作家都知事の差別社会学
−石原慎太郎における妄言論−
裴 富吉
The Violent Language to the Korean Denizens in Japan
by ISHIHARA Shintaro.
BAE Boo-Gil
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T はじめに−問題の設定:なにを論じるか− |
U 東京都知事石原慎太郎知事の妄言−「三国人」差別発言− |
V 石原慎太郎の思考回路 |
W 在日する外国人の種類 |
X 作家石原慎太郎の歴史理解 |
Y 石原発言をめぐる紙上討論会 |
Z 石原発言に関する総括的批判 |
1) 意図された差別発言 |
2) 戦争か平和か |
3) 暴力を志向する意識 |
4) 日本優秀民族論 |
5) 煽動家「石原慎太郎」 |
6) 反省なき暴論 |
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群馬県 17人 |
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注記) 虐殺された朝鮮人の統計調査は困難な状況のもとで,独立新聞社および朝鮮人留学生と法学博士吉野作造らによって秘かにおこなわれた。 |
出所) 裴 昭『写真報告 関東大震災 朝鮮人虐殺』影書房,1988年,122-123頁。 |
大正14〔1925〕年10月,小樽高等商業学校〔現在の小樽商科大学〕において「軍教反対事件」がおきた。この事件の実際は,軍事教練に学生が反対したのではなく,同月15日の軍事教練「演習」が大問題を惹起させた。そのとき,学生に配布された演習の想定文のなかには,「無政府主義者団は不逞鮮人を煽動し,此機に於て札幌及小樽を全滅せしめんと小樽講演に於て画策しつゝある」,という一節があった2)。 帝国主義の時代,植民地にしていた国々出身の民族・人々を極度に恐れなければならない特定の事由が,為政者がわにあった。だが,現代における石原慎太郎の発言は,騒擾の発生可能性に関する根拠を具体的にしめしえていない。海のむこうにある中国や北朝鮮などがただただ憎い,ともかく最近絶対数で増えている不法に入国し滞在する「三国人=外国人」は,凶悪な犯罪予備集団であると叫ぶ。いずれにせよ,災害時には「騒擾事件」がおこる可能性〈大〉だから,自衛隊3軍はその鎮圧によろしく備えてほしいという〈論理の展開〉となっている。 関東大震災のときそもそも,石原慎太郎と似たような公的な立場にいる人間が悪意をこめた流言蜚語を流通させ,朝鮮人などを大量に虐殺した。関東大震災を契機にそういう惨劇を生むでっち上げ情報を,為政者が謀略し,一般庶民に吹きこんだ。当時,日本帝国臣民たちの心の奥底には,植民地出身者に対する優越差別的な「加害者意識」が蓄積されていた。天変地異がおきたさい,「上から配布された〈流言蜚語〉」にそそのかされた日本帝国臣民たちに「妄想的な〈被害者意識〉」が高じたのは,その「加害者意識」の歪曲的逆上のせいである。その結果,在日する朝鮮人を大量に殺人する行為に走った。 【引用注記】 1) 『朝日新聞』2000年4月29日朝刊「今月の投書から」。 2) 緑丘五十年史編集委員会編『緑丘五十年史』小樽商科大学,昭和36年,47-48頁参照。なお,作道好男・江藤武人編『小樽商科大学史−開学六十五年−』財界評論新社,昭和51年,169-174頁にも関連の詳述がある。 |
@ 1945年までは「朝鮮人・台湾人も日帝臣民だった」。 |
A 昭和20年代は〈第三国人〉とよばれた韓国・朝鮮人,中国・台湾人。 |
B 最近は,a)定住外国人,b)在日外国人,c)一般外国人などに分かれる。 |
注記) a) は韓国・朝鮮人を主とする永住外国人。b) はそれ以外の定住形態で在日する外国人。c) は短期・一時滞在の外国人。このなかに一部の「不法入国し滞在する外国人」もいれることができる。 |
1950年前後 | a):占領国外国人 b):一般外国人 c):主に韓国・朝鮮人:中国・台湾人を「第三国人」と称した時期 |
1990年代 | a):一般外国人(外交官・留学生・商社員など) b):韓国・朝鮮人,中国・台湾人など c):中南米系日本人とその関係者など d):難民定着者・中国帰国者その家族 e):日本人の配偶者 f):一時来日外国人(旅行者など) g):不法滞在者 |
もともと「〔第〕三国人」は,差別と偏見の意味を毒にふくんだことばである。すでに廃語にひとしかった「〔第〕三国人」をもちだした石原は,このことばに内在する時代錯誤性に気づかなかった〔本当のところは実はしっていたが!〕。 昭和20年代後期,在日韓国・朝鮮人は旧日帝下の日本国籍を不条理にもとりあげられ,韓国・朝鮮に帰らないで,あたかも不法に日本に残留しているかのごとく処遇された。その時代,日本にいた外国人〔主に韓国・朝鮮人のこと〕に関しては,「一般の外国人」とか「不法入国の外国人」とかいうべき概念上の範疇はなかった。 当時,在日する朝鮮人どもはみな押しなべて,「不法に滞在する」けしからぬ異邦人であるかのようにみられた。だからこそ「〔第〕三国人」という表現も登壇した。その意味で石原の発言は,在日韓国・朝鮮人らを「傷つけた」のである。もはや,相手を故意に「傷つけておいて」,「本意ではなく遺憾です」などと釈明して済む問題ではない。その意味で彼は,無意識的と意識的とを問わず冷酷な確信犯である。 敗戦当時,2百数十万人もいた在日朝鮮人に対する確実な戦後帰還措置がないまま,多くの朝鮮人は炭鉱をはなれ,配給もなく,給料もなしに混乱のなか生計を立てなければならなかった。それを,闇経済は第三国人の牛耳るところ,彼らは法に服さないと報じ,「第三国人」というよびかたをした。吉田 茂は在日朝鮮人をさして,「彼らは犯罪者,共産主義者,戦後復興に役立たない者」といい,彼らを養う食糧はないと排斥した。 