2001年11月1日「靖国参拝」訴訟 な に が 問 題 か ? ●
問題の大前提になる話 ● |
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『毎日新聞』2001年5月3日朝刊は,こういう報道をしていた。
[保守地盤で何が・3]靖国効果, 2001年4月24日におこなわれた自民党総裁選は,小泉純一郎 298票,橋本龍太郎 155票,麻生太郎 31票という結果,小泉を日本国首相の地位に据えさせることを選んだ。 その「自民党総裁選で靖国神社公式参拝が争点となった。小泉(純一郎首相)さんが『絶対やる,遺族会にも伝えてほしい』と電話をかけてきた。小泉さんなら勇気をもってやってくれる」。 2001年4月27日,浦和市(現さいたま市)で開かれた日本遺族政治連盟埼玉県大会は,参院選比例代表で日本遺族会が支援する尾辻秀久自民党参院議員らのお披露目が目的だったが,主催者,来賓からは小泉首相の靖国参拝発言を歓迎するあいさつがつづき,「靖国参拝を実現する決起集会」とみまがうばかりの熱気だった。 日本遺族会は,総裁選で前遺族会会長の橋本龍太郎元首相を支援した。しかし,参加者の一人はこう語った。「橋本さんは不況のイメージが強すぎた。小泉さん,いいじゃないか。自民党のカブもあがっているしね」。 戦没者遺族でつくる日本遺族会(104万世帯)は,旧全国区時代から毎回,候補を擁立してきた。旧全国区最後の1980年参院選では93万票をかき集めて板垣正氏(1998年引退)を国政に送りこみ,いまも政治連盟に自民党員11万人をかかえる有力な支持基盤である。 1960〜1970年代には,靖国神社国家護持をめざす法案を自民党に働きかけ,5回,国会に提出させたが挫折した。その後,政治運動を終戦記念日(8月15日)の首相の靖国公式参拝に切りかえ,歴代内閣にせまってきた。 −−長期的な超低金利政策は,年金受給者の生活を圧迫している。国による「英霊奉賛」も,1985年の中曽根康弘元首相による終戦記念日公式参拝を経て,11年ぶりにはたした橋本元首相の参拝も,中国などの反発をうけ,その後は実現していない。 軍恩連盟全国連合会(軍恩連,60万人)も,同じ悩みをかかえる。大戦を生きぬいた旧軍人と家族を対象とする軍人恩給受給者の集まりで,旧中曽根派→旧渡辺派の系譜をたどる。参院選では,比例代表で元五輪体操銅メダリストの小野清子氏をはじめて本格支援する。 総務省によると,1953年に復活した軍恩の受給者は,1969年度の262万人をピークに漸減し,2000年度は145万人まで落ちこんだ。受給者の半数は配偶者で,本人は30%にすぎない。平均年齢も80.6歳と高齢化がいちじるしい。 自民党員数は,日本遺族政治連盟より多い15万5千人だが,1998年参院選では軍恩連副会長の藤本良爾氏(名簿順位20位)を落選させる憂きめにもあった。「元軍人だからみんな元気はいいが,今回の制度改正で運動量が勝負となる。実際どこまで動けるかはわからない」(軍恩連幹部)と,不安を隠さない。 こうした閉塞(へいそく)状況に一石を投じたのが,小泉首相の登場だった。 総裁選で,靖国公式参拝の実現を明言した小泉首相は,遺族会や軍恩連幹部にこの意向を伝え,支援を要請した。 総裁選時には「パフォーマンスに過ぎない」とみていた日本遺族会も,「小泉効果」への期待感が膨らみつつあるのが事実である。 →http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/koizumi/200105/03-16.html より。
小泉純一郎は,自民党総裁選に勝ち総理大臣になりたいがため,つまり,自分の利害のために「靖国神社参拝」約束を支持者〔の獲得〕に向けて意志表示したのである。 要するに,小泉の言説と行動は,単なる選挙〔総裁選〕目当てのものだったといえる。 彼は,意識的と無意識的とを問わず,日本国内外における政治状況に多大な悪影響をおよぼすほかない〈靖国問題をめぐる困難な政治状況‐環境要因〉をいっさい無視し,ただ政治家的な自己の欲望を達成するにさいして,そうした言説と行動を採ったのである。 つまり,小泉純一郎の自民党「総裁選立候補=当選」は,自分の権勢欲,いいかえれば「自民党をぶっこわす!」というもの〔→ 2003年11月30日現在の時点では,いまだなにも実現されていない空虚なそれ〕はさておき,特定の「政治的利害」にあからさまに制約されており,いわば「足かせをはめられたもの」だったことになる。 −−筆者は,この枠内〔冒頭〕の文章を,2003年11月29日に追補している。 小泉純一郎は,自民党総裁選での当選をはたすためわざわざ,国内外に問題を発生させる,国際政治的次元で騒動:摩擦・軋轢をかもしだす愚策を投じたのである。 −−以上の問題については,菅原伸郎編著『戦争と追悼−靖国問題への提言−』(八朔社,2003年7月)の参照を薦めておきたい。 過去の経緯からみても,8月15日に日本国首相の小泉純一郎が靖国神社に参拝にいくとしたら,東アジア諸国から確実に問題視され,きびしい批判をうけることも必定であった。 そこで小泉は,毎年8月15日を避け,ほかの日に靖国にいったのである。日にちをかえればいいだろう,と考えるような姑息な宗教的行動のなかには,彼の政治家的立場のよろめきぶりがうかがえる。 小泉はそれでも,「熟慮に熟慮を重ね」,「近隣諸国に配慮した」靖国参拝だといいわけしていた。だが,もともとの事情からして,無理のありすぎる「熟慮」や「配慮」であった。「そもそもの困難・矛盾」は,そこにあった。 小泉はそのように,2001〜2003の各年,8月15日以外の日に靖国にいった。当然のこと,そのたびに中国や韓国からは,おおきな声で強い批判が挙がる。 彼がいつ,靖国にいこうと,問題の本質にかわりがあるわけでない。それでも彼は,九段にいく。問題は深刻化するばかりである。 小泉の靖国参拝は,自身の総裁選を支持してくれた日本遺族会や軍恩連盟全国連合会(軍恩連)対する当選御礼〈参り〉なのである。その意味で,自分の利害・損得に対する義理堅い行為である。
