，中国やアジア諸国に駆り出され，戦闘行為以外に多くの残虐行為を重ねてきた。 靖国神社には，天皇も参拝にいって，英霊たちを慰霊してきた。生き神様であるこの「天皇の御名のもと」に，日本の軍人・兵卒たちは戦いに行かされた。〈神州日本〉のために命を捨ててこいと命令された。 そして，たとえ戦場で死んでも，靖国に〈御霊（ミタマ）〉として還ることでき，「英霊」とみなされてそこに神々となって祀られる。日本の軍人・兵卒たちはそういわれて督戦され，戦争で武勲を挙げるよう激励された。 8-1) キリスト者遺族の会実行委員長西川重則は，昭和天皇をこう断罪する。 1938〔昭和13〕年，すなわち日中全面戦争第２年めに，天皇の軍隊の戦没者が激増した。天皇は同年から1945〔昭和20〕年にいたるまで，靖国神社参拝を毎年２度くりかえしている。軍国主義の精神的支柱であった靖国神社に天皇が，年２度の参拝をなすことは異例の出来事であり，その意味・影響はきわめておおきいものであった。 天皇の名のもとに「名誉の戦死」をし，靖国神社に「祭神」「神」「英霊」として祭られる数が増えることから，天皇は参拝をくりかえしつつ，戦没者（＝天皇の将兵）に対する「慰霊」「英霊顕彰」を身をもって喧伝したのである。 戦後になって，「戦時中の靖国神社臨時大祭の模様」が報じられたことがあった。遺族のなかから「人殺し」，「わが子を返せ」という悲痛な叫び声が起きた。この叫びは，癒しえない肉親の血の叫びであり，侵略戦争に駈り立てられた民衆の天皇に対する怨念以外のなにものでもなかった。 そのばあいは，日本人のなかからの悲痛な叫びであるが，アジア全域において，天皇の支配のもとで天皇の軍隊によって殺された２千万人を超える死者，戦没者遺族，民衆の現実，今日もなお癒えることのない戦争の傷跡を，私〔＝日本人〕たちは深く心に刻むべきである。否，天皇こそその責任を人間のことばによって，告白すべき立場にある（西川重則『天皇の神社「靖国」増補版』梨の木社，2000年，119-120頁）。 日本人のばあい，戦時中・敗戦後ともに「責任をとる／とらせる」感覚は皆無となる。道義的にダメなら法律で縛ればいいようなものだが，それもしない。象徴的な例は，太平洋戦争における昭和天皇の責任不問，敗戦後の「天皇制‐民主主義」の矛盾である（一橋文哉『オウム帝国の正体』新潮社，平成14年，433頁）。 8-2) くわえて，1945年８月15日以後における，以下のごとき「歴史的な事実」にも触れておこう。 敗戦直後，靖国神社臨時大招魂祭のときに昭和天皇は参拝している。つぎに昭和天皇夫妻が靖国神社へ参拝したのは，1952〔昭和27〕年の秋季例大祭前日である。1953〔昭和28〕年には，皇太子〔現平成天皇〕が靖国神社に参拝し，同年の秋季例大祭ごとの勅使参向が復活した。 靖国神社はその後，天皇崇拝と軍国主義の精神的支柱という戦前以来の体質をにわかに顕在化させ，国家的性格への復帰を要求して動きはじめていたのである（村上重良『国家神道と民衆宗教』吉川弘文館，昭和57年，77-78頁）。 1946〔昭和21〕年１月１日，裕仁天皇は「神格化を否定する〈詔書〉」をもって「人間宣言」をさせられ，みずから〈生き神さま〉ではないことを表明した。そうして，〈現人神〉と信じられていた昭和天皇は〈象徴の地位〉にかえさせられたのである。敗戦直後，ヒロヒト氏をめぐって演出された一連の出来事は，伊達や酔狂で準備・実行されたことではなかったのである。 以上の経緯は，いまや裕仁さんとともに「幽明境を異にする」ダグラス・マッカーサー元帥に，わざわざ聞くまでもない点である。それにもかかわらず，裕仁天皇自身の歴史的な認識においては，戦前‐戦中‐戦後のあいだにおける〈断絶の意識〉がまったくない。 しかし，昭和天皇は，「自分の身代わりに戦争の罪責を負ってくれたＡ級戦犯」が英霊として靖国神社に合祀されてからは，靖国参拝にいけなくなった。Ａ級戦犯14名が靖国に合祀されたのは，1978〔昭和53〕年10月17日のことである。Ａ級戦犯合祀の問題は，靖国神社にかかわる戦争責任問題の一要素：その突端，氷山の一角を表現するものといえる。 戦没軍人全員が靖国神社に合祀されたわけではない。定められた基準にもとづく合祀者のほかは，天皇の「特旨」によるというかたちで選別され，恩恵的に合祀された。ここに，靖国神社への合祀が，一方において，合祀される個人の信教を無視した国家神道〔その人格的表現としての天皇〕という，宗教のがわからの一方的強制であるとともに，他方において，合祀されることじたいがあくまで天皇の恩恵にもとづくという，国家の二重の恣意性をみることができる（この段落は，大江志及夫『靖国神社』岩波書店，1984年，127頁）。 なかんずく，靖国神社の宗教精神が戦前となんらかわりないかぎり，敗戦後，日本国憲法が天皇を象徴たる存在にその意味を転換させても，日本の首相が靖国に参拝する行為を，他国がどのようにみるかはわかりきったことである。 8-3) 蛇足の話のようになるが，マッカーサーが朝鮮戦争の作戦遂行に関する強硬策のため解任されたのは，1951〔昭和26〕年４月11日であり，その５日後には日本をはなれ，アメリカに帰国している。そのさい，昭和天皇は見送りにはいかず，代理人を出むかせただけだった。 また，1975〔昭和50〕年秋，昭和天皇がアメリカ訪問をしたとき，故人となっていたマッカーサー元帥の墓はたずねず，外務省の係官に花をたむけさせる手配をしたにすぎない。訪米中の裕仁夫妻は，マッカーサーの配偶者に晩餐会の招待状を出しただけである。彼女は欠席したという。 世の常識にしたがえばこういう人づきあいのことを，「忘恩」と形容する。というのは，昭和天皇およびその一族郎党にとって，昭和20年代前期におけるマッカーサーの存在は，まさしく彼らの「命の恩人」を意味したからである。 2002年８月５日『朝日新聞』朝刊に掲載された記事は，東京裁判〔極東国際軍事裁判〕という「勝者：連合軍のしつらえた〈お白州〉」に引き出されないよう采配してくれたマッカーサー元帥に対して，昭和天皇が謝意を表した事実を報道している。 裕仁氏がマッカーサー元帥に《最後の会見》をしてもらい，その謝意を表しに参上した日付はおそらく，マッカーサーが解任されてから急遽アメリカに帰国するまでの，1951〔昭和26〕年４月のことであった〔多分，４月12日から15日の４日間のうちのどれかだろう〕。 敗戦後しばらく，天皇一家：一族は，キリスト教にひとかたならぬ関心をみせ，占領軍の好意をえるべく相当の努力を傾注してきた。しかし，そうした関心も，占領軍の支配が解かれると一気に方向転換をしたのである。 ◎ 1951〔昭和26〕年９月４日 対日講和条約ならびに日米安全保障条約調印。 ◎ 1952〔昭和27〕年４月28日 同上 ２条約発効，日本独立。 「５年間にわたって毎週おこなわれたこの宮中におけるバイブルクラスは，占領が正式に終了した1952年のある日，突然終わりを告げた」（レイ・ムーア編『天皇がバイブルを読んだ日』講談社，昭和57年，41頁）。 8-4) 三谷隆信『回顧録－侍従長の昭和史－』中央公論新社，1999年は，連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの昭和天皇に対する尊敬は純真であり，また裕仁氏もマッカーサーを尊敬していたけれども，マッカーサーは在日中ついに「参内（さんだい：宮中に参上すること！）しなかった」し，離任のさいもその方針をかえなかったと記述している（同書，293頁）。 敗戦後ＧＨＱ占領支配下だったにせよ，キリスト教にすくなからぬ関心をしめし，とりわけ連合国最高司令官マッカーサー〔など〕にとりいる下心もあってか，皇族がバイブルクラスまで開いていたころは，かつて日本帝国の現御神（あきつみかみ）：生き神だった「自身の絶対的に偉大な歴史」にとって，思いだしたくもない屈辱の時期と推察される。 敗戦後《国家神道》と称された日本の神道一派は，明治以来，キリスト教の儀式や教理を形式的にも内容的にも模造して形成されたものだけに，とりわけキリスト教への対抗意識や反感が強かった。国家神道「本家本元の天皇一族」が，国家の敗戦のためとはいえ，日本独立の日まで聖書勉強会〔バイブルクラス〕を継続してきたのである。昭和20年代における皇室の歴史に記録されたこの一幕は，皇族が屈辱感をもって回顧せざるをえないものなのである。 敗戦後の日本を占領統治した連合軍最高司令官マッカーサーの地位は，どういうものであったか。つぎに記述する内容は，彼自身の語ったものである。 マッカーサーは，日本国民に対して事実上，無制限の権力をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も征服者も総司令官も，彼ほど日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった。 マッカーサーは経済学者であり，政治学者であり，技師であり，産業経営者であり，教師であり，一種の神学者でもあることが要求されたのである。 8-5) 岡本嗣郎『陛下をお救いなさいまし－河井 道とボナー・フェラーズ－』ホーム社，2002年は，敗戦直後の日本キリスト教の地位をこう描いた。 恵泉女学園大学学長で東京大学名誉教授の荒井 献は，敗戦の年は15歳で中学３年生だった。秋田県大曲市で育ち，父は牧師で天皇の赤子を裏切る「スパイの子」といじめられ，陰惨な少年期を送った。 敗戦後最初の日曜である1945年８月19日のことを，荒井は鮮明に覚えている。それまで礼拝出席者は２，３人だったのに，この日の教会堂は立錐の余地がないほど人で溢れた（同書，277頁）。 戦後もだいぶ時が経って，昭和天皇の「次男」が「長男のお嫁さん：美智子妃（幼児洗礼をうけたカトリック教徒だったが棄教させられ神道徒になった）」とキリスト教談義を交わした事実があった。だが，これをしった裕仁夫婦の激昂ぶりは並たいていのものではなかった，と伝えられている。 昭和天皇が夫婦で訪米したさい，儀礼的にであっても，マッカーサーの墓参りはしなかった。これは明らかに意趣返しである。裕仁氏は日本の〈国家的な神道〉全体を代表する祭主であり，死ねばみずからその「神々の１名」に成り上がる予定の「人間」である。 天皇の訪米時においてマッカーサーは故人であったし，配偶者（未亡人）もアメリカ社会において市井の１私人にすぎなかった。日本国の象徴たる昭和天皇はもはや，過去の大恩人であるマッカーサーの配偶者に対して，かくべつの配慮など無用になったというわけである。 とはいえ，マッカーサーの副官の１人だったＬ．Ｅ．バンカー〔当時大佐〕が，「昭和天皇が訪米したおり，マッカーサー記念館が天皇の訪問地の予定に入っていないのをしり，『占領期に首がつなかったのは誰のおかげか』と抗議した」のは（竹前栄治『ＧＨＱの人びと－経歴と政策－』明石書店，2002年，56頁），しごく当然の反応である。 9) 本筋の話にもどろう。