島川雅史稿「現人神と靖国の思想」など−靖国の本質を探り,批判する

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 ■ 奥平 康弘「『首相靖国参拝』に疑義あり

 

 ■ 島川 雅史「現人神と靖国の思想

 

 ■ 神道イズムの時代錯誤

 

 ■ 小泉首相の靖国参拝と中韓訪問

 

 ■ 靖国を参拝した小泉首相の事情

 

 ■ 寺島実郎のいう「日本の選択

 

 ■ 飯田 進『顔のない国−戦後の虚妄と国の
品位喪失を問う−



島川雅史稿
「現人神と靖国の思想」


 奥平康弘「『首相靖国参拝』に疑義あり」『潮』2001年9月号)
紹介した本ホームページは,つづく各ページのなかで,靖国神社の本質
に触れつつ議論をしてきた。

 靖国神社の歴史的由来や神学的本性は,意外としられていない問題点
である。とくに,日本人の大衆意識において素朴な次元でもよい,それ
がいかほど理解されているかというに,これが非常にあやしいのである。

 戦争によって家族〔もちろん主に,男性〕をうしなった遺族にとって,
軍国神を祀る靖国神社の,その本質的な宗教上の位置づけをよく認識し
ていなくても,ともかく,戦死した彼らの霊を「英霊」として祀ってく
れる対応は,なにもなされないより,ずっとましな処遇である。

 しかも,靖国神社の祭祀にかかわっては,厚生省〔現厚生労働省〕が
その「英霊」の選択作業を補助してきた。だから,靖国神社に家族の霊
が祀られるのは,遺族にとってけっして忌むべきことではなくむしろ,
歓迎すべきことである。

 したがって,庶民のそうした感覚的なうけとめかたに即していえば,
靖国の本質・歴史をうんぬんし,英霊の祀りかたなどを批判的にとりあ
げる議論は,「言挙げ」を得意とせず好まない精神的風土に生きてきた
日本国民にとって,まったく苦手とするところである。


 筆者は,まえの三橋 健に関するページで島川雅史の別稿「現人神と
八紘一宇の思想−満州国建国神廟−」(立教大学史学会『史苑』第43巻
第2号,1984年3月)に言及した。

 本項が紹介するのは,島川雅史稿「現人神と靖国の思想」(立教女学
院大学『紀要』第14号,1983年1月)である。

 島川は,靖国神社の歴史的な由来と本質を究明する。明治維新以降,
この日本を統治していくために設置された宗教施設である靖国神社は,
軍国主義的性格を基本とし,これに天皇・天皇制イデオロギーが冠され
たものである。


 −−島川「現人神と靖国の思想」に聞こう。

 ◆ 天皇・天皇制と神社の関係 ◆

 1) 神権授与権者としての天皇は“諸神の神”としての立場にある。
そして,天皇は同時に,“世俗的主権者”であることを宣言する。

 神道のイデオローグ加藤玄智は,日本の天皇を「支那人の天,すなわ
ちユダヤ人のヤーヴェ」に位置づけた。現人神または明津神に在す〈神
皇〉である点で,神人一体という特異性をもつとされた。

 2) だから,現人神の理念は中国・西洋をはるかにしのぐものであっ
た。最高神“現人神”が「八紘一宇」の政治的中心である,という論理
をもちだしている。

 その天皇制の政治思想の中核観念は,宮中祭祀に合わせて創設された
国民の祝祭日を,学校教育を主要媒介として,新しい確認原理を形成す
ることとなる。自然信仰の形式が「神々の階梯」の確認に転化された。

 3) 当初,神道を国教として「上から」の確認原理形成の意図を宣言
する。だが,新国教の布教事業は,明治初期の混乱のなかで進展せず,
明治10年代に祭祀と宗教の分離がおこなわれ,帝国憲法の制定時に国家
神道は,「超宗教の国家祭祀」として非宗教化される。

 4) 帝国憲法第28条は,制限つきながらも「信教の自由」を規定して
いた。しかし同時に,「日本臣民たるものは,何人にかぎらず,その宗
教の信仰いかんにかかわらず,必らず神社を崇敬せざるべからず」と規
定した。

 5) その後,神社の優劣を表わすものとして「社格」が制定されるこ
とになった。
 
 a)「神宮」……天皇奉祀の神社

 b)「宮」  ……皇族奉祀の神社

 c)「大社」……出雲大社

 d)「神社・社」……一般の神社

 伊勢神宮と豊受神宮は大神宮として社格を超越するものであり,他は
10階級の社格によって上下に秩序づけられ,他に無格社を有した。

 「官 社」……官幣社と国幣社がある。
         ・官幣社は,大社‐中社‐小社‐別格をもち,
         ・国幣社は,大社‐中社‐小社をもった。

 「諸 社」……府県社‐郷社‐村社

 6) 神社が国営の建前であっても,とくに官幣社・国幣社は,ほぼ自
営といえる財務内容であった。このことは,国家神道の本体部分という
べき官国幣社が一定の社会的支持のうえに成立していたことをしめした。


 ◆「祭神」の問題 ◆

 1) 1920〔大正9〕年ころ, 日本の全神社に祭られていた祭神の数は,
約6600であった。ほかに靖国神12万柱があるが,これは特殊な問題で
ある。

 日本の歴史のなかで神社数は,1万社増加しており,その内容は雑多
なものであった。これを国家神道のもとに序列化しようとするとき,当
事者じたいも困惑を隠しきれなかった。

 2) 要するに,先験的に設定された国家神道の教義からは,千数百年
にわたる民俗信仰をふくむ神道全体の歴史的経過を,演繹的に説明する
ことはできなかった。

 国家神道の本体においてすら現実はその程度なのであった。国家神道
は,教派神道を排除し,また「いかがわしい」神々を除外しなければな
らなかった。そのうえではじめて,国家神道は天皇教・国体教たりえた
のである。

 3) 「帝国の神祇」を祭りうる神社は,以下の「天皇制カンパニア」に
とって必要な神,2種にかぎられた。

 a) 皇室のご先祖および各氏族の祖先

 b) 日本建国の大業に参与して偉業を樹てし方,また皇室・国家もし
くは一地方に対し勲功著しかりし方。


 ◆ 非宗教としての神社神道 ◆

 神社神道を非宗教化することは,帝国憲法制定以来の明治政府の一貫
した政策であった。ここで注目したいのは,当の神道界のなかにその政
府の詭弁を論難するおおきな運動があったことである。

 多くの神職・神道学者の論文・著書は,神道教義上において,宗教化
の必要を強調していた。しかし,宗教であることの明白な神社神道を非
宗教とする政策によって,帝国政府は憲法論上の〈支障〉をいちおう回
避し,同時に,神職を官吏化することによって国家神道を完全な統制下
におくことができた。

 「上から」の国内用確認形成の支柱となった国家神道体制のなかで,
挫折した国民教化運動にかわって天皇制カンパニアに,「下から」の要
素をとりこんだのが靖国の思想であった。


 ・靖国の思想とは,なにか〔その1

 1)   生身の個人の死を忠君愛国の神という美的価値で補償することに
よって,死にいたらしめた者の責任を消滅させる。

 2) 死すべき者あるいはのこされた者に対して,祭神生存時の差別が
神となって昇華される,という保証を与えている。

 3) このふたつの意味を媒介するのが天皇の存在である。

 そして,1) の白眉は,現人神天皇も靖国神社拝殿で,元臣下のまえに
ぬかずくという儀式である。2) の前提は,神格認定権者としての天皇の
カリスマ性に立脚していた。

 このふたつの意味は,転じて生存者各階級の者にひとしく“陛下の赤
子”としての生存原理を与えることにつらなる。靖国神社のいうように,
祭神は「実に忠君愛国の全国民精神を表現し給ふところの神」にほかな
らない。

