作家都知事の差別社会学
−石原慎太郎における妄言論−

裴 富吉

The Violent Language to the Korean Denizens in Japan
by ISHIHARA Shintaro.
BAE Boo-Gil
 


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も   く   じ 【↓下線付きの目次はクリックすると,その項目へ飛べます】
T はじめに−問題の設定:なにを論じるか−
U 東京都知事石原慎太郎知事の妄言−「三国人」差別発言−
V 石原慎太郎の思考回路
W 在日する外国人の種類
X 作家石原慎太郎の歴史理解
Y 石原発言をめぐる紙上討論会
Z 石原発言に関する総括的批判
   1) 意図された差別発言
   2) 戦争か平和か
   3) 暴力を志向する意識
   4) 日本優秀民族論
   5) 煽動家「石原慎太郎」
   6) 反省なき暴論




 
 
 
T はじめに−問題の設定:なにを論じるか−

 1999年4月23日,東京都知事選挙で石原慎太郎が当選し,青島幸男前知事の後継者となった。東京新聞社社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』は,その後約1年間の行政活動を描いている。本書の第3章「陸海空『3軍』駆使し防災都市を」は,4「震災あると不法入国者が……」という項目をかかげている1)

 2000年4月9日,陸上自衛隊第1師団「創隊記念式典」における来賓の式辞で,東京都知事石原慎太郎は,つぎのような〈妄論〉を発言した。

 今日の東京は,不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪をくりかえしている。もしも,おおきな災害がおこったときには,おおきな騒擾事件すら想定される。そういうとき自衛隊に出動願って,都民の災害の救急だけではなしに,やはり治安の維持もひとつのおおきな目的として遂行してほしい。国家の軍隊,国家にとっての軍隊の意義というものを,価値というものを,自衛隊,なんといっても中核の第1師団として,国民に都民にしっかりとしめしてほしい2)

 筆者はこの石原発言を聞いて耳を疑った。石原は,差別用語「〔第〕三国人」の新しい適用領域をあらためて切削し創造した。いくらなんでも,最近はあまりつかわれなくなったと思っていたが〔警察関係はべつ(?)〕,作家・小説家出身の行政最高責任者から,そのような新語法を聞かされ,在日・定住外国人は驚愕した。

 反中央・反大企業を売り物にして権力をとった石原慎太郎が,銀行バッシングで世間の喝采を浴びるや,非常識な排外主義を打ち出して,外国人という社会のもっとも弱い部分をスケープゴートにしようとし,日本がおちいりそうな危険な道筋を照らしだした3)

 海外に長く生活したことのある日本人は,石原発言をこう評した。「〔第〕三国人」発言と,それに対する質問への返答は説明をみるかぎり,すくなくともある年代の日本人には人種差別の気持があり,それを公の場で発言しても政治生命を危うくするほどの波紋は投げかけない,という程度の国民の認識や関心であることがわかる4)

 方向性を欠いた不満は,デマゴギーにあおられることによって民主主義の否定へとエスカレートするかもしれない。不満を批判に結晶化し,さらに変革のエネルギーをつくりだすことに,いま知識人がとりくまないでどうするのか5)

 本稿は,「非常にデモーニッシュな部分のある」6)石原慎太郎のつかった「〔第〕三国人」ということばにふくまれる本質的な差別性を,その発言のなかに潜在する差別意識とからめて論じる。いわば,石原都知事を介在させた,在日外国人差別問題に対する社会学的な考察である。



【引用注記】
1) 東京新聞社社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』青春出版社,2000年4月20日発行。筆者の入手した版は5月1日発行の第3刷。
2) 『朝日新聞』2000年4月12日朝刊参照。もとは,共同通信社4月9日配信記事である。
3) 山口二郎「21世紀のマニフェスト−『ポスト団塊世代』宣言」『世界』2000年6月,56頁。
4) 『朝日新聞』2000年4月29日朝刊「声」。
5)  山口,前掲稿,56頁。
6)  石原慎太郎・藤原弘達・渡部昇一・ほか『大久保利通』プレジデント社,1989年,〔藤原〕39頁。
 

 

 
U 東京都知事石原慎太郎知事の妄言−「三国人」差別発言−

 敗戦後,昭和20年代に登場した「〔第〕三国人」ということばを,石原はつぎのような文脈で使用した。東京都に災害〔関東大震災に類するもの〕が発生したときは必らず,〈おおきな騒擾〉事件がおきると想定すべきであり,しかも,その騒擾をになう行動主体は「不法入国の三国人・外国人」である,と。

 1995年1月17日早朝,阪神・淡路大震災が発生し,死者 6,425名,家屋全壊 11万7,489棟の被害をもたらした。昔からの国際都市である神戸市には,各国出身の外国人はもちろん,定住外国人である韓国・朝鮮人,中国人・台湾人などもおおぜい居住していた。だが,この大地震で「不法入国〔滞在〕の三国人・外国人」などがまぎれこみ,石原がひどく危惧する〈おおきな騒擾〉をおこした形跡はみられなかった。それに対して,1923年9月1日関東大震災のときは,日本政府筋〔内務大臣水野錬太郎・警視総監赤池 濃〕の意図的な悪意で出した流言蜚語〔通達〕が直接の引き金となって,日本の官憲〔警察・軍〕や日本人市民の自警団による「朝鮮人〔などの〕大虐殺」が,実際惹きおこされた。

 東京都知事石原慎太郎は,なにかおおきな勘ちがいをしている。自衛隊「式辞」における石原発言は,論理の構成上「合成の誤謬」を犯している。石原は恐らく,@中国〔および北朝鮮,アジア〕系の人間などの,A「不法入国の三国人・外国人」が徒党集団を形成し,B災害発生時には「おおきな騒擾事件」をおこすから,C自衛隊が治安維持部隊を軍隊として編成してこれを鎮圧するというシナリオを,頭のなかに描いている〔これはもともと,中曾根康弘の発想により,石原が示唆されたものである〕。

 石原は,不法滞在の外国人にかぎっての懸念を述べたものだといっているが,災害時に騒擾をおこすとは,なにが根拠なのか。在日外国人にとって,いわれのない将来の不安を助長する不用意な発言は,関東大震災にときに流されたデマと同じ怖さをもつのである。一方,石原を支持する声は,組織化された密航者と受入組織,麻薬売買と売春,暴力団とむすびついた大規模な商店荒らしなど犯罪の手口は凶悪,悪質化している。だから,首長が不安感をいだくのは当然であるという1)

 石原都知事の指摘する騒擾なる事態は,今日の現実にあっては発生可能性のほとんどないものである。ところが彼は,それを逆にみて非常に危険視し,きわめて現実的なものだと解釈する。大正12〔1923〕年9月1日関東大震災を契機に,そうした意図的な「合成の誤謬〔フレームアップ!〕」を現実化させるための謀略をしくみ,恣意的に想定した流言蜚語をばらまき〔→あらかじめ嘘で塗りかためたもの〕,日本に在住していた朝鮮人〔不逞鮮人?〕6千6百人以上を,一般庶民の手にかけさせて虐殺したのは,日本政府および警察・軍当局である。表1を参照したい。
 


 
表1 関東大震災時の朝鮮人被殺地・人数
 神奈川県 1052人
  東京府   752人
  埼玉県   293人
  千葉県  133人
    群馬県     17人
  栃木県     4人
  茨城県     5人
 ※ 累計 6661人
 注記) 虐殺された朝鮮人の統計調査は困難な状況のもとで,独立新聞社および朝鮮人留学生と法学博士吉野作造らによって秘かにおこなわれた。
 出所) 裴  昭『写真報告 関東大震災 朝鮮人虐殺』影書房,1988年,122-123頁。

 
       
  大正14〔1925〕年10月,小樽高等商業学校〔現在の小樽商科大学〕において「軍教反対事件」がおきた。この事件の実際は,軍事教練に学生が反対したのではなく,同月15日の軍事教練「演習」が大問題を惹起させた。そのとき,学生に配布された演習の想定文のなかには,「無政府主義者団は不逞鮮人を煽動し,此機に於て札幌及小樽を全滅せしめんと小樽講演に於て画策しつゝある」,という一節があった2)

 帝国主義の時代,植民地にしていた国々出身の民族・人々を極度に恐れなければならない特定の事由が,為政者がわにあった。だが,現代における石原慎太郎の発言は,騒擾の発生可能性に関する根拠を具体的にしめしえていない。海のむこうにある中国や北朝鮮などがただただ憎い,ともかく最近絶対数で増えている不法に入国し滞在する「三国人=外国人」は,凶悪な犯罪予備集団であると叫ぶ。いずれにせよ,災害時には「騒擾事件」がおこる可能性〈大〉だから,自衛隊3軍はその鎮圧によろしく備えてほしいという〈論理の展開〉となっている。

 関東大震災のときそもそも,石原慎太郎と似たような公的な立場にいる人間が悪意をこめた流言蜚語を流通させ,朝鮮人などを大量に虐殺した。関東大震災を契機にそういう惨劇を生むでっち上げ情報を,為政者が謀略し,一般庶民に吹きこんだ。当時,日本帝国臣民たちの心の奥底には,植民地出身者に対する優越差別的な「加害者意識」が蓄積されていた。天変地異がおきたさい,「上から配布された〈流言蜚語〉」にそそのかされた日本帝国臣民たちに「妄想的な〈被害者意識〉」が高じたのは,その「加害者意識」の歪曲的逆上のせいである。その結果,在日する朝鮮人を大量に殺人する行為に走った。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月29日朝刊「今月の投書から」。
2) 緑丘五十年史編集委員会編『緑丘五十年史』小樽商科大学,昭和36年,47-48頁参照。なお,作道好男・江藤武人編『小樽商科大学史−開学六十五年−』財界評論新社,昭和51年,169-174頁にも関連の詳述がある。
 

 

 
V 石原慎太郎の思考回路

 それでも,石原慎太郎知事の発言を支持する東京都議もいる。また都民からの反応では,賛成の態度を表する者も多い。彼らは,「震災時に不法入国の外国人が騒乱をおこしたら自衛隊に治安出動を要請する」との知事の発言は,「不法入国の外国人犯罪の多発という現実を踏まえたもので,正論だ」と反応している1)

 しかし,石原に賛同する意見は,不法入国滞在の外国人犯罪が多発するという現実」が,具体的にどのような経路をたどって「騒乱の発生」となるのか説明していない。だから,その可能性に関する客観的な分析をして知事の発言に共鳴したのでもない。ただ単純に「そうなるはずだ!」と付和雷同し,主観的にそう思いこんでいるにすぎない。

 1994年,アメリカのロサンゼルス地震のとき暴動が発生し,知事が要請して州軍が治安を維持していた〔と石原はいったが,べつの人種暴動と混同した事実誤認である(筆者注記)〕。阪神・淡路大震災とはケースがちがう〔上述のとおりだから,両地震にそれほど〈ちがい〉はない〕。東京は,もっと凶悪な犯罪をしている不法滞在の外国人がたくさんいる。石原はだから,自分の発言が抑止力となると強調する2)〔上記のとおりだから,いったいなんのための〈抑止力〉か〕。

 参考にまでいうなら,関東大震災よりもまえのサンフランシスコ震災では,在住日本人もアメリカ市民と同等にあつかわれ,なんの差別もなかった。それにくらべ関東大震災ときは,「富士山が爆発した」という流言につづき,「社会主義者や朝鮮人が放火,来襲し,井戸に毒をいれた」などのデマが広がった。6千6百人以上もの朝鮮人,そして,当時のどさくさにまぎれて社会主義者を殺したのは,日本の軍隊・警察,そして自警団などの民間人であった。