韓国の新聞は，韓国国会議長が小泉首相の靖国神社参拝を「奇襲攻撃」と批判したと伝え，さらに，北朝鮮の「朝鮮通信」は，「日本政府が過去の犯罪を正当化する行為としてとうてい許されない」と批難した。 在日韓国人系の『統一日報』紙は，今回の参拝を，「それにしても《日本的》対処法であるといわざるをえない。日本がアジアのリーダーになるにはこうした姑息な方法から決別する必要がある」と批判した。 10) 折しも2002年４月26日，第２次大戦中，中国本土で「労工狩り（「うさぎ狩り」ともいった）」に遭って日本に強制連行され，福岡県の炭鉱で坑内労働などに従事させられた中国人15人が，国と三井鉱山を相手に総額３億４千５百万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が，福岡高裁であった。 福岡高裁の木村 元裁判長は，強制連行‐労働について国と企業が「共同で計画し実行した」と認定した。不法行為の時から20年で賠償請求は消滅するという，民法の「除斥期間」の基底をこうした事例に適用することは「正義・衡平の理念にいちじるしく反する」と述べ，三井鉱山に総額１億６千５百万円（原告１人当たり１千１百万円）の支払を命じた。国への請求は棄却した 小泉首相に申そう。あなたの靖国参拝とこうした訴訟の判決とのあいだには，はたして，歴史的かつ論理的な整合性がありうるか，と。男：純一郎が靖国神社にいく気持の「真意」が本物であるならば，前段のような訴訟がいまどきおこされ，裁判がなされ，企業が敗訴する判決となるというごとき経過じたい，ありえない出来事ではないのか。 11）『朝日新聞』2002年５月１日夕刊に興味ある記事がふたつ出ていた。 ① 戦前の日本に留学しにきた周 恩来の『19歳の東京日記』は，大正15〔1926〕年５月１日を，こう記していた。「夜，九段をぶらぶらしていると，靖国神社の大祭に出会い，それをみてはなはだおおきな感慨を催す」。周の表現「感慨」の中身はわからない（「素粒子」）。 ② 戦後の日本についていえば，敗者であるみずからをいかに生きたかを歴史として描きだす努力をしてこなかった事実は動かない（大塚英志「『戦後史』すら与えられた国で－憲法記念日を前に－」）。 －－小泉純一郎に対して前述②のように，「日本は敗戦後をいかに生きたか」と「その間における歴史」を問うてみるに，実はどうしても，その答えがなにも出てこないのである。つまり，その「部分の歴史」が完全に欠落している。靖国参拝で彼がしめした行動の軌跡は，現在に生きる者にありながらも，「過去から今までの歴史」の部分が空白だったことを明白にした。 それゆえ，小泉純一郎にとっては「空白でしかないその部分」を他者に批判されても，彼にはそれに答える「術＝思想と論理」がない。この点は，ある意味で彼の本質「部分」：核心なのでもある。 |
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第４章「そして，石原慎太郎」 石原慎太郎東京都知事の任期も満３年となった時期，朝日新聞は「検証・石原都政－都知事選まで１年，上・中・下」を掲載した（『朝日新聞』2002年４月24・25・26日）。 最近，慎太郎都知事は「もうこの仕事に飽きた」などと，きわめて不謹慎・不遜・傲岸な発言をしたり，個人的に親しい小泉純一郎首相のいる官邸に直接いって，「あれこれ国政に注文をつけたり」と，たいそう大仰な〔大物ぶりの〕言説・行動がめだつ。もっとも，そういう言動のしかたはこの「元・作家出身の都知事」に特有であって，いまさら感心するほどのものでもない。 ところで，石原新党が旗揚げされるかどうかは，マスコミ関係にとってかっこうの話題である。本人もまんざらでもない様子であって，にやけた表情をつくってそうした噂話にのらりくらり応えている。本人自身はもちろん，国政の最高責任者になることに大いに色気があるのだが，2002年には御歳70になる石原慎太郎としてはいちおう，「新党はつくりません」と公言している。 だが，朝日新聞が2002年４月23日，東京都民を対象に実施した世論調査によれば，石原慎太郎都知事の支持率は78％であり，あいかわらず人気が衰えていない。一方で「石原新党」や「石原首相」など国政への復帰を望むのは，少数派だったという（『朝日新聞』2002年４月24日朝刊）。 最近〔2002年にはいって〕のニュースでみる石原慎太郎の表情・しぐさは，なにかとてもダルそうな感じにみえる。都政なんぞにはもう飽きたこんどは国政だ，という気分を自身で抑えきれないのだから，そのようにいささか締まりのない〔心ここ→都政にあらずの〕顔つきが正直に画像に映し出され，マスコミ・メディアに流れてきている。 「検証・上編」……田中真紀子前外務大臣の更迭〔2002年１月30日〕以降，小泉首相の人気が急落するなか，再び石原慎太郎の露出度が高まっている。大勢の人が集まる場所での式典や視察に出かける機会が，このころ（４月のこと）めっきり増えている。 逆に都庁にいる時間は減っている。2001年度，平日の約３分の１は都庁を留守にしていた。都の幹部は「重要案件を報告しようにも時間がとれない」。「非常勤知事」，「本業作家‐副業知事」。いま都庁では，そんな陰口もささやかれる。 「国を待つことにも飽きた。それならいっそと思うこともある」と石原は，テレビやラジオで思わせぶりの発言をくりかえしている。ある都の幹部は，「都政に目を向けてほしい」と苦々しげである（「検証・石原都政－都知事選まで１年，上」）。 本ホームページですでに言及したことだが，国会議員勤続25周年の衆議院本会議演説で，この石原慎太郎という男が放った発言が非常に不躾なものであった点は，実の息子が憂慮したほど悪いものだった。こんどは，まだ任期を１年のこす都知事職にありながら，しかも〔2002年４月で任期３年が経過〕，都政を留守しがちにしておきながら，再び国政に色気たっぷりであることを〈推察させる日常生活〉に切りかえているかのようにも映るのである。 もしも，石原慎太郎ではない他者が都知事になって，公職面における行動を石原と同じように〈非常勤的に〉やったら，この男〔もちろん慎太郎のこと〕は早速，その人物を口汚くののしること請け合いであるが，自分のことになると途端に甘々となるのが，いつものパターンである。 「検証・中編」……2002年３月26日，大手銀行への外形標準課税をめぐる裁判で，都がわが敗訴した。看板政策の挫折である。だが，暗礁に乗りあげているのは，それだけではない。産業廃棄物の排出者に課税する「産廃税」と「大型ディーゼル車高速道路利用税」は，提案から半年，都が求めた協議会は立ちあがっていない。千葉県‐神奈川県‐埼玉県ともに慎重であって，拙速を戒めている。 埼玉県の土屋義彦知事は，「石原知事の独断ではできない。話し合いが大切。みんな石原さんの子分じゃないんだから」という。めざす方向はよくても，説明や手続が不十分なため，周囲の誤解や反発を招く事例がある。都知事になってもなお，子どもの遊び仲間での「お山の大将」的にしか采配できない。ある都の幹部は「石原流」のマイナス面だという。 だが，あえて摩擦を起こして，その熱を推進力にかえるのも石原流である。 国の対策の遅れを批判し，２年まえに打ちだしたディーゼル車規制がある。2003年10月から都の基準を満たさないディーゼル車は都内を走れなくなる。引きずられるように国も動きだした。中央環境審議会は2002年３月，2005年以降に販売されるディーゼル車の排ガス規制を，欧米並みにきびしくする案をまとめた。 公約にかかげた債券市場構想も，かたちをかえて実をむすんだ。中小企業への融資を証券化して投資家を募る「ローン担保証券」。３年間で中小企業5156社に1900億700万円の資金を調達した。銀行の貸し渋りに苦しむ中小企業には光明となった。 だがまた，石原流は，思わぬ躓きも起こしている。「大病院はたるんでいる」という石原の一言ではじまった都立病院の改革。2001年12月に発表された「都立病院改革マスタープラン」で，八王子小児病院など３病院を統合し，府中市内に移転する方針が打ちだされた。しかし，1997年３月の都議会で，都は八王子小児病院を同市内で移転改築する考えを明らかにしていた。八王子市の担当者は「都から方針変更の連絡はなかった」と憤り，都議会でも党派を超えて疑問の声が上がった。 ある幹部は「知事の威を借りるばかりで，調整という本来の行政の仕事を怠っている」と，石原流を〈まね〉する職員を批判した。べつの幹部は「知事から怒鳴られることに懲りて，都合の悪い話を知事に上げない人がいる」と，石原が「裸の王様」にならないかと懸念する。 石原のおおきな存在感が与える光と影。それは個々の政策にもおよんでいる（「検証・石原都政－都知事選まで１年，中」）。 以上「検証・中編」で報告，指摘された石原都政，あるいは石原慎太郎という個人・個性・人格性にまつわる都知事としての問題点は，筆者が早くより，口を酸っぱくして批判を与えてきたものである。それでもなお，この人には，庶民のミーハー的人気が絶えない。 現状において明らかなとおり，国政全般の体たらくぶりがめだち，また，政治家や官僚たちのスキャンダルもあいかわらずつづいている。いまだ「自民党をぶっ壊さない」小泉「変人」は同時に，力説していた「経済不況の改善のみとおしもつけられない」首相でもある。そして，いままでのところ，意外と平凡な行政手腕しかしめせない宰相純一郎の演技は，飽きられつつある。そんな状態であるから，悪役連中：小泉純一郎に対する「抵抗勢力」はその影をうすめることができると同時に，本来の役目を再び発揮できるようになっている。 「検証・下編」……来春の都知事選に立候補すれば，石原慎太郎は再選されるだろう。政治家が実績や政策ではなくキャラクターで選ばれるのは，有権者が「自分が政治から恩恵をうけている」と思っていないからである。都政はわれわれにとって遠い存在である。東京に住んでいる者でも，都政の動きはみえない。それでも，都知事の動きはみえる。 石原はつねに，刺激を求めるタイプである。国政への夢があるときには力を発揮するが，その可能性がなくなって知事でいることが惰性になってしまうと弱さが出る。しかし，都政というのは，基本的には地道な仕事である。 小泉内閣の支持率が下がれば，石原新党への期待も出てくる。しかし，政界に影響力をもつ新党の登場には，議員だけでなく有権者のがわにも巨大なエネルギーが必要である。そういったエネルギーは，いまの有権者には感じられない（「検証・石原都政－都知事選まで１年，下」）。 －－国会議員25年間，都政の長：３年間における石原をみて，いまこの男は「国政への夢」をひそかに抱いているためなのか，肝心の都政〔任期がまだ１年間のこっているではないか！〕には，上の空であるかのようにもみえる〈顔つき〉を，マスコミにさらしつづけている。前々段のような論法を敷衍すると，この石原という人物がかりに，国政にたずさわったばあい，なにをもって国政に力を発揮できるというのだろうか。疑問がおおきくなる。 都知事になりたてのころの石原は，「いまは都政で頭がいっぱいだ」と燃えていたはずだが，任期も３年近く経過するや「都知事の仕事には飽きた」などと平然といってのける男である〔→ならばさっさと勇退すればいい〕。