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2001年11月1日『在韓遺族ふくむ700人が首相の靖国参拝を「違憲」と提訴』 2001年11月1日新聞夕刊は,以下のように報じた。 1) 小泉純一郎首相の今夏の靖国神社参拝に対し,韓国に住む旧日本軍人・軍属の遺族らをふくむ計約700人が2001年11月1日午前,国と首相・靖国神社を相手に,参拝が違憲であることの確認や,今後の参拝差しとめを求める訴訟を大阪,松山両地裁に起こした。 同日,午後に福岡地裁でも約200人が提訴する。「参拝は憲法が禁止する宗教的活動に当たる」と訴えている。 2) 訴状によると,大阪と松山の原告はいずれも,被告3者に対して違憲の確認と,「それぞれの立場で戦没者への思いをめぐらせる自由」を侵害したとして,原告1人あたり1万円の慰謝料を請求。 小泉首相に対しては総理大臣としての参拝のとりやめ,靖国神社に対しては総理大臣としての参拝をうけいれないことを求めている。 3) 大阪地裁に提訴した「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団」(約640人)には,靖国神社に合祀(ごうし)された人の遺族ら約120人が韓国から参加した。 松山では約60人の原告にくわえ,高松市と松山市にある真宗大谷派の寺院が法人として参加した。 4) 首相の靖国参拝をめぐる訴訟で,原告に韓国の遺族がくわわるのは初めてだ。宗教法人の靖国神社を被告とするのもこれまで例がない。 原告らは,政教分離原則を定めた憲法20条が「いかなる宗教団体も国から特権をうけてはならない」と明記していることを踏まえて,靖国神社も被告にした。 同様の訴訟は千葉,東京でも市民団体が12月の提訴をめざしている。5地裁合わせると原告は1,000人を超すみこみだ 5) 靖国神社への首相の参拝をめぐっては,1985年に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝したのち,日本人遺族や宗教者らが国と元首相を相手にした3件の損害賠償請求訴訟を起こした。 いずれも請求は退けられたが,1992年の大阪高裁判決は「公式参拝は宗教的活動にあたる疑いが強く,憲法に違反する疑いがある」と判決理由のなかで述べている(『朝日新聞』2001年11月1日夕刊)。 『「話にならんね」 違憲提訴受け 小泉首相』 小泉純一郎首相の今夏の靖国神社参拝が違憲だなどとして,在韓の旧日本軍人の遺族らが大阪地裁などに提訴したことについて,小泉首相は11月1日,首相官邸で記者団に「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」と語って,強く批判した。 また,福田康夫官房長官も同日午前の記者会見で,提訴について「そういうことを言って,小泉純一郎の信仰の自由を妨げるというのは,それこそ憲法違反じゃないですか」と。 さらに,福田長官は「どこが憲法違反になるんですか。総理大臣である小泉純一郎が参拝したんですよ」と語り,政教分離を求めた憲法には違反しないとの認識をしめした
(同上) 。 |
本当に『話にならない話』か? 1) 小泉首相は上記のように,自分の行動:靖国神社参拝に対して「今回の提訴」をおこした人たちを「話にならんよ」と一蹴した。 はたして,日本の首相の靖国神社参拝を違憲だと訴える人々の主張が,どれほど無理・無体をいったというのか。これに関してはむしろ,小泉自身が論理的に〔当然また歴史的にも〕反証する必要がある。その理由を,以下に説明しよう。 2) 中曽根康弘元首相による1985年8月15日の靖国神社参拝以降,日本の首相はこの神社に参拝してこなかった。小泉の念頭には,この事実〔史実〕に関する前提の知識がない〔か,あるいは無視する〕。いずれにせよ,日本は過去15年間,アジア諸国からの批判などを配慮し,首相の靖国神社参拝を控えてきたのである。 なぜか? −−1980年の日本政府統一見解では,靖国神社参拝は「宗教的な活動」であることを認めたうえで,「公式参拝」すなわち,首相・閣僚としての資格でおこなう参拝は「違憲ではないかという疑いをなお否定できない」とし,「差し控えることを一貫した方針としてきた」ことを明確にした。 しかし1985年,戦後40周年に当たり,中曽根首相は靖国神社に参拝した。それは,中国とのあいだでおおきな外交問題に発展し,問題をさらに複雑にすることになり,国内の憲法の政教分離の原則をもあいまいにする結果をともなった(船橋洋一編『いま,歴史問題にどう取り組むか』岩波書店,2001年,171頁)。 すなわち,今回の靖国参拝提訴と,小泉首相〔は無論のこと中曽根首相など〕の靖国神社参拝に対する中韓両国の批判とは,基本的に共通しており,同根である。 ところが,靖国神社参拝に関する今回の違憲提訴は,小泉純一郎という日本の首相にとって,もっとも苦手で認識の不足の,いわば彼にとっては完全に空白の精神空間〔!?〕をめぐって,おこされたものである。 小泉純一郎はそのせいか,「靖国参拝」訴訟をとおして問題が提起された靖国神社の本質を,まったく理解できていない。 3) だから,裁判をおこしてまで,日本国首相「靖国参拝」問題の焦点=核心を明らかにしようとする人たちの〈訴え〉が,すんなり彼に分かるわけがない。実のところ,「話にならんよ」といわれるべき対象は,小泉本人なのである。 ましてや,なにをどのように考えたのかわからぬが,自分〔=日本の首相〕の靖国参拝を提訴した人々を指して,「おかしい人たちが世の中にいる」などと,うっかりにもいってのけた。