今度の石原発言にも,不法外国人が騒擾をおこすという先入観念がある。彼は,関東大震災の記録ももっと読むべきである。「三国人」ということばは,ぽっと出てきたのではなく,鮮人・不逞鮮人・半島人といった蔑称が,近代日本の隣国観のなかでつかわれてきており,そこに朝鮮に対するとくべつな排外主義がある。石原知事が4月16日に「北鮮」といったのも,一国の首都の行政長がそういう認識でいいのか1)。 東京都は1990年に,広報紙に「第三国人」という表現のある外部からの原稿を載せ,急遽回収して次号で「おわび」を出したことがある。東京都人権部は,石原知事の発言について,「在日韓国・朝鮮人が凶悪な犯罪をくりかえしており,震災のさいには騒擾事件をおこしかねないという趣旨としてとらえられるため,在日韓国・朝鮮人に対する偏見を助長する恐れがある表現である」と答えていた2)。 石原慎太郎知事は作家でもあるが,今回におけるこの発言騒動をうけて元同業者の野坂昭如は,「『三国人』発言,明哲さ片鱗なく−幼児性こそ,石原文学の根,都知事辞め,小説家に返れ」という一文を,新聞に投稿していた3)。いくつか要点を紹介する。 @ 昭和20年代,日本敗戦により国籍をうばわれた在日朝鮮人・台湾人の,とくに巨大闇市で治外法権的にふるまうことがめだち,それまでの関係がねじれよじれて,「三国人」は,日本人の軽侮,畏怖,差別をふくむ特殊なことばとなった。石原は,常識である事実についての誤認も多く,政治経済社会問題にかかわるとぶざまである。問題となっている「三国人」を,知事が外国人の意味で日常つかっていたとは考えられない。なぜ「三国人」か。往年の鬱屈がつい現われるのか。 A それは警察関係の,特殊な語法ではないのか。そして知事は,警察に,さんざ最近の東京各域における「三国人」の悪行を吹きこまれたのか。練馬の式典における発言は,かなり粗雑な発想である。知事は,明らかな差別語の「北鮮」など口にした。不法入国,滞在をつづける「三国人」の凶悪な犯罪といって挙げたのが,宝石店の壁を工事用車でぶちこわす手口である。 B 小説家ではない石原慎太郎は,新しいものに飛びつき,子どもの遊びみたいな画策を弄し,青嵐会にしたって,南の孤島へ日の丸を旗揚げにいっても,遊びでしかない,というよりも幼児になる。そして,この幼児性こそ慎太郎の文学の根だ。知事など辞めて,本来の小説家に立ちかえることだ。 野坂昭如は,「日本人ほどコスモポリタンな民族はいない」といった石原をとらえて,「本気ですかね。わが同朋は,外国人に冷たい感じだが」と応えていた。筆者にいわせると今回の石原発言は,在日「外国人に冷たい感じ」どころか「背筋の凍るような」恐怖である。関東大震災時へいきなりタイムスリップさせられた気分である。 【引用注記】 1) 『統一日報』2000年4月18日。本紙は在日韓国人系新聞。 2) 『日本経済新聞』2000年4月12日。 3) 『朝日新聞』2000年4月18日夕刊「文化」欄。 |
三国人 | 外国人 | 日本人 |
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表4「第3国人の概念」は,筆者なりに「〔第〕三国人」という語を表わした概念である。石原のいった「不法入国し滞在する三国人・外国人」は,第三国人の意味にふくまれる外国人のうち「凶悪〔犯〕」を指したものだという。だが,歴史的に発生した特有の意味とは関係なく恣意的に,「三国人」ということばがつかえると決めつけていた。ここに批判が生じた。石原は一見したところ,歴史的に生成したこのことば固有の意味をしらないふりをし〔本当はしっていたが〕,なおかつ外国人を侮蔑する意味あいもをこめて「〔第〕三国人」をつかった。 在日外国人はまず,昭和20年代以降に味あわされた辛苦の生活を思いだし,つぎに,敗戦前に強いられた奴隷にひとしい生活だった時代を再確認し,さらに,祖先が虐殺された関東大震災の記憶まで想いおこした。在日韓国・朝鮮人は,石原発言に戦慄する思いであった。石原の「〔第〕三国人」発言は,そのくらい恐ろしいのである。日本人にもその非常に危険な感じを理解してほしい。 したがって,日本のマスコミがただちに批判の声を上げたのは至当である。2000年4月中旬,石原発言に対して在日本大韓民国民団〔民団〕が抗議し注2),日本の学者・研究者も批判した。駐日韓国大使の崔 相竜が不快感を表わし,駐日米国大使も不快感をしめした。とくに在日人権団体は,国連機関に対して,「三国人発言は人種差別撤廃条約違反」だとして通報し,調査・勧告を求めることにした6)。在日韓国・朝鮮人ら弁護士4人が,石原発言により在日外国人が憲法で保障されていた平等権や人格権を侵されたとして,日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた7)。部落解放同盟と反差別国際運動日本委員会も抗議文を,それぞれ石原都知事に送った8)。そのほかにも,関係諸団体から抗議したり糾弾したりする声が数多く上がっている。 注2)2000年4月9日「石原発言」以来,民団からの抗議をうけていた都知事は,最終的に5月24日正式に直接謝罪した9)。両者の会談は,石原の弁明を聞くための「手打ち」式であった。 考えてもみよ。三国人ということばのまえに不法ということばをおくと,このことばのうち悪い意味の要素〔→歴史的含意:辞書の第2番めに説明されている字義〕だけが突出するのである。すなわち,もっぱら昭和20年代つかわれていたときに生じた,このことば本来の意味のほうへ一直線に回帰していかざるをえない。 佐々は「好ましからざる外国人」(persona non grata:外交用語)という表現に触れていた。石原も,そうしたより無難な表現をつかえばよかったものを,歴史的経緯のなかで悪い印象を植えつけられたことば「〔第〕三国人」を,不用意(?)