 くりかえせば,その祭神たる資格があくまでも,“忠君愛国”の死者
のみに存する,ということである。しかも,忠君愛国の要求とは「聖慮
を奉体」する受動的行為を内容とするものであり,いっさいの価値の根
拠は天皇の意志にあった


 ・靖国の思想とは,なにか〔その2

 一方,靖国思想は天皇のカリスマ性に民衆的・地域的基礎を与えるも
のであった。たとえば,靖国に合祀された者の出自は,社会階層の上下
に広くわたっていた。また,「軍国の家」は全国津々浦々に散在し,そ
れまで仏教・キリスト教に対して〈甚だしき遜色のある〉実態を,内容
的,可視的に補強するものであった。

 そうして,神道儀式・祭式に関するなじみのない衒学的理論よりは,
靖国の思想こそが“臣民”をして,天皇教へとさそったのである。


 ◆ 太平洋〔大東亜〕戦争期と靖国神 ◆

 靖国神の民衆的基礎に依拠した天皇制政治・社会思想のカンパニアは
絶頂期を迎える。

 戦死白木の箱は,忠君愛国という抽象的徳目の全体を決定的,具体
的に表現するものであった。

 つまり,天皇制の「下から」の支持がもっとも期待される「一旦緩急」
あるときに,「義勇公に奉し以て天壤無窮の皇運を扶翼すへし」(『教
育勅語』)という「上から」の命令に呼応する確認の形成は,天皇制の
最大関心事であった。
 


 戦死者の遺族をふくめた多くの人びとが,いかにその死に理不尽なものを感じ,怨念をもっているか。

 しかし,そうした怨念が結晶して表面化するときに「お国のために死んだ者はお国で祭れ」という靖国神社国家護持の要請となる。

 家族や友人が理不尽な死に追いやられたことに対する怨念は,彼らを殺した国家やその支配者に対する怒りとなって燃えあがらないで〔もちろん例外はある〕,その国家に死者を祭ってもらう要請となり,それを祭ってくれる「お国」を大切にしようとする思いにまですすむ。
 

 桑原重夫『天皇制と宗教批判』社会評論社,1986年,32-33頁。

 その「下から」の支持を醸成する媒介となったのが靖国の思想である。

 また,いっさいの価値の根拠が現人神の意志にある以上,その統帥権
のもとにおこなわれる戦争は,原理上すべて“聖戦”であった。


 ◆ む す び ◆

 政治学者丸山真男はいった。「全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を
中心として,連鎖的に構成され,上から下への支配の根拠が天皇からの
距離に比例する」。

 神国日本の論理は,靖国の思想を媒介として,海外侵略を正当化する
八紘一宇の思想へと展開していった。その結果,1973年の靖国神社祭神
総数は,244万4千余に達している。



 ◆ ジハードと聖戦 ◆

 さて,2001年9月11日,イスラム原理主義者の犯行と目される同時多
発テロが発生した。これに対する,アメリカ軍などの報復攻撃をうける
こととなったイスラム原理主義者〔アフガニスタンを実効支配するタリ
バン〕がわは,自分たちの戦いを「聖戦(ジハード)」と称している。

 聖戦ということばには,宗教的な意味合いが強く含意されている。宗
教精神的な裏づけは,信心の次元における確信であるから,それを信じ
ることのできる人々にとっては,無限の力を生み出しうる源泉である。

 したがって,聖戦なることばは,理屈・論理の領域におけるやりとり
ではなく,信念・確信のまさしく切っ先において,閃光のごときに生じ
るものである。

 9月11日,のっとった旅客機2機で世界貿易センタービル2棟に特攻
攻撃したハイジャック犯たちは,イスラム原理主義という宗教精神の武
装によってこそ,そうした狂信的な,決死的アタックを敢行した。

 真珠湾奇襲攻撃をはじめ,731部隊「生物化学兵器」,特攻などすべ
て日本帝国謹製の軍略・戦術に発する事実は,前段に論及した島川雅史
「論稿」が解説する《靖国神社の思想》とともに,今回のイスラム原理
主義者による「同時多発テロが他人ごとではない」点を,警告するもの
といえる。

 本ホームページの筆者は,経営学それも経営思想史を専攻すると標榜
している者だが,戦時体制期〔昭和12〜20(1937〜1945)年〕に公表
された経営学・経済学関係の諸文献のなかにも,聖戦という単語をすく
なからず目にすることを付記しておく。

 もっとも,イスラム教でいわれる「ジハード」とは「努力」という意
味が本来のものである。それが「聖戦」の意味に転化され使用されてい
る。


 ◆ 神道イズムの時代錯誤 ◆

 経営学関係の話はさておき,1945年の敗戦を経てきた靖国神社であっ
たが,現在もなお,自衛隊の犠牲者を合祀し,祭神総数を増やしつづけ
てきている。

 その事実は,靖国神社の思想があの戦争の敗戦とはほとんど無関係に,
旧帝国憲法制定以来の〈似非宗教的な宗教的伝統基盤〉を,いまだにも
ちつづけていることを物語る。

 もっとも,現行憲法が第8条までを天皇と天皇制を規定しているから
といって,現在日本の政治体制が天皇・天皇制を主軸に構成されている
わけではない。この国ではいちおう,民主主義の理念と体制が確立され
運営されていることは,事実である。

 しかしながら,戦後において靖国神社の国営化が画策されたりし,い
まなお自衛隊関係の死者「霊」を合祀するがごとき,「国軍」犠牲者に
対する靖国神社の宗教儀式的な行為・行動は,明治期憲法体制にこだわ
る時代錯誤の,また政教分離の基本原理にまっこうより挑戦する,この
日本における神道宗教の現実的な様相である。

 神道は敗戦後,アメリカ占領軍当局によって「国家神道」と名づけら
れたが,いまどき神道の国家機関化を図るなどという倒錯は,時代の流
れを逆にしようとする無謀である。

 21世紀を迎え,19世紀的遺物を宗教的施設としていまだ,後生大事に
護ろうとする精神構造が尋常ではない。天皇・天皇制民主主義を払拭で
きない日本政治の根本性格があらためられないかぎり,当分のあいだ,
靖国神社関係者・神社勢力の靖国神社国営化志向,いいかえれば日本国
の中世化をめざすというアナクロニズムの価値観を根絶することはでき
ない。


 天皇家一族は戦後,戦前‐戦中と同じようには靖国神社公式〔正式〕
参拝できなくなったが,その「歴史的意味」を考えねばならない。

 1979〔昭和54〕年4月19日,靖国神社は秘密裏にA級戦犯を合祀した。
生前の裕仁・昭和天皇は,1975年11月を最後に靖国参拝にいっていない。

 なぜかといえば,ヒロヒト自身の戦犯的罪状を代身してくれた東條英
機などA級戦犯:「英霊」の合祀されている九段の社にいくことが,敗
戦後の平和な時代を生きていかねばならなかった〈昭和の天皇〉にとっ
ては,自身の地位に関する根本的な矛盾,そして,徹底的な自己否定を
意味するほかなかった,というところにみいだせる。

     


 ◆ 松尾尊~の「小泉論」と「日本の戦責論」 ◆

 松尾尊~〔京都橘女子大学教授〕は,ある対談のなかで,こう述べて
いる(『世界』2001年11月号参照)

 1) 昨今の小泉人気をみていると,満州事変勃発当時の国民の熱狂ぶ
りを思い出させて,恐ろしい感じがする。規制緩和だとか聖域なき構造
改革だとか,時代の閉塞状況を打ちやぶるような景気のよいかけ声をか
けている。

 だが,その政治的中身は,憲法改悪であり,靖国神社参拝である。教
育勅語に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあったが,いまはアメリカ
に攻撃がくわえられたならば,アメリカにご奉公できる体制をつくりあ
げる,ということではないか。