これは,他者をやみくもにおとしめるようなものいいであり,要注意である。それは,一国宰相が軽率に口にすべき文句ではなかった。 4) ここで,小泉流の理屈:自分の「靖国参拝を提訴するのは話にならんよ」を,さらに敷衍させて考えてみよう。 今夏「靖国参拝」に対して,中国と韓国から出された(15年まえとまったく同じ)批判〔「日本におかしな首相がいる」〕に応えて小泉は,2001年10月8日と15日それぞれ日帰り旅行で,両国の首脳に対する「心からの反省とお詫び」の訪問外交をした。 しかし,政治家としてのこの小泉の行動「中韓訪問」と,靖国参拝を提訴した人々に向けて発せられた小泉:「おかしい人たちが世の中にいる」の発言とは,どうしても平仄が合わない。 こういうことである。日本首相=自分の「靖国参拝を提訴する」ような「おかしい人たちが世の中にいる」といった小泉の発言にしたがうならば,小泉首相の「靖国参拝を批判した」中国の江 沢民主席や韓国の金 大中大統領も同様に,「おかしい人(首脳)たちが〔アジアという〕世の中にいる」と非難しないことには,筋がとおらない話ではないか。 中韓両国首脳が小泉「靖国神社」参拝に提示した政治外交上の「批判」は,国家代表者同士のやりとりであった。それゆえ「この批判」は,「今回の靖国参拝提訴」とはまたちがって,直接的に,いっそう重たい問題を意味していた。だからこそ,「その批判」をうけた小泉首相はすぐ中韓両国に飛んでいき,申しわけをしてきたのではなかったのか。 5) 福田康夫官房長官は,「今回の靖国参拝提訴」は「小泉純一郎の信仰の自由を妨げる」ものだ,と断定した。 だが,この理屈を拡延すれば,中韓両国首脳の「靖国参拝」批判は,日本国家に対するお門ちがいの内政干渉そのものだと,猛烈に反発すべきでところではなかったか。しかし,このほうの反応は皆無だった。摩訶不思議というか,なにか全然一貫しない〈官房長官〉の評言(コメント)である。 とりわけ,日本国首相:公人が遵守すべき憲法条項「政教分離」の原則に,小泉純一郎個人に固有の権利である「信仰の自由」を絆創膏として当てて隠そうとする「珍妙な詭弁」は,いかにもいただけない。そして,それを根拠にした官房長官の他者批判など,完璧に〈的はずれ〉である。 もっとも,2001年8月13日の日本首相の「靖国参拝」が,個人の「信仰の自由」にもとづく宗教行為と確信するならば,内政干渉もはじめから問題外であったし,中韓両国からの批判も生じることはなかったはずである。 しかし,靖国神社にまつわる諸問題:歴史的因縁は,そんな簡単なものではないから,なにかと問題がおきるのである。 抽象的にいおう。「同じ批判」をくり出してきた相手方に対して,一方はまともに応対し,他方は相手にもしないで捨ておくのは,身勝手というものである。たしかなのは,一方は「一国の公的な代表者」であるが,他方は「私的個人の集団」であることであった。 そういえばこの福田康夫官房長官殿,いつだったか記者会見の応答のなかで,「こわだか〔声高〕」を「コエだか」といっていた。これを聞いて,ガックリきた。 −−閑 話 休 題 。 6) 小泉首相の靖国参拝を契機に日本の政治社会に,よりいっそう強く漂うことになった,当該の「論点をあいまいにし,本質を回避,棚上げする姑息な精神」,いいかえれば「問答無用」の「論議を好まない性向」が問題である。 毎年8月15日「敗戦の日」,靖国神社を参拝するのが日本の首相〔および閣僚など〕の宗教的責務であり,日本の政治家として当然の行為だという慣行をつくるための「地ならし」作業が,今夏の靖国参拝「行動」だったのか。 しかし,それにしても,「政教分離の原則」などどこ吹く風といわんばかりの姿勢を,小泉の精神:行動にみてとるのは筆者だけだろうか。 ご当人の口ぶりを観察するに恐らく,「単純で素朴な〈日本民族〉的感情にもとづく宗教的気分の発露」で靖国参拝にいった,とうけとめることもできる。 7) アジアという〈他者〉への感受性の欠如は,なにも小泉ひとりだけの問題ではない。より多くの日本人のなかで,そうした他者の不在はごくごく自然に,分かちもたれてしまっている。そこにこそ,ナルシスティックな「ナショナルなもの」がはらむ,根深い問題が潜んでいる(阿部 潔『彷徨えるナショナリズム』世界思想社,2001年,216-217頁)。 日本は21世紀において,対米一辺倒の戦後史から欠如していた,アジア間交流の不充分さを熟慮しつつ,グローバル化の問題に対処していかねばならない。そこで問いなおされるのは,20世紀前半までの日本の歴史であり,その総括のしかたである(永岑三千輝『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社,2001年,473頁)。 8) 現日本国総理大臣小泉純一郎は,その総括のしかたをいかに心えているのか。今回の靖国参拝と,この問題をめぐって生じた彼の発言を聞いてみて,その不可解さ:自己矛盾=「話にならない話」を,以上の記述で指摘してみた。 |
澤田洋太郎『歴史教科書 あなたはどう考える』(エール出版社,2001年)は,こういうことを述べる。 靖国神社は,神道の祭儀で鎮魂をはかっている。だから,キリスト教徒の家族から抗議が出されている。しかし,靖国がわはそれをまったく無視してきている。 日本は「死者はすべて仏であり,罪は問えない」という考えかたを説く。だが,こういう説明は,ほかの国には通用しない。 とりわけ,現職の閣僚の靖国神社参拝は,「戦争犯罪をおおい隠し,過去の罪を故意に認めない軍国思想の示威〔デモンストレーション〕」とさえ非難される。 この解説は,小泉首相が公式参拝で靖国神社にいくことの意味,換言すれば,国家的次元でのアジア諸国に対する犯罪的精神性の再発揚を教えている。 1945年8月まで日本の植民地や支配地域には,いたるところ「神社」の鳥居が建てられていた。以後,それらは一瞬にして消え去る建築物であった。 しばしば比較対照されるように,ドイツ第3帝国が敗戦にさいしてうけた,国家と国民〔民族〕の災難・悲惨に比して,日本のそれは結局,不幸中の幸いというべきか,まだまだ「穏便」に済んでいた。そのせいか,あの戦争の時代に懲りていない面々が大勢,戦後を生きのびてきた。 小泉純一郎は,そうした世代の人間ではないが,親の世代の,俗悪で無反省な精神構造をそのまま継承している。 |