こんなにわがままで気まぐれな男に，もっと困難な国政を任せたら３カ月ともたないのではないか。 それよりも，この男が国政の責任者となって，外交・軍事に対する責任ももったら，それこそ日本というオモチャ箱をヒックリかえしたようになってしまい，近隣諸国との国際関係においては迷惑な大騒動をおこすこと必定である。そうなったときこの男，必らずこういうはずである。「一国の首相など，なんとくだらん仕事だ，もうやめだ！」などと。唯我独尊，夜郎自大，子どもじみた感性。 「検証・石原都政－都知事選まで１年，下」でコメントを求められた，やく・みつる氏は，石原が都知事選で公約した「米軍横田基地の軍民共用化」の実現可能性がゼロに近いと，批判していた。石原がいったからには，なにかするかと思っていたが，具体的な動きがさっぱりみえてこない。この人がかりに首相になっても，実行力がともなわないのではないか，とも懸念するのである。 反響まで計算していたような〈三国人〉発言〔筆者はやく・みつる氏のこのみかたには異論があるが〕をふくめ，都民の目を都政や自分に向けさせることには長けている。しかし，肝心かなめの政策となると急に印象がうすくなる（「検証 下，やく・みつる発言」より）。 60歳を越えたとき〔国会議員25年勤続を終えたさい〕石原は，こういっていた。「人間が力を出すにはもう10年しかない。自分の納得できる人生を送りたい。国家議員をやってきたあいだも文学を書いてきた。れども自分で得心のいかない。あと10年，得心のいく人生を送りたい」。 石原にとって60代に当たるその10年は，もはや過ぎ去った。 慎太郎をヨイショした文庫本，石原慎太郎研究グループ著『石原慎太郎の東京発日本改造計画』（学陽書房，2002年２月）は，末尾でまともな石原批判も記述している。こう批判する。 石原に必要な資質は，「過剰なまでの自信と，釈明のために頭を下げることは美学に反するという頑（かたく）なまでの高姿勢をあらためることだろう。誤解だというのであれば，誤解した相手やマスメディアが悪いのではなく，誤解させた自分に非があるという謙虚さではないだろうか」。 また，「政治家と作家に共通する最大の武器は〈ことばが命であり，魅了し説得する力である〉とすれば，そこが理解されないかぎりは成功も保証されないということになる」（同書，257頁）。 今年で70歳になる慎太郎オジサンは，生来，上述の指摘をすなおに聞けるような資質の持ち主だったか？ いまの段階でそうした意見を聞けるような，こなれた人格者になれたとしても，なにもかももう手遅れではないか。そもそも，慎太郎の傲岸・わがままに関して〈美学〉なんていう文学的修辞をつかってほしくなかった。褒めすぎというか，美しすぎるのではないか ……。 石原の人生の今後はただひとつ，静かに退路にすすむことではないか。 小泉純一郎といい，石原慎太郎といい，この国にはもうまともな指導者などおらず，すっかり人材が枯渇した惨状にあるのか。なぜ，だろうか？ 日本に住む国民‐市民‐庶民すべてが，この国における民主主義の状態・実情にもう一度，覚醒する必要はないだろうか。みずからの１票をどのように行使するかである。 しかし残念なことに，日本で生まれ，50歳代の中間点を過ぎるまでずっと「この土地」で育ってきた筆者は，この国に生きる人間として長いあいだ共生し，国家・地方自治体などに対しては数多くの，はたすべき義務を忠実・誠実にになってきたが，なにせ参政権がない。 なぜかって？ 外国籍だからだって！ なんか変な国という印象！ 変人の小泉さん，答えてちょうだい，この基本的な疑問に……。自然じゃないんですよ。不条理があるんですよ。結局，不当な差別がある，というほかない。帰化すればいいっていう方に申しあげたい。それは，国籍取得の問題といってほしい，と。 ひとつ考えてほしい。現在日本のどこかで暮らしている〔正確にいうと亡命生活をしている〕アルベルト・フジモリ，ペルー国前大統領とこの筆者とをくらべて，いったいどちらが日本‐日本国に馴染んできた人間か？ 彼と私のいったいどちらが，より日本人的な個性や人格性をもって，この国で暮らしてきたのか？ フジモリ氏は日本国籍をもっていた。そのくせ（！），大統領になったとき「私はペルー人である」と断言した。もっとも「日本人でもある」んだろうね。日本国籍を捨てずに保持していたんだから。 フジモリ氏の氏名は，アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ（ Alberto Kenya FUJIMORI Fujimori ）という。「ケンヤ・フジモリ」という日本の氏名と「アルベルト・フジモリ」というペルーの氏名を，合わせもっている。ちょうど，在日韓国・朝鮮人が日本式の通名をもっているのと，すこし似ている点もある。 フジモリ流の理屈を当てはめ真似すると筆者のばあいではまず，「私は日本人である」といわねばならず，しかもついでに「韓国人でもある」と断わっておけばいいんだね。こりゃいいや。国際時代にふさわしい国際人たる資格〔バイ‐ナショナリティというかトランス‐ナショナリティ〕を，的確に表現できる説明をみつけたぞ。 もっとも，筆者のばあい，過去にあった日本式の通名は，だいぶ以前よりまったくつかっていないので，自分自身でもすっかり，なじみがなくなったが……〔→40年以上つかっていないからほとんど忘れたような気分である〕。筆者の通名をしりたいって？ ここでは教えたくないが，ヒントをあげましょう。 こういうたぐいの「名字」のひとつでした〔「苗字」ではありません〕。→近衛，鷹司，一条，二条，三条，九条，清華，北白川，水戸，尾張，紀伊，鍋島，久我，華頂，細川，松平，徳川，織田，豊臣，南部，団，津軽，今川，伊達，武田，蜂須賀，上杉，前田，水野，井伊，浅野，赤松，小早川，毛利，真田，酒井，有馬，片桐，島津など〔その他，まだたくさん，いろいろあるが〕のうちのひとつです。せっかく日本に住むんだから，りっぱな名字をひとつ，つかわせていただいていたわけですね。 いまでは，日本流の名字とは縁がなくなった。裴の読みは〈べえ〉としている。ワープロソフトの漢字変換では「べ」で出てくる。 裵は異字で，韓国でつくられた漢字（姓の文字）である。中国では〈裴〉のほうしかつかっていないと思う。 裴の祖先らしき有名人は，①裴 世清（隋の煬帝の腹心），②裴 松之（三国志の注釈者），③裴 仲孫（蒙古襲来時の高麗〔朝鮮〕でレジタンスした指導者の１人）。④裴 文中（北京原人の発見‐鑑定者） もう一度，いいたい。日本の民主主義というものは，本当に本物なのかな？ 第５章「 各 論」 ● 不破哲三『歴史教科書と日本の戦争』小学館，2002年１月〔井上ひさしの冒頭寄稿文より〕 アメリカのボストン大学メリィ・ホワイト教授の談話を要約すると，こういうものになる（『ニューズ・ウィーク』誌，2001年11月７日号参照）。 ① アメリカは善い国だ。ただし奴隷制・先住民族への抑圧・日系人の強制収容・無差別空爆・原子爆弾の投下，そしてベトナムでのおぞましい過去をべつにすれば……。 ② それでは，日本は善い国か。善い国である。ただし，台湾と朝鮮の併合・満洲国のでっち上げ・南京虐殺・沖縄の人びとやアイヌ民族への抑圧・在日韓国‐朝鮮人や部落民への差別・従軍慰安婦問題をべつにすれば……。 ③ つまり，あらゆる国家は過去において，必らずまちがいを侵す。悲しいことだが，これは避けられない運命である。しかし，ここからさきがその国民の質と未来を決定する。まちがいをひた隠しに隠そうとする国民は品性下劣であって，その程度は低く，他国民から信頼をえることができない。恐らく永遠に（不破哲三『歴史教科書と日本の戦争』小学館，2002年１月，〔井上ひさし「〈巻頭特別寄稿〉愛国者と売国奴」〕9-10頁）。 ● 松尾尊兊『戦後日本への出発』2002年３月 最近公刊された，松尾尊兊『戦後日本への出発』は，以上に論評した「御歳60年：小泉純一郎首相の意識」が根底において囚われている，旧式かつ過去亡霊型の《憲法および民主主義？》感覚をきびしく批判している。松尾の同書に，しばらく聞こう。 ① 象徴天皇制は，戦前政党政治期の天皇制への復帰とその維持を念願とする，天皇を頂点とする a)「旧勢力」と，軍国主義・非民主主義の根源としての天皇制の廃止を求める b)「国際民主世論」と，非軍事化・民主化の国際的公約を天皇制を利用して円滑に遂行しようとする c)「ＧＨＱ」という，以上「３者」の妥協の産物であった。 それは，15年戦争の終結が日本国民による旧体制の転覆，すなわち革命もしくは連合軍の本土上陸作戦による旧体制の完全解体によってもたらされたのではなく，軍部以外の旧体制をになう勢力が生きのこり，なんらかのかたちでの天皇制の維持を唯一の条件として降伏し，連合軍がわも無血占領実現のためにこれを黙認したことにより実現したという事情に規定された。 ② ＧＨＱは，民主化政策の頂点として，主権在民を明示した日本国憲法を成立させたが，天皇は国民統合の象徴として残存した。このような経過から，天皇および国民の意識改革は不充分となった。このため憲法の条文上は天皇の政治関与は禁止されているにもかかわらず，事実上「公的行為」の名目のもとにそれはおこなわれてきた。 ③ 昭和天皇の死去と新天皇の即位によって醸しだされた天皇ブームは，国民主権か天皇主権か，主権の存在をまぎらわしくさせている。このような状態が，国民主権を本質とする日本国憲法の精神から逸脱であることは，いうまでもない。象徴の主権者〈肥大と独り歩き〉を防止する方法はなにか。それは，天皇および国民の戦争責任の自覚である。 ④ 明治憲法がなぜ，日本国憲法に席を譲らねばならなかったか。それは，明治憲法が侵略戦争を防止するのにまったく無力であったからではなかったか。戦前の政党政治期の天皇制が天皇制ファシズムに容易に転化しえたのは，軍部以外の支配層が戦争に加担し，一般民衆もまた「聖戦」意識に酔わされたためではなかったか。 その戦争責任の自覚が，戦争が内外にもたらした巨大な惨禍にもかかわらず，日本においては希薄であった。政治的・道義的に最高の戦争責任者である昭和天皇が，退位というかたちでその責任を明らかにせず，そのまま新憲法の天皇たるべきものには，まず戦争責任の自覚と，旧憲法と新憲法との断絶意識が必要であった。 ところが，昭和天皇にはその意識が欠けていた。天皇はアメリカ・イギリス・中国の首脳に「遺憾」の意を表したことはあっても，日本国民に対し，みずからの戦争責任を一度たりとも認めたことはなかった。 ⑤ 裕仁天皇は敗戦後も，自身に骨絡みだった国体意識をかえることがなかった。新しい憲法のもとに憲政が移行したあとも，旧い憲法のときと同じに「閣僚による内奏」をなさしめ，自身の「君主意識」を満足させてきた。現天皇に対する内奏問題は，小泉内閣においても起きており，田中真紀子が外務大臣を勤めていたとき浮上しかかったことがある。 