につかった〔だが真意は多分に意図的である〕。もし石原が,歴史的な背景事情に疎いまま,さらに差別的意図があったか否かを問わず,三国人ということば粗雑につかったのであれば,「一流小説家でもあった行政責任者の知的資質」が根本より問われる。この点は,野坂昭如がきびしい批判をくわえていた。 さて佐々は,来日外国人の凶悪犯が多いことを指摘する。金 美齢も,具体的な統計数値をとりあげて同様な指摘をしていた〔ただし金は単なる〈受け売り〉である〕。しかし,彼らの議論は問題がある。犯罪統計の正確な処理と理解が要求されている。 各年『警察白書』における在日外国人の検挙件数,検挙人員を,日本社会の犯罪と比較するさい生じる不当性・差別性を批判する意見がある。これに聞こう10)。 @ 1994〜1998年版『警察白書』は,外国人犯罪項目の冒頭に「在日外国人の犯罪構成比の高さ」を連続掲載していた。だが,1999年版では突然その項目が姿を消す〔これは,1999年の国会で出入国管理及び難民認定法の審議中に,国会議員からその問題への追及がなされた結果である〕。前者は,「人口構成比1%である在日外国人の検挙人員構成比は 1.7%である」などと記述し,外国人の犯罪率が高く,「治安上の問題」だと主張していた。 その1%の根拠は,1995年国勢調査をもとに外国人の増加率を計算したものである。だが,実際にそこから出てきた数字は,在日の人たちも全部ふくめた外国人全体の数は 114万人であって,外国人登録している人数 136万人よりもはるかにすくない。これを根拠〔分母〕に検挙件数比率をみるのは,まったく不当である。 なぜなら,犯罪件数〔分子〕のなかには,昨年きて今日犯罪を犯す外国人〔短期滞在者;3百万人以上〕もふくまれているが,人口構成比〔分母のほう〕にはふくまれない。実際の人口構成比は4%である。この人たちが 1.7%の犯罪人員構成比である。実態は半分以下である。どの犯罪をとってみても,在日外国人の犯罪率は日本人の半分以下である。 A 上記,日本人口に対する外国人人口「実際の人口構成比は4%」という数値の根拠は,つぎの,a) + b) + c) − a)の前年比増加分,である。 a)「外国人登録者−永住者」×0.88〔14歳以下が占める割合11〜12%を除外〕 これにしたがって計算すると,1997年 4,327,000人,1998年 4,256,000人であるから,来日外国人の人口構成は,それぞれ 4.05%,3.9%となる。 B 東京都の統計では外国人の刑法犯の検挙件数は,ここ6年間で半減している。人員も横ばいである。つまり刑法犯は増えていない。たしかに,外国人の凶悪犯は件数だけみると増えているが,東京都全体の凶悪犯に占める割合は横ばいであり,人口構成比でみても日本人と同じくらいかやや低い。この数年,日本社会に外国人=犯罪を犯す人という偏見が広まっている。都知事の石原は,警察筋の情報で偏見を植えつけられている。外国人の犯罪構成比は高くない。「先入観」「統計数字のごまかし」に気をつけねばならない。 D 警察庁がまとめた外国人犯罪統計は,刑法犯と特別法犯とを同じ「凶悪犯」にくくっている。特別法犯の8割を占める入管法・外登法違反を,刑法犯,それも「凶悪犯」の殺人や強盗といっしょにして「何万件」という書きかたをするのは,偏見の煽動以外のなにものでもない。 E ある識者の分析は,a)窃盗犯をのぞくと外国人の刑法犯は減少傾向,b)強盗犯をのぞくと凶悪犯はこの3年間減少,c)日本全体の凶悪犯罪が増え「不法滞在者」の割合は2%台で変化なし,と報告している11)。 F したがってたとえば,「日本社会では,中国人の密入国や不法滞在者による犯罪の急増」12)というような新聞報道は,誤報といってよいものである。 以上,外国人関係犯罪に関する統計数値は,狙い目とした「分子」に対する「分母:母数の諸数字」を故意にすくなめに算定したり,勝手に想像した「根拠のない数字」を想像したりしている。だから,そこには明らかに,偏見や差別の観念を誘導する予断・先入観が介在している。 また,来日および在日外国人は異質・多様な存在〔母集団〕から構成されているから,統計上これらを十把一からげに処理・加工したら,いかようにも恣意的な解釈が可能となり,意図的に歪曲された結論が導出されることにも注意しなければならない。
かつて「〔第〕三国人」と指称した点に集中的に表現されるように,在日外国人の大部分を占めていた韓国・朝鮮人に対する差別と偏見は,いまもなお日本社会に根深く実在する意識である。石原はそれなのに,「在日朝鮮人」などを指称した「〔第〕三国人」ということばを,本来の字義より解きはなって一人歩きさせようとした。 佐々淳行はともかく,「第3国人」発言をした友人,「石原慎太郎都知事に蛮勇を期待している」人物である13)。 −−2000年7月下旬に開催される主要国首脳会議〔沖縄サミット〕を控え,沖縄に駐留するアメリカ軍当局は,沖縄県における「アメリカ軍関係者の犯罪率は沖縄県民の平均より低いのに誤解があるようだ」と述べ,県内の嘉手納基地などを記者陣に公開,基地の重要性を説明した14)。 この説明を聞いておかしく感じるのは,アメリカ軍当局が沖縄人の気持をまったく無視し,きわめて単純に,量を図る目盛りでしか「自軍関係者の犯罪率」をみていない点である。このような,当該問題の質的な側面〔沖縄に駐留する社会集団としてのアメリカの軍隊はいかなる特性を有しているか,沖縄県民に対してアメリカ軍はいかなる存在であるかなど問題性〕を棚上げした説明は,在日する外国人犯罪統計に関する警察庁の「犯罪率が日本国籍人より高く,多い」と,二重に説明=誇張されたものに共通する〈逆の作為〉を感得できる。 沖縄駐留アメリカ軍の犯罪発生率は低いので,それほど騒ぐほどの問題ではないという見解と,在日する外国人たちの犯罪発生率は高いので〔もっともこれは完全な虚偽であった〕重大問題だと声高に叫ぶ見解はともに,日本〔地域〕社会の根底にひそむ肝心な問題を無視するか,あるいは誇大視する「ためにする」ものであった。 