−−1945年8月を満15歳で迎えたある政治学者は,その出来事を,こう回顧する。 1) 満15歳の私には確実に敗戦はあった。しかし〈降伏〉はなかった。それは,電灯をつけ,服をぬいで,空襲警報で起きなくてすむ夜の訪れを意味した。 2) その「敗戦」は,私たちにとって歴史上の初体験であり,それだけに敗戦は1人ひとりに強制された現実だったのである。 3) その歴史的強制を責任者たちは「一億総ザンゲ」で括った。それはつまり,この戦争の世界史的意義を1人ひとりで突きとめることからはじめるべき作業を不要とする,もうひとつの欺瞞化だったように思う。 4) その欺瞞化にくわえて,民主主義という当時の私たちには分かりようもないキーワードが氾濫し,文化国家が聳立(しょうりつ)した。 5) 東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印は,私たちに時代を画したのだろうか。「私たちは降伏したのだ」と確実に思わせたのだろうか。私にはそうした鮮烈な記憶はない。 6) ノッペラボーの敗戦感覚,意外と気楽になれた感覚は,私を打ちのめすはずはない。突然のように,女の人たちが立ち現われた。私のはるか後方にいたらしかった女の人たちが,急に私たちのまえにこちらを向いて立ちはだかった。世の中は男と女でできている,このあまりにも当然の事実が,敗戦によって,無知な少年に迫った。 7) 私たちが戦った太平洋戦争が「世界」戦争であったことの人類史的意味の確認であり,敗戦=降伏は,世界参加の起点であるとする歴史的理解である。そうした〈世界〉にとって,私たちは誤った存在であった。 8) その誤りをもたらしたものはなにか。それを徹底的に確実に突きとめ,その作業結果を戦後史に刻みこむことができたのだろうか。私にはそうは思えない。自由な批判精神すら磐石の基礎になりえていないのではないか,とする苦い想念にさいなまれる(ヒュー・バイアス,内山秀夫訳『敵国日本』刀水書房,2001年,〔訳者解題・あとがき〕208-209頁,213頁)。 −−いいかえるならば,あるいはこういうことではなかったか。 国民1人ひとりの戦争責任の自覚にささえられてこそ,さらにいえば,一国の政治の帰趨は自分たち1人ひとりの責任なのだという自覚に裏打ちされてこそ,民主主義はその実質をもつことができる。 日本の戦後民主主義の形骸化は,恐らく,大部分の国民がみずからの戦争責任に無自覚なまま,2千万人を越える他民族殺戮についての痛苦に満ちた反省をくぐることもなく,ただ漫然と「贈られた自由」をうけとめたところから出発している(藤沢法暎『ドイツ人の歴史認識』亜紀書房,1986年,79頁)。 −−前段,他民族2千万人「殺戮」という数字は,自民族3百万人の戦争犠牲者を当てたりして関連づけようとする議論を,峻拒するものである。 1970年3月31日,テロリストにのっとられた国内線旅客機〔日航機よど号〕に搭乗していて人質になった日本人乗客たちの〈命〉を心配した日本政府は,テロリスト〔ハイジャッカー:共産主義者同盟赤軍派を名のる田宮高麿以下8名〕のいいなりになり,その犯人たちを北朝鮮に逃がした。 ある日本の政治家は,こういった。「人間の生命は,地球より重たい」と。いうまでもなく,ヒトの「いのち」の大切さにおいていえば,自国人も他国人も,なんら差はないはずである。 小泉首相の靖国参拝はたしかに,自国の戦争犠牲者3百万人を悼む気持の表明にはなりうるだろう。 だが,その気持は,あの戦争の犠牲者となった人々〔=日本軍人〕などのそのまた手にかかって,さらに死に追いやられ〈犠牲者〉となったアジア各国2千万人の犠牲者を,もののみごとに無視している。 それだけではない。2001年8月13日における小泉の行動は,すなわち,過去日本のアジア各国に対する侵略を当然視し合理化する宗教精神をもった「神道神社:war(military)shrine」への参拝であった。 小泉首相は,在韓の旧日本軍人の遺族や日本人の宗教関係者が,「そうだからこそ」「小泉首相の靖国神社参拝」を違憲だとして各地裁に提訴したことに対して,「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」と語って強く批判したのであるが,けれどもそもそも,その「話」の前提となるべき歴史的出来事の認識に関していうならば,小泉は「もう話にならん」ほどの粗雑さを暴露したのである。 |
関係者の意見を聞く:あなたは「どう考えるか」 以下は,2001年11月初め(1〜3日)に報ぜられた新聞記事を参照した論述である。 −−韓国の旧日本軍人・軍属の遺族らが,小泉首相の靖国参拝は違憲だとして起こした訴訟について,「世の中おかしい人たちがいるもんだ」などと感情的ともいえる反応を当人がしめしたことに,野党などからも反発が出ている。 一方,首脳会談でなんとか修復しつつあった日中・日韓関係を,再び刺激しかねないとの懸念もある。他方,今回の提訴は,最近の小泉政権がわにわだかまる不満を噴きあがらせ,小泉に「世の中おかしい人たちがいる」といわしめた。 日本の首相である小泉純一郎のその発言に対しては,関係方面より各種の反発・反論が提起されている。 1) 提訴した原告たちは,こう言及している。 @ 日本の首相の「靖国参拝」を憲法違反だと提訴した旧日本軍人・軍属の遺族らは,「おかしい人たちがいる」,「(小泉個人の)信仰の自由の妨害」などと,小泉〔たち〕にコメントされたことを,こう非難した。 