昭和天皇は，「マッカーサーに対してはみずからの戦争責任を認めたにもかかわらず，日本国民に対しては終生これを認めようとしなかった」。裕仁は敗戦後の一時期，「処刑されてもしかたないと考えていた」のである。 ⑥ 裕仁がマッカーサーと会見したとき，戦後の日本における〈象徴天皇制〉が出発したのである（松尾尊兊『戦後日本への出発』岩波書店，2002年，83-85頁，293頁，297頁，298頁，304頁，314頁）。 昭和天皇は，自身にとって不可避だった戦争責任問題を，「文学的なこと」だとか「ことばの綾」だとかといいぬけて，戦争によって甚大な被害を与えたアジア諸国だけでなく，日本の人々・庶民の犠牲者も愚弄，小馬鹿にした発言をしてきた。 マッカーサーに命乞いをしつつうまく敗戦後をすり抜け，「日本国民の〈象徴〉」に変身した，いいかえれば，自分の地位を安泰に維持できたとはいえ，他国のみならず自国の人間の生命や財産などは，まったくのほったらかし，粗末にしてきたのである。 敗戦後，そういう「人間天皇を象徴に戴く」という「摩訶不思議な新憲法」を与えられた日本国民は，どこまでも〈いい面の皮〉だったはずである。だが，意外や意外，天皇・天皇制に対する民衆の支持率は，なお高いのである。 結局，敗戦後半世紀以上も継続してきた日本‐日本人における政治意識は，おおよそ戦争責任に無縁でありつづけてきた。この気分は，天皇のみならず，為政者‐主権者すべてにおいても共通するものだった。 －－日本の外交は，対米外交が第１番，つぎにサミット外交，対アジア外交は３番めかそれ以下である。こう順序づけたのは，不破哲三である（不破『歴史教科書と日本の戦争』218頁）。 ● 靖国神社の本質と意味 靖国神社は，過去の日本における「戦前政党政治期の天皇制」をささえる物的な宗教施設であり，その精神的な支柱であった。筆者がなんども靖国神社を「戦争のための神社」と批難してきたのは，明治以降の日本帝国主義路線を推進させるに当たって，宗教精神的に応援するための組織・機関だった事実である。 戦前体制において靖国神社は，家永三郎『戦争責任』（岩波書店，1985年）にかかげられた「15年戦争下の権力組織構造（1941年６月現在）」は，内務省の管轄下に神祇院‐神宮司庁‐官国幣社をおき，さらに陸軍省‐海軍省の直下に靖国神社をおいている。 伊藤 隆監修・百瀬 孝著『事典 昭和戦前期の日本－制度と実態－』（吉川弘文館，平成２年）は，こう解説している。 －－敗戦前の神社神道は国教あつかいをうけ，神社は国家機関の観を呈し，神職は官吏の待遇をうけた。伊勢神宮は，単に皇室のものというより国家の宗廟として位置づけられ，宮内省でなく内務省が管理した。靖国神社は内務省所管ではなく，陸海軍省の共管だがどちらかというと，陸軍省の所管であった。 家永三郎はだから，靖国神社と陸軍省の関係を「実線」，海軍省の関係を「破線」でむすびつけ表現していた。 戦前，国営宗教機関であった靖国神社に関して日本帝国は，神社神道の超宗教論，つまり「神社は宗教にあらず，習俗ないし国民道徳である」という詭弁を弄してきた。この理屈によって，神社参拝を日本臣民のみならず，朝鮮‐台湾などの旧植民地住民に強制しても「信教ノ自由」（大日本帝国憲法第28条）を侵すものではないと，ごり押しした。 だとすれば，日本の首相：小泉純一郎が靖国に参拝した今回の行為は，アジア諸国・人々の目には，どう映ったのか。 それは，小泉がこじつけていったような，「平和と繁栄を維持し，二度と戦争を起こさないという意味をこめて参拝した」ことには，けっしてならない。それどころか，「戦争によって尊い命を犠牲にされた〔もっぱら日本民族の〕方々」を山車（だし）にして，過去日本の帝国主義および侵略戦争を正当化，合理化する国家宗教的な演技（パフォーマンス）とみられるほかない。 小泉首相の靖国参拝は，純一郎〈個人単位〉の次元で観察するばあい，雰囲気的には「習俗ないし国民道徳」的な精神志向に則った行動である。だが，それと同時に，一国の首相：公人が「神道神社である靖国にいって〔どのような形式であれ〕神道式の宗教行為をなす」のであるからには，その〈本質的意味合い〉は明らかに〈政教分離の原則〉を侵したものといえる。 靖国神社は宗教法人である。日本国首相の肩書をもった人間が，公人にせよ私人にせよ，その神道の神社にいって参拝する行為は，神道式の〈宗教教理〉そのものに帰依した精神を意味する。したがって，日本国籍人の「信教の自由」だけでなく，アジア諸国の人々にかかわるそれも，小泉首相の靖国参拝という行為が侵したことになるのである。 1945年まで，日本の国家神道がアジア諸国の宗教をどのくらい抑圧してきたか，また，日本国内のそのほか諸宗教をどのくらい弾圧してきたか，いまとなってしらないとはいわせない。アジア諸国への軍事的侵出と一体化しつつ進出していった神道神社は，日本帝国主義を宗教精神的に代表する象徴的な存在であった。 日本国首相の靖国参拝に対して，アジア諸国よりきびしい批判が即座に寄せられる〈歴史的そして現在的な事由〉は，まさにそこに淵源するのである。そうした批判に対して，日本に対する〈内政干渉〉だとか〈余計な口出し〉だとか感情むきだしに反発するのは，過去の歴史に刻みこまれた自分たちの「負の事実」から目を背けたい人たちの身勝手ないいぶんである。 現在，靖国神社は一宗教法人であるが，基本的な欲求としては依然，国教になりあがろうとする意向を秘めていることにかわりない。もっとも，戦後民主主義のなかで定着した「政教分離」の原則は，絶対に尊重せねばならない状況であるから，宗教法人の運営面において実質的に，国営的な宗教的意味を獲得・付与すべく画策してきた。 以下にかかげる靖国参拝問題略年表のなかでは，神社国営法案に留意しておきたい。 ＝靖国参拝問題略年表＝
さて，以上のような明治以来の宗教史的由来をもつ靖国神社の基本性格は，戦争を督励し，侵略を当然視する国営宗教施設である。靖国神社内に付設されている遊就館という歴史博物館は，戦争を賛美する展示物が多い。この遊就館は，日本がどうして，太平洋‐大東亜戦争に敗北したかを歴史的に問う博物館ではない。しかし，どうやら，敗戦国といえども「日本かく戦えり」といいたいらしいのである。 日本国現首相である小泉純一郎が靖国神社に参拝にいくことは，Ａ級戦犯がそこに合祀されているとかいう表層的な事実はさておき，明治以降の日本帝国主義路線を全面的にそのまま是認し，日本によるアジア侵略戦争の歴史を反省するどころか，これを大いに讃美，称賛する宗教的行為にほかならない。 結 論をいおう。このような批判を承知のうえで，小泉首相は靖国神社に参拝にいっている。この日本の最高責任者によるその行為に対して，中国や韓国がだまっているわけないのである。 小泉純一郎と同じような政治感覚の持ち主である中曽根康弘は，1985年８月15日，閣僚18名とともに靖国参拝をおこなった。だが，中国などの強い抗議をうけて，その後はとりやめた。 小泉は，2001年８月13日につづけて2002年４月21日にも靖国に参拝した。そしてまた，今回の問題を起こした。近隣に位置しているアジア諸国の存在など，まったく眼中にないと思えるような，このたびの靖国参拝である。 中曽根も小泉も同じように，ゴチゴチの国粋‐右翼的な政治家であるが，外国との政治関係，つまり外交政策上どのような配慮・感覚が必要であるかについては，両者のあいだには明確な相違がある。すこしわかりにくいかもしれないが，両名に関するつぎの対照を記しておく。 ◎ 風見鶏の政治家といわれて恬と恥じなかった中曽根康弘。 ◎ 変人で「以前ならばこいつにだけは首相をやらせたくない」人物といわれた小泉純一郎。 ましてや，連立与党のなかでの最大与党である自民党は，すっかり人材を枯渇させており，小泉に替わって総理総裁の役割をになえるような人物はもういない。 小泉はまだ実行していないが，「自民党をぶっ壊すのだ」と吼えていた。自民党をとりこわすのはよろしい，大いにけっこう。けれども，日本〔の政治‐経済〕そのもの，そしてアジア諸国との外交関係まで「ブッコワス」のは，御免こうむりたい。 なによりも靖国神社参拝は，アジア諸国との善隣友好関係を傷つけるだけでなく，破壊する〔ブッコワス〕行為であって，もってのほか，愚劣な行動もきわまったといわざるをえない。 第６章「その後の報道など（続き：１）」 1)「小泉首相の個人的見解」……小泉首相は，自身の靖国参拝に批判が出されたことについて，「中国には中国の事情があり，意見のちがいがあってもおかしくない。おたがいの多少の立場とか意見のちがいは乗りこえ，友好の重要性をおおきな立場から考えていきたい」といった（2002年５月１日訪問中のオーストラリア・シドニーでの発言）。 ところが，中国の江 沢民首席は４月29日，中国を訪問した公明党の神崎武法代表らとの会談で，小泉首相の靖国参拝を「私は絶対に許すことができない。国家対国家，歴史対歴史の問題だ」ときびしく批判していた。同時に「小泉首相は簡単な問題と考えてはいけない」と警告してもいた。 小泉首相と江首席とにおけるやりとりは，各国首脳の意見のもちかたや，議論のしかたにおいて生じた〈おおきな溝〉を映しだしている。小泉首相のいいかたは，意見のちがいは乗りこえられると楽観するが，江首席の批判は，靖国参拝について両国間に越えがたい壁がそびえたっている状況を強調する。 今回，日本の首相：小泉純一郎による〈再度の靖国参拝〉から発生した外交上の問題は，小泉自身の解釈によれば「乗りこえ〔られ〕る」「意見のちがい」でしかない。だが，アジア諸国は，小泉首相の参拝行為を，日本とアジア諸国の「友好の重要性」を損なう行為とうけとめている。しかも，問題の焦点は，そうしたアジア諸国のきびしい態度を，小泉がまともに理解できていないところにある。 かつての戦争行為：侵略と惨禍に関してその後，加害者〔日本帝国〕と被害者〔中国など〕とのあいだでなされてきた「意見の交換」は，加害の事実を軽くみなしたい〈日本の首相〉と，これをけっして許さないと強く反論する〈中国の首席など〉という構図である。 2)「昭和天皇の立場」……徳川義寛『侍従長の遺言－昭和天皇との50年－』（朝日新聞社，1997年）は，裕仁天皇がＡ級戦犯の合祀で内外の批判が出るまえから，今後は「靖国神社に参拝しない」意向をしめしたことに言及していた。 昭和天皇が靖国神社に参拝にいけなくなった理由は，いうまでもなく，しごく明瞭である。人間天皇＝現人神から象徴天皇に変身してこそ，敗戦後も生を長らえることができた彼にとって，明治以来創作された〈靖国神社の宗教精神〉は，非常にわずらわしいものになった。現在の天皇家ににとって必要な神道神社〔施設〕は，伊勢神宮で十分足りるのである。 現在の明仁天皇もそうだと断定してよいが，彼らはけっして，靖国神社には参拝にいかないだろう。というのは天皇家の人々にとって，靖国神社はＡ級戦犯を合祀すると否とにかかわらず，もう無縁のものとして済まされる宗教機関である。 筆者のそうした解釈は，靖国にＡ級戦犯が合祀されているか否かを問題にした議論が，実は的外れであると指摘した論旨にも関係する。