 2)「オ国ノタメニ戦ツタ兵隊サンヨ有難ウ」という戦時下の歌詞があ
った。小泉首相の靖国参拝は,そういう趣旨である。お国のために戦っ
た兵士が,どれほど近隣諸国に迷惑をかけたか,またそうしむけたのは
誰かということが意識から抜けている。

 小泉首相の歴史認識は,「新しい歴史教科書」の執筆集団と共通して
いるのではないか。その教科書は,日本の近代化にともなった大陸侵略
を正当化した国益中心主義むきだしのひどいものである。

 3) 検定によってだいぶ妥協してゆるめられた表現となっているが,
本音はかわりない。そういう教科書が知識人の一部にも支持され,各地
でも採用の動きが出ているのだから,韓国や中国から抗議がくるのは当
然である。

 −−松尾尊~の論旨を引照の最中だが,他所から,小泉首相の靖国参
拝〔2001年8月13日〕に対する〈ある批判〉を参照しておく。
 


 小泉首相は,靖国神社に参拝したうえで,この行為に対する韓国や中国の「批判をやわらげる」ために,その後「謝罪」をするのだという。

 だが,断言してもいいのは,そんなので批判がやわらぐはずがないことである。そんなことがわからないのか非常に腹立たしい。
 

 『世界』2001年11月〈対談〉記事,155頁参照。

 日本政府がいくら日本の姿勢は,1994年の村山首相の「わが国の侵
略行為や植民地支配」に対し,「深い反省の気持に立つ」,という談話
のとおりだと弁明しても,納得してもらえない。韓国や中国は政府の口
先よりも,国民の歴史意識のありかたを問題にしているのである。

 4) 2000年にジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(日本語訳あり)
2001年にハーバート・ビックス『裕仁と近代日本の形成』(同上予定)
が,ピューリッツァー賞をうけた。

 ダワーとビックスは,かつてベトナム反戦運動にくわわったアメリカ
のアジア研究者集団CCAS(Committee of  Concerned Asian Scholars)
主要成員である。とくにビックスは,アメリカの大学で教えていたのに
追い出されたことがある。

 天皇の戦争責任をあえて問わなかったアメリカの占領政策を批判した
この2冊の本が,連続して受賞したことは,アメリカでも日本国民の歴
史意識を注視していることの現われではないか。

 5) 日本の現代を拘束するふたつの国際的とりきめを念頭におく。

 @ ひとつはポツダム宣言である。

 「日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめ
たる者の権力及勢力は,永久の除去せられざるべからず」。

 「日本国政府は,日本国国民の間に於ける民主主義的携行の復活教化
に対する一切の障礙を除去すべし。言論,宗教及思想の自由並に基本的
人権の尊重は確立せらるべし」。

 日本はこの項をふくむポツダム宣言を無条件で受諾することによって,
はじめて壊滅からのがれたのである。日本国憲法はこの国際的約束にも
とづいて成立したことを記憶にとどめる必要がある。

 A もうひとつはサンフランシスコ講和条約である。その第14条「日
本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支
払うべきことが承認される。しかし」,「完全な賠償」をおこなえば日
本は経済的に存立できない,として一部の国への役務賠償をのぞき,連
合国の賠償請求権を放棄している。

 世界第2の経済大国としての地位をたもっていられるのも,もとはと
いえば,この条文のためである。とくに中国が,15年戦争最大の被害国
であるにもかかわらず,放棄してくれたことは,忘れてはならない。

 ところが日本は借りのあることはすっかり忘れて,援助してやってい
るという態度である。たしかに,戦後の日本の民主化と経済成長は日本
が誇ってよいものである。だがそれは,さきの国際的約束のもとに可能
であったことを忘れてはならない。

 −−以上,松尾尊~の主張にはとくべつ論評をくわえない。ただ「戦
後の日本の民主化と経済成長は日本が誇ってよい」という一句には,注
文を付けておきたい。

 1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争を「忘れてはならない」ことで
ある。なぜ,このような付言をするか説明の必要はないだろう。歴史に
イフはないといわれるが,日本が戦後の経済復興をさせるうえで,絶対
不可欠の条件だったものが〈隣国の不幸な内戦〉であったことを「忘れ
てはならない」。

 昭和25〔1950〕年の時点に言及のある日本企業の「社史」を,どれ
でもよい,繙いてみればわかる。当時,日本の会社は押しなべて倒産寸
前に近い財政状態であった。そこに突如発生した朝鮮戦争は,日本産業
にとって起死回生,千載一遇となった。



 ◆ 小泉首相の靖国参拝と中韓訪問 ◆
 
 2001年8月13日,2日早く前倒しして靖国神社に参拝した小泉純一
郎首相は,中国や韓国の強い反発をうけて,日帰り〔トンボ返り〕日程
で,中韓両国へ「お詫び:弁解」の訪問をすることになった。

 中国は10月8日に,韓国は15日に訪問した小泉首相は,中国の江  沢
民首席に,こういう事後談をいわしめた。

 訪中した小泉首相は,江首席に対して,「二度と戦争をおこしてはな
らない。平和の尊さをわかっているから,不戦の誓いと戦没者への哀悼
の意を表わすために参拝した」,と説明した。

 そこで江首席は,こういった。小泉首相の「一連の行動の流れからし
て,靖国神社参拝は来年はないはずだと理解している。小泉首相から直
接の意思表明はなかったが,再び靖国神社にいけば中国人をだましたこ
とになる」と(『日本経済新聞』2001年10月13日)

 江首席のこの対応は,小泉首相が来年の夏には絶対,靖国神社に参拝
しないよう釘を刺したものである。

 靖国神社の歴史的由来と神学的本質をすこしでもわかれば,この神社
にいって,そこに祀ってある〈神々:軍神たち,そしてA級戦犯〉に頭
をたれることは,アジア諸国・人々にとって我慢ならない国教的行為で
あることが,ただちに理解できるはずである。

 それなのに小泉首相は,「平和の尊さをわかっているから,不戦の誓
戦没者への哀悼の意を表わすために参拝した」と説明した。しかし,
こういう詭弁にもならない,もしかしたら無知蒙昧を証明するかもしれ
ない発言をし,実際に靖国神社に公式参拝した。


 2001年10月15日,中国訪問の1週間後,韓国にいった小泉首相の行
動は,つぎのように新聞報道された(http://www.mainichi.co.jp/ 20
01-10-16-00:47 )

 小泉純一郎首相は10月15日朝,羽田発の政府専用機で韓国に向かい,
午前10時半から青瓦台(大統領官邸)で金大中(キム・デジュン)大統
領と約2時間会談した。

 小泉首相は1998年の「日韓パートナーシップ」宣言を順守することを
とおして,歴史教科書問題などで冷却化した日韓関係を未来志向で再構
築したいとの意向を伝えた。

 会談に先だち,小泉首相は日本の植民地統治の象徴である西大門刑務
所跡などを視察し,韓国の国民向けに「日本の植民地支配によって韓国
国民に多大な損害と苦痛を与えたことに心からの反省とおわびの気持で
展示をみた」,と明言した。

 歴史認識問題では,みずからの靖国参拝について「戦争を美化したり
正当化するものではない」と釈明し,日韓のパートナーシップを揺るが
すものでないことに理解を求めた。

 植民地時代に韓国人政治犯が投獄された西大門刑務所跡は現在,独立
公園になっており,首相としては同所から韓国民向けのメッセージを発
することで,悪化した対日感情を緩和する狙いがあった。

 公園内の歴史展示館を見学したのち,小泉首相は日韓両国の記者団を
まえに,「首相としてより,一人の政治家,人間としてこのような苦痛
と犠牲を強いられた人々の無念の気持を忘れてはいけないと思った」と
述べたうえで,「歴史を直視しつも,未来に向かって日韓の友好関係が
アジアの発展に寄与できるようにしたい」と言葉を継いだ。