「侵略された韓国の被害者を侮辱する暴言だ」。 「信仰の自由を妨害しているのは,われわれの家族を勝手に靖国に合祀し,取り下げる自由も認めない日本という国家のほうだろう」。 「A級戦犯とともに祀られ,加害国の首相の参拝をうけては,父が侵略に加担していたとしかうけとめられない」。 「靖国参拝がアジアの被害者の気持をいかに逆なでしているかを,日本の政治家はどうしてわからないのか」。 「軍国の象徴の靖国に祀られるなんて,迷惑このうえない。だから原告となった」。 B 松山で提訴した訴訟団の釈氏(きくち)政昭原告団長は,「自分への批判に答えずに〈話にならん〉では,それこそ話にならない。なぜ,われわれが違憲だと訴えるのか,憲法を勉強したうえで理解してほしい」と反論する。 C 愛媛玉串料訴訟の原告団長でもあった松山市の僧侶,安西賢二は,「首相は靖国問題が国家の根幹にかかわる非常にデリケートな問題であることをよくわかっているはずである。〈たいしたことじゃない〉という印象をもたせて,問題の本質をごまかそうとしている」とみる。 2) 野党がわの関係者は,つぎのような批判をしている。 @ 民主党政調会長岡田克也は,「裁判を求めるのは基本的な権利だ。一国の首相として中身を充分検討したうえでのことだと思うが,そういうコメントを出すのは軽率のそしりは免れない」と述べた。 A 民主党幹事長菅 直人は,予算委員会で小泉首相に「首相はひとつの〈国の機関〉だといった。いわゆる公式参拝は国の機関による宗教活動に当たるかと質問したが,首相は逃げの答弁で答えていない。中曽根内閣は宗教活動にならない形式で参拝するから〔宗教活動に〕当たらないと逃げを打ったが,小泉首相はそれも答弁ではいっていない。国の機関がおこなうのを禁じているかどうか,裁判所に判断してもらうのは当然だ。きわめてまっとうなことをされた人たちに対し,根拠なく批判するのはまったくおかしい首相だ」,と批判した。 B 社民党の福島瑞穂幹事長は,「小泉首相の靖国参拝には賛否両論あり,アジアの国々も抗議した。それをうけて裁判というかたちをとった人に対し,『おかしな人がいる』とはひどい」と批判した。 3) 憲法学の研究者は,こう言及する。 小泉首相の「おかしい人たちがいる」という発言は,人権感覚や人権を保障する司法権の存在意義への認識が希薄であることをしめすもので,驚いた。違憲・合憲に関係なく,やることはやるんだという姿勢で,それが国際的にどううけとめられるか,という認識も欠けているのではないか。 4) 新聞の「解説」欄は,こう論説する(『朝日新聞』2001年11月1日夕刊)。 小泉首相の靖国神社参拝は,原告らには,これまでの司法判断をないがしろにしたものと映った。 首相の公式参拝など,宗教法人の靖国神社をめぐる裁判では,憲法20条の政教分離原則に照らし,1992年の大阪高裁判決などで違憲の疑いが指摘されているからである。 靖国神社の「みたま祭」に公費支出した玉串料をめぐる「岩手靖国訴訟」で,仙台高裁は1991年,公式参拝について「宗教的意義をもち,靖国神社の活動を援助する効果がある」として,はじめての違憲判決をしめした。 1985年,中曽根康弘元首相の公式参拝の違憲性を争った訴訟でも,福岡・大阪高裁が判決理由で違憲性に触れ,確定している。 今回,靖国神社もはじめて被告になる。弁護団は「憲法の政教分離は本来,国家神道やその中核だった靖国神社と国との関係を絶つために設けられたはずだ」と話し,靖国神社が戦争遂行にはたした役割を問題にする構えである。 裁判では,憲法の政教分離の原点を問うことになる。 −−以上の内容は,筆者が論じてきた問題点,すなわち,日本国首相小泉純一郎の乱暴な感性,他者を没論理の淵へ追いやろうとする狼藉ぶりを指摘している。 自民党の政治家を中心に,「日本は過去,アジアの国々にいいことをしてきた」などと,平然とのたまう固陋な人士もまだ多く生存している。 けれども,彼らとはまたちがって小泉は,「アジア軽視の感覚・思想をもっている」。それは当然,アジア〔と日本〕の歴史意識に「無知・無関心・無神経なもの」である。 「無知:8割」 ×「既知:2割」 からなる「生半可で異様な混合的知識体」が,小泉の脳細胞のなかでは駆けめぐっていると,いいなおしておきたい。 小泉純一郎の国際感覚は,アジアに向けられる眼差しにおいて,確固たる一定の視座を構築しつつさらに,それをささえるために必要な基礎を,どこにも用意できていない。 |
筆者のひとつの結語 2001年8月13日「靖国神社:参拝」前倒し〈決行〉にさいしては,事前によくよく「熟慮に熟慮を重ねた」小泉純一郎首相であった。 ところが,今回の靖国参拝「提訴」問題に対してその小泉が即座に返した評言「話にならんよ!」は,「軽率」「迂闊」どころか,「浅慮」の一言につきる。さらにいうならそれはむしろ,「無配慮・無分別」で「粗雑・乱暴な応答」であった。 一国の宰相である人物のばあい,「政治家としての自分の言動」には絶えず,十二分に留意していなければならない。 というのも,国の最高責任者として言説は,どのようなものであれ非常に重く,意味深長である〔はずだ〕からである。したがって,自身の発する言辞は,そのひとつひとつにおいて,慎重かつ用心に越したことはない。 小泉純一郎は,日本の首相である。だから,いつも「熟慮に熟慮を重ねて」言動する人物であるべき「資質と条件」が強く要求される。その意味では,今回〔11月1日〕の発言で答えた内容は,それこそ,首相の失態=〈失格・落第〉と断じられるほかない〈無鉄砲さ〉であった。 −−靖国神社参拝を違憲として訴訟を起こした各原告団は,このたび小泉首相の発言「話にならんよ!」に対して,「異なる意見を許さない排除の思想であり,許すことはできない」とする抗議声明を,ファックスで首相官邸に送った。 その声明は「裁判をうける基本的人権に対する侵害であり,行政府による司法の侮辱だ。発言は辞任に値する」と訴えている(『朝日新聞』2001年11月7日夕刊)。 |