 今回〔2000年4月9日以降1週間ほど〕,「三国人」という発言をマスコミ報道がおおきくでとりあげていく過程で石原は,在日韓国・朝鮮人のことをさしてつかったことばではないと釈明した。しかし,過去の一時期において,在日朝鮮人・中国人たちをさして侮蔑的,疎外的に使用してきたこの〈歴史的な語彙〉「三国人」をわざわざ,半世紀近くも経ったこの時期口に出したところに,この人物の無神経ぶり,外国人それも朝鮮人・中国人などに対する偏見・差別の気持が露呈されている。

 以前,石原慎太郎の部下が,東大卒→大蔵官僚→国家議員となった朝鮮系日本人「新井将敬」に対して,あからさまな差別行為をおこなった。石原の公設第1秘書が,選挙に立候補した新井将敬の政治広報ポスター3千枚に,元朝鮮人〔「41年北朝鮮から帰化」した日本人〕である由を「暴露する」黒いシールを貼りつけた。石原の正直な感情にしたがえば,朝鮮系日本人である人間「新井将敬」が日本国会の議員に立候補し,その当選をめざし政治活動をする姿じたい,対立候補としてもとうてい我慢できないものだったと思われる注1)。そうした卑劣な差別行為を部下にさせた,石原慎太郎という〈人物の意識〉に関連する歴史社会的な背景事情は,明治憲法体制の成立以後からの問題点である。

 〔旧〕国籍法自体,帝国議会の法案審議の過程で「一種ノ帰化法」と揶揄されたされたくらいに日本への「帰化」を厳しくし,「帰化人」およびその子どもにまで高位官職への就任を制限するなど,外国人差別を本質とするものであった3)
 旧国籍法では,帰化によって日本国籍をえた者は,国務大臣や帝国議会議員への就任が制限されていた。帰化後は,日本戸籍に「○年○月○日帰化,○年○月○日届出入籍(帰化の際の国籍○○○,従前の氏名○○○)」と記載された。転籍するさいには記載しなくてもよかった4)

 石原慎太郎著『現代史の分水嶺』(昭和62年)は,帰化者に対する差別観を増幅させる見解を堂々と語っている。すなわち,選挙民の判断のために被選挙者の帰化歴を明示すべきだという。新井将敬のばあい,差出人不明の手紙で送りとどけられた〈戸籍謄本の写し〉で帰化の事実をしった石原は,「帰化した人物の元の国籍如何によって,選ぶ側の選択が大きく左右されることは確かだろう」,「国民は選ぶ側のものとして,それを知る権利があるのではないか」というのである5)。〈密告の文書〉を材料につかい,誰にたのまれもしない「国民の知る権利」を振りかざし,対立候補の政治広報ポスターに「北朝鮮からの帰化を暴露する〈黒いシール〉」を貼った。石原が部下によるこの行為は犯罪である。

 日本人同士のばあいでも〔新井将敬も日本(国籍)人であったが〕,部落出身者の出自をさぐり出して差別の材料につかわれるものが,「戸籍謄本の写し」なる公的文書である。部落出身者が選挙に立候補したさい,「国民の知る権利」だといってその出自をしらしめる必要があるのか。自分の勝手な理屈「国民の知る権利」を実現するためには,「犯罪」を犯すという狼藉を働いた。ここでも,石原の得意とする偏執狂的な「論理の構成」方法の倒錯性が露呈されている。

 一般的にいうと韓国・朝鮮人などの帰化者は,日本国籍を獲得してこそ日本社会の偏見・差別が回避できると考えたすえ,帰化を申請する。だから,その経歴じたいをしられたくない。元韓国・朝鮮人の〈帰化歴を暴露する〉行為は,現状の日本社会のなかではまさに偏見・差別の行使である。また,部下に石原がやらせた行為は公職選挙法に違反する。前者は犯罪にならない犯罪的行為であり,後者は犯罪行為そのものであった。

 注1)この事件に対する回想を,石原はこう描いている。「私の事務所も,数年後に有力な新人候補を迎えた際に,相手の元の国籍に関してあきらかにファウルのキャンペーンを知らぬの間に行ってしまい慙愧させられる」6)石原のふだんの言動から判断するに,話半分に聞いてもなお眉唾物の弁解である。石原は新井将敬に謝ったというが,弁解のことばがなにか他人事のようであり,うつろに響く。

 在日外国人である定住韓国・朝鮮人に「〔第〕三国人」ということばを当て指称することに,当事者は大いに屈辱に感じ,ひどく差別をうけたと感じる。幸いなことに,在日韓国・朝鮮人も3世・4世〔以下〕は,そのことばさえ聞いたことがなかった世代である。それなのに石原はごていねいにも,縁のない在日の世代にそのことばを教えてくれた。まったくいらぬお世話であり,罪つくりなことである。休火山〔死火山だったか?〕を活火山にする〔寝た子をおこす〕ような,ずいぶんお節介な言動をした。

 結局,過去の一時期盛んにつかわれたが,すでに死語になっていた「〔第〕三国人」という〔在日外国人に対して悪意をふくむ〕ことばを,あえて現在に復活させるような〈差別語の再生産営為〉を,石原はおこなった。主観的な意図はどうあれ,きわめて悪質な言動である。

 石原はまた,中国のことを「支那」「チャイナ」「チーノ」のいずれ何語でよんでもかわないじゃないか,「中共」が一番わかりやすいと語った7)。だが,同じことばでも相手に偏見をもち差別するために使用されたとき,そのことばには新しく〈別個の意味〉が付加される。アメリカ大陸〔中南米大陸〕にいった日本人が,中国人とまちがわれて「チーノ」と侮蔑的に指さされることもある。ペルー大統領選挙〔2000年5月〕で三選をめざすフジモリ氏に,対立候補がそのことば「チーノ」をつかった。中国共産党の略語「中共」に関していえば,そこに蓄積されてきた意味をないがしろにする論法が,やたら乱暴である。

 石原の真骨頂は,「軽薄で情緒的衝動で政治思考する日本の国民大衆」8)に「ミーハー」うけ〔俗うけ〕する,粗雑な語法=得意技を駆使するところにある。ポピュリズム政治家は,めだつものを「スケープゴート」に挙げ,問題を魔術のようにいきなりとりだし,結論を急ぐのである9)。だから,『日本経済新聞』「社説」は,「外国人犯罪の増加→震災のさいの騒擾事件→自衛隊の治安出動」とむすびつける論理には,それぞれの段階で飛躍がある。石原発言はいつもわかりやすいが,そのあまりに論理を飛躍させたり,隣人の心を傷つけるものがあると指摘していた10)

 ドイツにナチス政権が生まれたとき現地でみていた鈴木東民は,「ユダヤ人排斥は,独裁政治家のかうした政策的陰謀と,永年の間のさうした暴虐な支配階級の巧妙な宣伝とによって,無智な民衆の間に深く培われた迷信とから発するのだ」,と批判していた11)。ここで本稿は,「ドイツ・ナチス政権」を「東京都知事・石原慎太郎」,「ユダヤ人」を「〔第〕三国人・外国人」と読みかえてよい。

 福岡ドームで野球を見物していたある欧米系外国人は,試合途中,ドームの大型画面に映しだされた「外国人の組織的犯罪や不法就労など,見たり聞いたら110番」などという意味内容の福岡県警「お知らせ」をみて,周囲の日本人たちから冷たい視線を投げかけられ,まわりの雰囲気は冷えきったと報告している。彼は,警察は少年犯罪など多くの犯罪に直面しており,外国人犯罪もそのひとつである。一般的な犯罪防止の啓発ならわかるが,試合の途中でその「お知らせ」を出す必要があるのか,しばらくドームにいきたくないと,不快感もあらわに反発していた12)。そのせいか,最近の日本の中学生が「外国人労働者」にいだくイメージは,「英語を話す人」か「犯罪者予備軍」であるという指摘がある13)

 日本全国に155万人もいる多種多様な外国人〔帰化し日本国籍をえた韓国・朝鮮人や中国・台湾人たち,そして実質外国人である日系人もふくめたらもっと多い〕を,一括りにして潜在的な犯罪集団であるかのように公の場で発言をする短絡的な頭脳の持ち主が,石原慎太郎である。石原はデマゴーグ〔煽動家〕であり,独特のこだわりをこめた差別観を開陳する。国際的大都市である東京都の知事にふさわしい言動ではない。それでも,都議や都民たちの多数がその発言を支持した。産経新聞は石原に共感をしめすマスコミである。

 石原はこれまで,「〈マイノリティー〔人種的少数者〕〉」の存在じたいが治安の脅威である」かのように発言していたから,「問題なのは〈不法滞在者の外国人〉」という記者会見での説明とは食いちがっている。また「在日外国人は劣等感をもっているので反発している」と発言していた。そういいながら,「私には人種差別〔の意図〕はない」とも述べている。石原自身には差別という意識〔問題〕そのものが〔わから〕ないようにみえる。人種問題について,日本人の認識の浅さをしめしている14)

 このところ日本社会においては,各種殺人,誘拐,強盗などの「凶悪な犯罪」が毎日のように報じられるが,犯行の大半は日本人によるものである。暴力団・ヤクザ組織という「国産」の犯罪病理組織が消滅したわけではない。そういう周知の事実をほっておいて,一方的に外国人のことだけをあげつらうのは,子どもっぽいというほかない。独りよがりの狭量な愛国心は,逆にその国の信用を落とす。日本を代表する都市の知事にそれがわからない。どうしたものか15)

 かつて自民党・青嵐会以来,核武装論をぶち上げ,南京大虐殺はデマだ,などといった彼の一連の国粋主義的,排他的な発言は,いまにはじまったことではない。だが一市民ならいざしらず,国際化のすすむ首都の知事としてはあまりの発言である16)。 

 石原氏は在野の政治家ではない。知事という立場での発言は個人の政治的スローガンとは次元を異にする。世論の注意を喚起することは重要だが,危機感を煽ることが危機管理に貢献するとは限らないことを十分にわきまえなければならない17)

 結局石原は,マスコミ関係をはじめ批判が噴出した事態をうけて,2000年4月14日の定例会見で,「不法入国した三国人」発言は「真意がつたわるように表現したものであった」と述べた。「このことが在日韓国・朝鮮人をはじめとする一般外国人の皆さんの心を不用意に傷つけたとしたら,それは私の本意ではなく遺憾です。一般の外国人の皆さんの心を傷つけるつもりはまったくないので,今後はそのことばをつかわないようにいたします」と,遺憾の意を表明した18)

 石原に問いたい。それでは「不法入国した三国人・外国人」は〔実態において彼らの大部分は凶悪犯:犯罪者でない〕,「傷つけられてもかまわない」日本に在留する外国人一群だというのか,と。この範疇に属する外国人であっても,つまり日本社会でかくれるように生活していても,犯罪者でない者のほうが圧倒的に多いのだから,彼の語法そのものがまずもって煽動的なのである。