d) 田中 宏は,こう述べる。連合国軍総司令部〔GHQ〕が日本の占領政策をすすめるうえで,旧植民地の人々は日本の支配から解放されたという側面と同時に,日本の臣民として連合軍と戦争したという敵国民という側面もあった。「ザ・サード・ナショナル」ということばをつかい,これを「第三国人」と訳してから,独特な意味をもつようになった。直接に朝鮮人とか台湾人とかいうよりも,ほかのことばにおきかえて,ある種の感情を表現した。それが蔑視感となっていった。 石原発言は,第三国人=外国人は日本にとってなにをするかわからないこまった存在だとみなし,パニック状態になったばあい騒乱事件をおこすとまでステレオタイプ化し,自衛隊の治安出動も念頭において演習を協議するという話にまでいった。 不法入国,不法残留の人たちは多分どこかで働いている。日陰の存在が犯罪につながるという構造がある。ただ,不法就労は不法雇用と組みなのであって,この事実がいつも抜けおちている。不法就労で摘発される外国人の仕事は,建設作業員や工場従業員といった三K労働である。こうした日本の社会の現実を冷静にみていくべきなのに,石原発言はそういう側面はまったく出てこない。 |
年 次 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 |
検 挙 人 員 | 6,527 | 6,026 | 5,435 | 5,382 | 5,963 |
凶悪犯検挙人員 | 201 | 212 | 213 | 251 | 347 |
(内不法滞在者) | 106 | 142 | 131 | 137 | − |
出所)『朝日新聞』2000年4月24日朝刊「オピニオン欄 討論石原発言 下」。 |
表5「東京都来日外国人犯罪(警視庁調査)」は,当局である警視庁調査が発表した公的な資料である。日本入国後における来日外国人の様相は,日本経済の低迷に即して検挙人員の〈増→減→増〉変化にも反映されている。折しも警察庁は,外国人犯罪が過去最高になったことを,石原発言の波紋が広がった時期に合わせて公表した。ここでは,石原の「〔第〕三国人」発言にきっかけを与えた組織が警視庁であることに注意したい。 警察庁編『平成11年版警察白書』は「国境を超える犯罪との闘い」という副題をつけていたが,来日外国人の犯罪はいまや,日本国内の都道府県境を超えて全国各地に広く浸透しつつあるというのである。警察は,組織の存在感を世の中に訴求し,予算の増額や組織の拡大をねらうためにも,現状においてもっとも注目すべき犯罪の類型だと思われる「不法入国滞在外国人」=「凶悪犯」を重点的に広報する。東京都知事石原慎太郎は,警察庁とくに東京都警視庁幹部から聞いた情宣文句にうまいぐあいにはまり,敏感な反応をしめした。その点では話のよくわかる都知事である。 警察庁編『平成11年版警察白書』は全8章と資料編から構成され,その副題「国境を超える犯罪との闘い」は第1章の題名でもあった。この関連・含意・延長線上で,つぎのような出来事の発生を観察すべきである。 −−北海道小樽市が開設している市のホームページは,「外国人の不法滞在・不法就労防止に協力を」と題して,「不法滞在者のなかには集団で,殺人・強盗・売春・麻薬密売などの凶悪犯罪をおこすなど,我が国の治安を脅かすおおきな社会問題となっています」と書いていた。そして,不法滞在・不法就労の外国人を「みたら,聞いたらご連絡を……」という内容も掲載していた。 だが,市民団体からの抗議をうけた小樽市がわは,「誤解を与えかねない」としてそのホームページ全文を,2000年7月25日削除した。そのホームページは,小樽警察署からの要請をうけた小樽市が,2000年6月1日から掲載していたものである。 警察の取締活動にとって,外国人の犯罪が重要な問題のひとつであることはいうまでもない。けれども,『平成11年版警察白書』第2章から第8章にもかかれているように,そのほかにも多くの諸問題,つまり,地域住民生活・少年非行・銃器犯罪・薬物・風俗営業や,IT情報革命,暴力団,交通安全,公安維持,災害・事故・雑踏警備,公安委員会・警察活動・被害者対策などがある。いずれも「外国人の犯罪」に劣らず重要な問題であり,警察当局にとって,どれもこれもゆるがせにできない諸犯罪・諸活動である。 それでもともかく『平成11年版警察白書』は,記述の目玉に《外国人の犯罪》をおいた。本稿ここまでの論究からみて,警察庁の意図した一定の作為をそこに感じとれる。 ところが最近は,前段のようにしめされた犯罪の諸類型に,新しくとくに想定おかねばならないものが登場した。というのも,このごろの日本の警察はその組織本来の任務・役割をまともにはたさず,それどころか権柄ずくの態度がめだち,逆機能的,反庶民的,抑圧的,加害的ですらあるからである。換言するなら,〈警察〉じたいが「犯罪の百貨店」みたいになっているのである。権力統治機構の一環としては小火器しかもたない警察組織とはいえ,外部からの監察・牽制・批判をいっさいうけつけなくなってしまい,増上慢になっている実態がある。 三億円強奪事件,グリコ社長誘拐事件は時効だが,出勤途中の警察庁長官〔この組織の最高責任者である〕が狙撃され,瀕死の重症を負わされた事件は,内部犯行説もささやかれたが結局,迷宮入りとなった。あげくのはてに,「ウソは泥棒のはじまり」をもじって,「ウソは警察官のはじまり」などと揶揄されるご時世である。警察内部の腐朽・頽廃はきわめて深刻な様相を呈している。 【引用注記】 1) 『朝日新聞』2000年4月23日・24日朝刊「オピニオン欄;討論 石原発言 上・下」。 2) 石原『「父」なくして国立たず』159-162頁参照。 3) 石原『国家なる幻影』91頁参照。 4) 最新の事情はたとえば,溝口 淳「これが石原知事が指摘した『TOKYO危険地帯』だ! 