つぎの論評は,高校生(15歳)が語った小泉〈観〉である。 原告の人たちは,政教分離という憲法の規定に照らし,首相の参拝に国民の1人として疑念をもったのだ。それなのに「話にならない」とは。司法制度と民主主義を否定しようというのだろうか。 首相は,原告や国内外の参拝反対派の心情をまったく理解していないようである。首相には,大胆さのなかにも,公人らしい落ちついた発言を求めたい。 首相はまず,参拝を快く思わない人々が多くいることを認めるべきだ。そして,法廷で市民と向き合い,正々堂々と自分の意見を述べてほしい(『朝日新聞』2001年11月4日朝刊「声」欄)。 高校生に意見されねばならないような一国の首相は,かなり要注意というべきか。要は,イエローカード! |
首相・都知事の靖国神社参拝は違憲,東京でも提訴 2001年8月の小泉純一郎首相と石原慎太郎都知事の靖国神社参拝は,「政教分離の原則」や「信教の自由」を定めた憲法に違反するなどとして, 2001年12月7日,首都圏を中心とする約244人・団体が小泉首相や石原都知事を相手に,1人当たり3万円の慰謝料などを求める訴訟を東京地裁に起こした。 小泉首相の参拝をめぐる訴訟は,大阪地裁などにも提起されたが,今回は石原都知事も対象とした。 訴状のなかで原告らは,小泉首相と石原都知事は参拝の記帳に肩書を記入するなど,「公式参拝」に当たると指摘。 そのうえで,精神的苦痛に対する慰謝料のほか,公式参拝を禁じる法律を制定しなかった国の不作為の違憲確認なども求めている(『日本経済新聞』2001年12月7日)。 −−この靖国神社参拝違憲訴訟〔4件目の訴え〕は,「1人当たり3万円の慰謝料などを求める訴訟」であることに留意すべきだろう。つまり,きわめて少額の慰謝料請求に象徴される意味をみてとるべきである。 首相靖国参拝:戦没者の遺族らが「憲法違反」と提訴 千葉地裁 2001年12月12日,小泉純一郎首相が靖国神社を参拝したのは憲法違反だとして,千葉県内の戦没者の遺族やキリスト教徒,真宗大谷派の僧侶ら40人が,小泉首相と国を相手どり,1人当たり10万円の慰謝料を求める訴訟を千葉地裁に起こした。 訴状では,小泉首相が今年8月13日におこなった参拝について,公用車をつかい,「内閣総理大臣」と記帳していることから,公務による参拝であると主張。 「憲法に定められた政教分離に違反し,信教の自由も侵害する」としている。 一連の違憲訴訟について,福田康夫官房長官は11月1日の記者会見で,憲法上なんら問題はないとの見解をしめしている(『毎日新聞』2001年12月13日朝刊)。 首相「おかしい人」発言に対して「心に傷」と45人が提訴 大阪地裁 2001年12月25日,小泉純一郎首相の靖国神社参拝の違憲確認などを求めた訴訟について,首相が「おかしい人たちがいるもんだ」と発言したことに対し,大阪・松山・福岡の各地裁に提訴した原告のうち,在韓遺族6人をふくむ計45人が,首相と国を相手に,1人当たり5万円の損害賠償と日韓両国の新聞での謝罪広告掲載を求める訴訟を,大阪地裁に起こした。 原告は,小泉「首相の発言は人格に対する攻撃で心に深刻な傷をうけた。憲法の保障する裁判をうける権利も侵害するものだ」と訴えている(『朝日新聞』2001年12月26日朝刊)。 |
その後の報道(続1) 2002年1月4日小泉首相・伊勢神社参拝 2002年の新年を迎えて,小泉純一郎首相らは1月4日,伊勢神宮に参拝した。 筆者は,靖国神社参拝と同質の問題性を基本的に包している,日本国首相の伊勢神宮参拝というこの〈宗教的行為〉を重大視する。その理由は,以下に引用する新聞記事などをとおして明らかである。 @「小泉首相,伊勢神宮を参拝,6閣僚が同行」 小泉首相は1月4日昼,三重県伊勢市を訪れ,伊勢神宮を参拝した。首相の伊勢神宮参拝は新年恒例の行事で,扇 千景国土交通相や平沼赳夫経済産業相ら6閣僚が同行した。 首相は,外宮(豊受大神「とようけのおおかみ」),内宮(天照大神「あまてらすおおみかみ」)を参拝したのち,神宮司庁で記者団のインタビューをうける。同日夜に帰京し,官邸で開く新春記者会見で,今年取りくむ政策課題を明らかにする。 A 小泉首相いわく; 「首相として新年を迎えたが,伊勢神宮でなにを願ったか」というと,「今日の天気のように,穏やかで平和な年であってほしいなと,そう思っています」。 B「伊勢神宮とはどんな性格の〈神宮〉か」 「〔伊勢〕神宮では年間千数百回ものお祭りがおこなわれています。第10代崇神天皇の御代までは皇居内で天皇御自身が直接,天照大御神をお祭りされていましたので,神宮のお祭りの本義は天皇が親しく大御神をお祭りされるところにあります。ご神徳を称え奉り,ご神恩に奉謝されるとともに,国家の隆昌と国民の幸福をお祈りされるのです」(冒頭〔 〕内補足は筆者。つまり,伊勢神宮は自宮のことをただ「神宮」とよぶ)。 −−さて,日本の民主主義制度によって選ばれた政治家たちの総代表,いいかえれば「日本の元首」である小泉純一郎が, ◎ 天皇家の初代先祖といわれる「天照大神」〔歴史的実証的な根拠はなく,それこそ「神話のそれ」〕「豊受大神」を内宮‐外宮に祭る伊勢神宮に参拝し, ◎ その神徳・神恩を称賛・感謝しながら, ◎ 日本「国家の隆昌と国民の幸福を祈り」, ◎ 今年を「穏やかで平和な年であってほしい」 と祈願することの,「宗教的行為性」=「政治的な意味合い」を考えねばならない。 というのは,日本神道の宗教施設:伊勢神宮に参拝する「日本の元首」の「以上の行為」は,もののみごとに,政教分離の原則に違反しているからである。 −−伊勢神宮ホームページの表紙には英語表記で “religious corporation” としるし,「宗教法人」であることを明示している。