 要するに,今回発言における石原慎太郎都知事のある種の貢献は,「〔第〕三国人」ということばを復活させたことである。石原の精神構造は,「関東大震災時の官憲の精神構造とまったくかわっていない」19)。この歴史的含意をふまえてこそ,「問題の核心は死語の復活ではない」20)という見解の真意も理解できる。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月13日夕刊。 
2) 『朝日新聞』2000年4月13日朝刊。〔 〕内補足は筆者。
3) 尹 健次『日本国民論−近代日本のアイデンティティ−』筑摩書房,1997年,100頁。〔 〕内補足は筆者。
4) 「日本における帰化手続−在日コリアン家族の事例−」『コリアン・マイノリティ研究』第3号,1999年12月,60頁。
5) 石原慎太郎『現代史の分水嶺』文藝春秋,昭和62年,99-100頁,103頁,104頁参照。
6) 石原慎太郎『国家なる幻影−わが政治への反回想−』文藝春秋,1999年,221頁。
7) 『毎日新聞』ホームページ,http://www.mainichi.co.jp/taidan/ishahara-chikushi/index.html. 
  検索日,2000年4月29日。
 「シナ」は,石原慎太郎『「父」なくして国立たず』光文社,1997年が,叙述中で多用している。
 網野善彦は,「地名化したシナを『国名』としてつかう石原慎太郎氏は,本来おかしいのです。国名をきちんと呼ぶのが当然なんです」といって,石原の無識ぶりを批判している(宮代真司・ほか『リアル国家論』教育史料出版会,2000年,80頁)
8) 石原慎太郎・ほか8名『青嵐会』浪曼,昭和48年,13頁。
9) 山崎正和「石原ポピュリズム政治を排す」『論座』2000年6月,16頁,17頁。
10)『日本経済新聞』2000年4月13日「社説」。本稿で引用・参照する日本経済新聞はすべて朝刊であるので,朝刊‐夕刊の区分はしるさない。
11) 鈴木東民『ナチスの国を見る』福田書房,昭和9年,156-157頁。
12)『朝日新聞』2000年5月21日朝刊「声」。
13)『朝日新聞』2000年6月8日朝刊「声」。
14)『朝日新聞』2000年4月14日朝刊参照。〔 〕内補足および傍点は筆者。
15)『朝日新聞』2000年4月11日朝刊「社説」。
16)『朝日新聞』2000年4月12日朝刊「声」。
17)『朝日新聞』2000年5月17日朝刊「論壇」。
18)『日本経済新聞』2000年4月15日。
19)『朝日新聞』2000年4月11日朝刊,元立教大学教授日本近現代史専攻山田昭次。
20) 村井 紀「石原都知事「三国人」言説の起源」『世界』2000年6月,27頁。
 
 
 
 
 
 
W 在日する外国人の種類

 表2を参照したい。石原の頭には,「一般外国人」と「その他の外国人=不法入国し滞在する凶悪犯罪者の外国人」という単純な区分しかない。しかし,歴史的にみて「〔第〕三国人」という表現は,その区別などない時点〔昭和20年代〕で使用されていた。

 表3を参照したい。石原の示唆したかった外国人の範疇は,表3右欄のうち「g)不法滞在者」であって,そのなかでも「凶悪な犯罪を犯す,ごく一部の外国人」に限定される。不注意なことに彼は,「凶悪な犯罪を犯す三国人・外国人」という表現もつかった。この表現はひっくりかえされて,「三国人・外国人は凶悪な犯罪を犯す」とうけとられかねなかった。彼の口つきを観察すると,そういう解釈ができる。
 

          
 
表2 在日朝鮮人を表現することば
 @ 1945年までは「朝鮮人・台湾人も日帝臣民だった」。
 A 昭和20年代は〈第三国人〉とよばれた韓国・朝鮮人,中国・台湾人。
 B 最近は,a)定住外国人,b)在日外国人,c)一般外国人などに分かれる。
 注記) a) は韓国・朝鮮人を主とする永住外国人。b) はそれ以外の定住形態で在日する外国人。c) は短期・一時滞在の外国人。このなかに一部の「不法入国し滞在する外国人」もいれることができる。

 
表3 在日外国人範疇の時代的変遷
  1950年前後  a):占領国外国人
 b):一般外国人  
 c):主に韓国・朝鮮人:中国・台湾人を「第三国人」と称した時期
1990年代  a):一般外国人(外交官・留学生・商社員など)
 b):韓国・朝鮮人,中国・台湾人など
 c):中南米系日本人とその関係者など
 d):難民定着者・中国帰国者その家族
 e):日本人の配偶者
 f):一時来日外国人(旅行者など)
 g):不法滞在者
   

 

 もともと「〔第〕三国人」は,差別と偏見の意味を毒にふくんだことばである。すでに廃語にひとしかった「〔第〕三国人」をもちだした石原は,このことばに内在する時代錯誤性に気づかなかった〔本当のところは実はしっていたが!〕。

 昭和20年代後期,在日韓国・朝鮮人は旧日帝下の日本国籍を不条理にもとりあげられ,韓国・朝鮮に帰らないで,あたかも不法に日本に残留しているかのごとく処遇された。その時代,日本にいた外国人〔主に韓国・朝鮮人のこと〕に関しては,「一般の外国人」とか「不法入国の外国人」とかいうべき概念上の範疇はなかった。

 当時,在日する朝鮮人どもはみな押しなべて,「不法に滞在する」けしからぬ異邦人であるかのようにみられた。だからこそ「〔第〕三国人」という表現も登壇した。その意味で石原の発言は,在日韓国・朝鮮人らを「傷つけた」のである。もはや,相手を故意に「傷つけておいて」,「本意ではなく遺憾です」などと釈明して済む問題ではない。その意味で彼は,無意識的と意識的とを問わず冷酷な確信犯である。

 敗戦当時,2百数十万人もいた在日朝鮮人に対する確実な戦後帰還措置がないまま,多くの朝鮮人は炭鉱をはなれ,配給もなく,給料もなしに混乱のなか生計を立てなければならなかった。それを,闇経済は第三国人の牛耳るところ,彼らは法に服さないと報じ,「第三国人」というよびかたをした。吉田 茂は在日朝鮮人をさして,「彼らは犯罪者,共産主義者,戦後復興に役立たない者」といい,彼らを養う食糧はないと排斥した。

 今度の石原発言にも,不法外国人が騒擾をおこすという先入観念がある。彼は,関東大震災の記録ももっと読むべきである。「三国人」ということばは,ぽっと出てきたのではなく,鮮人・不逞鮮人・半島人といった蔑称が,近代日本の隣国観のなかでつかわれてきており,そこに朝鮮に対するとくべつな排外主義がある。石原知事が4月16日に「北鮮」といったのも,一国の首都の行政長がそういう認識でいいのか1)

 東京都は1990年に,広報紙に「第三国人」という表現のある外部からの原稿を載せ,急遽回収して次号で「おわび」を出したことがある。東京都人権部は,石原知事の発言について,「在日韓国・朝鮮人が凶悪な犯罪をくりかえしており,震災のさいには騒擾事件をおこしかねないという趣旨としてとらえられるため,在日韓国・朝鮮人に対する偏見を助長する恐れがある表現である」と答えていた2)

 石原慎太郎知事は作家でもあるが,今回におけるこの発言騒動をうけて元同業者の野坂昭如は,「『三国人』発言,明哲さ片鱗なく−幼児性こそ,石原文学の根,都知事辞め,小説家に返れ」という一文を,新聞に投稿していた3)。いくつか要点を紹介する。

 @ 昭和20年代,日本敗戦により国籍をうばわれた在日朝鮮人・台湾人の,とくに巨大闇市で治外法権的にふるまうことがめだち,それまでの関係がねじれよじれて,「三国人」は,日本人の軽侮,畏怖,差別をふくむ特殊なことばとなった。石原は,常識である事実についての誤認も多く,政治経済社会問題にかかわるとぶざまである。問題となっている「三国人」を,知事が外国人の意味で日常つかっていたとは考えられない。なぜ「三国人」か。往年の鬱屈がつい現われるのか。

 A それは警察関係の,特殊な語法ではないのか。そして知事は,警察に,さんざ最近の東京各域における「三国人」の悪行を吹きこまれたのか。練馬の式典における発言は,かなり粗雑な発想である。知事は,明らかな差別語の「北鮮」など口にした。不法入国,滞在をつづける「三国人」の凶悪な犯罪といって挙げたのが,宝石店の壁を工事用車でぶちこわす手口である。

 B 小説家ではない石原慎太郎は,新しいものに飛びつき,子どもの遊びみたいな画策を弄し,青嵐会にしたって,南の孤島へ日の丸を旗揚げにいっても,遊びでしかない,というよりも幼児になる。そして,この幼児性こそ慎太郎の文学の根だ。知事など辞めて,本来の小説家に立ちかえることだ。

 野坂昭如は,「日本人ほどコスモポリタンな民族はいない」といった石原をとらえて,「本気ですかね。わが同朋は,外国人に冷たい感じだが」と応えていた。筆者にいわせると今回の石原発言は,在日「外国人に冷たい感じ」どころか「背筋の凍るような」恐怖である。関東大震災時へいきなりタイムスリップさせられた気分である。



【引用注記】
1) 『統一日報』2000年4月18日。本紙は在日韓国人系新聞。
2) 『日本経済新聞』2000年4月12日。
3) 『朝日新聞』2000年4月18日夕刊「文化」欄。
 

 

 
X 作家石原慎太郎の歴史理解

 石原はこういっていた。「〔第〕三国人」の定義について,一義的には「外国人」を意味するが,敗戦後の一時期,台湾や朝鮮半島出身者をさしていた。敗戦後,こうした人ゝが強盗に押しいったり,ときには日本人を殴ったりした。当時の「〔第〕三国人」ということばには「軽蔑」ではなく,むしろ「恐れ」の感情が込められていた,と1)

 当時,強盗・傷害事件をおこしたのは朝鮮人だけではなく,日本人自身も多くいた。「多発する米兵の犯罪」〔これは石原の表現〕2)は,新聞で「大男」と表現された。なぜ,「〔第〕三国人」である朝鮮人・中国〔台湾〕人が「恐れられていた」のか。当時における〔現在も?〕「〔第〕三国人」の意味を一義的に「外国人」だと付会し,混濁させる理解がたいへんおかしい。

 相賀徹夫編『写真記録 昭和の歴史B 太平洋戦争と進駐軍』(1984年)は,敗戦後「賑わうの闇市」を,こう記述している。

 酒だけではない。闇市では,いろんな飲食物だの生活物資を売っていた。いばってたのは,テキ屋の親分とか中国人・朝鮮人などのいわゆる「第三国人」と呼ばれた人々で,女たちに痴漢的行動に及んでも,復員の男たちは見て見ぬふりをする。シラミをたからせた汚い女でも女である。闇市で「三国人」につかまったら,三十六計逃ぐるにしかずしかなかった。そんな「三国人」に,占領米軍は一目置いていた3)

 これは評論家戸塚文子の文章であるが,当時「不法な行為」をおこなっていたのは,朝鮮人・中国〔台湾〕人=「第三国人」だけでなく,テキ屋〔ほとんど日本人〕などその他も大勢いた。

 ─ マーク・ゲイン『ニッポン日記』は,1946年2月21日にこう書いている。

 「日本中どこも闇取引の世界である。都内各駅のすぐそばの爆撃で空地になったところには,いまでは例外なく闇市が出来上っている。そこでは何百何千の人が『毎日新聞』,イキのわるくなった魚や,米や,かけた瀬戸物などの値段を値切っている。