新宿・歌舞伎町は覚醒剤と拳銃が支配する街と化していた」『SAPIO』2000年6月14日号参照。東京の警視庁はいままで,歌舞伎町を拱手傍観,放置してきたのかといいたくもなる。夜半過ぎの歌舞伎町を人が往来できないわけではない。 5) 『朝日新聞』2000年6月8日朝刊。 6) 『朝日新聞』2000年4月14日朝刊,『日本経済新聞』4月12日参照。 7) 『朝日新聞』2000年4月14日朝刊。 8) 『日本経済新聞』2000年4月14日。 9) 『民団新聞』2000年5月31日。 10)『統一日報』2000年5月2日,渡辺英俊「解説」参照。『統一日報』2000年5月16日「数字の1人歩きにご用心−『外国人犯罪率高い』は本当か−」。 11)『朝日新聞』2000年6月8日朝刊。 12)『朝日新聞』2000年6月11日朝刊。傍点は筆者。 13) 佐々淳行『わが上司 後藤田正晴』文藝春秋,2000年,60頁。 14)『日本経済新聞』2000年7月18日。 |
2) 戦争か平和か 日本帝国主義時代におきた関東大震災のさい,日本政府や軍当局はみずから流言蜚語を流して,無辜の朝鮮人を多数虐殺した。その後も,朝鮮人がなにか反乱や謀叛をおこすのではないかと絶えず疑心暗鬼であった。小樽高商での生徒軍事教練事件における「想定」にもわかるように,植民地支配の軛に押さえこんでいた朝鮮人が,いつかなにかをきっかけに反抗するのではないかと,怖くてしかたなかったのである。 日本はこのところ,経済低迷,社会不安,政治ゆきづまり,教育現場の崩壊,文化的頽廃などに苦しんでいる。一般庶民の抱かざるをえない欲求不満や漠然とした不安感は,第1次世界大戦後のドイツ・ワイマール憲法期が,ヒトラーのナチス政権に権力が移行する兆候が現われたころに似ている。 石原は,「わたしは戦争を罪悪だと思わない」といい,「超大国の横暴など」,「戦争のなかにも個人の尊厳,民族の尊厳からいって,正当性のあるものとないものとがある」,「ある場合,戦争が人間に大きな利益をもたらすということもありうる」,「戦いはごめんだというものの考え方があるが,そうしたものの考え方は,しょせん国家,社会,民族を衰えさせ,同時に人間個人も萎縮させるものでしかない」,といいきる1)。 1934年〔昭和9〕年10月1日に旧日本陸軍省新聞班の発行,頒布した『国防の本義とその強化』は,「たたかいの意義」を,こう解説していた。「たたかいは創造の父,文化の母である」。だがその結末がいかなる惨禍をもたらしたか,ここで触れるまでもない厳然たる歴史的事実である。 石原の主張は,「ある場合」との限定付きであるが,「やられるまえにやってしまう」意識をもつために戦争罪悪視などもつな,というものである。したがって,連合軍の占領下におかれるきっかけとなった日本の敗戦「問題」は,石原の意識水準では癪のタネである。また,それ以前に日本の惹きおこしてきた戦争・事変などは,当然「悪いことではなかった」というたちの悪いひらきなおりがある。 なお石原は,「戦争で一億総ざんげなどと,バカげた土下座をした」2)とむくれていたが,「一億総ざんげ」論は,当時7千万人台であった日本の人口を読みちがえており,「〔第〕三国人」(?)も仲間にいれた錯覚の計算だったことは,彼だけのことではないからご愛嬌として許せる。 とはいえ,1999年8月やつぎばやに成立した周辺事態〔新ガイドライン〕法や通信傍受〔盗聴〕法の成立などを背景に,石原知事的なものを英雄視する危険な傾向が強まっている。民衆意識に地殻変動がおき,そこに彼独特の情緒的なことばがしみこんでいく。政治への絶望感につけこみ,民衆の底暗い本音を代弁して,意識下に外国人を排除した人たちを助長している3)。 バブル崩壊後,日本社会は自信をうしない閉塞感に満ちている。勇ましい単純な議論がもてはやされる。改憲論の背景にはそんな風潮も関係している4)。まさにこの時期,東京都知事となって登場した石原慎太郎は,時代が期待する人物像にかなう風貌と雰囲気を備えているかのように映る。その点で石原は,観衆の期待に真正面より応える演技をしたつもりなのである。 石原は,「この国を立ち直らせるにはやはり,北朝鮮あたりからミサイルの一発も打ちこまれなくては,国家の目はとても醒めはしないということか」,ともいっている5)。要するに,石原による「〔第〕三国人」発言の意図は,日本を戦争のできる国にしていくことだと,ジャーナリストの松井やよりは警告している6),注3)。 注3)したがって,纐纈 厚『周辺事態法−新たな地域総動員・有事法制の時代−』(社会評論社,2000年)の指摘するように,「戦争ができる国家日本」はどこまで準備されたのかという視点を据え,現状をきびしく観察することが必要である。 しかしながら,戦争の世紀としての20世紀にあって現憲法は,「国際社会」におけるこの国の「名誉ある地位」を,「自国のことのみに専念して他国を無視」する狭いナショナリズムにではなく,「諸国民との協和」をめざす平和主義への寄与に託した点でこそ,「記念」されなければならない。新しい世紀を目前にして,この国の進路が根底から問われている7)。 経済学者野口悠紀雄は,石原発言の背景にある国籍別意識も問題だが,「将来の労働需給」,「生産年齢人口の急激な減少」という観点から問題をとらえている。日本の労働経済はこれから,1980年代に後半に経験した外国人労働者の流入とは質的にも量的にもまったく異なる事態を迎える。数百万〔ばあいによっては数千万人〕規模の外国人が,基幹的な労働力として日本経済をささえることになる。要は,石原発言のような考えを維持できる時代は,急速に過ぎ去りつつあるというのである8)。 【引用注記】 1) 石原慎太郎『スパルタ教育−強い子どもに育てる本−』光文社,昭和44年,144-145頁。 2) 同書,142頁。 3) 『朝日新聞』2000年4月21日朝刊「検証;石原都政1年−驚異の人気に潜む脅威−」。 4) 『朝日新聞』2000年5月2日朝刊,三浦俊章〔政治部〕「憲法Q&A;1950年代に強い改憲論−9条は世界との約束−」。 5) 石原『国家なる幻影』517頁。北朝鮮にアメリカ・韓国・日本を攻撃するだけの軍事能力があるか疑問である(纐纈 厚『周辺事態法−新たな地域総動員・有事法制の時代−』(社会評論社,2000年,178頁参照)。 6) 『統一日報』2000年5月2日。 7) 『朝日新聞』2000年5月2日朝刊「論壇」。 8) 『日本経済新聞』2000年4月17日。 |