 以上「日韓首脳会談:未来志向で再構築申し入れ 小泉首相」と題さ
れた新聞記事の内容である。


 日本国総理大臣,小泉純一郎は,如上のように中韓を訪問し,「反省
とお詫び」表明をおこなった。それでもなお,問題はのこる。以下に論
及する。

 a) 「平和の尊さをわかっている」「戦争を美化したり正当化するもの
ではない」のであれば,靖国神社にいって参拝などする理由がない。な
ぜなら,この神社は軍神護国神社である。靖国神社のなかには,平和の
神は「1人」もいない。

 b) したがって,その靖国神社にいって「不戦の誓い」を述べるとい
う筋書きが,根本的な誤謬である。「好戦・督戦・戦勝などの誓い」を
そこで述べるというなら,りっぱに筋がとおるのだが。

 c) はたして,靖国神社は「戦没者への哀悼の意を表わす」場所であ
るか,という大疑問がある。

 戦没者〔とりわけ,日本人・日本民族〕をどんどん増やす役割を発揮
しなければならない神社が靖国である。そこへいって,戦死・戦病死し
た人々に哀悼の意を表するという行為は,実は本末転倒であり,もとよ
りやってはならない祈祷の内容であって,靖国神社の真のねらいは,ほ
かのところにある。

 靖国神社はなぜ,国のために戦場で「戦死」すれば「英霊」=神に昇
華できるという,いいかえれば「生ける者」に対してすすんで「死者に
なる」ことを強いるような,〈宗教的虚制〉を奨励してきたのか。

 それは,こういうふうに理解すればよい《カラクリ》なのである。

 まず,どのような感情や論理で兵士になり,戦場に赴いたとしても,
すべて「お国のため」に出征し「戦死」したのだ,けっして「犬死」な
どではないのだと,遺った家族だからこそ思いたい。

 それは「反戦」に向かわず,国家の戦争をすべて意義あるものと合理
化し,ささえる国民へと「成長」する一過程なのである。

 国家が靖国神社に負託した宗教的役目は,かけがえのない人々を戦争
でうしなった遺族の抱く「癒しがたい心情」を,都合よく掠めとるため
の〈精神的かつ物的な装置〉たることである。

 つぎに,戦没者を神道的「神」の体系にのみ押しこめ,天皇への「忠
義者」としてしか祀らないのが,過去のみならず現在でも,靖国神社の
ありかたにおける〈国家の意志〉である。靖国神社は,天皇による祭祀
という神道で,宗教的に祀ることにした施設である(原田敬一『国民軍
の神話−兵士になるということ−』吉川弘文館,2001年,212頁,256
頁参照)

 そこで「欺瞞的にしくまれ強要された観念上の逆転現象」が皆目みえ
ない者だから小泉は,平然とそこにいき,参拝できるのである。

 小泉純一郎は,靖国神社の歴史的性格を本当になにもわからず素朴な
気持で参拝したのか。それともその逆だったが,トボケタ振りをしてい
ったのか? だが,そのいずれにせよ,この日本の首相の歴史認識・時
代感覚には,おおいつくしがたいほどに重大な欠落がある。

 要するに,「歴史を直視しつも,未来に向かって……」という小泉首
相の歴史意識そのものに問題がある。今回の韓国訪問において小泉首相
は,中国訪問のさいと同じに,来年の靖国神社参拝については言及を避
けていた。

 −−もしかすると,来年また〔「熟慮に熟慮を重ねて〕靖国にい
くつもりなのか? そしてまた,中韓に「反省とお詫び」のための「日
帰り日程旅行を組む」つもりなのか? 

 もしもそうなったら「冗談じゃない」と思うのは,筆者だけではない
だろう。この点に関してだけは,日本の右翼国粋・保守主義路線の諸氏
とも,意見が一致するかもしれない。

 d) 靖国に祀られている「A級戦犯もふくめた軍神たち」は,アジア
諸国を侵略し,アジア諸国の人々を,よく殺し,たくさん犯し,ずいぶ
ん焼き,すべてを奪いつくした。

 だからこそ,日本帝国なる「オ国ノタメニ戦ツタ兵隊サンヨ有難ウ」
という意義づけをされているのである。

 すなわち,お国のために,他国の戦地・戦場で勇猛果敢に活躍できる
兵隊サンを,精神的機能面において拡大再生産するための国家宗教施設,
しかもその日本最高峰に位置させられた神社が,靖国神社であった。

 e) いまも九段の地にある靖国神社は,1945年8月15日までにおける
靖国神社とくらべて,なにか根本的なちがいがあるのか。国営神社でな
くなったという一点をのぞき,そのことをわかりやすく説明したり,十
分証明したりできる神社神道筋・神道学関係の識者は,いない。

 とりわけ,靖国神社関係者・神社勢力方面は,この神社の軍事的好戦
性を否定したわけではない。靖国神社境内にある「戦争・軍事分野の歴
史博物館『遊就館』」は,この神社において歴史生成的に固有の軍国主
義的性格を正直に展示している。

 戦前日本に在住していたある中国人は,東京九段坂の「遊就館」で,
殺人や兵器の展示を嬉々として見物する日本人の残忍性と,その侵略精
神の強さに強い嫌悪感をしめしている(曽田三郎編『近代中国と日本』
御茶の水書房,2001年,87頁)

 −−だから,  1985年夏に中曽根康弘首相が靖国神社に参拝して以来中
断してこざるをえなかった日本の宰相による〈宗教的行為〉を,16年ぶ
りに再開した小泉首相は,完全なる無知人でなければ,中途半端なる確
信犯である。

 日本国の最高責任者が靖国神社に正式参拝する行為は,アジア諸国と
くに,甚大な被害をこうむった中国や韓国〔朝鮮〕などにとって,過去
の侵略を彷彿させるだけでなく,日本という国が過去の戦争をまったく
反省していないことを意味する。

 いまどき,こんなにしごく簡単の,歴史的な因果関係も認識できない
人物:小泉純一郎が,日本の首相を務めている。自民党議員中でも折り
紙付きの変人・奇人といわれ,特異なキャラクターの持ち主と注目され
た人物であっても,ことがアジアに対する歴史認識となると,非常にま
ずしい。


 ここで,こういう歴史的事実を指摘しておく。

 1937〔昭和12〕年7月,日中戦争が引きおこされた。それとほぼ同
時に,文部大臣から各宗教・教化団体の代表者に対して挙国一致運動へ
の要望がなされた。日本帝国主義支配下の朝鮮半島においては,それに
合わせるように,朝鮮総督府が朝鮮の民衆に対して神社参拝を強制する
命令を出した。

 まったく民族性のちがう朝鮮の民衆に対して,日本の神社参拝を強要
した不条理にくわえて,キリスト教徒の多い朝鮮の民衆であるから,も
ちろん,強力な抵抗運動もおこった。なにぶん銃剣の威嚇による命令で
あったから,不本意ながら神社参拝に応じた人が,キリスト教徒のなか
にも多かった。そのなかで,およそ2千人のキリスト教徒が神社参拝拒
否のかどで投獄され,50人にのぼる牧師が獄死した(桑原重夫『天皇制
と宗教批判』社会評論社,1986年,120頁)

 日本の民衆は,広島・長崎への原爆投下〔1945年8月〕, 日本全国各
都市に対する空襲被害〔1944年11月以降〕を忘れることができない。
それと同じに〔あるいはそれ以上に〕朝鮮の民衆も,旧日帝支配下にこ
うむった前段の宗教弾圧など,多数多様な惨害を忘れることができない。