 ミリガン少佐の事務所を訪ねた。……その応対の合間に,戦時中奴隷労働をさせるために日本につれて来られた朝鮮人や中国人が暴れまわっていることを話してくれた。

 『朝から晩まで日本人の警官にもっと強硬に彼等を扱えと教えてやっているんだ。それが俺の仕事の全部さ。それなのに警官共は,ビクビクしてやがる。一体この朝鮮人てえのは何なんだ,−連合国の国民なのか。中立国の国民なのか,それとも日本の人民なのか,一体何だい。俺は日本の警官たちの1人1人に武器をもたせてやろうと思って1人で方々説きまわっているんだ。武器をもたせりゃ,ちょっとは威厳をとりもどすだろう』」4)

 かつて〈奴隷〉たちが存在し,これを酷使していた〈主人〉もいた。敗戦という出来事はその主人の残虐性を明らかにした。だが,戦後日本社会のなかで一時期,解放された奴隷たちが傍若無人に振るまうなかで,自分たちを主人たる地位から引きずりおろした新たな支配者に対しては逆に,奴隷のようにかしずくほかなかった。そのせいで,自身が過去に主人であった歴史をあいまいにできた。

 占領された自国のなかで,マッカーサーのアメリカ軍=「第2国」人に卑屈な態度で接していた日本人=「第1国人」にとって,敗戦後の一時期,日本社会で跳梁跋扈した朝鮮人・中国人を「第三国人」とよんで疎外し,きわめて迷惑な存在と決めつけた。朝鮮人労働者の帰国について,日本政府は無責任な態度をとった。多くの朝鮮人が危険を冒して帰国の途につき,かなりの人たちが途中で生命をうしなった。しかし,このような政府の無責任さゆえに,帰国できなかった60万人の朝鮮人があった。連合軍総司令部は,昭和21年11月,公式声明を発し,在日朝鮮人を全面的に日本政府の権限にゆだねた。こうして,戦後在日朝鮮人への差別と迫害の政策がすすみはじめたのである5)

 昭和20年代の歴史的背景事情をしれば,断片的〔感性的?〕な知識にもとづき石原が,「〔第〕三国人」なることばを誤用したことがわかる。その後における石原の釈明も生半可である。おのれを買いかぶり得意がって,アジテーターのように発言した。

 最近の日本に「不法に滞在,入国している外国人」は,当然,蛇頭・ロシアマフィア・黒社会などとよばれる犯罪組織を背景にして,日本に不法滞在する連中のことである。だから,中国・元ソ連・台湾〔1949以降の〕・元英国領香港の暗黒街につらなる人々のことである。しかし,彼らは「半世紀まえ日本が戦った戦争」の正当な戦勝国民である。当事国に属する人々である。たとえどのような辞書にたよろうと,この文脈で「三国人」と呼べるのは,在日朝鮮・韓国人でしかありえない。こうなると,蔑称であるかどうか以前の問題でもある。もし石原の弁明が正直なものなら逆に,このことばの誤用は文筆家としてセンスを疑われてもしかたない6)
 
 また,既述の新井将敬「立候補ポスターに対する黒シール貼付事件」で出てきた「北朝鮮」なる国〔籍〕は存在しない。それは朝鮮民主主義人民共和国をさすのだが,日本と正式な国交樹立がない国である。それゆえ,「北朝鮮から帰化した」という表現は〈小説家的な虚構〉である。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月17日朝刊。
2) 石原慎太郎『「父」なくして国立たず』光文社,1997年,170頁。
3) 相賀徹夫編『写真記録 昭和の歴史B 太平洋戦争と進駐軍』小学館,1984年,148頁。
4)  マーク・ゲイン,井本威夫訳『ニッポン日記』筑摩書房,昭和26年,40頁,103頁。
5) 大江志乃夫著『日本の歴史(31)戦後変革』小学館,1976年,124頁,125-126頁。
6) 『朝日新聞』2000年4月16日朝刊「eメール時評」。
 

 
 
     
 
Y 石原発言をめぐる紙上討論会

 『朝日新聞』2000年4月23・24日の朝刊は,今回の石原発言をめぐって,関係識者による紙上討論会を掲載している1)

 a) 辛 淑玉は,在日朝鮮人の立場から石原を批判する。凶悪犯罪=「〔第〕三国人」という無理解において,このことばを復活,定着させた。外国人を管理の対象とする考えかたからはなれるべきである。在日韓国・朝鮮人は6世まで出てきている。この人たちまで外国籍住民としてあつかう,いまの制度をどうにかすべきである。

 b) 金 美齢は,石原発言が問題化していく過程において〔記者会見の場で〕当人の弁明した内容を支持する。密入国・不法滞在の外国人はきびしくとりしまるべきである。不法滞在者に無条件でアムネスティを認めるのは反対である。入管法の〔今回〕改正は,日本人の後進性の表われている。血の信仰である。日系人といっても完全に外国人なのに,日本人の血がまじっているということで例外的な措置をする。人間のアイデンティティは血ではない。血がつながっているからといって,国籍条項を無視して日本人と同じようにうけいれるのは不思議である。

 金 美齢は,「第三者」〔「第三国」?〕ということばもあるから,「〔第〕三国人」もつかってもいいと,単純に石原を支持する。筆者は金に,こう反問する。第3者→第三国人という〈敷衍の方法〉にこだわると,後者にふくまれている「差別の意味」を,意図せずはじき出すことになる。金の理解方法は,石原と同じであり,同じでないのは,石原の精神には差別の意識が明確にあり,金のそれにはないことである。

 しかし,その姿勢はなお問題ぶくみである。問題は,第三国人ということばにおける「差別の意味」〔の要素〕である。金は,自分のよく感じとれない〔理解できない〕特定の字義を除外した解釈である。知識人を売り物にマスコミ方面でも活躍しているのだから,感覚的に認識できない点も,もっと学習しておぎなうべきである。一言でいって,日本語学校の校長先生でもありながら,いささかならず勉強不足である。

 彼女の意見は,当時〔戦後〕からすでにもっていた感性をかえずに披露したにすぎない。他人事ではない〈ことば〉の重大問題に,インテリ・レベルでの触覚が働かない。要注意である。日本社会のなかで能力や才能〔媚びか?〕を売って生活している台湾出身の知識人であるためか,そのたぐいの問題性に反応する感能力がにぶい。

 ともかく,台湾人〔在日する中国人:差別されるがわ〕が,石原〔日本人:差別するがわ〕の認識次元にまでへりくだって賛同するという構図が滑稽である。なお,石原の著作中には金に対する好意的な記述がある2)

 c) 佐々 淳行は,国家官僚〔主に警察庁幹部歴任〕だった人物である。こういう。第三国人というのは,占領軍以外の国の在日外国人のことを指していた。不良外国人の存在は,善良な日本人や日本にいる善良な外国人に対する脅威である。石原発言は,正義と社会秩序という観点から支持する。なお佐々は,石原の友人である3)

 警視庁が1999年刑法犯で検挙した479,157人のうち,1,734人が来日外国人である。そのうち109人が凶悪犯で,うち不法残留・密入国が79人もいる。凶悪犯のうち,中国人は74人,67.9%と圧倒的に多い。同年,強盗殺人など25件の凶悪犯罪の容疑で中国人グループが逮捕された〔多分,石原知事はこうした説明を警視庁からうけている(筆者注記)〕。

 歌舞伎町や六本木にいってごらんなさい4)。入管の職員や私服の刑事に同行すればいい。日本の警察官は拳銃を抜かないことをしっているから,凶悪犯たちは怖がらない。不良外国人がはびこって重大な脅威を与える地区があれば,機動隊をつかってでも警察が責任をもって処理すべきである。警察を飛びこして自衛隊にたのむことはない。警察の不作為で国民に不安感を与えるのはまずい。警察は,アメリカのニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニに学ぶべきである。

 昭和20年代,社会秩序の混乱した不安定な時期,日本の警察は力不足であった。植民地支配のくびきを解かれて解放民族となった朝鮮人や中国人〔台湾人〕は,しばらくのあいだ解放気分にひたって気ままに振るまった。その後,祖国に帰れなかった人々は日本社会のなかで邪険にあつかわれ,不当にも実質無国籍の民族集団におとしめられた。闇市などで彼らの一部が跳梁跋扈し,日本人のひんしゅくを買ったことは事実である。

 しかし,既述のように闇市など日本社会で暗躍したのは,無国籍化され無権利状態にされた外国人集団だけでない。混沌とした戦後社会をとりしきっていた集団・組織は,主に日本人で構成される伝統的なヤクザ・テキヤ・暴力団関係の諸組織に多く,あるいはそこにかたぎの人々もくわわって,外国人以上の勢力をもって悪質にふるまった。裏社会の動向は,日本人を中心とする病理集団が本命・主流である。

 敗戦後の日本社会や最近の歌舞伎・六本木においてはまるで,犯罪者は在日朝鮮人や来日中国人だけだといわんばかりの口ぶりであり,それゆえ意図的,誤導的である。敗戦後の一時期における在日朝鮮人・中国人の犯罪的行為のみをあげつらったり,また最近における日本社会のごく一地域の犯罪現象をことさら強調したりする言及は,被害妄想的どころか,過去における日帝の国家的犯罪行為や,現状におけるこの国の不手際・不備から目をそらしたものである。

 在日中国人ジャーナリスト莫 邦富に,最近の問題のほうを合わせて聞いておこう。

 中国人犯罪の原点は,中曾根政権下の「留学生うけいれ十万人計画」にある。貧困で悪質な日本語学校が乱立し,1980年代後半,中国がもてあましていた危ない人が就学生として日本にやってきた。彼らは,中国の犯罪集団との橋渡し役をはたした。蛇頭の幹部の元祖は,当時の就学生である。多くの中国人に反日感情をもたせた,日本がわのうけいれ体制があった。彼らの働く環境が非人間的であり,最低限の権利すら与えられなかった。外国人研修生にも,同じような反日の気分が広がっている。制度拡大で失踪者が増えれば,10年後の組織犯罪の基盤となる恐れがある5)

 「〔第〕三国人」の存在〔犯罪性? 悪業!〕だけを針小棒大的に指摘するのは,歴史的にみて公平さを欠く視野狭窄である。敗戦後,一般庶民は闇市にいったり買い出しに出て,食糧や物資を調達しなければとても生きていけない社会事情があった。配給だけで食生活をしのごうとしたある律儀な判事が餓死した話は有名である。法律的にいえば闇行為は犯罪であったが,そのころはみなが生きるために必死であった。くわえて,昨今の問題だと指摘された就学生・研修生たちをかこむ「環境が非人間的であり,最低限の権利すら与えられない」実情も,とうてい無視できない歴史的な話である。

 そもそも外国人概念に関して,凶悪犯=「不法入国し滞在する三国人・外国人」に限定してつかったとする,石原のいいぶんを許す佐々の主張がずれている。「不法入国・滞在」する「三国人・外国人」ということばは,普遍妥当的なものではなく,前後関係において形容矛盾,集合論的に不整合である。「不法入国した外国人」といえば十分なところを,なにゆえ「不法入国した三国人・外国人」といわねばならないのか。

 佐々の口つきは,差別語の字義もふくむことば:「〔第〕三国人」をつかうことに反対ではないようである。この感性はやはり,警察キャリア官僚を務めた人間に特有のものであり,石原にも共通する要素がある。恐らく警察庁関係内部では,最近でもこのことばを常用しているはずである。
            


 
表4  第三国人の概念
三国人 外国人 日本人
@ 凶  悪 = A 外国人
 B 善    い 
   D 善  い(?)
  C 悪  い(!)
E 悪   い