3) 暴力を志向する意識 “The Third Nationals”なる用語は,歴史的な内容を実質的に回顧するなら,ゆえあって在日するようになった特定の異民族を差別するさいの符牒になった。「〔第〕三国人」ということばは,現在に生きている在日韓国・朝鮮人にとってはいまだ,差別を端的に表現するものである。だが,今回における石原「騒動」の議論に参入してきた関係者,つまり日本人識者の意識次元は,賛否両論ともに差別の意識がないと思いこんでいた節もある。だが,「〔第〕三国人」ということばと「差別の意識」とが無縁ではなかったからこそ,今回まさしく問題となったのであり,石原本人も早速きびしく批判された。 石原は,こう主張していた。「人間にとって,道徳も言葉も,精神も理念も,すべて飾りでしかない。なにかのはずみで,それがすべてはぎ落とされたときに,われわれは,自分を最後に守るものは,肉体でしかなく,みずからの肉体的存在を主張するすべは個人の暴力であり,その暴力には,他の暴力と違った,かけがえのない尊厳がある」1)。石原の言及するこの「個人の肉体の暴力」観は必然的に,「国家の戦力」観に昇華していく。 つぎの文句は,昭和48年7月17日に「血盟」された青嵐会趣意書のうち2項である。 ・自由社会を護り,外交は,自由主義国家群との親密なる連繋を堅持する。 ・平和国家のため,国民に国防と治安の必要性を訴え,この問題と積極的に取り組む。 また,「青嵐会の外交の基本政策」は,日本の「外交は,すべてソ連,中華人民共和国,北朝鮮人民共和国等,アジアにある共産主義国で,直接間接の物理的攻撃力をもった諸国の脅威から日本国民を守るという,安全保障のラインにそって展開されなければならない」と謳っていた2)。なお,文中の「北朝鮮人民共和国」という名称をもつ国は,この地球上に存在しない。これだけデタラメに仮想敵国の正式名称を表記できる青嵐会のその度胸だけは,称賛に値する。 ソ連はともかく崩壊した。問題は中国,そして北朝鮮だというのが,石原のいいぶんである。 今回,〈不法入国滞在〉「第〔三〕国人・外国人」の存在を問題だと指摘した石原発言は,凶悪犯たちの暴力性に対して,国家が毅然と対決すべきことに触れたのである。叙述や発言の雑駁さ,なによりも社会科学的知識の欠落に災いされて明確に表現できていないが,石原自身の精神内部に根強く潜在する素朴な「暴力性」信仰がかいまみえる注4)。 注4) 石原は,国会内〔院内〕の暴力沙汰には司直の手がおよばないことを悪用し,他の代議士を脅迫したことがある3)。石原は自著中でさらに,その類の話を告白する。 石原は,歴代環境長官のなかで水俣病患者に対する一番の理解者は自分だったと記述している4)。「不具者を指さしたら,〔自分の子どもは〕なぐれ」5)ともいった。けれども,重度身体障害者をみて安楽死を口にしていた6)。画家山下 清の話法は「読点がだらだらつづき句点のない」例だと,悪い譬えに出していた7)。石原は,本に書いていることと実際にやることとを,正反対にする作家である。それが,「子どもの教育についてまったく素人である」8)石原慎太郎のスパルタ教育論であった。 他人に教育論をぶつ石原だが,自分の子どもをどう育ててきたか。著書『息子をサラリーマンにしない法』(光文社,昭和50年)もある。共著『青嵐会』(昭和48年)では,中尾栄一が代議士の息子の世襲制=サラリーマン意識の弊害に触れていた9)。現在〔2000年5月〕,石原の長男,石原伸晃は自民党衆院議員〔東京8区選出〕である。今回の衆議院選挙〔6月25日投票日〕で,この父は息子の応援をしている。くわえて,石原慎太郎の人気をあてにし応援を求める立候補者も多い。 なにはさておき,在日韓国・朝鮮人関係の諸団体は,石原発言が学校現場で日本人生徒の排外意識を誘発しつつあるとの憂慮を表明し,東京都教育委員会に対して早急な対応を要望した。これをうけた東京都教育委員会の長谷川純一主任指導主事は,「都教委はあらゆる偏見差別がおきないよう教育現場を指導している。教育庁内部でも話し合ってみる」と約束した10)。 都政の最高行政責任者が,既成の人権擁護方針を反故にするような言動をし,しかもまるで国家単位の為政者みたいな態度でふるまってきた。アメリカ合衆国にとってのタブーであるレイシズムをあえて指摘する石原だが11),日本国内外にかかわる差別問題を紛糾させることに熱心な人物である。なんでも大声でいいかえせば相手を説きふせることができる,と勘ちがいしている。討論は上手かもしれないが,説得する技術は稚拙である。 石原はとくに,外国人それもアジア人に対する差別意識が顕著である。欧米人コンプレックスがないようにみえる点は評価できるが〔もっとも本当は,おおありだと批判されてもいるが〕,アメリカ人を議論でへこませても,アジア人全体の共感が〔台湾はべつ〕えられない自分をよく認識すべきである。念のため申しておくが,東京都の姉妹提携都市に韓国のソウル市があり,石原の嫌いな「中共」の都市北京もある。 【引用注記】 1) 石原『スパルタ教育』83頁。 2) 石原・ほか『青嵐会』197頁。 3) 石原『国家なる幻影』648頁。 4) 同書,341頁。 5) 石原『スパルタ教育』58頁。 6) 『朝日新聞』1999年9月18日朝刊。 7) 石原慎太郎・渡部昇一・小川和久『それでも「NO」と言える日本』光文社,1990年,211頁。 8) 同書,〔まえがき〕3頁。 9) 石原・ほか『青嵐会』〔中尾栄一「青嵐会はかく闘う」〕37頁。 10)『民団新聞』2000年4月26日。 11) 石原『国家なる幻影』600-601頁。 |