 しかも,前者は,戦争相手国がおこなった日本の「一般市民への無差
別殺戮爆撃」であったのにくらべ,後者は,日本・日本人に危害をくわ
えてもいない朝鮮の「キリスト教徒への死の宗教弾圧」であった。

 特攻精神に接し,小泉首相が涙したという話は,次段以降に出てくる。
そうであるならば,日帝の抑圧・暴虐にもかかわらず自分たちの宗教を
守るために命を落とした朝鮮民族がいるのに,彼らの精神・気持がこの
小泉純一郎にわからないわけがないと思う。

 それでも日本国首相の小泉は,2001年8月夏,靖国に参拝した。

 靖国に祀られている「英霊」は,朝鮮や中国を主な戦場とし,とくに
朝鮮という国やそのほかの地域などの実質的な支配権を争ってい国々と
の戦争,すなわち,
 
 ・日清戦争〔1894‐1895年:明治27〜28年〕

 ・日露戦争〔1904‐1905年:明治37〜38年〕

あたりから,その合祀者数を顕著に増やしはじめる。

 今日,この英霊たちを参拝しに靖国にいくことの意味を,いまだに理
解できない日本の首相が,小泉純一郎である。

 要するに小泉は,自身の祖先がかつて支配統治していた国々に生きる
人たちの,あるいは,いまでは同じ土地にいっしょに生きることになっ
たその末裔たちの歴史的な心の痛み:恨(ハン)が,まったく認識でき
ていない。

 なかんずく小泉においては,身内意識よりいずる感情の発露は豊富だ
が,自国の過去に由来する加害者意識など,その万分の一さえなかった
のである。



 ◆ 靖国を参拝した小泉首相の事情 ◆

 1) 変人・奇人だった小泉純一郎さんでも,自民党の総裁になって内
閣総理大臣にえらばれるためには,それなりの配慮・策略も必要であっ
た。

 既述のとおり,アジア諸国に対する日本政府の姿勢は,1994年の村山
首相の談話「わが国の侵略行為や植民地支配」に対し,「深い反省の気
持に立つ」ものであり,さらに,1998年秋の江 沢民首席訪日時,小渕
恵三首相〔当時〕とのあいだで過去を総括し,未来志向の「友好協力パ
ートナーシップ」を構築することで合意したはずだった。

 ところが,2001年夏,A級戦犯合祀を理由とした中国などの反対にも
かかわらず,小泉首相は靖国神社に参拝した。この行為は,日本がわの
歴史認識を変更するものとうけとめられた。

 前段のように日本は,国交正常化時の日中共同声明などをつうじてく
りかえし過去の侵略戦争を反省し,「心からお詫びの気持」(村山首相
の談話)を表明してきた。この立場を堅持するかぎり,過去の戦争にか
かわる問題については,被害をうけたがわの心情や主張に細心の配慮を
することは当然である(以上,『日本経済新聞』2001年10月9日「社説」
参照)

 日本の首相になった小泉純一郎は,執権党として戦後長い実績をもっ
ている自民党の議員を,何十年もやってきた。それゆえ,対アジア諸国
に対して,日本政府・歴代首相がどのような政治姿勢をつくりあげてき
たのか,よくよく承知のことがらだったはずである。というよりも,そ
うした事項は,十二分に熟知の点でもあったはずである。

 2) それでも,首相に就任した小泉が「熟慮に熟慮を重ねて」靖国神
社に参拝したのは,それなりの事情・背景がある。どういうことか。

 1985年夏,中曽根康弘首相の公式参拝は「戦後政治の総決算」をうた
った中曽根の悲願ともいえた。ただ,中国・韓国などの反発から,靖国
参拝はその後,「タブー」に近い存在になった。

 「聖域なき構造改革」を標榜する小泉首相が,就任まえから「8月15
日の参拝」を公約したのは,実のところ,自民党総裁選の選挙対策の要
素が否定できない。

 ところが「タブーに挑戦」し,「いったことは実行する」イメージで
異常な人気を誇る首相には,みずからのイメージを崩さないためにも靖
国参拝が重い公約になった。

 一方で,中韓両国の反発は強い。1985年当時とちがうのは,日本が経
済低迷にあえぎ,中国だけが独り勝ちの経済成長をつづけていることで
あった。

 さて,夏が終わると靖国をめぐる騒ぎも鎮静化したが,問題の本質は
おおきく,なにも解決されていない。国の体力が弱まるなかで日本人が
過去とどう向きあうか,近隣諸国をふくめた国際社会で,どう生きてい
くかという問題である(『日本経済新聞』2001年10月9日「ニュース
報道」参照)

 3) 結局,10月8日に日帰り日程で中国を訪問した小泉首相は,事前
に中国がわがしめした3つの要求,

 @ 抗日記念館参観
 A 中国首脳との会見での反省とお詫び
 B 来年の靖国神社参拝に関する明確な態度表明

をうけいれたため実現したと,中国共産党機関紙『人民日報』10月9日
で報じられている。

 また,中国外務省スポークスマンは,小泉首相の訪中に関連し,10月
9日の定例会見で,歴史教科書や靖国神社の参拝問題は,「首相の1度
や2度の演説や態度表明で,完全に解決できるものではない」と述べて
いた(『日本経済新聞』2001年10月10日)

 「小泉首相の靖国参拝」に対する中国がわのこのように強烈な反発,
そして,事後における「小泉首相の訪中」を介在させての政治外交的な
対応措置は,これだけはゆずれない確固たる一線があることを示唆する。

 4) もっとも,訪中した小泉首相は,上記〈3つの要求〉にどう応え
たかというと,

 @ 日中戦争の発火点となった廬溝橋を訪問し,
 A 日中戦争について「心からのお詫び」を表明したが,
 B 来年の靖国参拝については首相は言及を避け,今年の参拝の背景
も説明しなかった(『朝日新聞』2001年10月9日朝刊参照)

 しかし,中国がわのその後における「小泉訪中」に関する政治的解釈
はすでに触れたように,「小泉首相から直接の意思表明はなかったが」,
小泉首相の「一連の行動の流れからして,靖国神社参拝は来年はないは
ずだと理解している。再び靖国神社にいけば中国人ををだましたことに
なる」,というものであった。

 それゆえ,日本がわの言論報道をみると,週刊誌『週刊文春』10月18
は,「このドサクサに『小泉訪中・訪韓土下座外交』を画策した『君
側の奸」と題した記事を製作している。

 中国がわの姿勢はたしかに,最近における自国の政治・経済事情もあ
って多少は抑制が効いているものの,あいかわらず東洋史的な伝統にも
とづく大国意識をうかがわせるものであるから逆に,日本・日本人がわ
に反発をおこさせて不思議はない。

 5) だが今回,日中・日韓間の政治外交問題にまで発展した「日本首
相の靖国参拝」はあくまで,日本がわが故意にもちだした,軋轢・摩擦
の原因であった。

 靖国神社の軍国主義性はいまも,根本的になにもかわっていない。

 「英霊という名を付した無数の軍神」を「合祀する」=元国営神社に
参拝することの意味を,この国の首相はいまだ,よく理解しようとして
いない〔より正確にいうと「理解できていない」〕。

 だから,中国の朱 鎔基首相は,「日本の姿勢から,中国をふくむア
ジアの人々は問題が解決されていないと感じている」と語った(『朝日
新聞』2001年10月11日朝刊)。 

 6) 靖国神社を中核とした日本とアジア諸国との政治外交問題は,む
しろこれから,本格的に議論されるほかない状況である。アジアに対す
る日本の敗戦処理・戦後補償は,どのように実施されてきたか。その意
味があらためて問われる契機を,このたびの「小泉靖国参拝」問題が投
じたといえよう。