 

 表4「第3国人の概念」は,筆者なりに「〔第〕三国人」という語を表わした概念である。石原のいった「不法入国し滞在する三国人・外国人」は,第三国人の意味にふくまれる外国人のうち「凶悪〔犯〕」を指したものだという。だが,歴史的に発生した特有の意味とは関係なく恣意的に,「三国人」ということばがつかえると決めつけていた。ここに批判が生じた。石原は一見したところ,歴史的に生成したこのことば固有の意味をしらないふりをし〔本当はしっていたが〕,なおかつ外国人を侮蔑する意味あいもをこめて「〔第〕三国人」をつかった。

 在日外国人はまず,昭和20年代以降に味あわされた辛苦の生活を思いだし,つぎに,敗戦前に強いられた奴隷にひとしい生活だった時代を再確認し,さらに,祖先が虐殺された関東大震災の記憶まで想いおこした。在日韓国・朝鮮人は,石原発言に戦慄する思いであった。石原の「〔第〕三国人」発言は,そのくらい恐ろしいのである。日本人にもその非常に危険な感じを理解してほしい。

 したがって,日本のマスコミがただちに批判の声を上げたのは至当である。2000年4月中旬,石原発言に対して在日本大韓民国民団〔民団〕が抗議し注2),日本の学者・研究者も批判した。駐日韓国大使の崔 相竜が不快感を表わし,駐日米国大使も不快感をしめした。とくに在日人権団体は,国連機関に対して,「三国人発言は人種差別撤廃条約違反」だとして通報し,調査・勧告を求めることにした6)。在日韓国・朝鮮人ら弁護士4人が,石原発言により在日外国人が憲法で保障されていた平等権や人格権を侵されたとして,日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた7)。部落解放同盟と反差別国際運動日本委員会も抗議文を,それぞれ石原都知事に送った8)。そのほかにも,関係諸団体から抗議したり糾弾したりする声が数多く上がっている。

  注2)2000年4月9日「石原発言」以来,民団からの抗議をうけていた都知事は,最終的に5月24日正式に直接謝罪した9)。両者の会談は,石原の弁明を聞くための「手打ち」式であった

 考えてもみよ。三国人ということばのまえに不法ということばをおくと,このことばのうち悪い意味の要素〔→歴史的含意:辞書の第2番めに説明されている字義〕だけが突出するのである。すなわち,もっぱら昭和20年代つかわれていたときに生じた,このことば本来の意味のほうへ一直線に回帰していかざるをえない。

 佐々は「好ましからざる外国人」(persona non grata:外交用語)という表現に触れていた。石原も,そうしたより無難な表現をつかえばよかったものを,歴史的経緯のなかで悪い印象を植えつけられたことば「〔第〕三国人」を,不用意(?)につかった〔だが真意は多分に意図的である〕。もし石原が,歴史的な背景事情に疎いまま,さらに差別的意図があったか否かを問わず,三国人ということば粗雑につかったのであれば,「一流小説家でもあった行政責任者の知的資質」が根本より問われる。この点は,野坂昭如がきびしい批判をくわえていた。

 さて佐々は,来日外国人の凶悪犯が多いことを指摘する。金 美齢も,具体的な統計数値をとりあげて同様な指摘をしていた〔ただし金は単なる〈受け売り〉である〕。しかし,彼らの議論は問題がある。犯罪統計の正確な処理と理解が要求されている。

 各年『警察白書』における在日外国人の検挙件数,検挙人員を,日本社会の犯罪と比較するさい生じる不当性・差別性を批判する意見がある。これに聞こう10)

 @ 1994〜1998年版『警察白書』は,外国人犯罪項目の冒頭に「在日外国人の犯罪構成比の高さ」を連続掲載していた。だが,1999年版では突然その項目が姿を消す〔これは,1999年の国会で出入国管理及び難民認定法の審議中に,国会議員からその問題への追及がなされた結果である〕。前者は,「人口構成比1%である在日外国人の検挙人員構成比は 1.7%である」などと記述し,外国人の犯罪率が高く,「治安上の問題」だと主張していた。

 その1%の根拠は,1995年国勢調査をもとに外国人の増加率を計算したものである。だが,実際にそこから出てきた数字は,在日の人たちも全部ふくめた外国人全体の数は 114万人であって,外国人登録している人数 136万人よりもはるかにすくない。これを根拠〔分母〕に検挙件数比率をみるのは,まったく不当である。

 なぜなら,犯罪件数〔分子〕のなかには,昨年きて今日犯罪を犯す外国人〔短期滞在者;3百万人以上〕もふくまれているが,人口構成比〔分母のほう〕にはふくまれない。実際の人口構成比は4%である。この人たちが 1.7%の犯罪人員構成比である。実態は半分以下である。どの犯罪をとってみても,在日外国人の犯罪率は日本人の半分以下である。

 A 上記,日本人口に対する外国人人口「実際の人口構成比は4%」という数値の根拠は,つぎの,a) + b) + c) − a)の前年比増加分,である。

  a)「外国人登録者−永住者」×0.88〔14歳以下が占める割合11〜12%を除外〕
  b)「オーバーステイ(25〜27万人)+不法上陸在留者推定数」
  c)「新規入国者総数×0.9%〔14歳以上の推定数〕

 これにしたがって計算すると,1997年 4,327,000人,1998年 4,256,000人であるから,来日外国人の人口構成は,それぞれ 4.05%,3.9%となる。

 B 東京都の統計では外国人の刑法犯の検挙件数は,ここ6年間で半減している。人員も横ばいである。つまり刑法犯は増えていない。たしかに,外国人の凶悪犯は件数だけみると増えているが,東京都全体の凶悪犯に占める割合は横ばいであり,人口構成比でみても日本人と同じくらいかやや低い。この数年,日本社会に外国人=犯罪を犯す人という偏見が広まっている。都知事の石原は,警察筋の情報で偏見を植えつけられている。外国人の犯罪構成比は高くない。「先入観」「統計数字のごまかし」に気をつけねばならない。

 D 警察庁がまとめた外国人犯罪統計は,刑法犯特別法犯とを同じ「凶悪犯」にくくっている。特別法犯の8割を占める入管法・外登法違反を,刑法犯,それも「凶悪犯」の殺人や強盗といっしょにして「何万件」という書きかたをするのは,偏見の煽動以外のなにものでもない。

 E ある識者の分析は,a)窃盗犯をのぞくと外国人の刑法犯は減少傾向,b)強盗犯をのぞくと凶悪犯はこの3年間減少,c)日本全体の凶悪犯罪が増え「不法滞在者」の割合は2%台で変化なし,と報告している11)

 F したがってたとえば,「日本社会では,中国人の密入国や不法滞在者による犯罪の急増」12)というような新聞報道は,誤報といってよいものである。

 以上,外国人関係犯罪に関する統計数値は,狙い目とした「分子」に対する「分母:母数諸数字」を故意にすくなめに算定したり,勝手に想像した「根拠のない数字」を想像したりしている。だから,そこには明らかに,偏見や差別の観念を誘導する予断・先入観が介在している。

 また,来日および在日外国人は異質・多様な存在〔母集団〕から構成されているから,統計上これらを十把一からげに処理・加工したら,いかようにも恣意的な解釈が可能となり,意図的に歪曲された結論が導出されることにも注意しなければならない。

 
 テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のために−グローバル化時代の日本−』
(平凡社,2002年)は,そうした「犯罪統計のごまかし」を,つぎのように指摘している。
 
 日本で犯罪を犯して逮捕された外国人の数は,1980年の9647件に対して1998年の1万248件と,事実上横ばいの状態であった
(法務省法務総合研究所,1999年)。この数字は,日本の市民権をもたない人びとの犯罪率が激増したことをしめすものとはいえない。

 実際のところ「外国人犯罪の増加」は,検挙された外国人が以前にくらべて複数の犯罪〔ビザに関する違反や文書偽造などをふくむ〕の容疑者であったという事実や,警察庁が「外国人」というカテゴリーを永住権をもつ者ともたない者という2つにグループに分類したことによってつくりあげられた,統計上の創作物であった。

 2つのグループのうち片方の検挙者は減少した一方で,もう片方の検挙者は増加している。検挙率が上昇したほうの集団だけをみたり,逮捕された人数よりも犯罪の数を問題にしたり,「外国人犯罪」が相対的に低かった年を基準にえらんだことによって,外国人犯罪の増加というセンセーショナルな図式を描くことが可能になった。

 それらの数字に与えられたパブリシティと,1999年末と2000年の初頭に警察庁が一連のスキャンダルで動揺したこととは,関連があったのかもしれない。早急にイメージを回復し,予算維持のために世論の支持をえる必要が,警察庁にはあった(同書,162頁)
 


 『朝日新聞』2004年6月5日朝刊。


 −−急速に国際化のすすんでいる日本社会は,外国人が大勢,不法に入国したり滞在したりする経済大国である。一般論でいえば,そうした不安定な居住形態の外国人は,必然的・潜在的に犯罪を犯す可能性を多めにもっている。しかし,この点は日本人もかわりない。それにしても筆者は,日本に不法に入国し滞在する外国人に対してあえて,三国人という表現を当て称したところに《とくべつの不審感》を抱くのである。

 かつて「〔第〕三国人」と指称した点に集中的に表現されるように,在日外国人の大部分を占めていた韓国・朝鮮人に対する差別と偏見は,いまもなお日本社会に根深く実在する意識である。石原はそれなのに,「在日朝鮮人」などを指称した「〔第〕三国人」ということばを,本来の字義より解きはなって一人歩きさせようとした。
 
 差別のことばを発する人間は,それを差しむけた相手がわの心情理解においてきわめて鈍感,無神経であって,ときに残酷,加虐的でもある。差別するがわにおいて,その意図が「あったとか,なかったとか」という次元の問題ではない。だからこそ,差別のことばを投げかけられるほうの人間は,かくべつ神経質にならざるをえないし,とても敏感にもなる。今回の出来事は突然のことであった。もはや,ほとんど忘れかけていたと思っていた死語「〔第〕三国人」が,悪魔が語るかのように石原の口から飛びだし,亡霊のごとく目前に再来したのである。

 佐々淳行はともかく,「第3国人」発言をした友人,「石原慎太郎都知事に蛮勇を期待している」人物である13)

 −−2000年7月下旬に開催される主要国首脳会議〔沖縄サミット〕を控え,沖縄に駐留するアメリカ軍当局は,沖縄県における「アメリカ軍関係者の犯罪率は沖縄県民の平均より低いのに誤解があるようだ」と述べ,県内の嘉手納基地などを記者陣に公開,基地の重要性を説明した14)

 この説明を聞いておかしく感じるのは,アメリカ軍当局が沖縄人の気持をまったく無視し,きわめて単純に,量を図る目盛りでしか「自軍関係者の犯罪率」をみていない点である。このような,当該問題の質的な側面〔沖縄に駐留する社会集団としてのアメリカの軍隊はいかなる特性を有しているか,沖縄県民に対してアメリカ軍はいかなる存在であるかなど問題性〕を棚上げした説明は,在日する外国人犯罪統計に関する警察庁の「犯罪率が日本国籍人より高く,多い」と,二重に説明=誇張されたものに共通する〈逆の作為〉を感得できる。