4) 日本優秀民族論 石原は,自分の父はインド人みたいな顔,母は中国系の顔,そして,その子である慎太郎のこの顔ができたと,自著のなかで触れている1)。日本人は,アジアの各ルーツから集まって混血した後天的な新人種である,とも述べる2)。つまり,日本人はもともとけっして,単一民族ではない。非常に多くのルーツをもった人々が日本の国土に共生し,その長き歴史のあいだに多種多様のルーツが混血混合し,結果は同じひとつの日本人としてのアイデアをもった人たちが,今日の日本という国をつくりあげてきた。とくに2百年の鎖国はその間混血を徹底し,大脳生理学的にいって,異民族の混血による大脳の多様な酵素の働きを促進し,結果多くの優秀な人材を生みだし,それらの人材優れた文明文化を育んできた,というのである3)。 石原は著作中でたびたび,「単一純粋民族」国家である日本・日本人の優秀性を誇っている。@「私たちは別に確認しなくても簡単にうなづけるホモジニティというものを持っている。こういう民族性はほかにない」〔→ただしこれは俗説で誤謬。理由:「ほかにもあるから」〕。A「有色人種のなかで日本人だけがなしおえた近代国家の成立」4)であり,「明治100年で換算しても,先祖を含めて私たち自身はこの近代化というものを80数年間でやったわけです。これだけ能率を上げた民族というのは世界に例がない」5)と誇っている〔→それは日本の帝国主義的なアジア侵略〈能率〉もふくんだ話である〕。 石原は「民族の自立と栄光を強調」6)する。「我々自身の歴史と文化の尊厳の故に,我々にはいかなるあがないにおいても守らなくてはならぬものがある。……それは決していたずらな独善や,それにのっとったかたくな拒否や非協調を意味するものではありはしません。その認識なくして,人間や国家民族についての正統な理解や歴史に対する予見などあり得ない」7)。 そうして,「もともと日本人は単一民族ではなくて,混交民族です」8),「異民族が混交すると,独特の構造ができて非常に面白い人物,優秀な人物が出てくる」9)という石原なのだが,昨今における国際化の潮流に沿って,多種多様な国籍・人種・民族が日本社会に流入し共存・共生するようになった事態を目前にし,そうとうの違和感といらだちを覚えている。 石原の発言することばには,それにともなうべき実質的な裏づけがない。 【引用注記】 1) 石原慎太郎・ほか3名『世界の中の日本』山手書房,昭和57年,19頁。 2) 石原慎太郎・江藤 淳『断固「NO」と言える日本』光文社,1991年,7頁。 3) 石原『「父」なくして国立たず』17-18頁。 4) 石原『国家なる幻影』669頁。 5) 石原・ほか『世界の中の日本』19頁,17頁。 6) 石原慎太郎・賀屋興宣『新旧の対決か調和か』経済往来社,昭和44年,村松 剛「序文」2頁。 7) 石原慎太郎・渡部昇一・小川和久『それでも「NO」と言える日本』光文社,1990年,14頁。 8) 竹村健一『石原慎太郎−日本を変えるリーダーシップ−』PHP研究所,2000年,58頁。 9) 同書,16頁。 |
5) 煽動家「石原慎太郎」 「石原さんは革命家だと思ったら煽動家なんですかね」1)。台湾新総統に選ばれた陳 水扁就任式に出席した石原は,「江 沢民(中国国家首席)が台湾を合併したらヒトラーだ」と述べた2)。かつて東京都知事を勤めた美濃部亮吉が逆に,石原を「ファシスト」とよんだことがあった3)。 石原は,日本の天皇制に関して,「天皇陛下の地位は日本国の元首です」と憚りなくいってのけ,「日本のただ一つの,最大の誇り」だと断言する4)。また,天皇の「人間差別をすることのない価値観」は「西洋人には考えられないことでしょう」といい5),誇らしげである。だが前者は,現憲法の基本精神を無視した錯謬であり,後者は,日本国内にいまなお実在する内外人への差別問題をしらない者の〈無知蒙昧〉である。 ありもしない純粋で不変的な政治的文化がそのまま生活文化の交流を否定する言説となる時,問題が生じてくる。主流国民とエスニック集団との間,あるいは,エスニック集団間の相互交流が断絶してしまい,互いの間の反目が強まるだけになる6)。 石原の目にまともに映っているものは,「世界のなかの日本」だけであり,「日本のなかの世界」は想外の〈世界〉である。そういうことで,「世界のなかの日本」は,単なる「日本のなかの日本(?!)」にすぎない。それゆえ,「日本もまた自分たちはけっして本質的には島国国家ではない,またあってはならない,いやそれであることなどできないということを自覚すべきでしょう」7)とは,石原にとってこそ,もっとも不可欠の自戒にほかならない。 【引用注記】 1) 『朝日新聞』2000年4月18日朝刊,早野 透〔本社コラムニスト〕「ポリティカ日本−政治家の荒涼とした言葉−」。 2) 『朝日新聞』2000年5月21日朝刊 3) 石原『国家なる幻影』288頁。 4) 竹村『石原慎太郎』26頁,31頁。 5) 石原・渡部・小川『それでも「NO」と言える日本』192頁。同旨の論述は,石原慎太郎『かくあれ祖国−誇れる日本国創造のために−』光文社,1994年,206頁にもある。 6) 関根政美『多文化主義社会の到来』朝日新聞社,2000年,204-205頁。 7) 石原・江藤『断固「NO」と言える日本』8頁。 |