 2001年10月15日やはり日帰り日程で韓国を訪問し,金 大中大統領
と会談した小泉首相は,自身のおこなった靖国神社参拝について,「心
ならずも命を落とした人々に対して参拝した」と表明した。

 しかし,靖国に合祀された〈英霊〉たちのなかには,日本がかつてア
ジア諸国を侵略したときその尖兵なって各地で暴虐を働いた人々が,大
勢ふくまれている。

 彼らのほとんどは,旧日帝の兵隊として強制的に戦線に駆り出され,
そのあげく多くの者が「心ならずとも命を落とした」ことは,まちがい
ない事実である。

 しかし,話をそれだけにとどめることはできない。いまでは,英霊だ
とされて靖国に祀られている日本の兵士たちが,あの戦争の時代,国の
命によったものとはいえ,アジア諸国にいって,戦闘行為ではない場面
でも,アジアの人々の多くの命を奪っていたのである。

 ところが,小泉の触れているところの,過去の戦争において「心なら
ずも命を落とした人々」とはただ単に,日本国・日本人関係者のことだ
けを意味していた。

 だから,アジア諸国からみるとき,中国風にいえば「リーベンクイズ
やトンヤンキ〔日本鬼子・東洋鬼〕」を祀る靖国神社に参拝し,過去の
戦争において「心ならずも命を落とした人々」=日本人の「〈英〉霊」
のまえにぬかずくという《宗教的的行為》は,「不戦」の思いをこめて
日本の過去を慰霊するものではなく,まったくその逆であって,その過
去を郷愁し美化するものである。

 それでは,「両国の関係悪化を振りかえると,相互理解への努力や配
慮が欠けていたのではないか。日本には歴史認識がゆらいでいると近隣
諸国にうけとめられているような動きがあった」(『日本経済新聞』20
01年10月16日「社説」)

 いいかえれば,今回における小泉首相靖国参拝は,自身にとって「不
戦の誓いだったのかもしれない。しかし,日本の侵略と植民地化の被害
にあった隣人は,そうはうけとらずむしろ,過去の正当化とうけとめた。
近隣諸国への配慮を欠く言動は,日本に対する信頼感を損ね,その分,
国益を損ねた,といわざるをえない」(『朝日新聞』2001年10月16日朝
刊「社説)


 ◆ 野坂昭如「笑わば笑え……」,日本宰相の資質 ◆

 2001年7月29日おこなわれた参議院選挙でみごと落選した作家野坂昭
如は,イスラム過激派〔原理主義者〕がおこした同時多発テロに対する
小泉首相の対応姿勢を,つぎのように批評した(野坂昭如「笑わば笑え,
あえて『卑屈論』を説く」『文藝春秋』2001年11月,132頁)

 以下,引用中で鍵コトバ(キーワード)となるのは,「聖戦」と「
(特別攻撃)」である。

 1) 小泉首相としても,本気で支援の気はなく,海外派兵実績づくり,
自己満足にすぎない国威発揚のつもりかもしれない。遅々としてすすま
ぬ,すすめえない公約実現について,世間眼くらましの胸算用もあろう。

 2) しかし,危険じゃないか,危険すぎる。日本は,イスラム圏に,
原油こそ頼っているが,あこぎなことはしていない。いまのところ,米
軍基地をのぞいて,テロリスト・戦士に狙われる理由がない。だが,後
方支援・自衛艦派遣・難民保護のあげくの戦闘行為となったら,目標に
されて不思議はない。
 
 3) 先進国は,文明の頂点に立つそのゆえに「聖戦」をしかけられた
ら敗ける。全面核戦争になったって,タリバンとかの,深い山脈の穴に
ひそむ連中,生きのこる,核の冬にだって耐えるだろう。

 4) テロリスト,あるいは聖戦の戦士たちは,新しい時代を開いた。
大東亜戦争を,アジヤにおける,白人支配からの,有色民族解放・崇高
な目的の戦いだったとこじつけるのなら,このたびのビル爆破だって同
じじゃないか。この点で,真珠湾攻撃に比して,おかしくない。あらか
じめ予想されながら,まさかとタカくくっていた点でも似ている。

 5) しかし,アメリカの良いところは,過ちをきちんとただす能力を
もつ点である。アメリカ自身,生きのこるためにも,必らず,イスラム
圏に対し,穏やかな処遇に転じ,爆弾ではない手段で,テロリストを消
滅させるよう努める。べつにヒューマニズムでもなんでもない。それが
国益だからだ。

 6) テロを嫌悪,否定,撲滅をいうのは楽だ。テロを産む土壌を考え
ろなんて申しあげれば,まだ世迷い言をいうとせせら笑う連中がいる。
ここで日本の存在を世界にしらしめるべきだ,と。オリンピックじゃな
いんだよ。かつて,大日本帝国も聖戦と称した。

 7) 多分,軍国教育に毒された,あわれな少年の名残りかもしれない。
小泉首相になにをいってもムダ,あえてつぶやく。特別攻撃隊隊員の遺
書に涙したのなら,嘘偽りなくみずからすすんで,沈着冷静に,みずか
らの死と引き替えに,目的を達した「テロリスト」については,彼はど
う考えるのだろうか。

 8) また,国の安全を考えるならば,軍事的空白地域になった感じの
「周辺」について,外交面での努力はしているのか。いやさらに硫黄島,
東京湾の噴火,震源。かねて南関東直下の地震の前兆といわれてきた足
元にも気をつけろ。ビル崩壊豈(あに)テロのみならんや。

 −−以上,野坂の議論は,特攻隊員の決心:死に涙する小泉首相が靖
国神社に参拝したことの,歴史的意味合いを考えるよううながしている。

 靖国参拝にいく日本の首相をみたアジア諸国,とりわけ中韓などは,
大東亜戦争「聖戦」史観=靖国信仰を捨てきれない日本国の政治理念を
そこにみいだし,強く警戒する。だからただちに,両国から批判が提起
された。

 もっとも,「日本は神の国」とのたもうた前首相,森 喜朗君もいる
国だから,小泉君のほうが,まだまし,かも。
 
 この人は,教科書問題や自身の靖国参拝のせいで関係がこじれた中韓
両国への日帰り:「反省とお詫び」旅行をとおして,東アジア政治情勢
にみずから巻きおこした〈おおきな負的効果〉を,すこしは理解できた
のだろうか。

 この国に授けられた新しい宰相:小泉純一郎においては,「靖国に参
拝するという宗教行為の政治的な意味」,そして,それと天皇・天皇制
や民主主義との関連問題が,まともに意識化すらされていない。

 いよいよ,前途多難である。



 ◆ 寺島実郎のいう「日本の選択」 ◆

 野坂昭如の前稿とともに,『文藝春秋』2001年11月号に掲載された,
寺島実郎「世界史の深層底流は何か」は,この夏「小泉靖国参拝」を超
えるべきための視座を提示する。こういう(同誌,145-146頁参照)

 1) 8月13日に小泉首相が前倒し参拝したことに関して, 「喪われた国
益」を嘆く論者も,「公式参拝」を批判する論者も,一様に中国や韓国
を意識した論点だけで議論している。

 2) 多くの愛国者は「靖国問題」や「教科書問題」で中国や韓国が対
日批判をくりかえすことに,「内政干渉」だとの反発を強めている。し
かし,いま,この国が自尊をこめて健全なナショナリズムを燃やすべき
対象は,近隣のアジアではなく,まず米国である。

 3) 戦後55年,米国というフィルターをとおしてのみ世界をみてきた
日本人は,まさにその点の感覚が鈍くなっているが,あらためて,つぎ
の「2つの常識」を思いおこすことで,バランスをとりもどしたい。