このように伊勢神宮の物的施設は,神道方式のもののなかでも日本を代表する宗教上の建築物であって,また「本義は天皇が親しく大御神をお祭りされるところ」でもある。 しかも,日本の首相にとって,「伊勢神宮参拝は新年恒例の行事」であることが報道されていた。 天皇の先祖〔皇祖(皇宗)〕に祭礼する行為は,完全に神道流の儀式である。この宗教的な拝礼儀式はいま在位中の天皇に対しても〔死んだあとは神格化されるゆえ〕,引きつづいて事後,次代に即位する天皇からも差しむけられることになる。 なぜならば,皇祖→皇宗〔歴代の天皇,最近では明治・大正・昭和〕→平成天皇へと,つながるものだからである。 結局,伊勢神宮に参拝する行為は,現天皇もいずれ神様あつかいされ,拝礼の対象となることを予定するのである。 秦 郁彦『現代史の争点』(文藝春秋,2001年8月)は,敗戦〔1945年8月〕の翌年,昭和天皇が「年頭の詔書」をもって,いわゆる人間宣言:「神格否定」をした出来事に関連して,こう記述する。 神社本庁は当時,神道の教義では天皇はいまも〈現人神〉なので,「人間宣言」はこまるという観点から拒否しとおした(同書,119-120頁)。 −−そこで,2002年1月17日,神社本庁のホームページをのぞいてみた。以下のような記述に出会った。 1)「私たちのくらしの背後には,常に天皇さまのお祭りとお祈りとがあります。こうしたお祭りとお祈りがあればこそ,私ども国民の生活が今日のように豊かに,そして国の発展とがもたらされてきたといえましょう」。 2)「神々は,個々の神名にその神徳が表わされ,皇室の御祖神(みおやがみ)と仰がれる天照大御神(あまてらすおおみかみ)という太陽にもたとえられる広大無辺の神格を中心に,その世界を形成しています」。 3)「日本には,天照大御神(あまてらすおおみかみ)をまつる伊勢の神宮をはじめ,たくさんの神社が鎮座しています。それぞれの神社は,創祀以来その地に住む人々の崇敬を集め,祭り等を通じて常に地域社会と関わり,今日に至っています」。 1)は,天皇・天皇制中心に政(祭りごと)がおこなわれてこそ,この国:日本が存立するという。 ならば,最近日本における,「デフレ・スパイラル」型の深刻な不況:不景気模様も,天皇さまの〔「お祭りとお祈り」がうまくいかない〕せいにしたくなる。 いずれにせよ,天皇さまの「お祭りとお祈り」の効果が,いかほどに〈あらたか〉であったのか,どうもおぼつかない点である。 「生き神さま」のいる国,「大和魂:精神」を与えられたこの日本が「戦争に敗れるわけがない」,と信じるようにしむけた宗教がまさに,伊勢神宮を代表とする「国家神道」だった。だが,帝国日本は完敗した。 2)は,神道のくりひろげる宗教的世界観を説明する。しかし,神道の信仰をうけつけない人々にとってそれは「鰯の頭も信心から」である。 3)は,日本各地に散在する地域神道が,国家神道:伊勢神宮とともに秩序づけられているかのように説明する。また,日本社会のなかに多種多様に存在する,神道以外の諸宗教を度外視したかのようにも修辞する。それには〈意図的な解釈:無視〉がふくまれている。 −−なかんずく神社本庁は,伊勢神宮的な神道「宗教」でもって,日本という国全体を精神的におおいつくしたいらしい。 〈伊勢神宮の信仰様式〉は敗戦後,『国家神道』なる名称を占領軍に付されたわけだが,以前のそれは,人間でしかない「天皇」を「生き神」に祭り上げてきた。 しかも,「人間天皇→神になるべき者」という「確信=信仰=教義」を,いまなお抱いている《宗教法人》が「神社本庁」であり,その神道の基本的な信条である。 天照大神→昭和天皇まで全員〔人間〕が「神様」に昇華したと考える宗教意識がそもそも,似非(えせ)宗教的な観念の形態である。 国家的な神道の宗教観は,明治以降,日本が国家‐国民を効果的に統治支配し,アジアで帝国主義を展開するために仕立てられた観念的道具「神の国:神州日本」となった。 いまは,21世紀……。 民主主義政治においてその元首の地位にいる者が,神格化される予定者たち〔皇宗〕の最頂点に立つ「天照大神〔皇祖〕を祭る伊勢神宮」にすすんで参拝し,自国の政治・経済・社会の安定・発展を祈念するのは,民主主義の原点:本義:理念にもとる姿である。 ここでは,日本国憲法が第1条から第8条までを「天皇および天皇制」の規定に当てている事実に留意すべきである。 もう一度いおう。小泉純一郎日本国総理大臣の伊勢神宮参拝は,政教分離の原則に対する明白な違反である。 −−いまのところ〔筆者がこの項目を執筆している日時は,2002年1月6日正午ころだが〕,日本の言論機関のなかで,上述の問題を指摘するものは,まだない。 2001年夏の小泉首相による靖国神社参拝を問題にするのであれば当然,2002年新年の〔今年だけではないが〕伊勢神宮参拝も問題にすべきではないか。 いままさに,日本の難題=「聖域なき構造改革」にとりかかっている小泉首相が,伊勢神宮=「聖なる神道施設」に参拝,国家‐国民の発展・安寧を祈願し,平和な今後も期待するという構図は,なにか尋常ならざる「19〔前々〕世紀的な光景」ではないか。 小泉さんまさか,「聖域なき構造改革」を,神頼みの仕事にするわけではないだろうね。 要は,日本の言論界がこのまま,「首相の伊勢神宮参拝」に関してなにも言及も論評もしないのであれば,関連する報道方針のありかたは,釣り合いのとれていない,ずいぶんおかしな事態である,といわねばならない。 「社会の木鐸」としての役割を存分に発揮してほしい大手新聞社にも,「靖国神社」「伊勢神宮」の問題論及においては,明らかに限界がみられる。 |