6) 反省なき暴論 石原慎太郎は,このたび問題となった「〔第〕3国人」発言に関して,共同通信社配信記事の曲解した報道のせいで世上の物議が醸しだされたのであり,〈自分に非はない〉と最後までいいはっていた1)。既出の注2)中でも関説したように石原は,在日韓国人系組織である民団に対して「誤解を与えたのは共同通信社の記者のせいだ」と釈明し,自分の「本位でなく迷惑をかけた」という理屈を立てて陳謝をした。 けれども,同じ在日系の諸市民団体からの抗議に対して石原は,自分の「発言をいたずらに誤解し,一種の被害妄想だ」と切りすて,「私は偏見をもっていったわけではない」と従前の主張に執着していた2)。もしそうだとすれば,筆者の本稿も,石原を「誤解し,被害妄想にとりつかれた」究明をおこなったものと裁断されそうである。 竹村健一は,「〔第〕三国人」発言は差別につながる意見や表現法であり,「政治的に正しくない(politically incorrect)」と石原に忠告する3)。とはいっても,石原慎太郎都知事応援団である竹村は,「〔第〕三国人」発言が一部のマスコミから非難されたが,その論調はことばをあげつらうばかりで,内外で発生する危機管理に遭遇したとき日本がどうするかという視点がないと批判する4)。 はたして事態は,竹村の示唆する領域に視点をうつせるほど単純明快だろうか。石原の経歴・業績・足跡などからただちに感得できることでもあるが,彼の「非常にデモーニッシュな部分〔藤原弘達〕」によどんでいる偏見・差別の情動発露なくして,今回の問題発言はおこるはずもなかったのである。石原の「あえて挑発的な態度」5)を好ましいものとうけとる竹村は,「〔第〕三国人」発言問題を意図的に軽視する。まして冗談めかしてでも,「口は悪いけれども人はいい」6)のが石原などと素朴な人物論で誉めあげるのは,贔屓の引きだおしである。 石原は,植民地支配によって朝鮮のこうむった歴史的な被害は,それが日本帝国主義者によるものであったがゆえ最低限で済んだと,恩着せがましく強弁する7)。これは,後発帝国主義だった日本の国粋的保守右翼に特有の陳腐な常套句であって,まさしく強盗の論理まるだしの屁理屈である。 結局,石原慎太郎はなにも学ばず,悟らず,関係方面に最低限謝っても,基本的に反省する気など寸毫もない。徹底的に批判されるべきゆえんである。 【引用注記】 1)http:www.kyodo.co.jp/cgi-bin/getk2story?DBase= K-II&format=html&content=summary&datep=2000041&gidA036-10& image=yes. 検索日,2000年6月9日。 2) 『朝日新聞』2000年6月10日朝刊。 3) 竹村『石原慎太郎』1-2頁。 4) 同書,171頁。 5) 同書,92頁。 6) 同書,78頁。 7) 石原『現代史の分水嶺』227頁。 【以上,2000年6月25日脱稿】 |
【後記】1) 本稿は,もとの執筆量全体を半分以下に圧縮したものゆえ,文意を十分につくさぬ点があるかもしれないことを,いいわけがましいが,念のため断っておきたい。書き足りない論点などは,以下につづく「補論」,「補説」などでさらに詳論したい。 【後記】2) 本稿を書きおろしたのち著者が入手した「石原慎太郎妄言」を批判する文献は,つぎのとおりである。 @ 内海愛子・ほか著『「三国人」発言と在日外国人』明石書店,2000年6月25日。 A 石原慎太郎研究会著『石原慎太郎猛語録』現代書館,2000年6月25日。 B 姜 尚中・宮崎 学『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由』朝日新聞,2000年7月5日。 C 内海愛子・高橋哲哉・徐 京植編『石原都知事「三国人」発言の何が問題なのか』影書房,2000年6月20日。 −−以上は,石原発言をうけて急遽発行されたものである。その後さらに,以下の図書がつづいて公表されている。Bについては,リンクしたページで「文献紹介」し,くわしい注釈もくわえたので,ぜひ参照してほしい。 D 石原慎太郎研究会著『ここがヘンだよ石原都政』現代書館,2000年8月25日。 E 本多勝一『石原慎太郎の人生−貧困なる精神 N集−』朝日新聞社,2000年9月5日。 −−上記のDEについては,いままでふれてこなかった論点があるので,追って〔近日中にホームぺージを製作し〕紹介することとしたい。また,つぎの図書は,石原慎太郎という人物の危険性を1年まえ〔石原が都知事に当選したその時〕に,警鐘を発していたものである。 F 古舘 真『「NOと言える日本」への反論』明窓出版,平成11(1999)年4月14日。 G 三宅明正・山田 賢編著『歴史の中の差別−「三国人」問題とは何か−』日本経済評論社,2001年は,「第三国人」なることばは,敗戦後の日本で,いつ・どのように使用はじめられたか説明する(以下,同書,27-28頁,33頁参照)。 旧占領軍は,非日本人(Non-Japanese Nationals)をつかっており,「第三国人」ということばは,GHQ/SCAPの用語ではない。この用語を最初に用いたのが誰であるかはわからないが,日本がわの用語であることは疑いない。そして,「第三国人」の用語を流布するうえで決定的な役割をはたしたのは,1946年初夏ごろからの新聞報道であった。 石原慎太郎が青少年時に,そうした新聞報道によって,旧植民地出身者に対して非歴史的で歪んだイメージを植えつけられた,と推量できる。
【後記】3) 2004年6月6日,本論に「若干の加筆」および「資料の補足」をした。 警察庁当局は,21世紀に入り日本国内で「外国人犯罪が増加している」という悪質な『デマ:誤報』を捏造,垂れ流した。だが,それを吟味せず,鵜呑みにしたのが「新聞・テレビ・雑誌などの報道・マスコミ機関」である。 本論でも,1999年までは資料(数値)を添えて説明された論点だが,さらに2002年までの資料(数値)も追加・分析した「外国人犯罪増加」論の無根拠性は,たとえば,つぎのホームページが具体的に説明している。 @ 「“日本型犯罪報道”という罪−『外国人犯罪増加』報道の欺瞞,あなたの信ずる『治安対策』は間違っていませんか?−」 |