昭和天皇もこの歴史的な関係の核心をよく理解していた。敗戦後の裕仁天皇は，自分自身および天皇家全体の延命あるいは繁栄を，よくみとおす判断をおこなってきたといえる。 3)「小泉個人の理解不足」……日本の民主主義は，1950年代の改憲論の時期とちがってはるかに成熟した。だが，今日の日本には，健全なナショナリズムと不健全なナショナリズムの両方がある。日本人が国に誇りをもつのは当然だが，同時に日本が海外でどうみられているのかという感覚も重要である。 なぜ，中国と韓国が日本のナショナリズムを好まないのか，その理由を理解して関係を改善しようとするのか，それとも韓国や中国がよく日本を批判できるものかと開きなおるのか。後者は悪循環におちいり，否定的なナショナリズムが自己増殖する。中国と韓国は戦争の記憶を，ときには創造しているのかもしれない。しかし，現に記憶はそこにあり，この問題を日本政府と国民は解決せざるをえない（『朝日新聞』2002年４月29日「米から見た日本国憲法－歩みと現状，近現代史学者に聞く－，シェルドン・ガロン プリンストン大学教授」より）。 小泉首相は，2001年秋に訪中したとき，廬溝橋と中国人民抗日戦争記念館を訪れていたが，その見学の成果は３歳の童子よりも劣るものだったとみるほかない。日本帝国は昭和の時代，世界不況につづいてはじまった中国との戦争に明け暮れたすえ，アメリカなどとも戦火を交えることになり，敗戦の憂き目をみた。 だがその後，「敗者であるみずからをいかに生きたかを歴史として描きだす努力をしてこなかった事実は動かない」こと（『朝日新聞』2002年５月１日夕刊「文化欄：大塚英志「『戦後史』すら与えられた国で－」）はまさしく，小泉純一郎自身にも妥当する〈敗戦後〉なのであった。 朝日新聞社のコラムニスト早野 透は，こういう。前段の話は過去の小泉に関するものだが，こんどは将来の彼に関する話である。 －－「日本をかえる」と吼えた小泉への熱狂が冷めたあとの政治不信は，深い徒労感をともなっている。また，日本をかえるといわれてももね。どう元気を出したらいいものか（『朝日新聞』2002年４月30日朝刊「ポリティカ にっぽん」より）。 靖国神社において戦没者，これを正確にいうと「日本という御国の戦争のために命を捧げた人々」を，神道方式にしたがって宗教的に祀る儀式そものが「政教分離の原則」に違反することを配慮しなければならない。いままでなんどもいわれてきたことだが，「国内外の誰もがなんの負担も抱かずに純粋に参拝できる，べつの国民的施設を設ける政策転換を断行できない」のか。 4)「千鳥ケ淵戦没者墓苑」……1959年〔昭和34〕年，日本政府によって建設された千鳥ケ淵戦没者墓苑が，戦没者の遺骨を埋葬してある墓苑として存在する。この墓苑は，財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会によって運営維持されている（http://homepage2.nifty.com/boen/boen06.htm 参照）。 「今から約60年前の大東亜戦争では，広範な地域で苛烈な戦闘が展開されましたが，この戦争に際し海外地域の戦場において戦没された方々のご遺骨を日本に持ち帰り，ご遺族にお渡し出来なかったご遺骨をこの墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」であります」。「現在，約35万柱のご遺骨がこの千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められております」。 「先の大戦に際し，海外の戦場で戦没された方々は，軍人・軍属で約212万人それに戦火に巻き込まれて死亡した一般邦人約30万人で，合わせて約240万人と言われております。昭和27年頃から，我が国政府により，このご遺骨の収集が開始されましたが，御遺骨の収集に伴い，収集した御遺骨で氏名不詳のためご遺族にお渡しできない御遺骨をどうするかが大変大きな問題でありました」。 「昭和28年12月，国でそれらの御遺骨を埋葬する墓を建設することが決定されましたが，戦没者の墓の建設が具体化するまでには，建設用地の問題等に関して紆余曲折が大分ありました。昭和31年11月，千鳥ケ淵の側にあった宮内庁管理用地を使用して，建設されることになりました。昭和33年７月漸く着工の運びとなり，昭和34年３月28日，戦没者墓苑は竣工しました。この日，昭和天皇，皇后両陛下の御臨席をいただき厳粛盛大な拝礼式が戦没者墓苑で執り行われました」。 －－以上，千鳥ヶ淵墓苑が建設された由来・経緯をしると，靖国神社の下請け機関的な存在であることがわかる。この墓苑は，引きとり先がみつからず無縁となってしまった遺骨を納めている。靖国神社は「〈魂〉以外は引きうけない宗教施設」であるから，そのような遺骨を納める施設としてべつに，この千鳥ケ淵戦没者墓苑が建設されたのである。 要するに，あの戦争のせいで命を落とした人々の遺骨，しかも，戦地にまでいって収集してきた氏名不詳の遺骨を軽々に始末するわけにもいかず，それこそ「縁起が悪い」ので，新たに千鳥ケ淵戦没者墓苑をつくって収容したしだいなのである。 厚生労働省の千鳥ヶ淵墓苑に関する見解は，「遺骨を埋葬する墓地ではなく，国が身元不明者の遺骨を安置する納骨施設であり，墓地埋葬法の対象外」というものである。 すなわち，遺骨を収めているが千鳥ヶ淵「墓苑」は，「墓地ではなく，納骨施設〔堂？〕である墓苑」だと説明されている。もっとも，墓苑に納骨されている「者たちの〈霊〉」にとっては，どっちでもいいようなコトバの問題といえる。 こういうことである。旧日本軍兵士の遺骨であっても，どこの誰か特定できない「無名の遺骨の〈霊〉」は，靖国神社に合祀するわけにはいかない。なぜ，この神社が「無名〔氏名不詳：身元不明〕の戦死者」を〈英霊〉としてうけいれないかについては，その国家宗教的な役目・効用に照らしてみれば明白なのである。 つまり「氏名不詳である戦死者の〈霊〉」は，靖国の意図する宗教教義にとって，まったく使い物にならない種類のものである。身元がはっきりした〈霊〉であれば〈英霊〉とされたのち，この遺族関係者たちに対して靖国は，準国家的な特定の宗教的儀式‐内容である神道の威厳‐機能を押しつけることができる。 しかし，「身元のはっきりしない〈霊〉」の遺族関係者は捜しようにも求めようがないのだから，靖国による前段のような宗教的な利用ができない。そこで，「無縁の遺骨の〈霊〉」はよそに放っておけ，ということになる。靖国にこのように「邪険にされた〈霊〉たち」の遺骨が，千鳥ヶ淵に納骨されているのである。 もっとも，千鳥ヶ淵墓苑に納骨されている「戦死者たちの遺骨」と「その〈霊〉」との相互関係を考えてみるに，その氏名・身元の照合・一致をえられないまま，後者の〈霊〉のみがべつに切りはなされ，とりあつかわれるかたちで靖国神社に合祀されるにいたった「者たち（戦死者）の数」は相当なものになる，と思われる。実際，戦死した当人の遺骨をうけとっていない遺族も非常に多くいるのである。 恐らく，こういうことである。－－どこの誰かわからない遺骨じたいは，千鳥ヶ淵墓苑に納骨されればよい。だが，その霊〔英霊〕のほうだけは，べつに切りはなされ，とりあつかわれて，靖国に勝手に合祀されている。このような「取り合わせ〔その氏名・身元の未照合・不一致〕の事例」が，千鳥ヶ淵墓苑に納骨されている約35万柱のほとんどではないのか。 靖国は，遺骨そのものをかえりみない神社であって，その霊＝魂のみを一方的に都合よく吸いこみ，準国家特定の宗教的意図・価値観のために「生かそう（悪用しよう）」としている。 －－最近，日本経済新聞の「私の履歴書」に寄稿している作曲家 船村 徹は，2002年５月27日，連載第26回めの記述のなかで，こう「靖国神社」に触れている。 それは，昭和19〔1944〕年２月下旬のことである。徹より干支（えと）でひとまわり以上も年長だった実兄が，「陸軍少佐 福田健一の霊」と書かれた板切れ一枚がはいった白木の箱となって，戦場から帰宅したときの話である。 兄の葬儀が執りおこなわれたあと，仏間から母のつぶやきが聞こえてきた。「やっと帰ってきてくれだんだね。もうどこにもいかないんだろ」。 船村の母は，徹の作曲した歌を褒めたことがない。唯一「いい曲だ」といってくれたのが「東京だヨおっ母さん」だ。その歌には「九段坂」，つまり，兄も祀られている靖国神社に老母が参る場面が描かれている。 「御国のため覚悟の戦死」とはいえ，愛する息子をうしなった母親，さらには，あの戦争によって肉親を奪われた遺族たちのことである。彼らの深い悲しみは，フツフツとこみ上げてくる。どこへもっていけばいいのかわからないような抑えがたい感情……。せめて，国家主体が慰めてくれることが期待されて，当然だといえる。 国家主催の祭祀施設‐慰霊儀式は，侵略‐戦争のためだったとはいえ，国の使命のために生命を落とした国民〔臣民〕の遺族たち感情を慰め，カタルシス（浄化・鎮静）作用を与えようとするものである。 「靖‐国という漢字」の意味をもういちど考えてみるべきである。靖国神社は war（military）shrine ：戦争神社である。死んだ人間の霊＝魂に関することがらではあるものの，そこにおいては，個‐個人‐人格‐人間性などという範疇の概念を，いっさいみいだすことができない。そこにあるのは「国家」あるいは「国民（臣民！？）」概念のみである。 靖国神社は靖人神社ではない。靖国は，人類普遍的な教義というべき宗教の原理を有しない。そこには，国家の理念・目的ために無条件「死せよ！」という，問答無用の要求だけが控えている。すなわち，御国のためには一言も文句をいわず生命を捧げよ！ そう，人々に要求するだけなのである。 明治政府は神仏分離政策を実行し，修験道を禁止した。そして，天皇家の先祖を祀る国家の総鎮守の伊勢神宮と国家目的に殉じた人を祀る靖国神社を中核とし，天皇制イデオロギーをささえる国家神道を樹立した（宮家 準『民俗宗教と日本社会』東京大学出版会，2002年，113頁）。 古代復活的な宗教機関である〔これを古式ゆかしきなどと形容することなかれ！〕靖国神社の問題性を観察するかぎり，この国における民主主義の状態はなお，古色蒼然とした水準にとどまっており，「政教分離の原則」を現代的に払拭し切れないでいる。 －－千鳥ヶ淵墓苑にかかわっては，以上のような議論をしてきた。この千鳥ヶ淵墓苑の問題や，いわば問題だらけの靖国神社に代わって，「戦争犠牲者をきちんと慰霊できる宗教色のない施設」が必要なことは明白である。 現在，内閣官房長官の私的諮問機関である「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」（座長・今井 敬経団連会長）がある。あるメンバーは，この懇談会の結論が出るまえになんの通告もなく参拝した，小泉首相の行動に困惑の色を隠さない。周辺国の反発も予想以上に強く，新しい追悼施設が必要だという声が高まっている（『朝日新聞』2002年５月４日朝刊）。 ・草柳文恵〔ニュースキャスター〕……「驚いた。