 この2つの常識は,けっして偏狭なナショナリズムに由来するもので
はなく,国際社会のコモンセンスという意味である。

 〔1〕  第1の常識。ひとつの独立国に長期にわたり外国の軍隊が駐留
することは,不自然である。

 戦後の過渡的占領期はともかく,半世紀を超えても4万5千人の米軍
兵力と約1010平方キロメートルの米軍施設(東京都23区の1.6倍)が存
在しつづけている。しかも,その地位協定上のステータスは, 「60年安
保」以来おおきくみなおされることもなく,占領軍の地位に準ずるもの
である。

 世界はみずからの主体性を意識しない国を「大人の国」とは認めない。
いかに時間がかかろうと,外国の基地の縮小と地位協定の改定など,主
権回復にとりくむべきである。これこそが,近隣の国も日本を「米国周
辺国」ではなく,「大人の国」と本音で認識する要件である。

 〔2〕第2の常識。「米国はみずからの世界戦略とその時点での国民
世論の枠内でしか日本を守らない」ということである。

 そんなことは日米安保条約を読めば自明なのだが,日本人のなかには
日本にとっての「有事」がおこれば,自動的に米国の青年の血を流して
も,日本を守るために行動をおこしてくれる善意の大国と期待している
人もすくなくない。

 しかし,それはあまりに甘い。尖閣列島の問題を考えればすぐわかる。
かりに中国が尖閣列島を占拠する事態がおこっても,米国は日中間の領
土問題に介入して日本を守るために戦うであろうか。他方,日本は,今
回の同時多発テロ以降の展開がしめすごとく,米国の判断と行動に自動
的に巻きこまれ,世界の紛争に関与する以外に選択肢をもたない。

 米国との軍事同盟関係を継続するにせよ,時間をかけても日本国内に
ある米軍基地を段階的に縮小し,存在する基地の地位協定のみなおしに
よって,日本の主体性をとりもどす意思を明確にすべきである。これは,
21世紀の世界で日本が尊敬されながら発言するための要件であり,現代
における「条約改正」である。


 以上に対して筆者の論評をくわえる。

 2) について。いわく「多くの愛国者」とは,2001年の春と夏にそれ
ぞれ生起した「教科書問題」「靖国問題」に対して中国や韓国から生じ
じた対日批判を,「内政干渉」だと反発する人々に限定されるかのよう
な口つきである。
 
 いいかえると,その2問題に対する両国の批判を「内政干渉」とうけ
とめない日本の人々は,どうも「愛国者」ではなく,それも「多く」で
はないという口調に,どうしても聞こえるのである。

 寺島実郎の論及によれば,日本という国には「多く愛国者」が住むこ
とが当然視されている。もっとも,この措定がそれ以後の論旨の展開と
いかなる必然的な関連性を有するのか,もうひとつ明快でないところが
気になる。

 3) について。日本が平和憲法をもつにせよ,軍事力〔実質において,
たいした軍備力を備えた国だが〕をうんぬんする段になるや,このこと
は「〈偏狭な〉ナショナリズムを意味するのではない」と,わざわざ断
わりをいれなければ議論をさきにすすめられないというのも,情けない
ことである。

 過去,軍事力の拡張に突っ走り,後発・2流の帝国主義論を失敗させ
た結果,数多くの犠牲者を出し,自国山河を大崩壊させた経験をもつ国
である。このことをいまも記憶に強くとどめている寺島は,ともかくそ
のような断わりをいれておかねば,気が済まないのだろうか。

 かつて,ドイツ第3帝国において軍隊のことを「国防軍」と称してい
たから,現在の日本の軍隊「自衛隊」のまともな自立化を主張するに当
たっては,いっそう慎重なもののいいかたが要請されるのだろうか。


 −−第1の常識は,まさに軍事方面の基本的な常識を落欠させた体制
にある日本の軍備を指摘したものである。進駐軍ともよばれた在日米軍
はいまだ,日本占領軍とみまごう存在でありつづけている。

 在日米軍が日本のためではなく,アメリカさんのために展開している
ことを,いまさらあらためて強調しなければならない「この国の現実」
がある。しかし,日本の一般庶民たちは,在日米軍をどのようにみてい
るだろうか。

 寺島の見解にしたがえば,こうなる。

 中韓両国の日本首相靖国参拝に対する反発なんかよりも,在日米軍の
存在じたいのほうが,よほど大問題である。国防問題の要所を他国に牛
耳られているこの国の実情に注目せよ,というのである。

 けれども,アジア近隣諸国は,軍事力の面で日本が「大人の国」にな
ってほしくない。「米国周辺国」のままでよろしい,と思っている。こ
の点はすでに多くの識者が指摘してきた。アメリカはその点をうまく抑
えて,なおかつ,日本を大いに利用してきている。

 米軍は日本をいつまでも,「不沈空母」〔中曽根元首相の表現〕よろ
しく,軍用に重宝したいのである。厚木基地を,夜間の海を航行する空
母にみたてた艦載機の低空飛行訓練である“touch  and  go”は,その
訓練のたびに猛烈な騒音で周辺地域の住民を苦しめている。

 とりわけ,第7艦隊の空母キティホークが横須賀に寄港する期間,艦
載機による低空飛行訓練の回数が急増し,周辺地域の住民におおきな苦
痛を与えている。

 在日米軍は,日本にある専用基地を我がもの顔で使用しつづけている。
沖縄県にはとくに,日本にある米軍基地面積の約3分の2が集中してい
る。

 −−1998年11月15日に投開票が行われた沖縄県知事選挙では,稲嶺
恵一が当選し,現職知事大田昌秀の三選が阻止された。

 米兵による少女暴行事件を契機に極端に悪化した沖縄県民の米軍基地
問題に対する感情は,大田昌秀の知事三選が実現していたら,米国は沖
縄からの撤退も想定せざるをえないほど深刻になっていた,というみか
たもある。

 ところが,大田昌秀前知事をやぶった沖縄県の現知事稲嶺恵一は,ア
メリカ軍高級将校につぎのような侮辱発言をうけた。以下は,2001年
2月6日までにわかったことである。

 在沖米軍のトップで在日米海兵隊司令官を兼ねるアール・ヘイルスト
ン四軍調整官 (中将) が,部下の司令官らにあてた私信の電子メール (E
メール) のなかで,1月23日全会一致で決議された県議会の「海兵隊削
減決議」に関連して,稲嶺恵一知事と両副知事,吉田勝広金武町長らが
反対の意思をしめさなかったとして,「彼らはみんなばかで,腰抜けだ。
私は彼らをそうよぶのを楽しんできた」と批判した。 

 ヘイルストン四軍調整官は, 「 (批判は) プライベートな会話のなかで
出たもので,私の本当の感情ではない。冷静にもどれば丁寧に答えるこ
とができる」と弁解した。

 だが,稲嶺恵一知事らが米軍関係者に「ばかで腰抜け」と誹謗された
問題は,このことばをとおして,日本国・日本人に対する在日米軍とい
う存在が,いったいどのような軍事的=政治的な意味をもつかを,より
鮮明にしている。

 ふつうは,「プライベートな会話のなかでこそ,本当の感情が出るも
の」だが,「公式見解にもどれば冷静に丁寧に〔本当の気持を〕答える
ことができる」といった米軍中将は,詭弁にもならないような屁理屈を
吐いた。

 要は,日本は実質的に,アメリカの軍事的属国である。米軍基地をか
かえている県知事が米軍高級将校に馬鹿・腰抜けよばわりされ,この事
実が暴露される醜態が演じられている。

 このような日米関係にストレートないらだちを隠さない人士の1人が,
本ホームページが集中的に論じてきた石原慎太郎現東京都知事である。

 ただし,稲嶺県知事が前述の侮辱発言をうけたさい,この出来事に関
して,同業者である石原慎太郎がなにかものを申したというたぐいの情
報に,筆者は寡聞にして接しえていない。

 明治開国以降,日本は欧米各国とむすばざるをえなかった不平等条約
の解消に,非常な苦労をしてきた。敗戦に遠因を求めることができる,
「昭和の不平等条約」が「日米安全保障条約・日米地位協定」である。

 たとえば,毎日新聞インターネット版 Mainichi INTERACTIVE の「ク
リック一発コンテンツに直行」欄の「石原都知事」をみるかぎり,関連
記事はなかった。

 なにかにつけては,一言も二言も多すぎるこの御仁にしては,精彩を
欠く〈無〉現象である。2001年9月11日の同時多発テロ事件発生以降,
この人,どうもぱっとしない。

 −−第2の常識については,こういうことのみ申しておきたい。

 在日米軍に対する日本政府の「思いやり予算」は,1999年で 2678億
円にも達しているが,米国軍隊は日本の傭兵ではない。在日米軍を自前
の軍隊にとりかえ,「思いやり予算」を自国軍隊の用途に当てるか?
 