 沖縄駐留アメリカ軍の犯罪発生率は低いので,それほど騒ぐほどの問題ではないという見解と,在日する外国人たちの犯罪発生率は高いので〔もっともこれは完全な虚偽であった〕重大問題だと声高に叫ぶ見解はともに,日本〔地域〕社会の根底にひそむ肝心な問題を無視するか,あるいは誇大視する「ためにする」ものであった。

 d) 田中 宏は,こう述べる。連合国軍総司令部〔GHQ〕が日本の占領政策をすすめるうえで,旧植民地の人々は日本の支配から解放されたという側面と同時に,日本の臣民として連合軍と戦争したという敵国民という側面もあった。「ザ・サード・ナショナル」ということばをつかい,これを「第三国人」と訳してから,独特な意味をもつようになった。直接に朝鮮人とか台湾人とかいうよりも,ほかのことばにおきかえて,ある種の感情を表現した。それが蔑視感となっていった。

 石原発言は,第三国人=外国人は日本にとってなにをするかわからないこまった存在だとみなし,パニック状態になったばあい騒乱事件をおこすとまでステレオタイプ化し,自衛隊の治安出動も念頭において演習を協議するという話にまでいった。

 不法入国,不法残留の人たちは多分どこかで働いている。日陰の存在が犯罪につながるという構造がある。ただ,不法就労は不法雇用と組みなのであって,この事実がいつも抜けおちている。不法就労で摘発される外国人の仕事は,建設作業員や工場従業員といった三K労働である。こうした日本の社会の現実を冷静にみていくべきなのに,石原発言はそういう側面はまったく出てこない。
     


 
   表5 東京都来日外国人犯罪〔警視庁調査〕  (人)
 年  次 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
検  挙  人  員 6,527 6,026 5,435 5,382 5,963
凶悪犯検挙人員 201 212 213 251 347
 (内不法滞在者) 106 142 131 137
 出所)『朝日新聞』2000年4月24日朝刊「オピニオン欄 討論石原発言 下」。

 

 表5「東京都来日外国人犯罪(警視庁調査)」は,当局である警視庁調査が発表した公的な資料である。日本入国後における来日外国人の様相は,日本経済の低迷に即して検挙人員の〈増→減→増〉変化にも反映されている。折しも警察庁は,外国人犯罪が過去最高になったことを,石原発言の波紋が広がった時期に合わせて公表した。ここでは,石原の「〔第〕三国人」発言にきっかけを与えた組織が警視庁であることに注意したい。

 警察庁編『平成11年版警察白書』は「国境を超える犯罪との闘い」という副題をつけていたが,来日外国人の犯罪はいまや,日本国内の都道府県境を超えて全国各地に広く浸透しつつあるというのである。警察は,組織の存在感を世の中に訴求し,予算の増額や組織の拡大をねらうためにも,現状においてもっとも注目すべき犯罪の類型だと思われる「不法入国滞在外国人」=「凶悪犯」を重点的に広報する。東京都知事石原慎太郎は,警察庁とくに東京都警視庁幹部から聞いた情宣文句にうまいぐあいにはまり,敏感な反応をしめした。その点では話のよくわかる都知事である。

 警察庁編『平成11年版警察白書』は全8章と資料編から構成され,その副題「国境を超える犯罪との闘い」は第1章の題名でもあった。この関連・含意・延長線上で,つぎのような出来事の発生を観察すべきである。

 −−北海道小樽市が開設している市のホームページは,「外国人の不法滞在・不法就労防止に協力を」と題して,「不法滞在者のなかには集団で,殺人・強盗・売春・麻薬密売などの凶悪犯罪をおこすなど,我が国の治安を脅かすおおきな社会問題となっています」と書いていた。そして,不法滞在・不法就労の外国人を「みたら,聞いたらご連絡を……」という内容も掲載していた。

 だが,市民団体からの抗議をうけた小樽市がわは,「誤解を与えかねない」としてそのホームページ全文を,2000年7月25日削除した。そのホームページは,小樽警察署からの要請をうけた小樽市が,2000年6月1日から掲載していたものである。

 警察の取締活動にとって,外国人の犯罪が重要な問題のひとつであることはいうまでもない。けれども,『平成11年版警察白書』第2章から第8章にもかかれているように,そのほかにも多くの諸問題,つまり,地域住民生活・少年非行・銃器犯罪・薬物・風俗営業や,IT情報革命,暴力団,交通安全,公安維持,災害・事故・雑踏警備,公安委員会・警察活動・被害者対策などがある。いずれも「外国人の犯罪」に劣らず重要な問題であり,警察当局にとって,どれもこれもゆるがせにできない諸犯罪・諸活動である。

 それでもともかく『平成11年版警察白書』は,記述の目玉に《外国人の犯罪》をおいた。本稿ここまでの論究からみて,警察庁の意図した一定の作為をそこに感じとれる。

 ところが最近は,前段のようにしめされた犯罪の諸類型に,新しくとくに想定おかねばならないものが登場した。というのも,このごろの日本の警察はその組織本来の任務・役割をまともにはたさず,それどころか権柄ずくの態度がめだち,逆機能的,反庶民的,抑圧的,加害的ですらあるからである。換言するなら,〈警察〉じたいが「犯罪の百貨店」みたいになっているのである。権力統治機構の一環としては小火器しかもたない警察組織とはいえ,外部からの監察・牽制・批判をいっさいうけつけなくなってしまい,増上慢になっている実態がある。

 三億円強奪事件,グリコ社長誘拐事件は時効だが,出勤途中の警察庁長官〔この組織の最高責任者である〕が狙撃され,瀕死の重症を負わされた事件は,内部犯行説もささやかれたが結局,迷宮入りとなった。あげくのはてに,「ウソは泥棒のはじまり」をもじって,「ウソは警察官のはじまり」などと揶揄されるご時世である。警察内部の腐朽・頽廃はきわめて深刻な様相を呈している。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月23日・24日朝刊「オピニオン欄;討論 石原発言 上・下」。
2) 石原『「父」なくして国立たず』159-162頁参照。
3) 石原『国家なる幻影』91頁参照。
4) 最新の事情はたとえば,溝口 淳「これが石原知事が指摘した『TOKYO危険地帯』だ! 新宿・歌舞伎町は覚醒剤と拳銃が支配する街と化していた」『SAPIO』2000年6月14日号参照。東京の警視庁はいままで,歌舞伎町を拱手傍観,放置してきたのかといいたくもなる。夜半過ぎの歌舞伎町を人が往来できないわけではない。
5) 『朝日新聞』2000年6月8日朝刊。
6) 『朝日新聞』2000年4月14日朝刊,『日本経済新聞』4月12日参照。
7) 『朝日新聞』2000年4月14日朝刊。
8) 『日本経済新聞』2000年4月14日。
9) 『民団新聞』2000年5月31日。
10)『統一日報』2000年5月2日,渡辺英俊「解説」参照。『統一日報』2000年5月16日「数字の1人歩きにご用心−『外国人犯罪率高い』は本当か−」。
11)『朝日新聞』2000年6月8日朝刊。
12)『朝日新聞』2000年6月11日朝刊。傍点は筆者。
13) 佐々淳行『わが上司 後藤田正晴』文藝春秋,2000年,60頁。
14)『日本経済新聞』2000年7月18日。
 

 
 

 
Z 石原発言に関する総括的批判

 1)  意図された差別発言 
 船橋洋一は,こういう。中国に暮らすある朝鮮族は,石原の妄言騒ぎをこう評した。朝鮮には「一匹の蛙が井戸水を汚す」ということわざがある。石原の発言に対する世論の反応は,日本社会においてはじめに一番多かったのは「絶対許せない」だったが,一晩経ったらそれがおおきく逆転していた。蛙は一匹ではなかった。

 問題は,第三国人ということばをつかったタイミング,場所,状況にもある。既述にもあったが,関東大震災のさいの朝鮮人虐殺を承知しながら,「大きな災害」発生時に「おおきなおおきな騒擾」を想定し,「陸海空3軍の出動」と「治安維持遂行」への期待を口にした。これは,南北朝鮮の首脳階段と日朝正常化交渉への動きがはじまったのに照準を合わせた煽動的発言である。

 石原のアジテーターとしての恐ろしい才能は,証明済みである。10年ほどまえ,石原はソニーの盛田昭夫会長〔当時〕と共著で『NOと言える日本』を著わした。そこでは,アメリカの日本叩きの底には日本の先端技術への嫉妬と人種偏見がある,と国民のなかの対米不満を結晶化してみせた。そのころ日本は経済力絶頂であり,自信に満ちていた。ハイテク民族主義が横溢していた。彼の標的はアメリカだった。

 しかし,こんどは中国がかくれた標的である。中国大国化にともなってふくらむ地政学的な圧迫感もさることながら,むしろ不法移民と犯罪など感覚的,生理的嫌悪感〔それは蛇頭ということばに象徴される〕といった,国民のなかの対中感情の悪化を下敷きにしている。石原はべつのところで「中国なんて国,私は嫌いだ」,「中国は分裂すればいい」と述べている。

 不法入国に問題がないのではない。それは存在する。政府があまりにも無策であることが,国民の不満をつのらせている。石原発言への支持の強さはそれを物語っている。ただ石原は,「三国人」という仮想敵対勢力をことさらにつくりだすことで,民族と文化の統合と純化を図ろうとし,「彼らと我々」を対立的にすえる。そこに問題がある。

 石原は,日本の「きれいな城」という純潔主義を築城することのみ熱中している。国を守ることの基は,相手にいかに日本をわかってもらうか,にある。どのようにして「世界とともに生きる」ための強靱な戦略をつくりあげるかにある。それができてはじめて国を守ること,国益も守ることもできる。石原の発言は多くの日本の友人たちの心を傷つけた。それに対して,国民の良心の声を上げなければならない。石原発言にNOといおう。「石原発言に『NO』といえる日本」をしめそう1)

 石原慎太郎の口からポンポンと放たれることばは,今日,地球全体的規模において国際化の急展開している世の中〔世界の様相〕に適応するものではない。石原は,世界に冠たる大都市東京の代表者:知事を務めている。このきわめて重要な職位に就いている人間が,軽々に口にすべきではない個人的な見解=嫌悪の感情を,その立場もわきまえず平然と無分別に露骨にたれながす。それも,彼なりの考えや心づもりあっての,意図的・作戦的・政策的な言動である。

 だが用心すべきは,1人の小説家・知識人としていままで,石原が思いのまま書きたいことを表現し書き,これをフィクション物語にまとめあげたり著作に論述したりして発表するときとは,まったく時代も環境もがちがう点である。もっと大人になって発言をしてもらいたい。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月27日朝刊,朝日新聞コラムニスト船橋洋一「日本&世界;石原発言に『NO』と言える日本」参照。
 

 

 2)  戦争か平和か
 日本帝国主義時代におきた関東大震災のさい,日本政府や軍当局はみずから流言蜚語を流して,無辜の朝鮮人を多数虐殺した。その後も,朝鮮人がなにか反乱や謀叛をおこすのではないかと絶えず疑心暗鬼であった。小樽高商での生徒軍事教練事件における「想定」にもわかるように,植民地支配の軛に押さえこんでいた朝鮮人が,いつかなにかをきっかけに反抗するのではないかと,怖くてしかたなかったのである。

 日本はこのところ,経済低迷,社会不安,政治ゆきづまり,教育現場の崩壊,文化的頽廃などに苦しんでいる。一般庶民の抱かざるをえない欲求不満や漠然とした不安感は,第1次世界大戦後のドイツ・ワイマール憲法期が,ヒトラーのナチス政権に権力が移行する兆候が現われたころに似ている。