政教分離の原則に照らせば，やはり慎重に考えねばいけない」。 ・田中明彦〔東京大学大学院教授〕……「宗教的な面では申しあげにくいが，国際関係での日本の立場からみると望ましくない」。 ・山崎正和〔劇作家〕……「靖国神社は一宗教法人の民間施設であり，公的参拝にはならないので問題にはしない。ただ，いたずらに外国を刺激するのはあまり好ましくない」。 ・御厨（みくりや） 貴〔政策研究大学院大学教授〕……「日本のために働いた人を国家が公式に追悼するものがないのは好ましくない」。 ・坂本多加雄〔学習院大学教授〕……「追悼施設をつくったとしても一般の国民が参るだろうか。靖国参拝のわだかまりは国内のわだかまりではなく，外交問題として考えるべきだ」。 －－以上，懇談会メンバーの応答は，逃げ腰の意見あり，首相の公式参拝〈性〉を認めない詭弁あり，外交問題だと狭隘に理解する立場ありなど，幅がある。筆者は，坂本多加雄にだけとくに一言申しあげる。 日本〔国籍〕人・日本民族でも靖国神社参拝をいやがる人はいる。それゆえ，国内においては靖国参拝にわだかまりがないと決めつけ，世論をこの一色だけに塗りつぶし，外交問題のほうにすべてを流しこむ意見は，歪曲的な極論である。つまり，学者の議論とすれば，事実の全貌を視野にいれないで吐いた暴論である。坂本は，学究の立場より意見の表明をするのではなく，自身の信じるイデオロギーを披露したにすぎない。 肝心なのは，「一般の国民が参る」〔ことができる〕ような戦没者慰霊施設をつくり，用意することが為政者の仕事であるといえる。それなのに，はじめからその道を閉ざすような，いいかえれば，「日本人・日本民族は靖国に参るべきだ」というべき予断，他の宗教・他の立場を許容しようとしない「独断的な価値観＝全体主義（ファシズム）」が，坂本の内心にはみえかくれするのである。 5)「靖国神社式〈慰霊〉のまやかし」……あの戦争で死んだ将兵たちの家族（遺族）は，戦局〔上記によれば「大東亜」戦争〕も不利になるにしたがい，「遺骨」の一部分や「遺品」のかけらすら，手にすることが不可能となった。 しかし，靖国神社には，その魂〔御霊（ミタマ）〕だけはチャント還ってきており，大事に祀られるのだ。国はそんなふうに，温かい配慮をしてくれている，ありがたく思え。これが，明治以来しくまれた靖国の宗教精神的なカラクリなのである。 だから，また戦争が起きたとき，オマエたちはそういうアリガタイ神社があることを心によく刻みこみ，よりヨロコンデ戦場に出てゆき，よりガンバッテ敵と戦うのだぞと，督励を送っているのである。 さて，話がここまですすむと，日本の歴史を千年単位で振りかえてみたい。日本とアジア諸国との関係においてではなく，日本国内の地域間において，数しれずおきてきた戦争〔いくさ〕と，社寺との関係が問題となる。しかし，国内各地に多種多様に存在する神社を，いかに国家的に整理‐統合していくかという政策と同時に，国外の侵略戦争に対する「靖国神社の宗教精神的な役立ち」が集中的に意識されたのは，この国のアジアへの侵出‐戦争が前提となっていたからである。 「靖国神社は，我が国が幕府政治体制から近代国家体制に大きく生まれ変わろうとする時に不幸にして避けられなかった明治維新の内戦（戊辰戦争）において，国のために一命を捧げた人達の霊を慰めようと，明治２年（1869）６月，明治天皇が「東京招魂社」として現在の位置に建てられたのが起源で，同12年（1879）には，「靖国神社」と改称されて今日に至っている御社（おやしろ）である」。 「明治天皇が命名された，この「やすくに」という御社号には，『国を平安にし，平和な国をつくり上げる』という御心（みこころ）がこめられ，祀られている神々も，すべてこの天皇の御心のように祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ，日本民族を守るために掛け替えのない尊い生命を国に捧げられた同胞たちで，これらの方々は，身分・職業・年齢・性別等にかかわりなく手厚く祀られている」（パンフレット「靖国神社の概要」より抜粋） 。 あるとき，靖国神社に自分の父親が合祀されていることがわかった韓国人が，その合祀をとりやめよと要求し，「位牌」をかえせともいった。しかし，靖国神社には「位牌」はなく，「魂：御霊（ミタマ）」しか慰霊されていないので，その韓国人遺族が合祀とりやめの要求とともに提示した「位牌」返却は，ないものねだりだった。「位牌」というものは，宗教的儀式という抽象的行為のなかでも，死者の姿をより具体的に観念化するために有用な道具となる。 【注 記】位牌とは仏教用語であり，死者の法名を書いた木の札。神道では「霊位」といい，「死者の霊につける名」あるいは「それを書いた位牌」をいう。 またあるとき，靖国神社に合祀された韓国人の旧日本軍軍属ら２人の代理人が，実はその合祀されたはずの本人が生きていた事実を根拠に挙げて，靖国がわに合祀取りけしを求めたところ，こういう答えがかえってきた。 「生還した以上，もともと魂は祀られていないことになる。書類で確認できれば，祭神の名簿から削除する」（『朝日新聞』2002年４月28日朝刊）。この報道記事を読んで，思わず吹き出したくなるのは，筆者だけではあるまい。 「もともと魂が祀ってあったり」，あるいは「もともと魂が祀ってなかったり」を決めるのは，いったい，どこの，誰であるのか？ ことのしだいは結局，人間のとりしきる宗教上の観念的な精神行為にもとづくものである。だからこそ，「政教分離の原則」に反しない靖国神社がわの姿勢，くわえて，小泉首相の参拝行為じたいも問われているのである。 それにもかかわらず，靖国神社はいまでも勝手に「国家の祭祀の立場」に立ったつもりでおり，あの戦争に駆り出され戦死・戦病死した軍人や軍属の魂に対して，恣意的な分別をほどこしている。 すなわち，戦争の犠牲者たちをより分けて「祀ったり‐祀らなかったりする」という「国家価値観的」＝「国教的な裁き」を下しており，死者になった者たちの霊をもてあそんでいる。 そのうえ，祀られる－祀られないを振り分ける基準は，「国のために再度死ぬ覚悟があるかどうか」という〈未来への判断〉を，〈過去の死の形態〉によって裁定したものによっている。そして，そこに顕現する価値観は国家至上主義：全体主義であって，個人の尊厳や利害：民主主義は度外視している。 他人のものを盗んだり，他者を殺したりすることは，犯罪であり，悪い行為であることはいうまでもない。だが，もっと極悪なのは，ヒトの気持や人間の死を，国家の恣意的価値観や神社じたいの勝手な合祀基準をもって，勝手気ままにもてあそぶ靖国神社の宗教精神である。これは考えてみれば，宗教の風上にもおけない似非宗教の越権行為である。 6)「昭和天皇の打算」……靖国神社に合祀される判断基準・根拠となる密義が，天皇という現人神への奉仕・献身にあったことは，いうまでもない。だから昭和天皇は，戦後の新憲法下においては象徴となった自分の立場を慎重に考え，靖国にはもうけっしていかない〔参拝しない〕ことに決めたのである。憲法第９条に照らしても天皇はそのように決断せざるをえず，また自分の地位・役目を今後とも末永く維持するためも，そのように賢く立ちまわってきたといえる。 敗戦直後の日本における天皇の延命工作と，連合軍最高司令部司令官マッカーサーとの田舎芝居によって結末したといえる現状を，筆者と同じ在日外国人の立場から社会科学の研究に従事する姜 尚中（東京大学社会情報研究所教授）は，つぎのように表現した。 「民主主義の後進性です。戦後日本は，米国から植民地主義的な改革を押しつけられたといわれるが，実際は日米合作の「談合」です。その代表が天皇制。米国は占領政策を円滑にすすめるため，天皇を利用した。日本の皇室擁護派も，体制を守ろうとこの政略に同調する。米国に従属する傀儡（カイライ）国家でありながら，内面は崩壊せず，古い帝国意識ものこったのです」。 「そのひずみがさまざまな面に表われています。まずアジア各国と戦争の記憶を共有し，共生しようという世界観を閉ざしてしまった。とくに，無批判的に「脱亜入米」をうけいれたことは，言論界・民主主義にとって悲劇的でした。米国がつくった物語のなかで生きつづけ，米国一辺倒で本当の国益さえ考えてこなかった。その結果，戦後民主主義をうけいれない人々は，被害者意識すら抱くにいたったのです」（『朝日新聞』2002年５月２日朝刊「焦点 言論はいま・中，民主主義の足元」）。 姜 尚中の指摘した日本・日本人の「被害者意識」における典型的な表象は，敗戦後，靖国神社とこれをとりかこむ関係者‐集団において出現する。敗戦以前であるならば，アジア諸国に向かって，露骨・完璧に加害者だった「靖国神社の宗教意識」がもののみごとに捻転し，こんどこの神社は，戦争の死者を慰霊する施設となって「被害者意識だけを高揚する霊場」を仮装できたのである。大東亜戦争だとか太平洋戦争だとかは，日本国内に戦禍をもたらした不幸な出来事とのみ認識されることになった。 【以上，2002年５月５日までに執筆】 第７章「その後の報道など（続き：２）」 1)「2002年５月27日：日本経済新聞」……既述の点だが，４月末，江 沢民中国国家主席は，小泉首相の靖国神社参拝を「絶対に許せない。政治家はいったことは必らず信義で守らなければならない」と批難していた。 これは，不思議な話である。江国家主席のいうのが本当なら，小泉首相は2001年10月の訪中で，「二度と靖国にはいかない」と約束したことになる。表に出す出さないはべつとして，一国の首相が首脳同士の約束をアタマから反故にしたとは思えない。 中国がわの誤解であれば，これだけ刺激的な発言になにか，もの申してよさそうだが，その形跡はない。結果として，中国を好きでも嫌いでもない日本の中間層までが，なんとなく嫌な感情を抱く。 2)「2002年５月31日：朝日新聞〔朝刊〕」……この１年を振りかえると，歴史教科書問題，小泉純一郎首相の靖国神社参拝，元米兵捕虜の賠償を求める法案など，日本の過去の話題はマイナスの話ばかりである。 自己批判であれ，反論であれ，日本がわからの発信は驚くほどとぼしい。国内で議論していればよいということなのだろうか。肝心の日本人の顔がみえないまま，過去を反省しない日本というイメージが米国でも固まりつつある。 3)「2002年５月29日：民団新聞（在日大韓民国民団の機関紙）」……日本の政治はどこへむかっているのでしょうか。いつのまにか，「有事」がおおきな顔をして永田町を闊歩しています。一部言論機関も「有事」の旗ばかり振っています。「有事」とは戦争のことです。これがどういうことであるのか，日本国民はアジアとの関係など，将来をみすえしっかりと考える必要があります。 歴史教科書や，国会議員の集団による靖国神社参拝など，日本の政治情況をみると，世界とかけはなれた日本的事情が，民主主義とはべつの顔をして急速に現われているようにみえます。「有事」が優先され，「人権」があとまわしにされています。 4)「小泉内閣に対するその後の支持率」……発足当初（2001年４月）驚異的な内閣支持率：８割台を誇った小泉純一郎首相は，2002年にはいって急速にその支持率を落としてきた。 ● 朝日新聞が４月１・２日において調査した結果は，小泉内閣支持40％，不支持44％，５月20日に発表したそれは，支持率38％，不支持47％である。 ● 時事通信社が５月17に発表した小泉内閣支持率は，支持37.6％，不支持42.8％である。 ● 日本経済新聞が2002年５月31日から６月１・２日にかけて調査した結果は，小泉内閣支持43％，不支持46％である。 －－野党がわでは，小泉首相が突然，衆議院の解散をするかもしれないと用心しはじめている（この欄の記述は2002年６月４日）。 5)「日本共産党のビラ」……2002年６月初旬のいつの日だったかはよく記憶していないが，日本共産党の宣伝ビラ「しんぶん 赤旗 2002年５月号外」が，筆者自宅のポストに投函されていた。現在開催中の国会で議論のはじまった有事法制関連法案に反対する旨が記述されたビラである。 ふだんより，なにごとも是々非々で主体的に考え判断しているつもりの筆者は，このビラに記述されている内容に関して賛同できる主張があると感じた。 このビラに書かれている主な見出し項目などを，つぎに引用する。以下は，「平和・人権・民主主義：憲法を守りぬきます」という日本共産党の，有事法制関連法案に対する見解である（もっとも天皇制の問題はどうなったか，と共産党には聞きたいが，ここではいったん保留しておく）。 「有事３法案。どんな内容か，ご存じでしょうか」。 「米軍を応援するための戦時体制をしき，国民の自由と権利をしばる法律です」。「海外で武力行使するための有事法制に反対です」。 「いま，国家で審議されている〈武力攻撃事態法案〉〈自衛隊法改正案〉〈安全保障会議設置法改正案〉という有事３法案。政府は“国を守る備え”だといいますが，……〈海外で武力を行使する〉〈国民の自由と権利を制限する〉－－法案にはこう書かれています」。 「有事３法案は，憲法も国際法も踏みやぶり，アジアで，世界で，アメリカのいいなりに戦争に乗りだす国にする危険な法律です」。「罰則までつけて戦争協力を強制」。 また，1999年５月28日に閣議決定，８月25日から施行された「周辺事態法」（周辺事態に際して我が国の平和及及び安全を確保するための措置に関する法律）が，すでに存在する。 －－以上のごとき，最近の日本国における軍事関連の諸法律の成立状況は，明らかに憲法第９条の完全なる空洞化を意味する。 日本国憲法第９条は，アメリカをを中心とする占領軍に「押しつけられた」ものだと非難してきた者にかぎって，この平和憲法を超える民主制憲法を具体的に構想も提案もできなかった。だから，現行憲法をめぐる議論はいささかならずいりくんでいる。 第２次世界大戦後，この地球上の基本的な政治体制を決定づけていた米ソ間の冷戦構造は，遠い時代の思い出になりつつある。いまや，アメリカ一国が軍事的，政治的に突出するばかりとなってしまい，ガリバー的な世界支配体制の構築が志向されているかのようである。 1952年４月28日年以来，日米安全保障条約をとりむすんできた日本とアメリカである。だが，アメリカは，軍備面では世界有数の実力を有するにいたった「日本の自衛隊：他国の軍隊」を，意のままにしたがわせる〔いままでも両国間で維持してきたようにアメリカに都合のいい〕関係の強化を，さらに強くのぞんでいる。 1970年代から1980年代，日本がアメリカを経済面で追いこみ，アメリカが貿易赤字に苦しんだ事情をうけて，1990年代，アメリカは日本にイージス艦４隻をつぎつぎ購入させた。 米日以外にこのイージス艦を保有する国はない。なんということはない。アメリカは，日本に売却し，アメリカ企業も儲けた商品＝情報科学の粋を装備した超高性能の軍艦４隻を，自国海軍に協力させ共同作戦につかうことになる。これはまた，ずいぶん調子のいい話である。 周辺事態法，有事法制関連法案という法律〔案〕登場の経緯を観察し，日本国首相小泉純一郎の靖国神社参拝を真正面よりみすえると，この男がなにを想像しているかただちに了解がいく。 共産党と切っても切れない縁のあるカール・マルクスの社会科学理論によれば，経済構造＝土台（下部構造）に対する上部構造には，そのひとつである法律制度と並んでさらに，思想や文化，宗教，伝統などがいっしょに位置づけられている。 そうだとすると，日本を〈ふつうの国〉〔まさか戦前の帝国日本と同じものではあるまいが〕に引きもどしたい小泉首相や，この人と同類の考えを所有する国粋‐右翼‐保守の立場にある者たちは，日本伝統，つまり古式ゆかしき日本的宗教施設である靖国神社〔とはいっても本当は明治にはいってから創設されたものだが〕の，実質的な国営的運営化を狙い，これによってなにかを期待しているのである。 要するに，戦場の現実にあっては，武器・弾薬と同様に消耗品あつかいされるほかないのが〈将兵の生命〉である。軍隊の将兵は，戦争の前線に出て戦闘に挑めば必らず，確率的に何割何分何厘かの割合で死傷者を出すものなのである。この数値を平均的に，よりすくなく出す軍隊を擁した国家が，戦争においては勝利するのである。 戦争が開始され，実際に自衛隊員＝日本軍の将兵たちが戦闘地域にほうりこまれ戦死・戦病死したさい，彼らが「犬死：無駄死にした」などというふうに，家族や友人，会社の同僚，地域社会にうけとられないようにするための，「精神的な予防措置」→厭戦意識の発生防止が不可欠である。 さあ，ここでいよいよ， 靖国神社（war [military] shrine：戦争神社） の出番だというわけである。 戦争‐戦闘：戦場において生命を落とした将兵たちは，国家のための犠牲者であるゆえ，事後だいじに処遇されているという姿勢（ポーズ）を，国がわはとくに慎重にとるべき必要がある。ここにあらためて登場するのが，靖国神社なる宗教施設である。現在，この神社は実質において，そうした犠牲者の霊魂を納め，慰霊する準国営的施設である。この思考方式は「政教分離の原則」に無縁であるというよりも，完全に意識的な無視を図っている。 ひるがえって，靖国問題にうかがえる為政者の姿勢は，軍人の士気を昂揚させ，強い国軍を維持し，いつでも彼らを喜んで戦場に送りだすためにどうしても不可欠となる〈国民的な国家精神〉を要求するものといえる。 すなわち，「国家の方針をすすんで支持する」の国民としての気持は事前に，人々の意識のなかに十分にかつ広範に浸透していなければならない。つまり，いつ起きるかわからない有事に備えて，人々の思想・精神もふだんより，国家目的に都合よく合わせて馴致しておかねばならない。 小泉いわく「備えあれば憂いなし」。しかし，このようなごく常識的表現をもちだして国防問題に言及する発想は，一国の首相の発言としてはかなり粗雑，稚拙なものである。 戦前の日本軍は「軍人勅諭」（1882〔明治15年１月明治天皇「御名」 ）や「戦陣訓」（1941〔昭和16年１月東條英機「示達」）という戦争理念を用意し，忠勇無双であるべき日本軍人の精神強化を試みた。 ところが，日本男子の生命は，空を飛ぶことのできる鳥の１本の羽よりも軽いものだとか，日本兵士の生命の値段は，召集令状を通達するハガキのそれ〔一銭五厘〕よりも安いものだとか，途方もない無理無体を合理化する理屈を立ててきた。 －－軍人勅諭には，こういう一節がある。 軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ。凡生ヲ我国ニ稟クルモノ，誰カハ国ニ報ユルノ心ナカルベキ。況シテ軍人タラン者ハ，此心ノ固カラデハ物ノ用ニ立チ得ベシトモ思ハレズ。軍人ニシテ報国ノ心堅固ナラザルハ，如何程技術ニ熟シ学芸ニ長ズルモ，猶偶人ニヒトシカルベシ。其隊伍モ整ヒ節制モ正クトモ，忠節ヲ存セザル軍隊ハ，事ニ臨ミテ烏合ノ衆ニ同カルベシ。抑国家ヲ保護シ国権ヲ維持スルハ兵力ニ在レバ，兵力ノ消長ハ是国運ノ盛衰ナルコトヲ弁ヘ，世論ニ惑ハズ，政治ニ拘ラズ，只々一途ニ己ガ本分ノ忠節ヲ守リ，義ハ山嶽ヨリモ重ク，死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ。其操ヲ破リテ不覚ヲ取リ，汚名ヲ受クルナカレ。 天皇は神，国家至上‐最優先。個人‐人間のいのちは紙屑同然，塵芥である。けれども，はたしてそれで日本の軍人・軍隊は本当に強かったか？ なぜ，1945年８月に日本帝国は結局，敗戦の憂き目をみたのか。国家は，そして軍備は，なんのためにあったのか？ 東 史郎『東 史郎日記』熊本出版文化会館，2001年は，泥沼の日中戦争〔昭和12：1937年７月７日以降〕のなかで，中国大陸を１年以上もはいずりまわされた歩兵を気持を，こう記述している（同書，416頁，459頁，476-477頁，481頁）。 敵兵の死体は重なり，また散乱し，血は地面を染めている。 人を殺す事は何ら罪ではなく，それは祖国への忠誠なのである。 我々はこの忠誠心に燃えて，次なる敵を殺すべく，再度，前進を開始した。 我々は人を殺すために支那にきたのだ。巧言も何も要らない我々は殺人鬼であれば良いのだ。 歴史は殺人史である。 彼が何ら悪い事をしたというのではないのだが，彼等は我々の目から見れば家畜に等しいのだ。 かつては，誰も彼も真剣な緊張のうちに，愛情と協力で微笑で結ばれていたが，今や各人各様の個性は露わにむき出され，年齢の差のへだたりある心がいがみ合う。 こうした暗鬱な無味な頽廃と嫌悪の，しかも焦燥と反目の低気圧の中に過ごさねばならない事は，辛い不愉快な事である。我々の心の中に新鮮感がなくなり，感覚は麻痺してしまった。私の心は，戦場というものから抽出すべき人生の意義，抽出すべき数々の真理をも感じなくなった。 １発の砲弾の穴からも，そこから何か見出そうと努めた私であったのだが。 戦いが，人を殺したり，家を焼き払ったり，町を廃墟にしたりする戦いが長びくにつれて，戦場への感覚は鈍る，というより慣れきって，戦場でのすべての事が奇でもなく珍でもなくなってしまったのだ。 私の頭はぼんやりしてるのか，近頃は何の思想も湧いてこない。無残な死体を見ても何も感じなくなった。何の感傷も感じない。人生朝露の如しとも，諸行無常とも思わず，思い沈む事もない。荒涼たる戦跡もただ見るだけのものだ。 －－19世紀なかばに，新たに政治的人為的につくり出された国家宗教であり，伝統的な日本人の宗教意識を巧みに吸収することで，天皇制的国民教化の強力で有効な武器として利用されたのが「皇室神道」＝「国家神道」である。 国家神道における一番の問題は，原始社会に対応する民族宗教の排外的集団原理を，そのまま資本主義化する近代国家において再現し拡大した精神状況，すなわち《国家神道的風土》である。 つまり，国家神道の精神的風土は本来的に，人間の尊厳，基本的人権の尊重とも，ヒューマニズム，平和，国際友好の精神とも無縁である。この近代天皇制の原理は必然的に，人類愛やヒューマニズムを敵視し，他国民に対する差別と侵略を正当化することになった。この精神的風土の克服なしには，現代の日本社会における民主主義の確立はありえない（村上重良『宗教の昭和史』三嶺書房，1985年，124-125頁，134頁）。 