 ◆ 飯田 進『顔のない国−戦後の虚妄と国の
           品位喪失を問う−』不二出版,2001年 ◆

 飯田の本書は,あの戦争の負の遺産を整理し,ノドに刺さったトゲを
抜いておかねばならない,その最大の焦点は,憲法改正と自衛隊問題だ
と主張する(飯田『顔のない国』178頁。以下は参照した付近の頁のみ
かかげる)

 1) 1999年度『防衛白書』によれば,日本の防衛予算はおよそ5兆円,
一般会計予算の6%である。国民1人当たりの国防費はドル換算で,2
43ドル,対GDP比は 0.9%となる。

 ちなみに,イギリスの国民1人当たりの国防費は552ドル,ドイツは
282ドル,フランスは501ドルである。対GDP比では,それぞれ2.6%,
1.3%,2.4%である。イギリス・ドイツ・フランスなどと比較して日本
のそれは,対GDP比率でみたばあい,1人当たりの負担額も最低であ
る。

 しかし,予算総額でくらべてみるとき,アメリカの45.6兆円強はべつ
としても,イギリス5.9兆円,ドイツ4兆円,フランス5.1兆円となって
おり,5兆円の日本の軍事費は,ヨーロッパの先進諸国にくらべて遜色
がない(130頁)
 
 2) たとえば,アメリカと日本しか保有しない軍艦にイージス艦があ
る。これは,高性能レーダーとコンピューターで300キロ以上はなれた
目標物を150〜200個キャッチでき,同時に10個以上の目標をミサイル
や機関砲などで迎撃できる。この防空システムで,艦隊を航空機ミサイ
ル攻撃から守る役割をになう。

 3) いまでは,以上のような軍事予算と軍備〔軍艦など〕を所有する
日本であるが,かつては,若者=兵士をかきあつめて,こういった。

 「貴様たちの代わりは一銭五厘でいくらでもくるのだ」。

 この人命軽視の思想は,戦後もなおうけつがれている。だから,太平
洋戦争において戦場となった各地にいまださらされたままの遺骨の収拾
にも,冷淡である。一部の遺族や戦友たちの手によって,いまだ細々と
遺骨収拾の旅がおこなわれている。だが,日本政府が積極的に援助する
気配はない。政府の役人にとっては,どうでもいい過去の出来事なのだ
ろうか。

 いまの自衛隊員たちに,太平洋の島々に野ざらしになっている死者の
怨霊は,このように囁きかけるだろう(149頁)

 「おい,死んだら死に損だぞ。名誉の戦死なんぞ,もってのほかだ。
誰も弔ってはくれないからな。みてみろ,オレはいまだにジャングルの
なかで野ざらしだ」。

 4)  1999年夏に成立した周辺事態法〔新ガイドライン法〕の狙いは,
アメリカ軍は,できるだけ安全圏内にいて,ピンポイント爆撃などをお
こない,自国の兵隊の損失を最小限に止める手段をとることである。

 国連の名によると否とにかかわらず,自衛隊の出番がそのために想定
されている。地上戦は,同盟国と称する属国か,属国的立場にある国の
兵隊がすればよろしい(150頁)

 太平洋戦争〔大東亜戦争〕における死者の大半,約8割は餓死であり,
病死であり,のたれ死にであった。およそ「散華」というイメージとは
ほど遠い。「同期の桜」のノスタルジアとも無縁どころが,その対極に
ある。

 人間がこれほど惨めな死にかたをしてよいのか。彼らの死について,
その死をもたらしてものについて,深い悲しみと憤怒の感情を抑えるこ
とができないだろう(164頁)

 5) だが,靖国神社に祀られれば,兵士たちはひとしく祖国のために
散華した「英霊」となる。そこでは死は平等にあつかわれる。将軍も1
兵士も平等なカミの立場におかれる。だがそこには,おおきな欺瞞がひ
そんではいないか

 美しいことばとは裏腹に,どれだけ多くの若者たちが,虫けら同然の
死を迎えねばならなかったことか。どれだけ憤怒と絶望に身悶えしなが
ら,死んでいったことか(164頁)

 6) 責任の追及が不在のまま,日本国民は一億総ザンゲして,ことを
終わった。責任追及がされなかった最大の理由は,東京裁判の欺瞞性と
自己撞着にある。それは,日本人に被害者意識のみを植えつけ,加害者
としての視点をみうしなわせることに役だった。

 そして,昭和天皇が追訴をまぬがれ,退位もしなかったことが,一億
総ザンゲ,つまり正しく戦争の総括をしないまま,戦後を過ごす結果を
もたらしたのであった。それは二重の意味で,日本の不幸であった。

 だからこそ,軍の指導中枢に位していた者たちが,なんらの反省も罪
の意識も喪失したまま,再軍備に暗躍したものであった。そこにみられ
るものは,国家の安泰や民衆の幸せではなく,自己保身と栄達しかない。
「権力欲と功名心」のかたまりが,戦後の再軍備のレールを敷き,その
レールの上を走ってきたのである(167頁)

 7) 結局,飯田はこういう。

 私たちは,英霊として死者を賛美することによって,哀悼の意を尽く
しているとの錯覚と自己欺瞞を抱くべきではない。無意味な死を,無意
味な死とうけとめることによって,はじめて無意味な死への責任の所在
に眼を向けることが可能なのだ。それを戦後,私たち日本人は見忘れて
きた。遺族も戦友も,その家族たちも(169頁)

 −−小泉純一郎は日本の首相になって,2001年8月13日,靖国神社
に参拝した。なんのために? どうして? 

 はっきりしていることは,その確たる答え,つまり,政治的・倫理的
のみならず哲学的・宗教的な観点にも即して,そして,人間の気持とし
て誰もが普遍的に共感・共有しうるようなそれが,日本人はもちろんの
こと外国の人々に対して,きちんと与えられていない点である。

 アジア諸国との政治的関係を悪化させる定番の問題が,日本の指導者
による靖国神社参拝である。この基本的命題すらろくにわかっていない。
その感性の鈍さ,独りよがりの独善性,国際感覚における比類なき無神
経。

 飯田 進はいった。戦没者には哀悼の意を尽くすべきではあっても,
英霊として賛美するという〈錯覚〉と〈自己欺瞞〉におちいるべきでは
ない,と。

 かつて,日本帝国軍隊の犠牲となったアジア諸国の多くの被害者・犠
牲者たちがいる。この国の人々はまず,その存在を,いくばくかでも視
野にいれる必要がある。


 

★ 主なリンク先 ★
 ● 2001年11月1日「靖国参拝」訴訟           
 ● 三橋 健「靖国信仰の原質− 神道宗教の立場から靖国信仰の本質に せまる−」
 ● 奥平康弘 稿「『首相靖国参拝』に疑義あり」
 ● 石原慎太郎都知事の「DNA」発言−差別主義者の面目−
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