 石原は,「わたしは戦争を罪悪だと思わない」といい,「超大国の横暴など」,「戦争のなかにも個人の尊厳,民族の尊厳からいって,正当性のあるものとないものとがある」,「ある場合,戦争が人間に大きな利益をもたらすということもありうる」,「戦いはごめんだというものの考え方があるが,そうしたものの考え方は,しょせん国家,社会,民族を衰えさせ,同時に人間個人も萎縮させるものでしかない」,といいきる1)

 1934年〔昭和9〕年10月1日に旧日本陸軍省新聞班の発行,頒布した『国防の本義とその強化』は,「たたかいの意義」を,こう解説していた。「たたかいは創造の父,文化の母である」。だがその結末がいかなる惨禍をもたらしたか,ここで触れるまでもない厳然たる歴史的事実である。 

 石原の主張は,「ある場合」との限定付きであるが,「やられるまえにやってしまう」意識をもつために戦争罪悪視などもつな,というものである。したがって,連合軍の占領下におかれるきっかけとなった日本の敗戦「問題」は,石原の意識水準では癪のタネである。また,それ以前に日本の惹きおこしてきた戦争・事変などは,当然「悪いことではなかった」というたちの悪いひらきなおりがある。

 なお石原は,「戦争で一億総ざんげなどと,バカげた土下座をした」2)とむくれていたが,「一億総ざんげ」論は,当時7千万人台であった日本の人口を読みちがえており,「〔第〕三国人」(?)も仲間にいれた錯覚の計算だったことは,彼だけのことではないからご愛嬌として許せる。

 とはいえ,1999年8月やつぎばやに成立した周辺事態〔新ガイドライン〕法や通信傍受〔盗聴〕法の成立などを背景に,石原知事的なものを英雄視する危険な傾向が強まっている。民衆意識に地殻変動がおき,そこに彼独特の情緒的なことばがしみこんでいく。政治への絶望感につけこみ,民衆の底暗い本音を代弁して,意識下に外国人を排除した人たちを助長している3)

 バブル崩壊後,日本社会は自信をうしない閉塞感に満ちている。勇ましい単純な議論がもてはやされる。改憲論の背景にはそんな風潮も関係している4)。まさにこの時期,東京都知事となって登場した石原慎太郎は,時代が期待する人物像にかなう風貌と雰囲気を備えているかのように映る。その点で石原は,観衆の期待に真正面より応える演技をしたつもりなのである。

 石原は,「この国を立ち直らせるにはやはり,北朝鮮あたりからミサイルの一発も打ちこまれなくては,国家の目はとても醒めはしないということか」,ともいっている5)。要するに,石原による「〔第〕三国人」発言の意図は,日本を戦争のできる国にしていくことだと,ジャーナリストの松井やよりは警告している6),注3)

 注3)たがって,纐纈 厚『周辺事態法−新たな地域総動員・有事法制の時代−』(社会評論社,2000年)の指摘するように,「戦争ができる国家日本」はどこまで準備されたのかという視点を据え,現状をきびしく観察することが必要である。

 しかしながら,戦争の世紀としての20世紀にあって現憲法は,「国際社会」におけるこの国の「名誉ある地位」を,「自国のことのみに専念して他国を無視」する狭いナショナリズムにではなく,「諸国民との協和」をめざす平和主義への寄与に託した点でこそ,「記念」されなければならない。新しい世紀を目前にして,この国の進路が根底から問われている7)

 経済学者野口悠紀雄は,石原発言の背景にある国籍別意識も問題だが,「将来の労働需給」,「生産年齢人口の急激な減少」という観点から問題をとらえている。日本の労働経済はこれから,1980年代に後半に経験した外国人労働者の流入とは質的にも量的にもまったく異なる事態を迎える。数百万〔ばあいによっては数千万人〕規模の外国人が,基幹的な労働力として日本経済をささえることになる。要は,石原発言のような考えを維持できる時代は,急速に過ぎ去りつつあるというのである8)



【引用注記】
1)  石原慎太郎『スパルタ教育−強い子どもに育てる本−』光文社,昭和44年,144-145頁。
2) 同書,142頁。
3) 『朝日新聞』2000年4月21日朝刊「検証;石原都政1年−驚異の人気に潜む脅威−」。
4) 『朝日新聞』2000年5月2日朝刊,三浦俊章〔政治部〕「憲法Q&A;1950年代に強い改憲論−9条は世界との約束−」。
5)  石原『国家なる幻影』517頁。北朝鮮にアメリカ・韓国・日本を攻撃するだけの軍事能力があるか疑問である(纐纈 厚『周辺事態法−新たな地域総動員・有事法制の時代−』(社会評論社,2000年,178頁参照)。
6) 『統一日報』2000年5月2日。
7) 『朝日新聞』2000年5月2日朝刊「論壇」。
8) 『日本経済新聞』2000年4月17日。
 

 

 3)  暴力を志向する意識
 “The Third Nationals”なる用語は,歴史的な内容を実質的に回顧するなら,ゆえあって在日するようになった特定の異民族を差別するさいの符牒になった。「〔第〕三国人」ということばは,現在に生きている在日韓国・朝鮮人にとってはいまだ,差別を端的に表現するものである。だが,今回における石原「騒動」の議論に参入してきた関係者,つまり日本人識者の意識次元は,賛否両論ともに差別の意識がないと思いこんでいた節もある。だが,「〔第〕三国人」ということばと「差別の意識」とが無縁ではなかったからこそ,今回まさしく問題となったのであり,石原本人も早速きびしく批判された。
 
 石原は,こう主張していた。「人間にとって,道徳も言葉も,精神も理念も,すべて飾りでしかない。なにかのはずみで,それがすべてはぎ落とされたときに,われわれは,自分を最後に守るものは,肉体でしかなく,みずからの肉体的存在を主張するすべは個人の暴力であり,その暴力には,他の暴力と違った,かけがえのない尊厳がある」1)。石原の言及するこの「個人の肉体の暴力」観は必然的に,「国家の戦力」観に昇華していく。

つぎの文句は,昭和48年7月17日に「血盟」された青嵐会趣意書のうち2項である。
 

 ・自由社会を護り,外交は,自由主義国家群との親密なる連繋を堅持する。

 ・平和国家のため,国民に国防と治安の必要性を訴え,この問題と積極的に取り組む。
 

 また,「青嵐会の外交の基本政策」は,日本の「外交は,すべてソ連,中華人民共和国,北朝鮮人民共和国等,アジアにある共産主義国で,直接間接の物理的攻撃力をもった諸国の脅威から日本国民を守るという,安全保障のラインにそって展開されなければならない」と謳っていた2)。なお,文中の朝鮮人民共和国」という名称をもつ国は,この地球上に存在しない。これだけデタラメに仮想敵国の正式名称を表記できる青嵐会のその度胸だけは,称賛に値する。

 ソ連はともかく崩壊した。問題は中国,そして北朝鮮だというのが,石原のいいぶんである。

 今回,〈不法入国滞在〉「第〔三〕国人・外国人」の存在を問題だと指摘した石原発言は,凶悪犯たちの暴力性に対して,国家が毅然と対決すべきことに触れたのである。叙述や発言の雑駁さ,なによりも社会科学的知識の欠落に災いされて明確に表現できていないが,石原自身の精神内部に根強く潜在する素朴な「暴力性」信仰がかいまみえる注4)

 注4) 石原は,国会内〔院内〕の暴力沙汰には司直の手がおよばないことを悪用し,他の代議士を脅迫したことがある3)。石原は自著中でさらに,その類の話を告白する。

 石原は,歴代環境長官のなかで水俣病患者に対する一番の理解者は自分だったと記述している4)。「不具者を指さしたら,〔自分の子どもは〕なぐれ」5)ともいった。けれども,重度身体障害者をみて安楽死を口にしていた6)。画家山下 清の話法は「読点がだらだらつづき句点のない」例だと,悪い譬えに出していた7)。石原は,本に書いていることと実際にやることとを,正反対にする作家である。それが,「子どもの教育についてまったく素人である」8)石原慎太郎のスパルタ教育論であった。

 他人に教育論をぶつ石原だが,自分の子どもをどう育ててきたか。著書『息子をサラリーマンにしない法』(光文社,昭和50年)もある。共著『青嵐会』(昭和48年)では,中尾栄一が代議士の息子の世襲制=サラリーマン意識の弊害に触れていた9)。現在〔2000年5月〕,石原の長男,石原伸晃は自民党衆院議員〔東京8区選出〕である。今回の衆議院選挙〔6月25日投票日〕で,この父は息子の応援をしている。くわえて,石原慎太郎の人気をあてにし応援を求める立候補者も多い。

 なにはさておき,在日韓国・朝鮮人関係の諸団体は,石原発言が学校現場で日本人生徒の排外意識を誘発しつつあるとの憂慮を表明し,東京都教育委員会に対して早急な対応を要望した。これをうけた東京都教育委員会の長谷川純一主任指導主事は,「都教委はあらゆる偏見差別がおきないよう教育現場を指導している。教育庁内部でも話し合ってみる」と約束した10)

 都政の最高行政責任者が,既成の人権擁護方針を反故にするような言動をし,しかもまるで国家単位の為政者みたいな態度でふるまってきた。アメリカ合衆国にとってのタブーであるレイシズムをあえて指摘する石原だが11),日本国内外にかかわる差別問題を紛糾させることに熱心な人物である。なんでも大声でいいかえせば相手を説きふせることができる,と勘ちがいしている。討論は上手かもしれないが,説得する技術は稚拙である。

 石原はとくに,外国人それもアジア人に対する差別意識が顕著である。欧米人コンプレックスがないようにみえる点は評価できるが〔もっとも本当は,おおありだと批判されてもいるが〕,アメリカ人を議論でへこませても,アジア人全体の共感が〔台湾はべつ〕えられない自分をよく認識すべきである。念のため申しておくが,東京都の姉妹提携都市に韓国のソウル市があり,石原の嫌いな「中共」の都市北京もある。



【引用注記】
1)  石原『スパルタ教育』83頁。
2)  石原・ほか『青嵐会』197頁。
3)  石原『国家なる幻影』648頁。
4)  同書,341頁。
5)  石原『スパルタ教育』58頁。
6) 『朝日新聞』1999年9月18日朝刊。
7)  石原慎太郎・渡部昇一・小川和久『それでも「NO」と言える日本』光文社,1990年,211頁。
8)  同書,〔まえがき〕3頁。
9)  石原・ほか『青嵐会』〔中尾栄一「青嵐会はかく闘う」〕37頁。
10)『民団新聞』2000年4月26日。
11) 石原『国家なる幻影』600-601頁。
 

 

 4)  日本優秀民族論
 石原は,自分の父はインド人みたいな顔,母は中国系の顔,そして,その子である慎太郎のこの顔ができたと,自著のなかで触れている1)。日本人は,アジアの各ルーツから集まって混血した後天的な新人種である,とも述べる2)。つまり,日本人はもともとけっして,単一民族ではない。非常に多くのルーツをもった人々が日本の国土に共生し,その長き歴史のあいだに多種多様のルーツが混血混合し,結果は同じひとつの日本人としてのアイデアをもった人たちが,今日の日本という国をつくりあげてきた。とくに2百年の鎖国はその間混血を徹底し,大脳生理学的にいって,異民族の混血による大脳の多様な酵素の働きを促進し,結果多くの優秀な人材を生みだし,それらの人材優れた文明文化を育んできた,というのである3)