戦争中，日本のある軍人：中佐は，つぎのようにいってのけた。 「釈迦を信じ，キリストを仰ぎ，孔子を尊ぶのを止めよ。宇宙一神，最高の真理具現者天皇を仰信せよ。万古，天皇を仰げ，……天皇は国家のためにあらず，国家は天皇のためにあり」（佐藤卓己『「キング」の時代』岩波書店，2002年，371頁）。 1945年８月までは，天皇の御為，国家の生存があっての臣民であった。しかし，国家が敗れ，天皇がいちおう人間の世界に降りた結果，臣民はひとまず国民になることができた。 戦前の日本の軍隊は徴兵制，戦後の日本の自衛隊は応募採用制〔志願制〕である。靖国神社の宗教的権威，あるいはその神学的意義を，軍隊組織の精神や軍人意識の形而上的意味として意義づけ，位置づけることは，民主主義がより深く普及している現段階の日本社会においては，無理な課題になっている。 しかし，敗戦後それも講和条約施行後の日本社会においてなお，その「無理な課題」にあえて挑戦し，歴史を歯車を逆にまわそうとする「反動的勢力が根強く存在してきた」のである。そうした勢力に和し属する人々にとって日本の戦責問題は，「糞喰らえ」とでも罵るべきものなのである。 日本は，2002年におけるアジア諸国全体の政治‐経済‐社会‐文化など，各方面の交流関係を現実的に観察しなければならない。20世紀前半までの日本帝国によるアジア侵略をすこしも反省できないこの国の一部の勢力は，21世紀におけるアジアの歴史進展に対して，けっして明るい展望をもたらす要素にはなりえないだろう。 敗戦の日：８月15日に小泉首相が靖国神社を参拝しようとすることの意味は，なにか。もういちど，真剣に批判しなおすべき余地がある。小泉純一郎は，あの戦争全体を本当に悔いているのか，それとも単に，日本が敗戦した事実のみを悔しがっているのか。 6)「社民党の立場」……ここまで書いてきたら，「護憲オバサン：土井たか子が党首にいる社民党」の存在を思いだした。 2002年５月14日社民党政策審議会は，有事法制問題に関する論点を，つぎのように整理した。 有事法制関連３法案，つまり〈武力攻撃事態法案〉〈自衛隊法改正案〉〈安全保障会議設置法改正案〉は，いままで，新ガイドライン（周辺事態法），テロ対策特措法，自衛隊法改正，PKO法改正と自衛隊の活動領域が着々と拡大してきたなかで，この「有事法制」の問題は社民党をはじめ日本の護憲勢力にとって最後の防衛線ともいえるものである。 有事法制の整備とは，戦争のできる国づくりのことに他ならない。今回の３法案は戦争を否定した現憲法の法体系にはじめて「戦時体制」をもちこむものであり，３法案と今後姿を表わすであろう関連法によって，日本国憲法のもとの社会システムは最後的な変質を迫られることになる。 それは単に，前文や第９条の「平和主義」の否定にとどまらず，「基本的人権の尊重」や「国民主権」までを含めた憲法の三原則を制約し蹂躙するものとなるであろう。 「有事」を理由に国家が国民の財産や権利を自由に制限できるという「有事法制」の思想は，戦前の国家総動員体制にもつながりかねない危険な道であり，断じて認めるわけにはいかないものである。 http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing02/yuuzi0514.html より －－民社党の指摘する有事法制関連法案の軍事体制志向的，反民主主義性の本質は明白である。戦前日本の国家体制は，戦争遂行を基本に据え，アジア諸国への侵略戦争を本旨：国是としたものだった。 だから旧日帝は，明治にはいって起きた自由民権運動，大正後期に盛んとなったデモクラシーの勃興を徹底的に弾圧，この息の根を止める勢いで日本的国家ファシズムを展開してきた。 日中戦争が昭和12〔1937〕年７月７日にはじまると，翌年４月１日日本政府は国家総動員法を公布し，本格的な戦時体制国家を構えた。しかし，日本はそれ以降，敗北への道をたどるほかない状況に追いこまれていった。 しかし，2002年の現況は，前世紀における世界の軍事政治情勢とはまったく異なってきている。前述のようにアメリカが卓絶した軍事強国となって，世界中に睨みを効かせようとしている。 そこで，日本軍である陸海自衛隊は，長年の誼み（よしみ）をもちつづけてきた日米安全保障条約を実質的に拡大・充実させ，今後においては，いつでもどこでもアメリカ軍のお手伝いを存分にはたすことができるように，有事法制関連諸法案を準備し，軍隊としての本来の役割をいっそう発揮させようと意図しているのである。 日米〔米日というべきか〕の軍事的同盟関係は，実質においてアメリカが主人で，日本がしもべである。日本は，敗戦から今日まで，沖縄をアメリカの思いのままに，「不沈空母（中曽根康弘元首相の表現）」としてつかわせている。沖縄は，国土・地理的には日本全体の１%にも満たないのに，在日米軍基地の７割が配置されている。米軍にとってのオキナワの戦略的重要性が理解できる。 １年ほどまえの2001年５月１日，偽造パスポートで日本に入国しようとした金 正男〔北朝鮮（朝鮮民主主義人民共和国）総書記 金 正日の実子〕が，成田空港で身柄を拘束された。このとき日本政府は，北朝鮮からテポドン〔弾道ミサイル〕が日本に発射されるかもしれないから恐れおののき，その後まもなく，金 正男を解放したのだという。 筆者をその話を聞いて笑った。日米安全保障条約は，いったいなんのため，誰たちのためにあるのか。アメリカ＝主人，日本＝しもべ（僕：家来・従僕）だと，さきに表現しただけのことはある。アメリカ軍の日本に対する支援があれば，北朝鮮は日本に手出しすることは，とうていできない。現在の北朝鮮は，自国の軍備の実態をよくわきまえているし，アメリカの実力のほども十二分にしっている。 ともかく，朝鮮戦争，ベトナム戦争，湾岸戦争など，第２次世界大戦後に発生した主な戦争や各種の地域紛争にさいして，沖縄のはたした軍事的な役割‐機能は，アメリカ軍にとって絶大だった。アメリカが沖縄の基地を引き揚げるなどという事態は，いまのところ絶対ありえない。 アメリカが沖縄から基地を撤退しなければならない事態が起きるとしたらそれは，沖縄の人々が猛烈な住民運動・反対闘争を起こし，体と命を張ってその撤去を叫んだ時である。アメリカ政府はそうした事態が生起することを非常に恐れている。もしも，沖縄からアメリカ軍が追いだされたら，アメリカの世界軍事戦略の展開・実行にとって，大痛手となるからである。 アメリカにとって日本という国は，とてもものわかりのいい相手である。いうなれば，簡単に御しやすい，いかようにも操作できる国が，この日本である。全国に散在する米軍基地，とくに沖縄県の実状を観察すると日本は，アメリカの属国であるとみまごうような政治的な同盟，軍事的に支配と依存との関係にある。 日本軍〔自衛隊〕もりっぱな軍隊である。アメリカ軍のお手伝いの役割・任務だけで，ガマンできるだろうか。自衛隊だってその本来の仕事においては，もっと華々しく活躍したいのではないか！？ （ 5)～6) の記述は2002年６月７日） 7)「有事法制の危険性」……2002年７月24日，衆議院有事法制特別委員会の質疑で，武力攻撃事態での国民の権利制限について福田康夫官房長官は，こういう考えをしめした。 「思想，良心，信仰の自由が制約をうけることはありうる」。したがって，思想や信仰を理由に自衛隊への協力を拒否することが認められないケースがある。また，国民保護法制については，秋に予定される臨時国会に「主要な論点整理」を提示する考えもしめした。 福田官房長官，おもしろいことをいう。第２次大戦ころまでの話であればともかく，最近の状況でいえば，先進国では徴兵拒否の若者は公認されている。戦争行為に対する反対を全然許さないという立場は，まさしく古くさいファシズム的国家主義の考えかたである。 「自衛隊への協力を拒否することが認められないケースがある」とは，国家絶対主義的な硬直した問答無用の態度である。国家のする戦争行為に参加せず忌避したり，あるいはこれに協力する行為に反抗したりする者を国家が罰するという規範・法規は，平和だとか友好だとか善隣だとかという希望・倫理を信奉する者にとって〈無効力〉〈無価値〉である事実をしってのことか。 徴兵忌避の問題とて，時代の進展とともにこれを認容せざるをなくなった今日にあって，それこそ，まったく時代後れの発言をこの国の高官は放っているのである。 国家を守っても国民を護れない国家の有事体制「論」の本性は，日本国民のみならず植民地にされた国家・民族が過去において，いやというほど辛酸を舐めさせられてきたものではなかったか。 福田内閣官房長官，安倍 晋三内閣副官房長官ともに２代め：ジュニアーの政治家であるが，親父さんたちと比較して，戦争という事態の本質に関して非常に甘い感覚しかもち合わせていない，そうした息子たちのようである。小泉純一郎になると三代めの政治家であり，軍国主義の匂いすら漂わせている。このへんの人物群は，過去の戦争に対する日本の反省どころか，核兵器の装備さえ公然ととなえる連中のことだから，広島県・長崎県の選挙民はかくべつ用心してほしいところである。 沖縄人の体験に聞くまでもなく，軍隊は，国という抽象物を守ろうとはするが，個々の人間を最後まで護ってくれたためしがない。太平洋戦争の結果：敗戦にもかかわらず，一番だいじに護られたのは，昭和天皇〔一族〕だけであった。一般庶民ときたら，ただただひどい目にあわされただけで，なんにもいいことなどなかったではないか。 戦争を防止するために有事法制が必要だというのか，あるいは，他国に武力をチラつかせられて威圧され，舐められたくない〔周辺諸国からの脅威を払拭したい〕から，自国の戦備水準を高度化したいというのか。というよりも，戦前‐戦中にウヨウヨみられた，社会感覚のずれた「軍人たちの頭脳にも似たような〈政治家〉たち」がのさばり出したのが，このごろにおける日本の政界である。 なんどもいうようにいまの日本は，世界のなかで突出する軍事‐経済大国アメリカさんの，丁稚的な〔そして使い走りの〕「自衛隊」を装備している。この性格は，過去の日本帝国主義時代における日本軍とは根本的に異なった点といえる。 自国の軍隊でも自国民を護らないのに，どうしてアメリカ軍が日本の住民を護ってくれるというのか。もしかすると，こういうことなのか。 日本の自衛隊がアメリカ軍に協力するためには，「思想，良心，信仰の自由が制約をうけることはありうる」。したがって，日本国民〔など〕の思想や信仰を理由に自衛隊への協力，すなわちアメリカ軍への協力を拒否することが認められないケースがある，と。 まえにもいったが，日本の自衛隊は自前の給与持ちで「アメリカ合衆国の《傭兵》役を演じている」かのようである。まさに語るに落ちる話ではないか。福田君や安倍君が力むほど，この国には，政治的〔軍事的〕主体性があるように映らないのである。 （ 7) の記述は2002年８月３日）
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