その後の報道(続2) 2002年1月5日鳩山由紀夫民主党代表・伊勢神社参拝 2002年1月5日,民主党の鳩山由紀夫代表が伊勢神宮に参拝し,記者会見も開いて「日本を自分のなかに意識させていきたい」と語った。 また,前日に参拝した小泉首相と「べつに競争しようときたわけではない」。通常国会では首相と「対峙(たいじ)する」とも語った。 5年ぶりという伊勢神宮参拝は,昨年末のパキスタン,アフガニスタン両国訪問がきっかけとか。 鳩山代表いわく,「この国の政治,なにか美しさが欠けている。ギリギリのなかで生きている人たちを拝見すると,もっと日本は立派な豊かな美しい国になれるはずだ」と,しきりに〈日本の美〉を強調。 参拝客らの歓迎に「宇宙人ユッキー」のイラストをあしらった名刺を配り,上機嫌だった(『朝日新聞』2002年1月6日朝刊)。 なお「宇宙人ユッキー」のイラストは,つぎのホームページに登場する(↓勝手にリンクを貼った。下記アドレスの vol. 5 に出ている −−あわよくば,「聖域なき構造改革」路線を提唱した小泉純一郎政権と連立する野望をいだく「宇宙人ユッキー」ならぬ「鳩ポッポ」こと,民主党代表の鳩山由紀夫は,小泉首相が伊勢神宮を参拝した翌日に,自身もつづいて参拝にいくという演出(パフォーマンス)をおこなったのである。 日本経済・産業がデフレ気味の不況に低迷,呻吟する時期だからこそ,しきりに〈日本の美〉を強調したいのかもしれない。 だが,鳩山が「ギリギリのなかで生きている人たちを拝見する」といっても,いったい「経済的にどの生活水準の人々」をふまえて「ギリギリ」だと理解しているのか,もうひとつ不可解な面がある。 鳩山代表いわく「この国の政治,なにか美しさが欠けている」が,「もっと日本は立派な豊かな美しい国になれるはずだ」と。 筆者はふと思った。たとえば,ホームレス(路上生活)を余儀なくされている人々が,そうした鳩山代表の「美しい国」発言を,どう聞くだろうかと。 そこで,ホームレスの現状を調査してみた。 1) ホームレスの全国的な状況については,平成11(1999)年10月末現在で 20,451人となっており,前回調査(平成11年3月)の 16,247人に比して大幅な増加をみせている〔その後も急増しているものと推測される〕。 ホームレスの増加は,地方の主要都市や大都市近郊の市にも広がりをみせているが,主として大都市部を中心に増加している。 2) ホームレスの平均年齢は50歳代の半ばで,高齢者も相当数ふくまれており,また,野宿生活が長期化していることにともない,衛生状態の悪化や栄養状態が十分でないことなどにより結核の罹患者が発生したり,疾病などにより健康状態が悪化している者が多くなっている。このなかには,アルコール依存症,精神に障害を有する者などもふくまれている。 3) 大阪では,1990年代の経済不況により急激にホームレスが増加し,日雇労働者の寄せ場であるあいりん地域から全市的な広がりをみせている。 都市公園や生活公園等の公共空間にもホームレスが入りこみ,地域住民との摩擦が発生しやすい状況となっている。 また東京においても,河川敷や公園などを中心にホームレスが増加しており,地域住民との摩擦が発生しやすい状況となっている。 4) 最近では,若年層のサービス業従事者などからホームレスとなっている例も一部にみられ,従来のタイプとは異なったホームレスの出現を予想させる。 また,女性や家族のホームレスも,一部にみられる。 5) ホームレスのなかには,いったん病院や福祉施設に入院(入所)し,退院(退所)後において定住先をもてずに再び,路上に戻る例も少なくない。 → http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1203/h0308-1_16.html より。 エリート政治家,鳩山由紀夫の経歴を,以下に紹介しよう。 ・昭和22年(1947年)2月11日東京都生まれ。 ・祖父:鳩山一郎(元首相),父:鳩山威一郎(元外務大臣),弟:鳩山邦夫と政治家一家に育つ。 ・東京大学工学部卒業,スタンフォード大学博士課程修了。専修大学助教授として学者の道を歩んでいたが,昭和61(1986)年の総選挙において,旧北海道4区(現9区)から出馬して当選。 ・平成5(1993)年,自民党を離党して新党さきがけ結党に参加。細川内閣で官房副長官を務める。 ・平成8(1996)年,弟邦夫らとともに民主党を結党。菅 直人とともに代表に就任。 ・平成10(1998)年,民主党,民政党,新党友愛,民主改革連合の4党により(新)民主党が結党され,幹事長代理に就任。 ・平成11(1999)年,民主党代表に就任。 −−いまここで,鳩山由紀夫民主党代表〔や菅 直人現民主党幹事長〕の口から,靖国神社や伊勢神宮に関する公式見解を聞くことはできない。 しかし,鳩山代表も,伊勢神宮に参拝するという宗教行為の意味=「菊のタブー」関連問題を,あらためて深く考えなおす契機・理性をもちえないでいることだけは,たしかである。 2002年新春,めでたい正月を迎えたからといって,お屠蘇をいただくまえから〔もういただいたか?〕,したたか酩酊したかのような調子ばかりよい発言は,たいがいにしてほしいと感じる。 鳩山由紀夫の民主的な政治感覚が,伊勢神宮参拝という出来事を介して,現実的に問われている。 【補 記】 2002年12月に民主党代表を辞した鳩山由紀夫に替わって,菅 直人がその座についた。菅は,2003年1月4日,伊勢神宮参りをしていた。政治と宗教の関連問題は,なおつづく。
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● 島川雅史「現人神と靖国の思想」 |
● 三橋 健「靖国信仰の原質− 神道宗教の立場から靖国信仰の本質に せまる−」 |
● 奥平康弘 稿「『首相靖国参拝』に疑義あり」 |
● 石原慎太郎都知事の「DNA」発言−差別主義者の面目− |
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