 石原は著作中でたびたび,「単一純粋民族」国家である日本・日本人の優秀性を誇っている。@「私たちは別に確認しなくても簡単にうなづけるホモジニティというものを持っている。こういう民族性はほかにない」〔→ただしこれは俗説で誤謬。理由:「ほかにもあるから」〕。A「有色人種のなかで日本人だけがなしおえた近代国家の成立」4)であり,「明治100年で換算しても,先祖を含めて私たち自身はこの近代化というものを80数年間でやったわけです。これだけ能率を上げた民族というのは世界に例がない」5)と誇っている〔→それは日本の帝国主義的なアジア侵略〈能率〉もふくんだ話である〕。

 石原は「民族の自立と栄光を強調」6)する。「我々自身の歴史と文化の尊厳の故に,我々にはいかなるあがないにおいても守らなくてはならぬものがある。……それは決していたずらな独善や,それにのっとったかたくな拒否や非協調を意味するものではありはしません。その認識なくして,人間や国家民族についての正統な理解や歴史に対する予見などあり得ない」7)

 そうして,「もともと日本人は単一民族ではなくて,混交民族です」8),「異民族が混交すると,独特の構造ができて非常に面白い人物,優秀な人物が出てくる」9)という石原なのだが,昨今における国際化の潮流に沿って,多種多様な国籍・人種・民族が日本社会に流入し共存・共生するようになった事態を目前にし,そうとうの違和感といらだちを覚えている。

 石原の発言することばには,それにともなうべき実質的な裏づけがない。



【引用注記】
1)  石原慎太郎・ほか3名『世界の中の日本』山手書房,昭和57年,19頁。
2)  石原慎太郎・江藤 淳『断固「NO」と言える日本』光文社,1991年,7頁。
3)  石原『「父」なくして国立たず』17-18頁。
4)  石原『国家なる幻影』669頁。
5)  石原・ほか『世界の中の日本』19頁,17頁。
6)  石原慎太郎・賀屋興宣『新旧の対決か調和か』経済往来社,昭和44年,村松 剛「序文」2頁。
7)  石原慎太郎・渡部昇一・小川和久『それでも「NO」と言える日本』光文社,1990年,14頁。
8)  竹村健一『石原慎太郎−日本を変えるリーダーシップ−』PHP研究所,2000年,58頁。
9)  同書,16頁。
 

 

 5)  煽動家「石原慎太郎」
  「石原さんは革命家だと思ったら煽動家なんですかね」1)。台湾新総統に選ばれた陳 水扁就任式に出席した石原は,「江 沢民(中国国家首席)が台湾を合併したらヒトラーだ」と述べた2)。かつて東京都知事を勤めた美濃部亮吉が逆に,石原を「ファシスト」とよんだことがあった3)

 石原は,日本の天皇制に関して,「天皇陛下の地位は日本国の元首です」と憚りなくいってのけ,「日本のただ一つの,最大の誇り」だと断言する4)。また,天皇の「人間差別をすることのない価値観」は「西洋人には考えられないことでしょう」といい5),誇らしげである。だが前者は,現憲法の基本精神を無視した錯謬であり,後者は,日本国内にいまなお実在する内外人への差別問題をしらない者の〈無知蒙昧〉である。

 ありもしない純粋で不変的な政治的文化がそのまま生活文化の交流を否定する言説となる時,問題が生じてくる。主流国民とエスニック集団との間,あるいは,エスニック集団間の相互交流が断絶してしまい,互いの間の反目が強まるだけになる6)

 石原の目にまともに映っているものは,「世界のなかの日本」だけであり,「日本のなかの世界」は想外の〈世界〉である。そういうことで,「世界のなかの日本」は,単なる「日本のなかの日本(?!)」にすぎない。それゆえ,「日本もまた自分たちはけっして本質的には島国国家ではない,またあってはならない,いやそれであることなどできないということを自覚すべきでしょう」7)とは,石原にとってこそ,もっとも不可欠の自戒にほかならない。



【引用注記】
1) 『朝日新聞』2000年4月18日朝刊,早野 透〔本社コラムニスト〕「ポリティカ日本−政治家の荒涼とした言葉−」。
2) 『朝日新聞』2000年5月21日朝刊
3)  石原『国家なる幻影』288頁。
4)  竹村『石原慎太郎』26頁,31頁。
5)  石原・渡部・小川『それでも「NO」と言える日本』192頁。同旨の論述は,石原慎太郎『かくあれ祖国−誇れる日本国創造のために−』光文社,1994年,206頁にもある。
6)  関根政美『多文化主義社会の到来』朝日新聞社,2000年,204-205頁。
7)  石原・江藤『断固「NO」と言える日本』8頁。
 

 

  6)  反省なき暴論
  石原慎太郎は,このたび問題となった「〔第〕3国人」発言に関して,共同通信社配信記事の曲解した報道のせいで世上の物議が醸しだされたのであり,〈自分に非はない〉と最後までいいはっていた1)。既出の注2)中でも関説したように石原は,在日韓国人系組織である民団に対して「誤解を与えたのは共同通信社の記者のせいだ」と釈明し,自分の「本位でなく迷惑をかけた」という理屈を立てて陳謝をした。

 けれども,同じ在日系の諸市民団体からの抗議に対して石原は,自分の「発言をいたずらに誤解し,一種の被害妄想だ」と切りすて,「私は偏見をもっていったわけではない」と従前の主張に執着していた2)。もしそうだとすれば,筆者の本稿も,石原を「誤解し,被害妄想にとりつかれた」究明をおこなったものと裁断されそうである。

 竹村健一は,「〔第〕三国人」発言は差別につながる意見や表現法であり,「政治的に正しくない(politically incorrect)」と石原に忠告する3)。とはいっても,石原慎太郎都知事応援団である竹村は,「〔第〕三国人」発言が一部のマスコミから非難されたが,その論調はことばをあげつらうばかりで,内外で発生する危機管理に遭遇したとき日本がどうするかという視点がないと批判する4)

 はたして事態は,竹村の示唆する領域に視点をうつせるほど単純明快だろうか。石原の経歴・業績・足跡などからただちに感得できることでもあるが,彼の「非常にデモーニッシュな部分〔藤原弘達〕」によどんでいる偏見・差別の情動発露なくして,今回の問題発言はおこるはずもなかったのである。石原の「あえて挑発的な態度」5)を好ましいものとうけとる竹村は,「〔第〕三国人」発言問題を意図的に軽視する。まして冗談めかしてでも,「口は悪いけれども人はいい」6)のが石原などと素朴な人物論で誉めあげるのは,贔屓の引きだおしである。

 石原は,植民地支配によって朝鮮のこうむった歴史的な被害は,それが日本帝国主義者によるものであったがゆえ最低限で済んだと,恩着せがましく強弁する7)。これは,後発帝国主義だった日本の国粋的保守右翼に特有の陳腐な常套句であって,まさしく強盗の論理まるだしの屁理屈である。

 結局,石原慎太郎はなにも学ばず,悟らず,関係方面に最低限謝っても,基本的に反省する気など寸毫もない。徹底的に批判されるべきゆえんである。



【引用注記】
1)http:www.kyodo.co.jp/cgi-bin/getk2story?DBase=
K-II&format=html&content=summary&datep=2000041&gidA036-10& image=yes. 
  検索日,2000年6月9日。
2) 『朝日新聞』2000年6月10日朝刊。
3)  竹村『石原慎太郎』1-2頁。
4)  同書,171頁。
5)  同書,92頁。
6)  同書,78頁。
7)  石原『現代史の分水嶺』227頁。


【以上,2000年6月25日脱稿】


 


 

 【後記】1) 本稿は,もとの執筆量全体を半分以下に圧縮したものゆえ,文意を十分につくさぬ点があるかもしれないことを,いいわけがましいが,念のため断っておきたい。書き足りない論点などは,以下につづく「補論」「補説」などでさらに詳論したい。


 【後記】2) 本稿を書きおろしたのち著者が入手した「石原慎太郎妄言」を批判する文献は,つぎのとおりである。

 @ 内海愛子・ほか著『「三国人」発言と在日外国人』明石書店,2000年6月25日。

 A 石原慎太郎研究会著『石原慎太郎猛語録』現代書館,2000年6月25日。

 B 姜 尚中・宮崎 学『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由』朝日新聞,2000年7月5日。

 C 内海愛子・高橋哲哉・徐 京植編『石原都知事「三国人」発言の何が問題なのか』影書房,2000年6月20日。

 −−以上は,石原発言をうけて急遽発行されたものである。その後さらに,以下の図書がつづいて公表されている。Bについては,リンクしたページで「文献紹介」し,くわしい注釈もくわえたので,ぜひ参照してほしい。

 D 石原慎太郎研究会著『ここがヘンだよ石原都政』現代書館,2000年8月25日。

 E 本多勝一『石原慎太郎の人生−貧困なる精神 N集−』朝日新聞社,2000年9月5日。


 −−上記のDEについては,いままでふれてこなかった論点があるので,追って〔近日中にホームぺージを製作し〕紹介することとしたい。また,つぎの図書は,石原慎太郎という人物の危険性を1年まえ〔石原が都知事に当選したその時〕に,警鐘を発していたものである。

 F 古舘 真『「NOと言える日本」への反論』明窓出版,平成11(1999)年4月14日。


 G 三宅明正・山田 賢編著『歴史の中の差別−「三国人」問題とは何か−』日本経済評論社,2001年は,「第三国人」なることばは,敗戦後の日本で,いつ・どのように使用はじめられたか説明する(以下,同書,27-28頁,33頁参照)

 旧占領軍は,非日本人(Non-Japanese Nationals)をつかっており,「第三国人」ということばは,GHQ/SCAPの用語ではない。この用語を最初に用いたのが誰であるかはわからないが,日本がわの用語であることは疑いない。そして,「第三国人」の用語を流布するうえで決定的な役割をはたしたのは,1946年初夏ごろからの新聞報道であった。

 石原慎太郎が青少年時に,そうした新聞報道によって,旧植民地出身者に対して非歴史的で歪んだイメージを植えつけられた,と推量できる。  


 【後記】3) 2004年6月6日,本論に「若干の加筆」および「資料の補足」をした。

 警察庁当局は,21世紀に入り日本国内で「外国人犯罪が増加している」という悪質な『デマ:誤報』を捏造,垂れ流した。だが,それを吟味せず,鵜呑みにしたのが「新聞・テレビ・雑誌などの報道・マスコミ機関」である。

 本論でも,1999年までは資料(数値)を添えて説明された論点だが,さらに2002年までの資料(数値)も追加・分析した「外国人犯罪増加」論の無根拠性は,たとえば,つぎのホームページが具体的に説明している。

 @ 「“日本型犯罪報道”という罪−『外国人犯罪増加』報道の欺瞞,あなたの信ずる『治安対策』は間違っていませんか?−」
  
http://www.aurora.dti.ne.jp/~osumi/hrmedia/jcr03.html 
 
 
A 「外国人差別と闘う−『来日外国人』及び『不法滞在者』の犯罪データ(刑法犯検挙人員)からみえる外国人犯罪の実像−江藤〔隆美〕議員の『暴言‐差別発言』への批判のための基礎資料として−」中島真一郎,2003年10月29日
  
http://www.geocities.jp/kumstak/eto.html